この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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ひさしぶりの。



58話 穏やかな晴れの日に

 

 雲一つない冬晴れの朝は、半面冷え込みもなお一入(ひとしお)である。

 霜は降り、朝露が凍るそんな庭先には今、鷲獅子の雛が降り立っていた。

 皮を剥いだ野兎を一羽放ってやると、雛は器用に嘴で受け取った。前脚、もとい鉤爪も使い、旨そうに骨まで平らげていく。

 雛には、日に四羽ほどを二度に分けて与えている。成長と共にこんな(はした)な量では到底足りぬようになるだろうが、そこは半野生のグリフォン、此奴はなんとなれば己の食い扶持は己で捕らえてくるのだ。

 

「旨いか?」

「ク、ククッ」

「そうかい。たんと食え」

 

 盛んな食いっ振りというものは人も獣も変わりない。それが娘子でも、それがたとい恐るべき怪鳥であっても、変わらず快いものだ。

 

「ん?」

 

 不意に、左手に触れるものがあった。熱気冷気はおろか痛みすら失くした不感症の左手に、有り得ぬ筈の手触りを覚える。

 この世のものでなくなったこの手に、それはこの世ならざるところから伸ばされている。

 

「雛鳥に挨拶に来たのか?」

『────』

「ふふ、そうかい」

 

 幽霊少女は、カズマらの屋敷から度々ここを訪ねてくる。身軽というか、あるいは浮遊霊の面目躍如か。

 快い平穏。波の無い日々。それは得難く、尊ぶべきものだろう。

 それが果たして、この身が享受するに相応しいかどうかはわからぬが。

 鷲の首筋を一撫でしてやり、バケツ片手に庵にとって返した。

 

 

 

 

 

 

 

「おかえりなさい」

「うぅい、ただいま」

 

 相も変わらず今朝早くに訪れていたウィズが、一々細やかな挨拶を呉れる。

 白味噌と鰹出汁が土間に香った。せっせと葱を刻むその背中に声を投げる。

 

「今朝も冷えるな」

「そうですねぇ。春目前の筈なのに」

「お蔭で雪ん子は元気だが、温いのをきゅうっとやりたくなっちまっていけねぇ」

「えぇ? もー、ダメですよぉ。朝からお酒なんて」

「かかかっ」

 

 至極真っ当なお小言を頂戴したもので、居間に逃げ込む。

 囲炉裏の暖気に心身で安堵して、蓙に腰を落ち着けた。

 炭火の上で揉み手を暖める。隣ではフユノがその白い頬を丸々と膨らませて、チヨコレイトの焼き菓子を早くも平らげている。

 そして己の正面には、その手土産を持参した当人が座っている。

 

「ひひぃひぃっ、さ、さささむ、寒い! 寒いぃ! ほほほほほ骨っねね、まままだ骨がこここおおお凍ってるるぅううう……!?」

 

 頭から毛布を二枚ばかりほっ被り、火鉢を抱え込む少女。つい先刻、()()されたばかりのメイヤは全身を小刻みに震わせながら悲鳴を上げた。

 娘が我が家へ忍び込み、常駐の“警邏”に右往左往した後この雪娘の吐息に凍らされ、そうして明けた今朝。

 憐れ凍え切る姿に笑みを堪えつ、熱い煎茶の湯呑を差し出した。

 縋るように受け取った湯呑を娘は両手に包んだ。途端、茶の水面が手の震えで荒れに荒れ飛沫を上げる。

 

「おいおい熱いぞ。気を付けな」

「こ、こここんなここ凍えてるびしょびしょ美少女がいるるるんだからはは肌で直にあたたたためてやがれくだささいおなしゃすすす」

「それはダメだ」

「ひょええ!? すすすすすみませせんんん!!」

 

 娘の背後にぴたりと張り付き、真実凍った吐息をこぼす。

 フユノの冷気で再びメイヤが震え上がった。

 

「ジンクロウの()()()はオレ」

「つ、つつがいぃ? な、な、なんで雪の精霊……様が、こここんな痩せ剣士のお、女になってんだよ……」

「かかっ、痩せ剣士で悪かったな」

 

 番うんぬんはさて置き、不埒な闖入者を掴まえたフユノがこの場の正当。

 不埒者たるメイヤは文句こそ少ないが不満たらたらといった様子。

 

「て、っていうか、べつに私は番とか、ふ、夫婦とか興味ねぇよ! そんな、そんな人間みたいな結婚なんて……結婚……結婚かぁ……うへへ」

「ダメだ」

「ひぃぃいいすんまっせん!! だからしょれやめへぇ! さむっ、寒いぃ!!」

 

 溶けては凍らされる娘子がそろそろ不憫であった。

 フユノにもう一つチヨコレイト菓子を与え、宥める。

 

「我が家もすっかり女所帯になったもんだ。いやぁ? カズのところも大概か」

「ふふ、賑やかになって楽しいですね。さ、朝ご飯ですよぉ」

「斯く言うお前さんもなかなか、上手いこと居着いたもんだなぁ」

 

 膳と四人分の器を持ってウィズが居間に上がる。御櫃の飯をお椀に盛りながら、きょとんとした顔で己を見る。

 これが惚けているのではなく本当に不可思議がっているところが、この娘の面白い気質だ。

 

「食うに困った時ふいと顔を見せに来ていた者が、今じゃ自前で飯炊きまでしていくようになっちまった」

「はうぁっ、す、すみません。その、図々しくて……」

「あぁいやいや俺ぁ構わねぇんだぜ? 押し掛け女房ありがたやありがたやってなもんで。カッカッカッ」

「む、ウィズ、ジンクロウの女房だったのか?」

「へっ!? ち、ちがっ、た、確かに押し掛けてるのはホントですけど……もぉ! もぉ! ジンクロウさん! フユノさんがまた勘違いしちゃうでしょう!?」

 

 飯を盛った茶碗を己に押し付けて、ウィズはぷんぷんと怒った。

 いただきます、と四人声を揃え、朝餉に箸をつけた。

 生姜を添えた里芋の煮っころがし、川魚の焼き物、フキの青煮、葱と麩の味噌汁、胡瓜の糠漬け。特にこの里芋の煮っころがしが美味い。良く味が沁みて、噛み締めると柔すぎず固すぎず絶妙な粘りの歯応え。

 ウィズにその気があるか知らぬが、こうして好みの味と胃袋を掴まれ始めている。さて掌で転がされているのはどちらやら。

 

「ふん、そうやって会う女会う女に粉かけてる訳かよ、このヤリ〇ン野郎め。かけるのは粉じゃなく精──痛だッ」

「朝飯時から戯けたことを言うんじゃねぇ」

 

 良からぬことを口走ろうとする娘の額を小突く。

 

「ま、まあまあジンクロウさん。メイヤさんはサキュバスですし、その、性的なことに奔放というか、えっと、オープンなのは種族的に仕方ないんですよ」

「そーだそーだ。流石はリッチー様っす。生物の根源である淫欲のなんたるかをよーくわかってる。そのエッロイ体は伊達じゃないっすね!」

「……」

「怒ってもいいんだぜ?」

「はい……いえ、まだ、大丈夫ですから……」

 

 なんとも言えぬ面持ちで、ウィズは自身に対する忌憚無き外見的評価に、落ち込んでいた。

 その腹いせが、どうしてかこちらに飛び火した。

 味噌汁の器に口をつけながら、ウィズのジトとした視線が己を刺す。

 

「……実際ジンクロウさんは口が達者ですね。女の子を見たら必ずってくらい褒めてあげて、細かいところで親切にしてくれて……ほーんと隙がないです。リーンさんに、フユノさんに、ゆんゆんさんに」

「お、おいおい、ウィズ?」

「めぐみんさんがヤキモチ焼いちゃうのも当然です」

「まあめぐ坊は、ほれ。その辺り身持ち堅くしっかりとした子だ。己のような輩はどうしても余計に目に付いちまうもんなのさ」

「だからこそそういう子を心配させちゃダメだと言ってるんです」

「へい、そら御尤もで」

「そりゃあジンクロウさんは世慣れしてるからいいですよ? でももし、まだまだ若いカズマさんが貴方のそういうところを真似しないとも限らないんですから」

「カズはあれで損得から良し悪しまで勘定のできる強かな野郎で」

「なんですか?」

「いやいやいや、御意のままに」

「もぉ……」

 

 漬物を噛む瑞々しい音色さえ、どこか怒りっぽい。

 まさに諫言耳に痛しである。

 

「やーい怒られてやんの。にししし」

「ジンクロウ怒られてる」

「ウィズ、ウィズさんよ。そうぷりぷりしなさんな。どら、見なよこのイワナ。焼き加減といい塩加減といい抜群だぜ。なんたって料理人の腕が良いからよ。ほれ、俺のを一匹やろう。そらそらやりなやりな」

「食べ物で釣ったって許しません! でもお魚はいただきます」

 

 言い様とは裏腹にウィズはもしゃもしゃと満悦面で魚を頬張る。

 しかしこの場はどうやら孤立無援。多勢に無勢で立つ瀬がない。

 急ぎ飯を平らげ、熱い茶を啜って合掌する。

 

「あぁ馳走であった! では、己は一足先に出る」

「え? もうですか。たぶんそろそろカズマさん達が訪ねてくると思いますけど」

「ジンクロウ、オレも」

「いやいつもの溝さらい、付いて来ても暇をするだけだろうよ。カズらが訪ねて来た時ゃ適当に朝飯でも振舞ってやってくれ。あやつらのこと、半分はそれ目当てだ」

 

 上着を羽織って縁側から表に出る。

 その時、林の奥間で。

 

「あーお腹空いた! 今日のメニューはなにかしら! お味噌汁の匂いは既に嗅ぎ取っているわ。ならメインは……焼き魚がいいわね! しょっぱめで白米が進むやつ!」

「お前たかるにしたってもうちょっとなんとかなんない? こっちが恥ずかしいんですけど」

「アクアにそれはもう今更じゃないですか」

「アクア、食べ物はともかく、頼むから金銭の無心だけはしないでくれ。蔑まれることを好む私でも、人としてそこまで落ちたアクアを見たくはない」

「みんな酷くない? そろいもそろって酷くない?」

 

 噂をすれば、子供らの賑やかな声が木霊してくる。

 アクア、カズマ、めぐみん、ダクネス。後の三人はともかく、アクアがメイヤを見止めた場合、またひと騒ぎ起きるだろう。

 居間へと振り返り、未だ囲炉裏の前で丸くなっている娘に声を張った。

 

「メイ、メイ子よ。悪いこたぁ言わねぇから今暫くその()()()()口を慎んでおけ」

「はぁ? なんだようるっせぇな」

「ほんの忠告だ。大水の神さんに目を付けられると諸共押し流されっちまうぞ」

「?」

「ではな」

 

 庵から離れ、子供らとは逆方向の林道を歩く。

 行き掛けに今一度グリフォンの雛を見に寄ると、黒々としたでかい図体がその隣にあった。

 黒毛の大馬。頭蓋骨(しゃれこうべ)を彷彿とさせる兜で馬面を覆った不気味なそやつは、死にぞこないの元デュラハン、ベルディアである。

 なんのつもりかこの家の周囲の林を根城に、時折こうして庵近くに彷徨い出てくる。

 近頃はグリフォンの雛と連れ立って散歩をしたり、今のように面突き合わせて何をするでもなく日向ぼっこしていたり。

 なんにせよ(すこぶ)る暇なのだろう。

 

『む、なんだ。街へ行くのか』

「まあな。お前さん達はなにをやってんだぃ」

『世間話に花を咲かせていた』

「あ? 雛の言葉がわかるのか」

『うむ、何故かは知らんが。グリちゃんはこの辺りを縄張りに決めたらしくてな。その見回りついでに空から見えた地上の様子を聞かせてくれる。これがいい暇潰しになる』

「そらまた」

 

 随分と仲良くなったものだ。

 馬の躯体に魂を取り込まれたとかいう話だが、鳥獣の言語を解することといい、もしやすればそれは魂が獣の側に引き寄せられたゆえの変質では……。

 

『? なんだ』

「いや」

 

 知らぬが仏と言う。平和ならば、それもまた一興であろう。うん。

 

「暇だってんなら雛を遣わせていねぇで手前の脚で見てくればいいじゃねぇか」

『一度あまりにも暇過ぎて俺が拠点としていた廃城を見に行ったが、魔蟲共めの巣窟になっていた。糞っ、カーペットとカーテンを新調したばかりだったのに……それがショックで暫く林に引き篭もっていたのだ』

「左様か」

 

 聞くだに下らぬ理由であった。訊ねた己こそが愚かだったのだ。

 雛鳥の後ろ首を掻いてやり、改めて歩を進める。するとどうしてか、蹄の音が追従した。

 見上げれば黒馬が隣に並んでいる。

 

「荷馬を頼んだ覚えはねぇぞ」

『誰が荷馬か。ふんっ、暇潰しに街へ行くだけだ。べつにお前に付いて行くつもりはない』

「手前の風体の怪しさをわかってねぇようだな。門前払いされるが落ちよ」

『ぬぅ……そこはお前、さも連れの馬みたいな顔をしてだな』

「図々しいこと抜かすんじゃねぇや」

『いいだろうそれくらい! ちょっとカーペット見に行くだけだから!』

 

 いったい何処に敷くというのか。

 馬鹿話をしながら林を抜けて街道に出る。

 程なく見えてくる煉瓦造りの外壁。結局は人一人馬一頭で、街の裏門を潜った。

 

 

 

 

 

 


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