前話からそうですが、ここしばらく容姿の描写しかしてねぇ……。
「私のお得意様の、ほら警察官の人、その人がさっき報せに来てくれたの!」
ばたばたと店内が騒めいている。
照明の色彩は薄桃から、自然光に近しい淡い暖色の白へ。長椅子、仕切り板は残らず裏手に運び出され、円卓や飾り椅子が其処彼処に配される。
「ああこっちは俺達が運ぶから!」
「店員さん! この観葉植物どうしますか!?」
「バインダーとペンは残らず集めろ! 一つでも見付かったらアウトだぞ!」
店の娘らは無論だが、むしろ客の男共こそ率先して内装の細工を買って出ている。その統率力たるや厳しく調練された軍兵にも優ろう。
あ、という間とはまさにこのこと。店の様相は一変し、誰がどう見たとてここは何の変哲もない茶屋となった。
作業を終えた男達の前に店主が歩み出る。そうしてその場で深く一礼した。
「本日は御来店いただきまことにありがとうございます。そして、本当に申し訳ありません。先程のご説明通り、もうすぐ当店に緊急査察が入ります。皆様の、折角のご足労をいただきましたにもかかわらず、本日の夜営業は断念せざるを得ません。重ねて、お詫び申し上げます」
「いいんだよ店長さん」
「そうだそうだ。悪いのは頭の固い官憲共さ」
「今日のところは大人しく帰るよ」
「また今度、いい夢見させてくださいよ!」
突然の店仕舞い。ここを訪れるに当たり、期待に胸も下の方も膨らませていたのだろう野郎共は、しかし実に従順に、
「あぁっ、皆さん、お心遣い感謝いたします……!」
『ありがとうございます!』
店主を筆頭に、店中の娘衆が頭を下げ、それに見送られながらぞろぞろと男達は店を出て行った。
「……でもホント突然だね。情報提供は密にしてた筈なのに……」
「ついさっき決まった査察なんだってー。昼過ぎくらいに警察署に直接命令が下りてきたーとか」
「それにしたって突然過ぎますよ! それも抜き打ちでなんて初めてじゃないですか」
「なぁんて言ってたかな? なんか偉い人の焼印が入った封書を見たーって」
「はいはい! 無駄話してないで! 喫茶店シフトの子以外は今日は全員帰宅! 帰り道はなるべく分散すること!」
『はーい!』
店主が手を叩いて下知を飛ばすや、遊女らはすぐに店の裏へ下がる。
「ああそだそだ思い出した。査察の命令を受け取ったのが、なんてったっけ? なんとかの会の会長の人だったんだってー」
「なんとかって、それ『女性の婚期を守る会』の!?」
「うぅわヤバイじゃん。たしかその人、王国検察官だっけ」
「そりゃ話進むのも早いわ……」
会話の姦しさだけは扉を向こうにしてなお止む兆しもない。流石うら若い娘子よ。
暗幕を開いた窓から茜の陽が射し込んだ。
そうしてなんのかのと店の為に忙しなく動き回るそんな彼ら彼女らを、暢気を気取って眺める阿呆が一人。
すると店開きに一段落つけた店主が、その暢気者の方に歩み寄ってくる。
がらりと変わったその装いに思わず両の目を瞬いた。白い開襟シャツに袖のない黒の
後ろ頭に髪を結い上げたことで
「お騒がせしております」
「構わねぇよ。しかし、難儀なことになったな」
「ええ、青天の霹靂と言いますか、従業員一同驚いています……」
「女性の……あー、なんと言った」
「『女性の婚期を守る会』ですわ」
「ああ、そうよそれよ。かかっ、またぞろ大仰な名めぇだな」
さて気安く笑ってよいものかも判らぬその組名。聞く限り御公に属する団体とも思えぬが。
「私どもの天敵……いえ、私どもが天敵、の方々です」
「名の通りの体裁と思ってよいのかな」
「はい、正しく」
アクセルには独り身が多い。男女の別なく、若年から中年にかけての年代層、所謂現役世代の未婚率が他の街と比較しても突出しているとか。
ここが駆け出し冒険者の集う街であり、立身出世と一攫千金を狙う貪欲な冒険者にとって旨味の少ない土地であること。より収益の見込める都市近郊に河岸を移す者が少なくないこと等も、独り者の数が目立つ一因に違いあるまい。
あるまいが、最たる理由はやはり一つ。淫魔の営むこの店の存在であろう。
「かかかっ! なぁるほど。夢見が好過ぎちまったか」
「はい、それはもう、皆さん大変ご満足いただきまして……」
男共が日々募らせる熱情を、余さず残らず搾り取ってくれる魔性なる美姫達。しかし、そうした情欲を発散しまた満たした男が、いざ日常生活に立ち戻った時、同輩の女冒険者に、あるいはギルドの受付嬢に、酒場の女給に、商人の娘に、果たして見向きなどしようものか?
答えは、どうやら否であった。
「そうかそうか。客が望む女に化けるのもお手の物よな」
「現実ではどうしても手が届かない相手だから、と……やっぱり、ここで妥協できてしまうのでしょうね」
「くくく、妥協で済めば可愛いもんだが」
この街の男共、とりわけ男冒険者達は、文字通り淫魔に夢中という訳だ。
その煽りをもろに食らったのが、誰あろうアクセルの女達である。
無論、男など要らぬ一本立ち上等と、生涯独立独歩に邁進する女傑とて在ろう。
問題はそうでない者。出逢いと恋路、ゆくゆく果てに愛した誰かと結ばれたい……そういう至極真っ当な願望を持った女達。
そんな彼女らの切なる夢が、この街ではやんぬるかな事程左様に気の毒極まって惨たらしいまでに――――叶い難いのだった。
止まぬ嘆きと悲しみの喘鳴。晴らして見せよう女の辛み。満たしてくれよう女の幸せ。ぶ厚い有志が積もり募り、遂に立ち上がった救いの志士。それこそが『女性の婚期を守る会』であった。
「その会長殿に目を付けられたのか」
「というより、以前からマークされていたようです。ですがご存知の通り、
「今になって痺れを切らしたってぇのかい。そいつぁなんとも」
まるで、期を見計らったかのようだ。
メイアの悪戯を見咎めた己が、のこのことこの店を訪れる機会を。
では、それは誰にとっての好機だ。
わからぬ。当て推量を練るにも材料が少ない。
「本当なら、今にもお詫びをしなければいけないのに……」
「ん?」
声音と肩を落として店主が呟く。
律儀というか、いっそ執拗なまでの女に苦笑した。
そしてふと一つ、思い付いたことを口にした。
「さて、果たしてこの身に詫びを受ける筋合いがあるかどうか分からんぞ? 此度の其方らに対する報せ無き御調の儀、あるいは誰ぞの謀によるものやもしれぬ」
意味ありげな笑みも添えれば、胡散臭さもより引き立とう。
なにせ流れを追えば、首謀は順当に言って――――
「ふふ、ご冗談を」
「冗談なものか。貧乏剣士は世を忍ぶ仮の姿、真なる実態は御公儀御雇いの密偵なり……などと、大見得切らぬとも限らん」
「いいえ」
「ふむ、どうしてだい?」
「私どもが未だに生きておりますから」
微笑が女の貌を彩った。それがなにやらひどく、超然としている。
「不死殺しのシノギ・ジンクロウ。貴方がその気になって、殺せぬモノなどありましょうか。たとえ魔界の理で存在する
「……」
「けれど、私は今生きています。メイアも、お店の子達も皆、生きています。シノギ様がその刃を納めてくださっているからです」
今更に、理解する。化外なる女の、その覚悟。
悪魔の身で、人里に降り商いをする。これを蛮行と呼ばず何と言う。いつ何時見付け出され、滅される恐怖と隣り合わせの活計など。
何故。
何故だと?
それこそ営み、生きる為。悪魔とても命懸けで生きているのだ。
この女店主は、己がこの店に立ち現れたその瞬間に、斬り殺されるという一つの未来を甘受した。あるいは娘子の責めを、その身で代わってでも……これ以上は無粋であろう。
「見事な気組よ」
「……」
女は無言で首を左右する。否や、というよりそれは謙遜か、あるいは平坦な諦めのような。それが至極当然で、今更誇ることでも、嘆くことですらないと、その胸の内で定まっている。
ならばこれ以上言い募るもまた愚劣であろう。
一吹き、笑う。
「ところでなんだいその、不死殺しってぇのは」
「あら、ご存知ありませんでしたか? 魔王軍幹部、アンデッドたるデュラハン・ベルディアを、あろうことか剣で斬り破った異端の剣士シノギ・ジンクロウ様……お噂はかねがね轟いていますのに」
「幸いそんな御大層な通り名は近場では聞こえんな。随分とまあ、耳障りのお宜しい詩吟だこって……」
こちらの軽口に、女は愛想良く笑ってくれる。なんということはない客商売なりの心得が。
なんということはないと、泰然と肝の据わった様が。それがどうも、いかぬ。
なにやら、節介の虫が疼いてくる。
「酒はあるかぃ」
「はい?」
出し抜けのこちらの問いに、女は即座に返答しかねた。
無理もない。店主の目の前にいるこの阿呆めは、何条以てかこの期に及んで店に居座ろうとしているのだ。
「酒精の類は置かんか。まあ喫茶と謳うのだからしょうがねぇやな」
「い、いえ、ございます。でも……」
「では一杯貰えるか。
「……よろしいのですか」
これからこの店には女性の何某とかいう組合を擁する検察による調べが入る。そんな現場に居合わせるつもりかと、女店主は言外に問うている。
痛くもないならいざ知らず、己の腹は痛く患っている上に矢鱈と真っ黒いときた。捌いて探られて、無事で済む筈もない。
だが。
「客が一人も居らぬでは些か見映えも悪かろう。乗りかかった舟だ。この老骨を櫂の代わりに、とまで驕りゃあしねぇさ。ま、柄杓程度の役には立つかもしれんぜ?」
「……酔狂な人ね」
「まっこと然り然り、酔っ払いにゃあ違ぇねぇや。なればさあさあ、この酔漢めに早う一杯注いでくんな」
「もぉ……」
処置無しの男に呆れ、返す言葉すらもはや失せた。そうして女は観念したように微笑を浮かべる。滴るような色艶は抜けて落ち、えらく素朴で柔らかな顔だった。
注文の品を取りに店主は奥へと下がった。
「ん」
「お?」
その時、鼻面に薄い板切れが差し出された。黒革の装丁に紙を貼り付けたそれは、どうやら店の品書きである。
隣の席に腰掛ける者があった。メイアである。
しかし。
「おいおい随分と様子が変わったな」
「うっせ」
徳利襟のセーターにズボン。思えば着せっぱなしの牛革ジャケットを肩にかけて。
実に落ち着いた装いであった。何一つ不自然なものは身に帯びていない。それこそ先の布切れに比べればこの上なくまともな姿だ。
まともであるが、正常ではなかった。
様子が変わった――――それは服装だけを差しての評ではない。姿が、容が、明らかに変質している。
まず、肉付きが落ちた。幼いながらもあった女らしい体の丸みが失せ、代わりに筋と骨が目立つ。肩幅や腰回りはより顕著であろう。
顔立ちに大きな変化はない。しかし髪は耳が覗くほどに短く、睫毛や唇に施されていた化粧気も落とされている。
美しい造形はそのままに、性の有り様だけが向きを変えた。
そこには華麗な“少年”が座っていた。
「お前さん
「悪いかよ」
「いや悪かねぇが」
「……
ぶっきら棒に少年が言い捨てる。
己はといえば、奇妙な得心を抱えて苦笑する。
どんな世界だのどれほどの時代だの跨ごうと……衆道とは何処であれ拓かれ、そして啓かれた文化であるようだ。
こちらの視線に好奇の色でも見えたか、メイアは帽子を目深に被った。赤い鳥打帽は、無論のこと狩衣の用ではなく、この姿におけるこの子なりの盛装であろう。
「…………そんなに変かよ」
「いいや? その
「…………あんた、そっちの趣味もあんの?」
「戯け。褒め言葉くれぇ素直に受け取りやがれ」
少年は鼻を鳴らして、如何にも愛想悪く卓に頬杖を突く。
ところが帽子の鍔の下に見えた口元は、薄っすら笑みの形をしていた気がする。
「客があんた一人だけじゃ寂しいだろうから、アタシ……じゃねぇ、ボクも同席してやるよ」
「ほーん、そいつぁ心遣い痛み入るね」
ならば格別、男に化ける必要はないように思うが。不用意に嘘を数重ねれば、何かと
……しかし、これも、この娘なりの思慮なのだろう。
品書きを開いて“少年”にも項を見せる。
「何か頼みな」
「別に要らねぇけど」
「客が注文も付けずに居座ってちゃそれこそ不審であろうが」
「あ、そっか。うーん……じゃあミルクセーキ」
「おお、この『ぱんけーきせっと』ってのにしな。飲みもんと一緒くただとよ」
「いやそんな要らねぇし……」
「なんでだい。うんめぇぞぉ、ぱんけーき」
「知ってるわ。ていうか、ボクらが人間の食べ物食っても意味ないってあんた知ってんだろ……」
「おうい、娘さんよぅ。ぱんけーきせっと三つだ」
「聞けよ!?」
女給の返事を聞きながら、傍らでぷんぷんと怒る少年をあやす。
暫時、朗らかな時間の流れを感じていた。
「来ました」
「!」
「いっ」
卓に硝子杯を置きながら、店主の女が囁く。
それとほぼ同じくして、扉の鈴がけたたましく鳴り響いた。
「検察だ! 全員その場を動かないで!」