この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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54話 人の情事、サキュバスの事情

 

 

 娘の言は、あながち口から出まかせという訳でもなかった。

 路地の奥へと踏み入り進むこと暫し。商店通りからは遠退き、むしろ表通りの活気さえ間近にした裏路地に、その店は構えていた。

 両開きの黒檀の扉。もぐり娼屋なのだから当然に看板など出てはいない……などと考えた己を嘲笑うかのような派手派手しさで桃色の立て看板が我らを出迎えた。

 

「……なんとか猛々しいというか、随分と()()()()のいい立地だな」

「あ、夜仕事がない日は昼間に喫茶店やってるっス」

「そらまた、仕事熱心なこって」

 

 いや灯台の下、木を隠すならの習いもある。一概にそのやり口を迂闊と判ずるはそれこそ短慮か。

 ふと傍らに目をやる。先の威勢は何処へやら。娘はすっかりとしおらしくなった。

 あの衣服とも呼べぬ薄布は小水に浸ってしまい、着たまま動くには少々障りがあった。それを何の躊躇もなく脱ぎ捨てる思い切りの良さはともすると感心すら湧こうものだが、全裸の子供を伴って外を出歩くような趣味は生憎持ち合わせがない。

 仕様がないゆえ、己の羽織っていたジャケットを御仕着せている。ぶかぶかで寸法の合わぬそれを、しかし娘は存外に嫌がりはしなかった。

 どうしてか時折、その褐色の頬を襟の内に埋めたり、袖口に鼻を近付けてひくつかせる。

 

「……」

「なんだ臭ぇか? 中に入ったらすぐ着替えてきな。話はその後で構わん」

「え? いや、うん……まだ、もうちょっとだけ」

「?」

 

 是とも非ともつかぬ返事に首を傾げた。

 さても、扉に手を掛ける。

 ちりんちりんと、涼やかな調べ。扉には来客を報せる為の鈴が設えてあった。

 

『いらっしゃいませ、ようこそ“夢の入口”へ』

 

 華やいだ声に迎えられ、店に足を踏み入れた。

 窓は全て暗幕を下ろされ、加えて灯が絞られただでさえ仄暗い室内を、紫桃色の間接照明が染め上げる。それはもう、(すこぶ)る眼に毒であった。

 長椅子にずらりと行儀よく座る男共。皆、ここを訪れた客達であろう。

 それを相手するのは勿論、店の者ら。つまりは遊女達。年、髪型、背恰好、体躯、肌、実に様々な容姿をした女達だった――見渡す限りの美姫、美姫、美姫だった。

 道を歩けば振り返らずにおられぬような美しき女が、またぞろあられもない姿で。服と呼ばわるのも烏滸がましい儚い衣装に身を包み、そこら中を歩き回っている。

 色、いや色香。この場を満たす匂いこそ、雄という生き物にとっては何よりの毒となろう。

 

「お待たせいたしました。さあ、どうぞこ――――」

 

 来客に気付いた一人がこちらに寄ってくる。艶然と笑みを湛えていた黒髪の娘は、己の傍らの娘を見るや「あっ」と口を開けた。

 

「し、少々お待ちくださいね。あははは……店長ー! 店長ー! メイアが帰ってきましたー!」

 

 愛想笑いもそこそこに、店員は小走りで店の奥へ引っ込んでいった。

 

「メイア、というのか。そういえば名乗っておらなんだな。俺ぁシノギ・ジンクロウと……どうした、顔色が悪いぞ」

「ウッス、ダイジョブッス」

 

 それだけ言って、メイアは下を向いた。それだけ言うのがやっと、といった風情でもある。

 桃色の照明で実際の血色など見て取れまいが、脂汗を浮かせて表情を凝り付かせる様はどうも只事ではない。

 暫くすると、奥からまた一人女が現れた。やはり他の女店員同様、肉感に富む身体――辛うじて乳頭と局部を、薄い布を細い革帯で留めた装束で覆っている。

 メイアよりも淡い桃色の長髪。顔立ちは、先程この娘が化けていた妙齢の女に面影が見える。さては彼女が模倣相手か。

 

「て、店長」

「……」

 

 店長と呼ばれた女は、しかし呼んだ娘に見向きもせず、真っ直ぐこちらに歩み寄ってきた。

 

「お客様、奥のお部屋にご案内いたします。ご足労ですが、どうぞこちらへ」

「ああ」

「誰か、奥にお茶をお持ちして。メイア来なさい」

「はいぃ」

 

 先導に従い、店の奥へ踏み入る。

 同じく追従する娘の様はさながら叱られるのを予感してしおしおと耳を垂れる犬だった。

 

「……」

 

 出入り口から奥への道中、店内中に視線を走らせる。そうして……見付けた。

 壁際の長椅子、一席一席を目隠しで仕切るのは商売柄の客への配慮であろう。その一番端の席で、必死に肩身を縮めているその。

 

「くふっ」

「ど、どしたんスか……?」

「いや?」

 

 

 

 

 

 

 

 奥の間は応接と執務室を兼ねているのだろう。壁際にしっかりとした設えの机、部屋の中央には対面に据えたソファと硝子卓が配されている。

 敷居を跨ぎ、扉を閉めた瞬間、店長の女はその場に跪いた。

 

「この度は当店の従業員がとんだ御無礼を働きまことに、まことに申し訳ありません」

「て、てんちょ……」

 

 額を石床に擦り付けんばかり。土下座という文化がこの地にも根付いていたのかと、場違いな感慨が過る。

 両手を付いたまま女は動かない。おそらくは一言、許しを得るまでは。

 片膝を突いて今少し近付く。

 

(おもて)を上げな。何はともあれ、まずは話をせぬか。お互い事情を通じねば、其方の誠意もただの自儘な詫言になろうや。ん?」

「……はい」

「あと、この娘にも多少言い訳をさせてやっちゃどうだい? 今にも死にそうな(つら)だぜ」

「それはどうかお構いなく。ああ、なんならこの場で私が殺します♪」

「てんちょぉ!?」

 

 気品さえ覚えるほどに美しい笑みでなかなか辛辣なことを女は(のたま)った。

 かと思えば、泣きっ面で悲鳴を上げた娘を、打って変わった氷のような目で座の姿勢から睨み上げる。

 隣から、続けて発しようとした声を喉の奥に蹴り戻される音がした。

 

「貴女、自分が何をしたのか解っていて?」

「…………はい」

「貴女の軽はずみな行い一つが、我々と先人達がこの街に死に物狂いで築き上げた共生関係を、全て台無しにするところだったことを解っていて?」

「………………」

 

 ゆったりと、優雅に女は立ち上がる。しかし動きの緩慢さとは裏腹に、娘へと詰め寄る足捌きは居合の間合()りの如し。

 娘の小さな顎を摘み、視線でその瞳を射貫く。

 

「貴女が今、こうして生き永らえていられるのは、一体誰のお蔭か解っていて?」

「っ、て……」

店長(わたし)のお蔭、なんて口にしたらアンタ本当に縊り殺すわよ?」

「ひぃっ!? お、お兄さんです!! こここの人の、おか、おかおかげでっ、です!」

「そうよ、きちんと理解しなさい」

 

 店長は娘から今再びこちらへと向き直り、深々と腰を折った。

 

「重ねてお詫び申し上げます。さ、おかけください。貴女は隣に来なさい」

 

 革帯から刀を抜き取り、勧められたソファに腰を下ろす。

 対面に店長、そして怖々とメイアがその隣に浅く座った。

 

「共生関係、と申されたか」

「ええ……そうですね。ではまず、そのことから」

 

 この街、アクセルでは数多くのサキュバスが生活しているという。サキュバスとは淫魔、即ち悪魔の一分類。

 アクア、エリスのような神と呼ばわる存在の対極に位置するのが悪魔であり、概してそれらは人間に禍を招く。

 悪魔が糧とするのは、人間が身の内より発する感情や衝動、強い想念。それも怒りや憎しみ、悲しみ、怖れ、嫉妬、単純な物欲、飢えや渇き、果ては絶望と……とりわけ負極へと堕する魂を何より好むらしい。

 故に、悪魔は見つけ次第払うのが習わし。国教たるエリス教にしてからが徹底的な悪魔廃滅主義を掲げている。

 その、人間にとって不倶戴天の敵と断じられる悪魔が、なんと人里に住まい、あまつさえ商いをして暮らしている。

 しかし、淫魔という種の生態を知った今、その疑問は容易く氷解した。

 

「私どもサキュバスが糧とするのは、男性の性衝動、色欲、淫猥な願望、その過程と結果に生じる精気です。それを発散したいと望む男性方は、殊の外たくさんいらっしゃいます。とても喜ばしいことですわ」

「なるほど、持ちつ持たれつってぇ訳だ」

「はい、人間社会の風俗産業なら私どもと男性冒険者達との間に確実な需要供給が見込めると、先代の店長が開業に漕ぎ着けました」

「慧眼恐れ入る。やぁ出物腫れ物所嫌わずな身としちゃあ確かに、切実だ。しかしよくぞ今の今まで隠し果せたものよ」

「お客様皆様のご協力の賜物ですわ」

 

 (てら)いや含みもなく、女店主は微笑した。

 

「ですが、そう。強いて遠因を一つ上げるなら、サキュバスの吸精は必ずしも肉体の接触を必要としません。お客様が望まれる通りの淫靡な夢を見せて、その昂ぶりを精気として頂戴しています」

「はははっ、そいつぁ道理だ。夢の中ならばそらぁ手前の勝手も勝手。法も経も届きはしまいな」

「ええ、咎める者など居りません。お好きなだけ、望まれるまま、何をシても、誰とシても……」

 

 女の笑み、それを形作る唇の隙間から赤い赤い舌がちろりと波打つ。まるで空気を伝い、この身を舐ぶられるかのような心地がした。

 

「此度は本当にご迷惑をお掛けしました。満足にお詫びのしようもありません……」

「いんや、既に頂戴した。娘っ子の仕出かした悪戯をきっちり叱り飛ばして反省させたろう? 見な、この悄気返り様。くくく、心底懲りたってぇ面してらぁ」

「……(´・ω・`)」

 

 肩を落とすメイアの、なんとも曰く言い難い顔付きに思わず笑声が漏れる。

 

「責めの取りっぷりとしちゃ、十分なものを見せてもらったぜ?」

「いいえ、足りません」

 

 こちらの言に、けれど女は承服しない。

 穏やかに首を左右し、そうして閉じられていた瞼がゆるゆると開く。

 

「足りぬ、とは。どういうことだぃ」

「言葉や態度だけで全て賄うなんて、とんでもない。きちんと、誠心誠意の行動でお詫びを致します」

「さて、なんぞ働いてくれると言うのか。くふふふ、ならば庭の手入れでも手伝ってもらおうかい」

「ふふふ、御用命でしたらいつでもお伺いしますわ。でも、その前に……」

 

 す、と女が席を立つ。淀みのない足取りで硝子卓を回り込み、己の側へ。

 

「お隣、よろしいですか?」

「ああいいとも」

 

 ふわりと、静謐な身の(こな)しで揺れも少なく女が座る。

 確かに隣を許しはしたが。隣も真隣、女はこちらの肩身にぴたりと体を寄せ、その掌は己の内腿を這った。

 吐息が耳孔を(くすぐ)る。女体特有の甘味が鼻の奥底まで香った。

 もの問いに笑みを送れば、妖しげな笑みが返ってくる。しかし、応えのようなものは一向なかった。

 

「はしたない女はお嫌い?」

「はて、今この目ん玉にゃ息を呑むような婀娜(あだ)っぽい女しか映っちゃいねぇがなぁ……?」

「ふふっ、もぉ……達者な人。そんな風にいろんな子を夢中にさせてるんでしょう?」

「おいおい揶揄(からか)ってくれるな。夢を見せてくれるのは其方らであろうに」

「ええ、お見せします。天にも昇るような、素敵な夢を……」

 

 開かれた瞼の下で輝く、宝珠の如き煌めき。紫水晶にも優る光輝を発する瞳が己を捉えた。()()()

 顎に、しなやかな女の手が添えられる。

 ゆっくりと迫る。その美貌が、今や燃え盛るような魔性を放つ微笑が。

 

「この身をお好きに、どのようにでも、舐って、嬲って、貪って……」

「また今度な」

「はいまた今度――――はい?」

「かかかかっ」

 

 美しい笑みのまま、女の時が止まる。笑みの形で凝固する。

 それがなんとも、驚愕に揺らぐ内心とは裏腹に美術品めいてあまりに見事で、不躾なのも構わず大笑した。

 

「どうして……」

「あ、店長そいつ魅了効かないッスよ。なんでかわかんないッスけど」

「……」

 

 すっくと店主は席を立つ。そのまますたすた元の椅子、娘の隣まで戻って行き、実に淀みなくその頬を抓り上げた。

 

「いひゃひゃひゃ! いひゃいっふ!! いひゃいっ!!」

「そ・れ・を・先に・言い・なさい」

「はひっ! すんまっひぇんひた!!」

 

 ぐにぐにと抓りに抓り、引っ張り上げ、最後にぱちんとゴム風船のように頬が元に戻る。

 なんともはや痛そうだ。涙目に頬を擦る娘に憐憫を覚える。

 

「オホホホホ~。まったくもうこの子ったら慌てん坊で」

 

 打って変わって女主人は朗らかな笑顔を作った。まるで何事もなかったかのように。

 

「さきゅばすって奴ぁ、その瞳術をどうも好んで使いたがるらしいな」

「あは、はは、私どもにとって、その、アイデンティティのようなものでして~……すみませんお許しくださいお慈悲を」

「今になって掌返そうなんて気はねぇから安心しな」

 

 取り繕った笑みも失せ、女は観念した様子だ。

 娘子と二人、似たようなバツの悪い顔が並ぶ。さながら仲の良い姉妹か親子である。

 

「けれど高位のプリーストでもないのに……どうして効かないのかしら……」

 

 不貞腐れたように呟く女に苦笑する。

 

(のろ)いで穢れた血に(まじな)いの入り込む余地がねぇというだけの話だ。自慢にもなりゃあしねぇ」

「……」

 

 微かに震える柄頭を押さえ付ける。また、なんぞ嗤っているのか。

 

「ところでだ」

「あ、はい、なんでしょうか。淫夢のご入用ですか? ああそれともこの身を直接お求めですか? どうぞご遠慮など無きように。今なら一晩、いえいえ三日三晩でもどうぞご存分にお使いいただいて結構ですけれどもええ本当に」

「あっ、店長ズリィ!」

「アンタは黙ってなさい」

「それよ」

 

 きょとんと二対の瞳が己を見返す。

 

「お前さん達ゃ夢の中で事を行い精気を喰らうのだろう。だというにお前さん、何故()()で仕掛けて来た?」

「あー」

「――――」

 

 サキュバスの能力を聞き及ぶに当たり、ふと擡げた疑問がそれだった。

 空腹であったから? いやいや、先程ちらと見渡した店の客入りは上の上。むしろ店側の人手不足を心配する程度には繁盛極まっている。

 ではメイアという名のこの娘に何かしらの問題があるのか? 外見は確かに幼い。しかし器量は十二分なものを備えている。血気の激しい(さが)も仕事となれば抑えが利くらしい。加えてあの変化の術、客の好みに合わせて千変万化できるとなれば引く手は数多あろうに。

 昼日中の街中で通りすがりの男を捕まえ事に及ぼうなどは無茶無謀の極み。そんな危険を冒してまで、こんな娘っ子が大の男を犯さんと画策したのは……何故だ。

 

「この子、処女なんです」

「ちょっ!?」

「は?」

 

 あっさりと、店主の女は言った。言い切った。

 当人にとっては一大告白であったろうそれを、逡巡する間もありしなかった。

 

「今時珍しくもないんですよ? サキュバスの処女」

「っ!? っ!? っ!?」

「寡聞にして知らなんだが。そういうものかい」

 

 手をひらひらと振って店主はからからと笑う。

 かんかんに顔を赤く染め上げ、娘は店主と己を何度も何度も見返す。

 

「昔はそれこそ、男性の寝所に直接忍び込んで、淫夢や魅了、そしてこの体全部を使って心も体も骨抜きに搾り取るのがサキュバスの作法でしたわ。でも時代は移り変わるもので、今や人間社会全体の悪魔への警戒意識はかなり醸成されています。対悪魔用アイテムやスキルの開発が進んだというのも一因ですが……夜這いに失敗するだけならまだしも、もし通報などされたら、エクソシストが近隣全域の浄化を始めるでしょう」

「なるほど、危ねぇ橋は渡れんな」

 

 思いの外切実な内情であった。

 

「男性に触れるのも触れられるのも夢の中だけ……なんてことも、今の、特に若い世代のサキュバスには結構多いんです。で、この子がまさにそれで」

「うぅぅぅううううううううううう!!」

「行きずりの男性を捕まえて、あわよくばロストヴァージンを……なんて夢見ちゃったんでしょう? まったくサキュバスが夢中にさせられてどうするんだか」

「ふんぐぅうぅぅううううう!!?」

 

 女店主は実ににこやかに娘子の羞恥心を抉る。その嫌味もまた剃刀めいた切れ味を揮っている。

 思うに先程の言葉足らずを根に持ってのことではなかろうか。

 

「さっさっ、こぉんな未通娘(おぼこ)は放っておいて、シノギ様? また今度なんてつれないこと仰らないで。今晩にでも、こちらで宿は御用意いたしますからぁ」

「おや、人と悪魔が通じるなぁ、障りがあるのではなかったか?」

「大丈夫です和姦なら!」

左様(さい)で」

 

 めげず折れず元気良く店主は瞳を一層妖しく輝かせ身を乗り出した。

 はち切れんばかりの乳房の揺れは眼福に相違ないが、端々に滲む必死な気勢がなにやら面白可笑しい。

 

「ちぇっ、自分だって御無沙汰のくせに……」

「なんか言ったかしら?」

「いえいえいえいえいえいえいえ」

 

 このまま姉妹漫才を鑑賞するのも一興か。

 一向に運ばれて来る様子のない茶を待ち侘びながら下らぬことを夢想した――その時。

 

「て、店長!? 大変大変大変!!」

「こぉら、お客様の前よ」

 

 突如開け放たれた扉から、従業員と思しき娘が飛び込んできた。

 慌てふためき息せき切らせ、娘は店主の諫めにもろくろく応じず。

 

「ガサ入れだよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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