この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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前回同様オリキャラが出てきます。
今更の注意喚起ですみません。


8月16日

アクセルで風俗は御法度……云々の部分を修正、加筆しました。
ご指摘ありがとうございます。


そしてごめんなさいルナさん。



53話 化けの皮の厚化粧

 

 

 

 幼子を青果店に送り届け、元居た商店通りに取って返す。

 荒らされた店先は既に掃き清められ、ついでに残雪も掻いたのだろう。先刻より幾分歩き易くなった道を進む。

 

「さて」

 

 どうしたものか。

 当初の目的である少年の尾行および目当ての場所、人物の特定……密偵のような仕事を、紅い娘っ子から仰せつかった訳だが。

 流石に、隠形を用いて密かに行動する一人の人間を手掛かりなく探し出すには、アクセルの街は広すぎる。

 朝帰りをするのだから、何処かに宿でも取っているやもしれぬ。捜索範囲を宿場に定めればあるいは。

 いっそ今日は諦める、というのも一手ではある。

 連日通い詰めるほどの入れ込み具合なら、後を尾ける機会は今後幾らでも巡ってくるのだから。

 

「――(けえ)るか」

 

 めぐみんには悪いが、もう少し辛抱して待っていただこう。それに、カズマの悪賢さは騒動を引き起こすが、どういう訳か災いとは縁遠いのだ。

 己がこうして暢気に構えているのも、かの少年に対する甘えのようなもの。信頼、と言い張れぬあたり、己も大概ひねている。

 雲の薄皮一枚向こうで、陽光の傾きを感じた。夕刻と呼ぶにはまだ早い。しかし確実に寒さの深まりを感ずる。

 道々では、書き入れ時を過ぎたといえ未だ飯屋が客引きに精を出している。

 口にしたのは先程のスコーン一つ。その辺りの飲み屋で遅まきの昼飯にありつくとしようか。

 そのような腹積もりで店を物色する。

 商店通りを幾らか進み、適当な路地に中りをつけ入り込む。表よりも静かな、己好みの旧い店構えが軒を連ねていた。

 そう。格別意図したことではなかったが、その路地は丁度カズマの後姿を見失った場所だった。

 

「……」

 

 静かだ。益々に。

 人間二人が肩を並べられる程度の小路。奥へと進むほどに、そこは仄暗く、空気すら止まって見える。煉瓦造りの建物に両側を覆われ、見上げた細長い曇り空でさえ、ただの白い天井が張り付いているかのようだ。

 人気が遠退き、精々が壁の向こうに微かな気配を感じられるかどうか。

 誰一人、消え失せた路、その先で。

 

「お兄さん」

 

 何時からか、何処(いずこ)からか、まるでその刹那に現れたかのように。

 その人物は、己の行く手四、五歩先の壁に背を預けてこちらを見ていた。

 一見して背恰好は判然としない。踝まである外套で全身を包み、起伏や肩幅が量れず、一体となった頭巾で顔容すら覗けない。

 唯一聴き取った声は高く、絹を撫でるような質感をしていた。声音だけを手掛かりとするなら、対手はおそらく女であった。

 

「よかったら遊んでくださいな」

「ほう、日も高ぇ内から()()()()かい?」

「ふふ、そっ。持て余しちゃってサ」

 

 こちらの問いにあちらは“是”と答えた。

 どうやら本当に相手は夜鷹……いや街娼である。

 なんの、春を商うことそれ自体は特段珍しくはない。己が身一つ、それを活計(たつき)に生きること、奪わず害さぬその生き様、見上げこそすれ何をか(いぶか)る。

 しかし一点、不審があるとすれば。

 寡聞にして知らなんだ。この街に娼婦が、娼屋があるなどと。

 以前、ギルドの受付嬢ルナを食事に誘った際、あれは確か言っていた。

 

『ふぐぅ、こ、こんな風に、ち、ちゃんと、普通に、男の人に食事に誘われたの、は、初めてで……ふぐぅ』

 

 どうしてか座敷に上がるなりしゃくり上げて嗚咽し始めた時など、流石に返す言葉を失くしたものだ。

 閑話休題(さにあらず)

 連日の激務に次ぐ多忙。人手不足も祟り、他の職員が帰宅した後ギルドで一人夜なべするのも常であるとか。

 聞くだに不憫であった。そしてその最たるものが。

 

『また! また一人! 友達が結婚したんですよぉ!! その子、王都の冒険者ギルドに勤めてて相手もその辺りを活動拠点にしてる冒険者パーティの人とかで、ギルドで受付担当してる内に仲良くなってそのまま、って……そのままなによ!? なんなのよその定番パターン! なんで私の所には「パターン“寿”ブライダルです」が来ないの!? アクセルの受付って呪われてるんですか!? この受付台は呪われています座ったら二度と彼氏出来ません、とかそういうアンチパワースポットにでもなってるんですか!? 私だってね、地元ではそこそこもてたんですよ? でもやっぱり見た目だけ目当てのナンパ男とか、胸しか見てないようなスケベ野郎とかそんなのばっっっかりで無視してたんです。働き始めれば周りは大人の男性しかいないしきっといい出会いがある筈よね……なんて言ってた過去の自分を張り倒したい! 外見だけでも褒めてくれるだけいいじゃない! なんで妥協しなかったのよルナぁ! ふ、ふふふ、ふふ、たまのセクハラ以外で、女ってことを実感できる機会がないんですよ? あは、はははははは、笑ってください。笑って……ふぐぅ』

 

 重ね重ね聞くだに、不憫であった。

 口八丁尽くして宥め賺し、遂には店の女将を呼んで四半刻掛けてどうにか慰め、落ち着いた頃。

 

『おかしいんですよ、この街の男の人……特に冒険者の男性。普通はもっとガツガツしてるもんなんじゃないんですか? そりゃあセクハラ下ネタは定番ですけど、実際に女性職員や女性冒険者に手を出した、なんて話、一切聞かないですもん。この街には風俗店の類は一つも届出されてないのに、どうやって発散してるのかしら……ち、ちち、ちなみに、ジジジジ、ジンクロウさんは、その、どうやって、し、鎮めるんですか? なにって、そのナニを――――』

 

 酔いが回り切ったか、直後茹蛸のように赤熱してルナ嬢は昏倒した。女を背負って歩いた帰路。そこで望んだ東の空の、あの眩さが思い出される。

 余計な記憶が大いに氾濫したが、要点は一つ。

 アクセルに娼屋はない。より厳密に言えば、御公儀の許しを得た遊女(あそびめ)は一人として居らぬ。あってはならぬと定まっている筈だ。

 ならば今、目の前に佇む女は私娼、あるいはモグリ花屋の客引きということだ。

 承知の上での密売なのか、はたまた裏で賄賂(まいない)が利いているのか。

 何れにせよ、対手は真っ当な娼婦ではない。

 ならば相手になどせず、この場はただ立ち去ればよいだけのこと。善良なアクセル市民の一人として、遵法の心得を置いて何をか先んずることあらん。

 

「……」

 

 懸念はほんの一つ。

 少年の背中は、さてどの辺りで消え失せたのだったか。

 騒動の予感が起ち上がる。仄かに、厄介事の匂いを添えて。

 ほとほと厄介な繋がり方だ。

 

「はぁ、寒い……すっかり凍えちゃった」

「この寒空の下突っ立っておれば然もあろう」

「今日はずぅっとお茶挽いてたからネ。だからちょっと自信喪失中なの。ねぇ……」

 

 女は(おもむろ)に頭巾に手を掛け、捲り上げる。

 その下の顔を露わにした。

 まず溢れ出したのは、髪。緩く巻かれ、滝か急流の小川めいて流れ落ちる豊かな、薄桃色の長髪。薄暗がりの路地で、天辺から毛先までよくよく手入れされたそれは僅かな陽光を吸い上げてぼんやりと光を放っている。

 浅黒い肌色をしていた。日に焼けたのではなく、それは生来の褐色なのだろう。不思議な話だが、ただそうした色をしているというだけでこの者からは何か、ひどく生物的な活力のようなものが想起されるのだ。

 顔立ちの評は僅か二字で事足りる。美麗。

 はっきりとした目鼻立ち。派手というより華美という表現がより適しているだろう。細く流麗な稜線を描く眉、大きな二重の目、形の良い鼻、厚く瑞々しい唇は髪色と同系色の紅が塗られている。それぞれの部位が華やかで、ともすると主張が喧嘩を始めそうなものを、それらはある一つの均整に完璧に従属した。

 

「どう、かな?」

 

 愛嬌のある困り顔で、首を傾げて問うてくる。頬には微かに羞恥の朱が差していた。

 しかし、薄く開かれた瞼の奥。瞳から発散されるのは――――淫靡。

 

「……ああ、一気に目が醒めっちまったよ。その器量で客が付かんとは到底信じられんな」

「ふふ、御上手。でも嬉しい」

「幾らだい」

 

 こちらの一種不躾な物言いに、しかし女はゆるく首を振る。

 そのままするすると傍まで歩み寄り、突然外套の前合わせを開いた。

 当然ながらその下には女の体があった。初対面とは打って変わって、一目でその形を見て取れるほどに分かり易く。あられもなく。

 黒い絹の布地を縦長四角に裁断し、身体の前後に一枚ずつ貼り合わせ脇腹を紐で結んだ。服と呼ぶのも憚られる、そんな布切れで女は肉体を隠していた。

 形の良い乳房の谷間は花柄の編み込みが施され、それが丁度Vの形に下へ下へ、臍を覗かせ、下腹の際にまでその先端が及ぶ。

 食生活の貧しさを懸念するほどに細い腹回り、しかしそれに比べて腰から尻の肉付きはさながら熟れ切った水蜜桃。

 膝から脛に掛けて毛皮を張った革靴を履き、寒々しい服装との対比が妙に倒錯的だった。

 重ねて、思う。対面する女の肉体、その均整の向かう先はたった一つなのだと。

 淫靡。

 それはそういう(かたち)をしていた。

 

「お代は味見の後で、お兄さんの、出したいだけ」

「そいつぁ上手いねぇ。べらぼうに甘ぇ話だ。くくっ、べらぼうに後が怖ぇが」

「んふふっ! 騙したりしないから安心してヨ。怖がらないで、ね? 大丈夫だから。お兄さんは好きなだけ、出したいだけ出せばいいの。好きなときに、好きな場所に……」

 

 細い指先で鮮やかな色の爪が煌めく。

 女はその唇を指差して。

 

「ここでも……」

 

 女は自らの乳房を(まさぐ)り、揉みしだき。

 

「ここでも……」

 

 そうして女は、前掛けより儚く頼りない下半身の布切れを捲り上げ。

 

「こ・こ・で・も」

 

 女は、下穿きを身に着けていなかった。

 ふと気付けば、女の手がジャケットの懐から這入り込み、己の胸板を弄んでいる。這い回る蛇のような動きで、撫で、擦り、絡み付く。

 

「はぁん逞しいんだぁ。男の人の筋肉って好き」

「そりゃあ嬉しいね」

「お兄さんも触ってよ。それとも、んふふっ、キスが先?」

「あぁ……」

 

 また、女の瞳が妖しく光る。それは淫らな色をしていた。

 唇を一舐めして、美麗な顔が己に迫る。香水以外の、甘い、女体の匂いが鼻腔を満たす。

 もう触れる。あと僅かに、三寸ほどで。

 細い顎にそっと手を添える。導くように。誘われるように。

 

「ふふ」

「お前さん……」

 

 顎を――――掴み止めた。

 

「人ではないな?」

「ッッッ!?」

 

 眼前、鼻先が触れ合うほどの距離で、驚愕に見開かれる女の目。

 その目が今一度、鬼火めいて光るのだ。

 

「な、なんのこと。どうしてそんなこと……」

「なるほど、瞳術の類か。そうやって目を合わせた者を惑わし、意思を奪うのだな」

「ちっ!」

 

 舌打ちと共に手を払い除けるや、女は獣のような俊敏さで跳び退がった。

 美しかった顔は今や苦虫を噛んだように歪み切っている。

 

「糞がっ魅了(チャーム)が効かねぇ!? てめぇただの剣士だろ!? プリーストでもねぇ癖になんでだ!」

「かっかっか、おうおう化けの皮の下は随分口が悪ぃな」

「うるせぇ!」

 

 悪態を吐き捨て、女はついでとばかり外套をこちらに放り投げる。

 目眩(めくら)ましにもならぬ。半歩でそれを躱す。

 しかし、既に、女は頭上にあった。

 

「バレちまったなら仕方ねぇ! ホントは和姦がよかったけど……で、でもまあ逆レ〇プはサキュバスの専売特許だしなぁ!!」

 

 飛翔していた。

 背中から黒い皮膜を、蝙蝠のそれにそっくりの羽を広げ。

 見れば左右側頭部からも二本、歪曲した角が突き出ている。

 実に分かり易いそれら身体構造物は、対手が人ならぬモノであるという紛れもない証左。

 

「こちとらようやく“生”にありつけるチャンスなんだよ! 黙ってびゅうびゅう搾られやがれー!!」

「かっ」

 

 威勢の良いこと。

 両手の爪が小刀の如くに伸び、尖る。皮膜が大気を叩くと同時に矢のような速さで女が降ってくる。

 先程の動きといい、なるほど相手は間違いなく人外。人以上の膂力、人以上の敏捷性、極め付けは飛翔能力ときた。

 しかし、それだけだ。

 過去相対してきた異形(モンスター)共に、目の前のそれが大きく優るものはない。

 その爪が到達する刹那を見切り、真下へ駆け抜けた。

 

「はれ?」

 

 視界から突如消え失せたかのように()()()()()程度は造作もない。

 立ち上がろうとするその背後、女の右肩へ納刀したままの剣を振り落とした。

 

「いひゃっ!? へ!? んぁっ、はんん!?」

 

 本身ならば魂ごと命を絶っていたろう。

 しかし、鞘に封じられ、また打ち込みも警策を入れるような加減である。筋も骨も傷めるようなことはあるまい。

 問題は、この刀が呪わしい妖刀であり、触れた者からある種の“力”を吸い取ることだ。

 

「ひにゃぁあ!? なにこれぇ! ちから、抜けてぇ!?」

「お」

 

 身悶えし、悲鳴とも嬌声ともつかぬ声を上げる女。

 その女の身体が、縮む。頭が、手足が、胸が、尻が、全身が縮尺そのものを減じていくような。

 

「はははっ、化けの皮の下にもう一枚着込んでやがったか」

「ななななっ……!?」

 

 そこにもはや女の姿はなかった。匂い立つ色香、滴るような艶麗の、妙齢の女は消えて失せ。

 同じ薄桃の髪、同じ褐色の肌、そうして背恰好はリーンと同じか、やや小さい。

 幼い娘子が、愕然とへたり込んでいる。

 自身の体をあちこちと見回し、最後に両頬を手で押し込む。何をしたところで元通りにはなるまいが。

 

「ウソだろ!? アタシの幻術が……て、てめぇ! さては解呪(ディスペル)系のスキルかアイテム持ってやがるな!?」

「ま、そんなところだ。それよりも、だ」

「うひっ」

 

 屈み込んで、対手の目を正面に見据える。

 喉奥に悲鳴を飲み、娘は尻餅を突いて仰け反った。

 

「『さきゅばす』とかいったか? 妙に手際の悪いとこ見るにお前さん、一人商売ではあるまい。元締めは何処にいる? 根城は何処にある?」

「うぅすみませんでしたすみませんでした! アタシ、出来心で、ついこんなことぉ!」

 

 娘は尻餅から起き上がったかと思えば、今度はその場で土下座に伏せった。如何にも惨めったらしく、憐れを誘う声で陳謝を繰り返す。

 溜息を吐き、立ち上がる。

 

「わかったわかった。とにかく答えな」

「は、はい。この道の奥にお店があって……あ、ここからでも見えますよ、ほら」

「ん?」

 

 言われるまま、道の奥へ振り返り――鯉口を切る。

 

「かかったなアホg――――」

 

 路地の奥は変わらず暗がりが続くばかりで、店の入り口らしきものすら見て取れない。

 抜き放った刀身、その切先で眉間を差された娘に視線を戻す。

 爪を引き出した両手を構え、それこそあたかも、こちらに襲い掛かろうとしたかのような恰好であった。

 

「見当たらねぇな」

「ひっ、ひゃいっ。ま、まちがっちゃいまひた」

「そうかい。なら改めて案内(あない)を頼む。次は間違えぬよう気を付けて、な?」

 

 刀を引き、鞘に納める。

 すると途端、娘は糸が切れた傀儡のように再びその場にへたり込んだ。

 涙が滂沱し、鼻水がみょーんとうどん麺のように垂れ下がる。

 

「あ゛」

「あ? あぁあ……」

 

 そして娘を中心に、雨も降らぬに水溜まりができていた。

 股座の間から湯気が立つ。

 泣きべそとバツの悪い笑みが混ざり合って、娘の顔はなんとも、おかしな形になっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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