この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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51話 幽霊屋敷にて

 あれから数日。相も変わらず、元気な盛りの娘子二人に引っ張り回される日々を過ごした。

 野山の雪化粧が遊女の抜衣紋の如くに厚くなり、ギルドの仕事には早速溝さらいに並び雪下ろしが加わった。

 斯様な冬本番とはいえ、アクセルの街並の活気は衰えていない。これは意外というか意表を突かれた思いだが、越冬とは備えをし蓄えを少しずつ潰しながら凌ぐものと勝手に思い込んでいた。しかし、この街、この世界は今少し豊かだ。

 飯屋はこぞって店先から暖かな香気を漂わせ、寒さに背を丸めた客を呼び込む。

 行商人は(もっぱ)ら都で流行しているという冬衣を声高に宣伝する。服飾を売り出すには(いささ)かのんびりだ、などと所詮は鈍く疎い粗忽者の浅慮。女人方は実に目敏くそして貪欲にそれらを求めた。

 どうやら冬に戦々恐々としているのは、根無し草の我々冒険者だけらしい。

 アクセルは今日も平穏である。

 

「荷運びはもう終わっとるのか」

「運ぶほどの荷物がそもそもないんだよなぁ」

 

 中央通りを外れ、西進すること暫し。

 民家の密集する区画からさらに奥へ行くと、とりわけ広大に敷地を持つ邸が目立つようになった。

 

「家具は備え付け、薪の備蓄もある。水道は通ってるし、照明用の魔石も交換済み。風呂は魔力を通すと自動で暖め出来るし、故障した時用に焚きつけも出来る。トイレは水洗式で一階二階にそれぞれ一つずつ。厨房には旧い型だけど冷蔵庫まであった」

「ほっ、至れり尽くせりだな」

「なー」

 

 煉瓦造りの塀に沿って歩くと、すぐに鉄製の門扉が見えてくる。二頭立ての馬車でも楽々通ることが出来る大きなそれの前で、先頭を行く少年は足を止めた。

 

「ここか」

「ああ」

「おぉ、大きいですね……」

「うむ、なかなかの屋敷構えだ」

「ふふん、遂に一城の主になるのねこの私が!」

「名義は俺だし金出したのも俺だけどな」

 

 めぐみん、ダクネス、アクア、そしてカズマ。それぞれ小荷物を抱えた面々と共に子らの新居である屋敷を見上げる。

 ダクネスの言の通り、大層立派な佇まいであった。二階建ての石造りで部屋数も相当、前庭には馬小屋と蔵が一棟ずつある。

 

「奮発したなぁカズ」

「実はそうでもない」

「?」

「まあとりあえず、早いとこ掃除と荷解きやっちまおうぜ」

「あ! 主より先に家の敷居を跨ごうなんて図々しいわよカズマ!」

 

 なにやら含みを持たせて、カズマはさっさと屋敷の入り口へ向かう。

 アクアは意気揚々とそれに続く。

 その後ろに続きながらふと、甲冑に外套を重ね着したダクネスに振り返る。

 

「そういえば、お前さんもここに住まうのだな」

「ん? ああ、もともと実家からは一度出ようと思っていたからな。いい機会だった。聖騎士とはいえ冒険者。パーティメンバーと同じ屋根の下に寝起きし、同じ食事をする。実に冒険者らしい生活だ!」

「まさに巣立ちか。御父上はさぞ寂しかろうに」

「ああ最後までしつこくごねていた。まったく、もうよい歳なのだから子離れしてもらわなくては困る」

「それもまた親心よ」

「あんまりしつこいので玄関先で締め落として出て来た」

「おいおい」

 

 ダクネスの父、ダスティネス・フォード・イグニスとはアクセルの外壁と門の建て直しの件で面識があった。王族に次ぐ公爵の地位に在りながら平民との会談の席を手ずから設け、まして一冒険者に過ぎぬこの身に相対して、なお彼の姿勢は実に公明正大であった。街門の修繕がこれほど早く完了したのもかの公爵殿の手腕と果断さあればこそ。

 

「あ、シノギ殿に宜しくと、父から(ことづ)かっている」

「それを先に言わねぇか」

「別段重要な事柄でもないからまあいっかと思って」

 

 この娘の父親に対する素っ気無さは時に凄まじい。これで父娘仲睦まじいというのだから、他人様の御家事情とはまっこと不可思議である。

 不意に、腰の辺りに軽く何かがぶつかる。別段確かめるまでもなく、それはめぐみんの頭であった。

 ごーんごーんと寺の鐘撞のように後ろ腰に頭突きを呉れる娘子。

 

「ジンクロウはーこっちに移らないんですかー」

「ま、気が向いたらな」

「むー」

「ふふふ」

 

 むくれるめぐみんにダクネスが微笑んだ。

 

「裏門もここからなら随分近い。いつでも会いに行けるし、ジンクロウからも訪ねて来れる。だろう?」

「そうだな。フユノも連れて(しげ)く遊びに来るさ」

「……ホントですか」

「ああ本当だとも」

「お土産もありますか」

「かかか! おうとも、心得たぞ」

「じゃーいいです。今回は見逃してあげます」

「これはこれは、いや御寛恕(かたじけの)うござる」

「ぬー」

 

 慇懃にそう言うと、娘は了承とも不承とも分からぬ声を上げて余計に頭を擦り付けてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 広々としたこの邸、部屋数も十に及ぶとあって掃除はなかなかに骨であった。

 廊下を磨き、窓を吹き上げ、埃や蜘蛛の巣を払う。子らは各自、己の居室を定めそちらを重点的に清掃している。ならば住人でない己はそれ以外に手を付けよう。

 そう息巻いたはいいが、朝に始まった大掃除も、今や日暮れ近い。

 

「ふぅ、流石に堪えたな」

 

 最後の一室を粗方掃き清め、窓を開け放って一心地つく。

 時刻も相まって外気は実に冷涼。さりとて、忙しく動き火照った体にそれが大層心地よい。埃の名残も風にさらわれた。

 夕焼けが薄れ、夜闇が立ち昇り始めた。外に比べれば、室内はより一層に仄暗い。

 開いたままの扉の向こう。廊下の闇はさらに色濃い。

 二階の片隅。ここは他に比べても小じんまりと、悪く言えば手狭な部屋だった。八帖ほどの板間に天蓋付きの寝台が一つ。飾り机と棚が一つ。

 使用人の部屋とも見えるが、にしては寝床の造りは凝っている。支柱に精緻な花や木々を彫り込まれ、天蓋の裏は月と太陽を象った穴が抜かれている。

 

「……ん?」

 

 ふと、寝台と壁の隙間に何かが見えた。

 先刻床を磨いた際、当然寝台の下を覗いた。そうして無論のことそこには何もなかった。なかった、筈だ

 

「……」

 

 手を差し入れ、持ち上げる。絹の手触り、そしてはらりと毛先が手の甲を撫でる。

 石膏製の人形だった。

 所々に黒い編み飾りをあしらった紅く華美な衣装、一本一本植えられているのだろう金色の毛髪、そしてこちらを見上げる硝子玉の瞳。

 

「なるほど、子供部屋か」

 

 それも十は数えぬ童女の為の。

 前の住人の忘れ物か……それにしては、状態が良い。まるでつい最近まで、誰かがきちんと手入れをしていたかのように。

 その時、背後で足音が立った。

 音の軽さからみて、カズマやアクア、ダクネスではない。ならばおそらくめぐみんであろう。

 それは振り返る間もなく、後ろ腰にぶつかる。

 

「どうしためぐ坊。自分の部屋は片付いたか――――」

 

 腰元に目をやり、頭の位置に右手を乗せ……乗せようとした手が空を切る。

 

「……」

 

 すぐに振り返り、背後を見やる。

 そこには誰も居なかった。

 

『……』

 

 ただ、開け放った扉の端、廊下の暗がりの中に、二つ。光が浮かんでいる。

 それは目だった。

 硝子玉の目が、こちらを見詰めていた――――。

 

「ジンクロウ?」

 

 ひょっこりと扉の陰から頭を出して、めぐみんがこちらを覗き込んでいた。

 

「……おう、めぐ坊」

「こっちの部屋も終わりましたか? カズマがそろそろ夕飯の準備をすると言ってますよ」

「そうかい。ここはもう済んだ。カズの方を手伝おう。あぁお前さんら、先に風呂に入っちまえ。埃まみれでは気持ちが悪かろうや」

「はーい」

 

 素直に頷いて、めぐみんは廊下の向こうにぱたぱたと走って行った。

 その後を追う。

 手にしていた人形は、

 

「……」

 

 もういなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「幽霊屋敷なんだってさ」

「ほー」

 

 くつくつと煮え始めた土鍋から昆布を箸で摘まみ出し、酒、みりん、砂糖、醤油を合わせ、出汁に混ぜる。

 小皿に掬い、味をみる。悪くない。

 傍らで白菜を切る少年にも小皿を渡し、味見させた。

 少年は頷き、指で丸を作る。

 

「昆布出汁めっちゃ出てる……まあ、訳アリ物件ってことだったから屋敷と土地合わせても値段はゴニョゴニョ……っとこんなもん」

「あぁ? ははは! 思い切った叩き売りだなおい」

 

 同じ条件の屋敷を同じような立地で購入する場合の四半値以下。どう考えてもまともな物件ではない。

 

「しかし懐はこれ以上なく暖まったろうに、また何故だい」

「立地とか内装とか、ここより良い条件の物件がないってこと前提だけど、理由は二つ。一つは当然だけど値段。なるべく安く買いたかった。幾ら貯蓄が出来たって言っても、ジンクロウも言ってたろ。所詮泡銭だって」

「まあな」

「俺にこれ以上稼ぐ目途が今んとこまったくないからさ。使わずに済む内は使わないようにしたかったわけ」

 

 安物買いの銭失い、という金言はとんだ水差しか。

 鱈の頭を落とし、内臓(わた)を抜いた身からこびり付いた血合を水で洗い流す。布巾で水気を取ると、薄桃色の白身がひどく鮮やかであった。

 

「……あんたの言いたいことは分かるけど、仕方ないんだよ。已むに已まれぬ事情があんの」

「近頃は察しがいいな、カズ。またなんぞやらかしたか」

「俺じゃねぇし。アクアだし」

 

 少年はむくれっ面で、手短に事の顛末を語った。

 共同墓地に彷徨う大量の幽霊共。それを成仏させる為、ウィズが度々手助けをしていたこと。

 その横槍というか余計な親切というか、アクアが浄化を買って出た――までは褒められた話であったが、いつも通りかの女神殿は不精を働き、墓地全体を聖なる結界によって覆い尽くすことで幽霊共を追い散らしてしまった。

 行き場を失くした霊体は、近場の手頃な建物や土地に住み着く。

 その筆頭が、この屋敷だった。

 そして屋敷の管理人からギルドに幽霊退治の依頼が出されるまで、然程の時間も必要とはしなかった。

 

「墓場の結界を消してギルドに事情説明して平謝りして不動産屋の人に事情説明して平謝りして近隣住民の人達に事情説明して平謝りしながら除霊しまくって、最後にこの屋敷の除霊を請け負ってついでに屋敷の買取契約したのがつい七日前だよ」

「苦労したな」

「ホントにな!?」

 

 人参に包丁を叩き落としてカズマは吠えた。

 

「そんな訳で、この屋敷に俺らが住むのは最初(はな)っから決定事項です。安物買いも幽霊退治どうこうも単なる責任問題と成り行きです。お解り?」

「わかったわかった。わかったから、包丁はもっと丁寧に扱いな。そのうち指を落とすぜ」

「はーい」

 

 ぶすっとした顔をしながらも、少年は小器用な包丁捌きで野菜を切っていった。

 

「あれで水と癒しの女神(爆笑)だろ、あいつ。幽霊とか屍とか含めてアンデッドには特効性能だからさ。この屋敷の幽霊もちょちょいと成仏させるから、まあ心配ないよ」

「ならよいが」

「ああでも……」

 

 椎茸に飾り切りなど施し始めた少年が、不意にぽつりと漏らす。

 

「この屋敷、今回の幽霊騒動の前からずっと幽霊屋敷で通ってたらしいんだよな。ウィズも何か知ってる風だったけど……」

「ほう、そいつぁ一筋縄では行かぬかもしれんな……と、これめぐ坊」

「ギクッ」

 

 いつの間にやら風呂から上がっていたらしい。そそと厨房に入ってきためぐみんを呼び止める。

 調理台の上から砂肝の醤油炒めを一つ摘まんでいた。

 ぎくりと固まっていたのも束の間、娘はそのままぱくりと砂肝を口に放り込んだ。

 

「盗み食いに失敗しておいて堂々と摘み食うんじゃねぇや」

「えへへへっ」

「あっ、こらロリっ子ぉ!」

 

 未だ湯気も立つ濡れ髪を揺らし、そそくさとめぐみんは厨房から逃げて行った。

 カズマは呆れてそれを見送ったが、己はむしろその逃げ足の速さに笑う。

 

「かかっ、坊はもう待てねぇとよ。鍋は向こうで煮るか。カズ、皿と焜炉を頼む」

「はいはいっと」

 

 

 

 

 

 

 

 鱈の身を熱熱と頬張り、人肌の酒をくっと飲み干す。

 冬の醍醐味を存分に味わって、無事な引っ越しを盛大に祝った。

 随分食べ、そして飲み、そろりと夜も更けた頃。

 

「今晩くらい泊まっていけば?」

「! そうですよ。もう遅いです」

 

 カズマが気のない素振りで言い、めぐみんがさっと便乗する。

 ぬぬぬとこちらを見詰めるめぐみんを、ダクネスは笑い、アクアは話など知らぬと空になった杯に酒を注ぐ。自分とカズマとダクネス、そして己のそれにも。

 

「どうでもいいわ! 引っ越し祝いはまだまだこれからなんだから皆もっとじゃんじゃん飲みなさい! 女神アクア様の命令よ! ほぉら一気! 一気! 一気! 一気!」

「やめんか駄女神」

「あたっ」

 

 アクアの後ろ頭をカズマが叩く。軽快な音色だった。

 ……深酒での夜歩きは、少々億劫である。

 

「そうするか」

 

 途端に見えた娘の、それはそれは満面の笑顔に、思わず一吹き笑声を溢す。

 そして注がれた酒を口にすると、それは水になっていた。

 今度は無言で、アクアの後ろ頭をカズマが叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宴席を片付け、なおも飲みたがるアクアを部屋に押し込み、夜更かしを強請(ねだ)るめぐみんを寝かし付けた。

 カズマとダクネスも部屋に戻り、己は居間の長椅子を寝床に代える。

 梟の吐息が聞こえた。

 窓には薄い掛け幕を張ってあるが、月光はそれを容易く射貫き、石床を、壁を、天井を青白く染める。

 火の色すら斬り破る鮮烈さ。

 この世界とて夜は暗い。しかし夜空は実に鮮明だった。

 横たわって天井を仰ぐ。その内に、微睡が瞼を重くし始めた。もう後僅かで、意識は眠りの淵に沈むだろう。

 

「……」

 

 瞼が開く。身体は突如、覚醒状態に起ち上がった。

 端緒は聴覚。

 音だ。何かを聴いた。

 そしてまた一度。

 硬質な音色。これは、何か硬く、小さなものが床を打ったのだ。

 断続的にそれは響く。

 その規則性が、足音であると気付くまでに然程の時間は要さなかった。そして、それがカズマでも、アクアでも、ダクネスでも、めぐみんのそれでもないということまで。

 

「……」

 

 小さすぎる。どう聞き及んでも、人の足音ですらない。

 だが、それは足音なのだ。

 では、それを立て得るものとはなんだ。

 なんだ。

 長椅子を立ち上がる。裸足である為、逆にこちらは一切足音を立てぬまま居間の戸口に取り付く。

 音は廊下の向こうからしている。

 細く戸を開き、まず左を見る。暗い廊下が延々と続く。月の煌々は影の暗がりを深めていた。

 扉から滑るように身を出し、右を見る。

 暗い廊下を視線が走り、その先に、

 

 人形が立っていた。

 

「……」

 

 白い装束を身に纏った金髪の石膏人形が、ぽつりと一つ立って、その硝子玉の蒼い目でこちらを見詰めている。

 かちゃり。

 そんな音を立てて、人形が一歩こちらに近付いた。無論のこと操り糸もなく黒子も居らぬ。

 かちゃり。

 それは歩いてくる。独りでに歩いてくる。

 かちゃり、かちゃり、かちゃり。

 廊下の向こうから徐々に、一歩一歩、そして。

 かちゃり、かちゃり

 

 かちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃ

 

 凄まじい勢いで手を振り乱しながら走り寄ってきた。

 

「ほぉ」

 

 それを待ち受けた。

 距離はすぐさま縮まり、人間の足でもうあと一歩という瞬間――白い煙のように人形は消え去った。

 前方、背後と見渡しても姿はない。消えた。

 いや。

 床に、月光が窓枠を影絵のように移すばかりだった床には今、不揃いな無数の影があった。

 窓を見る。

 硝子玉の目がこちらを見ている。

 無数の目が。目と目と目と目と目と目と目。

 夥しい数の人形が窓に張り付き、こちらを見下ろしている。

 弾けるように窓が開く。

 怒涛となって人形が押し寄せてきた。

 

「!」

 

 その手に、銀の小刀を握って。

 

「おいおいいきなり物騒じゃあねぇか!?」

 

 先頭の一体を裏拳で打ち落とし、その場を跳び退く。

 追い縋ってきた一体を捕まえ、後塵の集団に(なげう)った。

 さらに左右から襲い掛かってくる二体を、同じく左右と拳を突き入れ打ち落とす。

 これまでに打ち落とした五、六体が起き上がってくる様子がないことから、ある程度の衝撃を加えれば無力化できるようだ、が。

 廊下の床から天井まで、所狭しと浮遊する色とりどりの人形達。

 

「景気のいいこった」

 

 一つ一つ丁寧に打ち落としていては切りがない。

 “手”が、ないではないが。人形相手では血も吸えぬ。だのにこの量を相手取らされればあれも流石に駄々を捏ねそうだ。

 小刀の刃が月光に煌めく。そろそろ刺突の雨が降ろうという。

 その時。

 

『――――』

「!」

 

 背後に、何かを()()()

 聴覚に依らぬ何か、だった。

 遂にそれは、音ですらなくなった。

 しかし、正常な思考能力や五感ではない、勘働きが感じ取る。

 こっちに来い、と。

 刃の二波が降り注ぐ。それを後目に廊下を駆けた。

 走り抜け、辿り着いたのは二階の片隅。

 どうしてか開かれたままの扉に、一も二もなく跳び込む。扉を閉めんと振り返った時、それは勢いよく、独りでに閉ざされた。

 

「ふい~……かかかっ、いや命拾いしたぜ。何処の何方か存ぜぬが、忝い」

 

 室内には、やはり誰もいない。少なくとも姿あるモノは何も……。

 

「……ん」

 

 窓辺に、何か。月光を背にする、何かが――――

 

『――!!』

「!」

 

 今度は確かにきいた。それは言葉。

 絶叫にも近しい激しさで、耳ではなく脳でもなく、魂を貫いた。

 

 ――――逃げて!!

 

 そして同時に臭い立つ、それ。

 今度こそは馴染み深い血生臭さ。血と脂に粘つく、殺意。

 上か。

 果たして、振り仰いだその天井にソレは張り付いていた。

 

「クキキキカカカッカカカカカカカカカカカカカカカァァアア!!!」

 

 窓辺に跳ぶ。

 一瞬前、己が身の存在した床にそれは突き刺さった。

 華美な紅い衣装、金糸の髪、硝子玉の瞳。その石膏の体から、八本の爪が……いや、脚が生えている。まるで中身が溢れ出るようだ。

 抑えが利かぬとばかり、顔は次々にひび割れ、硝子の眼球が一つ床にこぼれて落ちる。その下から複数の眼光がこちらを覗いていた。

 丸々とした虎柄の腹がスカートの下から這い出た。

 もはや正体を隠す気もないらしい。

 人間大の巨大な蜘蛛。そんな形をした化物がそこにある。

 

「悪霊と呼ぶにはちょいと生臭ぇな。風情もねぇ」

「キキキキ、シャァッ」

 

 一鳴き、耳障りな声を上げるや扉が破れ、外から無数の人形が這入ってくる。

 その奇態を月光が照らし出した。

 青白い光の中、室内に無数に漂うそれは――糸。蜘蛛の糸に人形が吊られている。

 なるほど、暗闇の中、遠間に肉眼で捉えるにはあまりに細い。不可視にも近しいそれで人形を操っていたか。

 

「存外に洒落た趣向だ。それだけは褒めてやる。だが……」

 

 そっと、後ろ手に窓を開く。

 

「シャアアアアアアアッッッ!!!」

 

 その行為を逃走と見て取ったか、化蜘蛛は人形を(けしか)け、それ自身もこちらへ躍り掛かった。

 流石は蜘蛛の脚よ。その速度は射られた矢にも勝ろう。

 しかして所詮は蜘蛛。

 兇刃(はがね)で断てぬ道理なし。

 夜空の果てより降り来る一振り、その速度は放たれた弾丸を超越する。

 窓から飛来したソレの黒漆の鞘を掴み取り、柄を握る。

 上段、抜き打ちの唐竹割り。

 

「キィッ――――!?!?!?」

 

 顔面を割り、腹までも断ち斬る。

 一刀にて両断。

 虫は、虫らしい断末魔を響かせ、二つに割れながら窓の外へ落ちていった。

 化蜘蛛の支配から解放された人形達がばたばたと床に転がり落ちる。

 血振るい……は思い留め、刀身をそのまま鞘に仕舞う。そもそもこの刀に血を落とすなどという行為が必要ないことは自明だが。

 ここは子供らの家の中である。

 なによりも。

 

「あぁあぁ扉をこんなにしちまいやがって」

 

 無理矢理打ち破られ、倒れた扉に歩み寄る。蝶番が吹き飛んでいた。

 

「すまねぇな。随分部屋を荒らしちまった」

 

 窓辺、ではないな。

 目を凝らしたところで意味もない。五感によらぬ勘を働かせ、寝台の傍らに向き直る。

 

『――』

 

 どうやらそこで間違いない。

 気配も虚ろで霞よりも朧な、しかし確かにそこに居る。小さな気配。

 この部屋、いやこの屋敷の、本来の主が。

 

「日暮れ刻以来だな。あの時も、お前さんあの化物のことを己に報せてくれたのだろう? いやぁ危うく齧られっちまうところだった。つい今しがたもそうだ。この部屋まで逃がしてくれたな」

『――』

 

 応えは声や言葉と呼べるほどの強さはなく、聴き取ることは難しい。

 しかし、どこか安堵の気色がみえたような気がする。

 

「礼を言う。ありがとうよ」

 

 その傍に跪き、頭を垂れた。

 下げた顔の前に、ふと何かが過る。小さく細い。それが、なにやら遠慮がちに行ったり来たりを繰り返し、結局引き戻って行く。

 それをなんとはなしに、“左手”で掴んでいた。

 

『!?』

「お?」

 

 左手に何かを掴んでいる。触覚の消え去ったこの腕に、今更何を感じることもない。

 ない筈の、この手が、何かに触れている。そう感じる。

 それは、手だった。小さく華奢な、子供の手。

 慌てたように、その手は己の手の中から消えた。

 

「は、はははっ! すまんすまん。驚かせたか? いや俺もびっくらこいてるよ!」

 

 こちらを見詰める視線に笑みを返す。

 左手をそちらに見せながら。

 

「この腕はどうやら、この世のものではなくなっちまったらしい。物や人に触れたところでもはや何一つ感じることはないのだが……まさか幽霊に触れちまうとはなぁ、くくく」

『――』

 

 左手に刺さる、しげしげとした視線を感じる。

 とても子供らしい好奇心の色。幼子の、霊か。

 

「…………」

 

「あぁっーーーー!? ジンクロウ先生ぇええええええ!?!?」

「ジンクロウ!? どこですかジンクローーー!?!?」

「ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド!! ターンアンデッド!! 花鳥風月♪ ターンアンデッドォ!!」

「どうした悪霊共群がってくるがいい!! 生前の無念と後悔と獣欲を聖騎士であるこの身に存分にぶつけてくるがいい!! 特に最後の奴ぅ!!」

 

 屋敷中に響き渡る四者四様の声。絶叫。悲鳴。怒声に嬌声。特に最後のそれは是非無視を決め込みたいものだが。

 

「そうもいくまいな」

 

 どっこいと立ち上がり、淡い気配を見下ろす。

 背恰好はめぐみんと同じか、あるいはもう少し小さい。

 その辺りに目掛け、左手で撫でる。幸いそこには予想通り、柔い髪と小さな頭の感触ならぬ存在が感じられた。

 

「安心しな。部屋はきちんと片付けて扉も直す。これから騒々しくなると思うが、どうか宜しくしてやってくれ」

『――――……』

「そうかい。ありがとうよ」

 

 部屋を後にする。

 最後に垣間見た蒼い陽炎のような気配、月明りに煌めくそれは……幼い娘の形をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一悶着二悶着と起きては片付け、子供らの引っ越しが真の意味で完了した日。

 裏門を抜け、雑木林を潜って、なにやら懐かしさすら覚える我が庵に帰り着く。

 

「今(けえ)ったぜ」

「あ、おかえりなさいジンクロウさ――――え!?」

「あん?」

 

 玄関戸で己を出迎えたウィズが目を丸くする。

 

「な、なんでその子がここに!? あっ、ついて来ちゃったんですか!?」

「んん? ……おぉ、ああ、そうか」

 

 周りを見渡し、ふと腰元に左手をやれば。

 

「かかかっ! なんだ、遊びに来たのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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