依頼達成の報告の為にギルドへ戻ると、そこには見知った顔があった。
声を掛けるより早く娘がこちらを見付ける。平素は大人びて見えるその面立ちも、華やぐように笑えばすっかりと年相応の少女である。
「ジンクロウ!」
「よぅリン。今帰りかぃ」
小走りにこちらへ寄って来る。後頭に結った栗色の髪が犬の尻尾のようにはらりと揺れた。いや、どころかこの娘、本当に尾ていからふさふさとした尻尾を生やしているのだ。それが何なのか今のところ聞けず仕舞いではあるが、いずれ教えてもらうとしよう。
そんなこともあってか、うっかり頭でも撫でちまいそうになる。
ふと、娘は何ぞ可笑しいのかくすくすと忍び笑いを始めた。
「またリンって呼んだ」
「おぉっとこいつぁ失敬。どうもリンってな響きの方が舌に馴染んでてなぁ。いやいや今度からは改める。すまん、許せ」
「えっ、ううん!! 別に嫌な訳じゃないから! ジンクロウがそう呼びたいなら、ぜんぜん大丈夫だから……む、むしろ嬉しいっていうか……ジンクロウだけ特別に、その……呼んでほしぃ……かな……」
リーンはぱたぱたと両手を振り首を振り、最後には下を向いてしまった。語気もまた尻すぼみに弱まり、言を聞かせたいのか聞かせたくないのか。
羞恥に赤くなる様子はなんとも微笑ましいが。
「うむ、心得たぞ。リン」
「……えへへ」
望み通り名を呼べば、娘の顔はだらしなく綻んだ。
「かぁぁぁ……ぺっっ」
「うぉきったね!?」
「馬っ鹿本当に唾吐くやつがあるか!!」
騒がしい方に目をやれば、ダスト、キース、テイラーの三人が遅れてやってくる所であった。達成報酬の受領を終えたのだろう。
言わずもがな唾を吐いたのはダストだ。間違いはない。
一週間も経とうか。冒険者ギルドに来れば、この男共は大概酒場で管を巻いている。必然顔を合わせる機会も多く、今やすっかり顔馴染みと言っていい。
如何にも柄悪く、大股で歩み寄って来たダストは己の顔を下方から睨め上げた。というのも、己は無駄に上背がある。ダストの身の高さではどうあっても見上げられるこの形は変わらん。
「おぅおぅ毎回イチャイチャイチャイチャ見せ付けてくれやがるなぁジンクロウさんよ」
「おめぇさんも毎回飽きねぇなぁ。おぅ、絡み方がすっかり堂に入ってきたんじゃねぇか?」
「まるっきりチンピラじゃん、それ。まあ元からだけど……あと、い、イチャイチャとか、そんなことしてないしっ……」
「うるせぇ! そんなメスの顔で何言っても説得力ねぇんだよ!!」
「メスっ……こんの馬鹿ダスト!! いっぺん死ね!!」
「ちょっ、待て。
何事も限度というものがある。からかうにせよ、退き際を誤ればこのようなことにもなろう。
断続的な打撃音から視線を外し、キースらに向き直る。二人は股間を抑え、痛烈な顔で呻いていた。
「どうだ順調かぃ。今日も討伐であろう?」
「お、おう。まあ、俺らみたいな中級パーティがやる討伐なんて、気を付けてこなせばなんてことはないんだけどさ」
「初心者殺しみたいな奴、あれは相当稀なケースだからな……あ! いや、だからって油断はしない! 出来る限り注意を払って臨んでる」
「へっ、なんだいなんだい。俺に説教されるとでも思ったのか」
「いやー……」
「あはははは……」
視線を逸らし、曖昧な笑声を吐く。事程左様に見え透いておるわ。
無論説教を垂れるような筋合いはない。この場合、こいつらの警戒感がより引き上がっていることをこそ褒めるべきだろう。
――死にたくねぇならそのままでいな。
言葉には乗せず、無責任にただそう念じる。
「そ、そそうだよ。討伐、だ、よ」
「大丈夫かぁダスト。そのまんま跳んで跳ねな。
「うっすどうも……じゃ、なくて! お前だよ! お前のこと! だよ!」
言われたとおり飛び跳ねながらダストは鼻っ柱に指をさして来た。それはともかく実に痛そうである。
そんなダストに、リーンは思い知れとばかりそっぽを向いた。
「だぁからなんだ。今日はやけに執こく絡むじゃねぇか」
「お前いつまで『溝さらい』なんてやってんだって話だよ!?」
確かにダストの言の通り、己の今日の勤めは街の目抜き通りに走る側溝と住宅地域の下水道の清掃だった。ヘドロと汚物を回収し、街の外の廃棄場へ運搬する。日当七千エリス也。
それを聞き、キースが腕組みしながらこくりと頷く。
「あぁ、それは俺も思ってた。簡単な依頼なら他にいくらでもあるだろ」
「というか強い、よな? ジンクロウって」
「初心者殺し素手でぶっ飛ばしてたし……」
三人がダストに賛同しおった。珍しいこともあるもんだ。
「いいじゃねぇか。立派な仕事だぜぇ溝さらいもよ。綺麗にしてりゃ街もより住み易くなるってもんだろう? 違うかぃ?」
「いやまあそうっちゃそうだけど」
「キツイ汚い臭いの三拍子。おまけに日当も安い。新米が最初にやって後悔する依頼ダントツ一位だぜ? ゴブリン殴りに行く方がまだ楽だし、何より冒険者っぽい!」
「やってらんねぇよ普通。それをこの野郎この一週間毎日受けてやがる」
「討伐やろうよ。あたし……あたし達と一緒に! もし、ジンクロウがよかったらだけど……」
なんとも遠慮がちに、リーンはそう締め括った。
有り難い話だ。馴染んだとはいえ、出会ってまだ日も浅いこんな野郎に。
心根の優しいガキ共だ。
「ありがとうよ」
そして小僧っ子共に心配されていれば世話もねぇ。
「だがすまん。またの機会に、な?」
街の清掃が有意義であることに否やはない。しかし、己がまったく純粋に公共益を目指してその勤めに励んでいたかと言えば、それはそれは真っ赤な嘘となろう。
エリス嬢に吐いた大言壮語に嘘はない。己が刃金を握ってしか生きて行けぬ畜生輩であることも疑いの余地はない。
ただ、偏執しているのだ。
兇器の形に。刃の有様に。
握り、振るうべき刃金が、今の我が手には無かった。
「やっぱりねぇかぃ」
「ああ、悪いがあんたのご希望の品はないね」
目抜き通りから一本道に入り、川沿いを歩けば一軒の鍛冶屋が店を構えている。
店の中は兎角、武器と防具の巣窟と言って差し支えない。抜き身の剣が其処彼処の壁に張り付けられ、鎧は骨組みを入れて整列させられている。陳列にはほとほと余念がないらしい。
「片刃で棟に反りのある刃長二フィート以上の細身の剣……サーベルと何が違うんだ?」
「そも製法からしてな。部位によって金属の粘りが違うのよ。外は硬く、中は柔く。芯鉄、そして棟鉄、刃鉄と分けて造り込む。すると高硬度と切断力を保持したまま、衝撃を殺す緩衝作用も併せ持つ。故に『折れず、曲がらず、よく斬れる』とこうなる訳だ」
「少なくとも、こんな駆け出しの街の鍛冶屋で、そんなご大層な剣扱ってる奴はいないよ」
番台にどっかり腰を落ち着けながら、鍛冶の男は呆れたように手をひらひらと振った。
思わず呻き声が漏れる。覚悟はしていたことだが、どうやらこの地には刀の製法はおろか、その存在自体が伝わっておらぬようだ。
贅沢をほざいている自覚はある。選り好みした結果望むものを得られず、まるでその当て付けの如く泥臭い仕事に身を置いている。
ああ、思いの外、鬱憤が溜まっていたのだな。
「さても、どぉおするかねぇ」
腕を組み、天井を仰ぐ。煤と滲みが多い。室内の掃除が行き届いていないな。
「拘るなぁあんた。うちの剣じゃ不服かよ?」
「いやいや、ただ単に偏屈なだけよ。拘りなんて粋なもんじゃねぇ。これはそうさなぁ……妄執と言っていい」
「モウシュウねぇ」
「ほれ、赤子はいつまでも気に入った毛布を手放せぬだろう。丁度あんな感じだぁな」
「おい途端に物すげぇ下らないことになったぞ」
下らない。まったくその通りだ。
これはほとほと、下らぬ話なのだ。
下らぬからこそいつまでも頭の隅に付いて回る。
「……一つ当てがない訳じゃない」
「あん?」
出し抜けに男は言った。
もったいぶった、というより凄まじい躊躇と逡巡の末、搾り出したかのような声音である。
「この街に刀匠がいるのかぃ?」
「そんな奴はいねぇよ。ただ持ってるかもしれねぇ奴に心当たりが……ある」
「ほう! 本当か。そいつぁ何処の誰だぃ? 職人か」
「いいや、商人だ。魔道具屋の店主なんだけどよ……ただなぁ……」
「えぇいそうもったいぶるんじゃねぇよ。そのなんとか屋は異国からも武器を仕入れてるのか」
「本っ当に期待するんじゃねぇぞ?」
結局、最後まで勿体つけた言い回しの鍛冶屋からどうにかこうにかその魔道具屋とやらの場所を聞き出した。
「じいさん、ちょいと跨ぐぜ」
「んごご……」
狭い道で寝こける酔っ払いの老人を跨ぎ越える。
裏路地のさらに裏へ裏へ。ただでさえ暗い裏通りの一際暗がりにその店は居を構えていた。
店、なのだろう。外観はそう悪くない。店先の小路や階段、煉瓦の壁まできっちり掃除が行き届いている。小さな看板が扉に掛けられ、最低限何かしらの店舗であるという自己主張はあるのだが。
物を売る気が本当にあるのか、店主の心算を疑う立地だった。
いや、あるいはこれは店ではなく事務所であり、実態は卸問屋なのやもしれん。小売商に対しての販売なら、運搬者と保管倉庫さえ用意できれば確かに店舗の立地など考慮することもあるまい。
はて、己は一体誰に対して何の言い訳を模索しているのだろう。
「さぁ鬼が出るか蛇が出るか」
嵌め殺しの硝子窓から中を覗くが、灯りはなく薄暗い。
留守か。そのように懸念しながら扉の取っ手を引く。何程の抵抗もなくそれは開いた。
無用心な。
「ご免。誰ぞ居らぬか――おぉう?」
誰何もそこそこに屋内へ踏み入ろうとした足を、ぴたりと静止する。
床に何かが転がっていたのだ。大きさは見当では五尺と少し。薄暗い店の中にまるで溶け込むかのような漆黒色の布で包まれている。
危うく踏み付けるところであった。
「!」
僅かに息を呑み込む。よくよく見ればそれは――人だ。
手足が二本ずつに頭が一つ。その人型は胎児のように身体を丸め、床に横たわっていた。
跪き、抱き起こす。しかしどうだ。その人物はぴくりとも動かない。
「おい! しっかりしろ!」
強く揺するような真似は抑えたが、こちらの大声にも反応はない。
口元に耳をそばだてる。息をしていない。いや、そも心の臓が動いていない。
死んでいる。
「……」
身体に触れて解ったことだが、どうやら女のようだ。頭巾の下から覗く面立ちを見るにまだ随分と若い。それがまたどうしてこのようなことになったのか見当も付かぬが。
――この浮世でもまた、人死にに行き会ってしまった
不意にそのような考えが脳裏を過ぎる。
妄念である。人の死に目に会わぬなどあり得ぬこと。それでも見たくないなら、生きるのを止めることだ……万に一つ叶うなら、の話だが。
頭を振る。今はそのような世迷言を垂れ腐っている時ではない。
通報先はギルドか。それとも町奉行所のようなところがこの
遺体を床に安置し、暫時思案に暮れ。
ぐぎゅるるるるる
「…………あ?」
暮れようとしたその時だ。
その間の抜けた音が店先に響き渡ったのは。
「……ぅ」
「! おい! 女!」
思わず耳を疑う。足元の女が一声呻いたのだ。
生き返ったとでも言うかよ。
再び抱き起こし、声を掛け続ける。僅かだが反応があった。
「……ぉ……ぁ……」
「おぉ、なんだ!? 何が言いてぇんだ!?」
「……お、お腹……」
「腹? 腹が痛むのか? えぇおい!?」
「……………………お腹、空いた」
「――――」
…………。
ぐぎゅるるる、女の腹の虫がまた、鳴いた。