この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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49話 娘のご機嫌取りも楽じゃあない

 夜から明け方にかけて降っていた雪はギルドを出る頃には止んでいた。山から程近いこの辺りも、天気が落ち着いてくれたのは行幸か、それともとんだ不幸か。

 この時節、人通りなど近隣を行き来する商人くらいのものだろう。

 轍も少ない雪道を、しかし連れ立って歩く変わり者が三人、ここにいる。

 

「いざ征かん!! 爆裂道中膝栗毛!!」(take2)

「いざー」

 

 拳を突き上げ、めぐみんが吼えた。

 冬の娘も無表情のままそれに倣った。

 白狼の毛皮を纏うめぐみんと蒼みを帯びた白の振袖姿の冬の子。並んで歩く姿はさながら姉妹か、親子のようだ。

 

「どこで覚えてきやがんだぃそういう言葉をよ」

「カズマが教えてくれました! 特にひざくりという響きが実にカッコいいのです!」

 

 意味など知らぬ癖に使い処は妙に的を射ている。

 栗毛の馬の代わりにされるのは十中八九、己なのだから。

 

「……なにか文句がありますかジンクロウ?」

「いえいえ滅相もござんせん」

 

 こちらの些細な問いにも、殊更に娘は噛み付いた。それを無体とは言うまい。なにせこの子の機嫌を損ねたのは誰あろうこの身ゆえ。

 先日のお叱りから明けて本日。

 冬の娘子の純心、もとい世間知らずを懇々説明すること丸一日。灼熱の如く怒れるめぐみんをどうにかこうにか宥め説き伏せ、夕餉に娘の好物をこれでもかと馳走してようやくその火勢を弱めたはよいものの。

 めぐみん言うところの、許しを呉れてやる条件がつまるところそれだった。

 

『爆裂魔法を撃ちに行きますよ!!』

 

 いつも通りであった。呆れが安堵に代わる程度には。出会ってより一切変わりなく、ともすれば一層前のめりに。

 

「元気がありませんねジンクロウ! こんな爆裂日和になんですか! シャキッとしてくださいシャキッと!」

「しゃきーん」

「へいへい」

「まったく、やっぱりたるんでますねジンクロウは……ほら! フユノを見習ってください。この燃えるような爆裂熱を」

「ばくれっつ」

「かかかっ、顔は随分と涼しげだがなぁ。あん? フユノ?」

「え?」

「ほいさ」

 

 ふと耳慣れぬ響きに鸚鵡(おうむ)返す。

 

「だって、ジンクロウがそう呼んでたじゃないですか。フユノって」

 

 めぐみんはそう言って、白銀の娘を指差した。

 冬の……雪、あるいは冬そのものが姿容をとって立ち現れたのがかの者である。であれば、かの娘は冬という季節そのもの。冬を冠し、冬を渾名すは当然として呼ばわっておったが。

 

「フユノ……いぃい響きじゃねぇか。おめぇさんはどう思う」

 

 問うこちらを冬の娘は瞬きして見返す。

 娘が小首を傾げると、雪を纏った柳のように蒼白の髪が肩に垂れた。

 

「ジンクロウが呼びたいなら、そう呼べばいい」

「ならば決まりだ。フユノ。似合いの名を貰ったな。さ、めぐ坊に礼を言いな」

「うん。ありがとう」

「は? えっ? 今ので決まったんですか!? ちょちょっ、それならもっとイカす名前を考えますよ! 紅魔族的ナウいハイセンスなやつを! そうですね、たとえば……『ぴゅうぴゅうカチコ』とかどうで――――」

 

 

 

 

 

 

 

 場所は小高い丘の上。

 手付かずの新雪が白く眩い。そこからさらに遠くを見やれば、山を背にした雑木林が広がる。

 

「風上に陣取っている。すぐにも……そら、来たぞ」

 

 林、草間に浮かぶその赤い光。それは眼だった。人に非ぬ、獣の眼光。

 白狼。

 以前に一度、相手取った覚えがある。あの折は金策の為とはいえ一人で少々無茶を押したが。

 今回は手勢がおり、なによりドでかい()()の隠し玉がある。

 

「むぅ、ここからだとよく見えませんね……林ごといっちゃいましょうか」

「これこれ、そいつぁ俺とフユノがしくじった時にしてくれぃ」

 

 思い切りの良すぎる娘を諫める。隠れ蓑たる叢ごと吹き飛ばすというのもなるほど一手ではあるが、狼の敏速さ相手にはちと分が悪い。大半を逃げ散らすだけに終わるおそれもある。

 なれば、そうさせぬよう仕向けるが我らの役処。

 

「フユノは左から回り込み狼共を追い立ててくれ。己は右から押し進み、挟み撃ちにする。原の中央まで引き込んだ後は即時退散。仕上げは頼むぜ、めぐ坊」

「うん」

「任されました。ふふふ、トドメの一撃こそは爆裂の誉れ! ジンクロウも解ってますねぇ、このこの~」

「くくっ、好物目の前にした途端上機嫌になりやがって」

「あたっ」

 

 妙におじん臭い調子で肘鉄を呉れるめぐみん、その頭を小突く。

 犬耳を戴く小さな頭を撫でながら、フユノへと振り返る。

 

「すまんな。先陣を切らせることになる」

「別にいい」

 

 言葉通り、何一つ気にした様子もなくその美しい無表情が頷く。

 雪上を高速で疾走……いや、滑走できるフユノとはどうしたとて足並みを揃えるのが難しい。折角の俊足を、こちらの鈍足に合わせ損なわせるのは避けたいところ。

 

「俺もおめぇさんのように動けりゃあいいんだが。ま、贅沢は言えねぇ――――」

「下りなら、できる」

「あ?」

 

 言うや、不意にフユノは掌を口元に添えた。

 そうして、ふ、と。唇から静かに吐息する。まるで、偶さか掌中に乗ったタンポポの綿毛を風に踊らせるように。

 されど踊ったのは、綿を纏った種子などではなく、凍てついた氷雪、風。氷った塵が逆巻き吹き遊び、遂には己の両足へと取り付いた。

 めきめきと音を立てて氷が張っていく。空に満ちる水分と足下の雪を食らいながら。

 十も数えぬ間にそれは終わった。それは()()していた。

 革靴の底に、氷が纏わり付いている。細長い板きれのような形で、長く伸びた爪先の辺りがやや反り返っていた。

 そり。

 

「なるほど、下駄(そり)ってぇやつか」

「こういうのはスキー板っていうんですよ……でも、これ、すごい。全部氷で出来てるんですか?」

「うん。つよく作ったから、たぶんそんなに割れない」

 

 魔法、というより精霊としての能力か。何れにせよ。

 

「大したもんだ。有り難く使わせてもらおう」

「ん」

 

 示し合うほどの合図も要らず、目配せ一つしてフユノと二人、丘を滑り出した。

 姿勢は低く、両足は揃える。それだけでこの身は一挙に疾風めいた速度を得る。眼下に遠く見えた雑木林が大きく、視界に広がる。

 自然、その奥に潜むモノ共の姿も、今、瞭然と捉えた。

 

「Grrrr……!」

 

 低く地を這うかの唸り。血脂を孕む生臭い息遣い。突き出た顎、剥かれる牙。

 

「Gaaa!!」

 

 吠声(はいせい)が草木を震わせ、雪原に吸われ、沈む。それは号令だ。獣に非ぬこの身なれど、その意味を取り違えはしない。

 曰く、敵を殺せと。

 開戦の狼煙が上がった。叢の闇からあたかも今まさに生まれ出でたかの如く、白い狼達が飛び出してきた。

 二手に別れたこちらに対して、先方の反応は実に素直だった。総数二十ばかりの狼の群は、ほぼ半々、二つの塊となって我らに襲い掛かった。

 前方に三匹、同時強襲。こちらの喉、左足、右腕をそれぞれに狙い食らい付いてくる。

 

「ッ」

 

 気を吹き、反転。鯉口を切る。下駄轌(すきー)を履く脚と、それに乗る体ごと時計回りに方向を転じ。

 ――抜打。首を切断。

 ――斬り下し。脳天を割る。

 刀身の棟を腕で支えながら、浴びせ斬り。喉笛を裂いた。

 雪の白に、赤い花がひらく。

 そうして斜面の雪を削り散らしながら減速。

 

「Aaa!!」

「Gah!」

 

 当然とばかり足の鈍った獲物を追って二匹、左右から来る。

 さらに反転し、右方の敵を背に迎える。そうして肩口から刀を担ぐように、刺突。

 過たず、切っ先はその大きく開かれた口腔に真っ直ぐ這入り込み、喉奥、そのさらに奥までを貫いた。

 留まらぬ。未だ。敵はもう一匹。眼前にある。

 

「ずぁッッ!!」

 

 覇気を飛ばし、刀を引き戻す。狼の体内に飲み込まれた刃で、その()()()()背中を斬り開いた。

 大上段から斬り下し。

 顔を割り、胴を裂き、股間を抜け、一匹の狼を二つに両断した。

 血の轍を雪原に刻み付け、坂の半ばで停止する。

 横目にフユノの様子を見やった。一抹、湧いていた心配もあっさりと杞憂に終わる。

 

「……」

 

 娘はその手に、二振りの小太刀を握っていた。どこにそんなものを隠し持っていたかなど問うだけ愚かしかろう。

 鎧武者姿で振るっていた野太刀とは刃渡り、重量共に程遠く、かけ離れた操法を求められように。

 しかし一切合切障りはない。絶無だった。

 事実は一つ。

 己同様、襲い掛かってきた七、八匹の狼を、娘は事も無げに。

 斬り刻み、斬り捨てた。

 滑走から一変して一足跳びに踏み込む。斬り間に入った相手から順々に、喉を裂き、肋骨下から心の臓を突き、逆手に転じた小太刀二刀で首を貫き、切り開くように()()()()

 円を描く。全身の回転運動により生じた遠心の力、慣性力を余すところなく切先、物打ち処へ伝導することで、現在は女人の体格でありながらフユノはその一分とて刃の殺傷力を損なわず振るっている。

 あれも過去、太刀打ちを交わした冒険者から学び取ったものだろうか。それとも、またぞろ己の頭の中から盗み取ったのやもしれぬ。

 

「呵呵っ」

 

 思わず笑声を漏らしながら、向かってくる白狼を一匹、斬る。もう一匹、斬る。

 三、四と続く二匹を、下駄轌の()()で諸共踏み付け、横並びに地面に縫い留める。そうして、逆手に翻した刀身を二度、喉の真ん中へ突き下ろした。

 そしてまた、失笑する。

 斯様な、己の乱闘ぶりなど比べるべくもない。

 冬の精霊、その戦の、あまりの美麗に妙な可笑しみすら湧いた。

 小太刀を両手に携え、氷雪を羽衣の如く纏いて舞い踊る天女。フユノの様は、月並みに評してそれ、であった。

 

「Gaaaaaッッッ!!」

 

 林の奥から咆哮が上がる。

 さらなる一群が草木の闇間から湧き出した。おそらくは群の本隊、というより全戦力が。

 先遣の者共の惨憺たる有様に、遂に業を煮やしてくれたらしい。

 なんと有り難や。下策中の下策を打ってくれるか。

 

「フユノ!」

 

 呼び掛けながら、下駄轌の爪先と踵を半ばほどに斬り落とす。走るには轌よりもかんじきが望ましかった。

 赤い花が点々と咲き誇る雪上を駆け抜ける。

 当然、無数の、夥しいまでの獣の息遣いが背中を覆う。逃がすものかと。骨まで食らい尽くしてくれる、と。肉色の殺意が肌を泡立てた。

 ――――しかし、彼奴らはすぐにも気付いたろう。自分達が、自ら死地へ踏み込んでいたことに。

 

「雪原を征け、紅の一撃――――」

 

 円陣が、幾重にも幾重にも幾何学の文様を刻み、拡がり、空に編まれていく。

 雪原が赤く染まる。あたかも日暮れの茜と見紛うほどに。

 

「『エクスプロージョン』!!」

 

 空が落ちてきたかのような極大の衝撃。炎が爆轟を伴い、雪を、土を、岩盤を削り、吹き払う。

 冷気に慣れ切っていた肌身を、暴力的な炎熱が容赦なく焦がした。事実、血と脂の焦げる臭いを僅かに嗅いだ。無論それは己自身から発したものではない。

 もはや影も形も残さぬ、白狼達の残り香だった。

 大気を震撼する衝撃と暴風がようやくに収まる頃。

 やや距離を隔てた場所に純白の振袖姿を見付ける。フユノは、抉れ、焦熱した地面から立ち昇る狼煙を見上げていた。

 歩み寄って行くと、向こうから小走りに近寄ってくる。

 

「ジンクロウ」

「上手く運んだな」

「オレ、役に立った?」

「ああ無論だとも。相変わらず、見事な太刀筋だった」

「ふんすっ」

 

 胸を反らし、両手を腰に添え、声で鼻息を吹く。大威張り、というようなことを言いたいらしい。

 相変わらず表情は色味に乏しいが、褒められたことを素直に喜んでくれるならそれでいい。

 頭を撫でてやると、掌にぐいぐいと押し付けてくる。大きな犬のようだ……いや狐か。

 

「……私には何か言うことはないんですか」

 

 丘の頂で。雪に埋もれた白い毛むくじゃらを抱き起すと、むくれっ面でそんなことを言った。

 

 

 

 

 

 

 

 明くる日。

 雪山は晴天に恵まれ、雪の白が大いに目を焼いた。

 目的地は、山の中腹に穿たれた洞穴であった。えいこら満足に均されてもおらぬ山道を登り、登り詰めること半日。

 苦労して辿ったその道程(みちのり)を――――しかして今、我らは滑り降りている。猛然と、疾風の如くに、過ぎ去っていく景色を一顧だにせず。

 なにせ、振り返っている余裕などないのだから。

 

 怒怒怒怒怒

 轟轟轟轟轟

 

 音にすればそんなものが。

 喩えるなら、山そのものが。

 背後のすぐ傍まで、迫ってきていた。

 

「オオオ゛オ゛オ゛オ゛アアアアアアアアアッッッ!!!」

 

 咆哮が、山彦の反響すら消し飛ばし山そのものを震わせる。

 

「一撃“白”熊は一撃熊の突然変異種です! 普通この時期一撃熊は冬眠に入りますがこの白熊は逆に冬季にだけ活動します! 体長体重体格どれも一撃熊の二倍から三倍以上! 足の速さ・持久力共に馬を凌ぐそうです! すごいですね!!」

「そのようだな!」

 

 小脇に抱えためぐみんが、懇切丁寧な説明を寄越してくる。モンスターの多様な生態について茶でも点てながらのんびり談義したいところだが、斜面を高速で滑走しながらではそれも叶わぬ。

 なにより、今まさに雪崩の如く追い縋ってくる巨獣に摺り潰されてしまえばその機会は永遠に巡っては来ないのだから。

 

「ジンクロウ、もう追い付かれる」

「おう! そのようだなぁ!」

 

 並走するフユノが、実に端的な、直近の確実なる未来を予言してくれた。

 それに礼を言う暇はなく、冷酷な現実に対して悪態を吐く暇すらもない。

 今は、なにを置いても。

 

「すぅ……」

 

 人差し指と親指を口に含み、吐息を()()()、一気に吹く。

 指笛の甲高い音色が山を通り抜けた。先程の咆哮に比べれば涙を誘うほどに儚い音の圧である、が。

 音の量の大小は些末事。人の耳などは所詮、自然界においては劣弱の謗りを免れない。

 故に、“かの者”の耳ならば委細問題なく届いていよう。

 それが証拠に、既に。

 熊の前足が、暴風めいて我らを刈り取らんとした刹那――――飛び込んできた騎影が三人を攫った。

 

「おー」

「ひぅ!? た、高い! 高いですよ!?」

「連れてきておいて正解だったろう。おめぇさんもそう思わんか? なぁ」

「キュゥッ!」

 

 風を、その巨大な翼が捕らえ空に上がる。飛翔している。

 グリフォンの雛。鷲の羽毛と獅子の毛皮が同居したその背。先頭にめぐみんを座らせ、フユノ共々抱えるようにして跨った。

 こんなこともあろうかと、特注で鞍を見繕っておいてよかった。裸馬、もとい鷲獅子に三人相乗りは流石に無理がある。

 

「さても、どうするか」

「こ、ここから撃っちゃいますか? 魔力切れした後がちょっと恐いですが……」

 

 眼下の白い巨体を見やる。

 以前に行き会った一撃熊と同じ、鬼のような形相が逃した獲物を忌々しげに睨め上げていた。

 

「あの大きさで馬より速く動くのだろう? 魔法を放つ間だけ鈍重になってくれるんならいいが」

「むぅ……」

「足を奪う外に術はないな」

「え」

 

 手綱を繰り、様子見の為の旋回飛行から下降態勢へ。

 

「ど、どうするんですか!?」

「言ったろう。ちょいと行って奴めの足を止めてくる。めぐ坊、おめぇさんは機を見計らい空から花火を落としてくれぃ」

「なっ、花火とは失礼な! って、いやいや見計らうって何をです!?」

「なに、一目瞭然よ。フユノ」

「わかった」

 

 呼び掛けると、即座に頷いた。何一つ口にはしていないのだが。

 見返す己の顔が妙ちきだったのか、フユノはわざわざ今一度改めてくれた。

 

「氷で坂をつくれ。そう言ってる?」

「おう、そうともその通り。こう、“し”の字に頼みてぇんだが……解るか?」

「わかる。ジンクロウのことなら、わかる」

 

 淡く、微かな笑みをフユノは浮かべた。

 

「……かかっ、殺し文句だな」

 

 直向きな情を感じずにおれぬ。純心は美徳だが、こうも容易く懐に入られては少々困りものであった。然様に贅沢な悩みよ。

 

「ゴホンッ! ジ・ン・ク・ロ・ウ?」

「おぉっとと、では行くとするか。めぐ坊、ほれ、縄で体を括りな。放り出されっちまうぜ」

「え? ……あっ、はい!」

 

 人馬一体の境地など要らず、グリフォンはこちらの意を即座に汲み取った。

 翼を畳み、緩やかな下降はほぼ垂直落下に近付く。自然、飛翔によって齎されるその速度は自由落下の比ではない。

 空の高みにあってなお巨大な白。獣の巨体が見る間に視界内を肥大する。

 そして、その大腕と爪が網羅する最大攻撃圏を間近にした瞬間――――鷲の翼を広げ、空を掴んだ。

 

「くぅ……!」

 

 急激な停止によってその背に跨っていた我々に強烈な慣性力が働き、その場に留まろうとするグリフォンとは裏腹に、体は下へ、さらに下へと投げ出される。

 それこそは企図。

 

「跳ぶぞ」

 

 慣性力の為すが儘に、己とフユノはグリフォンの背から跳び出した。

 

「ガァアアアッ!!」

 

 咆哮と共に一撃白熊が腕を振り上げた。獣の動体視力ならば、なるほど。落下してくる人間を正確に叩き落とす程度、造作もなかろう。

 それがただの自由落下であったなら。

 

「フユノ!」

「!」

 

 空中にて二人、風に叩かれながら踊る。

 そのさ中で、雪の申し子は大きく息吹きを撒いた。陽光によって虚空に奔る氷雪が幾千幾万と瞬き、煌めく。

 幻想なる輝きは敢え無く、瞬時にして消え去る。そうして代わりに現れたのは――――道。

 “し”の字の如く、急激な曲線を描いて空中から地表へと伸びる氷の道だった。

 今、グリフォンの加速と落下によってこの身に生じている運動力は、人体を頭から足下まで平らに潰して余りある。馬鹿正直に地面と激突すれば、熊の手を借りるまでもなく冥土へ旅立てよう。

 故に、方向を変ずる。

 垂直方向から真正面へ。

 革靴の底で氷の滑り台を削り降りる。フユノは言わずもがな、雪上であろうが氷上であろうが滑走するに何程の支障もあらぬ。

 眼前に現れた熊の白い腕、丸太が細枝に思えるほどの剛腕を、頭上に躱す。躱しながらに。

 既に抜刀済み。剣形は上段。

 敵の腕は真上を素通りする。つまりは絶好。絶好無比の斬り間。

 

「カァッ!!」

 

 覇気を飛ばし、斬り下す。存分な手応え。

 斬り断たれた白い被毛の腕が、背後で氷の滑走路を粉砕しながら飛んでいく。

 まんまと運動方向を変じた我らは、真横に向かって()()()。まるで落ちているかのような速度で吹き飛んだ、と言った方が正しかろう。

 雪を蹴り、削りながら存分に速度を減殺する。新雪は緩衝材として実に優秀だった。雪塗れになりながら運動力を殺し切り、ようやく体が静止する。

 

「ギィイイイイイアアアアアアアアアアアアアッッッ!?!?!?」

 

 立ち上がって背後を見やれば、腕から火山の噴火めいて血を吹き出し、のた打ち回る一撃白熊の姿があった。

 ――――その頭上で、赤黒く焔が渦を巻いた。

 めぐみんはきっちりと機を見計らってくれたようだ。

 

「獰猛なる巨影よ知るがいい! 紅蓮の太陽を、日輪の灼熱を――――」

 

 枯木は火を上げる間もなく灰に、その巨体をして骨すら残すこと能わず塵となる。

 

「喰らい尽くせ! 『エクスプロージョン』!!」

 

 

 

 

 

 グリフォンの背にぐったりとうつ伏せに伸びるめぐみんの姿は、天日に干す布団の様に似ていた。

 

「……何か、また失礼なこと考えてますね」

「いんや? 滅相も」

 

 勘のいい娘に、努めて胡散臭い笑みを送る。

 不満げな視線が己を顔を刺すのが分かった。

 縄を解き、グリフォンの背からめぐみんを抱き上げる。そうして爆心地を振り返るが、そこには何もない。骸の欠片一つ。

 

「綺麗さっぱりだな」

「それが爆裂魔法の威力です」

「以前にも増して強烈になったんじゃあねぇかい?」

「ドヤァ」

 

 なんともいやらしい満面の笑みだった。あまり褒めたつもりはないのだが、本人が満足ならまあ、いいだろう。

 

「これで終わり?」

「ああ、(けぇ)るとしよう」

 

 とことこと歩み寄ってきたフユノの、頭に積もったままの雪を払い除けながらに頷く。

 よく働き、程よく楽しんだ。概ね良い一日だったと総括しておこう。

 

「どうだい、めぐ坊。ちったぁ満足できたかよ」

 

 二日続けてなかなかの強行軍だったが、娘の望み通り爆裂魔法を撃ちに撃った。

 多少は機嫌を治してくれたものかと。

 

「――なに勘違いしてるんですか」

 

 そう思っていたのだが。

 

「私達の爆裂は、まだまだこれからです!」

「おー」

 

 爛々と瞳を紅く輝かせ、めぐみんは天に拳を突き上げた。

 それを真似てフユノもまた拳を突き上げる。意味は……分かっておらんのだろうな。

 

「ハハッ、堪忍してくれぇい……」

 

 腕の中で、傍らで、娘子らがそれはそれは元気に騒ぐ。

 爺の独り言など、吹き消してしまうほどに。

 

 

 

 

 

 

 


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