この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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47話 女神も十色

 

 

「屁理屈を捏ねるんならほれ、この前の話の続きだ」

「魔王軍関係者がどうこう……ってまたかよ」

「そうとも。まただよ」

「はーい、お茶お二つ。どうぞ~」

「おう、あんがとよ」

 

 ギルド酒場の女給が盆から湯呑を二つ、卓に置く。

 少年共々に煎茶を啜って人心地。

 

「魔物ならぬ精霊。なれどまた人外……と、まあそこまで大仰に構えておる訳じゃあねぇ。ん……馬鹿正直に正体を明かして騒動の種が吹くなぁ面倒なんでな」

 

 人ならぬモノを飼う異端者……そのように目を付けられないとも限らぬ。

 

「あぁ、騒ぐだろうなー。アクア辺りが特にぴーちくぱーちく」

「それにお前さんは自ずから察したからよいが、あの(おなご)、あの狐こそ冬将軍也――などと突拍子もねぇ話、そうそう信じられまい」

「はっ確かに。んー、なら実際に冬将軍の姿になればいいんじゃね? 自由に化けられるんだろ?」

「こんな冒険者共の巣窟でか?」

「……無理か。じゃあ場所を変えてジンクロウの家とか……あぁ」

 

 合点が行ったとばかり、少年が間延びした声を漏らす。

 

「……つまりさっきの口八丁、一から十まで全部その場凌ぎの時間稼ぎかよ」

「おうとも。孤児(みなしご)を憐れんで……なんてなぁ嘘八百にしても性質が悪い。娘子らには後日種を明かすさ」

 

 再び横っ面を睨め付けられている。先程よりも今少し鋭く、真っ直ぐな責めと咎めの針。

 

「……あんたって、結構あくどいよな」

「年の()よ。真似してくれるな?」

 

 少年は鼻息を一吹きして、ふと口を歪める。

 

「まあ? 確かに、騒動の種ってやつは俺らかもしんないけどさ」

「ん?」

「それってつまり、ジンクロウが種を育ててる土ってことだよな」

「……」

 

 返す言葉は、生憎と喉元に備えもなく。

 それは見事な、清々しいほど得意げな笑みを少年は浮かべた。

 

「これ、一本取ったよな俺?」

「生言いやがって、こんの小僧っ子が……くっ、ふっはは」

「ははは!」

 

 一頻り面突き合わせて笑い、茶を飲み干した。

 

「さて、暫く離れる」

「え? どこに?」

「すぐそこだ。すまんがあの子らを見ていてくれ」

「……りょーかーい。お土産よろしくー」

「へっ」

 

 軽口に送られ、席を立つ。

 厨房では今晩の仕込みであろう、料理人達が忙しなく動き回っている。こちらを見付けた親仁が金杓子を挙げて挨拶を寄越してきたので、こちらも片手を返す。

 障りになる前に、料理人達の横合いを摺り抜けて勝手口を出た。

 酒場の裏手は路地を挟んですぐに、ギルドとは部署を分けた政に関わる庁舎が建っている。三階分の煉瓦造りの壁が空の半分ばかりを覆い隠し、日当たりは頗る悪い。

 そうして、勝手口から降りる階段の半ば辺りに腰を下ろした。

 

「……日陰はやはり冷えるな」

 

 冬本番に足を掛け始めた今日この頃、珍しい陽気とはいえ場所が悪い。

 一献傾けられるならば、寒空だろうが存分楽しんで見せようが。しかし。

 

「どうする? 中で話すか」

「あー私の方は気にしないで。大丈夫、手短に済ませるよ」

 

 軽やかに言って、真実軽業師の如き身の熟しで屋根から降ってくる人、一人。

 目に飛び込むは銀、項を隠すまでの白銀(しろがね)の髪。冬の娘のそれとはまた風合いを異にする、夏の雲海を思わせる清々しい純白色。

 

「しかしエリス嬢よ、その格好はなんとかならんのか。寒々しいったらありゃしねぇ」

 

 冒険者が言うところの盗賊職であるこの少女の装いは平素からして軽く、薄い。隠密行動を旨とする故の致し方ない措置なのだろう。上は胸を覆う当て布紛い、下は下腹と腿の付け根を隠す股引きのようなもの。流石にそれのみということはなく、その上から分厚い外套を羽織り襟巻きを首に掛けてはいる。

 だからとてやはりどうしようもなく、見るほどに身震いする軽装である。

 

「いやぁははは、職業柄どうしてもね。衣擦れの音とか致命的だからさ」

「かっ、盗人稼業も楽じゃあねぇな」

「もぉ! だから盗人はやめてったら。シーフ! 由緒正しい冒険者盗賊!」

 

 こちらの軽口にも律儀に発奮してくれる娘子に微笑む。

 軽口ついでに。

 

「その盗賊殿のお気に召されるような品が、手前の侘び住まいなぞにありましたかな?」

「うっ……」

 

 途端に目を泳がせた娘は、そのまますとんと己の隣の段に腰かけた。

 

「……やっぱり気付いてたんだ」

「前も言ったろう。そのスキルとやら、便利ではあろうがちと利きが良すぎらぁ。叢の合間にぽっかりと穴が空いておったわ」

 

 ここ数日に亘り、あの小庵の周囲に潜む気配があった。それも以前に覚えのあった異常な、作られた静謐の技。

 果たしてやはり、正体はこの女子である。

 

「し、しょーがなかったんだよ。グリフォン相手じゃスキルでも使わないとすぐに気付かれちゃうし……いや、いやいや、やっぱり『潜伏』状態の盗賊を見付けられる貴方がおかしいんだってば」

()()()()()()からこっち、随分永いんでな。かかっ……こいつもまあ、ただの年の業よ」

「…………」

 

 そうして漏らした軽口、もとい戯言には、しかし。

 どこか、寂しげな表情(かお)でクリスは口を噤んだ。

 そうして一、二、吐息の間。

 

「……何か、思い出せましたか」

「さて、一向に。物の扱い方だの名前だの、ああそれと減らず口はぽんぽんと浮かびやがるんだが。肝心要、己がどこの誰で、何をしてきたのかどう生きてきたのか、どう死んだか。その辺りはとんと、思い出されぬ」

 

 都合の良い記憶喪失もあったものだ。あるいは、都合の悪い記憶を必死に忘却しようとしているのか。

 ――――だが、もう遅い。僅かにだが馬脚は覗いた。

 あの首無し騎士との斬り合いで、己の本性の一片は確実に露見した。殺人刀使い、刃金狂い、その妄執が。

 ……まあ、今更驚くべきことでもなかったが。

 そこまで考え、ふ、と笑む。傍らの、ややも俯く娘子に目をやる。

 

「何かと心配をかける。すまねぇな」

「いえ、私には、送り出した責任がありますから……なんて、女神エリスなら言うんじゃないかな?」

 

 最後にお道化て娘は笑った。

 

「でもまっ、心配ついでに言うとさ、貴方の家はちょっと騒がし過ぎるね」

「そうかい? 人二人に獣が二頭、それと精霊一柱。少々賑やかだが――」

「違うでしょ。獣は一頭、精霊一柱と……人は貴方一人だけ」

 

 突如、声色が変わった。今までそこにあった暖かみがあたかも喪失されたが如く。その質感、硬く冷たく、鋼めいて。

 

「あとの二つは人でも獣でもない。魔なるモノ。この世の正理を冒したアンデッドです。生命の流れに出来た淀み。あってはならない存在です」

「そいつぁえらく手厳しいな」

 

 そうして、瞬き一つしない紫水晶の、その瞳を見返す。

 暫時の間、互いに視線を向かわせ合った。先に逸らしたのは、クリス。

 呆れ、そして諦めの風合いを滲ませ、吐息を娘は零す。

 

「……貴方の寛容さは美徳です。諸人を差別区別なく受け入れるその度量は尊敬に値します」

「そう手放しに褒められちゃ面映ゆいねぇ」

「しかし、この世には守らなければならない秩序(ルール)があります。彼らは生ける屍(イリーガル)。間違いは正さなければいけない」

 

 厳然と娘は言い置いた。動かざる理、何よりも重き大事と。

 神の法。なるほどそれは重かろう。なにせそれこそは世界一個を形作る礎なれば。

 なれば……なれど。

 

「人が横道に入るのは、それなりの訳があるものよ」

「…………」

「許せ、とは言わん。それこそ己が言えた義理ではないものでな」

 

 口を歪ませ、笑う。己自身を嗤う。

 そして今もう一つ、不遜な願いを重ねた。

 

「己の寛容を買ってくださるという。ならば今少し、僅かばかり、御身の懐を空けては頂けまいか」

「……理解は、せねばと思います」

 

 娘は、今度はひどく悲しげに目を伏せた。

 

「人が魔物に身を堕とすのは、私利私欲や背信のみに依らないのだと……已むに已まれぬ多くの事柄がその道へ赴かせてしまうのだと……そう、仰る通りですね。寛容は美徳であり功徳。それを危うく、忘れるところでした……」

 

 両の手を合わせ、娘は瞑目した。それはまさしく、女神が祈り、祝福をこの世の何処かへと賜う様。

 日陰の路地に一筋、陽光が差した。それは白銀糸の少女の髪を洗い、輝かせる。

 なんともはや珍事、もといそれが神秘であろうや。

 

「けれど、ジンクロウさん。一つだけ、絶対に、譲れない、許されないことがあります」

 

 目を開き、両手を開き、こちらを向いてクリスが微笑む。優しげな表情(かたち)が娘の顔を彩っている。

 だのに、どうしてか。どうしたことか。この、薄ら寒さは。

 

「貴方がどんなに慈悲深く、度量広き人であっても、それが尊ぶべき性質であったとしても――――悪魔だけは例外です」

「ほう、悪魔」

「ええ、神の愛に背を向け、そして人々を背信へと誘う悪しき存在。奴輩こそまさしく存在してはならない存在、と言えるでしょう。リッチー、デュラハン、吸血鬼や人狼……人から魔物への転生(てんしょう)をかのモノ共は好んで唆します。そうすることで生まれ、衝き動かされる人の心、情念を餌とする為に……穢らわしい」

 

 無論のこと実際にはやらぬものの、娘はそのまま唾でも吐き捨てそうな様相で言い捨てた。

 

「いいですかジンクロウさん。たとえどんなことがあろうと、どんな誤りがあろうとも、悪魔とだけは絶対に、絶対に、絶対に関わり合ってはいけません。親交など持ってしまったなら、貴方の魂が穢されてしまう。あってはならぬことです。あってはならないのです。お解りいただけますねジンクロウさん」

 

 真実、体積を増したかのような威圧感を醸し出しながら娘の顔が迫る。迫り来る。

 両手でその肩を支える。そうしなければ圧し潰されると、半ば危惧して。

 

「どうどうわかったわかった。もう十分に。だから落ち着きな。な? 瞬きせんと目に悪いぜ?」

「…………ふぅ、すみません。つい、熱くなってしまって」

「そのようで」

 

 吐息一つで()()を収め、ようやくクリスに戻った娘は、不意に両手を打った。閃いたとばかりに。

 

「そうです! ジンクロウさんも是非エリス教会の門戸を叩いてみてはどうでしょう!」

「おぉっ? またぞろどうした」

「いえ、いえ、なにも信仰を持って欲しいなんて言いません。強要などそれこそ以ての外です。ただ信じて頂きたいのです。ただ願って頂きたいのです。自分自身の幸福を、そしてほんの僅かでもいい、貴方の隣に在る人の幸福を。一日に一度、いいえ七日に一度でも、気付いたその時、その瞬間に、ほんの一瞬でも祈り願えば、世界は少しだけより良くなれます。誰あろう人の心が、そうするのです。さすれば神はその全権能で人々に報い、応えてみせます。ジンクロウさんの迷える魂にもきっと、手を差し伸べたいと神は思っております。ええ本当に」

 

 なにやら勢い込んでその瞳は爛々と輝いていた。ある意味で先程よりも威圧感は強かったちょっとおそろしかった。

 

「そらまあ、有り難ぇこって」

「あ、ふふっ、そんなお礼だなんて……照れちゃいますよぉもぉ!」

「ははは……」

「それはともかくさあジンクロウさんも! 是非是非エリス教会にお越しください! ね! 今すぐにではみゅっ」

 

 二の句を上げようとする口元に、そっとワッフルを押し当てた。

 

「ま、ま、ま、そいつぁまたの機会に取って置かせてもらおう」

「……むぅ」

 

 それは見事な不満顔でクリスはむくれた。むくれ面のまま、出されたワッフルに噛り付く。

 はむはむと食べながら拗ねた瞳で己を見詰めている。

 

「……教会の扉はいつでも開いてるよ。いつでも遊びに来ていいんだからね」

「わかったわかった。また今度焼き菓子でも供えに行こう」

「ん、んむ、んっ……約束だよ!」

 

 結局、クリスは己の手から器用にワッフルを平らげた。

 そうしてすっくと立ち上がり、一蹴りで元来た屋根へと駆け上がる。

 ふと、ひょっこり屋根の上から顔だけ覗かせるや。

 

「約束だからね!」

「あいよ」

 

 そのまま訪れた時同様の軽やかさで、盗賊の娘は去っていった。

 

「なにやら、アクア嬢が可愛く思えちまった……」

 

 これぞまさしく女子の神秘。

 そう、愚昧なことを考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




「人が横道に入るのは、それなりの訳があるものよ」
鬼平犯科帳『一本眉』より


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