そうです私ですすみません。
大通りに
以前にめぐみんと訪れた物騒な武器防具店も、変わらず剣呑な品揃えでそこにある。
その真ん中で、白雪の女はキョロキョロと忙しなく市場の賑わいを見ていた。
「そんなに珍しいか」
「うん。こんなたくさんの人間、見たことない」
「お前さんの山に比べれば騒がしかろう」
「でも、面白い」
言葉通り、姫御は興味の赴くままあっちへ行ったりこっちへ行ったり。まるで一人歩きを覚えたばかりの幼な児のようだった。うっかりと目も離せぬ。
「これこれ、あまり遠くへ行くな。はぐれちまうぜ」
「ん、それなら」
呼び掛ける己に、女はそっと振袖の下から手を伸ばす。細くしなやかな指が差し向けられる。
その意図は明白だった。理にもまた適う。
「? ジンクロウ」
「へいへい」
断る理由を探しあぐね、結局その手を取る。百合の花弁めいた手触りと真実雪に近しい体温。
はてさて、はぐれないよう手を引かれているのはどちらやら。
「オシドリ夫婦は普通こうする」
「また妙なことを覚えやがったな。そいつも
自身の頭を指先でこつこつと示すと、女は首を左右して。
「ウィズがそう言ってた」
「あぁ?」
頭を読んで……という訳ではないらしい。
冬の女はこちらの腕を引き寄せ、自身のそれと絡めた。左手を見やれば、念の入れどころとばかり指を一本一本しっかりと握り合わせて。
「……うん、本当だ」
「はっ、なんのこった」
「ウィズが教えてくれた。こうすると、なんだか胸の中がふわふわする……これ、好きだ」
柔らかに笑んで女は吐息した。肩口に頬を寄せられ、半ばしな垂れ掛かるように。
女店主の指南の賜物、とでも言おうか。効果は実に覿面。こちらに為す術はなく、姫御の思うままに男は一人気を惑わせている。
今晩もウィズはあの庵に夕餉を拵え――そして相伴し――に来る筈だ。ならば是非、礼をせねばなるまい。苦言と小言を十か百か、酒でも酌み交わしながら吐き出せばあっという間に数えてしまえよう。
「色に惚けてんのぁ、小僧も小娘も変わらんな……」
「?」
「なに、年寄りの愚痴だ」
青みを帯びた白髪を空いた右手でぐしゃぐしゃと撫で付ける。きめ細かな指通りのそれは大した乱れも見せず、風が一薙ぎするだけでまた綺麗に整った。
「ふふっ、それも好きだ。んん……もっと欲しい」
「犬猫みてぇなことを言うんじゃねぇや」
「? 犬も猫も人の言葉は話せない」
「こいつぁ言葉の綾というもんだ」
「むぅ」
不満顔まで妙にあだっぽい。
人を化かす、いやたぶらかすには十分過ぎよう。
「こらぁいろいろ教え込まねばならんか……」
「オレ、人間らしくできてない?」
「出来すぎで困ってんのさ」
「??」
さも不思議そうに目をしばたく女が何やら小憎い。八つ当たりに、その流麗な鼻頭を指先で小突いた。
そんな光景を見詰める三対の目。
「なんなのあの女なんなの……!?」
「近くないですか近すぎますよねこんな往来でふしだらな……!!」
眼光鋭く怒気荒く、ジンクロウと謎の女の動向を睨む少女二人。
身を隠した看板の端を砕かんばかりに握り、実際に潰していることに気付いているのかいないのか。
軋んで悲鳴を上げる看板を見ないようにダストが目を逸らすと、その持ち主であるらしいパン屋の親爺の泣きっ面がそこにあった。
「ジンクロウもジンクロウです! いくら美人相手だからって気を許し過ぎですよ!」
「それ。ほんとそれ」
「前々から思っていたことですがジンクロウはやはり節操が無い!」
「ギルドの受付さん、女給の子達……」
「酒屋の女将さんから、果ては知らぬ間にウィズにまで……!」
「え゛っ!? あ、あの店主さん!? あんな綺麗な人にまで粉掛けてんの!? ぐぬぬぅジンクロウめぇ……!」
安酒あおって宿の部屋で寝よう。
終いには猫のように毛を逆立て襲い掛かりかねない様子の少女二人を見限り、今日一日を安息日にするとダストは内心で決めた。
「どいつもこいつも」
「? ジンクロウ?」
「あぁ、大した事じゃあねぇさ」
あれで隠れているつもりらしい。小刻みに震え、時折軋むパン屋の看板を尻目に息を吐く。夏に瑞々しく青む緑葉の如き娘子らに呆れ、というより、彼女らの盛んなるに圧倒される秋山に敷かれた枯葉の如き己を嗤って。
ふと冬のが立ち止まる。
何やら興味深げに屋台の一つをじっと見詰めていた。
焼き菓子の類らしい。
小麦粉を主とした生地を捏ね上げ、丸めたそれを二枚の鉄板に挟み焼き上げている。何より特徴的なのはその鉄板の形状。格子状に溝が打たれ、その隙間を生地が満たすように広がるのだ。
甘く香ばしい香りも然ることながら、出来上がった菓子の見てくれがなかなかに面白い。
「どうした。こいつが気になんのかい」
「うん」
「食ってみるか?」
「うん!」
頷く娘の目はきらきらと輝いていた。似せるなと己で言い含めておきながら、やはりその素直な反応にはどこかの娘っ子を想わずにおれぬ。
「店主、包んでくれ」
「はいはいまいど! いくつ?」
威勢の良い女店主は言いつつ、ベルディアの大剣も斯くやという大きな焼き器鉄板をぐるりと裏返した。
さても、数。我ら、看板裏に潜む奴ら。そして。
「八つ……いや、九つだ。九つくれ」
「あらら、たっくさん食べるのねー。うーん、どうします? 作り置きもあるけど、あとちょっとで新しいのが焼き上がるよ」
「焼き立てか。そいつぁいいね。ゆるりと待たせてもらうぜ。ところでこいつぁなんて菓子なんだい」
「おや知らない? ワッフルって言うんだよ」
とはいえ然したる間も置かず菓子が出来上がる。湯気の立つそれらを紙袋に包み、金子と交換に受け取った。
対して、傍らで待つ冬の様子は、餌を前にして「待て」を強いられた仔犬のようである。
いかにもわくわく今か今かとした心持を我慢して、白い両手を
「熱いぞ、気を付けな」
「うん……あつっ」
「おいおい、ゆっくり食え」
半紙に包んだ一つを手に取るや、娘は豪快に噛り付いた。案の定焼き立ての菓子に驚いたがそれも一瞬、ふ、ふ、と熱を冷ましながら栗鼠のように貪っていく。
「旨いか?」
「んっ……んまい」
「ありがとねー!」
店主の笑顔に見送られ、再び歩を進める。
「精霊ってぇ奴ぁ皆健啖なのか?」
「んっ、ん……食べる必要はない。存在を維持するだけなら、大地からマナを吸うだけでいい。でも……食べるの楽しい。『うまい』楽しい。ウィズの作ったシチューうまかった。だから……もっといろんなもの食べたい……ダメか?」
「かかっ、結構結構! いいじゃあねぇか。どんどん食え。遠慮せず食え。人界にゃまだまだうめぇもんが溢れておるぞ~。楽しみが尽きんな? かかかっ」
「……うん!」
綻ぶように笑顔になる。そこには一匙分の安堵も含まれた。
妙な知識とその偏りを除けば、この娘は実に素直で。なるほど、その心根は幼子と何も変わりない。
やりたいことをやるのに、本来己の許しなど得ずとも良いのだ。だのにこうして、一つ一つを尋ね、考え、確かめようとするのは、この者が他者という存在を認め、また優しくあろうとする故か。
「ならば、まあ、心配要らんか」
「?」
「ああ、お前さんと会わせたい者らがおってな。差し当たりそこに三人ばかり」
ガタガタと後ろ二間ほどの距離を隔てて尾いてくる看板を親指で示す。看板の出所であるらしいパン屋はとうに遥か向こうなのだが。
「敵か? 殺すか?」
殺気も織り交ぜず、真実氷雪のように冷たく冬の娘は言ってのける。
「剣呑剣呑。安心しな、敵じゃあねぇ」
「そうか」
「あのちっこい娘は一度冬山で見たろう。どうやらお前さんのことが気になるらしいぜ」
「……敵意。怒り。オレだけじゃなくジンクロウにも向いてる。やっぱり敵?」
「騒々しいが味方だよ。懐こい仔犬も初めて見る者には吠えて掛かる。そういうあれだ」
「? そうなのか」
「そうなのさ。あぁ、そんなもんさ」
買い食いをしながら露店を眺め、時折興味を惹かれた店に立ち寄ってはまたそぞろ歩く。
まるでそれはいつかの自分とジンクロウだった。
「……」
看板の裏で、ふと肩が落ちる。紛れもなく怒りで燃え上がった感情の火が萎む心地がした。
「これ、このまま行くとギルドに着くよ」
隣で同じように前方を覗うリーンが言った。
その言葉通り、ジンクロウと異国風の女性は冒険者ギルドに向かっているらしい。
そうして程なくギルドの表玄関に到着した。
青空市で調達(強奪)した隠れ蓑の看板を捨てて、路地の物陰に潜む。ジンクロウと女の人は扉の前で二、三何か言葉を交わすと。
「「えっ」」
その場に女性を残して、ジンクロウはどこかへと歩き去ってしまった。
「ど、どうしましょう……?」
「え!? うーん。とりあえず、二手に別れる……?」
「いやまだ追っかける気かよ」
ダスト(だったっけ)のぼやきをリーン共々無視して、二人でうんうんと悩む。
あの女性の正体を探りたいのは山々なのだが、肝心のジンクロウがいないのでは意味が薄い。第一に知りたいのは何を置いても二人の関係なのだから。
「だぁー! うだうだめんどくっせーなぁ! 遠征帰りで俺は疲れてんだよ! もう帰って酒飲んで寝たいの! いい? ダストさんはもう帰っていいよね!?」
「ダストうっさい! はいはい帰りたきゃ帰れば! てかなんで付いて来てんのよ頼んでもないのに」
「尾行の邪魔なので早くどっか行ってください。爆裂させますか? 吹き飛ばされますか? それとも消・し・ズ・ミが御所望ですか?」
「はいすんませんすーぐ立ち去りまーす」
「ところで、一体どこまで遠出したんだぃ」
「あぁ? 王都近くの森だよ。あの辺りはゴブリンなんかが群で隠れて都に攻めて来っから。依頼自体は初級レベルでも報酬はうまうま……あん?」
「ふぇ?」
「えっ」
すぐ背後から差し込まれた声にはっとして振り返る。聞き馴れたものだ。しかし、それがここにあるということが不味いのだ。
そうした悲喜交々をはっきりさせる間もなく、そこ立つ人物の笑みを見上げた。
ジンクロウは手にした紙袋を差し出して。
「どれ、お一ついかがかな」