この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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42話 独り住まいがなんだって?

 

 囲炉裏の灰を均し、赤々と燃える炭の上に新たな炭を幾つか置き足す。

 しかし、もともと灯っていた炭火によって既に部屋の中は暖かい。娘が気を利かせてくれたお蔭だ。

 ふと、土間から鼻歌が聞こえてくる。鈴を転がすような声が耳を撫でる。

 そして同時に鼻を擽るのは、肉と野菜の溶けた甘み。仄かに牛の乳のようなまろやかさも混じった。

 

「あっ、ジンクロウさん。その、もしかしてシチューって苦手でしたか……?」

「んん? うむ、食ったこたぁねぇな……だがこの匂いを嗅いでると、どうも涎が出ていけねぇや」

「まあ、ふふふっ! なら、楽しみにしててくださいね」

 

 むしろ自身こそ楽しげに笑みを深め、ウィズは鍋を掻き混ぜる。すると、調理に掛かるとあって後頭に結い上げたその茶髪が、馬の尾のように左右に揺れた。

 時折味を見ては都度に香味や薬味を加え、ようやく味が調ったかと思えば、今度は俎板で野菜を切り始める。何やらもう一品こさえるつもりのようだ。

 てきぱきとそつ無くウィズは調理場を動き回る。それを見て、何か手伝いを、と上げかけた腰を再び茣蓙に落ち着けた。

 あの様子ではこの図体は邪魔にしかなるまい。

 懐から煙草入れを取り出す。刻みを指先で()()()、大事に火皿へと盛る。

 

「しかし、今宵はどうした。こんな辺鄙なところへわざわざ」

「え、あぁ……ご近所の方から良いバターを頂いて。でも一人で食べてしまうのも勿体ないと思ったので、ジンクロウさんにも、って」

「そいつぁ有り難ぇがな。それだけか?」

「家に……食材が……無くて……バターだけ舐めようかとも思ったんですが、その、なんというか…………みじめで」

「そうか」

 

 一服、吸って吐いた。紫煙はくゆり、解け砕けて失せる。それが何やらひどく、物悲しかった。そして心なしかいつもより、苦みが強い気がした。

 しゅんと肩を落とした後ろ姿を少し憐れむ。

 

「その、使った食材の代金はきちんとお支払いしますから! …………いつか、必ず……きっと」

「要らねぇ要らねぇ。好きに使いな」

 

 語尾に近付くほど縮んでいく細い背中は見るだに忍びない。

 なにより、手料理を馳走された上に金まで払われたのでは貰いが多過ぎる。

 

「いやいや美人と夕餉の相伴に与れるんならその程度、安いもんだ」

「……もぉ、そういうこと、誰にでも言ってるんですか?」

「かかかっ、其奴がお前さんのような(おなご)ならばな」

「も、もういいです! 大人しく待っててください!」

「へいへい」

 

 こちらに振り返っていた顔が、ぷいと再び俎板に向かう。背けられた表情は窺い知れぬが、女の白過ぎる肌の中で耳だけが赤々と染まっていく。

 揶揄(からか)いの蟲が腹の底で喜ぶのが分かる。我ながら悪い趣味だ。

 底意地から捻くれている。飽きるほど歳を食っても治らんのだから救いようもない。

 そういう男だ。己は。

 故に。

 

「なあウィズ、お前さんは何も気にするこたぁねぇんだぜ」

「……」

 

 俎板を打っていた刃の音が、止まる。

 沈黙の暗幕が降りる。鍋の吹く音ばかりが矢鱈に耳につく。

 しかし無音の中にも感情の揺らぎだけは看えた。それは女の、儚げな優しさだった。

 

「この腕も、あの怪態な剣も、既に己が負わねばならぬ責めの内よ」

 

 かの女がこんな寂れた庵を訪れる理由は容易に察しが付く。

 自身が売り捌いた物が客に禍を運んだ、と。少なくともそう思い込んでいる。そんな存念を抱えて、この心優しい女が知らぬ存ぜぬ平気の平左を気取れる筈もない。

 償い。贖い。罪滅ぼし。さて、どの言い回しが嵌るやら。

 綺麗に掃き清められた居間。光沢すら放つほど磨き抜かれた板間と柱。確かめてはいないが洗濯も終わっているらしい。そうして目の前で飯炊きまでされればぐうの音も出ない。

 甲斐甲斐しく働く女の、労を惜しまぬ献身に涙が出そうだ。

 だが。

 

「お前さんが気負い、気を患うのは、言っちゃなんだが御門違いってぇもんだ」

 

 それが事実だ。

 己には、この女の献身を授かる筋合いがない。

 

「……それでも」

 

 背を向けたままに女は頭を振る。

 

「ジンクロウさんには、一廉の剣士としてそれを振るう覚悟があることは解ります。私も、魔法という武器で多くの敵を、自分が敵と()()()()()誰かを屠ってきましたから……」

「その心得があるならば……」

「でも! 私は商人なんです!」

 

 俄かに、女は声を荒げた。そしてその、微かに震える肩を見る。

 

「冒険者であり、魔法使いでもあるけれど、同じかそれ以上に私は、商人なんです。ええ、お売りした物が良くない結果を招いたなんてことも一度や二度じゃない……五度、くらい……十度はあったかな……さ、三十、四十? 五、六 ……百はない、筈です……と、とにかくっ、今までにも、たくさんのお客様にご迷惑をお掛けしたことがあります」

「おう」

「返品と返金はしょっちゅうですし、商品の効果というか被害で酷い有様になって怒鳴り込んで来る方も数え切れないくらいいました」

「そうかい……」

 

 やにわに、どんな面で話を聞くべきか分からなくなってきた。

 もう一服ほど吸い込むと、刻みの味も尽きた。灰皿に雁首を打ち付け燃え滓を捨てる。

 

「……ジンクロウさんが初めてなんです」

「うん?」

「あんなに純粋に、うちの商品に喜んでくれたのは」

「ほぅ、そらまた奇人変人も捨てたもんじゃあねぇな」

 

 などと茶化してみたものの、期待したような反応は得られなかった。

 振り返るやウィズは笑った。あまりにも寂寥の彩深い、そんな笑みを浮かべて。

 

「嬉しかったです。とっても、とっても。なのに……」

「……」

「……私は、私に出来る精一杯でジンクロウさんにご恩返しがしたいんです」

「恩と来たか。大仰なこった」

「はい」

 

 軽口に気を悪くするでもなく、女はなおも真っ直ぐに頷く。

 

「貴方は私の、大事なお得意様ですから」

 

 その顔容に浮かぶ笑みはやはり、ヨルガオの花弁めいて美麗。嗅ぐ筈もない花の香気を錯覚するほど、それは心を惹き付けた。

 しかし、それほどまでに美しい笑顔が、どうしてかひどく痛ましい。

 女の苦悩が、この老いた胸には痛いのだ。

 

 

 

 

 

 不意に、玄関戸が叩かれた。

 

「? こんな時間にどなたでしょうか?」

「……」

 

 ウィズの猜疑は尤もであろう。このような時刻、そしてこのような郊外の小屋に、一体誰が何用か。

 針ほどの細さで警戒心を携えつつ立ち上がる。外は静かだった。

 

「あの馬っころはどうしてる?」

「馬? ああベルディアさん。さあ……? 私がお邪魔した時にはいらっしゃらなかったです」

 

 興味薄げに言ってウィズは小首を傾げる。ベルディアの粗雑な扱いについては当人らで勝手に話し合いでも設ければいいが、警邏の目が一つ居ない事実を念頭に置く。

 とはいえ、もう一つの目――グリフォンの雛が騒ぎ出さないところを見るにそう危うい存在ではなかろう。獣の感覚の鋭さは人間など及ぶべくもない。

 土間に立ち、戸口へ向かう。

 

「どちらさんだぃ」

 

 声を掛けながら、戸を開けた。

 目の前には、相も変らぬ夜の帳が下りている。人の姿は影もなかった。

 

「……お」

「ジンクロウさん?」

 

 ふと何の気なしに落とした視線が、それを捉えた。

 それは敷居のほんの手前で、両脚を揃えてそれはそれは行儀よく()()()をしていた。

 青みを帯びた白の体毛。まるで新雪のように無垢な銀。

 細く長い手足、胴、背筋は伸び、長い両耳もぴんと伸びて。

 その背後で、たっぷりとした毛並みの豊かな尻尾が揺れている。

 

「狐……?」

「狐だな」

 

 それはどこからどう見ても、純白の被毛の狐であった。

 そっと屈み、視線を合わせる。

 

「ふっ、なんだぃお前さん。家になんぞ用か? ん?」

 

 戯れに問い掛ける。無論のこと返事を期待した訳ではなかったが、しかし。

 狐は首を縦に振った。

 

「ほぅ、お前さん言葉が解るのか」

「もうジンクロウさんったら。そんなことある訳ないじゃ……」

『シノギ・ジンクロウ』

 

 期せず、風鳴りめいた声が響く。

 

「……」

「……」

 

 ウィズを振り返り仰ぎ見るが、女はぶんぶんと首を左右した。

 つまり、今の声を発したのは。

 再び目の前の狐を見る。朱い瞳がなおも己を見上げていた。

 それは獣の目ではない。そしてこの目を己は知っている。

 

『オマエに会うタメに来た』

「……」

 

 不純物というものを一切含まぬ澄み切った、あまりにも(きよ)らかな目。

 加えてこの、肉の喉を通さぬ声は――――記憶が再起されたその瞬間、眼前で氷雪が逆巻いた。身を切るほどに凍て付いた冷気を放ち、白い霞が狐を包み上げる。

 

「!? これは、精霊? まさか、どうして!?」

「どうしてだろうなぁ」

 

 ウィズの叫びには心底から同意する。

 懐かしさを覚えるには時間というものが圧倒的に不足している。なにせ今日の今日、つい昼間のことであるからして。

 純白の武者鎧。白銀の鬣。鬼の面頬。

 

「冬将軍!?」

 

 

 

 

 

 

 


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