この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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40話 太刀打ち仕るは冬の猛将

 

 アクセルから遠く広がる平原地帯。街ではささめくほどだった雪が、山麓を望むここでは牡丹の落花の如し。

 厚みを増した轍を刻み、疎らな枯れ林を訪れた。

 雪精は綿毛に目が付いたような、生き物とも無機物とも分からぬ物体だった。無数に宙を漂う掌大の毛玉が一匹討伐ごとに10万エリス。

 この破格の報酬額にカズマなどボロ儲け大儲けと大いに沸き立った。事実身も懐も寒々しいこの頃である。降って湧いた一攫千金に飛び付くのも無理はない。

 しかしそれでも、今少し思慮を欠いた。もう僅かばかり警戒すべきだった。

 のこのこ雪原行に赴いたのが運の尽き。いや、あるいは、アクア嬢を掣肘し切れなんだ我らの手落ちか。

 何れにせよ、後悔という精神の手遊びは文字通り後の楽しみに取って置くとしよう。

 見渡せば死屍累々、もとい我が徒党の面々の奇態が其処彼処にある。

 

「……」

 

 思いの外すばしっこい雪精に埒を開けんと、早々に爆裂魔法を放っためぐみん。雪原にべちゃりと俯せに伸びたまま動こうとしない。死んだフリのつもりらしい。

 今回、雪の精の溜まり場へ乗り込むとあって、特段の冷えに備え各々防寒着を誂えたが。めぐみんの装いは、以前市場で買い求めた白狼の毛皮であった。雪の降り積もる只中ではこれ以上ない迷彩と言えようか。

 

「あぁっ、新調した剣が!? また買い換え……いやいやそれではあまりに贅沢だ! うぅん磨り上げて小剣として使うのが庶民として自然、なのだろうか……?」

 

 出鼻に剣を半ばから両断されたダクネスは、拾い上げた切先を手にうんうん唸る。今朝のやり取りを気にしてか、下々の者らの物持ちと倹約について考えあぐねているようだ。勤勉は結構だが、まず先に時と場を考慮すべきではなかろうか。

 

「ははぁ~、将軍様におかれましては本日もご機嫌麗しう存じまする~。存じますから許してくださいお願いします斬らないで殺さないで」

 

 それはそれは見事な土下座と露骨な御弁口(おべっか)を並べるアクア嬢。恥も外聞も狗に食わせたとばかりの実に堂に入った命乞いであった。

 その行いを卑しいとは言うまい。事実、その即断即決の土下座によってかの女は白刃の脅威より逃れたのだから。

 

「なあカズよ。お前さんも見習わねばならんぜ」

「絶っ対そんな暇なかったぞ今!? 先っちょ掠った!! 先っちょ掠ったよこれ!?」

 

 雪の上に尻餅を突いてカズマが叫ぶ。

 そうして自身の首を震える指先で(さす)った。喉仏の僅か下あたり、そこには横一文字に薄っすらと裂傷が走っていた。血も滲まぬほどに微かな刃傷が。

 

「正しく首の皮一枚ってぇとこか。命拾いしたな」

「どいつもこいつも人の首をぽんぽん飛ばそうとすんじゃねぇよ!! 仕舞いにゃ泣くぞこらぁ!!」

 

 泣きながら口角泡を飛ばし悪態吐く元気な姿に、可笑しいやら安堵するやら。

 襟首を掴んで引き倒すのがもう半拍遅ければ、少年の絶叫の通りにその首と胴が泣き別れしていたことだろう。

 

「ガキだろうと問答無用かぃ? 折角の武者振りが泣くぜ」

 

 皮肉気に歪めた笑みを向けようが応えはない。その心情に揺らぎは見えず、意思の疎通が成っているかすら判然としない。

 武者、であった。

 この土地を訪れてよりよくよく目にする板金鎧とは風合いを異にする意匠。鉄の板札と鞣し革を(おど)すことで堅牢性と軽量化を両立した全身甲冑――“具足”と呼ばれるそれ。両肩から下がる大袖、腰回りを覆う草摺等、装甲面に細かな紐の編み込みが施されたこれらが特徴的であることは言わずもがな、しかしてその偉姿において最も目を引くのはやはり、兜。鬼の二本角を思わせる前立、そして鼻頭から顎までを覆う面頬が、相対した者共を否応なく威圧する。

 耳から後ろ首までを防護する()()()、その下から伸びた純白の(たてがみ)が寒風に泳ぐ。

 太刀を握り、不動にて我らを睥睨する鎧武者一領。

 

「で? どうする」

「撤収」

「土下座よ」

「一撃くらいは欲しい」

「雪冷たいです」

 

 纏まりの欠片もない物言いが四者四様に返ってくる。

 いつも通りだった。

 

「存外に余裕じゃねぇか、手前(てめぇ)ら」

「この首見て本気で言ってるジンクロウちゃん?」

「冬将軍は雪の精霊の王よ。きちんと敬意を払えばきっと寛大に見逃してくれるわ。だから皆早く土下座して! 謝って!」

「あのデュラハンの攻撃にも数回は耐えた剣と同じ品を、苦も無く斬り折るほどの強さ……この身で受けずにおけようか!?」

「ジンクロウ、おんぶしてください」

 

 いつも通りに過ぎて、緊張感も糞もへったくれもない。さりとて、身動きの取れぬ娘子と鼻息荒く飛び出そうとする変態とそろそろ五体投地まで致しかねん神の一柱。

 継戦の意義を認めず。

 カズマの言に乗り、退散するが至当であろう。

 しんしんと降る雪にそろそろ埋もれ始めためぐみんを掘り起こそうと踏み出した、その時。

 

『――』

「……」

「いっ」

 

 その場で静止する。傍らで少年の息を呑む声を聞いた。

 視線を呉れる。眼前、四か五歩の間合から……対手の足運びが尋常のものであればの話だが……切先を我が身へと差し向けられる。

 抜き放った太刀に込められた意は、勘案の余地なく明白。

 

 斬る

 

 純白の武者は凍て付いたその敵意を露にした。

 

「な、なんでだよ!? 武器持ってないだろ!? ってソレかぁ!?」

「ジ、ジジジンクロウ!! そ、それ! その腰のやつ! 早く捨てちゃいなさいよ!!」

「あぁ? ああ、こいつか」

 

 左腰の差し物を指差してカズマとアクアが喚く。なるほど、刃物を捨てねば降伏とは認めぬと。

 

「念の入ったこと」

 

 肩を竦めて、腰の革帯から鞘ごと抜き取り。

 

「そら、これで満足かぃ」

 

 躊躇なく彼方へ放り捨てる。

 一瞬、掌の皮膚に刺すような“思念”を感じたが、まあ気の所為であろう。

 くるくると回転しながら、一刀は弧を描いてやや離れた雪原へと突き立つ。晴れて、丸腰と相成った、が。

 しかし、それでもなお。

 

「おいおい」

 

 白銀の太刀は真っ直ぐに己を差したまま不動。その敵意もまた、一縷とて削げる様子はなかった。

 カズマ、アクアが青い顔をしている。ダクネスは高揚して紅潮している。めぐみんのそれはもとより見えん。

 

「アクア嬢よぅ、話が違うじゃあねぇか」

「だから土下座しなさいよジンクロウも!」

「頭が高ぇってか」

 

 なればと面を下げようにも、彼方は此方が身動ぎ一つすれば斬り捨てる、といった風情だが。

 

「ジンクロウ何かしたんでしょ!? 謝って! 何でもいいから早く謝るの!!」

「同胞を殺しておいて知らぬ存ぜぬとは言うまいがな」

 

 確かに、先刻雪精を六匹斬った。その仇を討たんが為に斬り合いを所望とあらば己にも応える用意はある。

 あるいは、アクア嬢がその懐に一匹、雪精を隠し持っていることを看破されたか。……アクア嬢の傍に立っていたカズマの首が飛び掛けたのは、それが理由のような気もするが。

 どうも違う。我が身を射抜く戦意、闘気の発端は。

 その()は、仇討ちの為の憤怒にも、況してちょろまかしに対する制裁にもない。

 刹那、武者が動いた。

 

「散れぃ!」

「ダクネスはめぐみんをっ!!」

「ひぃぃいいい!?!?」

 

 目配せも要らず、カズマの反応は実に敏速だった。ダクネスに指示を飛ばしながら、未だに蹲ったままのアクアを引き摺ってその場を退避する。

 

『――』

 

 純白の鎧は既に眼前にあった。たっぷり五歩分の空隙を真実、一刹那で詰められた。やはり具足を着込んだ徒歩(かち)の動きではない。どんな魔法を使ったやら興味は尽きぬが、さて置こう。

 今まさに、上段構えの太刀が真っ直ぐに倒れ来る。

 そして己は無手。唐竹に脳天から両断されるまで残り四半拍の半といったところ。

 白刃取りでもやってみるか? 笑止、大道芸の通ずる相手ではない。体格と膂力にあかせ、潰し斬られるが関の山であろう。

 退がり、あるいは左右に跳び躱すか? 愚行、その歩幅を明らかに()()()()高速移動する敵から逃がれ切れるものか。

 ならば致し方ない。

 方途は一つ。敵刃を打ち、逸らし、落とす。

 その為には一振り、兇器が要る。今この手の内に無い兇器が。ここより遥か遠間の雪上に打ち捨てた、刃金が。

 何を暢気につっ立ってやがる。これだけが唯一の能であろうが。そら、仕事だ。

 

「――――来い」

 

 右手を(かざ)し、一声。それが当然の行為であると傲岸不遜に構え、呼び付ける。

 果たして、刃金は応えた。地に埋まる鞘から肌を覗かせ、一挙に飛び出す。隔たれた空間すら斬り裂くように飛翔し、既に我が手に。

 糸に巻かれた柄の感触。鉄と、沁み付き拭えぬ血と命の重み。

 上段の打太刀に、こちらも上段にて応ずる。

 

「シィッッ!」

『!?』

 

 正対称の相打ち。自然、刀身が衝突する。

 しかし打つのはその刃先ではない。(しのぎ)、敵の刀の腹を削ぎ落す。

 斬線は狂い、本来袈裟懸けの軌道を走っていた刃は、この身を行き過ぎて雪原を抉った。

 

「御返し申す……!」

 

 刀身を翻す。

 左下段から斬り上げ。

 対手の右脇下を刎ね飛ばす意気で放った斬撃は、なれど空を薙いだ。

 白武者が後退した。それも、脚運びを用いず身体が不動のままに、あたかも地面を()()()()

 

「ほぅ、面妖な」

 

 切先を中段に置いて静止。

 敵は右脇構えに剣形を変じ、間合を空けて停止。

 仕切り直しといったところか。

 

「ジンクロウ!」

「どうあっても己は御許し下さらぬらしい。カズらは退がっておれ」

「今刀がジンクロウのとこまで独りでに飛んでったように見えたんすけど!」

「おぅ気の所為だ。気にすんな」

「嘘吐けぇ!!」

 

 少年の抗議の声を苦笑で流し、気組新たに敵手と相対する。

 敵の得物は太刀。それも、己が手にした刀より長く、厚く、身幅もある。俗に野太刀と呼ばわる長物であった。いや、あるいは、そう見えるだけなのやもしれぬ。白き武者の体格は真実見上げるほどもある。肉体に見合った刀剣を“再現”した結果、ああまで長大化してしまったのか。

 思い出されるのはやはり先の、対ベルディア戦。

 自身のそれを遥かに上回る巨大さの体格と武器。加えて肉体能力の明白な優劣。無駄に生き永らえ、その結果として積み重なっただけのこの技量によって辛うじて勝ちを拾った。

 そうとも。必勝の確信など望むべくもない。あの時も、この今も、眼前に生と死が二股に道を分けて己を待ち受けている。

 つまりは。

 

「相手に取って不足無し」

「ダ、ダメです!!」

 

 俄かに血を奮う我が身を、刺すような声で制止される。背中に縋るめぐみんの視線を感じた。

 

「だって、ジンクロウの……!」

「なに心配要らん」

 

 肩越しに左手を振って見せる。閉じ開き、戯れに狐の口を象形する。

 娘子は押し黙った。安堵の気配からは程遠いひどく固い沈黙だった。それがなんとも労しい。

 すまぬ。心中で無責任な詫び言を置き、敵を見据えた。

 

「我流、シノギ・ジンクロウ。返礼無用。太刀打ち仕る」

『――――』

 

 言葉なく声もなく、然れども武者より陽炎の如く気迫が立ち上る。

 笑みが零れた。

 喜ばしいことに、彼我の意志だけは間違いなく過不足なく疎通していた。

 踏み込む。

 

「ッッ!」

 

 突き、逆胴、股下から斬り上げる逆風、運剣の連動連撃。

 しかして、敵は甲冑にあるまじき敏捷性で初撃二撃を躱し、三撃目を打ち合わせて逸らした。

 

「もう一手」

『!』

 

 打ち上げられた刀身、切先を返し再び袈裟へと走らせる。

 その斬り下ろしを、またしても横合いから太刀によって弾かれた。

 予測通りに。

 

『!?』

 

 弾かれる勢いそのままに、ぐるりと転身し再度斬り込んだ。

 対手の力を利用したことで斬撃の勢力は十二分。

 刃先は――――空を切った。

 遠ざかる純白。その滑走による後退で、こちらの奇襲から逃れたのだ。

 

「くく、厄介よな。その歩法は」

『――』

「其方の手番ってかぃ? 参れ!」

 

 巨躯の武者が、まさしく空を覆わんばかりに襲い来る。

 袈裟、逆袈裟、袈裟、打ち下ろしの連撃は単調だが、その単純明快な剛力が何よりの脅威となる。

 削ぎに削ぎ、落とす。間違っても受けてはならない。受ければ、力比べに持ち込まれる。結果は火を見るより明らかであろう。

 四合目、刀身を肩に担ぐように今再びの斬り下ろし――――という、欺瞞。

 担ぎ上げたかに見せた剣は、そのまま脇構えに引き付けられていた。横薙ぎに胴? 否。

 敵手が動く。己の左側面へ進突する。

 

(抜き胴か……!?)

 

 真半身、そして縦に構えた刀身で走り寄る太刀を躱しながら防ぐ。

 白の甲冑は滑走して己の横合いを擦り抜けた。側面を斬り付ける都合上、刀身を寝かせる為に自身正面の防護が薄まる胴の太刀。それを運剣と共に敵の脇を駆け抜けることで、攻撃と回避行動を両立させ得るのが抜き胴だった。

 雪上を滑走するこの敵手にして実に有効な手妻。

 背後で転身の気配。敵の追撃が来る。

 振り返るだけの暇はない。

 

『!』

「……」

 

 切先は、既に左肩から背後へ、背後へ回った敵手へと差し向けている。

 その鋭鋒を敵は見逃さなかった。見やれば追撃の手を止め、依然間合を維持している。

 迂闊にも躍り懸かってきたなら、そのまま喉笛射抜いてくれようものを。

 なかなかどうして抜け目のない。

 

「呵々ッ」

 

 不謹慎の誹りは免れまいが、それでもやはり笑みは堪え切れず。

 なんと、なんと快い。心地よい太刀筋か。

 剛力の優位性を誇りはすれ驕らぬ、そして技巧すら併せ持った剣。ベルディアの振るう荒々しくも合理を窮めた殺戮剣ともまた違う。

 無論、己の振るう異形なる剣とも全く異なる。

 不純が無いのだ。それはひどく、無垢だった。

 憎悪や憤怒、そうした利己精神より根付く害意。それは一種の力を生むが、同時に技を、刃を曇らせる不純物であった。心魂持つ人、あるいは魔物が兇器を振るう時、そうした意志を排することは至上の難行だ。不可能と断じてもいい。

 だのに、かの者の剣ときたら。

 山頂より湧き出た川の清水めいて純粋。怨嗟などという穢れとは縁遠い、ただ鋭く、ただただ(つよ)い。

 うっかり斬られてしまいたいほどに――――

 

「馬鹿な」

 

 戯言を腹の底で嗤う。

 精霊は自然そのものに宿る意志の塊のようなもの。アクア嬢はそう言っていたか。なるほど獣や魔物とは根本的に在り方を異にする故にこそ、こんなにも(きよ)らかなのだろう。

 手付かずの自然物に、理屈を超えて人間が感動を覚えてしまうように。

 自然、現象に近しいナニか。なればその行動原理はただ一つ。自己の存続、同胞の守護。

 そして彼奴は今日この日この時、その目的を達する上での最大の障害に行き逢った。同胞の安寧を脅かす(まが)きモノ。シノギ・ジンクロウという危険分子と。

 故以て、武者の戦意は己を見逃さぬ。この地に安息を齎す為に。

 ……最も危険な脅威の対象として認識されるのが、今まさに手にしている凶刃ではなくまさか己自身であるとは、心外とも栄誉(ほまれ)ともつかんが。

 

「……惜しいな」

 

 対手に人がましく、煩わしい感情などというものはありはしない。この激烈な闘争すら、あれにとっては自己およびそれに連なる精霊種達の存続行為でしかないのだ。

 しかし、それでもやはり。

 惜しまずにはおられぬ。この、ひどく純一な太刀打ちを。

 故に、

 

「次の一太刀にて、幕を引こう」

『――――』

「なにせ、うちの坊が(すこぶ)る心配しておるんでな!」

 

 純白の武者に動きは見られない。しかし、はっきりと、無音の中に顕れている。

 

 一撃必殺

 

 その意を、互いに酌み交わす。

 名残を惜しんでいながら、その終着の瞬間を待ち詫びた。その一刹那を待ち望んだ。

 我方は上段、彼方もまた上段に剣を執る。

 

「……」

 

 そして、事ここに至り、ふと物思う。今、十かそこらの術策が脳裏を過り、また練り上げ……そうしてそれらを亡失した。塵紙に丸めて何処かへ捨て去った。

 これもまた不純物。

 かの武者は、こんなにも愉しい一時を味わわせてくれた。本人にその心算が微塵とて無くとも、そこに感謝を抱くは己の勝手。

 そして、()()もまた勝手だ。

 策を捨て、ただ愚劣に、愚直に斬り込む。眼前の純な剣豪に報いんが為に。

 競うのは戦術ではなく、ただ一剣のそれ。精妙なる運剣であり、鋭敏なる剣速であり、不退転の覚悟。

 

「呵々、くっふふふ!」

 

 そういう愚かなことが、したくなった。

 

「……」

『――』

 

 瞬きを忘れ、見据える。見据えられる。

 一足一刀の間合にて、静止。その時を待つ。来るその瞬機を。

 

「…………」

『――――』

 

 風が凪ぐ。暗雲に雪もない。音は全て、地表の白に食われた。ただ、静かで、枯れた林の連なりはむしろうら淋しく空虚。けれど胸奥は満ち足りていた。この時間には爽やかな歓びだけがあった。

 

 

 機は――――――――今

 

 

「ズァアッッ!!」

『■■■■ッッ!!』

 

 山肌を震わせ木霊する気勢。二種二色の戦気。

 劈く刃金の音色。飛び散った鉄片が雪を無数に抉る。

 

「……」

『――』

 

 そうして、曇天にほんの一筋陽が差し込み、くるりくるりと宙を躍る白刃を照らした。

 太刀の刃先、一尺ほどの鉄の棒きれが墜落し、程なく雪原に突き刺さる。

 それを待っていたかのように、直後。音もなく、左の手首が雪に没した……純白の籠手諸共に。

 剣速は互角だった。

 運剣の()()我方(おのれ)が優った。

 ただそれだけの、単純な決着。

 

『……ミゴト、ダ』

 

 風鳴りめいた音声(おんじょう)が面頬の下から響く。

 純白の武者は半欠けの太刀を地面に突き立て、その場に両膝を付き正座した。

 そうして兜を俯かせ、その下の首をこちらへと晒す。

 その様、その姿は、まさに。

 

首級(くび)をとれと言うのか」

『…………』

 

 無言のままに肯定を示す。純白の武者はまたしても不動を貫く。その覚悟の程を表すように。

 なるほどそれは戦場の、武人の習いに他なるまい。死力を尽くした死合いに敗北した者が潔く、慈悲すら請わず、粛々と宿敵の手柄に身を窶す。それこそは武の礼法。

 だが。

 

「要らん!」

『…………』

「何故に、か? くくっ、この身は下賤な冒険者の剣士だぜ。武人の美徳なぞ知らねぇのさ」

 

 そう言って、呵々大笑する。

 そんなこちらを呆気に取られた風で見上げる武者。その恐ろしげな鬼の面が、今やなんとも間抜けというか愛嬌たっぷりというか。

 

「魂震う善き立ち合いであった。感謝する」

『――――』

 

 残心を解き、一礼する。

 血振るいし、刃を納めようとして、納めるべき鞘が彼方に放り捨ててあったことを思い出す。

 

「いけね。ウィズに怒られっちまう」

「ジンクロウ!」

「おう」

 

 離れた場所で動静を見守っていたカズマ達が、決着を見て取って駆け寄ってくる。

 そうして先陣切って来たのはカズマ、ではなく。

 

「プゥークスクスッッ!! 冬将軍がなんぼのもんかしら!!」

「うわすんごいドヤ顔。鬼の首獲ったみたぁい。しかも獲ったの自分じゃない癖に」

「はっ、肝心の首級はとっちゃいねぇがな」

「よくも女神であるこの私に土下座なんてさせてくれたわね!?」

「全力で自分から行ってたよね? 地面に向かってフルダイヴかましてたよね?」

「ありゃ近年稀に見る土下座の中の土下座であった」

 

 がなり立てるアクア嬢に逐一小言を付け足すカズマの律義さを面白がりつつ。

 遅れてダクネスと、それに背負われためぐみんが到着した。

 気を利かせて拾っておいてくれたのだろう。ダクネスの手には刀の鞘が握られていた。

 

「ジンクロウ! 大丈夫でしたか!?」

「応さ。この通り、ぴんぴんしておる」

 

 開口一番の娘子の心配満面に、柔く笑みを返す。それに驚き、哀しみ、遂には呆れて、めぐみんは弱々しく笑みを浮かべた。

 運良く勝ちと命を拾った。その結果は良かったのか、それとも悪かったのか。

 どちらとも判らぬ。判らんが、生きて、こうして童の頭を撫でている。それだけは確かに、幸いと言えるだろう。

 

「……まったく、どうしようもない人ですね。ジンクロウは」

「そりゃ手厳しいな」

「ふふ、甘んじて受け取るしかないだろう。戦いの最中の、めぐみんの心配し様と言ったら」

「わ! わ! ダクネスッ!?」

 

 かっと赤面してめぐみんはダクネスの肩をゆさゆさと揺さぶる。なんともはや、微笑ましいこと。

 刀身を納め、その光景に笑んでいた。

 

「二億エリスよ!!」

「あん?」

 

 不意に、一際大きくアクアが叫ぶ。この世で至上無上の重大事と言わんばかりに。

 

「だぁかぁらこいつ!! 冬将軍の賞金よ! 特別討伐褒賞として二億って大金がこの首に掛かってるの!」

「マジか!? あのデュラハン馬、もとい魔王軍の幹部クラスで賞金額三億だったよな……?」

「冬将軍は雪精にさえ手を出さなければ人にも魔物にも基本的に干渉してきません。それでも、その強さだけで多くの冒険者達に恐れられ、賞金額を跳ね上げている珍しい例です」

「王国精鋭の騎士団ですら戦闘を避ける、ある意味特異点のような存在なのだが……」

 

 じ、と。四対の目玉が己を見る。まるで珍獣にでも出くわしたような色の目だ。

 そそくさと視線を明後日へ、空模様なぞ眺めていた時。

 ふと、思い付く。

 

「アクア嬢」

「なによジンクロウ。言っとくけど二億は山分けにするんだから。それでも一人頭四千万よ! 四千万!! 四千万分のシュワシュワ……んん~!! 飲み切れるかしら!? でゅふ、でゅふふふふふ!!」

「かかかっ、景気良く皮算用してるとこ悪ぃがな。ちと頼みがある」

「えぇ~なによー」

 

 不承不承のアクアに、拝み手一つ。

 

「この者の手首を繋げてやっちゃくれんか」

「あぁそんなこと? 別にいいわよ…………って、はい?」

 

 切断したてほやほやの手首。生身とは勝手も異なろう。なにより……この呪物による傷だ。異能を用いてはおらぬとはいえ、果たして……。

 だがしかし、正真にして正銘なるこの癒しの女神様ならば屹度為し遂げてくれよう。

 

「ジンクロウ」

 

 凝固するアクアを後目に、物問いたげなカズマを見やる。

 

「もとよりこの土地を侵略し、そしてこの者の同胞を手に掛けたのは我らよ。その仇を討たんとする気概を、この上圧し潰し首まで奪ったとあっては正しく人道に(もと)ろう。さしもの刃金狂いとて心が痛む……」

「……」

 

 胸を押さえ、首を左右し目を閉じる。良心の呵責を全身にて表現したつもりだが。

 少年には今一つ不評なようで、呆れ深いジト目が己を見ていた。

 

「というのは建前でな」

「うん、だろうね」

「彼奴の如き剣豪、斬るには惜しい」

「…………はぁぁあ」

 

 たっぷりと、肺腑の根の底の底まで息を吐き出して、カズマは下を向いた。

 そしてすっくと居直り。

 

「勿体ねぇなぁ二億!!」

「くっ、ふふははははっ。ありがとうよ、御頭殿」

「言ってろ」

「ちょっカズマ!? 本気!? ホントのホントに!? 二億エリスよ二億エリス!? ねぇ!? ジンクロウも!? めぐみん!? ダクネス!? ねぇったらぁー!!」

 

 ぎゃあぎゃあと叫び騒ぎ駄々を捏ね地団太を踏み地面をのた打ち回るアクアを、どうにかこうにか宥め賺して治癒を施す。

 相応の時間を要したものの、無事その手首は繋がった。それを不可思議とばかり、しげしげと眺める武者に背を向ける。

 

「ではな」

『…………』

 

 背中に触れる視線に擽られながら、我らは帰路を歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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