この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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4話 酒は飲んでも

 

 日も暮れ、酒場がいよいよ賑やかさを増していく時刻。

 だのにそのテーブルだけは、ひどく静かだった。

 いや、打ち沈んでいる。そう表現してもいい。

 

「……なぁ」

「…………」

「なぁ、おいリーン。いい加減元気出せよ」

 

 ダストは酒盃を対面に座る少女に勧めた。

 少女は何も答えない。礼を言うでもなく、さりとて拒むでもなく、ただじっと俯き、膝の上で握り合わせた自分の手を見詰めていた。

 ギルド併設のこの酒場に着てからかれこれ一時間にもなる。その間、リーンは一言も発することはなかった。

 なおも何か言いたげなダストを隣からキースが諌めた

 

「ダスト、そっとしといてやれよ」

「いやだって……」

「無理もない。実際、俺も暫く引き摺りそうだ……」

 

 そう言ってテイラーは酒盃を呷ると、その苦味に顔を顰めた。

 ゴブリン退治。経験の浅い新米冒険者でもこなせる、言ってみればちょろい依頼の筈だった。アクセルから程近い山林、土地勘もある。パーティの平均レベルも上がり、実力だって着いてきた。順風満帆。何もかも上手く行く。どこか浮付いた心地。

 きっとそれを世間では油断と呼ぶのだろう。

 そして、丁度このレベル帯のパーティなのだそうだ。初心者殺しという憂き目に遭うのは。

 ゴブリン、コボルドといった低級モンスターを追い立て、それを狙ってやってきたやや位階の高いモンスターや冒険者を待ち伏せ捕食する狡猾極まるモンスター。

 弱い餌で弱い獲物を釣る。故に着いた渾名が『初心者殺し』。

 今日、テイラー達は正にこのモンスターと行き遭った。彼らの力量では、正面から戦えばまず勝ち目のない相手だ。一も二もなく彼らは逃走とクエストリタイアを選んだ。

 

「あたしの所為だよ……」

「リーン……」

 

 しかし運悪く、逃げ遅れたリーンが手傷を負わされ、さらにパーティからも逸れてしまった。その時点で既に生存は絶望的。パーティとしての生還を第一とするなら、諦めるより他に道はない。

 ――彼らは、諦められなかった。短くない時間を共にした仲間を見捨てる、その合理性を受け入れられなかった。

 たとえそこにあるのが仲間の無惨な亡骸でも絶対に連れて帰る。そう覚悟して、山道を再び戻り。

 そこには、果たしてリーンがいた。傷を負いながら、それでも彼女は生きてそこにいたのだ。すぐ目の前には初心者殺し。今まさに襲い掛かろうかという気勢。

 そしてそれを阻む一人の青年。

 

「あたし、あの人に助けられた。命を救われたのに……なのに、それを見捨てて逃げるなんて……!」

「あの時はそれしか方法がなかった。俺達全員で掛かって行っても……」

「下手すりゃ全滅だろうな」

「……」

 

 だから納得しろ、などとこの場の誰も口にはしなかった。

 偶然に出会ったというその青年は、一切の逡巡もなくリーン達を逃がす為に一人その場に残り、初心者殺しの足止めをしてくれた。

 その後どうなったかは分からない。現場を確かめようにも、迂闊に近寄って同じ轍を踏まぬとも限らないからだ。所詮冒険者稼業は自己責任。モンスター討伐に出掛けたきり二度と戻らなかったなんて話は日常茶飯事である。

 頭では解っている。解っているのだ。

 

「お礼だって言えてない。名前すら、聞けなかったっ……っ……」

 

 リーンはとうとう堪え切れず、わっと両手で顔を覆った。低くくぐもった嗚咽が、酒場の喧騒に溶けて消える。

 誰も何も言えない。普段は五月蝿すぎるくらいのダストでさえ、押し黙ってテーブルに視線を落としている。

 自分達は、名も知らぬあの青年を犠牲にして生き残ったのだ。

 その事実が重く、背中に圧しかかってくる。痛みが胸を衝く。拭えぬ罪悪感がタールのように溜まり凝り固まっていった。

 暗澹たる心地でダストが酒盃を傾け、既に中身がなかったことに気付く。舌打ちし、給仕を呼ぼうとして。

 す、と正面から酒瓶が差し出された。

 

「おいおい、どうしたこったその暗ぁい面ぁ。まるで誰かの通夜みてぇじゃねぇか」

「え」

 

 そう言って、リーンの傍らに立つその青年はダストの酒盃になみなみ酒を注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 酒場に入ってすぐ、見覚えのある顔を見付けた。昼間に山の林で会った者達である。

 初対面はほとほと急場で、話をする暇もなかった。丁度良い。改めて挨拶の一つでも。

 そのように思い近付いて行って見れば、その卓だけがすっかりと打ち沈んでいる。周りでは酒精の入ったむさい男達が肩を組んで歌い、かと思えば少女が水芸などやり始めたではないか。

 乱痴気の中で、暗鬱な彼らはひどく浮いていた。

 だから、という訳でもないが。

 

「おいおい――」

 

 こちらの軽口に対して、彼らの反応は劇的であった。

 傍らの娘など、自身を見上げてぽかんと口を開けたまま停止してしまった。まあ男共の様も、大なり小なり似たようなものだが。

 

「かっは、なんだなんだ。今度ぁ幽霊でも見ちまったって面だな」

「……生きて、るの?」

「死んでるように見えるか? 足だってこの通り、ちゃぁんとあるぜ」

 

 信じられない。娘の顔にはそのように書いてある。

 しかしその不信も、程なく氷解した。目に見える事実ならば受け入れる他あるまい。

 そしてその事実は幸いにして、この娘にとって悪い報せではなかったらしい。

 つつ、と一筋零れ出た涙は、その後はもう一気呵成。ぼろぼろと溢れ、同時に娘の顔がくしゃりと拉げる(・・・)

 

「ぅ、っ、あぁ、あぁぁぁぁ! よ゛がっだぁ……! いぎでだぁぁぁ……!」

「おぉうととと。ははっ! なぁんだい。何故(なにゆえ)泣く」

「だっで、わ゛だじのせいであぶないめにっ、あっで、ずごくごわいおもいして。でもあなだが、だずげでくれで、なのに゛あな゛たがしんじゃったかとおも、って……!」

「ははぁ、そうかい。うん、うん」

 

 半分ばかり何を言っているのか分からないが、何を言いたいかはなんとはなしに伝わってくる。背中を擦ってやると、嗚咽も少しはマシになった。ただでさえ年若く見えた者が、もはや童女の有様である。

 すると、呆気に取られていた男共もようやく正気を取り戻し始めた。

 

「あ、あんた無事だったんだな!」

「おうとも、お蔭さんでな。おぅそうだ坊主、返すぜ」

 

 腰に佩いていた小剣をひょいと放る。対面の金髪男は慌ててそれを抱え込んだ。

 

「あっぶね!? いや、ってかなんで生きてんだよ!? あの状況から生還できるもんか普通!? ぶっちゃけよ、俺もう絶対死んだもんとばかり……」

「びぇぇぇぇぇん!!!」

 

 耳を高音が貫いた。娘っ子がまたぞろ泣きじゃくり始めてしまった。

 弓手の男と大剣の男が耳を塞ぎながらに金髪を睨む。

 

「馬っ鹿ダスト! 余計なこと言うからリーンがまた泣き出しちまったろうが!」

「こんのボケ!」

 

 咽び泣く少女の声は無論、酒場に響き渡っている。周囲の客が何事かとこちらを見た。

 

「おぉなんだ。またダストがリーンにセクハラでもしたか」

「ダストよぉ、いい加減リーンにちょっかい掛けんの止めてやれよ。好きな女子に悪戯する糞ガキのレベルだぞ」

「一マイクロだって脈がねぇのそろそろ気付けって」

「正直見てて滑稽っていうか……哀れ?」

「ダスト死ね!!!」

「うるせぇよ!! っつうか今死ねっつたの誰だコラァ!!!」

 

 乱痴気が戻ってきた。

 暗鬱な空気はもはや見る影もない。

 しかし、娘の背中を幾ら擦ってやっても、今度は泣き止む気配が見えない。どうして泣く。

 その理由は別段、おかしなことではない。ただその相手が、親しき友人でもなく、気心知った仲間でもなく、愛する想い人でもないことが不可思議なのだ。

 他人を慮って、こんなにも咽ぶ少女が、己は不可思議なのだ。

 

「さあさあ、それ以上はもったいねぇよ。こいつを飲んでな、おめぇさんの笑った顔を見せてくれぃ」

「ひっく……あり、っがとう……」

 

 杯を手に、少女は泣き笑いを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は本当にありがとう!」

「あんたは俺達の命の恩人だ」

「あぁわかったわかった。執けぇなぁおめぇらも」

 

 酒場を出てすぐ、キースとテイラーは深々とこちらに向かって腰を折った。

 飯を食い酒を酌み交わしながらずっとこの調子なのである。

 

「礼ならな、この通り十ぅ分に頂戴した」

 

 人差し指と親指で輪を作り、顔の前に傾ける。人様の奢りにかこつけてたっぷりと吞んだくれたばかりだ。これ以上は釣り銭を払わねばなるまい。

 

「ジンクロウ……」

「ん、なんだ」

 

 泣き腫らしたリーンの赤い目がこちらを見る。

 思えば要らぬ心労を掛けたものだ。近頃はなにかと心優しい娘っ子に縁があるらしい。

 リーンはなにやらもじもじと躊躇った後、不意にこちらの右手を取った。それが両手で包み込まれる。酒精が回ったのか、あるいは未だ幼い故か、娘の手はひどく熱っぽい。

 

「また、ね」

「おまっっ!?」

「黙れダスト」

「空気を読もうダスト」

 

 その手と同じか、それ以上に熱の篭った目と視線が交わる。娘は気恥ずかしげに微笑んだ。

 なんとまあ急転直下なこと。

 

「ああ、またな」

「うん」

 

 笑みを返し、踵も返す。

 快い者達との親交を得、年若い娘から憎からず想われる。なんともはや出来すぎた夜だった。

 目の端で地面に崩れ落ちる金髪が映る。

 

「元気出せよ。元から可能性ゼロだったんだ。何も悲しむことねぇって」

「そうだぞ。俺らには例の店がある。ほら優待券やるから立ち上がれっていろんな意味で」

「ちくしょぉぉぉおおお優待券ありがとう!!」

「かっははははは!」

 

 ああ、本当に良い夜だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あぁ、本当に最悪の夜だ。

 

「というか最悪の光景だ……」

「おぼろろろろろろ……」

 

 酒場を出てすぐ、連れの少女が催した。下ではなく上に。

 なにせようやく土木作業にも慣れてきて、日当にも色が付くようになったのだ。少しばかり羽目を外してどんちゃん騒ぐのは解る。酒場で親方と先輩大工達と鉢合わせ、意気投合してどんちゃん騒ぐのも解る。実際楽しかった。

 だからって毎回吐くまで飲むなや。

 毎回だぞ。異世界(こっち)来て土方やり始めてからこっち毎日だぞ。お前その日食ったもの口からひり出さなきゃ気が済まないの?

 

「うぅあぁ……あぁうんぜんぶ出た、もう大丈ぶろろろろろろろ……!」

「うわぁ……」

「カジュマぶろろろろもうちょろろろ上の方ぼろろろ擦ってべろろろろ」

「汚ねぇ!? こっち向くな! 吐きながら喋んな器用か!?」

 

 そして何が一番最悪って、仕事終わりの飯と酒が何よりの楽しみとか言う丸きりおっさんの如き糞泥酔者であるこいつが、実は女神だという現実である。

 

「俺、ファンタジー世界でなにやってんだろ……」

 

 真夜中の空に向かってこうして黄昏てしまうのは、一体何度目だったろうか。

 いや、生活費の為に毎日働くのに必死で考える余裕がないのだ。そんでようやく現実に立ち返るのがこの駄女神の駄目っぷりを目の当たりにした時だけという。

 ……無性に悲しくなってきた。これ以上考えるのは止そう。

 

「ほらアクア、もう帰るぞ。明日も仕事なんだから」

「うぃ~……」

 

 なんだか今夜の酔い方はいつにも増して厄介だ。脱力したアクアを肩に担ぎ、よたよたと歩き出す。

 足取りも危うく、すっ転びそうになった。

 

「うげ」

「おっと」

 

 二人仲良く地面にキス――とは、ならなかった。

 

「え?」

 

 いつからそこにいたのか。この狭い路地には、自分とアクアの二人だけだと思っていた。反対側から何者かがアクアを支えている。

 齢は自分と同じか少し上程度。黒髪で開襟シャツにズボンという普通の格好の青年。

 何故か。その普通に、ひどい違和感を覚える。

 

「大丈夫か」

「あ、うん。ありがとう。助かった」

「かまわねぇが、この嬢ちゃんのこの有様……」

「あぁ、まあいつもの事なんで……」

 

 呆れた口調の青年に曖昧な笑みで答える。恥ずかしいやら情けないやら。

 すると、青年は少し思案してからアクアを手近な木箱に座らせた。

 

「ちょいと待ってな」

 

 言うやこちらの返事は聞かず、足早にどこかへ行ってしまった。

 待てと言われて待つのも間の抜けた話だが、なんとなく動く気は起きなかった。

 大した時間も掛からぬ内に青年は帰ってきた。その手には二つ、コップが握られている。

 

「ほれ、水だ。嬢ちゃんに飲ませてやんな。こっちはおめぇさんの分だ」

「おお、ありがとう!」

 

 差し出されたコップを受け取る。氷水を注いだのか、そう所謂キンッキンに冷えてやがるッ! 状態だ。

 座りながらもふらふら安定しないアクアを捕まえてコップを無理矢理口に押し付けた。それでも意外に飲んでくれるものだ。こくこくと喉を鳴らし、結局全部飲み干してしまった。

 ようやく自分も水にありつく。

 火照った身体にお冷が沁みる。美味い。

 

「かはは、気持ちのいい吞みっぷりだがな。いっかな百薬の長とて過ぎれば毒だぜ」

「うん、まったくその通り……」

 

 飲み終えたコップを返し、アクアをまた担ぎ直す。すると当然のようにもう片方の肩を青年も担ぎ上げていた。

 

「手伝ってくれんのか?」

「お節介の押し売りだ。安くしとくぜ」

「金取んのかよ!」

「かはっ、ただの軽口よ。本気にすんなぃ」

 

 また、違和感。

 悪戯っぽく笑う青年の様は年相応のような、不相応に老獪なような、奇妙な印象を齎した。

 ところで、よくよく考えると転生以来こんなに親切にされたの初めてかもしんない。

 あ、ちょっと泣けてきた……。

 

「おぉい、いきなりどうした」

「うん、ごめん。こっちのことだから気にせんといてっ……ゴホン、あぁなんかいろいろありがとうな。ってさっきからありがとうばっか言ってる気がする。俺は冒険者のカズマ。あんたは?」

「俺かい? 俺ぁジンクロウってもんだ。冒険者にゃ今日なった」

「今日!?」

「おうとも。なりたてほやほやよ。ははは」

「……ま、俺だって似たようなもんか。新米同士よろしくな、ジンクロウ」

 

 こうして俺は、シノギ・ジンクロウという男と出会った。

 異世界に来てから初めての男友達ってやつだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぶれろろろ」

 

 びっちゃびちゃびちゃと、最後っ屁とばかりに汚女神様はゲ○をぶちまけやがった。

 俺とジンクロウの靴の上に。

 盛大に、歓迎などしていないのに。

 

「……」

「……」

「…………酒は飲んでも飲まれるな」

「すんまっせんホントすんまっせん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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