この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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ネタバレ
めぐみんに責任取ってって言わせたいだけの話




38話 償い

 

 

 黒く暗い装いとは裏腹な、青みさえ帯びた白い相貌。そこに柔らかな笑みを湛える美しい女。

 ほとほと月光の似合う女だった。

 

「おう、有り難ぇ」

「ふふ」

 

 器を受け取ると、代わりとばかり酒瓶を奪われ、逆に女はその注ぎ口を向けてくる。

 有り難く、酌を頂戴した。

 そのままカズマに代わって右隣にウィズが行儀良く腰掛ける。

 

「お前さんもやりな」

「あ、はい。ありがとうございます」

「なんの。わざわざ足労掛けた上に、水だけ飲ませて帰す訳にゃいかねぇんでな」

「あははは……アクア様の触れた液体は例外なく聖水になってしまうようで。墓地に撒けば、たとえ百を超える迷える魂達すら天に導けるでしょうね」

「そらまた御大層だな」

 

 そうしてもう一つ、ちゃっかり用意していた女の盃にこちらから酌をする。ウィズは軽く盃を掲げ、己もそれに応じた。

 注文の“品”を店主手ずから運び届けてくれたのだ。この程度を謝礼と呼ぶには些か心許ない。

 

「……ふぅ、おいしい」

「くく、顔に似合わずいける口だな」

「えぇっ、そ、そうですか? うーん冒険者時代はこういう付き合いも多かったので、やっぱり多少は……」

 

 照れた様子で話をしながらも、ウィズは早々に盃を空にしていた。

 下戸に無理強いをするような憂いも消えた。心置きなく、二杯目を勧める。

 不意に、ウィズが目を細めた。

 

「……ふふふ、ぐっすりですね。めぐみんさん」

「部屋に戻って休めと言うのに案の定だ。まったく寝相の良い童だよ」

「ジンクロウさんに会えて安心したんですよ。ギルドからの道すがら、ずっと貴方のことを心配してらしたんですから」

 

 声音にやや責めるような響きを感じた。

 途端に口端を苦笑が滲む。それは一心、自ら我が身へと刺し向けた嘲りの針。

 ほんの一言、居所を伝える術は幾らでもあった。十と四日、何時なりと会いに出向くこともできたろう。

 それを怠った附けを背負い、気負ったのは、誰あろうこの子らだった。今ようやく安寧な眠りの中にいる、この娘だった。

 あどけない寝顔に親指の腹でそっと触れる。子供らしい熱と瑞に富んだ肌は白桃の表皮めいて滑らかだった。

 

「……ぇへへ……」

 

 にへら、とだらしなく解ける顔。一体どんな夢を見ているのやら。

 

「あぁ可愛いっ。まるで赤ちゃんみたいです」

「赤ん坊扱いは流石にこの娘もヘソを曲げるぜ」

 

 現に己がそれをやって怒られた。

 

「あはは……そうですね。もう、立派に女の子ですもんね」

 

 ひどく柔らかな笑みが女の顔貌を飾る。じわりと、肌身ではなく胸奥に満ちる日向のような熱。

 それは慈愛だった。

 そうして心向くままウィズは身を乗り出して、眠れる娘子の髪を梳き、撫でては慈しむ。

 乗り出す、というか乗り上がって、であるが。

 

「おいおい、ウィズ」

「はい?」

 

 己の左(あし)に頭を置いて眠るめぐみんに触れようと思うなら、右隣に座すウィズは必然己の右半身へ撓垂(しなだ)れ掛かることとなる。

 女は、どうしてか躊躇などしなかった。己の肩にその腕で縋り、己の右腿にその両脚ごと跨り、己の胸板でその豊かな乳房を潰す。極上の柔らが我が身を侵す。

 しかし驚くべきことに、この期に及んでウィズはこちらの忠言を理解しなかった。

 何か御用がお有りでございましょうか、とばかり。小首を傾げて薄く笑みを浮かべられるほどの間尺さえ使い、続く己の言葉を待っているのだ。

 

「お前さん、よく察しが悪いと言われんか」

「えぇ!? は、はい! 昔から友人知人関わりなく、親しい人には特によく言われます……ど、どうして分かったんですか?」

「おぉ、どうしてだと思う?」

「えっ、う~ん……」

 

 うんうん唸って、とんちきな素直さで考え込むこと十を数えた頃。

 とうとう痺れを切らしたのは、己でもウィズでもなく。

 

『引っ付き過ぎじゃぁあ!!』

「へ? あっ!? ひゅぃ、し、しゅみません!?」

 

 馬っころの怒声により、遂に、ようやくに、自身がどういう状態であるのかをウィズは覚った。慌てて女は身を離そうと仰け反り、そのままこてんと後ろに尻餅を突く。

 

「すみませんすみません! 不躾にその、だ、抱き着いてっ、私ったら、はしたないことをっ……!」

「いや、いや、そう謝られっちまうと己の方こそ身の置き所がねぇや」

『そうだそうだ! ウィズが気付かないのをいいことに人の目の前でイチャイチャにちゃにちゃとイヤらしい!』

「あ、ベルディアさん。まだいらしたんですか」

『おっほ~辛辣ぅ~⬆』

 

 一瞬だけ正気に戻ったものの、結局ウィズはまるで熟れた柿の実のように真っ赤な顔をした。

 水揚げ前の禿(かむろ)のようにおぼこい様。

 

「うぅ……」

「かかっ! 恥じらいを思い出してくれたようで安心したぜ」

「ご、ごめんなさい。お酒の所為でしょうか。気が抜けてて。ふ、普段はこんなことしないですよ!? ジンクロウさんが初めてで……あぁそのっ、へへ変な意味じゃなくてですね!?」

「わかったわかった」

 

 目を白黒させて言い訳を並べる()()。その美貌とは打って変わった愛らしさが、どうしても笑みを誘う。

 

「いや達ての御所望とあらば膝だろうが肩だろうが一晩でも二晩でも貸すに吝かではない。さあさあ遠慮は要らんぞ?」

「ふえ!? い、いえそのっ、そんな、困ります私っ、出会って間もない殿方と……でもぉ……」

 

 なにやらもじもじと指と指を捏ね繰っている。今や顔色は熟れ柿から茹蛸のそれへと悪化の一途。

 羞恥する美人は違いなく眼福保養甚だしといえど、少々揶揄(からか)い過ぎたな。

 

「や、すまんすまん。ほんの軽口……」

「じ、じゃあ肩をちょっとだけ……」

「あ?」

「え?」

 

 目を見合わせて、暫し互いに無言。しかし、言葉がなくとも理解するものもある。

 わなわなと唇を震わせるウィズは、遂に夕焼けの赤光を放つ。

 

「おう、いいとも。さ、こっちおいで」

「んんんんんんーーッッ……!!!」

「痛で、痛でで。はははっ! いやすまん。相すまんかった。悪い冗句だったなぁ。うむ、猛省する。な? だから許してくれぃ。ははっ、おぉ痛ててて」

「もぉ! もぉもぉ!」

 

 ぱしぱしと女はこちらの右肩を叩いた。なんとも控えめな力加減であったが、心の動揺はその比ではないと見取る。

 悪い癖なのは承知だが、こうも愛い表情(かお)を拝めるとあってはなかなか、やめられる自信は一向湧かぬ。

 

「…………」

「ん……胸を悪くさせたか? いや無理もない。こればかりは己の性質が悪かったな。この通り、御詫び致す」

 

 頭を垂れる己に、しかしウィズは呆れるでも悪態吐くでもなく、ただ木枯らし響く沈黙が流れた。

 おもむろに、視線が己を射貫く。

 

「ジンクロウさん。手を、見せていただけますか」

「……ああ、構わんよ。こんなもんでよけりゃ存分に眺めて」

「いいえ、左手を見せてください」

 

 続く言葉は切って捨てられた。この優しい女にあるまじき強い言動。

 有無を言わせぬ固い意思が、その瞳に宿るのを見た。

 些末な小細工や言い訳を幾らか腹の内で弄び、もとより無意味であると知る。

 観念無念。左手を差し出した。

 

「っ! そんな、なんで……!」

「……」

 

 今、己の両手には白帯が巻かれている。前腕から手首、掌までをがんじ絡めにして、五指だけが露になっている。

 今日も今日とて小忙しく働いた。滴った汗を拭う為と言い張れぬことはなかった。斧を振るって薪を割りこさえていたのだ。掌の皮膚の保護の為と言い張れぬことはなかった。

 しかし、どうか。今更嘘八百を並べてどうなるでもなし。失笑すら買えまい。呆れ、愛想尽かしに溜息でも頂戴すれば重畳。

 ウィズは、何れの表情も見せてはくれなかった。

 己の左手をその両手で包んだまま、目を見開いて惑乱している。

 

「オドが通っていない……血流も完全に滞ってる。体温が異常に低い……まさか、左腕全体が」

「肘から先だ。二の腕と肩に障りはない」

 

 悪戯を白状する童の心地とはこんなものだったかな。と、愚昧なことを考える。同時に、奇妙な懐かしさも。

 

「その()()ってぇのが無ぇことはそんなに拙ぃことなのかい?」

「あ、当たり前でしょう!」

 

 やにわに女は激昂する。

 当たり前のことであるらしい。なるほど、ならばこの場合、当たり前のことを阿呆のように聞き返した己が悪い。

 急ぎ左手の白帯を解いたウィズは、その下の有様を見て息を呑んだ。

 赤々と、掌を横断する裂傷。刃傷だ。

 

「不思議だろう。血も出ねぇのさ。痛みもねぇ。だのに腐って落ちる様子もねぇときた」

「もう……感覚も、ないんですね……」

 

 肯くと、女はまるでこの世の終わりのような顔をした。

 なんとも労しい。左手でそっと、女の手を握る。

 

「触れても感じられんというのは初めはなかなか厄介だったが、慣れちまえばどうってことはねぇ。きっちり動くし、こんな風にお前さんの手も握れる」

「……」

「だからそんな顔するなぃ。折角の美人が台無しになっちまう」

 

 お道化て見せても、ウィズの瞳は暗がりから戻っては来なかった。

 そこに滲むのはどうしてか、後悔。

 

「……どうして、こんな状態なのに、私、身体に触るまで気付けないなんて……!」

『ウィズが気に病むことはない。お前の目を今の今まで欺いたこの男の手管が異常なのだ』

 

 暗闇から赤い目玉がこちらを見ている。黒い馬となったベルディアが、うっそりと歩み寄ってくる。

 

『人の意識の裏表両面を衝く悪辣な手腕において、この男の右に出る者は居まい』

「褒められてんのか、俺ぁ」

『無論だ。その技量によって俺は貴様に敗北したのだからな』

 

 皮肉とも自嘲とも取れる妙な言い回しだった。

 不意に、馬がじっとこちらの掌を睨む。表情に乏しい馬面に、しかしありありと表れるものが、ある。

 

 ――――恐怖

 

『……ほとほと(おぞ)ましい切れ味よ。まさしく特級の呪物に相応しい。死した屍すら斬り殺し、飽き足らず仕手(つかいて)をも貪らずにはおかんとは』

「あの子が……でも、あの子はジンクロウさんのことを使い手として認めた筈です!」

『そうとも。認め、委ねたのだろう。だからこそこの男は、あの刃に宿る“敵を斬り殺す”という名の全能を行使できた。左腕の麻痺はその代償に過ぎない』

「代償なんて!」

 

 異形剣。そう名付けた、剣術にあらぬ殺人術。

 皮膚表層を斬り裂き、滴り落ちた血潮を刃が吸い上げ空間をも両断する()()斬撃を放つ……言葉にすれば如何にも陳腐だった。鼻息で笑い飛ばせる程度には。

 ただ、より正確にこの術の実態を理解しようとするならば。

 血は、媒介物に過ぎない。刃が啜るのはその紅い液体に含有されているあるモノ。

 曰く、魂という。

 生きとし生ける者共全てが肉体に宿す不可視の霊体。あるいは最も根源的な()()()

 かの妖刀は、それを喰らう。喰らうことによってその能力を揮い、喰らう為にこそ斬り、殺す。存在と機構が一体となった刃金。

 まさしく兇器(まがきもの)

 先刻承知の、今更検めるまでもない真実だった。

 

「刃の報いは己に返る、か……くっ、くふふ、至言じゃあねぇか」

「そ、そうです。アクア様に、本物の女神であるアクア様の御力なら、きっと治せる筈です!」

 

 文字通り天啓を得たとばかりに、女の暗澹としていた瞳に光が差す。

 しかし。

 

『無理だろうな』

「な、無理なんかじゃありません! アクア様は」

『あのプリーストの力は知っている。まあ、女神だとかいう話は初耳だが……それでもこの男の腕はどうにもなるまい。実体である肉体の欠損ならば治癒や蘇生の余地もあるだろうが、失ったのは非実体、魂の左腕だ。地上に零落した神如きに、そんな生命創造紛いの奇跡が起こせるのか?』

「……」

『そもそも、あの剣の呪力がそんな小細工を許すとも思えんが……』

 

 いやに実感の篭った声音でそう締め括り、嫌気を払うように馬が鼻息を吹く。

 ウィズは、両肩を落として俯いた。その細い肩にまさか自責など負ってはいまいか。

 

「ウィズよ。己とそこの馬っころは斬り合いをしたのだ。命を()り合った。容赦も、躊躇も、一分の情けも無く」

「……」

「それがこの始末だ。情けねぇったらねぇ話だ。一方は不覚傷、もう一方は畜獣に成り果てた。死ぬに死に切れず、恥を忍んで生き永らえちまった」

 

 もはや過ぎたことだった。笑顔で水に流せるほどの仏心はこの身になくとも。

 死に場所を惜しむような恥知らずな真似は、生き穢い自覚はあっても流石に気が咎める。

 故に、今この時は事実だけ見よう。

 何せ目の前に、童のように泣く女がいる。我が身に湧いた悲喜交々など腹の底にでも蹴り戻せばいい。

 

「仕損じた故、己は生きている。敵は身体を失い馬になった。そうしたことで出た()()は左腕の、半分ってとこか? かっはははは! 安上がりじゃねぇか。なぁ?」

『いや、斬られた上に馬にされた俺の方が明らかに過払いだと思うんだが』

「手前はカズの首を刎ねたであろうが」

『あの小僧はその後生き返ったろう!?』

「生き返るんなら殺しても良い、そんな法があると(のたま)うか。呵ッ、ならば貴様も精々畜生道に甘んじるがいい」

『ぐぬぬ……!』

 

 愉快な世間話に花が咲く。

 ウィズの痛ましげな視線に気付かぬふりをして。

 

「己もいずれは畜生か。それとも修羅か……まあ、地獄に行ってから考えるさ」

 

 事程左様に、笑い話よ。

 刃金を振るう殺戮者共の下らぬ末路を嗤うのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィズは荷物を置き、そのまま帰っていった。

 夜も深いこの時刻、それでも夜の似合う女は委細構わず闇の中に溶けて消えゆく。ほんの一筋、光るものを零して。

 

「……悪ぃことしちまったな。ほんに優しい女だ」

 

 三尺ほどの横長の木箱に納められていたのは、黒漆の鞘。

 力を増した妖刀を封じ、鎮める為には、新たに強力な術を鞘に仕込む必要があった。おそらく、これから先、延々と繰り返していかねばならない。

 なるほど確かに、己はあの店の御得意だ。

 

「さて、いい加減中に入らんか。なぁめぐ坊」

「…………」

 

 一瞬、迷うような気配が腿から伝わったが、娘は観念してすっくと身を起こした。

 

「いつの間にか静かになったな。他の連中も寝入ったか。そらそら、冷えるぞ。毛布を忘れんな」

「……ジンクロウ」

「ん、なんだぃ」

「私は、怖くなんてありませんから」

 

 俯いたまま娘は言った。垂れ下がった髪に隠され、表情も、瞳も、見えない。

 

「ジンクロウが過去にどんなことをしてても、ジンクロウが……どんな風になっても、怖くなんてありません。嫌いになんて、なりません。ずっと、ずっと……だから」

 

 娘は立ち上がる。屹度、真っ直ぐ床に落ちた視線、その目から涙を落として。

 

「黙って居なくならないでっ、ください……!」

 

 踵を返して、顔を背けるようにめぐみんは障子戸を開き室内に消える。

 その敷居を跨ぐ寸前、ぽつりと一言。それはそれは痛烈な。

 

「拾った責任、取ってください」

 

 

 

 

 

 


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