ちらちらと揺れながら白い綿毛が落ちてくる。鼠色の雲間から零れて舞って風に揺られて。
降ったり止んだりを繰り返しながら、疎らな雪の日が続いていた。もう、かれこれ二週間。
優しい秋はお仕舞いだとばかり、骨身に凍みる冬がひっそり始まった。
そうだ、
そうして自分の言葉の説教臭さを笑うのだ。あいつは。
「……二週間、か」
「ぶえぇっくしょーい!! んあ゛ぁ? あんかいっひゃカジュマ~?」
くしゃみと共に盛大な鼻水を噴出するアクア。そんなきったない女神から距離を置く。
早朝の馬小屋前の丸太椅子、アクアと二人、焚火の前で必死に身体を縮こまらせている。珍しい晴れ間が災いして朝方の気温はおそらく氷点下。芝生にはきっちり霜が降りて、起き抜けは凍死を覚悟した。
寒い。マジ寒い。死ぬほど寒い。
ガタガタ震え上がる俺とアクアを、馬の世話なんかしながら笑う男の姿が……今はない。
ジンクロウが俺達の前から姿を消して半月くらいが経った。
ギルドの集会所には暖炉がある。馬小屋なんかに比べれば居心地は格段に良かった。だからだろう。ギルドには早朝にも関わらず冒険者がごった返している。
まあ、文無しは往々にして宿無しであるので、冬場、特に今日のように寒さ厳しい時期など、馬小屋や無人のあばら屋を間借りしている冒険者達の出勤時間はめちゃくちゃ早い。
俺やアクアもその例に漏れず、ギルドの門扉に飛び込んだ。かじかんだ手が、室内の暖気に溶かされて痒いやら痛いやら。
「……お」
「あ」
扉を潜ってすぐに、酒場のテーブル席に座るとんがり帽子が目に入る。その下の眼帯と紅い瞳に視線がぶつかった。
湯気立つカップを両手で包んでぼんやりしていたのは、爆裂娘めぐみんだった。
「おはよう、めぐみん」
「ぶえっくしゅい!! あぁっくしゅいぃちくしょうめい!! め゛ぐびんおばよヴ」
「お、おはようございます。鼻水すごいですよアクア。はい、塵紙」
「ありやとーめ゛ぐびん……ぶぴぃぃいいい!」
「なぁ、お前今日冒頭から鼻水しか出してないぞ」
「んあぁ~、スッとしたー!」
いっそ清々しいくらいきちゃないアクアを放って、とりあえずめぐみんの向かいに座る。
「……討伐系の依頼、増えてきたな」
「ええ、例のデュラハンが居なくなって、モンスターが戻ってきたんでしょうね」
「あー」
「……」
「……」
会話終了。
……いやまあ、今のは身のある話を振らなかった俺が悪い。別に世間話に花を咲かせに来たわけではないし、長続きしない会話に今更気まずいとか思うような相手でもない。
本題は、ある。一応。近頃のトレンド的なやつが。
「今日も探すのか」
「私は探します。カズマは嫌なんですか」
「嫌とは言ってないだろ。ただ、討伐依頼があるんなら久しぶりに受けてもいいかなーってさ」
「ではカズマ達だけでどうぞ」
堅い声音でそう言うと、めぐみんはマグカップに視線を落とした。それ以上の問答を拒むみたいに。
頑なだった。態度も雰囲気も目も何もかも。取り付く島もないし、歩み寄りの余地もない。ジンクロウの単独行動にご立腹だった時とは違う。怒りよりもずっと後ろ向きで、子供の駄々や我儘に似ているがそれともまた違う思い悩み。重い、悩み。
あの日、俺達は俺達の知らない“ジンクロウ”を知った。
それは普段の剽悍で、軽妙で、大人というか年寄り臭いお節介焼きの青年ではなくて……ひどくおそろしい、誰か。
自分自身、その姿に足が竦んだ。たじろいだ。誤魔化しようもないくらい、こわかった。
そして、そんな青年の変わり様に俺達四人の中で一番怯えたのは、めぐみんだった。
無理もないと思うし、ビビりまくっていた自分にそれを責める権利もない。ただ、そういう理屈が通っていたとしても、めぐみんは納得できないのだろう。爆裂魔法に対するエキセントリックな言動と行動を差し引いてしまえば、この少女は年相応、もしかしたらそれ以上に人間関係の機微に敏い。繊細だ。多分、年齢不相応に利口なのも災いして。
「無理に協力してくれなくてもいいです。私一人でやります」
慕ってた、なんて言い方は仰々しくて好きじゃない。懐いてた、と言った方が印象はしっくりくる。めぐみんはジンクロウに滅法懐いてたし、ジンクロウもジンクロウでめぐみんを特別猫可愛がりしてた節がある。十三、いやもう十四だっけか。この世界では一人立ちの年齢らしいが、ジンクロウからすればめぐみんは十二分に世話を焼かずにはいられない幼い子供に違いなく。
青年の優しさに誰よりも近くで触れていためぐみんだからこそ、その変貌の衝撃は並大抵ではなかったろう。
だが何よりこの少女が気に病んでいるのは、青年の変化なんかではなくて。
「私はもう……平気ですから」
その変化に、怖気づいたこと。あいつを“こわい”って思ってしまったこと。それがきっと、後ろめたくて仕方ないのだ。
「あ~、え~、の~、う~……だぁああもう!!」
「ちょっとちょっとカズマ、いきなり大声出さないでよ。私達まで変な人みたいに思われるじゃない」
「お前に関してはもう手遅れじゃ! それに……」
守ろうとしてくれた。……結果として、青年は間に合わなかったのかもしれない。自分は首を落とされて、二度目の死ってやつを味わった。けど、あいつは自分の死に、豹変してしまうほど怒り、怒り抜いて戦ってくれた。そんなジンクロウに、そんな人に、俺は。俺は。
言うべきことは他にあった。もっと言いたいことがあった。なにより、言わなくてはいけないことが、あった筈なのに。
なのに。
……そんな思考がぐるぐると巡っている。この二週間、ずっと。
きっと、めぐみんも。
同情する。文字通りに、これに限っては同じ気持ちを共有できてると確信できる。あまり嬉しいことではないけど。
でもな。
「叫びたくもなるわ! やいロリっ子! そうやって拗ねてイジけてたって何も解決しないからな!? 泣こうが落ち込もうが今日も明日も明後日も俺達ゃ食っていかなきゃなんないんだよ! どっかの自称女神のアホの所為で貯えだって! ないし! な!!」
「いだっ!? あだっ!? シッペやめっ、やめなさっ、お願いやめてカズマさぁん!?」
八つ当たりにアクアの腕を捕まえてバッシバッシ
「……そんなこと、わかってます。だからこそジンクロウを探してるんです。我が爆裂魔法が最大限の力を発揮するにはジンクロウが必要なのです。絶対、絶対、必要だから……だから……」
「そうやって一生あいつにおんぶにだっこで行く気かよ。俺達は同じパーティ組んでるメンバーだ。けど、家族じゃない。友達同士の仲良し倶楽部じゃないんだ。依頼を受けて、稼ぐ。冒険者なんだよ」
「わかってますよ!!」
椅子を蹴倒して、めぐみんは叫んだ。店中の視線が俺達に突き刺さるのを感じるが、今は無視する。というか知ったことか。
紅い目がこちらを睨んだ。薄く濡れて光る大きな瞳が。
「わかってます……! わかり、ますけど。でも、私は……このままは、嫌なんです」
一度唇を噛んで、めぐみんは俯いた。
「このまま、こんな別れ方で、私とカズマとアクアとダクネスと……ジンクロウの。五人の、パーティが終わってしまうのは、嫌ですよ……!」
「……」
「…………もし、これで終わりだとしても……なら、せめて、最後でも……ジンクロウに何か言ってやらないと、気が済まないじゃないですか」
――――じゃないと、何も始められません
そう言って一滴、涙がテーブルに落ちた。
めぐみんは乱暴に袖で顔をぐしぐしと拭う。案の定赤く腫れた目元が、なんとも痛々しかった。
「……カズマはこのままでいいんですか」
「勿論、いい訳ないだろ」
努めて憤懣を込めて顔を顰める。
「しょーがねぇーなぁー。なら、今日も探すかーあの唐変木。まったくどこほっつき歩いてんだか。街を出た、なんて噂はちっとも聞こえてこない癖になんでこう尻尾も掴めないかなー」
「……」
「んだよ」
頬杖を突いてめぐみんを見上げる。
ぱちくりと瞬きすること数秒、赤い半目が自分を見下ろす。
「……結局カズマだってそのつもりだったんじゃないですか」
「ねぇカズマ。男のツンデレとかキモいだけだからやめた方がいいわよ?」
「うっせうっせ!」
ここぞとばかり赤と青の小娘共が全力で小馬鹿にしてきやがる。
そうだよそりゃ探すわ。探さないでか。あの野郎にはまだまだこれからもこのパーティで働いてもらうのだ。てかこんな駄狂変態三人娘を自分一人に丸投げなんぞさせねぇ。今更逃げられると思ったら大間違いだ。ノルマは一人1.5人で折半ってもう決定してるから。変更不可だから。
「素直じゃないですね」
「素直ですぅ。素直に事故物件の処理をあいつにも押し付けたいだけですぅ」
「ふふっ」
あの日以来、こんな風にめぐみんが笑ったのは初めてかもしれない。本当に子供のご機嫌取りも楽じゃないぜジンクロウ。
よっこらせ、と椅子から立ち上がり肩を回す。アクセルの街は広い。また脚を棒にして歩き回らなきゃならないのだ。
「東の方の裏通り。空き家も多いから食い詰めた冒険者が結構集まってるらしいぞ」
「なるほど、身を潜ませるには好都合ですね。川沿いを探索しようかと思ってましたが、そっちの方が可能性高そうです」
あいつの消息はちらとも知れない。日雇いの傍ら、日毎にパーティメンバー手分けして街の中を探してみたりしたが、未だに手掛かりすら見付からずにいる。
街の正門(跡地)に詰めている番兵の人には小まめに確認しているが、今のところジンクロウらしき青年の目撃情報は無い。
つまり、少なくとも街から去っていったなんてことはない……筈、たぶん、きっと。
人知れず、人目を忍び欺いて姿を消すくらいあの男なら造作もなくやってのけてしまいそうではあるが。
「ダクネスは今日も来ないか」
「鎧の修理は終わったらしいんですが、他に用事が出来たとか……」
「ふぁ~……ね~私はギルドで留守番してていい~?」
席を立ち、めぐみんとあれこれ相談を打ち、アクアのぼやきは無視して歩き出す。
下手な考え休むに似たり、本当に至言だと思う。やる事を一つ決めてしまえば気持ちは遥かに軽くなった。頭と胸奥の蟠りは消えなくても。
待ってろ、ジンクロウ。必ず見付け出して、ここ半月分溜まりに溜まった文句を全部浴びせ掛けて――――
「キャッ」
「うわっと!?」
なんて下手な考えを弄んでいた矢先、完全な前方不注意だった。
扉の脇に鎮座する彫像の影から人が一人飛び出して来た。注意散漫の自分にそれを避けられる訳もなくて。
軽く肩と肩がぶつかる。小さな悲鳴と共にその人影は半歩ほど後退った。
「す、すみません!」
「あ、いえ! こっちこそ」
「なにやってるんですかカズマ」
めぐみんの呆れ声に反論も出来ない。へこへことこちらが頭を下げると、その人はいかにも恐縮して片手を左右にぶんぶん振った。もう一方の腕には、なにやら細長い箱を抱えている。
いやに黒い装いだった。黒、いや暗い濃紫のマキシ丈ワンピース。肩には同系色のカーディガンを掛けている。
ウェーブがかったロングヘア、前髪が片目を隠しているのもチャーミングだ。
透き通るような白い肌。細い顎のラインの中に、落ち着いた印象の目鼻立ち。薄幸というか影のある雰囲気を絶妙なエッセンスにした、有体に言って物凄い美女だった。
何より、地味な色合いの服に包まれた派手過ぎる凹凸の肢体。修道女、というかもはや喪服のような暗い装いにそのナイスバデーは凄まじいギャップである。
だからその二つの
「あ、あのぉ……?」
「いやー失礼しましたお嬢さん。お怪我はありませんでしたか?」
「え、あ、はい。大丈夫です」
「そうですかそれは何よりです。貴女のような美しい人に傷一つでも付いたらそれは世界の損失でしょうから」
「へ? あ、あははは……それは、どうも」
「鼻の下が伸びすぎて猿みたいですよカズマ」
「そんな慣れないセリフ、よく恥ずかしげもなく言えるわね。似合わな過ぎてキモいんですけど……うっ!? くっさ、くっさ!?」
「忌憚の無い意見ありがとうコノヤロウ共!」
すっかりいつもの調子を取り戻した爆裂娘となんか後半やたらdisってくる女神に、振り返り様チョップをくれた。
綺麗なお姉さんは俺達に会釈して、そのまま受付カウンターの方へ向かった。
うむ、ヒップラインも実に素晴らしい。
「いつまで凝視してるつもりですか……」
「出来ればこのまま四六時中」
「バカ言ってないで行きますよ! ほら!」
「えぇ~」
「っ? っ??」
アクアの如くやる気を喪失させる俺にめぐみんが容赦なく蹴りを入れてくる。
当のアクアは、何故か首を捻りながら鼻をひくつかせていた。なにしてんだこいつ。
ともかく不承不承、俺達は今日もまたジンクロウ捜索行へ繰り出そうとした……。
「あの、ジンクロウさんは今日こちらに来てますか?」
「ん?」
「え?」
「ほえ?」
のだが。
「剣士の、シノギ・ジンクロウさんのことでしょうか? いえ、今日は……というか、ここ最近はギルドで受付された記録もありませんね。見掛けたという話も聞きませんし……」
「う~ん、そうですか」
「……ところで、差し支えなければ、なんですが。その、ウィズさん」
「あ、はい」
「ジンクロウさんとは一体どういったご関係でしょうか。出来れば詳しくっ、可能な限り細かく! 一から百まで順番に!! 教えていただけますか???」
「ひっ!? ど、どうしたんですか!? なんでそんな詰め寄ってくるんですか!? わ、私なにか不味い事をしちゃいましたか!?」
カウンターから身を乗り出した受付嬢さんが対面のお姉さんにずずいと迫っている。何が、とは言わないがばるんっ! と零れ落ちそうな勢いで。
いやいやいやそっちはひとまず置いといて。
今、あの喪服のお姉さんは確かに言った。
「やっぱり冒険者同士でくっ付くからこの街の受付嬢はもてないんでしょ!? そうなんですね!? 抜け駆けですかウィズさんまでぇ!!」
「ひぃぃい!? ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!?!?」
「あ、あのー……」
「! た、助けてください通りすがりの方ぁ!!」
なんか鬼のような形相で受付嬢さんはお姉さんの両肩を掴んでがっくんがっくん揺らしている。このままいくと首の骨がぽっきり逝きそうな勢いだった。めっちゃ怖い。やばい関わりたくない。
しかしめぐみんとアクアが背中を押してくる。自分は絶対に矢面に立ちたくないという強い意志を感じる。この、こいつら……!
「えっと、お姉さんは、その、もしかしてジンクロウの知り合いなんですか?」
「そ、そうです! 私のお店のお得意さんで……」
「お店!? やらしい店!? アクセル風営法違反!? そのエロい身体で彼をモノにしたのね!?」
「魔道具店です!! 出店許可の届け出しましたよね!?」
「やっぱり床上手が全てなんでしょ!!」
「話聞いてくださいお願いしますぅ!!」
「…………」
小一時間続いたとさ。
「はぁ、はぁ、ふぅ、こ、こわかったぁ……はぁ、はぁ……」
「お、お疲れ様です」
ぐったりと大理石の床に両手両膝を付くお姉さんを心底憐れみながら、酒場から持ってきた水をコップで差し出す。
受付カウンターから注がれる猛獣のような眼光には気付かないふりをして、改めて尋ねた。
「あの、ジンクロウのことなんですけど」
「ん、ん、ん……ぷは……あ、す、すみません。そうでしたね」
「魔道具店の知り合い、ですか……」
「ええ、以前に剣を一振りお売りしたんです」
「…………」
まさか、であるが。
あのやべぇ刀の卸元がすわ目の前に……うん、今は置いておこう。そっとして置こう。パンドラの箱を面白半分で開ける頭のおかしい趣味はない。
今はそれより。
「ジンクロウは!?」
横合いからめぐみんが身を乗り出す。居ても立ってもいられない、そんな焦燥で。
「ジンクロウの行き先に心当たりはありませんか!?」
「あ、はい。多分知ってます」
「ほんの些細なことでもいいのです! 何か手掛かり――――え?」
「今お住まいの場所くらいですが……え?」
「え?」
「うっ……やっぱり臭っさい!」
ぎょっとして見詰めると、きょとんと見返される。めぐみんも大体俺と同じような顔をしていた。
「やっぱりそう! 臭いの元凶は……!」
藁にも縋る。そんな思いで伸ばした手に縄梯子を投げ寄越された心地だった。
肩透かしというか呆気なさ過ぎというか。
「あんた! アンデッドね!?」
「あ、はい。リッチーのウィズと言います。裏通りで魔道具店を営んでまして。どうぞ、よろしくお願いします」
「あぁどうもご丁寧に。冒険者のカズマです」
突然の自己紹介にツッコミより社交辞令が先に立つ。思わず下げた混乱する頭の中で、けれど、聞き捨てならない文言が一つ二つ……。
「「「…………」」」
「?」
「「「えええええええええ!?!?!?」」」