この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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注意
テンポは無いです。悪いじゃなくて無いです。
気長な心でお読みいただければ幸いです。




33話 殺人刀

 

 

 

 

 次の一合で終わる。

 ベルディアは静かな確信を得て瞑目した。

 胸中に満ちるのは喜び。もはや手に入れることは叶うまいと過去へ打ち捨てた願いの成就を祝って。

 そして、この歓喜と等しく湧き上がるのは、ひたすらの敬服であった。

 眼前の、一廉の剣士に、心よりの畏敬と尊敬を。

 氾濫するかのような劇烈の戦気。そこに焦がれ続けた懐かしさを嗅いだ。今一度あの麗しの戦場へと舞い戻る機会を与えてくれた彼に、感謝を覚えるのはベルディアにとって当然だった。

 しかし、それのみがベルディアの(こうべ)を重くした理由ではない。

 

 魔王と呼ばれ、また称する人物(魔物?)を頂点とする魔王軍。その配下には八名の幹部が存在する。

 配下、などと言っても八名全てが魔王に忠誠を誓っている訳でも、従僕の身に甘んじている訳でもないが。

 ともかく、ベルディアもまたその魔王軍幹部八名が一。帰属意識薄弱極まる幹部達の中で、ある種、最も軍属としての意識を持って……引き摺っていた。生前の、騎士としての在り様に、一兵卒として戦争という機構の歯車であることに、骨の髄から浸り染まっていた。

 今では魔王軍の斬り込み隊長などと揶揄する声もある。従軍経験から来る過剰とも言える規律秩序の遵守がそうした通り名を呼んだのだろう。

 しかし、何よりの所以はやはり、剣。

 剣技、剣術、剣腕。

 魔物でありながら剣に固執し、剣による闘争に心酔する。人間性を棄てた落伍者が、今以てそれだけを棄てられずにいる。愚かしいまでの剣戟嗜好者。

 為に、魔王軍幹部における強さ(勝敗数)の序列を競ったならば、ベルディアのそれは必ずしも奮わない。

 特に魔法を使う者との相性は最悪と言っていいほどだ。魔力枯渇を敵からの搾取(ドレインタッチ)によって克服し、また同時にそれを弱体化効果(デバフ)として利用され、仕上げにほぼ無際限の破壊魔法で釣瓶撃ちに遭えば……ベルディアならずとも、この地上の大凡の生物は滅却されるだろうが。

 魔法、あるいは()()()()()()()()()()()()権能(ちから)にも、ベルディアの剣は屡々(しばしば)後塵を拝した。

 だけに留まらずベルディアの生前から死後の今に至るまで、敗北に終わった勝負は決して少なくない。

 故に、これは無意味な仮定である。

 

 ――――もし、剣によって魔王軍幹部八名が相争ったならば。

 

 下らぬ仮定。酒席で語らう妄想の類。幹部連中は、人間でないことは勿論、そもそも戦闘時ヒト型ではない者すらある。

 王陛下御前の、ルールに基いた行儀の良い試合を行う訳ではないのだ。己が全能力を競ってこそ闘争の果てに掴み取る勝利には価値が生まれる。

 無意味な机上の空論である。

 ただ……一つだけ、明白な事実があるとすれば。

 ベルディアと言う名の男は、騎士であった生前から、そして魔人たる死後に亘ってなお。

 

 ――――剣を交えて敗北したことなど、遂に、たったの一度もありはしなかった。

 

 今、この瞬間までは。

 

 

 眼前に佇む男の戦闘能力を鑑みる。取り分け剣技に着目し分析し、我が手に染み付いた剣技(それ)(くら)べ合わせた時、結論は至ってシンプルに表れる。

 技量が、桁一つ分は違う。

 あくまでも過少に見積もった戦力比。それに加えて使用武器の拵え、運用法、修めた技術すら異なる敵手なのだ。この考察が然して意味を為さないことはベルディアとて理解している。

 しかし、感じ入らずにはおられない。武人として、打ち、斬り、刺す為の凶器を扱う者……剣士として。

 一体、どれほどの研鑽がここまでの絶技を揮い得るのか、とうの昔から人の定命を超えてこの世を彷徨う魔人(デュラハン)をして理解できぬ。

 天才……そういった例外という名の思考停止をベルディアは嫌悪する。生まれながらの性能を否定はしない。しかしそれのみで勝敗が決するほど戦場という場所は単純明快さに程遠く、生憎と慈愛にも乏しい。並み居る古強者を容易く剣の錆とするような気鋭の新兵が、開戦一番降ってきた投石に頭を砕かれ二十にも満たぬその生涯に幕を降ろす。などという話は枚挙に暇がない。

 なるほど、あの男は間違いなく剣才なるものを宿しこの世に生を受けたのだろう。その天稟を如何なく発揮し、惜しげもなく使()()()()て、ひたすらに飽くこともせず剣を振るい続けて来たのだろう。

 この世の剣士共が血の涙を流して欲する天稟(それ)が、この男にとっては己が剣腕を支える添え木の一本でしかないのだ。

 才覚も、修練も、闘争すらもその手段。いや、供物だ。

 それほどの純度。驕らず、迷わず、ただ一つ処のみを目指してひた歩む一剣。

 

 秘奥

 

 そう呼ばわる何処(いずこ)かへ、この剣士は到ったのだろうか。

 それが今、この目で見られるのか。

 

「ふ……」

「……」

 

 空は暗雲の気配も濃い。風は身を切るほどの冷たさで、とうに凍った筈のこの骸さえ凍えさせる。

 澄んでいる。大気も、魂さえ。

 己の脚で三歩、対手の脚ならば四か五といった距離。依然として、到達する速度はこちらが優る。

 それは携えた武器にしても同じ。己は敵手の刃が届くよりも遥かに遠間から一方的に彼方を斬り打つことができる。

 まあそれも、敵の不意を衝ければの話だが。

 そんなことが軽々に出来ていれば、己はむざむざこの左腕を落とされはしなかった。

 使用武装の分析確認と共に、己に搭載されたあと幾つかの戦闘能力をベルディアは思索する。

 取り分け強力なものはやはり。

 

『死の宣告』

 

 怨嗟の魔人、アンデッド・デュラハン固有の呪詛。効果は呆れるほどにシンプルであり、字義以上でも以下でもない。

 任意の対象に任意の死期を強制する。それは明日でも、七日後でも、今この瞬間にでも構わない。

 呪い、即死。

 しかも、発動には一定の魔力を要するものの、呪死を約束させるのはあくまで呪詛そのものに宿った怨念。つまり、魔力や法力で如何にベルディアを上回ろうとも、この呪詛を解くことは出来ない。

 この怨念に匹敵する存在位階の精霊、あるいは神の言祝(ことほぎ)でも受けぬ限りは。

 悪辣にして非道、そして極めて高効率な殺戮を可能にする異能。断じて戦闘行為でなきにせよ。相手が強敵であるならなおのこと、考慮に値する。

 考慮した結果、ベルディアはこの能力の使用を捨てた。

 結論は思索も半ばで自ら出していた。この呪詛に匹敵する存在位階の者には意味を為さぬと。

 それこそ、眼前の男の手には握られているではないか。常軌を逸した滅死の呪物が。

 今までにも、ベルディアが目にしたこともないような特異な武器、防具、能力を行使する冒険者はいた。いずれも冒険者として突出した成果を挙げてはいたが、ベルディアは彼らを下等上等の区別なく葬ってきた。『死の宣告』が大いに猛威を奮ったのは勿論だが、特殊能力を持つ冒険者は力ではベルディアを圧倒出来ても一様に技量が未熟に過ぎ、尽く剣に血糊する結果となった。

 余談である。

 問題は、かの者の握る剣が過去に遭遇したどんなモノとも比較にならぬ存在力を垂れ流していることだ。

 禍々しき殺戮思念。死滅嗜好。生命必殺の祈り。

 

 ――――兇気

 

 アレよりも破壊力のある武器はあった。

 アレよりも頑強な盾や鎧はきっとあった。

 しかし、アレより(おぞま)しい刃を、ベルディアは知らない。

 (まじない)ではアレに勝てない。あの兇器、そしてあの剣鬼から勝を得んと欲するならば、斬り結ぶより他に途はない。

 然りとてそれもまた至難。つい今しがた技量ではどう足掻いても及ばぬと自解したばかりなのだ。純粋な剣技の競い合いの末に突き付けられた敗北に喜楽はすれど、だからとて未だ己は自身の弱さに許しを呉れてやるような悟りの境地へ赴くつもりはさらさらない。

 “技”……技術では彼奴に届かない。奈落より仰ぐ夜天めいて高く、遥かに遠い。

 “体”……肉体能力では確実にこちらが優っている。魔物と人間のスペック差は絶対だ。

 “心”……精神状態はどうか。憤怒燃やし、憎悪滾らせてなおその剣筋に鈍りは見えない。あるいは見破れぬ、だけか。

 それを付け入る隙と嘯くには今少し勝因が足りぬ。心は一先ず捨て置く。体では勝った。けれど技によってそれすら覆された。

 

「!」

 

 敵が、動いた。

 頭蓋の内で繰り広げた長考は、その実数秒にも満たないだろう。とはいえ戦闘中、特に互いが互いに必勝の隙を、必殺の“機”を狙い窺い合うこのような構図に至って、実時間の経過などに然したる意味はない。

 遠目に様子を窺うばかりの冒険者共、街の専守防衛を優先する兵士達、あれらが加勢に来るというならば巧遅を捨てて拙速に動いてやらぬでもないが……。

 まさか、だろう。

 目を抉るかのような紅。強すぎる色彩が揺らめきながら、流れる。この剣士に余人の手助けなど必要あるまい。そも、誰が近付ける。紅い殺意を刻一刻振り撒くこんな男に。

 右手に握られた剣、その柄元が肩口の高さにまで持ち上げられた。刃先は天頂を真っ直ぐに向いている。

 だがしかし、変化は終わらなかった。

 

「……」

 

 脇を締めたことで剣が身体へと側められ、剣身が傾く。傾くまま、倒れ、流れ流れて。

 

「なに……」

 

 左肩と左膝が前に出る。男は真半身の姿勢を取る。

 そして自然、右手に握られた剣は男の身体の真後ろへと隠された。

 その構え、その剣形。そこに込められた意図、作意をベルディアは即座に覚った。

 

(捨て身、だと)

 

 理解はしても得心は浮かばず、ただ不審ばかりが湧き起こる。一体何のつもりだ。

 身体を前面に押し出すことで、完全な無防備を晒している。剣先が真後ろ向いていては打ち込みの出遅れは必至。肉体能力に優るこちらにまず間違いなく先制斬撃の機が巡るというのに……いや、それはどうか。

 剣の全容は男の身体の裏側に隠されている。切先が果たして本当に後方を差しているかどうかはここからでは確認することが出来ない。刃の方向、柄の握りといった情報を把握出来ないということは、つまり、敵の攻撃がどの方向から来るのか予測出来ないということだ。

 右上下段から、あるいは体軸を時計回りに転身させれば左側から刺突、斬撃を放つも十二分に可能であろう。

 とすれば、敵の企図(くわだて)は明白。

 罠だ。

 (あたか)も隙だらけの半身を晒すことでこちらの攻撃を誘い、隠形の剣から必殺の一撃を見舞う心算(はら)

 こちらが如何に物理的な速度で優ろうと、相手の攻撃タイミングを捉えられなければ不意の一打は成立し得ない。逆に、こちらの剣筋を完全に見切っている彼方は、最高のタイミングで我が身を迎え撃てる。

 あの捨て身の剣形は、最良の機を制さん――という我方の魂胆を逆手に取った欺瞞に他ならない。

 

「…………」

 

 敵の思惑は看破した。ならば次はそれを打破する術策を弄すまで。

 幸いにして、誂えたかのような対抗手段がこの手にはあった。()()を用いれば対手の工夫は些末な小細工に落ちる。確実に、敵手を斃し得る。

 迷うことはない。もはや是非もない。もとより方途は一つのみ。

 

 ――――一抹の疑念を捨てて

 

 尋常の方法では勝てないと言うのなら、異常の法を取るまで。

 あと一つ、我が異能を開陳しよう。

 魔力を練り上げる。魔道に生涯と来世すら捧げる熟達の魔法使いには及ばぬまでも、魔人体たるこの身が蓄える魔力量は並の生物の比ではない。それを全て使う。余さず、全て。

 全てを、この首に。

 物質的に切断された首と胴には、しかして不可視の繋がり(リンク)が張られている。この魔力の集中行為によって戦闘行動に支障を来すことはない。

 右手の剣を地面に突き刺す。そして高密度の魔力塊と化した素首、それを、手に。

 中空へ放り、投げ上げた。

 景色が眼下へ流れ過ぎ去り、狙った通りの高度に到達した。上昇の勢いが弱まり、後は地表へ真っ逆さまに落ちるだけ。その上昇限界で、()()()

 重力という自然法則を無視して、首が空中にて静止した。

 存分に魔力を蓄えたこの頭部はごく短時間のみ『浮遊』能力を持つ。戦場をゲームの盤面(ボード)のように俯瞰出来るこの小技が、戦争従事者であったベルディアにとってどれほど有用なものであるかは語るに及ばない。

 ただし、飛翔魔法のような極めて高度な術式を組み上げる必要はないが、浮遊させられるだけであって首自体に身動きは取れずこの状態では自在性など皆無に等しい。紛れもない弱所の一つである頭を無防備にも身体から遠ざけるのだからリスクも高い。

 そんなリスクを飲み込んででも、この暴挙には打って出るだけの価値があった。

 浮遊能力は、あくまでも多量の魔力放散による副産物でしかない。真の能力は、この“眼”にある。

 ベルディアの“眼”は()()()()()――――宛も、時間が停止してしまったかのような速度域にまで、視覚能力を強化することが出来る。

 魔力の過剰過給(オーバーブースト)が眼球と脳へ瞬間的な処理能力向上を(もたら)し、遠近視力、空間認識能力、反射反応速度、取り分け動体視力は桁違いの性能を発揮した。

 それは、蠅の羽搏(はばた)きを悠々と数え上げてなお余る。

 白兵戦においてこの異能が反則級のそれであることは言うまでもない。あるいは、これを上回る身体強化スキルを持つ冒険者が居たとして、剣技でベルディアを上回れないのならば意味はないのだ。残念なことに、過去の“実例”がそれを証明した。

 

『死界の邪眼』

 

 視界内に捉えた敵を確実に斬り斃す為の高速の……()()の眼。

 もはや逃れることは出来ない。過去最大量の魔力を邪眼に込めた。ここまでの強化措置はベルディアさえ未知の領域。

 しかし、その力は既に敵を捕捉した。完全に、完璧に。

 敵の剣の位置は空中(ここ)からならば一目瞭然。奴の隠形はあっさりと無効化された。

 そして切先、握りは勿論、今やこの眼には体重心の位置から呼吸の深浅すら見通せる。呼吸を読まれることがどれほど致命的かは武人ならずとも知れたこと。

 攻撃タイミングを、捕捉出来る。

 

 勝った

 

 十中の九、あるいはそれ以上の公算において勝利条件は整った。

 その構え、その身体状況を総括し結論。敵は向かって右下段から、体軸の回転斬撃でこちらを迎撃する。間合は当然、その斬撃が放たれる刹那も、己は断じて見逃さない。絶対の自信、生涯と死後を捧げた自負を以て、断言出来る。

 ()では、及ばぬという。決して到達出来ぬ次元にかの男は立っていると。

 ならば己は、(タイ)を窮める。巧緻からは程遠い拙劣さで、凡夫が肉体能力の極致を以て技巧の達人を葬ってやる!

 胸奥から戦気を吹く。敵手のそれを吹き払う意志で。

 今、踏み出す。

 

「おぉッッ……!!」

 

 鉄靴で地面を打ち、踏み付けて、一歩、そして一歩。

 間合が閉じる。消える。

 遂には我が最大射程へ対手を覆う。

 つまりは、敵の間合の遥か遠きで。

 剣を振り落とす。

 

 さあどうする。どう出てくる

 

 見えている。世界は今や極低のさらに下、停止寸前の超速度遅滞域に達した。

 空間内のあらゆるものをベルディアの邪眼は見ている。

 健気にも男に手を差し伸べようともがく少女、大地を吹き払う風のうねり、大気中を舞う塵の煌めき、空舞う鳥も羽虫も地を這う獣も人間共も余さず。

 眼前の剣士の、皮膚の伸縮、流れる血脈、筋肉の収縮、骨の軋み、呼吸、視線、その眼が語る意志(ことば)さえ。

 全て。

 全て――――そうして遂に、男は動いた。

 左脚を軸に転身、後方に控えていた刃が最短軌道を経て高速()()される。

 見えて、いるぞ。

 右脚を踏み込みながらの斬り上げ。なるほど一歩分の前進運動によって間合は詰まる。

 が、足りない。全く足りない。

 一歩では到達出来ない距離に我が身はある。剣先すら掠るまい。そして我方の剣は確実に彼方を上段から断ち割れる。

 

 曇ったか

 

 憎悪に、憤怒に、やはりその刃は鈍っていたのだ。

 勝機を焦り、愚かにも攻め手を急ぎ過ぎた。待ちの姿勢を維持できず、来る我が打ち込みに肝を潰し機を誤った。

 もはや術はない。この体勢、斬るという意を定め、肉体が斬撃の為に起動したこの瞬。退くことも躱すことも攻撃手法を変えることも無論不可能。

 後は時間経過に従い、剣が骨肉を断ち斬るに身を任せるだけ。

 終わったのだ。

 勝敗は、決したのだ。

 …………だのに。

 なんだ、これは。消えない、払拭できない、この疑念は。

 

 ――奴は何故、“待った”?

 

 あれほどの殺意を放ちながら、必殺の意志を露にしながら、奴はこちらに打って出てくるのではなく、迎撃態勢を執った。

 こちらの攻め手をわざわざ待っていた。剣形隠形などという小細工を弄してまで。

 その技巧にあかせて斬り込んでくればいいものを。あるいは今頃この身は為す術無く斬り斃されていた可能性もある。

 何故、そうしなかったのか。

 

 ……この異能を、知っていた?

 

 僅か数回打ち合っただけで、この邪眼の真価を看破されていた、と。

 ああ、この剣士にならば出来る。出来るのだろう。そんな洞察眼を具えていたとて何程の不思議もない。この剣士ならばある。あり得る。

 だから、()()()()()()()()()()()

 打ち合いでは梃子摺る。そう見越して、先手を譲った。

 そう。先程、己が自ら思索したこと。

 『斬るという意を定め、肉体が起動したこの瞬』。完璧な無防備となる、この“機”へと、我が身を誘い込む為に。

 

 届かない。届きはしない。

 敵の剣は遥か遠い。その刃渡りでは絶対に斬撃はこの身に及ばない。

 届かぬ、筈だ。

 刃は。

 何を。

 眼前の剣士は何を。

 刃を、その手に、握り込んで。

 転身、左脇構えとなった剣を男は素手で握っていた。それは宛も鞘から剣を引き抜こうとする所作で。

 馬鹿な。鞘は、つい先程男の手で放り捨てられ、腰元には存在しない。そんなことをすれば自然、刃が掌を斬り裂くだけだ。

 意味がわからない。理解できない。それはベルディアの知識外、常識外の暴挙。

 

 そう、ベルディアは知らない。

 その剣形が、居合、抜刀術と呼ばれる構えであることを。

 近似するナニかであることを。

 

 ベルディアは決して対手を過小評価しなかった。その剣技を認め、称賛し、最大の警戒と全能力を以て打ち破らんとした。尽力の限りを尽くした。一切の驕り、侮り、油断を捨て去り、武人として一個の武人と向き合った。

 それが誤りであったと最期まで気付くこともなく。

 ベルディアは敵を過小評価しなかった。過大に評価し、かの剣士に武道の幻想を抱き、判断を誤った。見落とした。

 敵の“異能”を見落とした。

 

 

 

 

 鞘の代替品――皮膚と肉を裂きながら刃が奔る。刃先は皮肉を存分に舐め上げ、味わい、そこに満ちた血潮を吸い上げる。生命の素、そこに宿る魂ごと。

 

 抜打

 

 掌が形作った架空の鞘から、高速で発射された刀身が紅い穢れを纏って空を薙ぐ。

 そう、虚空を。

 当然だ。首無し騎士は未だ間合の外。刀身が何者をも斬らぬは自明の理。なればもう一刹那でこの愚劣漢に頭上から巨剣が相応の末路を呉れるだろう。

 この世の条理を遵守するなら。

 死を受け入れ、大地に骸を晒す。武人に相応しき最期を甘受するべきだろう。もし、己が、正調の武人であったなら。

 

 理は、既に()()()()

 

 斬撃は奔っている。今以て、虚空を奔り、奔って。紅い刃によって描かれた紅い斬線は空間を奔り、満ちる。水面に落とした墨の一滴の如く。無際限に。

 それは飛翔ではなかった。物質化した斬撃が標的目掛けて発射される……そんな()()()()()などなかった。

 

 拡張

 

 描かれた斬線。斬撃。いや……“斬り、殺す”という結果が、思念が空間を侵食しながら拡がっていく。

 そして斬るという行為と、この拡張侵食に時差は生じない。

 つまり。

 間合などもはや無意味。その斬線上に存在するあらゆる物体は既に斬られている。

 届かぬ筈の斬撃、無間の遠きにあった対手。

 それを紅い軌跡がなぞり上げている。右脇腹から左肩へ。

 デュラハン、その(からだ)を既に――――斬り、断った。

 

「――――」

 

 ずるり、と。

 斜めに上半身が崩れ、下半身もまたそれに追従した。二分割された骸は、その断面から血液ではなく、黒々とした瘴気を吹き出し、撒き散らす。

 その傍らに、首が落ちた。

 双眸に光は乏しく、それは消え去る寸前の蝋燭めいた。

 

「……今、の……剣……は……」

 

 掠れ、微風にすら掻き消されてしまいそうな声を素首は発する。

 ひどく純粋な、好奇心を滲ませた問いだった。まるで未知の剣に出会い驚き、そして歓ぶ、ただの剣術使いのような。

 

「そう、さな。名付くるならば……異形剣」

 

 正調の剣術などからは程遠い。

 捨て身による欺瞞、変則の剣形から放つ異能の、異常なる斬撃。

 断じて、武人の一刀ではなかった。それはただの殺人刀、憎むべき怨敵を破壊する為だけの機構。

 現世にあってはならぬ、この世ならざる異能、異常、異形の剣。

 

「異形剣――“(かくり)”」

 

 死に損ないの、生きることに疲れた“亡者”が振るうにこれほどの剣があろうか。

 

「異形の……剣……くふっ」

 

 騎士の男は破顔した。

 ひどく愉快気に、笑声を上げた。

 

「くく、ふふふ……魔に、堕ちしこの身を、斬るに……それ以上の、剣は……な……い…………」

 

 黒い瘴気は風に浚われ、消える。その肉体ごと、初めから存在などしなかったかのように。

 それが死。

 生ける屍の騎士は、塵も残さず消滅した。

 

「…………」

 

 何一つ残さず。

 仇は消え去り、そしてこの手には刃金だけが残る。魂の血糊に穢れた、悍ましき刃金だけが。

 今更何を驚くこともない。仇討ちの完遂によって齎されるのは虚無だけだ。そんな真実は、教授されるまでもない。

 ()()()()()

 心底、飽いてしまうほどに。

 骸、そうだ。あの子の骸を弔ってやらねば。

 血液に代わって鉛を満たしたかのような身体を手繰る。そうして一歩、重い足を踏み出した時。

 そこに佇む少年と目があった。

 

「ぃ……よ、ようっ。ジンクロウ」

「――――」

 

 片手を上げてはにかむ小僧っ子、カズマ。カズマが、そこに立っていた。

 己の理解能力の超過を自覚する。文字通り言葉を失くした。

 

「あー、その、び、びっくりするよな。いや俺もびっくりしてんだけど。アクアに蘇生してもらったんだよ。ほら、あいつあんなんでも一応女神って設定だろ?」

「設定じゃないわよ!! せっっっかく生き返らせてあげたっていうのにちょっとくらい私を敬いなさいよこんのヒキニート!!」

「あぁあぁわかったわかったありがとうござんしたー! っとまあこういう訳で、なんかこの世界一回だけなら蘇生するのは割と普通らしくてさ。あ、あはははは……」

 

 ばつの悪い笑みを浮かべ、頬を掻く。その様は、何一つ変わらぬ。血溜まりに沈んでいたあの光景こそ夢か幻であったかのようだ。

 刀を地に突き刺し、少年へと歩み寄る。

 

「へ」

 

 そうして、右手でその胸倉を掴み上げた。

 

「ぐっ!? な、ジンクロ……!?」

「戯け者ッ!!」

「ひっ」

「おのれの力量も忘れたか!? 敵わぬ相手だとてめぇの頭で解らぬ道理か!?」

 

 息を詰めて少年は震え上がった。涙すら浮かべて、何かを口にしようとしては失敗を繰り返す。

 

「何故逃げん!? 何故……!?」

「ジンクロウ!」

 

 横合いから腕を掴まれる。罅割れた甲冑姿、ダクネスが己を見据えていた。

 

「カズマの身体は蘇生して間もない。これ以上は」

「……」

 

 そこから先を口にさせるのは憚られた。それこそ道理。愚劣は、己である。

 手を放す。

 少年は二、三度咳き込んで、そうして己を見上げた。ひどく、怯えた目で。

 そして、同じ(いろ)をした瞳がもう一対、己を見ている。ダクネスに背負われためぐみんが、伏し目がちにこちらを見詰めていた。

 

「生きて、いるのか」

「う、うん」

 

 愚かしい問い。見たままの事実を、しかし確かめずにはおられなかった。

 

「……そうか」

 

 肺腑から息が抜けて、落ちる。代わりに肉体を満たしたものは、安堵と、重い疲労だった。

 今一度、少年に手を伸ばそうとして、思い止まる。

 刀を抜いて、子供らを横切る。

 

「ジ、――――」

 

 背中に掛けられようとした声、無数の視線、全てを置き捨てて逃げるようにその場を後にする。

 雪が降り始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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