この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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31話 所詮、刃金狂い

 

 

 ここらが潮時だろう。

 そのような心算が、いつしか腹の内にあった。

 何を以て頃合いとするのか、それははっきりと定まるものではない。あの子ら、少年らが独力にて身を立てるその時を以て……などと偉そうなことを(のたま)う気もさらさらない。

 無い、つもりだ。

 己を何様に仕立て上げた物言いであろう。血を分けた親子でも、義理を結んだ縁者でもない。師弟、というのも些か仰々しい。腐れ縁と呼べるほどに気安い間柄かも判らぬ。

 なんともおかしな繋がりだった。おかしな、子供らだった。

 良くも悪くも尋常一様に収まらぬ、一癖も二癖もある曲者揃い。よくぞ今の今までやってこられたと妙な感心すら湧いた。

 ほとほと、面白き奴らよ。

 面白すぎてすっかり離れ難くなっていた。糞喧しく厄介事に欠かず気は休まらず……ひどく気の置けぬ、心地好き日々。からりとした春晴れの空が年中続くような、そんな日々。

 そろそろ行かねばなるまい。

 ここはあまりに、陽気が眩しいゆえ。

 相応しきところへ。

 

 

 

 

 

 

 

「け、剣士様、そりゃいくらなんでも無茶だよぉ! ここから早馬飛ばしても街に着く頃には日が暮れてる!」

「今から行っても全部()()()()後だ……」

 

 赤毛の若馬に跨がる己を、村人らは口々に引き留めた。

 彼らの忠言は一々尤もだ。魔王軍の幹部なる者が現れたとギルドから魔術仕掛の伝書鷹にて文字通り報が飛び込んできたのは今から四半刻ほど前。

 どう甘く見積もったとて、己がアクセルに到着するのは戦事の終結、その遥か後。

 勇んで馬を駈ったところでどうにもなりはしない。無意味の三字を噛み締めるのみ。

 

「忠告有り難く頂戴した。だが行く」

「ジンクロウさん……」

 

 こちらを見上げるゆんゆんに笑みを送る。安堵など望むべくもなく、娘の顔には不安と、己を労るような翳りばかりが深まった。

 真に憐れなのは娘の方だ。無茶な早駈けに相乗りは難しい。今よりこの娘は一人置き去りにされるのだから。

 

「すまねぇな、おゆん」

 

 軽軽な詫び言を残し、手綱を引きつ馬の腹に蹴りを呉れようとした。

 

「ジ、ジンクロウさん!?」

「!」

 

 ゆんゆんの呼ばわる声、そしてなにより吹き荒れた一陣の風に馬の脚が止まる。

 甲高く嘶き、今にも暴れようとする若馬の興奮を諫める。馬体を震わすほどの、怯え。

 その正体はすぐさま姿を現した。雑木林の枝間から、巨大な両翼の影が地を覆い隠す。

 

「グ、グリフォンだ!?」

 

 羽搏(はばた)き、空気と砂塵を蹴散らしながら鷲と獅子の合成獣は降り立った。己の目の前に。

 鋭い金眼がこちらを見据える。馬上にある今、それを半ば見下ろすような恰好。

 期せずして早く再会が叶った。故に見紛うこともまさかあるまい。あの雛鳥だった。

 村人、そしてゆんゆんも、突如現れた怪鳥に言葉を失くしている。何故どうして、そのような疑問とモンスターという存在への恐怖が、場の空気を鉛色に染めた。

 時間にして十にも満たぬ短い刻。正しく固唾を飲む衆人環視の中で――しかし驚くほど淀みなく、彼我の疎通は済んだ。

 

「己に背中を許すと言うのか」

「……」

「……(かたじけな)い!」

 

 馬を跳び下りる。そして迷いなく。

 

「えぇっ!?」

 

 どよめきと、娘の驚愕の叫びを地上へ残し。

 天空(そら)へ。

 重力の手を逃れ、人の身には届き得ぬ遥か高みへ。風が全身を叩き、掻き毟る。己という場違い者を責め立て、相応しき場所に追い落とさんとして。

 それでもなお、昇る。

 有翼の獅子と共に虚空を翔けた。

 

「……」

 

 鷲獅子の名に恥じぬ粘り靭い筋骨が、翼を翻す度にうねる。躍る。

 その剛強なる感触には、もはや雛鳥などと揶揄できぬわ。

 景色が視界の隅へ次々に滲み、消え去るかのような凄まじい速度。山を越えるも、これならば文字通り一跨ぎであろう。

 間に合ってくれるか。

 内心でそう祈念して……自身を嗤う。

 間に合うだと。一体何に。何を急ぐ。何を焦る。

 子供らの無事を信じられぬのか。魔王軍の幹部とやらの凶き手があの子らを襲うことを、恐れているのか。

 下らん。粗忽な勘繰りだ。

 あの街には、己なぞ比べるべくもない思慮深い少年がいる。賢しい小僧っ子、カズマがいる。

 彼奴(あやつ)ならば上手く逃げるに違いない。屹度、逃げ果せる。

 

「ああ、そうとも……」

 

 逃げちまえばいい。

 魔王、戦。そんな諸々放り捨てて、娘子ら皆連れて逃げるのだ。

 無謀だの蛮勇だのなんてのは、この()()()に投げて寄越しな。そうさ、それっくらいしか能がねぇ。この死に損ないには、それこそお似合いだ。

 

「お前さんは逃げな、カズ」

 

 代わりに今、刃金狂いがそっちへ行くからよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然だがうちのパーティで最もレベルが高いのはめぐみんである。

 それも至極当然のことで、群を成すモンスターを上手いこと誘導した後、一網打尽にするのがあの少女の役割だからだ。爆裂魔法で消し飛ばしたモンスター達の経験値、魂の記憶、生命力、言い方は様々あるが、まあつまりRPGで言うところのEXPをボーナス付きで総浚いしていくのだから、それはもう上がりに上がる。うなぎ登りである。なまじ囮役が優秀過ぎて、もはや経験値泥棒の域なのだ。

 そうしてレベルアップ毎に獲得したスキルポイントをこの少女が一体何に費やすかというとそんなもん語るまでもない。爆裂魔法の威力上昇だ。

 ……いや、魔法の熟練に関係したスキルを何やら密かに取得していたようではあるが。

 まあそれも微々たるもの。爆裂爆裂爆裂と爆裂に狂った少女の爆裂魔法は、今や敵モンスターに憐憫とか同情を禁じ得ないふざけた破壊力になっていた。

 

 

 

 もうもうと立ち込める土煙の中に、うっそりと影が立ち上がるのが見えた。

 

「嘘だろ……!?」

 

 零れるように驚愕が口をつく。

 クレーターを覆っていた煙が晴れてその姿が露になる。黒い甲冑だった。ローブは爆ぜて消し飛んだのだろう。肩当、胸当はもとより、手甲、草摺、脚甲、鉄靴に至るまで鈍い黒鉄色をした全身鎧姿。

 右手には、冗談みたいに巨大な諸刃の剣が握られている。

 そして左手に、兜が載っていた。兜を被った人間の頭が。

 デュラハン、首無しの騎士は生きていた。いやアンデッドなのだからしっかり死んではいるのだろうが。

 土や埃に塗れながらも、そいつは無傷でそこにいる。ダメージは……ある、筈だ。アンデッドに対して物理攻撃は効かない、ないし効果が薄いということは重々承知している。

 しかし、今あいつが喰らったのは爆裂魔法。炸裂魔法でも爆発魔法でもなく、泣く子も笑うネタスキル爆裂魔法である。

 いつだかめぐみんが得意げに話していた。糞燃費かつ糞重いスキルポイント量を強いられる爆裂魔法の唯一と言っていい純粋なメリット。物理攻撃耐性、魔法攻撃耐性を持つモンスターはもとより、実体を持たない存在にすら爆裂魔法はダメージを与えることができる、と。

 

「純粋に耐え切ったってことか……」

 

 魔王軍幹部。つまり中ボスだ。さてHPはどれだけ削れただろう。序盤のステージに物理無効かつ鬼耐久の明らかに近接特化っぽいボスが、エンカウントではなく向こうからやって来て強制イベとかどんなクソゲーだよ運営訴えるぞコノヤロウ。いやまあ厳密にはあの駄女神が勝手に攻撃してボスバトル開始しやがったのだが。

 ……そんな下らないことでも考えていないと、今にも回れ右して全力逃走したくなる。

 

「爆裂魔法……人の身でこんなふざけた魔法を覚えようとする頭のおかしい魔法使いが居ようとはな」

「誰の頭がおかしいと」

「お前だよ確実に」

 

 忌々しげに呟くデュラハンに思わず同意する。頭がおかしくなきゃこんな魔法は覚えない。

 地面にべちゃっと倒れ伏しためぐみんから針のような視線を感じたが、見ない。現実から目を逸らすのは得意だ。

 爆風に吹き飛ばされた正門とか。

 爆風に吹き飛ばされた衛兵さん達とか。

 賠償とか、補償とか。

 何も見ない! 明日は見えない!

 

「……アークプリースト、それに爆裂魔法を使うアークウィザード……か」

「?」

 

 またデュラハンが独りごちる。内容は、よく分からない。ひどく神妙にあいつは()()()()()()()ようだ。

 そう自分で判断しておいてなんだが、やっぱり意味が分からない。確認って何だよ。

 けれど何か。何か……なんか、不味い気がする。

 解らない。この漠然とした不安感、焦燥感の正体、源泉が何なのか。

 ただ、悪い予感がした。

 答えを見付けようにも、思考に埋没していられるほどの余暇が許される筈もない。目の前には中ボスが絶賛戦闘態勢なのだから。

 

「って戦力がいねぇ!?」

 

 自分で言うのも悲しいが、あんなのと最弱職冒険者カズマさんがまともにやりあえる訳がない。細工を施す時間があるというのならいざ知らず。めぐみんは今さっき戦力外宣言(爆裂)済み。アクアは……またぞろ降ってきた土砂にでも埋まっているのだろう。

 デュラハンは悠然と歩いてくる。真っ直ぐ、こちらへ。

 

「助けてお爺ちゃーん!!」

「自ら立ち向かおうとは考えないのですか。まったく、カズマは本当にどうしようもない甘えん坊さんですね」

「身動き一つ出来ない癖に偉そうに言うな! あぁークソッ! こうなったら……!」

 

 召喚魔法を使うしかない。

 肺一杯に息を吸い込み、叫ぶ。

 

「さっさと来いこの変態性癖被虐嗜好聖騎士(マゾクルセイダー)ァァァアアアアアアア!!」

「呼んだか!? いや、もっと呼ぶがいい!! 罵倒の限りにぃ!!」

 

 上擦った嬌声が、今は亡き正門から響き渡った。

 ずどどどど、と地面すら揺らす勢いで疾走接近する一人の影。白銀の鎧を身に纏い、それでも猪めいた猛進でダクネスは現れた。

 

「うわぁ、マジで来やがった……」

「そりゃあ来ますよ……ダクネスですよ?」

「ですよねー……」

「あぁ好いぃ! その呆れと侮蔑の視線っ……! 最近のカズマはますます嗜虐(サド)のスキルに磨きが掛かっているな!」

「そんなスキル誰が取るか!?」

 

 人聞きの悪いことを大声で喜ぶ変態は、しかし走りながら腰の剣を抜く。

 真っ直ぐに向かう先は一つ。首無し騎士デュラハンだった。

 

「緊急クエストの放送は聞いた! 街の者には指一本触れさせんぞ、魔王軍幹部のデュラハンよ! この私が相手だ! 他の冒険者が集まる前に存分に痛め付けてくれ!!」

 

 物凄くカッコいいと思ったのは当たり前だが気の迷いで最後の最後に台無しだよ。いつも通りで安心したわチクショウめ。

 ダクネスは剣を構え、走りながら振り下ろす……ようなことはせず、切先を前方に構えたままにデュラハンへと突っ込んだ。

 下手に振り回したところで棒振り芸以下ならば、剣を持ったまま体当たりでもする方がマシだ。とは、例によっていつかのジンクロウの助言というか苦言であるが。これが思いの外に嵌った。

 捨て身タックルなんてそれこそダクネスの大好物であるし、この筋力と耐久力のお化けに全力疾走で衝突されるなどもはや交通事故のレベルだ。

 如何にデュラハンといえど、これなら!

 

「はぁ!」

 

 強烈な金属音。鼓膜をびりびりと劈いて空に散る。

 剣と剣がぶつかった。何の手加減もなく。土埃が舞う。黒鉄色の鉄靴が地面を抉って、止まる。

 砲弾のようなダクネスの突進を、あのデュラハンは受け止めやがった。

 

「……そしてクルセイダーか」

「!?」

 

 刃と刃が互いを食い合って酷烈な音色を奏でた。ギャリギャリギャリギャリ、盛大で派手な刃毀れが聞こえる。どちらかの剣はもう刃物としては使い物にならないだろう。

 ダクネスはなおも足腰の力を総動員して前進し、相手を押し込もうとする。

 

「ダクネスが、パワー負けしてる……!?」

 

 けれど、動かない。びくともしない。ダクネスの足は空しく土を掻くだけだった。

 

「やはり」

 

 そしてそんなこちらの必死さなんて意にも介さず、騎士の生首は呟く。兜の下の表情は影になって見えない筈なのに、その時は。その時だけは、はっきりと。

 そいつは笑みを浮かべていた。

 

「お前達だな。あの山、あの廃村で、ゴブリン部隊を殲滅したのは」

「な、に……ぐっ!?」

 

 デュラハンは片腕に持った大剣を一当てしてダクネスを押し返した。

 

「上級冒険者パーティを苦も無く屠るゴブリン・ウォリアーが、こんな駆け出しの街の冒険者に何故敗れたのか疑問だったが……合点が行った。先程の火力に、剛強なタンク、高レベルのプリースト……魔法使いはもう一人居た筈だな」

「なんで、そんなこと」

 

 小さく漏らした疑問に、しかしデュラハンは律義に答えてくれた。

 

「情報収集の為の偵察斥候にあの村を見張らせていた。本来は、この街の冒険者の実力を量るのだけが目的だったが、とんだ誤算というやつだ。だが、その甲斐はあった」

 

 デュラハンは左腕を、左手に載せた頭をこちらに向けて。

 

「剣士の男は不在のようだな。冒険者の少年よ」

「っ!?」

 

 心臓が跳ねた。背中に汗が噴き出す。気分が、悪い。それは悪寒だった。先程過った悪い予感が、今、的中しようとしている。

 知られてはいけないことを、知られた。

 脳内に巡った文言。その意味を理解する。

 

「ふっ、ゴブリンの親玉がデュラハンとは変わった趣向だが……それはそれでヨシ! 下賤なゴブリンを使って村娘や女騎士を廃城に連れ去り、死してなお尽きぬ邪悪な欲望をその凌辱で満たそうとはなんと素晴らしい! もとい汚らわしい! だが! 生易しい責め苦などに私は屈しはしない! どれほど耐えられるか、その腕力で試してみろ! さあさあさあ!!」

 

 いつもの調子で、ホントに何一つ変わらないいつもの調子で(大事なことではないけど二回言いました)、ダクネスは言葉とは裏腹にデュラハンへと攻め掛かる。

 剣をとにかく振り被り矢鱈滅多に振り下ろす。めちゃくちゃな軌道ではあるものの、鈍器としては優秀だ。

 一秒に一回ペースで殴り付けられる剣。それをデュラハンは全て受け止め、弾き返す。何程の苦も無く。

 

「狂った言動をとれば、俺の戦意を殺げるとでも思ったか」

 

 物凄く理知的な捉え方をしてくれてる。最初から最後まで言葉通り狂ったドMな変態に、デュラハンの人は大真面目に。

 ダクネスの大雑把で、馬鹿力な一撃を受け弾き上げるや――――ダクネスの腹に、左拳を叩き込んだ。

 

「がっ、は!?」

「もはや欺かれはせん。侮りはせん。我が全力を以て貴様らを討ち倒そう」

 

 一瞬だけ頭部から手を放し、それが落下する前に相手を殴打して受け止める。そんな早業。

 くの字に体を折るダクネス、その頭上でデュラハンは剣を振り上げた。頭から、斬られる!?

 

「『クリエイト・ウォーター』!!」

「む!?」

 

 右手から水を発射。デュラハン目掛けてぶっ放す。

 奴は即座に後退して水を避けた。

 ひとまずダクネスを助けられたことに安堵し、そしてもう一つ確信を得られた。

 デュラハンに限らず、吸血鬼や人狼といった西洋の怪物にありがちな弱点“流水”。それはこの世界、そしてあの露骨な回避行動からしてこのデュラハンにも当てはまるようだ。

 それはそれとして。

 

「先生ーッ!! 出番ですよアクア先生ーッッ!!」

「ま゙がざれ゙だば(任されたわ)!」

 

 ずぼっとその当たりの盛り土の中からアクアが出土する。案の定さっきの爆裂で生き埋めになっていたらしい。

 口から鼻から土と砂を吐き散らしながらアクアはめぐみんばりの大見栄を切る。……カッコつかねぇ。いやでも、今この瞬間ほどアクアを頼もしく思ったことはない。

 大洪水でデュラハンを水責めに、なんてまだるっこしい工程は要らない。痩せても枯れても女神なアクア、その退魔能力はそんじょそこらのアークプリーストさえ目じゃない。

 

「セイクリッドォ!」

 

 燐光が立ち上る。浄化の光が円陣を描き、そのままデュラハンへ――――デュラハンが、脇構えから大剣で地面を打った。

 

「させんよ」

 

 剣先は地面をまるでプリンのように抉り取り、奴はそれを掬い上げるように打ち飛ばす。詠唱中のアクア目掛けて。

 土塊(つちくれ)の散弾。それは驚くほどの()()()でアクアの顔面に殺到した。

 

「ターンばべらぼばばばばぁ!?!?」

「アクア!?」

「目がぁ!? 目がぁー!?」

 

 顔を押さえながら、もんどり打ってアクアが倒れる。そのまま右へ左へごろごろと地面を転がった。

 めちゃくちゃ痛そうではあるが一応無事らしい。カンストステータスなだけあって、ダクネスに及ばないまでもアクアも十分に頑丈だったのが幸いした。

 また安堵を噛み締める……そんな余裕は既になかった。

 

「侮りはせんと、そう言った」

「貴様! よくもアクアを!!」

 

 一喝吼えるや、ダクネスが踏み込んだ。腹の痛みも治まってはいないだろう。それでも渾身の力でダクネスが剣を振るうのが分った。けど。

 ダメだ。ダクネスの剣では、あのデュラハンには。

 

「剣の腕は、どうやら詐術ではなく本当に未熟なようだな」

「それでも貴様を止めることくらいは出来る!」

「そうか?」

 

 一際強く剣がぶつかり合う。押し負けてなるものかとダクネスの全身が強張るのが見えた。

 そして、遠目からでも解るその変化に、直接相対するデュラハンが気付かない訳がなくて。

 強張りはつまり、動作の停止、停滞だ。その隙を、デュラハンは打った。

 

「ぐぁッッ!?」

 

 というか蹴った。

 さっき殴ったのと同じ、ダクネスの右脇腹を。

 苦悶と呼気を諸共に吐いてダクネスの身体が宙を飛ぶ。飛んで行った先には、痛みに悶えるアクアがいた。

 

「ぎゃぶ!?」

「うあ!? す、すまんアクア!?」

「お、おいアクア!? ちょ、まさか」

 

 ダクネスの下敷きにされて潰れた蛙のような声を上げると、それきりアクアは静かになった。気絶したらしい。

 チーン。

 そんな擬音が脳内を過る。背中と額にどっと汗が湧く。

 まずい。やばい。まずいやばいまずいやばいまずいやばまず。

 

「……腹パンからの容赦ない足蹴とは、あれは相当なやり手だぞ、カズマ。ふふ、ふふふ」

「馬鹿! お前こんな状況でまだそんな!?」

 

 焦りで脳髄が洗濯機の中身みたいにぐちょぐちょになりつつある今、ダクネスの変態性癖は呆れよりも安心すら覚えるが。それでも時と場所を考え……。

 赤く染まった悦びの顔。いつものダクネスだ。どんな時だって変態で、ドMで、逆境だろうが全部悦んで向かっていく。どうしようもない、どうしようもなく頼もしい奴が。

 

「逃げろ、カズマ」

 

 なんだよ、その顔。

 いつものだらしない顔はどうしたんだよ。ニヤケて緩んだ顔は、そこになくて。

 

「めぐみんを連れて、早く」

「ダク……ネス?」

「このデュラハンはこの私でも少し、()()()()……!」

 

 いつものふざけた言動で、ダクネスは剣を構えた。

 いつの間に移動したのだろう。幽鬼めいて気配も無くダクネスの目の前に立っていた巨躯。首無し騎士が大剣を振り上げていた。

 

「ダクネ――――」

 

 剣戟の音。金属の鉦。剣の、折れた残響。彼方に飛び去る刃。

 ダクネスは盾にした剣諸共、大剣に圧し潰された。

 地面を砕き、その体が土中へ沈む。それほどの衝撃。土煙の中でダクネスは、動かなかった。

 

「諸手の打ち込みで両断出来ぬとは、呆れた耐久力だ」

 

 放られていた首が空中から落ちてきて、その左手に収まる。

 

「……いや、失言だったな。人間の守護者として貴公は間違いなく優れた騎士だった。その不退転の覚悟に敬意を」

 

 首無し騎士が神妙に何か言っている。耳には入ってきても、意味を咀嚼する機能が死んでいた。

 知られてはいけなかった。思考はそこに終始する。

 変則奇策のおもしろビックリ芸。俺達の戦法は常日頃それだった。ステータスはピーキーで行き当たりばったり、連携なんて望み薄で、出たとこ勝負のアドリブ合戦。それでも、意外性だけは世界一だったと思う。頭のおかしい超強力な爆裂魔法、どんな痛打強打でも倒れない鬼耐久騎士、おバカで不運で間も悪いけど底抜けに明るい本物の女神様、最弱職冒険者、そして……変な剣士。

 敵は油断する。油断しなくても調子は狂う。その隙を全力で突っ突きに突いて今の今までやってきた。

 知られては、いけなかった。好意的な勘違いも大いに災いを呼んだ。

 今、俺達は窮地に居る。今まで経験したことのない絶体絶命を目の当たりにさせられてる。

 どうすればいい。いや()()できるっていうんだよ。

 

「カズマ……逃げて、ください」

「っ! めぐみん……!? で、でもアクアとダクネスが!」

 

 めぐみんを助け起こしながら、視線は二人と、デュラハンに釘付けだ。目を離したその瞬間、目の前に現れるんじゃないか、そんな下らない恐怖心があった。

 めぐみんは、ぎこちない動作で首を振った。隠しきれない悔しさを滲ませて。

 

「無理です。私は勿論、カズマにもあいつに勝つ手段が無い……」

「……」

 

 めぐみんの言葉は冷徹だった。そしてどこまでも正しい。

 最弱職の、冒険者のガキに、出来ることなんて何もなかった。

 奥歯を噛み締めても、軋みが骨に響くだけだ。伝説の勇者の血が目覚めることもない。何か曰く有りげな武器も持っていない。そもそも装備すらここにはない。

 無い無い尽くしの凡人。それが、俺だ。

 

「居たぞぉー!」

「あそこだ! デュラハンだ!」

「!」

 

 やにわに響いた野太い怒声にぎくりとする。

 見れば崩れた正門から次々と、多種多様な出で立ちの冒険者が出てくる。さっきダクネスが言っていた緊急クエストの放送とやらにようやく集まったのだろう。

 助かった。これでようやく、矢面から解放される。デュラハンの相手は、大挙する他の冒険者に投げてしまえばいい。

 まずめぐみんを背負って街に避難させ、次にダクネス、アクアを引き摺って退散する。

 

「……」

「? カズマ?」

 

 逃げればいい。その言動や行動からも分かるが、あのデュラハンは一端の騎士を気取ってる。逃げようとする背中にまで斬り掛かってくるようなことはない、筈だ。

 一目散に逃げる様を見せれば、案外簡単に見逃してくれると思う。八割くらいの、悪くない公算で。

 逃げれば、いい。いつものように。プライドなんて糞食らえだ。命あっての物種だ。自分は勇者でもなきゃ、武人なんて仰々しいものを名乗った覚えもない。食う分稼げればそれで十分。命懸け? まっぴら御免だ。

 逃げて何が悪い。命を惜しんで何が悪い。誰が咎めるってんだ? 咎められたから何だってんだ?

 知ったこっちゃないね。なあ、あんたもそう思うだろ……ジンクロウ。

 

 ――――そうとも、逃げちまえばいい

 

 ここには居ない筈の男の声を聞いたような気がした。

 多分あいつならそう言うだろう。そう、言ってくれるだろう。

 そして多分、あいつは逃げないのだろう。

 

「…………」

 

 その確信があった。あいつは、たとえ自分より遥かに強い敵を目の前にしても、逃げない。

 あの軽やかな笑みを浮かべて、散歩にでも出掛けるみたいに向かっていくのだ。そういう奴だ。シノギ・ジンクロウって男は。

 

「カズマ? な、何をする気ですか? 馬鹿なこと考えないでくださいよ!?」

「ざーんねん、もう考え付いちまった後だよ」

 

 俺を捕まえようとするめぐみんの手を(かわ)し、立ち上がる。

 デュラハンは集合しつつある冒険者達を眺めていた。自身を打倒する為の戦力が着々と揃いつつある状況でも、慌てる様子は絶無。絶対の自信があるからだ。己の剣技に、己の強さに。

 

「誰か行かないのかよ」

「ならお前が先に行け」

 

 対する冒険者達も、遠巻きにデュラハンを観察するだけで攻め寄せる兆しは今のところない。

 それもその筈、賞金と臨時の討伐報酬が出るとはいえ、一番槍に駆け込んで真っ先に死ぬような阿呆らしい事態は避けたいのだろう。まず誰かが、どこかのパーティが戦い始めるのを待ち、なんとなれば敵が消耗してから動き出したいと考えるのが人情というもの。消極的で打算的で、合理的な、拝金主義の冒険者らしい判断だ。

 誰だってそうする。俺もそうする。

 

「お前と出会わなきゃそうしたのに! ま、でもしょうがねぇよなぁ!」

「ダメですカズマ!!」

 

 めぐみんの声が背中に縋る。

 でも行く。

 

「おいこらデュラハンこっち見ろ! 『クリエイト・ウォーター』!」

「なに」

 

 右手から水鉄砲を発射。

 初期水魔法は込めた魔力に応じてある程度放出量をコントロール出来る。バケツ一杯分からコップ一杯分まで、あるいはそれ以下の微調整も可能だ。

 射出面積を限界まで絞れば、少ない水量でもそこそこの勢いと速度は出る。

 7メートル近い飛距離を稼いで、水の矢がデュラハンに命中……することはなく、半身に反れて呆気なく避けられた。

 まだまだ。

 

「『クリエイト・ウォーター』! 『クリエイト・ウォーター』!」

「ちっ、小僧……水遊びのつもりか!?」

「鎧、土と砂まみれなんだろ? 綺麗にしてやるよぉ! 『クリエイト・ウォーター』ッ!!」

 

 再三の水鉄砲攻撃、というかちょっかいに、デュラハンが兜の下で苛立つのが見えた。

 

「先に死にたいらしいな」

先に死んでんの(アンデッド)はお前だろバーカ」

「よかろう。その挑発、乗ってやる」

 

 ヘイト稼ぎに弱点突くのは基本。効果は覿面、タゲ取ったったでぇ!

 デュラハンはダクネス、アクアを捨て置き、真っ直ぐ自分の方に向かってくる。

 当然、逃げる。逃げながら水を発射し続ける。

 

「『クリエイト・ウォーター』!」

「馬鹿の一つ覚えか。くだらん」

「なら試しに浴びてみろよ! 水嫌いのデュラハンちゃんよぉ! なんか風呂嫌いみたいなニュアンスだよな! あぁ心なしかお前ちょっと臭いぞ!」

 

 努めてふざけて、軽々しく、不真面目に。

 デュラハンも承知だろう。我ながら見え透いた挑発だった。

 逃げる俺を追うデュラハン。そうして爆裂魔法のクレーターから遠ざかる。これでめぐみんも多少安全圏だ。

 

「……それで? どうする冒険者。お前の攻撃なぞ受けたところで俺には傷一つ付けることは出来ん。それとも魔力が尽きるまで水遊びに興じるか?」

「へっ、誰が好き好んで死人のおっさんとそんな気色悪いことするかよ。可愛いゾンビ娘ちゃんに食われて死ぬ方が千倍マシだわ。むしろそっちでオナシャス!」

「では、その素晴らしき夢を抱いて死ぬがいい」

 

 デュラハンは大剣を構える。あいつがその気になれば、こんな10メートル程度の距離一歩で詰め寄って俺を斬り殺せる。

 じゃあ何故一瞬でそうしないのか。

 それはこいつが徹頭徹尾“騎士気取り”だからだ。生前どうこうなんて知らないし興味もない。だがそれこそ奴に付け入ることの出来る唯一の油断、隙。

 相手の出方を見て、それに応じる。あくまでも戦争や、もしくは決闘のような体裁を無意識に取ってしまう。

 だから待ってくれる。時間をくれる。泳がせてくれる。

 この場所に誘き寄せられてくれた!

 右手を掲げ、水魔法を発射――しない。掲げた右手は地面に叩き付けて。

 

「『バインド』!!」

「なにぃ!?」

「『バインド』! 『バインド』! もういっちょ『バインド』ォ!」

 

 土が盛り上がり、()()()。土砂を突き破って現れたのは、無数のロープだ。

 城壁の増築工事用に使われる材木、石材。それを運搬する牛馬を繋ぐ為の縄と鉄杭が、工事現場周辺には其処彼処に打ってある。

 先程の爆裂魔法は盛大に土砂を空へと巻き上げて、なんとも上手くこれらのロープを覆い隠してくれた。完璧な迷彩である。

 砂中から獲物へ食らい付くガラガラヘビのように、ロープはデュラハンの胴体や脚、剣を握る右腕へと絡み付いた。

 

「この程度の、拘束など……!」

「ですよねー」

 

 このデュラハンには馬鹿力代表ダクネス以上の腕力がある。牛を繋ぎ止められる縄と杭でも、きっとそう長くは()たない。それ以前に、ロープを斬られてしまえばそれまでなのだ。

 だから手早く、素早く。

 

「『クリエイト・ウォーター』!」

 

 発射可能な最大量の水を浴びせ掛ける。

 放物線を描いて、上から降り注ぐ水をデュラハンは忌々しげに見上げた。

 

「甘いわぁ!!」

 

 火事場、もとい水場の馬鹿力か。デュラハンは縛られた右腕を無理矢理に引き寄せ、大剣をびゅんと振り回した。剣は円を描いて、一瞬だけ傘のようになり雨を蹴散らす。

 失敗か。

 拘束してから弱点の水を浴びせて弱体化させる。この目論見は完遂を見ず、終わった。

 じゃあ()()()()こうしよう。

 既に、“それ”は見付けて、拾い上げている。右手に持ったそれをサイドスローのフォームで振り被り、投げた。

 スキル発動。

 

 ――――『投擲(スローイング)』!

 

 それは盗賊の固有スキルだった。比較的小さな物体、石やナイフといったものを投げた時、このスキルを使用することでステータスに応じた補正を掛けて命中精度を高められる。

 命中補正に作用するステータスは狩人の『狙撃』に近い。

 筋力は飛距離を延ばし、器用さはコントロールに直結する。そして何よりも、幸運値。幸運が高ければ他のステータスが低かろうが関係ない。投擲されたものは狙った箇所に当たる。

 つまり、俺が投げた物はだいたい当たる。

 

 俺が投げたもの……ダクネスの折れた剣先。彼方に飛び去った刃は。

 

 デュラハンはわざわざ付いて来てくれた。拘束具の隠された地面、そして丸腰の俺が武器を手に入れられるこの絶好のシチュエーションに。

 タイミングもまた完璧だった。

 デュラハンが頭上で水を周囲に撒き散らした御蔭で、投擲された刃が水を浴びる。水濡れの刃は高速回転して向かう。空中に綺麗な曲線を描きながら、左手の生首へ。

 

 届け!

 

 過たず、刃は、生首の顔面に。

 届かなかった。

 

「……は?」

 

 金属音。跳ね飛ぶ刃。

 届きはしたのだ。敵は防御も間に合わず、棒立ちで投擲された剣先を受けた。

 兜。兜の額で、刃を弾いた。

 

「うそん」

「悪くない手管だった。その機転は称賛に値する。だが、残念ながら、俺は頭を狙われることに慣れている」

 

 にべも無くデュラハンは言い放つ。肩すら竦めて見せて。

 

「お前達冒険者が窮した時、最後に狙うのはいつもここだ。弱所を突こうとするのは合理的な判断だが、読み易い。来ると分かっていれば対処はさらに容易だ」

 

 ロープを引き千切り、デュラハンは拘束を脱した。

 そうして歩み寄ってくる。ゆっくりと。こちらの手札が既に尽きたことを知っているから。

 

「残念だったな。せめて苦しまぬよう……」

「『スティール』!!」

「!?」

 

 手を伸ばし、スキル発動を宣言する。

 目の前のデュラハンから剣を、なんてのは不可能だ。えげつないレベル差がある。『スティール』は自分のレベルを大きく超えた相手の装備までは奪えない。

 だから、俺が盗るのはお前の剣じゃない。

 意識を失っても手放さなかった。未だ、ダクネスが握っている、折れた剣を。

 手中に現れた柄を握り締め、一歩踏み込む。

 

「っらぁ!!」

 

 鎧にだって隙間は無数にある。これだけ近けりゃ狙い放題。

 眼前のデュラハンに、欠けた剣を突き込んだ――――

 

「――――ちぃ……っくしょうが!」

 

 刃は、1ミリたりと刺さらなかった。

 装甲を避けて、腹と胸の間に精確に突き入れたにも関わらず。鎧の下に帷子を着込んでいる訳ではないのだろう。

 アンデッドに鋼の武器は効かない。聖水をぶっ掛けたとか、祝福儀礼されたとか、純銀製とかならまだ目はあったかもしれないが。

 無いものはしょうがない。本当に、しょうがない。

 

「見事だ。今の一撃は、完全に不意を衝かれた」

「はっ……」

 

 称賛の言葉に鼻を鳴らす。

 

「惜しいな少年。その機転、俺の部隊に欲しいほどだ」

「あー申し訳ないけど、そういうのうちの爺ちゃんの許可が要るんだわ。というか、お断りだよ」

「そうか」

 

 大して残念そうにも見えないのがちょっとムカつくが、まあいい。

 一矢くらいは報いたかな。

 巨大な剣が持ち上がり、後方へ流れる。真っ直ぐ、横一文字の斬線。

 

「俺、結構がんばったよ」

 

 だからさ、ちょっとくらい褒めてくれよな。ジンクロウ。

 

 刃が奔り、光る。

 ゆっくりと視線が()()()。倒れて傾くのでなく、落ちる。

 何をされたのだろうかと首を巡らせようとして、できなかった。それもその筈で。

 目の前に自分の身体が転がってた。

 俺は、どうやら首を落とされたらし――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一瞬、時間が止まったような静寂が辺りを包む。息を呑み、声の出し方を忘れる。

 そして次の瞬間には騒然と、冒険者達のどよめきが響いた。

 

「カズ、マ……?」

 

 それすら何処か、遠い場所の出来事に思える。現実に思えない。

 目の前の光景を現実と思えない。

 剽軽で、悪辣な智慧に溢れた、でも憎めない少年が、首を落とされてそこにいる。そこに、ある。それはもう命のない物だった。

 命はそこから一面に広がっていく。赤い、血。地面を染め上げる血溜まり。

 その中心で存在する少年だった、物。カズマだったモノ。

 

「カズマぁ!!!」

 

 私は叫んだ。叫んで呼べば、起きてくれるかもしれない。半ばそんな望みすら抱いて。

 けれど、そんなことはあり得なくて。

 カズマは死んでしまった。死んでしまったのだ。

 

「さて」

 

 デュラハンが振り返る。その手で殺した少年を見限り、こちらへ、正門に屯する冒険者へ、アクセルの街へと。

 

「次は貴様らの番だ」

 

 静かな最後通牒。虐殺の宣言。

 狼狽えて、後退る者がいた。無惨な少年の骸の有様に、怯えて身を竦ませる者もいた。

 皮肉にも、少年の死が冒険者達を恐怖させた。立ち向かおうとする意志を挫いた。

 何も出来ない。文字通り、自分には何も。起き上がることさえ儘ならない。

 仲間の仇を討つことも。

 

「くっ……!」

 

 無理矢理に身を起こそうとして、失敗する。無様に地面へ突っ伏す。この無力な身体を今ほど恨めしく思ったことはない。爆裂魔法の代償の重さにここまで堪えたことはない。

 

「カズマ……」

 

 脱力して、もう一度名前を呼ぶ。少年はやはり、応えてはくれなかった。

 目が熱を帯びる。熱いものが滲み、零れる。

 震える声で、名前を呼んだ。呼ばずにはいられなかった。どうして、貴方はここにいない。

 

「……ジンクロウ……!」

 

 涙が地面に落ちる。小さな黒い染みが色付いて、そこに。

 一片の羽が舞い落ちた。

 

「へ……?」

 

 頭上、空を見上げた。昼をとうに越して、それでも抜けるように青い。巨大な雲が群を成して泳ごうと遮られることのない大空。その高みに、大きな鷲が見えた。

 一陣、風が吹き抜ける。

 

「……何者だ」

 

 デュラハンの声にはっとして視線を地上に引き戻した。

 いつ現れたのだろう。まるで初めからそこにいたかのように、男が一人立っている。

 どうしてか素肌に皮革のジャケットを羽織り、腰帯に一振りの剣を差した青年。

 ジンクロウがそこにいた。

 

「ジンクロウ!」

 

 思わず、再び名前を呼んでいた。抑えきれない喜びと安堵を自覚する。

 けれど、ジンクロウはこちらの呼び掛けに応えなかった。視線すらくれず、その目はただ一点。ただ一人を見詰めて。

 歩いていく。ゆっくりとした歩調で、慌てるでもなく、焦るでもなく。真っ直ぐに、迷いなく。

 血の溜まりにも躊躇なく踏み入る。今や池の様相で広がった赤一色の中心で屈み込む。ズボンが血を吸い上げるのも構わず、男は両膝を着いた。

 男はそうして、少年と対座した。

 

「馬鹿野郎が」

 

 そっと、男は両手で少年の頬を包む。顔に着いてしまった血をその親指で拭うが、拭っても拭っても血は薄く伸びて広がるばかりで。

 少年の顔はどんどんと薄汚れていく。二度と、元通りにはならない。

 

「どうして逃げねぇ。逃げちまえばいいじゃねぇか。逃げて何が悪い。何を(はばか)ることがある。誰が咎める。誰が……」

 

 独り言のような呟きが、不意に止んで。

 

「俺か」

 

 男は静かな吐息を零す。

 

「俺の、所為か」

 

 何も、言えなかった。名前すら呼ぶことは躊躇われた。ジンクロウのあんなに大きかった筈の背中が、今は小さく、そしてどうしてかひどく……老いさらばえて見えた。

 鉄靴が地面を打った。

 デュラハンは何故か待っていた。ジンクロウの行為に、何をするでもなく。

 しかしそれも終わりだと、剣の切先を突き付けることで示す。

 

「お前が件の剣士だな」

「……」

「その小僧は今俺が斬った。ならば()()()()()()。ゴブリン・ウォリアーを直接屠ったというその剣技、この俺に見せてみろ」

 

 傲岸にデュラハンは言い放つ。ジンクロウを焚き付けようという意図がありありと透けた物言い。

 しかしジンクロウは動かなかった。剣先で背中を差されているにも関わらず、振り返ることさえしない。

 

「今日のところは見逃して頂けまいか」

「なにぃ……?」

「な」

 

 ぽつりとジンクロウは言った。

 意味が分からなかった。どうして、そんな。

 カズマは殺された。このデュラハンに首を断たれて、こんな無惨な姿にされた。だのに、どうして。見逃して欲しいなんて。

 ジンクロウの口から出た言葉とは思えなかった。

 

「御存知かは分からんが、この街、アクセルは駆け出し冒険者の集う地。御手前の如き強者が攻め落とす価値はござらん。戦時というならば尚の事。聞けば、御手前は一軍の長であられるとか。戦を仕掛けに参られたというなら使者を立て口上を述べるが作法と存ずる。少なくとも“この地”では、それが法理でありましょうや」

 

 理路整然と言い募る。それはひどく理性的な、不戦の申し出だった。

 

「確かに。俺が生きていた時代から宣戦布告と交渉は慣例だった。それで血を流さず済んだ戦も一つと言わず知っている」

「なれば」

「だが」

 

 大剣が振り落とされる。地面を砕き、土石が飛び散る。

 

「それは人間の法だ。我が身はデュラハン。とうの昔に人道を落伍し、魔道に身を堕とした。そしてお前達は冒険者。そしてこの街は新たな冒険者を生み出す温床。そしてお前達を殺すことこそ、魔物の理……故に」

 

 そうして翻った大剣の切先が指し示したのは、倒れ伏す自分だった。

 

「この街の者は、皆殺しだ」

 

 決定事項を読み上げている。デュラハンの口調には気負いも激情も含まれていない。ただ与えられた務めを為す、そんな機械染みた無機質ささえ感じた。

 どうにもならない。停戦交渉は呆気なく決裂した。

 

「そうかぃ」

 

 ジンクロウは言った。そこには何の感慨も無かった。相手の無法に怒りも、戸惑いもしていない。

 デュラハン同様、あるいはそれ以上に無感動に。

 不意に()()()と、その肩が震えた。

 

「そうかぃ。そうかそうか。くくっ、くふふふふふ……」

 

 微かだった震えは見る見る激しくなり、遂にはひきつけを起こしたかのように、ジンクロウは笑い出した。

 

「呵々ッ、呵々ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!」

 

 高らかに、哄笑した。悦びを謳って、こみ上げる快哉を笑声として口から吐き出し続けた。

 

「ジン、クロウ……?」

 

 楽しそうだった。とてもとても楽しそうだった。ぞっとするほどに。怖気が全身を震わすほどに。

 

「……何が可笑しい。仲間を殺され、気でも触れたか」

「カカカッ、クフッ、いや、いやいや……」

 

 ジンクロウは頭を振る。

 笑いを堪えるその様に、デュラハンは苛立たしそうに大剣で空を斬った。

 

「なに、己一身の都合で街の者らにまで巻き添えを食わすのぁ、気が引けたのよ。他人様の命を博打の質に当てるなんてなぁ、それこそ無道であろう? 今ばかりは御手前にはお帰り頂いて、後日に……と、賢しいことを考えておったのだが、ぷっ、いやいや、手間が省けた。くくっ! あぁ、まこと、よくぞ言うてくだされたぁ……よくぞよくぞ」

「やはり狂ったか。所詮は心弱い人間、ということか」

「よくぞ、よくぞ……」

「ならばお前も、その少年と同じ所へ送ってやる」

「よくぞ……」

 

 デュラハンが剣を構え、その背中に向かう。生かしておく価値も消え、言葉通りの、慈悲を与える為に。

 ジンクロウ。名前を呼ぼうとして、喉が詰まる。手を伸ばそうとして、体が竦む。

 どうして。

 逃げて、とか。危ない、とか。言うべきことがたくさんある筈なのに。

 どうして、こんなにも。

 

「――――()()()

 

 男は少年の首をそっと置いた。壊れ物をそうするように。

 蹲っていた背中が、立ち上がる。

 ジンクロウが初めて振り返る。

 

「よくも、やりやがったな」

 

 その貌に笑みは無かった。何も無かった。

 敵を見据える鋼鉄のように冷えた両目があるだけ。

 左手が鞘を握り、親指で鍔を弾く。柄に手を掛け、ジンクロウは剣を抜いた。

 鈍い銀の刀身が露になり……消える。

 

「奪るべき首級(くび)も、命も持たぬ屍。ならばしょうがねぇ……」

 

 銀が消える。代わりに刀身を塗り潰したのは、紅。

 目に突き刺さるように鮮やかな、血の紅。

 

「貴様の魂、喰ろうてくれるわァッッ!!!」

 

 ああ、どうしてだろう。こんなにも。

 こんなにも、ジンクロウが、こわい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





ネタバレ次回予告

激突! デュラハン対ジンクロウ!
え? カズマさん? アクア様が蘇生しました。


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