この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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戦闘シーンは文字数はかさむしテンポは死ぬし更新速度は輪を掛けてゴミになりがちで怖い。

でも愉しい。


29話 魂老いても未熟を知る。それは果たして幸か不幸か

 

 

 村へ着く頃には日暮れも間近であった。

 当初の予定通り探索は一夜を明かし、早朝を待って行う。

 夜の森は間違いなく獣、魔物の領域だ。人間などという非力な生き物が不用心にそんなところへ足を踏み入れるならば、餌になる覚悟が要る。

 一刻を争うとはいえ、無茶無謀で事を仕損じては世話もない。

 逆に言えば我らは時を得た。ならばやれるだけの備えを固めるに如かず。

 差し当たり情報収集なぞが適当であった。

 

「ここいら一帯はもともとグリフォンの棲み処だったんです。曾曾じいさんの代にはグリフォンの家族が巣を作っとったそうで、えぇもうかれこれ二百年近く昔から」

「その所為か、この村じゃ一撃熊や白狼に悪さされるなんて滅多にねぇんですよ。残念ながら今では数も減って一頭だけになってたんですが、この一頭が身籠っておったんですわ。三ヶ月くらい前はまだ腹も大きかったです」

「一時期、姿が見えなくなってどうしたんだろうなんて言ってたら、うちの子が森の泉でグリフォンにばったり出会(でくわ)したとかで……そのすぐ後かねぇ、突然マンティコアが森で暴れだしたのは」

「オレ見たよ。グリフォン、手に怪我してた。針みたいなのが刺さってて……すごく痛そうだった」

「マンティコアの毒針が刺さった土は周りの木が枯れやがる! 枯れ木には毒が残っていて焼いて出た煙は吸うと目や喉がやられるし、おちおち薪拾いも出来やしねぇ……!」

「泉の水はもう飲めん。マンティコアの野郎が水場にしていて近付けん上、あの毒気では……」

「……いよいよとなったら、村を捨てなきゃならん」

 

 村長は言った。疲れ切った諦めの念……それは無理からぬ心情であったが、それのみでは断じてなかった。

 山村に住まう百人強の家族を生かす為、痩せ衰えた老爺は覚悟を唱えた。故郷を捨てるという最後の決断を。

 それをただの諦めなどとどうして言える。長としての責めを放り、老骨をこの地に埋めてしまった方が遥かに安楽だったろう。過去、少なくとも二百年から培い育んできた生活基盤を手放し、また一から全てを作り上げねばならぬ。生きるとは時に、死をも超えて難行だった。

 それでも生きると、老人は言った。

 

 ――――ならば、この死に損ないが為すことは一つ。この身の使い道など、一つきりではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明くる朝、白く焼けた陽光が林を抜け、夜明けの歓喜を鳥が歌う頃。

 草を踏んで森へ分け入る。とはいえ、前回のゴブリン討伐の際に登った山道に比べれば、木々は疎らで草叢も背が低い。歩き回るには然程難儀しなかった。

 

「風下から回り込み、件の泉へ向かうのが良かろう。お前さんは見たことあんのかぃ、そのグリフォンだのマンティコアだのってぇのは?」

「あ、はい。戦ったことはないですけど、里の周りにはわりとたくさんいました。里の入り口には石化されたグリフォンが彫像として飾ってありましたし」

「はっ、そいつぁまた珍奇な趣向だこって。いやまあ己に比べりゃ格別重畳だ。俺が知っておることなど精々伝聞と挿絵くらいのもんでな、ははは」

「えぇ……よ、よくそれで依頼を受けようって思いましたね」

「物好きが祟ったかねぇ。ああ今からでも遅くはねぇぜおゆん。こんな危なっかしい依頼はこの物好きに放って、お前さんは降りたっていいんだ。誰も責めやしねぇさ」

「そっ、そんなことできません! ギルドの受付さんにどうしてもって頼まれたことですし、困ってる村の人達を放ってなんておけません! それに! そ、それに、それに、あの……」

 

 躊躇いどもりつっかえて、沈黙が続くこと三拍四拍、息を吸い吐くこともう三拍。

 その場に立ち止まり、待つ。状況は一刻を争うが、一瞬を惜しむほど逼迫している訳ではない。なにより懸命に口中で言葉を紡ぐ娘の様、それを急かすのはどうにも憚られた。

 そうして、どうにかこうにか吹いて飛びそうな小さな声で。

 

「な…………仲間……ですし」

「ありがとうよ」

「すすすすみません仲間とか気安く言っちゃいました調子乗りました!! …………え」

「さ、では行くとしよう」

「! は、はい!!」

「あ~、なるべく静かにな?」

「すっ! ……しゅみません」

「くくく」

 

 娘の一喜一憂に揺れ動く百面相は、実に面白かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 林を進むこと一刻(二時間弱)ほど。回り道のわりには比較的早く、水の匂いが香った。そしてそれに混ざり絡み付く饐えた臭い。

 無言でゆんゆんに手で示し布で鼻と口を覆わせ、己自身も覆面を施す。

 歩み、進むほど見えてくる。木々に、地面に突き刺さった長さは一尺か二尺ばかりの黒く細い棒。そしてそれが刺さった個所は何れも黒ずみ、煮崩れたかのように泥濘化していた。

 これが話に聞く毒針か。

 

「麻痺だ神経だってぇならまだしも可愛かったな。奴めの毒はどうやら触れた端からそれを侵し蝕むようだ」

「……」

「? どうした、おゆん?」

「い、いえ、あの、針の大きさが……」

「! 隠れろ」

 

 前方から気配を聞き取って、傍らの娘子を引っ張り込み木の裏手に身を隠す。

 

「マンティコアですか!?」

「そのようだが……もう一頭、おるな」

 

 慎重に、木々の影を伝いながら近寄っていく。大気を揺るがせる音と威勢。獣の、鳴動を異にする二種の咆哮。

 不意に隠れ蓑たる木々の途切れ目に行き会う。拓けた地面、浸食され露となった岩肌、それに囲われるように空いた窪地に満ちる豊かな水。森の只中に湧き出た大地からの恵み、この場所は、それは美しい清泉だったのだろう。

 今では見る影もない。随所が溶け崩れた草木に覆われ、濁り淀んだ毒沼が眼前にある。

 そしてその沼の畔でソレらは対峙していた。

 

「ゴルルルルル…………」

 

 片や人面獅子。身の丈は優に三間(6m)を超える巨躯。やや緑がかった体毛で全身を覆い、鬣は黒。顔は一見して男とも女とも付かぬ。形相ばかりが険しくも禍々しい。

 

「キキキッッ!!」

 

 片や鷲にして獅子。並ぶ木々の天頂よりもやや高くで翼を羽搏(はばた)かせ滞空している。鷲と同じく白牡丹のような鮮やかな純白の羽毛、鋭い鉤爪を具えた猛禽の前脚、そして胴から後ろ脚は太く強靭な獅子のそれ。合成獣(きめら)などと綽名(あだな)されるも肯ける奇怪な有様よ。

 しかし、すぐさま湧いた不審が口を吐いた。

 

「小さいな」

「大きい……!」

「ん?」

「え?」

 

 はてな、とゆんゆんと顔を見合わせる。

 あのグリフォンは体高、体長共に馬と同程度。相対したマンティコアの巨体に比べれば一層その体躯の小ささは際立った。が。

 

「マンティコアですよ! あんな大きな個体、紅魔の里でも多くありませんよ!?」

「おっとそっちかぃ。するってぇと……あのグリフォン」

 

 その前脚を見る。何れも傷など付いていなかった。

 その体、特に腹を見る。孕み腹には到底見えず、さりとて産後間もないといった衰弱も見て取れぬ。

 威嚇の咆哮(こえ)、翼の扱い……何よりその眼。不純物を一切宿さぬ澄み切った、無垢の眼。自身を遥かに超える巨大な敵を前にして当然発すべき一抹の怯懦の色すら浮かべぬ、それは無知の眼だった。

 

「そうか。あれが雛鳥か」

「雛?」

 

 ここ三月の内に子を産んでいたのだろう。

 

「あぁ、そうかぃ。腹の子の為……」

 

 出産を控えた親鳥は自身の滋養、そして産まれてきた雛の餌を求めて、己が縄張りを逸脱してまでも狩りへと赴いたのだ。

 そして運悪く、あの人面獅子の領域を侵してしまった。

 どのような戦闘風景が画かれたのか、それは想像するより外ないが。親鳥は敢えなく返り討ちに遭い手傷を負って逃散した。それで済めば事は単純だったろう。

 しかし、マンティコアはそれだけでは満足しなかった。どころか、今度は彼方がグリフォンの領域を侵し、それだけに留まらず己が新たな居城として全てを奪い取らんとしている。

 

「さて、どう出るかね」

「……どっちの味方をするか、ってことですか?」

 

 物分かりの良い娘に笑んで頷く。

 マンティコアはその尾を真横に振るった。先端に群生した針がその勢いで抜け飛ぶ。狙いは当然、自己を見下ろす有翼の獅子。

 一際大きく翼をはためかせてグリフォンは針を避ける。避ける。一本や二本などと(はした)な数ではない。十二十と夥しい数が一斉に注がれるのだ。しかもかの毒針は掠り傷一つが致命となる腐蝕の猛毒入り。雛といえど、グリフォンはそれを理解しているのだ。故に避ける。避けるより外に術がない。

 一進一退と言えば聞こえは良いが、内実の情勢は至極一方的。

 

「……雛は、そう長くは持つまい」

 

 右へ左へ尾が振るわれる度に空を覆う針の幕。

 グリフォンは一向に近寄れぬまま、しかして弾幕を躱さねばならず悪戯に体力だけを奪われている。滑空ならばいざ知らず、飛翔し滞空するには常に羽搏き続けなければならない。それもこのような宙の低みで、雑木林を気にして満足に速度も出せぬとあっては。

 程なく、動きが鈍り始めた。高度の維持すら儘ならない。

 飛翔という優位性が死ぬ。

 マンティコアは自身の間合を誤りなく把握していた。グリフォンが一定の高さに達した瞬間を見逃さず――――跳び掛かる。

 

「ガァ!!」

「キィ!?!?」

 

 獅子に相応しい太く強靭な前脚、そしてその指にもまた獲物を捕らえる為の爪が具わっている。

 空舞う鷲は地上へ引き堕とされ引き倒され、仰向けに転がったところをマンティコアは前脚で踏み付けた。胸の辺りを押さえ付けられ、グリフォンは地面に張り付け状態となる。

 藻掻き、足掻き、何としても拘束から逃れんとするグリフォンをまるで嘲笑うかの如く……いや、事実その人面には禍々しき笑みが浮かんでいた。組み伏せた非力な弱者を嘲弄し、自己の強力(ごうりき)を誇り驕る。

 そう、初めからあの人面獅子は、グリフォンの雛など手遊びの的としか認めていなかった。あの雛の拙い飛翔能力が相手ならばいとも容易く決着を付けられたろうに。羽虫の羽を一枚ずつ毟り取るかの悪辣な嗜虐心。そんなものが、ありありと透けて見えた。

 なるほどあれこそは魔物の名にし負う、邪悪の(えみ)よ。

 

「……」

 

 この時点で己の腹は九分九厘決まっていた。鞘の鯉口を握り、指は鍔に掛け何時なりと抜刀が能う。

 しかし、待つ。

 

「グルルルル……!」

「キッ!! キュィッ!! キキッッ!!」

 

 未だマンティコアはグリフォンを踏み付けにしたままその無様を見下ろしている。止めも刺さず、さりとて爪や毒針を使って甚振る素振りもない。

 一方で、静止したままの体に比して、針の尾はゆっくりと動き続けていた。す、す、と半円を描くように、それこそ鎌首を擡げる蛇同然に。

 

(怪物めが)

 

 やはり、思った通りあれには――――

 

「っ! ダメ!!」

「!? 待て! おゆん!!」

 

 突如、木の影からゆんゆんが躍り出る。こちらの制止など耳に入れず、広げた掌を頭上へと翳し。

 

「『ライト・オブ――――」

 

 どのような魔法を繰り出すつもりであったのか……知る由もない。それが発現するだけの暇が与えられなかった。

 毒針が、狙い過たずゆんゆんに降り注いだのだ。

 

「え?」

「!」

 

 立ち尽くす娘子を、転身しながら追い抜く。その真ん前へと陣取る。

 飛来する針の群へ、相対する。

 五本。襲来する数十の針の内、命中の軌道にあるのはたったそれだけ。それだけ斬り落とせばいい。

 既に抜打ち、一本目を斬り折った。

 二本目、三本目を返す刀で同時に落とし。

 

「ちぃッ……!」

 

 四本目が右肩を掠めた。

 五本目を縦に両断して即座、逆手に持ち変えた刃で肩口を裂く。

 垂れるほどだった血が小滝めいた勢いを得て流れ出る。

 

「シノギ、さん……? ――――っっ、あ、あぁっ、シノギさん!?」

「一旦退く。立て直しだ」

「っ! は、はい……!」

 

 狼狽しかけたのもほんの一瞬のこと。娘はこちらの言を聞くや泣き言全てを飲み込み、前を見た。目の前の現実を。

 猛烈な勢いで人面獅子が迫ってくる。針で手傷を与えた獲物。狩り獲るに何の労苦も要らぬ、とでも踏んだのだろう。

 今自身が足蹴にするもう一匹を放り捨ててさえ。

 

「呵々っ、二兎目を追ったな? 愚か者め……!」

 

 爪先で足元を小突いた。それは其処ら中に幾らでも散らばっている。惜しげもなく寄越してくれた。有り難いことよ。

 針を、宙に蹴り上げる。くるりくるりと回りながら己の胸先ほどに舞い、上がり、重力の引手に捕まる。後は落ちるのみ。落ちる。その前に。

 左脚を斜め前方へ踏み出し、地面を削り固定。同時に、上体を半回転、その回転運動に合わせ右脚を繰り出す。斯く在りて体重移動力は遠心する。力は体軸から大腿、脛から足首、遂には脚甲へ到達。

 生木の(しな)りめいた蹴撃の狙いは一点、空中を舞う毒針。

 ――――つまるところ、針の尻を思い切り蹴り込んだ。

 びゅん、と。真っ直ぐに射出されたそれは、意気揚々と喰らい付いて来たその人面の、左目に深々と突き刺さった。

 

「ギッッ!?!? ギャァァァアアァアァァァアアアアアアアア!!!!!」

「大当たり」

「目を閉じてください! 『フラッシュ』!!」

 

 咄嗟に腕で顔を覆う。

 それでもなお凄まじい光が辺り一面を照らしたのだと、この目に走る鋭痛が物語る。

 

「ギィイィイイイィイ!?!?!?」

 

 残った右目を焼かれたマンティコアの激痛に比べれば、微々たるものであろうが。

 地を盛大に揺らしながら、真緑の巨体が打ち揚げられた魚のようにのた打ち回っている。

 これ幸いと、我々はその場を退散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 念を入れて、逃走先は村から逆方向へ行く。まかり間違って怒り狂った怪物が村を襲うような事態だけは避けねばならない。

 幾重にも連なる木立を抜けること四半刻ばかり。

 相応に距離を稼いだことを見計らい、一本の木に背を預けて座る。

 

「シノギさんっ!」

 

 途端に娘は飛び付いてきた。傷口を診ようとする手をやんわりと往なし、被っていた白布をジャケットの上から巻き付ける。

 圧迫はごく弱く。血は流れるままにさせ毒の流出を促す……気休め程度の処置だが。

 

「わた、私のせいで……!」

「いいや、お前さんの御蔭よ。雛鳥は無事に逃げ果せた。まったく……己がもたもたと動き出さぬばかりに危うく手遅れになるところであった。いやぁ御手柄だぜ、おゆん」

「っっ……そんな、そんな風に、優しいこと言わないでくださいっ……私のせいなのに……私が先走って相手に気付かれたから……!」

 

 ぽろぽろと涙を溢す娘子に笑みを返す。

 今にも嬲り殺しの目に合わんとしている仔鳥を見て、煩雑な戦の勘定などする己こそがどうかしていた。娘は頭ではなく、心で動いたのだ。その行いを責める理由が一体全体何処に在る?

 一度鼻を啜ると、娘は涙目に力を込めて己を見た。

 

「リタイアしましょう。すぐ街に戻って、プリーストの人を探して浄化魔法を掛けてもらわないと……」

「いや、街へ取って帰すにはまだ仕事が残っておる」

「な、本気ですか!?」

「ははは、応とも。いやなに、別に意固地で言ってんじゃあねぇ」

 

 娘は蒼い顔に固い表情を浮かべる。

 それがどうにも労しく、思わずその目尻の涙を拭っていた。

 

「んっ……」

「泉までの道中、森の様子は目にしたであろう。己の見通しが甘かった。事態(こと)はもはや火急の極み、そしてここが瀬戸際だ。今あの人面獅子を何とかしなけりゃ、この山……否、山谷原野の一切尽く、尋常な生き物の棲めぬ魔境となろう」

 

 様は無い。マンティコアという魔物を侮った附け。この傷は、己が未熟を知る良い目印である。

 ――――そして、次は此方の手番だ。

 

「そ、そうかもしれないですけど! ピュリフィケーションだって毒が回り切ってからじゃ意味ないんですよ!? もしっ……もし手遅れに、なったりしたら」

「うむ、それもそうだ。なればこそ己の命がある内に手早く済ませねばなるまい」

「っ! シノギさん!!」

 

 蒼かった顔が途端に紅潮し、娘は怒りも露に泣き声を上げた。

 

「言っていい冗談と悪い冗談があることくらいボッチの私にだって解るんですからね!? 本当の本当に洒落にならないくらいマンティコアの毒は危険なんです!! だから私こんなに焦って心配して右往左往してバカみたいじゃないですか!? それなのに! それなのにぃ!」

「おぉどうどう」

 

 ガ―、と仔犬の威嚇のようにゆんゆんが発奮する。両手を上げて降参を示すが、一向取り合ってはくれぬ。

 

「すまんすまん、そう怒らんでくれ。堪忍してくれぃ。うむ、己の物言いが無思慮だったな。あぁそうだそうだ。お前さんの言い分が正しい。すまん、許してくれ? な?」

「もぉ!!」

 

 己の謝罪をその場凌ぎとでも受け取ったか、娘は膨れ面でじと目を呉れた。同じ紅魔族と聞いてか、思い出されるのはやはりあの傾いた娘っ子の顔だった。

 

「さあ時間も無ぇ。幸い毒の回りは(すこぶ)る鈍い。この五体が自在の内に片を付けようぞ」

「……マンティコアを何とかしたらすぐに街に帰ります。約束ですよ?」

「ああ、約束しよう」

 

 上目遣いに睨まれれば、唯々諾々肯かずにはおられぬ。

 なかなかどうして、人を誑せる娘だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手柄と一口に言ったが、それは何も雛鳥の窮地を救ったことのみではない。

 むしろこれこそ、娘の大手柄と言える。

 

「あの怪物、尻尾にも目がありやがる」

「目……?」

「や、物の喩えでな。本当に目玉が埋まっている訳ではない。しかし、そう言って差し支えないほどに、あの尾っぽの感覚は鋭敏なようだ」

 

 獅子の人面は完全にグリフォンを見下ろし、我々はその死角に当たる方向の木立の影に隠れていた。

 にも関わらず、ゆんゆんが飛び出した瞬間にも彼奴はこちらの姿を捉え、且つ攻撃してきた。反応、行動までの淀み、時差とでも言うべき間は限りなく絶無(ゼロ)

 つまり、あの怪物は初めから第三者の存在を感知しており、その尾で以て周囲に探りを入れていたのだ。そして“グリフォンとの戦闘行為”を囮として、まんまと我々を誘き出してみせた。

 

「返す返すも、狡猾よな」

 

 そして、悪辣であった。思い出されるのは、己がこの世界を訪れた日、初遭遇した『初心殺し』と呼ばれる魔物。手傷を与えた獲物を(わざ)と逃がし、それを助けに来た者ら諸共狩り獲るという凶悪な知恵。

 これを斃すとなれば、こちらも同等以上の知恵を絞るか……あるいは。

 

「おゆん、ちょいと頼めるかぃ?」

「な、なんですか。私に出来ることだったら何だってやりますよ!!」

「ははっ、そりゃあ心強い。だがまあ、やるこたぁ至極単純でな……」

 

 気合十分に両手に握り拳を作る娘子。

 その気負いを和らげてやる為に、努めて気安く。

 

「お前さんの魔法で、あの厄介な尾っぽをぶった斬って欲しいのよ」

「え!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何処だ。

 何処へ消えた。

 あの忌々しい人間共め。

 絶対に逃さぬ。絶対に見つけ出し、その腹を引き裂いて腸を啜り食ってやる。いや、いや、この身が味わった苦痛をそのままにして返さねば。ならばその片目を抉り出し、残った方の目の前でそれを噛み潰して見せてやる。

 許さぬ。許さぬ。許さぬ!!

 

「ってぇ(ところ)かぃ? 手前(てめぇ)の腹は」

「ゴァッッ!!」

 

 草を踏み、木洩れ日を刃の肌で弄びながら、悠々と歩み寄る。

 憤怒の情念をそのまま象ったかのような形相。兇相。人のそれに近しい形をしているが為に、表出した感情は殊更に明白であり斯くも瞭然。

 マンティコアは怒り心頭に発して、のこのこと姿を現した己を睨み付けた。

 間合は五丈(15m)ほど。とはいえ、対手の巨体と脚力あらば一跨ぎの距離でしかない。

 あの針に至っては、既に射程圏内である。

 

「駆け比べと行こうか」

「ガァァアアアア!!!!」

 

 一振り、二振り、立て続けに尾が振るわれ、夥しい数の針が眼前を覆った。

 瞬発し、横っ跳びに躱す。動き出す様が見えている今、専心すれば回避それ自体は容易い。

 問題は、避けるばかりでは一向に近付けぬということ。近付けねば斬るも斃すも話にさえならぬ。

 あるいは二、三本受ける覚悟で踏み込めば。

 

(一太刀は浴びせられるか)

 

 その一合で斬り切れればそれでいい。その後の己がどうなるかはさて置き、生態系を脅かす要因をこの身一つで取り除けるならばそれは安い買い物と言えよう。

 しかし出来ぬ。それは今や選ぶことの叶わぬ選択肢となった。

 娘子に泣かれてはやはり、敵わぬ。

 

「おぉっと危ねぇ」

「グルルルル……!!!」

 

 跳躍の着地点を狙って放たれた針を、剣の重みで叩き落とす。続く弾幕、斜めに斬線を走らせ、身体に通った射線の針のみ斬り払う。

 走り、また走った。

 

「あぁ忙しい忙しい」

「シィェエャァァアアアア!!!!」

「呵っ、五月蠅(うるせ)ぇよ」

 

 ――――手筈は、呆れるほど代わり映えしない。全く同じと表してもいい。

 

 己が演ずるは今日この日この時もまた囮役。脚と嘲弄によって魔物の気を引き、その隙を露見させることが御役目であった。

 されど今日に限ってはこれが難行。

 敵には二つの目があった。顔に据わった両目、そして尻尾に埋まった感覚器という“目”が。

 これら二つを同時に、己一身へと引き付け、他所を向かせず釘付けにせねばならない。

 

 対敵マンティコアは実に用心深かった。激昂し、(あたか)も視野狭窄、忘失の体である癖に、その尾は針を射出しながらに、今以てゆらゆらと揺れ動き周囲の警戒を怠っていなかった。

 恐るべき戦馴れ。冷徹に、敵は伏兵の存在を確信している。

 これでは奇襲など為し得ない。先程の焼き直しが関の山。どころか、さらに無惨な結果が待っていよう。

 どうすればその判断能力を奪える。どうすればその沈着冷静の面貌を剥ぎ取れる。

 どうすれば――――決まっている。目には目を、歯には歯を。

 悪辣な所業には悪辣な手管を弄すまで。

 

 また毒針の雨が降り注いだ。それを、待ち受け、剣を振り被り。

 ()()()()()。刃の腹、取り分け(しのぎ)を使い、五、六本をいっぺんに。

 

「ガゥ!?」

 

 跳ね返った針数本が一挙に、人面獅子の顔面へ殺到した。命中する前に、それは獅子の前脚によって防がれたが。

 

「うぅむ惜しいな。残ったもう一つにも生やしてやろうと思ったんだが……」

「――――」

 

 嗤う。眼前の獣を嘲笑する。

 指差し、口端を歪め、一目瞭然の意思を目一杯に表現する。

 

「それよ。そこに埋まっておる目玉よ。大事な大事な最後の一個だ。しっかり守らねば、ほれ!」

「!!」

 

 足元の針を蹴り飛ばす……真似をする。

 実際には、土を幾らか削っただけだ。

 しかし反応は劇的であった。前脚を上げ、獣は自身の顔を庇った。

 そしてそれがただの()()であったことを覚った時。そしてそれを見られ、見たその人間がどんな顔をしているのか認めた瞬間。

 

「ッッッッ!!!!」

 

 咆哮は音を伴わず、代わりに何かが切れた音を聞いた。神経か、血管か、それとも堪忍袋の緒か。

 

「呵呵ハハハハハッッ!」

「アアアァアアアアァァアアアアアアアッッ!!!!」

 

 十重二十重、針が視界を覆う。弾幕から間隙が消えた。

 疾走し、木々の裏、影を渡る。樹皮と幹を抉る弾着音、次いで響くじゅぐじゅぐとした悍ましい濡れた音色。

 幹の中心までも溶かされた木々が次々に立ち枯れ、続々と倒れていく。

 このまま行けば森中の木が枯れ落ちても不思議はない。いや、森の全域が禿げるよりも前に。

 

「ガァァア!! ハッハァアアアア!!」

「……こいつぁ不味い。隠れ蓑がなくなっちまった」

 

 針の雨霰を凌ぐ盾となるべき木が、もはや数も無い。周囲は一気に開拓され、一面の枯地を晒している。

 逃げ隠れる場を失いつつある鼠を、怒りと喜悦の綯い交ぜになった兇相が笑う。

 これで終わりだと、尾が振るわれた。

 

「っ!」

 

 それを前に、己が為すべきことは変わらない。

 真っ直ぐに走る。人面獅子に背を向けて。

 これは間違いなく暴挙。背を見せることは勿論、射撃に対して直線方向を逃走するなど愚行中の愚行である。

 獅子は容赦なく己を背中から射殺そうとするだろう。踵の先に針の着弾を感じる。

 背骨に走った悪寒を頼りに剣を背後へ振れば、寸でのところで針が手元で弾かれた。

 次の刹那、針は自身を貫くだろう。その次のもう一刹那で、我が身は文字通り針の(むしろ)となるだろう。

 同時に、針を放ちながら猛然と追走してくる人面獅子。彼奴は何の手心も無く毒で煮崩れた己を轢き潰すだろう。

 その前に、至る。この脚を届かせる。

 走り、走り、走り――その末にようやく辿り着いた。

 眼前に迫る大樹。幹回りは大人三人が両手を広げて届くほどの、見事な巨木。

 

「はぁっ!」

 

 その樹幹に、足を掛けた。樹皮を踏み付け、一気に駆け上がる。

 その足跡に追い縋るように針が次々に刺さり刺さる。

 一切の減速なく駆け登る。駆け抜け、そうして踏むべき幹が消えたその最上、頂点で、跳んだ。

 

「ガァッ!?」

 

 空中で身を躍らせ、転身して眼下を見やった。

 地上から三丈(10m)弱、見下ろす先には人面獅子。その人面が驚愕から一変、喜色満面を浮かべた。

 

「……」

 

 飛翔する為の翼も持たぬ人間風情が、空に。宙に身を投げた。自ら俎板(まないた)の鯉に成り下がった。

 敵はそれを覚り、こちらの愚を嘲笑したのだ。そして遂に、憎き窮鼠を嬲り殺せると、その念願が叶うことを確信し、悦を堪えられなくなった。

 獅子が、尾を立てる。

 

 上空に在る敵を、何よりも針で、確実に仕留めんと欲するならばその姿勢こそが最良。絶対に外しはしない。外してなるものか。毒で甚振り、最後には溶け残りを食い散らかしてくれる。この儀、事此処に至ってそれが出来ぬ道理があろうか。出来る。出来るのだ。ようやくに。ああやっと。殺してやる。矮小な人間の分際でよくも。

 

「などと、考えたかぃ?」

 

 尾を立てた。尾を立てて、背面から前方斜め上方へとその先端を向けた。

 そうよ。それよ。それを待っていた!

 

「『ライト・オブ――――」

「ッッ!?」

 

 二種の“目”を持つ魔物に死角など無い……一時はそう思われた。しかし、解は既にあったのだ。あの、雛鳥がそれを示してくれた。

 飛翔する敵に相対して、だのにマンティコアは決して尾を立てなかった。

 少なくとも、左右以外に尾を動かすということをしなかった。身体構造的に不可能であるから、針の射出の都合、両モンスターの力量差――諸々理由は考えられるが、己の勘はどうにもそれが、対敵にとっての不都合を隠す為のものに思えてならなかった。

 上空、殊に真上を翔ぶ敵を狙うなら尾は縦に振るうのが効率に適う。それをしないということは……その勘働きは正鵠を得る。

 

「――――セイバー』!!」

 

 金色の光輝が奔る。それは長大な一刀の刃と成って大気を引き裂き、横一文字を描きながら。

 マンティコアの尾を斬り断った。

 

「ギィィイイイギャァアアアアアアアアアアアアアアア!?!?!?!?」

 

 射撃装置を失った獅子は、尾を断たれた痛みと不意を打たれた衝撃にもはや迎撃の構えすら取れず。

 対して己は、我が身を重力の手に委ねて刃を返す。切先は真下を差し、逆手に握った剣を構えてひた落ちる。

 真っ直ぐに、人面の眉間目掛けて。

 

「あばよ」

 

 するりと、実在を疑うほどに軽く、皮を肉を頭蓋を、脳髄のその幹を貫いた。

 一つの生命を刺し殺した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 血振るいし、刀を鞘に納める。

 思いの外に手間取った。事程左様に己が見通しの甘さを右肩の傷共々に痛感する。

 

「己もまだまだ……か?」

 

 自己の未熟を嘆くべきか、琢磨する余地を知り喜悦すべきか。ふと思案などしてみる。

 考えてはみたが、どちらもただ気疲れだった。悲喜交々を思って揺れ動くを厭う。それこそ正しく魂の老い。

 耄碌爺が張り切り過ぎた。今回の顛末は、つまりはそれだけのこと。

 帰ってカズマに愚痴でも投げよう。酒と飯を幾らか食らわせれば、少しは付き合ってくれるだろうか。

 

「シノギさん!」

「おぅ、おゆん」

 

 少し離れて潜んでいたゆんゆんが小走りに寄ってくる。

 思えば今回この娘には世話を掛け通しだった。何か礼をせねば。

 などと思い巡らせていたところ、傍に駆け寄ってきた娘はさっと己の手を取るやぐいぐいと引っ張って行こうとする。

 

「っとと、どうしたどうした」

「どうしたもこうしたもないです!! すぐにアクセルに戻りますよ! もう時間がっ、早く解毒しないと……!」

「あぁ」

 

 そういえばそのようなことを言っていた。いや、約束していた。

 しかし、どうにも慌てた心地は微塵とて湧かぬ。さらに言えば、心身は至って平常運行。

 

「おゆんよ、どうもその必要は無ぇらしい」

「何言ってるんですか!? もぅいい歳して病院に行きたくないとか言わないでください! さ! 行きますよ! 早く早く」

「いやいやそうではなくてな。毒気がな、どうにも感じられん。調子も変わらず、体もこの通り平気の平左と来た」

「はぁ!? そんな訳……あれ?」

 

 己の顔を見て、体を見て、もう一度顔を見て、そうして今度はぺたぺたと其処彼処を触り出す。

 血は多少失った感を覚えているが、傷の痛みは見た目通り、腐蝕毒による浸蝕のような激痛や毒症にありがちな嘔気、目眩、発熱もない。

 有体に言ってぴんぴんしている。

 

「な、なんで……? 確かに毒針で傷付いたのに……」

「うむ、心当たりが無いでは無い」

 

 頻りに首を捻るゆんゆんに、鞘に納めたそれを見せた。

 

「諸々省くが、こいつぁ血と魂を喰らう妖刀でな」

「はぁ!?」

「毒を出す為に傷口を斬り裂いたのだが、血を摘まみ食いしたついでに毒気も吸い取っちまったようだ」

「あ、あの、冗談ですよね? 私が紅魔族だから喜びそうなお話を作ってくれてるんですよね?」

「これが冗談のような真の話でなぁ。ははは」

「笑い事じゃないですよ!? 捨てましょう!! 今すぐに!!」

「ははははは」

「あぁまた笑って誤魔化されてる!?」

 

 今更驚くことでもない。呪われた妖刀が毒をも喰らう。むしろ自然の有様とさえ思える。

 まあ、少しばかり理屈をでっち上げるなら……あの毒は、所謂生物学だの化学だのが網羅するところの自然物ではなく、むしろ異世界(こちら)側の、魔法だの呪法だのといった類の摩訶不思議な代物だったということだろう。

 非実体の、魂などというものを喰らう刃金。生き物を蝕む殺意の塊たる毒はさぞ、その偏食と悪食な舌に馴染んだろうよ。

 思わぬ効用……などと思えて堪るか。悍ましさに拍車が掛かったわ。

 さ、あれど。

 

「使えるか」

「なにに!? そんな物なにに使う気ですかシノギさん!?」

「おいおい、別に悪さしようってんじゃねぇぜ? ちょいと気懸りなことがあってな」

 

 慌てふためく娘っ子を、またどうどうと宥めつつ。

 頭の隅に置いた記憶を手繰る。

 

「あの雛鳥、何故ここに居た」

「へ? 何故って、この辺は元々グリフォンの縄張りだって村の人が……」

「縄張りの主を張っておったのは親鳥の筈だ。親鳥が死んじまったなら、仔鳥がこの土地に居座る理由はあるまい。何せ分かり易い脅威が、さんざ森だの山だのを荒らし回っておるのだからな」

 

 それでも、あの雛は逃げるどころか無謀にも戦いを挑みさえした。結果はどうあれ、雛のマンティコアに対する敵意は明白。

 無知故の蛮行? それともグリフォンとは生来血気盛んな生き物だからか?

 違う。そうではない。

 雛にはこの土地を外敵から守らねばならない理由があったのだ。

 それは、おそらく。

 

「親鳥は、生きておるかもしれん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場所は泉からも程近い。林を抜けた先に、岩肌を晒した険しい山岳が横たわっていた。そこからさらに歩けば断崖に突き当たる。見下ろせば見付かった。

 岩壁の中ほどにぽっかりと空いた洞穴。そして、吹き上がった風に乗って枯草と糞尿と、何よりも獣の臭いが届く。

 手近な岩に縄を括り、するすると崖を降りる。

 穴に辿り着き、足を踏み入れればもはや間違いようもない。ここはグリフォンの塒であった。

 

「よぅ」

「キッッ……!」

 

 低い唸りと甲高い嘶き、雛鳥が身を固くして己を睨む。

 そして、その奥。洞の暗闇に目が慣れるほど、その偉容は益々大きさを増すようだった。

 双眸が我が身を射抜く。雛のそれとは比べものにならない、生きた歳月を余さず混淆し、煮詰め、凝縮したかのような力強さ。

 体格は、先のマンティコアに優るとも劣らない。雛鳥が真実雛であったことを再認識できる。

 グリフォン。聞きしに勝る怪鳥ぶりよ。

 

「ク……」

 

 だがそれも今は、本領とは程遠い。ぐったりと横たわったまま、ただこちらに顔を向けるだけで精一杯の様子。親鳥は弱り果てていた。

 腕には傷がある。針は既に抜かれた後のようだが、どす黒く変色し血の流れも止まった傷口は見るも無惨。

 毒に侵されたまま、むしろよくぞ今まで生き永らえたものだ。生物としての強靭さは、人間などとは比べようもない。

 限界はすぐそこまで来ていた。もうあと僅かな時間で、さしもの大怪鳥すら命運を天に還すこととなろう。

 

「……」

 

 鯉口を切り、刀身を鞘から抜き放つ。

 

「キキィッッ!!」

 

 当然と、雛鳥が翼を広げ咆哮した。敵意を剥き出しに威嚇を繰り返す。もう半歩でも近付けば、威嚇は鳴り止み、今再び闘争が幕を開けよう。

 

「言葉なぞ解る筈もなかろうが……」

 

 容易には近付けまいと予想は付いていた。武器を持った人間に野生の獣が早々気を許す訳がない。

 だからとて、上策は浮かばなかった。情けない話だが。

 

「し、シノギさん、待ってくださ……ふぇ!? グリフォン!? こ、こんなに大きいの!?」

 

 そうこうする間に、ゆんゆんがおっかなびっくり縄を伝い降りて来てしまった。

 こうなれば無理矢理にでも……そのように、粗雑な考えに流され掛けた。その時。

 

「……」

「!?」

 

 低い唸りが洞に響く。ひどく静かな、それは獅子の鳴き声だった。

 驚いたように親鳥を見上げる雛。親鳥は雛をその嘴で撫で、擦り、そうして引き離した。

 別離(わかれ)の挨拶を終えたのだ。

 親鳥が己を見据え、その頭を垂れる。まるで刑場、土壇場で項垂れる罪人のように、その首を差し出してくる。

 我が首級(くび)を呉れてやると、親鳥は言っているのだ。

 己らが何者であるかのかを覚り、己らがマンティコアを斃したことをも覚り、そして自らが狩られることを許容した。

 雛鳥の代わりに。

 

「……まったく。見事だ。天晴れな覚悟だよ。強きものよな、母親というのは」

 

 どの種族でも、どの世界でも。

 母の覚悟に敵うもの無し。

 刀を構える。上段。視線はただ一点を射す。

 

「っ!」

 

 裂帛を発し、刃を振り下ろした。

 断頭台に差し出された首――――ではなく、その腐り掛けた傷口へ。

 皮一枚。殺ぐのはほんのその程度でいい。

 傷口から綺麗に一枚の皮を切り落とす。刃には、血糊がべっとりとこびり付き、赤黒い尾を引きながら辺りに飛び散る、などということは一滴とて無い。

 傷口からは続々と血が流れ出続けた。まるで重力を忘れたかのように、毒気を孕んだ黒い血は、半円の橋を宙に架けながら、それ以上に紅く黒い刃へ吸い取られていく。

 

「ひ、ひぇえー!?」

 

 ゆんゆんの叫びに苦笑する。これの非常識さと、こんなものを使う己自身とに、呆れ果てて。

 存分に吸い、食い、満足したか。刀は鈍い銀色に戻り、超常の怪力も鳴りを潜めた。

 そして肝心のグリフォンは、あまりの事態に混乱しているのか。ただじっと己の顔を見詰めていた。

 

「ん、傷を診せな」

 

 返答などしようもない相手だ。勝手に見分させてもらう。

 傷口は先程のどす黒さが嘘か幻の如く、今では赤い鮮血が流れている。毒気は完全に吸い尽くされたようだ。

 ふと思い立ち、ジャケットを脱いで開襟シャツも脱ぐ。右袖は破り捨て、残りの部分を小刀で斬り裂き整えていく。

 

「し、シノギさん? 何やってるんですか?」

「纏まった長さの布が無いんでな。こいつで我慢してもらうのよ」

 

 出来上がった包帯を、親鳥の腕に巻き付けていく。

 

「これも気休めだ。腕が元通りに癒える保証もない」

 

 無責任に、伝わるかも分からぬことを言い置いて。

 包帯もまたしっかりと巻き終えて。

 

「……さて、己の用は済んだ」

 

 複雑な色彩の、その双眸を見上げる。

 

「親子共々、達者でな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 村への帰路、娘と二人連れ立って歩いた。

 日も傾きかけている。空は次第に茜に染まっていくだろう。刃金の紅とは違う、穏やかで暖かな色に。

 

「随分と世話を掛けたな、おゆん」

「い、いえいえいえ! 私は別に、そんな、大したことしてないっていうか、ただ慌ててやらかしただけっていうか!」

「何を言う。お前さんの御蔭でこれほど上手く事を運べたのだ。改めて礼を言う。ありがとうよ」

「…………」

 

 笑みと謝辞を送ると、突然娘は押し黙ってしまった。

 かと思えば、額から汗して顔色を青へ赤へ変え、口はもごもごと声と言葉を出そうとしては飲み込んで。

 

「し、ししシノギ、さん」

「おう、なんだぃ」

「そそそそその、あああああああの」

「うむ」

 

 今日何度目かの百面相。まっこと面白き娘子よ。

 気長に待つ。待ってやればいい。

 

「わ、わた、わ、私と……」

「ん」

「私と、こ、これからも……!」

 

 一世一代、決死の覚悟を固め、力を振り絞って、ゆんゆんは口を開いた。

 

「私と、これからも一緒に……!!」

「? あれは」

「い、一緒にパ」

「剣士さん!! 魔法使いさん!!」

「ひゃい!?」

 

 ゆんゆんがその場に跳び上がる。

 声は林道の向こうから。こちらに息せき切らせて走り寄ってくる人影が見えた。

 顔は覚えていた。村の男衆の一人だ。

 

「安心しな。首尾は上々」

「ち、違うんだ! 今、街に物売りに出てた若い衆が帰ってきたんだが……」

 

 男は汗みずくになりながらも言った。

 

「魔王軍の幹部がアクセルを襲ってるってよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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