白いハンケチを振りつ揺らしつ、なにやらよく解らない達成感の滲んだ笑顔で「いってらっしゃ~い」などと己らを見送った受付嬢殿。
その笑みの底にどんな魂胆があるのやら。文句を言うのも問い詰めるのも、とにもかくにも全ては仕事が済んでからの話だ。
途中、偶然行き逢ったカズマらに碌な挨拶もできぬまま一路城門へ向かう。
石畳を蹴る軽やかな蹄の音色と馬体のうねり、久しく触れることのなかった感覚を懐かしむ。乗馬の心得は確かにあった。どうしてか、あった。
相変わらず、身体は体験を知ってはいても、頭は経験をとんと覚えちゃいない。
都合の良い記憶喪失もあったものだ。
「すまねぇな。突然引っ張り出されてさぞ面喰らったろう?」
「ひゃい!?」
己の胸板の前に抱えられ、すっかり縮こまっていた娘が、今度は
「乗り心地はどうだぃ? 火急とあってこんな風に相乗りさせちまったが、不都合がありゃすぐに言いな。依頼人の村長は荷馬車で来てるそうだ。そっちに移りたきゃ移ってもいいんだぜ?」
「い、いいいいえ、おおか、おおおおおお構いなくっ!!」
馬小屋の主、そして馬主の許しを得て、一頭の馬を借り受けた。何かと世話をすることの多かったあの赤毛の雌馬である。
若く体力があり、脚回りも実に滑らかで、馬自体の乗り心地に関してはこれ以上のものもなかろうが。
この娘からすれば、訳も分からずギルドの職員に唆されるまま見も知らぬ男と馬上に押し込められた恰好になる。
年若い女子であるなら尚の事、気分の良い状況ではあるまい。
(お、男の人と馬の二人乗りしちゃった……あるえの小説にあった“数少ない”まともなラブシーンみたい……どうしようどうしようどうしよう、ど、どうするのが普通なの!? 寄り掛かっていいのかな!? 重いかな!? 手綱持ってるし邪魔になる!? わ、私臭くないかな!?
気丈にも娘は押し黙って不平不満を飲み込んでくれたようだ。
これはいよいよ急がねばなるまい。幼い娘子の思慮を無碍にするなどは人道に
「すまねぇが飛ばすぜ。ああ、己のこたぁな、ただの背もたれとでも思って遠慮なく寄り掛かってくんな」
「え?」
「はぁっ!」
「ふぇええ!?」
取り急ぎ城門へ、そして村長と落ち合い、駈足に山岳地帯の村を目指した。
平原に流れる小川で一時休息を取ることとなった。
村長が御す荷馬車は一頭立て、おまけに馬も高齢で平素は農耕馬として用立てているらしく、人間二人を乗せて長距離の早駆けは無理があった。
結局はこちらの若馬で相乗りのまま、半日ほどを共にした娘子は心無しぐったりとしている。
「大丈夫か?」
「は、はひ……ちょっと、その、気疲れして……」
「村長、道行きはあとどの程度だぃ?」
「へい、この野っ原を川沿いにもう少し行きますと丘が見えます。そこ越えりゃすぐですじゃ」
「だそうだ。悪ぃがもう暫く辛抱してくれ」
「ああぁあいえ! 疲れたって言っても大したことないですから! むしろ良い疲れですから!」
「んん? そうかい? そんならまあ結構だが……」
(いや良い疲れってなんなの私ぃ!?)
娘はひしと頭を抱えて下を向く。余程に乗馬が堪えたか、はたまた別の理由か。
そっとしておくのも手だが、それではちと愛想がない。
「受付嬢殿から聞いてはおろうが、今一度改めて自己紹介でもしておくかい」
「!? じ、自己、紹介……」
「己はシノギ・ジンクロウ。見ての通り剣を使う。ま、言っちまえばそれしか能がねぇ。ははは、魔法だスキルだってのはすまぬが期待してくれるな。で、お前さんは? おうそうだ名前も聞いちゃいなかったなぁ。いや己という奴は
「は、はい……わた、我が名…………」
「?」
消え入りそうな声が真実空気に消え入った。娘は俯いたまま、もごもごとその唇だけが動いているのが見える。
暫時そのようにして、火に掛けた土瓶の水が湯に変わる程度に時が経った頃。
「っ!」
娘は腰掛けていた丸太から勢い立ち上がった。屹度こちらを見据える瞳に決死の覚悟を滲ませて、頬は紅潮し表情は強張り今にも泣き出さんばかりの様。
一歩を、踏み出す。
両腕を一旦交差させ、そこから右掌をこちらに突き出し左腕は後ろへ引き真っ直ぐに伸ばした。
「我が名はゆんゆん! アークウィザードにして上級魔法を操る者! やがては一族の長となる者!!」
秋空へと高らかに。平原を風のように。少女らしい高く柔らかな声が、精一杯の肺活によって走る。奔る。
そうして今、しんと静寂が舞い落ちた。
得心を込めてぽんと手を打つ。
「おお、お前さん紅魔族か」
「はぅ!? あえて言わなかったのにやっぱりバレた!?」
「その
「うぅ! よそ様から見た紅魔族のイメージが予想通り過ぎるっ……!」
何より、紅魔の娘っ子に出会うのはこれで二度目。合縁奇縁の妙というやつだろう。
そこでふと、項垂れていた娘子、ゆんゆんが突如顔を上げる。暫時目をぱちくりと瞬かせ、きょとんとしてこちらを見ていた。
「あの、私の名前を聞いても、その……笑わないんですか……?」
「人の名前を笑う趣味はねぇな。うむ、確かに耳慣れぬ響きだが、ゆんゆんか……随分愛らしい名だと俺ぁ思うがねぇ。なぁ村長?」
「へっ!?」
水を向けられた村長は、ぽかんと開いていた口を今思い出したかのように閉じてから首を捻った。
「へぇ、いやぁ、儂のような老いぼれにゃ今の子供らの名前はどれもチンプンカンプンで……」
「あぁ気を遣われてる!? ものすっごく気を遣って有耶無耶にしてくれてる!?」
「ははは、それじゃあ仕様もねぇな」
「し、シノギさんまでぇ!?」
目尻に湛えた涙が光る。紅潮どころか茹蛸のような顔で恨めしげにゆんゆんは己を見た。
「ははっ、愛らしいってなぁ嘘じゃねぇさ。この国の者に言わせりゃ己の名の方が余程奇妙に思えよう……それより、多少元気は出たようだな」
「え? わ、私ですか?」
「街を出てからこっち、何やら塞いで見えたのでな」
呆然として、またしても押し黙る娘に笑みを送る。
「己か、依頼か、事の仕儀か、気に染まぬことも多かろう。や、無理を聞き入れて下さり本当に有り難う存ずる」
「そそそんな滅相もないです!! 私こそ横から割り込んじゃったし! 余計な御世話じゃないですか!? な、なんなら報酬もシノギさんが全部もらってください!」
「そうはいかん。己と御手前が仕事を受け、そして己と御手前が共にこれを為さんとするのだ。その対価を受け取らぬでは筋が通らぬ」
「は、はあ……そういうものですか……」
「そうとも。今我らは一蓮托生。徒党の御仲間と相成ったのだから。くふふ、酷い即席だが」
「! 仲間……」
「応。故に、どうか宜しくしてやってくれるかぃ?」
薄々勘付いてはいたが、どうやらこの娘は人と話すことが不得手のようだ。しかしそれは己とて同じ。格別に弁が立つ訳でも、まして八方美人を名乗るには気立てと思慮が桁一つ分ほど不足であろう。
それでも一つ、目の前の娘を慮るならば。
「こっ……こちら、こそです! よろしくお願いします!!」
華やぐように咲く笑顔。この日初めてゆんゆんは笑った。
恥じらい怯えてなお人恋し。この娘は殊更誰かと親しむという行為に臆病でありながら、同時に強い憧れをも持ち合わせている……ように思う。まるで箱入りの童女のように。
そのような心積もりで見れば、なるほど。
「くく」
「? なんですか?」
「いや、まっこと愛い
「???」
「はははは。よし!」
膝を打って、えいこら立ち上がる。
赤毛の馬に近寄ると、小川から顔を上げてこちらに鼻面を擦り寄せてくる。催促の通り撫でてやれば心地好さそうにその目を細めた。
「そろそろ出立しようかい。村長、また
「へぃ、ただ今」
馬の手綱を引き寄せ、娘の傍らに移動する。どうどうと馬を落ち着かせたところで、
「そら、手を取んな」
「は、はいっ」
「おぉおぉ、そう
「はい! …………おゆん?」