この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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2話 おめぇさん運が悪かったのよ

 青みを帯びた臭いが鼻を突く。

 気が付けば深緑に我が身は取り囲まれていた。鬱蒼とした森の只中、風が吹き抜け枝葉を揺らす。紙を擦る様な音色を聞きながら息を吸えば、己が生きているという事実に疑いようもない。

 

「うぅむ、これは困った」

 

 草を踏みながらゆうっくりと歩を進める。歩くという行為さえどこか懐かしさを覚える自身に呆れ笑う。

 せせらぎの音。林が拓けたかと思えば、そこには小川が横たわっている。陽光に煌く流水は透き通り、ひどく清い。

 片手で掬い、僅かに口に含む。

 

「うん、うめぇ」

 

 外観と相違なく、水は飲料として何一つ問題のない質であった。

 喉を潤すこと暫し、起き抜けのように薄ぼやけていた頭が覚醒していく。

 同時に、先程から浮上している現状の問題に向き直る心の準備のようなものも整った。

 

「かはは、ここは何処かねぇ。エリス嬢よ、できれば人里の見える場所にでも送ってもらいたかったんだがなぁ」

 

 存外に慌てん坊なのか、人目に付かぬ場所をあえて選んでのことか。いずれにせよ贅沢な物言いだろう。生き返らせてもらっておいてこれ以上何を望むという。

 森を抜ければ行き先もあろう。川沿いに下流へ進路を取った。

 革靴が草を踏む。枝を手摺に道とも言えぬ道をどうにか歩む。

 しかし、己はいつから革靴など履いていたか。身形もそうだ。綿の袴……ではなくズボンに白い開襟シャツ。洋装を纏う自身に違和感を催す。

 

「山歩きには無用心この上ねぇな…………あ?」

 

 独り言にも拍車が掛かり始めた頃、感じ取るものがあった。

 気配。

 音か、臭いか、雑多な情報から組み上がる洞察、予測。

 勘働きではなくそういった“感”が何かを捉えた。

 足音を殺す術は心得がある。草に乗りながら(・・・・・)そそと気配を発する元へ近寄った。

 視界を阻む枝葉を退けた先には大樹が鎮座していた。一際太く、長く、見事な枝ぶりで空を隠す。

 気配の主はその大樹の根元にいた。濃茶色の髪を一房に結い、青い外套を羽織った女。しかし面立ちを見るに随分と年若い。

 娘はまるで木陰に身を隠すかのように縮こまり、忙しなく周囲を見回している。

 

「ひっ!?」

「あぁ、すまんすまん。驚かせたな」

 

 己自身殺していた気配を隠さず草叢から這い出ると娘は見るからに怯え竦んだが、こちらの姿を認め僅かに安堵したようだ。

 思い違いではないらしい。娘の有様は正しく追われる者のそれ。

 

「あ、あなたは……」

「うん? おめぇさん怪我してんのかい」

 

 見れば娘は足から血を流している。ここまで寄ればなるほど、鼻は血の香を嗅いだ。

 

「すまねぇなぁ、着の身着のままでよ。手当てできるようなもんがねぇんだ。立てるかぃ? 近くに街はねぇか。己でよけりゃあ送ってって」

「ダメ! 今この近くには初心者殺しが――――危ない!!?」

 

 背後。至近。

 やや下方から。

 軸足を組み変える。反転。

 回転運動、遠心、中段へ蹴り足を――放つ。

 

「!」

「ギャオッ!?」

 

 足甲は過たずソレの左頬を蹴り抜いた。重い足応え。しかし、不十分。

 ソレは怯み、痛がる素振りを見せはしたが、その殺気に何程の衰えもない。

 黒い。滑らかな黒い短毛が全身を覆っている。獣。猫科の特色を窺える。似た何か。

 四つ脚。太く強靭。ぎちぎちと極限に圧縮された発条(バネ)のようだ。

 上顎から二本の牙が突き出ている。尋常な大きさではない。その刃渡り、短刀ほどもあろうか。

 

「なぁるほど、こいつが」

 

 異形(もんすたー)。エリス嬢の言う危険な生き物。

 大いに納得である。野生の獣が、ここまで禍々しく殺意を剥き出すなどありえん。

 

「あっ……あぁ……」

「おめぇさんの傷はこいつにやられた訳だな」

 

 爪か、牙か。いずれも人間一個を殺すに全く不足は無い。

 その意味で、背後の娘は運が良い。一撃の下に食い殺されることなく、ここまでこうして逃げ果せたのだから。

 

「リーン!!」

 

 不意に声が上がる。一瞥すれば、林の向こうから青年が駆け寄ってきた。一人、二人、三人。弓を背負った者、大剣を背負った者、小剣を佩いた者。

 彼らは娘の仲間であるらしい。この窮地に救援が来るとは。

 

「うむ、つくづく強運」

 

 胸中で感心などしておると、眼前で黒い獣が瞬発した。猫科の動物の敏捷性は語るに及ばぬ。油断など、元より在り得ぬこと。

 獣は左斜めに進むや跳ねるゴム鞠のように一瞬で間合を詰めてきた。

 上段。ひり出た鋭利な爪が振り下ろされる。

 しかし、既にこちらも前進している。獣の爪による斬撃、もはやその最適距離ではない。近過ぎる。

 我が方は無手。つまりここは、己の間合。

 腹と肋骨の合間へ掌底を叩き込んだ。対する獣の突撃力、それを正面から利する。なればその威力たるや。

 

「ギィィイ!?!?」

「なかなか骨身に応えよう?」

 

 再度、獣を退ける。七尺余りある黒い巨体が飛び、草叢に沈んだ。

 手応え、良し。

 

「うっそだろ」

「す、素手であの、初心者殺しを……!」

「なにしてやがる。早う逃げんか」

 

 彼らは未だ後ろに居座って何やらぶつくさくっ喋っている。

 

「その娘の傷も浅くはあるまい。直近の街か、あ~集落か、あるのか」

「え、あ、ああ。アクセルの街が一番近いけど」

「そんならさっさと連れて行け。あれの脚から逃げ切るは至難ぞ」

「いや、でも今、あいつはあんたが」

「ギャァオ!!」

 

 金髪の男が言い終わるを待たず、草叢から黒い影が飛び出してくる。

 跳び退り、牙を躱す。

 

「ひぃいいいい!?」

「まだ生きてる!?」

「当たりめぇだ。分かったら腰上げろ。娘っ子一人守る為にこうして戻って来たのだろうが」

 

 金髪男は悲鳴を上げて転んだ。弓手の男は急いで弓を首に掛け、立ち上がれぬ娘を背負う。

 

「ま、待って! あなたは!?」

「心配無用。おめぇらが行った後、早々にケツ捲くらぁ。だからさっさと逃げねぇか」

 

 ひらひらと手で追い払う仕草を見せて、ようやく彼らは動き出した。

 

「おい! これっ、これ使え!」

「あん?」

 

 放られた何かが風を切ってこちらへ飛んでくる。はっしと掴んでみれば、それは鞘に納まった小剣であった。

 

「かはっ、こりゃありがてぇ」

「てめぇ絶対死ぬなよ! この借りは必ず返すからな! 絶対だぞ!」

「ははは! 肝に命じよう」

 

 足音が遠ざかっていく。人一人を背負った上、複数人での行軍。稼ぐ時は多いに越したことはなかろう。

 

「しっかし、おめぇさん随分と賢いな」

「グルルルルゥゥ……!」

 

 獣はこちらを睨み付けながら、しかし間合を取ってゆっくりとこちらの周囲を旋回する。

 二度に亘って防がれた奇襲。獲物たる人間が、思った以上に厄介であるのだとこいつは理解したのだ。

 

「あの娘に手傷を負わせながら止めを刺さず放置したのは、他の仲間が助けに来ることを見越したからか」

 

 そうして雁首揃えたところを一人ずつ掻き獲ってゆく。

 

「狡猾とは正にこのことだなぁ、えぇ? だが、おめぇはあの娘の強運に負けた」

 

 剣を鞘から抜き放つ。諸刃。刃渡りは二尺弱。鍔も小振り。それ故取り回すも容易でありなかなかに悪くない。

 同時に、その意匠が己の慣れ親しむものではないのだと気付く。ああ、異文化の地へ来たのだな。

 こんな刃金(もの)を握ってそんな実感を抱くのだから、己はつくづく救いようがない。

 切先を獣へ差し向ける。

 

「……」

「ッッッ!!」

 

 声ならぬ威嚇の気息。次こそは殺す、その意志を固め吐き出したかのような。

 口端が歪む。

 

「来い」

「シィィアアアッッッ!!!」

 

 真っ直ぐ突っ込んでくる。像が霞むほどの速度。

 獣が躍り掛かる。

 二振りの牙が今度こそ己という肉を食む為、突き下ろされた。

 遅い。

 対手がどれほどに速かろうと、こちらの方が早い(・・)。既に、刃圏だ。

 ぎん、硬い手応えが刃から柄へ浸透する。二本牙の一本を断った。

 

「ギャン!?」

「仕舞いだ」

 

 返す刀、踏み込んだ右脚を軸に、横合いを過ぎ去った黒い巨体を追撃する。

 左脚を踏み込む。全体重を余さず込めた運剣の行く先。

 後ろ首から。

 両断した。

 水気を帯びた肉塊が草地に落ちる。物言わぬ骸を一つ創った。勢い、首を失った身体が地に転がる。

 風が草を撫で、骸を洗った。

 

「……ん」

 

 ふと見れば、地面に白い棒切れが刺さっている。

 引き抜いてみると片手に余るほどの長さ。硬く鋭すぎる牙。迂闊に触れれば容易く皮膚を裂くだろう。

 

「見事なもんだ。首級(しるし)に一本貰ってくぜ。化猫殿よ」

 

 刃先を上に向け尻の衣嚢(ポケット)に仕舞いこみ、骸を後にする。

 差し当たり、彼女らが逃げ去った方角に歩けばいつか街にも辿り着こう。日が暮れるまでにそうなれば御の字。でなくとも構わぬ。

 

「急ぐ道行きでもなし。拾いものの余生ってやつぁ、なんとも気楽なもんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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