外壁を潜り、目抜き通りの石畳を蹴って進む。
街へと着いた頃にはすっかり茜に染まった空を仰いだ。其処彼処の家々から夕餉の煙が上がり、まるで白い帯を靡かせるかのように夕空を彩った。己の腹具合もまた、今がいい時刻であることを告げている。
不意に、背負っためぐみんが妙な声を上げた。それはどうやら笑い声であった。
「いひひひ、焼肉……あぁ焼肉……身の少ない小鳥じゃない……新鮮な、絞め立て牛肉……ふふふふふふ」
「めぐ坊、薄気味の悪い声を出すんじゃねぇ」
「失礼な」
「ミノタン~! ミノ、タン~!」
アクアが珍妙な歌を口ずさむ。軽やかな足取りだが、その度に乾いて固まった泥がぼろぼろと道端へ落ちる落ちる。近い内、また清掃業務にでも勤しむかい。
「ん~、久々の豪華な夕食よぉ! 気合入れて飲みまくらなきゃね!」
「そうやって今日も道端に浄化ゲ○撒き散らすんですね分かります」
同じく乾燥泥塗れのカズマが如何にも嫌味ったらしく鼻を鳴らした。まあしかし、文句を言いたくもなろう。毎度毎度娘を介抱させられるのはこの少年なのだから。
とはいえ、嫌々言いながらしっかりと面倒は見通すのだ。なんとも素直でない。
「「焼っき肉! 焼っき肉!」」
「飯の算段もいいが、まずは風呂でさっぱりしてきな」
討伐したモンスターは通常ギルドが買い取る。素材として市場価値を持つものもあるが、死骸は流行病や他のモンスター発生の誘引にもなる。それを防止するという目的から、ほぼ無価値のモンスターであってもギルドは小額ながら買取を行っている。
今回討伐した牛は一部をギルド側の買取ではなく、こちらの引き取りとして契約を行った。
「モンスター素材を引き取る時はギルドで検疫するんだっけ? 俺、よく知らないんだけどさ、検疫ってそんな早く終わるもんなのか……?」
「なに言ってんの。そんなの
「お前ホント自分の欲求満たすことにだけは手際良いのな」
カズマは呆れとも感心とも付かん顔になる。
「まぁまぁそう言うな。今日は皆よく働いた。偶の贅沢も心身を癒すに大事な薬よ」
「そういうこと言うとすーぐ調子乗るんだよこいつ」
「ははははは! 違ぇねぇ。カズ、しっかり見張っててやんな」
「へーい」
「ふーんだっ! 今日のところは! 牛肉ちゃんに免じてその神をも畏れぬ扱い方も許したげる。今日だけはね!」
上機嫌ならばそれに越したことも無い。背中と隣にそんな娘っ子共を、一方で口調とは裏腹に優しげな笑みを湛える少年を伴う。
夜の降り始めた帰途、しかし賑々しさに全く事欠かぬ。平和なこと。
その認識が、あるいは心の隙であったのか。
気配は、するりと己の項を撫でた。
「……」
逢魔ヶ刻とはよく言ったものだ。
昼と夜の狭間にあって、人は路の先に佇むモノを恐れる。見えぬもの、不明なるもの。
そういうものが、今は背中の向こうから。
「? ジンクロウ、どうかしましたか」
「ん? ああ、すまねぇがおめぇ達、先に風呂屋へ向かっておれ。カズ、めぐ坊を頼む」
「え、うん。いいけど」
一旦石畳に座らせためぐみんを抱え上げ、カズマの背中に負わせる。
「カズマの背中は狭いですね」
「乗って早々に文句垂れやがったこいつ」
「ジンクロウの背中は広くて揺れも少ないので快適なのです。カズマはもう少し身体を鍛えた方がいいですよ。骨ばっていて痛いです」
「よぉし降りろ。今すぐ降りろ。引き摺ってってやるから」
「ははは!」
さながら兄妹のようだ。愉快なやり取りに満足し、めぐみんの頭にぽんと触れる。
「小用を済ませてから向かう。落ち合う場所は……」
「あ、集合はギルドじゃなくて中央広場にしましょ。最近ね、そこにシュワシュワガーデンっていうのができたの! 屋外酒場でね、二千エリスで飲み放題食べ放題! そしてなんと言っても食材の持ち込みOKなの! ね? いいでしょいいでしょ?」
「おぅおぅ分かった分かった。待ちきれんようなら気にせず先に始めな」
「分かったわ! ならゼンは急げよ! カズマめぐみん! ほら早くお風呂! 走って! 駆け足! ダッシュ!」
言いつつアクアは一人駆け出していく。幼子とてあそこまで喜びの表現に全力を出すまい。
「だぁもう! 犬だってもうちょい行儀いいぞ。じゃ、後でなー」
「ジンクロウも早く来てくださいね」
手を振るめぐみんに片手を上げて応え、三人を見送った。
そうして己は、彼らの行った目抜き通りから一本道を逸れる。夕刻、酒場飯屋の書き入れ時だ。大通りから離れたとて人の往来は多い。
だが、それでも分かる。
尾けてきている。カズマらの方へは目もくれず。
これではっきりした。この“尾行者”の標的は己であると。
心中に浮かぶのは……安堵であった。
「……」
悠々と歩きながら、思索を廻らせる。
一先ずガキ共と距離を取ることの叶った現状。対手の正体を探りたい。
この地を訪れて三週間余り。未だそんなものかという心持ちだった。誰ぞの怨みを買うにはちょいと短過ぎる気もするが。
ならばカズマらと関わりある何者かか。その可能性も絶無ではない。ないが、そこまで行ってしまえばもはや見当の付けようもない。
「梨ー! 甘ぁく熟れた梨はいらんかねー!」
ふと見れば、店仕舞い間際の青果店が在庫処分とばかり安売りをしている。
陳列台には売れ残りだろう果実が疎らに並んでいた。中でも目を引くのは、先端が細く下方へ行くに従い丸く膨れた面白い形。洋梨か。
店先で客寄せするお下げ髪の小さな娘っ子に近寄った。
「五つほど包んでくれるか」
「まいど!」
娘が紙袋に洋梨を詰める。
その合間に、背後を盗み見た。行き交う人波の中、さっと物陰に動く者。
(一人か)
「はいどーぞ」
「おう、ありがとうよ。小銭がねぇんだ。釣りはいい」
「わっ、ありがとおじちゃん!」
娘の笑顔に見送られ、その場を後にする。おじちゃんとは若く見られたものだ……いや逆か。
紙袋片手になおも道を歩く。
そして後背の気配もまた変わらず尾行を止めぬ。
撒くだけならそう難しくはないが、やはり正体を掴めぬままというのも後顧の憂いとなろう。
適当な路地へ入った。
当然、其奴は付いて来た。一瞬とはいえ対象が視界から消える。駆け寄り急ぎ路地裏を覗き込む。が、どうしてか目当ての者はそこに居らぬ。
「!?」
狭苦しい路地は奥に道が続くでもない完全な袋小路。だというに、相手は忽然と姿を消してしまった。
化かされたかの心地であろう。事実、路地に入って来たその者は呆然とそこに突っ立ったまま。
――
店の勝手口の小屋根から跳び降りる。着地の際、足音を立てなんだのはほんの悪戯心であった。
思いの外に細っこいその背中へ声を投げた。
「俺に何ぞ用かぃ」
「ひゃい!?」
数寸本当に飛び上がった。
当然、対手はこちらへ振り返る。
妙に軽装の……娘である。項に届くかどうかの短い銀髪。緑の肩掛けを羽織ってはいるが、肌着は胸元を隠す黒い一枚と、腰と下腹をようやく隠せるかというズボン。鳩尾辺りから腹に掛けてはほぼ全て露になっている。風邪でも引きそうなものだが。
整った顔貌、その右頬に一筋走った傷跡が特徴的な少女。
意外、ではあった。
男女の別ではなく、その外見の思った以上の幼さが。
とはいえ鍔に掛けた親指はそのままに、なおも問いを重ねた。
「おめぇさん何者だい。何故俺を尾ける」
「え、えぇと、そのぉ」
娘は暫時答えあぐね、適当な言い訳を逡巡する様子であったが。
程なく、観念したかのように両手を上げた。
「ごめん。私はクリス。見ての通り盗賊なんだけど」
「盗人だぁ?」
鯉口を切った。
「待って待って待って!! 強盗とか野盗の類じゃないから! 冒険者の一職業!
「無論、知っているとも」
鞘口を切羽に押し当て、刃を仕舞う。
くつくつと笑う己を見てからかわれたことに娘は気付いたようだ。
肩を脱力させ、恨みがましい上目がこちらを睨んだ。
「心臓に悪いよ……」
「すまんすまん。で? 冒険者の御同類がこの俺を尾け回す理由はなんだぃ」
再三の問い。
娘は頬の傷を指先で掻いた。
「実はさ……キミのその刀を見せて欲しかったんだ」
「うん? こいつをか」
二週間ばかり前。売れない魔道具屋にて掘り出した正真にして正銘の妖刀。無銘の一振り。
腰の革帯に差したそれを目的に娘はここまで来たという。
何故、この刀を知っている。これはかの魔道具屋の倉庫で長らく埃を被っていた珍品。店主ですら、己が訪ねるまで存在を忘却していたものだ。
何故、現在の所有者が己であることを知っている。店主に訊いたというのが無難な理由であろうが、
疑問は尽きぬ。
なれど。
「見るだけなら構わん。うっかり触るんじゃあねぇぞ」
「ありがとう! 大丈夫、分かってるよ」
腰帯から抜いたそれを娘の目の前に晒す。
娘はじっと、鞘に納まった刀を観察し始めた。刀身を露にせよとも言わず、どころかこの刀に触れることの危うさをも知っているらしい。
いよいよ、この娘の正体に興味が湧いた。
――いや、心当たりがないではない。
徐に娘は刀から視線を外し、小さく頷いた。
「ありがと。私の探し物とは違ったみたい」
「そうかい」
「突然ごめんね。でも、キミも随分大物というか肝が据わってるっていうか。尾行された相手によく自分の武器を見せようとか思えるよね……や、これ、私が言っちゃダメなやつだね」
「で、あろうな。隠形に自信があるようだが、武装した者の背後から忍び寄るような真似は感心せんぞ」
「あー……いつから気付いてた?」
「街に入ってからこっち、ずっとこちらを窺っておったろう。本腰を入れて尾け始めたのは我らが二手に分かれた時か」
「初めからじゃん!」
まるで黙っていたこちらが悪いとでも言いたげな口振りである。妙ちきな娘だ。
喉奥で笑声を立てる。
納得の行かぬ顔で娘はまた頬の傷を掻いた。
「なんで? 潜伏も忍脚も使ってたのに……」
「だからか。人混みにぽっかりと穴でも空いたかと思うたわ。あれでは気付くなという方が無理な話よ」
「うぅー、なにそれぇ。完璧に隠れたつもりで本当は丸見えだったってこと? めちゃくちゃ恥ずかしいじゃんか……」
娘は神妙に頭を抱え始めた。
褒められた行いではなかったが、どうにも憎めぬ娘である。
溜息を一つ吐き、娘は気を取り直した様子だ。
「お兄さん。この刀が危ないってことは……」
「ああ、承知している」
「だよねぇ。手放す気もないみたいだし、私から言えることは少ないけど……でも」
一呼吸にも満たぬ沈黙。娘がそこに何を思ったかは分からない。
俯けていた
「気を付けて」
真っ直ぐに我が目を見据え、娘は言った。
憂うような、祈るような瞳。
「ありがとうよ」
それに対する応えは感謝以外にありはすまい。
娘は優しげな微笑を浮かべた。
「引き止めてごめんね! またその内ギルドで会うかも。その時はよろしく!」
「ああ、こちらこそ宜しく頼む」
「それじゃ!」
快活にそう言って、娘は路地から駆け出そうとする。
「ああ、ちょいと待ちな」
「ん、なに? わっ」
「よく熟れておる」
「えへへ、ありがと!」
投げ寄越した梨を手に娘が背を向ける。
その背に、今一度感謝を告げた。
「わざわざすまねぇな、エリス嬢」
「いいえ、お気になさらないで――――」
振り返り、えらく品格の上がった微笑を湛えた娘は、はっとした様子で急停止する。
つかつかと再び己に歩み寄ると、頬を膨らませ怒り顔らしきものを作った。それは残念ながら愛くるしい以外の印象を己に与えはしなかったが。
「私はクリス!」
「かはは、そうであった。すまん、知り合いに似ていたのでついな」
「もぅ……次は間違えないでください!」
べ、と小さく舌を出し、クリスは今度こそ人混みの中へと消えて行った。