この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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なんとかかんとか維持していた更新頻度も十話程度でもうボロが出始めました。




13話 小童め

 

 

 

 

 

 

 煌々と月が照る晩のこと。

 柔らかな夜気、暖かな焚火。そよぐ風が芝を撫で上げ、我が身までも包んだかと思えば、それはすぐに夜空の高みへ消え入った。墨で染めたかのような漆黒に、僅かに滲む群青の色彩。その満天に濁りなく瞬く星星。秋も随分深まった。冷えた吸気が体内を清浄にする。

 馬小屋の傍にある石竃を拝借し、火を焚きながら呆と夜天を仰いだ。

 静かだ。

 民家は遠く、夜半まで商売する酒場や飯屋の喧騒も流石にここまでは届かぬ。

 虫の声を聞く。馬の息遣いを感じる。

 静かな、良い夜だ。

 

「ジンクロウ……?」

 

 ふと、声が掛かる。

 振り返れば、馬小屋の入り口に少年が一人佇んでいる。

 

「カズか。どうした。眠れねぇのか」

「いや、トイレの帰り。なんか灯りが見えたから」

 

 目を擦りながらカズマはこちらへ歩み寄ってきた。

 薪をもう一本、火中へ投げ入れる。

 

「ジンクロウこそ何してんの?」

「何、ってほどでもねぇが……ま、見付かっちまったもんは仕方ねぇか」

 

 そうして、腰を下ろしている丸太の影からそれを取り出して見せた。

 つるりとした陶器。丸い輪郭線を描き、注ぎ口を括れさせた昔ながらの酒器。徳利というやつだ。

 無論、中にはなみなみ“それ”が満ちている。

 

「一献付き合わねぇかぃ?」

「ごちになります」

 

 にやり笑みを向ければ、ニシシと笑みが返ってきた。

 斜向かいに腰を下ろしたカズマにぐい呑みを手渡す。そうして徳利の中身を注いだ。

 

「ん」

 

 カズマは一旦器を置き、徳利を手に取る。そのままこちらに注ぎ口を向けた。

 酌をしてくれるという。小生意気な。

 

「かはは」

「なんだよ」

「いいや」

 

 おっかなびっくり、手付きからそんな気配を覚え余計に可笑しくなる。

 なみなみと注がれたその水面、炎がゆらり揺らめいていた。

 

「ありがとうよ」

「ん、じゃ」

「ああ」

「「乾杯」」

 

 盃を持ち上げ、名前の通りぐいと呷った。

 僅かに甘く、仄かに苦く、喉を過ぎるに熱い。ふ、と吐いた息が焼けている。

 美味い。

 気の所為か。ここ毎夜の一人酒で、舌はこの味に慣れたものと思っていたが。今宵は殊に美味く感じる。

 

「……っ、ふぃぃ」

「いける口じゃねぇか」

「へへっ、そりゃこっちに来てからはほとんど毎晩飲んでるからな」

「ほう、そいつぁ豪気だな」

 

 少年の空になった器に注ぎ、己の方にもまた注がれる。

 注しつ注されつ、そうして穏やかに時間は過ぎた。

 

「そういえばさ」

「なんだ」

「や、前々から気になってはいたんだけどさ」

 

 妙に勿体ぶった、というより躊躇いがちにカズマは問うた。

 

「ジンクロウってさ……転生、とかしてたり、するのかなーって」

「ああ、したぞ」

「そっかそっかそんな訳ないよな! いやごめん変なこと聞いて、ってええ!?」

「喧しい。夜中に声を立てるもんじゃねぇよ」

「あ、すんません」

 

 冷静になると、少年は手の中の盃を空にした。徳利を向ける。

 

「まあ、名前聞いた時からそうなんじゃないかとは思ってたけど。明らかに日本名だし」

「へぇ、そうなのか」

「あと地味に確信持ったのはアクアのことかな」

 

 盃を一嘗め、少年は熱の篭った息を吐いた。

 

「ったはぁ……アクアが自分のこと女神だとか言っても、ジンクロウ何も言わないからさ」

「なるほど確かに。事情を知ればこそか」

「うん。普通はもっとこう、可哀想な人として扱う。実際そうだった」

 

 遠い過去を見るかのような胡乱な眼差しであった。

 

「あの娘が人でないのは見れば解ることよ。尚且つ、それ以前に似たような者と会っておれば間違えようもあるまい」

「見ればって……ジンクロウはアクアに転生させられたんじゃないのか」

「ああ、アクア嬢とは初見だ。本人の様子から分からんか?」

「あいつが送り出した人間のこと一人一人記憶してるとか絶対ない。絶対」

 

 揺ぎ無い確信を以てカズマは断言する。

 おかしな信頼もあったものだ。くつくつと喉の奥で笑声を鳴らす。

 不意に、ぐいと一献飲み干した少年が身を乗り出す。顔の赤みは焚火の灯のそればかりではないだろう。

 

「なあなあ、ジンクロウの特典ってやっぱりその刀なのか!?」

「あぁ? 特典?」

「え?」

 

 興奮した様子から一転、戸惑い首を傾げる。

 己の反応が慮外のそれであったのだろう。

 

「いや、ほら、俺らってなんか魔王倒して来いとか言われてこの世界に送られるだろ?」

「そうらしいな」

「その時、転生特典ってやつで、一人一つチートアイテムとか能力とか持って行きたいもの選ばせられるんだけど……え、ジンクロウは違うの?」

「ああ、魔王をどうこうしろなんて依頼は受けちゃいねぇ。その特典とやらも初耳だな。それこそ着の身着のままよ。(こいつ)はこの街で買い求めたもんだ」

 

 さらに酒精を呷れば、全身をふわりと綿毛が包むように軽くする。

 なにやら、少年から同情の篭った視線を寄越された。

 

「特典無しでこんな世界に放り込まれたのか……」

「ん? 何故だ。ここでの生活はそう悪かないぜ」

「どこが!? 来て早々バイト生活に明け暮れて、いざ冒険だって息巻いても、命張ってようやく稼いだ額は割に合わないのがしょっちゅうなこの世界の、どこが! 悪くない!?」

 

 これ以上無い実感の篭った恨み言。少年の苦労、主に生活費の工面に掛かった大儀は想像に難くない。

 それはそれとして、そのあまりの悲愴っぷりに知らず声を上げて笑っていた。

 

「はははっ、まあおめぇさんの心情も解らんではない。だが俺の場合、元より他に逝き場もなくてな」

「? 天国行きか産まれ直しか選べって話、だったよな」

「俺はどうも死ぬ以前の記憶がねぇのさ。ついでにその“記録”もねぇんだとよ」

「はあ!?」

「憶えていることといやぁ己の名と……」

 

 片目に見やる。大人しく鞘に納まるその刃を。

 そう、それの振り回し方くらいなもんだ。

 

「浄土へ送るにせよ地獄へ堕とすにせよ、罪状を検めねば裁定はできん。同様に人道の輪廻を踏ませてよい者かも判断が付かぬ。なんとも始末に負えん話よな」

 

 なんと答えれば良いものか。少年の面にはそのように書いてあった。

 また気を遣わせている。口の端を苦笑が引き上げた。

 

「エリス嬢――己をここへ送った女神だが、その娘の温情でこうして生かされておる訳だ。これ以上我儘を抜かすとそれこそ罰が当たらぁ」

「……その女神様は、ジンクロウに何も要求しなかったんだな」

「うむ。一つ、あるとすればだ」

 

 白銀糸の髪の美しい娘が己に求めたこと。それは。

 

『どうか、貴方のこれよりの生に――』

 

 祈るように、両の手を握り合わせて。

 我が子にそうするが如く慈しみながら。

 

「幸せに暮らしてくれ、だとよ」

「女神かな? あ、女神だったわ」

 

 阿呆なことを呟いた後、カズマは夜空を仰ぐ。星でも眺めておるのかと思えば、徐にぽつりと口を開いた。

 

「うちの駄女神と代わってくんないかな……」

「それをアクア嬢の前で言ってやるんじゃねぇぞ。またぞろ泣く」

 

 また一献干した。名の由来通り、とくとく音を立て盃へと注ぎ入れる。

 ふと、カズマが興味深そうに立て掛けた刀を見ていた。

 

「それはそれとして。いやぁ、やっぱ日本人は刀だよな。名前とかあるのか?」

「検めたが銘はなかった。売っていた店主自身、出自を知らんそうだ」

「おぉ、正体不明の武器とかいいじゃん。男心を擽る感じ。なぁちょっと」

 

 その後の言は予想が付く。故に、少年の手が届く前に釘を刺しておく。

 

「こいつに触るとな、れべるを吸われるそうだ。気ぃ付けろ」

「さわらせぇぇぇえええええ!?」

 

 奇声を上げて、カズマは腰掛けた丸太の後ろへ引っくり返った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『突撃牛』というそうだ。

 姿は、その名が示す通り牛に近い。とはいえ近しい何かである。それらには一様に明らかな相違がその身体に見られた。

 一際目を引くのは、その前脚。牛の四肢が剛強であることは語るに及ぶまいが、特に肩から前腕、蹄を持つ足先までが異様に太い。

 それこそ奴らが突撃牛と呼ばれる所以であった。

 あれは、謂わば射出装置。

 後足ではなく、奴らは前足で地面を噛み、全身を撃ち出す(・・・・)

 頭部の両端から突き出た二本角。緩く歪曲し、鋭利な先端が前方を差している。あんなものに突撃されればなるほど、人間など一溜まりもあるまい。

 一丈にもなる巨体を高速で射出する膂力。

 激突に耐え得る強力無比な筋肉の鎧。

 突撃することにのみ特化した身体機構。

 突撃牛、その名にし負う生物(もんすたー)だった。

 

「ジンクロウ! 頭よ! 頭を狙って!」

「ジンクロウそこです首を! 首を落とすんです!」

 

 その名に、相応しい。

 

「血抜きは早い方がいいと聞きました! 肉の質は死んだその瞬間から落ち始めます!」

「ほらさぱっと! いつもみたいにすっぱんすっぱんやって! ほらやって!!」

 

 その名。

 余談だが。カズマはこのモンスターの特徴を確認した際、『ミノタウロス』ではないのか? と疑問を呈していた。

 特に関わりはないが。ギルドが発行する『モンスター百科』に記載される名称とは別に、彼らにはもう一つ、冒険者達の間でのみ呼び習わされる“俗称”があった。

 

「ミノとタンは私んだから! ミノは味噌ダレで! タンは葱を乗せてレモンで! キンッキンに冷えたシュワシュワをこうキュゥーっとやるのよ!!」

「はわわわっ獲れ立て絞め立てのロース……お店の前で匂いを嗅ぐだけだったあのロースを遂に……」

 

 何処がとは言わぬが、絶品であるらしい。冒険者のみならず市井の人々にも好まれ、末端価格も相当な額であるとか。どの部位が、とは言わぬが。

 言わぬが華とは、このことだろうか。

 

「ミノ! タン!」

「ロース!」

「ミノ! タン!」

「ロースッ!!」

「……」

 

 俗称である。

 

 街道を外れ、西に一里ほど行けば緑に囲われた沼地に行き着く。突撃牛はこの沼へ水浴びをする為にやってくる。

 その途上、疎らな雑木林で待ち伏せを行い、折好く二十頭ほどの群を捕捉した現在。

 己は涎を垂らした娘っ子共にせっつかれながら、何故か牛追いに勤しんでいた。

 牛の前足が地を抉る。

 突撃の構え。

 来る。

 

「ブモォォオオオオオ!!」

 

 脚力を頼みに側転。

 上下反転した視界の頭上(・・)。高速で行過ぎる黒毛の巨躯。

 それはそのまま一本の樹に突っ込んだ。幹が砕け、木屑が弾ける。僅かな抵抗もなく大樹が薙ぎ倒された。

 大した威力よ。

 

「避けちゃダメじゃない!」

「さ、流石に避けてください! でもできれば避けながら斬ってください!」

「無茶を」

 

 幾度繰り返したかも分からぬ苦笑が口の端に浮かぶ。

 外野に徹する娘二人、アクアとめぐみんは興奮した様子でぎゃあぎゃあと騒いだ。ギルドにて依頼を受託しいざ牛を見付けた折からこっち、娘らは長らくあの調子だ。

 何を考えているかは、まあ瞭然極まる。彼奴らの両目が湛えておるものはただ一字、肉である。

 食欲の権化と成り果てておる。

 片や、異常な高揚状態にある二人から若干の距離を置いて立つカズマは大層神妙な面持ちで。

 

「ジンクロウ!」

「なんだぁ」

「ごめん! やっぱ俺も牛肉食べたいっす!」

「あいよぉ! ちょいと待ってな食いしん坊共!」

 

 育ち盛りのガキの食い意地。甘く見ていた訳ではないが。

 依頼書を手にこれでもかと目を輝かせるアクアとめぐみんの様から類推すべきであったかもしれん。

 別段、骨折りとも思わぬ。しかし、己一人で全て片付けるのは些かならず過保護というもの。

 悪戯心も少しばかり湧いた。

 また一頭の突進を躱す。肌を掻く突風が牛共の猛りを表している。

 

「カズ!」

「はいはいカズマですよ」

「一頭は仕留めてみせい!」

「りょーかい一頭しとめて…………え?」

 

 水辺への行軍に横槍を入れられ、突撃牛の群は今や三々五々。真っ正直に己を突き殺そうと息む者もおれば、その辺りで暇そうに草を食む暢気者もまたおる。

 そういう一頭に走り寄り、その尻を蹴り上げた。

 一人佇む、カズマの方向へと。

 牛は荒く鳴声を上げ、勢いカズマへ突貫した。

 

「ちょちょちょちょっまってまってまって!? ジンクロウさぁぁぁぁあん!?」

 

 カズマは逃げた。三十六計の兵法に恥じぬ逃げっぷり。

 見事なのは、背を向けていながら直線ではなく鋭角に方向転身を繰り返しつつ逃走している点であろう。突撃牛の膂力による瞬間加速は人間の走力など容易く上回る。馬鹿正直に真っ直ぐ逃げておれば、かの二本角のいい的だ。

 流石、賢しい小童め。

 胸中で綽々感心などしておれば、牛がまた一頭迫り来る。

 至近。角の先端が腹部を抉る。その寸前。

 地を蹴る。低空跳躍。

 突撃姿勢の為に身を屈めた牛、その後背に乗り上げた。

 

「ブォオ!?」

 

 背中の違和の正体に気付くや、牛は暴れに暴れた。無賃で我が背に乗る不心得者をなんとしても振り落とさんと。

 なるほどこれが所謂猛牛乗り(ろでお)というやつか。

 裸牛の操縦など元より不可能。

 既に抜刀し、逆手に構えを取っている。狙うは後ろ首の付け根、延髄だ。

 さくり、何程の抵抗感も覚えず、切先は頚骨までも貫いた。

 牛はその全身を震わせたかと思うと動きを止め、横倒しにゆっくりと地面を目指す。

 倒れ伏すより早く、牛から跳び降りる。

 跳躍先はしかし大地ではない。

 その辺りに屯する次の牛へ。

 

「めぐ坊! 今より叩き出す! 急ぎ往け!」

「は!? そ、そうでした!」

 

 まさに今思い出したと言わんばかりの顔で、めぐみんは走り出した。

 手法は蛙に使ったそれとほぼ同じ。

 違いがあるとすれば、釣り方がやや強引である点か。

 このように。

 

「ブモォオオ!!」

「かかか! そぉらどうした!? それでは降りてやれんなぁ!」

 

 背を足蹴にされ、牛は怒り狂って跳ね回る。

 それを利する。

 牛の強靭な上半身が解放された発条(ばね)のように跳ね上がった。その反動を余さず足下に受け、我が身は飛んだ。

 人間の跳躍力では届かぬ距離に佇む牛へと、いとも容易く飛び移ることが叶うほどの飛翔、否投擲(・・)である。

 突然降ってきた人間に、驚愕と怒りを綯い交ぜにして牛が暴れ狂う。

 そうしてまた跳ね飛ばされる。

 これを都合八度ほど繰り返した。牛を船に見立て、牛若の真似事か。

 八度目。飛び移った牛の尻を刀の棟で打ち据える。

 

「ブホォオォォオ!?」

 

 堪らず牛は駆け出した。

 踏み付けられた牛八頭の面々は見事、己を標的として、乗られている仲間ごと追い掛けてくる。

 重畳。

 雑木林を抜け、沼地を大きく迂回しながら過ぎ去り、やや時間を掛けてだだっ広い湿地帯に辿り着く。

 稼いだ時間をめぐみんは無駄にせず、所定の位置に既に待機している。いや、詠唱とやらも済んでおろう。

 湿地ならば爆焔の飛散も問題にならん。

 長居は無用であった。不遜に占領していた牛の背を蹴り飛ばし、進行方向とは真逆へ跳んだ。

 全力疾走していた彼奴らにはもはや転身しこちらに追い縋る猶予などない。

 紅い光輝が降り注いだ。

 

「『エクスプロージョン』!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かはは。次はも少し、陣取る場所を考えんとな」

「……そうですね」

 

 湿地の泥濘に突っ伏し、見事泥まみれになっためぐみんを起こす。

 一先ず手拭で顔の汚れだけは拭き取った。

 

「んんっ」

「ととと……うむ、綺麗になったぞ」

「ん……ありがとうございます」

 

 娘の矮躯を抱え上げ、元来た道を歩く。カズマは果たして上手くやっておるだろうか。猛牛一頭を仕留めろ、というのは流石にまだ荷が重いやもしれん。

 

「ジンクロウも、また随分な無茶ぶりをしましたね」

「そうかぃ? カズもあれで、なかなか筋は良いんだがな」

 

 重いなら重いなりに荷物の投げ捨て方を心得ている男だ。そう分の悪い勝負ではない、筈である。

 

「ところでジンクロウ」

「なんだ」

「…………この抱え方は、その、ちょっと恥ずかしいです……」

「あん?」

 

 めぐみんが俯き加減にぼそぼそと何やらぼやく。

 抱え方。特別おかしなものではない。背中から肩、そして両腿の下へ腕を差し入れ、胸元にもたれかけるようにして支えている。

 脇や胸、腹の下に手を差し入れて持ち上げると内臓や血管を圧迫する為に苦痛が多く、安定もしない。ぐずる赤子や猫を抱く際は特に、脚の付け根ないし尻を支え上げることで抱かれた本人も楽な姿勢を維持できる。

 

「お姫様抱っこは……」

「姫……?」

「え?」

 

 想定とは似ても似つかぬ言葉の響きに思わず鸚鵡返す。

 それだけで、この聡い娘は即座に察したようだ。

 

「おい、今なにを思い浮かべながら私を抱っこしているのか正直に言ってみろ」

「首の据わらぬ赤子か、大きな猫ってぇとこだな」

「本当に正直に言いますよねジンクロウは!?」

「おうとも、昔から嘘の吐けぬ正直者と評判であったよ」

 

 昔など、知る訳もないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雑木林へ到着してみれば、そこでは未だ一進一退の攻防が繰り広げられていた。

 

「プッークスクスゥ! すごいすごいカズマ! 今の貴方すごい! まるで台所で新聞片手の主婦に追いかけられるゴキブリみたいよ!? ゴ、キ、ブ、リっ、ダッハハハハハハハ!」

「こんの! 駄女神! このっ! 後で覚えてろ! 覚えてろよこ――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」

 

 近付くだに騒がしいと思えば、相も変わらぬ光景であった。

 一頭の突撃牛が少年を追い掛け回している。しかしそれは、両の前脚を使った一点特攻ではない。牛はやや速度を抑え、旋回性を考慮した短距離の跳躍を駆使しているではないか。

 小刻みに進路を変えつつ逃走するカズマに対して、牛は学習し方策を改めたのだ。

 

「高が牛と侮ったわ。敵を知り柔軟に対応を変えるとは……うむ、見事也」

「感心している場合ではないと思います」

 

 腕の中で蓋し正論を吐かれる。

 そうこうする間にも、牛はカズマの動きの癖を見切り始めていた。

 左へ半歩踏み出したと見せて右へ逃れる。目眩まし。初見であれば騙されもしようが、おそらく少年はあの術策を幾度か使っている。

 牛は釣られず、迷わず右へ転身した。

 カズマの背中が牛の射線上に入る。

 牛の巨躯が縮む――あたかもそう錯覚するほどに筋肉が力み、収縮する。射出の構え。

 

「跳べぃカズ!!」

「いぃ!?」

 

 怒鳴りにも近い己の声はしかと届いたようだ。

 まるで弾かれたようにカズマはその場で跳び上がる。

 その股下を牛が突撃した。そのまま過ぎ去る、かと思えば。

 跳躍力が足りない。少年は牛の背にすとんと乗り上げた。

 

「ブモォォオオ!!」

「うぉおおおお!?」

 

 猛牛乗り(ろでお)の続きか。黒い巨体が前へ後ろへ跳ね回り暴れ狂い、その度カズマもまた激しく振り回される。

 そうして暴れ牛が新たに取った進路の先には、腹を抱えて笑うアクアがいた。

 

「え、ちょっ」

「モォォオオオオオオ!!」

「ああああああ!?」

 

 真っ直ぐ、突貫する。

 

「ちょちょちょなんでこっち来るの!? カズマ!? カズマさん!? なんでこっち来るの!? ごめんなさい!! 笑ったこと謝るから! ごめんなさいするからこっち来ないでよ!! ねぇったら!!」

「うるせぇ!! 操縦なんてできるかボケェ!! ぬははははははは! こうなったらお前も道連れじゃ駄女神!? さっきまでの屈辱千倍で返してやばばばばばば」

「いぃやぁあーー!?!?!?」

 

 追われるアクア、追う牛とカズマ。

 驚くことにアクアは単純な走力で牛の突撃から逃げ続けている。大した健脚だ。

 とはいえ、ここは沼地からも程近い。足元の土は湿り気に富み、ともすると其処彼処が泥濘化している。

 ああも気兼ねなく走り続ければおそらくは。

 

「いやぁー!? いぃやぁああー!? い――――ずべし」

「!?」

「ああああああ!?」

 

 少女は泥に足を捕られ、その場に顔面からすっ転んだ。

 突撃牛は追い回していた対象を視界から失う。しかしその苛烈な勢い、もはや殺し切れまい。

 お誂えここに極まる。一際太い大樹が、彼奴の眼前に聳えていた。

 牛は顔面から、強靭な樹の幹に突っ込む。地を震わせるほどの衝突音。木の葉が雨のように降り注いだ。

 牛はずるずるとその場に倒れ伏す。

 

「――ぁぁぁぁぁぁぁぁあああああべし」

 

 衝突前に牛の背から運よく投げ出されたカズマは、アクアと共に、仲良く泥の中へ突っ込んだ。

 

「……」

「……」

「街へ戻ったらば、まずは風呂屋だな」

「そうですね」

 

 

 

 

 

 

 

 


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