この素晴らしい浮世で刃金を振るう   作:足洗

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二期のED風味、もといまんま。


10話 傾いた娘っ子だなぁおい

 

 

 

 空は茜。外壁の向こうへ日は没し、ムクドリの群が(ねぐら)へ帰る。夕刻。

 夜気を帯び始めた空気を吸い込む。肺を洗うかに似た心地良さ。

 討伐を終え、カズマらは今頃ギルドの酒場で夕餉を取っている。同じく卓を囲んでも良かったが、それはまた別の機会を当たればよかろう。

 借金を抱える分際である。今日から少しばかり質素倹約とやらに勤しもうかと思う。

 街中を縦断する河の上流。外壁近くの河原。手頃な石に腰掛け、手には竿。垂らした糸が水面で揺れる。

 

「釣れますかな」

「まぁぼちぼちだ」

「ほほぅ」

 

 ふい、と傍らに老人が立つ。魚籠の中を覗き込み、なにやら満足そうに頷いている。

 

「じいさん散歩かぃ」

「孫と遊んだ帰りだ」

「ほぉ孫がいんのか」

「男の子でな。八歳になる」

「そうかい。そいつぁ元気な盛りだな」

「あぁ、一日中引っ張り回されてもう身体がおっつかんわ。ははは」

 

 なんとも嬉しそうに愚痴りおる。

 すると、竿の先からぴくりと手に伝わるものがあった。くい、くい、と微細な感触を手繰り、待ち、程なく食った(・・・)。一気に竿を引き上げる。

 水面を破って、黒々とした魚影が跳ねた。

 

「お見事」

 

 掌に余る、でっぷりと太った鮎に似た“何か”である。果たしてこちらにも鮎という魚はおるのか。

 老人はも一つ満足げに頷くと、踵を返した。

 

「気を付けて帰んな」

「あいよ、ありがとさん」

 

 背中越しに手を振りながら老人は去っていった。

 これで三匹目。晩飯には十二分だ。

 手に荒く塩を握り込み、川で汚れと滑りを洗い、鱗をこそげ落とす。本当にこれが鮎であるのか判断が付かぬ為、用心に内臓(わた)も取っておく。抜き取った内臓は、あまり宜しくはないがその辺の土に埋めた。

 さて、いざ塩を塗すという段になる。獲れたての魚の香りを殺さぬよう、濃過ぎずさりとて薄過ぎぬ塩梅を、などと板前の真似事をする気はない。適当でいい適当で。

 串を口から刺し入れれば下拵えは整った。

 火打石で火口を作り、石と薪で組んだ竃へ入れる。横合いから息を吹き込んで行けば、次第に薪が燃え始め、十分な火勢が出る。

 串を打った魚を竃の周りに立てる。遠火で焼くとなればここからが長い。

 

「……」

 

 焚火の傍へ運んだ石に腰を下ろし、黙って火の加減と焼き目を見張る。住宅地からも距離を置くここでは、薪木の爆ぜと川のせせらぎ以外に聞こえるものもない。

 一人、如何にも手持ち無沙汰であった。こう暇では、煙管でも吸いたくなる。

 いや、一つ。

 話し相手が居ないではない。

 

「……五月蝿ぇな。さっきからよ」

 

 焚ける火と河流の音以外にもう一つ。

 雑嚢の上に無造作に立て掛けたかの一振り。

 物言う口など持たぬその刃金が、先程から騒がしい。音を伴わず、当然ながら言葉ですらなく、しかし明らかに己へと飛ばされる“思念”。

 

「蛙の血はお気に召さんか? かっ、贅沢者め」

 

 これが所謂生き刀であることを覚ったのは、あの魔道具屋で、鋼鉄の箱に安置されるその姿を見た瞬間であった。

 如何なる仕儀を以てこのような有様となったのか。千の時を経、万の命を喰らえば、あるいは為り得るのやもしれん。アクア嬢の言が大袈裟を着た上の世迷言でないなら、もはや妖刀とすら気安くは呼べぬ。

 だが、曰く神代の剣であるらしいそれは現在、どういう訳か己に身を許している。邂逅一番、己を斬り殺さんと文字通り飛んで掛かって来たのが嘘のようなしおらしさ。

 

『この剣はきっと、相応しい使い手を待っていたんです。ジンクロウさんのような人を』

 

 まさか。それこそまさかだ。

 道具屋の店主の言葉を思い出し、苦笑が漏れる。そんな可愛げのあるたまか。これが。

 それより何より、もっと得心の行く理由があるではないか。如何にも下らぬ理由が。

 数多の血を啜ってきたなどと大言を吐くが、その実これは味の好みにすこぶる五月蝿い。今日、蛙を(なます)にした時、握った柄から伝わってきた意思はたった一言『不満』である。

 

「俺の血は存外に、こやつの舌に合っていたらしいぞ」

 

 夢見がちな店主の顔を思い浮かべ、聞かれもせん皮肉が零れた。

 要は、好物は後に取って置きたいと。その辺の童と同等の発想をこの刀はしておるのだ。

 

『その時まで、小腹を満たす為に使われてやる』

 

 尊大に刀の思念はそう告げていた。

 まあ流石に驚きはしたが、そこはそれ、物は使い様次第。得物自身が許すと言う。ならば己は存分に振り回すだけだ。

 

「……竜が食いたいだぁ? あぁ蜥蜴で我慢できねぇのか? 似たようなもんだろ。それにほれ、ここいらの生き物はどいつもこいつも大ぶりで食いでがありそうだぜ」

 

 こちらの言が終わるを待たず、まるで抗議するかのようにカタカタカタと小刻みにそれは震える。とうとう目に見えて意思表示してきやがった。

 

「こちとらの飯もまだなんだ。おめぇの我儘ばかり聞いていられるかぃ。なぁに、云百年待てたんだ。一日二日なんぞどうということもあるまい?」

 

 ――カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ

 

 念など感じずとも何を言いたいかは明白である。しかしまあ今日のところは無視を決め込むとしよう。またぞろ“癇癪”を起こすようなら話は別だが。

 そうこうする内に、魚の皮目に焼き色が付いてきた。

 

「好し好し」

 

 滲んだ脂が滴り、火に落ちるや煙を上げる。塩と脂の旨味が混交され、なんとも言えぬ香りが立ち昇った。

 串を裏返す。もう四半刻ほど焼けば身が締まり、味も滲みるだろう。

 そして刀を引き寄せた。

 

「……」

 

 視線を感じる、などというが。これほど分かり易いものも珍しい。

 正確にはこちらを窺う者の気配、気息。いやに露骨なそれが夕風に乗り、己を撫でた。

 ゆっくりと視線を持ち上げる。

 気配の主は、小高い土手道からこちらを見下ろしていた。隠れる心算など初めからありはせぬ、そう言わんばかりに堂々と身を晒している。

 夕焼けの所為ばかりではない紅い装束。外套を羽織り、頭頂部の尖った鍔広の帽子を被っている。手には、宝珠を飾った木杖。そろそろ見慣れた頃合であろう。街の冒険者の中にもよくよく見られる、魔法使いの装い。

 魔法使いの知己は二人、リーンとウィズのみ。アクア嬢は司祭だったか。少なくとも対手が知り合いでないことだけは確かだ。

 

 ――子供?

 

 それにしても、人影は思いの外に小さく、そして幼かった。

 不意に、それが土手の上から動く。

 坂を下っていることを差し引いても凄まじい速度だ。踏み出す足はまるで地面を噛むが如く鋭い。

 どどど、と足音を蹴り鳴らして遂に、眼前に迫る――ことなく、その童は直前で急停止した。

 焚火の、突き立った串焼きの寸前で。

 

「……」

「……」

 

 童は両膝から両手と順々に地面へ付き、四つん這いになる。そうして何をするでもない。ただ、ただ、食い入るように焼ける魚を見ている。

 見ている。

 ひたすら見ている。

 凝視であった。

 片時も放れず、微動だにせず、魚だけを捉えている。据わった瞳の中で炎がゆらりゆらりとくゆる様さえ分かる程の至近距離。

 

「……前髪が焦げっちまうぞ」

「……」

 

 果たして声が届くかも疑わしかったが、童――娘は這い蹲りながら器用に後退した。それもほんの僅かであるが。

 火の橙を照り返す魚の白い腹。そこからまた脂が滲み出る。汗を掻くかのように一筋、二筋、滴った脂が火に呑まれ、じゅうと煙を撒き散らす。

 

 ――くきゅるるるる

 

「――――」

 

 見上げた秋空は高く遠く、響いた音もその高みへ昇って行ってしまった。

 それを追い掛ける心地で暫時空を眺める。去来するのは、目眩。目眩を覚える程の既視感だ。

 お前もか。

 この街へ訪れた最初の日、人々の暮らしぶりを見るにつけ豊かで長閑な土地だなどと印象を持ったものだが。それは全くの見当違いであり、その実、年若い女が、少女が日々空腹に喘ぐほど貧困著しい場所なのやもしれん。

 二度同じ状況に遭えば疑いも湧く。二度あることは、の通例に則らぬことを祈ろう。

 

「腹が空いてるのか」

『くきゅぅぅくるるるるる』

「あぁ? 二日何も食ってない? そりゃあ大事だな」

『ぐぅぅうくぅ』

「今そこで釣った。も少し待ちな。直に焼き上がる」

『ぐぎゅるぅ?』

「食うのは構わんがな、口を使って喋らんか馬鹿者。横着をするんじゃねぇ」

「あ、はい。すみません」

 

 小器用に腹を鳴らす娘っ子である。

 無駄に長く生きてきた気もするが、腹の虫と会話したのはこれが初めてだ。間違いなく。

 四つん這いから居直り、娘は地べたに腰を落ち着けた。しかし視線は相も変わらず串の魚へ釘付けだ。膝を抱え、じっと動かず、待つ。

 二日も絶食しておればさもあろう。

 時折串を返す度、ぴくりと反応するのがまた面白い。

 

「……よぉし、いいだろう」

「!」

「さ、食え」

 

 好い焼き色になった。炙られた塩が雪のように魚体を飾っている。

 串を取り上げ、一本を娘に手渡した。

 居ても立ってもいられぬとばかり、娘は豪快に魚にかぶり付いた。

 

「ぁちっ!?」

「おいおい気ぃ付けろ。そう慌てんなぃ。焼いた魚は逃げやしねぇさ」

 

 こちらの言を聞いてか聞かずか、今度は殊更注意深く齧り付く。身がやはり熱いのか、娘の口からほくほくと湯気が立つ。とはいえ、食べる手が止まる気配もない。

 

「んん~っっ!」

「美味ぇか」

「っ! っ!」

 

 頻りに頷きながら娘は夢中で焼き魚を貪った。何より分かり易い(いら)えである。

 

「そうかぃ。ゆっくり食え」

 

 己も串を一本手に取り背鰭から食む。噛み締めると、口いっぱいにその旨味が広がった。塩味がむしろ魚本来の味を引き立てている。我ながら良い塩梅に仕上がった。

 皮はパリっと小気味良い歯応え、ほぐれた身はなんとも柔らかな舌触りを齎す。

 ふと思い出し、雑嚢を漁る。間もなくそのざらりとした感触を探り当てた。

 掌に収まる、濃い緑の果実。それを小刀で半分に切り割る。途端、爽やかな香りが鼻を抜けた。

 

「? なんですか、それ」

「酢橘だ。こいつをちょいと搾るとまた妙味でな」

 

 きゅっと指で軽く押し潰せば出るわ出るわ。流石は絞め立て(・・・・)。たっぷりと果汁を孕んでいる。

 汁の掛かった部分に齧り付いた。

 

「うむ」

 

 悪くない。酒がないのが惜しまれる。

 ふと、娘が興味深そうに酢橘を見ていた。割ったもう片方を差し出す。

 

「おめぇさんもやるか」

「で、では、少しだけ」

 

 果肉を潰し、ちょろりと垂らす。やや躊躇いがちに娘は今一度魚に齧り付いた。

 

「むぉお!」

「どうだい」

「果実の酸味が、はむ、より食欲を、あむん、掻き立てまふよ。旨味がきははふ感じですっ」

「ほぅ。ガキの癖に味が分かるじゃねぇか」

「ガ、ガキとは失礼な!」

「おぉ、忘れておったわ。握り飯もあるが要るか」

「いただきます」

 

 笹に載った握り飯を今度は躊躇なく受け取った。右手に塩焼き、左手に握り飯。それが大層嬉しいのか、なんとも幸せそうに娘は満面の笑顔を浮かべた。

 物の食い方にも性格が出る。最後まで遠慮のあったウィズとはえらい違いだ。

 気取りなどない素直な食いっぷりは見ていて気持ちがいいものよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、娘はもう一匹魚を食って腹も少しばかり満ちたようだ。膨れたようには見えぬ細っこい腹を擦り、吐息を零す。

 その様に笑みが浮かんだ。

 そして笑われているのに気が付くと、娘は慌てて居住まいを正した。

 

「コホンっ……えぇと、ありがとうございました」

「おう」

「空腹とはいえ、なんだか物凄く恥ずかしいことをしていた気がします……」

「かははっ、まぁな」

 

 焼き魚を前にかぶりつきで、近年稀に見る物欲しげな顔をしていた。

 それはいい。腹を空かせた童が食い物を欲しがる。至極真っ当だ。

 気になるとすれば。

 

「おめぇさん一人か。親は?」

「とっくに一人立ちしましたよ。この街には冒険者になる為に来たんです」

「ほぅ、では仲間がいるのか」

「い、いえ。それは……我が力を御することの叶うパーティがいないだけで……廻り合わせがまだ無いと言いますか……」

 

 尻すぼみに語気は小さく細くなっていく。

 なるほど。

 

「道理でな」

「な、なんですか」

 

 この年端も往かぬ少女が何故空きっ腹を抱え河原を彷徨い歩いていたのか、これで得心行った。

 稼業に着いてから日も浅く、どこかの徒党に組み入っているでもないときた。

 一目瞭然であるが、どうやら食い扶持も碌々稼げていない。

 路頭に迷う寸前か、片足は既に突っ込み覚束ない様子だ。

 

(こんなガキがなぁ)

「む……なにかこう、心底子供扱いされている気がします」

「無論だ」

「そうですか、ならいいで……認めた!?」

「おめぇさんは、子供だ」

「きっぱりはっきり言い切りましたね!?」

 

 未成熟な体躯や幼けな面差しは勿論、態度や所作を見るにこれは紛うこと無き子供である。

 憤慨を露に、娘はその場に立ち上がり両手を広げた。

 

「な、なら一体私のどこが子供なのか教えてもらいましょうか!」

「口の端に米粒が残っておるぞ」

「……」

「左だ。いやおめぇさんから見て左だ」

 

 探り当てた米粒を娘はぱくりと口に運んだ。

 決まりの悪い顔である。見栄を張りたい年頃なのだろう。懸命に背伸びをする様は、とても愛いものだ。

 知らず笑みが零れていた。

 

「なんですかその微笑ましいものを見る笑いはっ」

「くく、すまんすまん。そうだ。おめぇさん名は? 俺はジンクロウというもんだ」

「……ふっ、とうとう聞いてしまいましたか。では、傾聴なさい!」

 

 突然、娘は意気を漲らせる。地面の杖を拾い上げ片手に構え、もう片方の手で外套の裾を靡かせた。片足を半歩前へ、さながら役者が見得を切るかの如く。

 

「我が名はめぐみん! 紅魔族随一の魔法の使い手にして爆裂魔法を……!」

「茶は要るかぃ」

「あ、はい。いただきます」

 

 土瓶が沸いていた。

 茶葉を入れた急須に湯を注ぎ、暫し待つ。

 葉が開くのを見計らい湯呑みに注ぎ分けた。その片方を娘に差し出す。

 

「熱いぞ」

「はい」

 

 ずずず、と暖かい茶を啜る。苦味と渋味、最後に仄かな甘味が鼻に残る。

 

「ほぉ……」

「ふぃ~」

 

 少女と二人、気の抜けた吐息を零す。

 塩っけの濃い食事の後のこれは舌に心地よい。胃の腑まで洗われるようだ。

 肌を照る焚火の熱、そして身の内から感じる茶の温度。なかなかどうして至福である。

 

「はっ!?」

「うん? どうした」

「名乗りの途中で何するんですか!」

「おぉそうであった。湯が沸いたんでついな」

 

 咳払いを一つ打ち、気を取り直して娘は身構えた。

 

「我が名はめぐみん! アークウィザードにして爆裂魔法を操る者!」

「ほぉう」

 

 今度こそ娘は大見得を切り通し、なかなか満足そうに鼻を鳴らした。

 

「傾いた名乗りだなぁおい」

「ふふふ、我が真名、しかと刻むがいい」

「うむ、刻んだぞ。あぁー…………めぐ坊」

「めぐ坊!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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