父上、父上
私は貴方の息子です
だから、どうかーー
そんな…
それでも、俺はーーーー!!
…………
■
こんっ、キュッキュ。
キュッキュ♪
ピカピカに磨か上げられた床に鳴る、小気味いい音。
その弾むような調子は、浮わついた感情を表しているかのようだ。
こんっ、キュッ。
ぴたり。
一番端にあるドアを前にして男は立ち止まる。
廊下の窓ガラスから降り注ぐ朝の光のシャワーを浴びて、深呼吸。はやる心を撫でる。 be cool…be coool…
気持ちを落ち着かせること一分。パチリと目を開く。
男は道行く女性達が魅了されるだろう笑みを貼りつけて、気配を消し、ゆっくりとドアを開ける。
「…おい、ノックしろよぷよ山」
「なッ西尾く「寝てるから」~~!……なぜ君がここに?」
「いや、俺は毎朝こいつの様子見に来てんだよ。お前こそ朝っぱらからなんだよ暑苦しい」
「…フフッよくぞ聞いてくれたっ「だから声。コイツさっきまで魘されてて、今眠ったんだよ。なんで、静かにしろよ。せめて声落とせ」……金木くんに目覚めの一杯をと思ってね。ディィリィシャスなフレッシュジュースがここに」
月山は肩から下げた小型のクーラーボックスを、自信満々に錦の前に出す。
錦はチラリとそれに目を移して、デスクにあるパソコンへと向き直った。
「ふーん。何使った?」
「石川県産の最高級葡萄をベースにーー」
「うわ、アホみてえ。いくらだよそれ…いや、やっぱ言うなよ」
「金木くんには常に最高なものを食してもらいたいからね」
「ガキの舌にはわからねーよ」
「ノン、わかってないな君は。だからこそなのさ。全てが原石な…マイ!リトル金木くんは僕が育てる…!」
何を想像しているのか、幸悦とした表情でポーズを決める月山に、錦はため息をついて胡散臭げな視線を送る。
「変なこと吹き込むなよ。てか、お前にはあんま懐いてないし。やっかいだってわかんのな」
「彼は照れているのさ。もうじき心は僕のものに…」
「いやいや、こいつアヤトアヤト言ってんじゃねーか。次点で笛口さん。あ、でも愛支にマジ惚れっぽいのは色んな意味でヤバい。本人隠しているつもりで全然隠せてねーのがな…」
錦が後に付け加えた言葉に、月山は先日のある光景を思い出し、ピキリと表情を強ばらせた。
「…ああ、それは同意見だよ西尾くん」
「初めてお前と意見があったかもな」
二人して疲れた顔をした。
外から軽やかな小鳥の鳴き声が聞こえてくる。キラキラと降り注ぐ朝日がやけにまぶしかった。
「…で、そっちの方針はどうなった?」
錦が声のトーンを一つ落とした。
月山は、待ってましたとばかりに顎に手を添えて、妖しく微笑んだ。
「暫くは、計画を進めない。しかし、休止するには実に惜しい…だから、このまま音楽を楽しむことにしたのだよ」
錦は、その答えに意外そうな顔をした。
「へぇ、なんでだ?特にお前は続けると思ってたんだけど?」
「松前やミセス笛口とも話をしたんだがね。金木くんが、マイリトル金木くんになってしまってから、計画の中核となるリトルヒナミは…いわば、免罪符を失った状態になった。…彼女は、目に見えて気力を失っていったよ。しかしそれは、彼女の性格を鑑みれば当然のこと。仕方ないのさ」
「そっか。けど、ちょっとわかる。トーカとかは微妙に妄信的なとこあるけど、ヒナミはな」
「ああ、でも本人は気づいてなかったみたいだけどね。それに、他の二人も少なからずホッとしていたみたいだよ。僕は年長者として、金木くんにメンバーのことも頼まれているんだ。だから、今はこれが最善だと考えたのさ」
「へえ、しっかりリーダーやってんじゃねーか。つっきー」
「ふ、まかせたまえ。お手の物さ」
「はは、」
その時、くしゅん、と小さなくしゃみが鳴った。二人の緩んでいた口元がピクリと緊張して固まる。
「金木くんは、ずっとこのままなのだろうか」
「…さぁな。どーなるかなんて誰にもわからねーよ。現状は手が出しようがねえし。…ちなみに、お前はこうなる前に戻ってほしいの?」
それは、探るような声だった。
月山は錦の心情を知って知らずか、何ともなくサラリと答えた。
「僕にとっては、どちらも同じ…敬愛すべき金木くんさ。ベリーハードな金木くんでも、チャーミングなリトル金木くんでも、何が変わるということはないのだよ。どんな金木でも、彼が望めば僕はそれが何であろうとも成し遂げる。実験ーーいや計画も、何時でも再開できるようにしておくさ」
「…そっか。俺は今が気楽だけど。こいつもこっちのが楽そう……てのは少し違うか」
月山と錦。意見は違えども、二人とも綻んだ表情をしていた。二人の視線の先には、ベッドですやすやと寝息を立てる、小さな少年の姿があった。
□
「えっとぉ…嘉納とオバQ…?みたいなのがいて…気持ち悪かったです。全然可愛くありませんでした。で…遂にハイセもやられてピンチな時に現れたんです…ふんっ…!!って」
「何がだ」
「ですから…ふんっ…!!て…」
「だから何がだ」
ハイルは一面白色に囲まれた部屋、そのベッドの上にいた。
頭一周の包帯に、肩から伸びる包帯に吊られた右腕。病院衣の下にもぐるぐると巻かれた包帯。
重症だった。
「真面目に答えろ伊丙」
「真面目ですよ…でもごめんなさい…ほんとに記憶が曖昧で…」
ハイルは暁に謝りながらも、実際のところは、全てを話していなかった。
話していないのは主に、佐々木の行動についてだ。有馬にさえも話していないのに、暁に話せるはずもない。
「それでその乱入者は、グロテスクなオバQ を潰した後ぉ…地下室に拘束されていたグールを連れ去っていきました…」
「大食い…嘉納明博は?」
「えーと…あ、そうだ、そういえば二人いました。黒ずくめの乱入者。えっと、嘉納明博は…その乱入者達が去る前に、グロQ とジェイルと三枚刃の奴らと逃げていって…グロQがフルボッコにされていたので勝ち目ないと判断したのだと…それで最後にあの置き土産を置いて…」
「…大体はわかった。あとで報告書に…は、難しそうだな」
「利き手がこんなんなので…」
ハイルはギプスをつけた腕をアピールする。別に、反対の手でも出来るけど、単純にやりたくない。
「仕方ない、私がやっておこう。これから鈴屋にも聞いてまとめようか」
「よろしくお願いいたします…」
多分、鈴屋さんは自分以上にグロッキーだったから、ほとんど何も覚えていないと思うけど。
ハイルはあくびを噛み殺しながら、部屋を出ていく暁をぼんやりと見送る。
暁を追う、二人分の足音が聞こえた。
そして、独りになった病室でハイルは考える。
佐々木の…いや、金木研?
ともかく、あの男のことだ。
目が覚めたのは捜査から二日経ってからだから、入院は今日でもう一週間。
ベッドの上でずっと考えていた。でも、考えても考えても、どうしたらいいかわからない。
地下での戦闘。あのときの佐々木の考えも気持ちも、何一つ分からなかった。
佐々木にも、聞いていいのかわからない。 というか、聞くのが少し怖い。
「おはよう、ハイル。久しぶり」
と、思ったら現れた。
車椅子でコロコロ音を立てながら、ムカつくほど気の抜けた表情で、佐々木が現れた。
自分とお揃いのように、腕にギブスを装着している。見慣れたはずの白い頭は、胡麻プリンのように、白と黒に。
あと、これは事前に知っていたことだが、今の佐々木の左目は視えていない。だから、なんとなく視線を外した。
「ハイル、おはよう」
「おはようございます、有馬さん」
「僕は無視…」
佐々木の車椅子を押して入ってきたのは、有馬だった。朝から幸せな気分になる。胡麻プリンとは輝きが違うのだ。いや、胡麻プリンは美味しいけど。
そう。例えるならば、河原の小石と、磨かれたダイヤくらい違う。
「なんか、失礼な視線を感じる…これ、やっぱりおかしいかな…」
「ハイセにはお似合いですよー」
「……」
「ハイル、調子はどう?」
「もう元気有り余ってます。いつでも捜査に出られます!」
「…流石にまだ無理だろう。無理しないで、ゆっくりしてたほうがいいよ」
「はい!有馬さん!」
「来月はアカデミージュニアにハイセが行くんだけど、ハイルも行く?」
「はい!…え?」
「そうか。ハイセが興味あったらしくて、上に確認したら許可が出たから…ハイルの分も申請しておく。どのみち二人とも二ヶ月は実戦に復帰出来ないだろうし、班長としても構わない。内容も、夏休み期間中だから、希望者相手に週に一、二回の講演。それと簡単な実戦の手解きになると思う」
「ハイルはけがの経過次第ってことで、どう?」
有馬の言葉の続きを、佐々木がにこやかに言った。
断るタイミングを失ってしまった。
ハイルは正直、いや心底乗り気ではない。何が楽しくてそんな所に…ジュニアアカデミーと言えば、多分自分と同年代辺り。本格的に学ぶアカデミーとは違う、所謂高校生と云うものだろう。もっと下辺りならば違ったかもしれないが、やる気が沸かない。行きたくない。
何より、有馬と一緒にいられる時間が更に減るのは明白だった。
ーー断ろう。
あ、でも、説明してくれた有馬さんに悪い…
「あ、以前アカデミーの教官をしていた篠原特等も一緒だよ。什造くんも…治ったらね。だから心配しなくていいと思うけど…」
「してないしょや」
「あ、そう…」
佐々木の検討外れな言葉に、いらっとしていると、有馬が知らない捜査官に声を掛けられて部屋から出ていってしまった。
ハイルは八つ当たりぎみに、佐々木を睨み付ける。
「何かごめん…」
「別に」
「…」
「…」
無言が一分ほど続いた頃。
ハイルは、閉じたドアに目を向ける。人が来る気配はない。
「ハイセ」
「ん!…何?」
何か犬みたいだと思った。あれだ。テレビで見た、待てを解かれたようなあれ。緊張した面持ちだが、無駄に目がキラキラしている。
「ハイセのお母さんって…」
思ったより、すんなりと口から出た。自分でも驚く。
聞いてはいけないと、分かっていた。でも、分からないけど…あの声を聞いてしまったから、何か助けになりたかった。
でも。
「……あー」
予想していた反応ではなかった。返ってきたのは困ったような、申し訳ないような、そんな反応だ。
あれ、何かおかしい。
佐々木は少し躊躇って、口を開いた。
「先日のと一緒に、子どもの頃の記憶もさ、飛んじゃったみたいなんだ。昨日の検査でわかったんだけど…母親は…うん、亡くなったのは分かるんだけど」
「ーー」
ハイルは、自分の肌がゾワリと粟立っていくのを感じた。ギプスの中でギュッと拳を握りしめる。
目の前の男は何も変わった様子がない。いつも通りの、自分が知っている佐々木だ。
脳裏にあるのは、地下でのあの言葉。
あの声を聞く限り…
佐々木はーー金木研は、幼少期に虐待を受けていた。あの声を思い出して、考えて考えて、そう行き着いた。そうでなかったとしても、普通の家庭ではなかったことは確かだ。
そんな記憶を失った?
「ーーそれと、」
佐々木は、そこから先を話すのを躊躇うように、目をそらし、口元を手で隠した。
「それと、何?」
「…いや、ごめん。なんでもない。……皆には内緒にしてくれると助かる。心配させたくないから」
「私はいいのかよ」
「いや…まぁほら、聞かれたし…」
昨日、有馬さんから聞かされたこと。
ハイセの身体は急速に死に向かっているらしい。左目が見えないのも、そのせい。らしい。
まあ…現実感は当然、あまりない。
この二次創作では、因縁のない二人でした。