前世はバンパイア?   作:おんぐ

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しばらく捜査官sideが続きます。




43 新人喰種捜査官佐々木琲世

 

 

   

 「はー」

 

 息を吐く。

 ‎流した汗は少量、肉体的もそれほど疲弊していない。だがそれでも、頭の先から全身が満たされていく感覚は心地よかった。 

 

 ‎「ふう」

 

 再度息を吐く。身体的疲労はなくとも、精神は、心は別だった。

 ‎眼鏡上司からは、教導という名の加減の存在しない虐待を受け、年下上司からは、手合わせの名目で“的”にされる。いくら、少しはこの現状に慣れたからと言っても、まだ一ヶ月。ストレスが溜まるのは仕方ないと思う。

 

 「はぁぁあ」

 

 癒しの時間だった。浴槽から湯が溢れ出すが、気にすることなく⎯⎯いや、ちょっともったいないないなと思いながらも、一度肩まで浸かった。じんわりと染み込む熱が、凝り固まった脳を緩和させる。

 ‎まさに至福の時間だった。例えこれが⎯⎯

 

 「⎯⎯ハイセ、ハイセ。この意味教えてー」

 ‎「ぁぁー…僕にはリラックスする時間もないのか…」

 

 無遠慮に開けられたドアから顔を出しているのは、有馬の班での佐々木の上司、伊丙入だった。歳下である。

 ‎桃色の髪を揺らし、年齢の割にはまだ幼く見える容貌をしかめさせながら本のページを睨み付けていたが、佐々木の呟きを耳にして、にんまりと頬を上げた。

 

 「何か言った?私せんぱいっしょ?」

 ‎

 普段の緩いものから、‎少し威圧感が増したその声に、佐々木は心の中でため息をついた。携帯でも使って調べればすぐわかるのに、この先輩は何かと自分を使ってくる。後輩使いが荒すぎると思う。

 

 「…わかりましたハイル先輩。こんな場所でも良ければ、ですが」

 ‎「別に問題ないんよ」

 

 佐々木は、出そうになったため息をぐっと飲み込んで、浴槽に浸かったままドアの方へと頭を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 伊丙入二等捜査官。十六になる歳でCCGに入局した彼女は、約一年の実戦を経験している。

 ‎二十四区の捜索。これが主な任務である彼女が討伐したグールは数知れず。二等捜査官でありながらも、准特等捜査官にも劣らない実力を有している。

 ‎そんな彼女には、ひと月前の時期の外れた頃に、歳がそれほど離れていない、初めての後輩が出来た。名は、金木研改め⎯⎯佐々木琲世という。

 ‎ハイルが佐々木に第一印象で抱いたものは、“甘い”だ。よろしくお願いしますと、自己紹介の後で渡された手作りのクッキーもその片棒を担いでいるが(好評)、ハイルから見れば、佐々木はやはり普通の人間に見えたのだ。

 ‎ハイルは、事前に有馬から佐々木の素性を聞いていた。そして、興味は薄かった。別に私たちと変わらないってことだよね。そんな感想だった。赫子とか出せたら面白かったのになぁと思っていた。

 ‎ただ、自分の後輩が出来るのは少しだけ楽しみだった。白日庭にいたときも、年下のシャオを後輩だなんて思ったことはなかったし、そもそも先輩後輩の上下関係なんて存在しなかった。つまり、人生で初の後輩だ。

 ‎有馬さんから好くするように頼まれたことも相まって、ハイルはすっかりとその気になっていた。いい先輩をしている自分を有馬に見せて、誉めて貰うつもりだった。

 ‎しかし、その計画は早くも難航を見せた。

 

 『有馬さんも高槻読むんですね』

 ‎『ああ、ハイセも?』

 ‎『ええ、作者が行方不明なのは心配ですけど、昔からファンで…有馬さんはどの作品が好きですか』

 ‎『そうだな⎯⎯』

 

 佐々木が来てから数日後には、もうこんな感じだった。じーと隙間なく見ていたから間違いはない。

 ハイルの楽しみ、いや生きがいとも言える⎯⎯明らかに有馬と会話する機会が減っていた。

 ‎郡先輩とは違う距離感…と、ハイルは敏感に反応していた。そして、自分の居場所がなくなるかもしれない⎯⎯そんな考えに行きつく。つまり、佐々木は自分と有馬の仲を遠ざける邪魔者だったのだ。

 

 『ハイル、これさ』

 ‎『ハイセ、先輩がついてないです』

 ‎『え、でも呼び捨てでいいって…』

 ‎『やっぱり、上下はハッキリさせるべきだと思い直したんですよ』

 ‎『えー…』

 ‎『言えってんだよ』

 ‎『…ハイルさん?』

 ‎『まあ、よろしいです』

 

 これで後は有馬さんから遠ざければいい、ハイルはそう考えていた。そして、結果から言えばハイルのこの企みは成功する。有馬から佐々木を遠ざけることは出来た。

 ‎しかし、ハイルにとっての誤算⎯⎯いや予想外は、佐々木が後輩として有能過ぎたことだろう。佐々木はハイルの要求を、時には文句を言いながらも何だかんだ了承した。ふと漏らした雑用ごとも、手慣れた様子で捌いていったのである。

 ‎

 『ハイセ、稽古をつけてあげます』

 ‎『ハイセ、お昼買ってきて』

 ‎『ハイセ、この前の御菓子くださいな』

 ‎『ハイセ、これ教えて?』

 ‎『ハイセ、おなかすいたー』

 ‎『ハイセ、洗濯お願いしてもいいしょ?』

 

 結果、彼女は調子に乗った。これがいいならこれもいいよね、と続いた。そして、彼女生来の、少し甘えん坊な性格を順調に発揮していくことになった。

 CCGが所有し、職員に寮として格安で提供しているアパート。その隣同士の部屋になったことも一因だろう。今や佐々木は、ハイル専属の家政婦といっても過言ではなかった。

 ‎よってわずかひと月。ハイルにとって佐々木は、気兼ねなく使うことのできる存在となった。

 ‎ただ、気がかりなことはあった。

 ‎ 

 

 

 ‎『⎯⎯ハイセ、止めがまだだ』

 

 瞬間、首が胴体から離れ、ゴトンと鈍い音を響かせる。

 

 『ハイル…』

 ‎『これで、私の討伐数プラスいちですね。…ハイセはトロいから』

 ‎『ごめん…』

 ‎『あとハイセはサディストなんですよぅ。いくらグールと言えども苦しみを長引かせるなんて、とても私にはできない芸当です』

 ‎

 ‎

 佐々木は未だに、グールをその手に掛けることができない。

 ‎ハイルには佐々木の心の内はよく分からない。彼女にとって、グールの排除は当たり前のことで、自身の存在意義とも言える。もちろん、理解などするつもりもない。

 ‎しかし、苦渋に⎯⎯怯えに満ちた佐々木が手を止める度に、手を出してしまうのだ。佐々木のそんな表情を見たくなかった⎯⎯わけでは決してない。後輩の不始末は先輩の責任だよね。それだけだ。有馬さんにも迷惑が掛かる。

 ‎喰種捜査官になったからには、グールの駆逐は必要不可欠である。そしてそれは、つい最近まで一般人であった佐々木であっても例外ではない。何より⎯⎯彼自身は知るよしもないことだが⎯⎯自分達と同じなのだから。

 ‎しかし、そうは言っても佐々木がグールを駆逐できるのはまだまだ先のことだろう。むしろ、次の捜査で簡単にこなしてししまったら、それこそ佐々木の精神状態を疑う。

 ‎だからハイルは彼が一歩踏み出すその日まで⎯⎯自分の駆逐数を伸ばしていこうと思っている。

 

 『……そうだなハイル。よくやった』

 

 有馬さんも褒めてくれるし。

 ‎

 

 

 

 

 

 

 

 

  □

 

 

 

 

 

 

 「ごめん什造くん。待った?」

 「ううん、待ってないです。僕も今来たですよ」

 

 鈴屋と佐々木が初対面してから一週間後の昼前、彼らは駅前で待ち合わせをしていた。

 

 「今日は誘ってくれてありがとう」

 「いーえっ。このチケット、ペアの券だったからお礼はいいですよ。もともと一人で行くつもりだったから」

 ‎「…じゃあ、僕はとてもラッキーだ。小規模のライブだし、席取りにくいんだよね?このバンド」

 ‎「ハイセも知ってて良かったです」

 ‎「あ、うん。ネットニュースにもなってたしね。隻腕のボーカルに年端もいかない少女たちのバンドが凄いッ!って」

 ‎「“つっきー”を忘れてます」

 ‎「…ああ、うん。つっきー…つっきーだね…」

 

 苦笑する佐々木に、鈴屋は首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

 「楽しかったです。ハイセはどうでした?」

 ‎「いや…うん。感動したよ。今日は本当にありがとう」

 ‎「よかったです」

 

 じんわりと感動を噛み締めている様子の佐々木を見て、鈴屋はコロコロと嬉しそうに笑った。

 ‎今いるのは、ライブが終了した会場前。周りを見渡せば、興奮冷めやらぬ様子で、人々が感想を語っている。

 

 「でも、結構目が合いましたね。特にToとEitoが。一番前だったからです?」

 「…え、あはは。僕は気づかなかったかも。音に魅了されてたというか、ずっと感動してた…」

 ‎「そうですねえ、僕も同じです。また行きたいです」

 

 鈴屋と佐々木は、少し早いがこのまま夕食を取ることにした。夕食に選んだ場所は、近くにあった個人経営の小さなイタリアンレストランだった。

 

 「メールです?」

 ‎「あ、うん。夕食のことで…冷蔵庫に作ってあるよって」

 ‎「あれ?ハイセは一人暮らしって言ってませんでしたっけ」

 ‎「そうなんだけど、同じ班の…上司がね。最近は僕が食事担当だから」

 ‎「大変ですね。今日は大丈夫でしたか…?」

 ‎「うん、朝に作っておいたから。だから気にしないで」

 

 先週は、夕食のことをすっかり忘れていたため、訓練が通常の五割増し厳しくなってしまった。そのため佐々木は今日、朝にまとめて作り置きしていた。メールには、その旨を書いて送った。

 

 「班と言えば二十区捜査班に真戸ちゃんが来ました」

 ‎「そうなんだ……ん"?什造くんって、真戸准特等のこと真戸ちゃんって呼んでるの?あの人を?」

 

 佐々木は、信じられないとばかりに目を開き、什造を畏怖を込めた目で見る。

 

 「ハイセが何考えているのかよく分かりませんケド、真戸ちゃんは可愛い女の子ですよ。せーどーと同期で、二等捜査官です」

 ‎「あ、人違い…」

 ‎「ハイセは面白いですねえ」

 ‎

 ‎佐々木は、鈴屋の笑顔に釣られるように、顔をひきつらせて笑った。

 ‎そうこう話しているうちに、注文したピザがテーブルに運ばれてきた。一人で食べるには少し大きめのサイズ。血のように真っ赤なトマトソースの上に、とろけて伸びたモッツァレラが広がっている。今回はコースではない。それぞれが注文したパスタももうじき出来上がるだろう。

 佐々木が手際よくピザをカットし、皿に取り分ける。鈴屋は礼を言って、はふはふと一気にほお張る。

 

 「什造くんさ、“白浪”って知ってる?」

 ‎「んく…知ってるですよ。ひと月前に遭遇しましたし」

 ‎「本当?…どうだった?」

 ‎「皆言ってるように、すぐ逃げられて…あ、でも腕切られちゃいました」

 ‎「え、それ大丈夫っ?」

 ‎「もぐもぐ、…自分ですぐに直しましたから。血は出ましたけど、たぶんそんなに深くなかったです。ほら、もう直ってます」

 

 そう言いながら服をを捲った鈴屋の二の腕はまっさらで、傷一つ見当たらなかった。

 

 「でも半年前の真戸准特等と篠原特等以外に“白浪”から負傷を受けた捜査官はいないって聞いたけど…。遭遇してもクインケを壊されるか、そのまま逃げるだけって」

 ‎「さあ、僕にも分からないです。あの時何してたっけ…あ、そう確か死んじゃう前にゲームを⎯⎯ハイセ?」

 ‎「⎯⎯何?」

 ‎「何だか変な顔してたから」

 ‎「えっ?」

 

 佐々木は自分の頬に両手をやって、感触を確かめるように動かす。鈴屋は目をキョトンと丸くさせて首を傾げた。

 

 「やっぱり変ですねえハイセは。でもハイセの気持ちは、たぶん篠原さんと同じなんですよね。…この話は止めるです」

 

 そして、目を細めて愉快そうに笑った。

 

 

 

 

 「⎯⎯♪」

 

 食後に注文したジェラートを片手に、レストランを出てから三十分。鈴屋はマイクを片手に歌っていた。流れる曲は、新規で登録されていた“ビレイグ”のものだ。

 ‎その声色から、バンドのボーカルが歌っていたものとは雰囲気が別物となっているが、ほとんど音程も外すことのなく歌声が続いた。

 

 「⎯⎯ふぅ……おお、なかなかの高得点です…?」

 ‎「いやいや、こんな点数初めてみたよ…」

 ‎「僕、カラオケ上手なんですかね」

 ‎「いや上手すぎって言うか、脳が痺れて…声が直接頭に響いてきたと言うか…うん、いい声でした」

 ‎「あ、それママにも言われてた⎯⎯⎯あ」

 

 什造が笑顔のまま、時が止まったかのように固まった。まるでどんな表情をしたらいいのか迷っているかのような⎯⎯

 

 ‎「…什造くん?」

 ‎「⎯⎯何でもないです。ほら次はハイセの番ですよ」

 「……うん、けど自信は完全に喪失したなぁ」

 

 佐々木は口元をひくつかせながら、ゆっくりとマイクに手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あと少しで日を跨ぐという時間。佐々木がアパートに戻ると、玄関に一足のサンダルが並べてあった。ドアを挟んだ奥の部屋からも、チカチカと光が漏れている。

 ‎ドアを開けると案の定、ハイルがプリンを口に運びながらテレビをぼーっと眺めていた。クッションを抱いてリラックスしている彼女の姿を見て、佐々木は一瞬部屋を間違えてしまったのかと錯覚する。しかし、見慣れた家具を確認して、すぐに思い直した。そして、真っ暗な室内に明かりを灯した。

 

 「おかえりー」

 ‎「ただいま…目が悪くなるから電気は点けようね。あと、何でまだいるんですか」

 ‎「目は多分ほっといてももうすぐ悪くなるからいいんよ」

 ‎「っはぁ…何でそんなことわかるんだよ」

 ‎「さあ?」

 

 力が抜けてしまうようなおかえりの挨拶も、玄関の方をチラリとも見ずに言うハイルだった。

 

 「夕食は…あれ、全部食べたの?」

 

 佐々木は手洗いうがいをすませ、夕食の残りを小皿に移そうと冷蔵庫を開ける。しかし、朝作っておいたはずのものが、何一つ残っていなかった。文句言われないようにと少し多めに作ろうとして⎯⎯結果かなり多めに作り過ぎて、軽くハイル数人分の量があったはずなのだ。

 

 「ああ…好評でしたよー。皆おいしかったって」

 ‎「…みんな?」

 ‎「ふわぁあぁ……うん…有馬さんとぉ、郡先輩と、平子さんから夕食のお誘いがあって…だけどハイセが作ってたからいたましいしょ……だからここで皆で食べたん」

 ‎「え、ここで…?」

 ‎「冷凍してたのも食べたんやった。あと…うん、何だっけ…今度お詫びに来るって」

 ‎「…そう。ところでハイル、ここで寝ないでください。自分の部屋に戻って。歯磨きもちゃんとするんだよ」

 ‎「…連れてって…歯磨きも…」

 ‎「ええ…自分で⎯⎯」

 ‎「やれや」

 ‎「…わかったよ、ほら」

 

 佐々木は横抱きにしてハイルを持ち上げる。

 ‎そして彼女の部屋に入り、何とか歯磨きを済ませ、ようやくベッドに下ろした頃。

 ‎彼女はすでに夢の中だった。

 

 「…ごめんね」

 

 一つの謝罪がぽつりと、ハイルの安らかな寝顔に落とされる。

 ‎聞いている者は、誰もいなかった。

 ‎

 ‎

 

 

 

 

 

 

 


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