3話投稿します。
“通らねえ…通らねえ。喰いたいのに、通らねえ。ここに抑制剤……
……あ、そうだ。忘れてた。喰えるとこ……あった。
だっていつも⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯"
ズキン……ズキン……
断続的な鈍痛は、気を失っていたトーカの目を覚まさせるには十分だった。
ここは、どこ。
うつぶせになったまま、朦朧とした頭で、そう考えて、「…あ」と音が漏れた瞬間だった。横に向いているトーカの眼前に、目を血走らせ、口周りを濡らした男の顔が現れた。目があった男の顔は、ポカンと口を開けた、間抜けな表情だった。盲点だったことに気づいたような、そんな顔。
だが、それも一瞬のこと。トーカは、男の顔を凪ぎ払うべく、拳をにぎっ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯がりゅん
視界の半分が、黒く染まった。
「っ、ぁぁぁぁああああアアアアア……!‼!‼」
再び気を失いそうになるほどの激痛に、トーカは絶叫を上げた。
「⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯」
そして、トーカのものとはちがう、地の底から響くような絶叫。トーカは背中に、異物が入り込んでくるのを感じた。
■
「あっ……ぁぁ」
すぐに消えていく、絶望を感じさせる音。それが何であるのか理解した金木の脳は、浅い眠りから瞬時に覚醒した。金木は、上半身を預けていた、ベッドの上を確かめる。目に飛び込んできたのは、身体を丸め、全身を震えさせているトーカの姿だった。
「トーカちゃん」
トーカが目を覚ました。金木は、今はそれだけで、思わず天に感謝してしまうほどに嬉しかった。
抱き寄せようと、そっと、トーカの肩に触れる。しかしそれは、誤った行動だった。
「ひっ…ぃ」
バシッと、金木の手が、トーカによって勢いよく払われた。
トーカはそのまま、弾かれるように起き上がり、その勢いのままに後ずさる。そして、背中に壁がドンッと当たり、衝撃を受けた。
「⎯⎯⎯⎯⎯あっ」
トーカが、絶望に塗れた顔で、崩れ落ちていく。金木はそれを、ただ茫然と見ていることしかできなかった。
■
物音で目を覚ましたリョーコとヒナミは、トーカが目を覚ました覚ましたことに一瞬喜んで、固まった。
震えたトーカに、いつもの面影はなかった。背中を丸め、耳を塞ぎ、その姿は、干渉の全てを拒絶しているようだった。心配して掛ける、リョーコの声も、ヒナミの声も届かない。なぜこうなったのか金木に聞いても、生返事しか返ってこない。
「…トーカちゃん」
「ひっ」
そんな中、リョーコがトーカの腰を引いて、優しく胸に抱いた。トーカはパニックになって、リョーコを引き剥がそうと躍起になる。ただ、その力は弱々しかった。
「大丈夫、大丈夫よ」
ポン、ポンとリョーコが片手で、トーカの頭を優しく撫でた。暫く抵抗していた、トーカの動きが止まる。
「ひっぐ……く」
「…大丈夫、大丈夫」
リョーコがそれを何度も続けているうちに、スーと寝息が聞こえてくる。リョーコの胸に抱き締められたまま、しがみつくように、眠りについていた。
その間も金木は、呆然としたまま、動けなかった。俯いているその瞳は、泥のように濁っていた。
朝、再び目覚めたトーカは、右手を失っている以外は、一見普通に見えた。しかし、判明していくトーカの身体の状態。そのあまりの酷さに、金木達は言葉を失った。
まず、見た目の通りに、トーカは右腕を肩から失っていた。断面を確かめても、再生の兆しは見られなかった。それどころか、まるで、そこには最初から何もなかったかのように、滑らかな皮膚で覆われていたのだ。
次に、目だ。トーカは左目の光を失っていた。左目は、最初にヤモリによって奪われたものだった。その意識が根付いているためか、眼球は再生していても、その機能を果たしていなかった。
そして、背中。見た目の傷は、完全に癒えているため、見当たらない。問題は、心に深い傷が刻まれていたことだ。
背中に触れられると、過敏に反応した身体を震えさせた。その度に思い起こされるのは、地に押さえつけられ、背中から貪られた、おぞましい記憶。押し寄せてくる恐怖の波がトーカを蝕んでいた。
「あ、学校どうしよう」
昼食時、トーカは思い出したように言った。視線は今は無き自身の左腕へと向かっている。
「目はまだいいとして…これは、流石にあれだよね…下手したら警察沙汰になるかも」
トーカは溜め息を着く。仮にグールに襲われたと言っても、それで終わるはずはない。そんなことをすれば、白鳩が接触してくることは、目に見えている。病院にも行っていない。行けるはずもない。どこかで、ボロが出てしまうことは、明確だった。
依子と学校に通うこともできなくなる。お弁当交換も、もう無理だ。最近は受験勉強も始めて、せっかく充実した毎日だったのにと、気分を沈めた。
「トーカちゃん……」
「お姉ちゃん……」
リョーコとヒナミが、悲痛そうに、トーカを見る。二人は、楽しそうに学校での出来事を話す、トーカを知っていただけに、つらかった。
「あ…ごめん。その、自業自得でこうなったんだし、仕方なかったんだよ。だから」
「……何とか、戻らないかな」
「え?」
俯いたまま、金木がポツリと呟いた。
「僕の血を、もっと飲めば……そうだっ赫包‼僕の赫包をトーカちゃんの中に入れたら背中も治ったんだ…だから、もう一つ入れれば…」
金木は、腰に爪を突き刺そうと、腕を勢いよく振り上げる。しかし、振り下ろそうとした時、それは止められた。パシッと頬を叩かれたから。
「あ……ごめんなさい…でも…トーカちゃんは、そんなことを望まないわ……」
金木の頬を張ったのは、悲痛な顔をしたリョーコだった。金木は呆然と頬を押さえ、リョーコを見る。そんな金木に、リョーコは悲しそうな表情をしながらも、真っ直ぐと金木を見ていた。
「あ……僕…ごめなさい……頭冷やしてきます」
金木そう言って、フラフラと立ち上がる。
「お兄ちゃん、ヒナミも…」
「ごめん、一人にしてほしいんだ」
突き放すように、金木は言った。ああ、八つ当たりだと、金木を直ぐに、罪悪感が襲う。金木は情けなさを感じながら、足早に自宅を出た。
■
週末の、人通りの多い駅前。待ち合わせにもよく利用されている場所のベンチに金木は一人座っていた。
まだ昼前の時間帯のため、行き交う人々はカップル、もしくは友人グループといったものが多い中、金木のように独りというのもチラホラといる。そのため、金木がどんなに陰気な空気を出そうとも、気にする人はいなかった。
フラフラと歩いて見つけたベンチに座ってから、どれほど経っただろうか。俯いて動かない金木に、声を掛けた者がいた。
「あれ、金木?」
金木にとっては、聞き覚えのありすぎる声。顔を上げるまでもなく、誰かわかった。
「…ヒデ。…って、ちょっやめっ」
俯いたまま、返事をする金木の脇腹に耐えがたい違和感が続く。金木は堪らずに立ち上がった。
「何するんだよっ!!ヒデ!!…ぶっ」
怒りを露にした金木の前にいたのは、寄り目から始まり、変顔を晒している英良だった。
「…ホント、何してるんだよ…」
金木は頬をひきつらせながら、呆れた声を出す。
「ほまえ、ふぇっきん、かたすぎ。…どんだけ、鍛えてんだよっ」
もう一度実行しようとする英良の様子から、金木は何歩か下がった。
「なはは…まあ、何してたかは知らねーけど、昼飯いこうぜ。まだだろ?ほら、腹が減っては戦はできぬって言うしな」
「っ…僕は、戦なんて行かないよ」
「…ははっ」
自分で言っておいて何が可笑しいのかと、笑う英良を見て金木は思い、苦笑を漏らす。
不思議と、気分は楽になっていた。
「―いつもので」
「かしこまりました。いつもの、でございますね」
キリッと顔を決めたような英良と、ウェイトレスの会話である。
「おい、冗談で言ったんだけど、乗ってくれちゃったぜ。覚えてたってことは、俺に気があるのかも…」
秀良は興奮した様子で、口を半開きにさせた金木へと話しかける。
「覚えてたって…もし違ってたら、どうしたんだよ」
「そこは、ほら合ってたんだしいいじゃねーか」
嬉しそうに言う英良に、金木は小さく溜め息をついた。内心面白かったと思っているのは、秘密である。
「で、どうしたんだよ」
「っ」
「言いづらいなら、いいけどよ」
深くは追求しようとしてこない英良の態度に、金木は心が満たされていくのを感じた。
金木は、迷った。
勿論、全てを話す気はない。だが、少しだけなら、少しだけならば、いいのではないかと。だが、それで英良を巻き込むことになったらという思いもある。どうすれば⎯⎯
「あれか、トーカちゃんと、喧嘩でもしたか?」
「⎯⎯トーカちゃんが、怪我したんだ」
言うつもりのなかった言葉は、自然と、口からポロっとこぼれ落ちた。
「……え?……まじで?大丈夫なのかよ」
「…全然、大丈夫じゃないんだ。眼と、腕に後遺症が残って……学校にも暫く通えないと思う……全部、僕のせいなんだ」
「……」
「……」
「え?それで終わりか?」
「…あ、えっと、うん」
金木は、今更ながら自分の失態に気づく。疑って下さいと言っているようなものだ。こんなこと、言う必要はなかったと、後悔した。
英良は金木の顔をじっと見つめる。数秒経って、口を開いた。
「……まあ、お前が言いたくないのなら、聞かねえよ」
少しさみしーけどなと英良は続けた。
「うん……ごめん」
金木は表情を暗くさせ、気を落とした。英良に心配をかけるだけかけて、後は知らないふりをしたも同然だと、自分を責める。
「あー」
その金木の様子を見て、英良は空気を変えるために、努めて明るい調子で、話し出した。
「なんか、あれだ、もう……おまえ、一旦気分変えるために、どっか遠くに行って一人旅とかしたら?ほら、雄大な景色とか見て自分を見つめ直す…って、トーカちゃんがそんなんなってるなら、無理か……」
「あ」
その時、金木の中で、あることが頭に浮かんだ。
「ん?どした」
「あ、いや…ちょっとまって……そうだ、なんで気づかなかったんだろう」
ブツブツと独り呟き出す金木。唐突に邪魔者扱いされた英良は、どこか釈然としないまま、黙ってその様子を見ていた。
金木が勢いよく立ち上がる。
「うお」
「やっぱり最高の親友だよ…ヒデ、ありがとう…」
「いや、大げさ」
涙を流す金木に、周囲の視線が集まり出す。
ヒデの指摘により、気づいた金木は涙を拭き、声のトーンをおとして続ける。
「あとごめん。今からトーカちゃんのとこ行ってくる…あ、ここは僕の奢りで」
財布から取り出した五千円札を机の上に置いた金木は、颯爽と店を出ていった。
「…なんだあいつ」
独り残された英良は、居心地の悪さを感じつつも、席につく。一度注文したのだ。金木がいなくなった今、二人分食べるのは自分である。
「…まあ、少しは元気になったみたいだし」
まあいいかと、頷く英良。仕方ない奴だという顔をしつつも、その口元は僅かに弛んでいた。
次、いきなり時間が飛びます