前世はバンパイア?   作:おんぐ

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一回消えてショックを受けたこの話。


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 いーちーにーさーんっし。

 

 掠れたように小さく、それでいて弾むような声が耳をくすぐる。ああ、癒される。

 

 

 

 

 時刻はまだ朝の五時前。空は真っ暗で雲一つなく、一面が闇に覆われている。その中で、淡く輝く月の光と頭上にポツンとある一つの街灯がやけに眩しく感じた。

 十二月も目前ということもあるのか、朝はより寒く感じる。身体を伸ばしながら深呼吸するたびに、吐き出す息も白く色づいている。

 

 

 「準備体操はこれでいいかな」

 

 

 「うん」

 

 

 今からヒナミちゃんと共にジョギングだ。今の彼女の服装はそれに合わせたもので、少し大きめに見えるジャージ上下にランニングシューズ。首まわりにはタオルを巻いて、シンプルなニット帽を被っている。少々使い古されたシューズとジャージはトーカちゃんのお下がりだ。帽子はリョーコさんが一から編んだもので、暖かそう。

 

 

 「ちょっと寒いね」

 

 

 そう言って、ぴったりとくっついてきた。目線を下げると、照れたように小さくはにかんだヒナミちゃんと目が合った。余裕を持って苦笑して返すが、内心は違っていた。胸の辺りがきゅうっとなった。…可愛いすぎる。保護欲の上昇が止まらない。この公園に着くまでも、ずっと手を繋いでいたし。

 …だが、彼女が父親を亡くし、母親を失いかけたのはまだつい最近のことだ。そして、久しぶりの外出。やはり、不安でいっぱいなのだろう。それでも、ヒナミちゃんはこうして笑顔を見せてくれている。そんな彼女になんだかこう、熱いものが込み上げてきて、胸がいっぱいになった。

 

 

 「お兄ちゃん?」

 

 「…あ、ごめん」

 

 「あっ……ううん。ちょっとあったまったよ。ありがとう」

 

 

 ヒナミちゃんはそう言って一歩離れた。

 

 

 「じゃあ、もっとあったまろっか」

 

 「…うん」

 

 

 ジョギングスタートだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の発端は食事中のトーカちゃんの一言。

 

 「ヒナミふっくらしてきたね。リョーコさんも」

 

 ハムスターのように食べ物を溜め込んだ、ヒナミちゃんの頬をぷにぷにとつつきながら、トーカちゃんが言った。

 

 瞬間、ピシリと空気が固まった。

 

 トーカちゃんは何気なく言ったようだったが、言われた二人はショックを受けた。ニコニコしたリョーコさんがおかわりのご飯の茶碗を持ったまま、暫く微動だにしなかったのが印象的だった。結局あとで全部残さずキレイに食べていたのだけれども。

 

 実のところ、最近僕もトーカちゃんと同じように思ったことがあった。元々二人ともスレンダーな体型だったし、健康的になったと前向きに考えて、特に指摘はしなかったが。

 そもそも、女性に対して体型のことを話題に出すのはどうかと思うし、毎回あんなに美味しそうに食事をする二人に言えることでもなかった。まあ、このままいくと…と思っていたのも確かだった。

 二人は女性にしては、よく食べるほうだと思う。グールと人間の違いかもしれないが、一回の食事量は僕とほとんど同じだ。僕自身、移植後から筋肉質になったこともあり、食べる量も増えた。最近、ヒデに「食べ過ぎじゃね?」と指摘されたほどだ。その僕と同じ量。加えて二人は運動という運動をしていない。実はしているのかもしれないが、少なくとも僕に覚えはない。そういうことでまあ、こうなるのは必然だったのかもしれない。

 そこで考えたのが早朝ジョギングだ。リョーコさんは詳細な手配書まで出ているため、時期早と判断して、まずはヒナミちゃんだけだが。

 リスクがあることは自覚している。捜査官には顔が割れているし、捜査官と言わず、一般人に感づかれでもすれば不味いことになることはわかっていた。だがそれでも、これから永遠に外に出ないというのはやはり無理な話だと思う。

 今思えば、遅かれ早かれ何時かはこうなっていたのではないだろうか。それに自分勝手な話だが、これから先彼女たちと色んな場所に行って色んな経験をしたいという気持ちが僕にはあった。だから、少し早い気もするが、今回きっかけができて良かったのかもしれない。気になるのは近隣の住民だが、基本会うこともないし、こんなに朝早くに出くわすこともないだろう。それでも何かあれば、引っ越すだけのお金の余裕があるし、僕が守ってみせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 「…よし」

 

 気合いを入れた先にあるのは、幾つかの建物が連なる大きな病院。ふと、入院していた時の病室はあの辺りだったかなと何となく当たりをつけた。

 大学で今日の講義を終えた夕方、嘉納医師に会うためここにに来ていた。病院までの道のりの途中で、先日テレビ番組で紹介されていた洋菓子店が目に入って、つい購入してしまった。まぁ、遅くなったが退院時の世話になったお礼とでも言えばいいだろう。それに、今回は診察を受けるというわけではない。何も持たずに行くのも気が引けるような気もしていたし。勿論、自宅用にも少し買っている。ヒナミちゃんも一緒にテレビ見ていたし、きっと喜んでくれるだろう。

 

 

 

 「少し待ってて下さいね」

 

 入院中に担当してくれた看護婦からこの部屋に案内されてから十五分ほど経っている。事前に連絡は入れていたが、この時間帯は忙しいのかもしれない。

 少し緊張している。気持ちが落ち着くようにと本を開いたが、内容がよく頭に入らない。何があったとしてもと、事前に心の準備はしてきたつもりだった。だがそれでも、時間が経つにつれて不安は段々と大きくなっていくのがわかる。臓器移植のこと、神代リゼさんのこと、グールのこと。そして⎯

 

 コンコンと扉をノックする音が耳を打った。一息吐いてハイ、と返した返事の後に扉がスライドされる。

 

 

 「待たせてしまって悪いね。久しぶりだね金木研君。体調はどうかな」

 

 

 

 

 現れた嘉納医師の表情は、相手をどこか安らかにさせるもので、話す声色には心配の色を感じさせた。だがなぜか、そこに違和感を感じた。なんだろうと思ったが、それは直ぐにわかった。違和感の正体は彼の目だった。

 凝視しすぎないよう気をつけて、目を見て話しているうちに、その目が映しているものが何であるのか少しだけわかってしまった。なぜなら、僕は似た目を向けられた経験があったからだ。一人の人として見ていないながら、愛着を感じさせる目。それは、前世でも向けられたことのあるものだった。

 

 「免疫抑制剤もなしか。他に何か手術前と比較して身体に変わったことはあるかな?」

 

 

 「…味覚が移植前とは少し変わりました」

 

 

 「ほう、味覚ね」

 

 

 

 それから暫く、当たり障りのない会話を続けたが、嘉納医師の様子に何も変わりはなかった。医者と患者の普通の会話だったと思う。正直これには、心のどこかで安心してしまった。

 

 

 

 「嘉納先生、実は……」

 

 だから、こちらから少し踏み込んでみることにした。

 

 

 「何かな」

 

 嘉納医師は書き込んでいる手を止め、此方に向き直った。

 

 

 「実は…彼女、僕に臓器を提供した神代リゼさんは、グールだったんじゃないかって。……あのとき、確かに襲われていたんです。先生は何かご存じではありませんか」

 

 話している途中で、嘉納医師の目が僅かに開くのがわかった。それも一瞬のことだったが、それは意表を突かれたとか、驚きからではなかったと思う。彼は、意外そうな目をしていたように見えた。

 

 一呼吸置いて、嘉納医師が口を開いた。

 

 「…そうか、知っていたんだね。…そうだ。彼女はグールだった。しかし、気づいた時にはもう…君の命を救うには、ああするしかなかった。勿論、この件を知るものは私と君、そして他言しないと信用できる少数の人間だ」

 

 嘉納医師は感情を感じさせない顔で淡々と話した。

 

 それを聞いて、自覚した。…そう、何であれ今こうして生きていられることは彼のお陰だ。事実、テレビ番組ではバッシングをされていたが、僕は彼の判断なしではそのまま死んでいたのだろう。

 今は何が途もあれ、生きている。そして今の生活に、僕は幸福を感じている。それは、この医者により与えられたものだ。

 

 もし、この件がこの医者の善意からのものだったとしたら。一瞬、そう考えた。そうだったらよかったが、そうではないとわかっている。だがそれでも、それは頭から消えてくれなかった。…わかっているはずなのに。

 

 

 「…そうだったんですか。ですが、移植されたものがグールの臓器だとしても、今こうして生きていられることは、先生のお陰です。…ありがとうございました」

 

 

 「…医者として、患者の命を救うことは当然のことだよ」

 

 

 「それでも感謝させて下さい。…それでその、神代リゼさんのことなんですが……噂では、グールは再生力が高いそうですが彼女は…」

 

 

 嘉納医師は数秒間、考えるように目を伏せた。

 

 

 「…まあ、君には知る権利はあるだろう。今彼女は、グールの研究施設にいる。ああ、君がグールの臓器を移植されたことは、知られていない。そこは安心してほしい」

 

 

 施設か…。事実ならば、僕にとってありがたいことであるのは確かだ。そう言われても、安心はできないが。

 

 

 「…そうですか。仮に…彼女に会うことは可能ですか?」

 

 

 「それは難しいね。おそらく、危険に晒されることになるよ」

 

 

 「……すみません」

 

 

 「いや、いいよ。…彼女に会ってどうするつもりだったのか聞いてもいいかな?」

 

  …僕がグールになったことは話に出さないでおくべきだろう。未だ、この医者が何を考えているのかわからない。入院中に採血もされているし、まあ仮に、その時にはまだRc細胞が変異していなかったとしても、もうその時点で純粋な人間と比べ、Rc細胞の数値は明らかだったと思う。

 

 

 「それは……」

 

 コンコンとノックが鳴った。ドアの隙間から看護師がひょこっと顔を覗かせる。

 

 

 「嘉納先生、そろそろ」

 

 

 「ああ、行くよ。金木君、すまない」

 

 

 「あ、いえ…お忙しい中、ありがとうございました」

 

 

  嘉納医師がメモ用紙にサッとペンで何か書いて差し出してきた。

 

 

 「これは、私の連絡先だ。何かあれば、連絡してほしい」

 

 

 「あ…はい」

 

 

 僕に紙を渡した彼は、もう用は済んだとばかりに部屋を出ていった。ポツンと音がしそうな感じで取り残された気分になる。固まっていたら、入れ代わりで看護師が中に入ってきた。

 

 

 「金木さん。頂いたあの御菓子おいしかったです。ありがとうございました」

 

 

 「…いえ、喜んで頂けて何よりです」

 

 

 「私は知らなかったんですけど、有名なお店のだったんですね。他の皆も喜んでいました。あと少しがんばろーって」

 

 

 部屋を出たあとも出口まで送ってくれるらしく、歩きながら看護師と話をした。僕は聞き役で、ほとんど相づちを打つだけだったが。彼女には悪いが、内容はあまり耳に入っていなかった。頭にあるのは、嘉納医師との会話。やはり、釈然としない気持ちが残った。それに、この連絡先のメモどうしよう。…一応、登録だけしておこうかな。

 看護師と別れの挨拶を交わして外に出る。うーん…消化不良のような、もやもやとした気分だ。終わってみると、まだ踏み込んで聞けたかもしれないとか、色々浮かんでくる。

 気分を変えようと見上げた空には、灰色が押し寄せていた。…ひと雨来そうだ。

 

 




話が進まないので、あと数話でアオギリ編へ。
一番書きたい場面を文にするとなると一番難しいような。

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