「お誘いをいただけるとはね」
人々が寝静まる深夜の時間帯。
場所は老朽化により廃れた、所々崩れたビルが指定した場所だった。月山さんは僕よりも早く来ていたようだ。…まだ、指定したよりも一時間も前なんだが。いったい何時からいたのだろう。
今日はトーカちゃんが家に泊まっている。気づかれないように、家を出るときは苦労した。
最初は、課題をするということにして、先に寝ていいと言ったのだか、トーカちゃんは興味があったようで、見物に入ってしまった。実際に、課題もあったため、暫くはいいだろうと気にしなかったのだが、中々寝てくれなかった。結局、僕も一度布団に入ることにしたのだが、そのまま寝入ってしまいそうになって危なかった。いざ、布団から出ようとしても、彼女が服を掴んで離さなかったため、脱いでなんとか抜け出した。それから音を立てずに外にでて、掘さんと合流し、今に至る。……途中、補導されかけたことはまぁ…いいだろう。
掘さんは離れた所にいる。念のため、僕が把握できる範囲内だ。他のグールが現れないとも限らない。彼女が防犯ブザーを持っていたことには感心した。準備がいい。
加えて、荒事になると思われるため、近づけたくはなかった。彼女は人間だ。巻き込まれるとただでは済まないだろう。
月山さんは掘さんが来ていることに、おそらく気づいていない。わかりたくないが、僕しか目に入っていないことがわかった。ねちゃっと粘つくような視線だ。抑えているようにも見えるが、興奮を隠しきれていない。時折漏れる声が不気味だ。しかし、息荒すぎだろ。一度深呼吸して落ち着いたほうがいいです。
一応、待たせてしまったことを謝罪する。すると、時間が経つのを忘れるほど考え事をしていたので、気にしなくていいと返ってきたきた。
…ぜひ、聞いてくれたまえ!‼と、そんな顔されても困る。別に聞きたくはない。
「月山さん、貴方はグールだ。そうですよね」
「そうだよ、金木君。……君はどちらなんだい?」
念のため、今僕は眼帯のマスクを着けている。それでグールだと判断できるはずだが……匂いかな。
「一応、グールですよ。匂いは少し変わっているらしいですが」
変わっている。その言葉に月山さんは反応した。
「まさに珍味ッ!」
「……」
「…いや、君が何者なのかなど些細なこと。それよりも重要なのは君が!!美味しそうなことだッ!‼」
引くなあ。月山さんはまだブツブツと言っている。…所々に挟んでいる英語の発音が上手い。
「……あぁっ。食べている君をっ、食べたかった……‼僕としたことが……」
急に落ち込み始めた。上がったり下がったり忙しいな、この人。というか
「…変態だ」
「そうさせているのは、君なんだよ…責任を取りたまえ!!」
掘さんから聞いたが、この人は好んで人間を食している。…それは、グールとしては間違っていないのかもしれない。現状、グールは人肉しか食べることができないのだから。より美味しく、工夫して栄養を取る。人類の食事もそうやって進歩してきた。ただ、食材が違うだけ。それだけだ。
ならば、それを理解できるのかと問われると、答えは否だ。……おぞましく思う。嬉々として人肉を食す人の姿を想像すると、吐き気がする。他の…自分がしてきたことは都合の悪いことは棚に上げて、善悪を判断し、考えているのは自覚している。だが、わかっていても、受け入れられない。心が拒否する。嫌悪する。
そして、哀れだと思った。前世のバンパイアのように、創造した奴がいるとしたら、そいつは最悪だ。
「月山さん、勝負しましょう」
「ほう。僕に勝つつもりかい?」
「敗者は勝者に従う。どうですか?」
「金木君、間違っているよ。君はこれから、僕に食べられるだけなのだかラッ!!」
それもそうかな。正確には、勝負とは言えないのかもしれない。これはもう、殺し合いだ。
相手の実力は知らない。だが、負けるつもりなど欠片ほどもなかった。
「さぁ、ディナーの時間だ……!!」
月山さんの背中から赫子が這い出てくる。ギュルギュルと螺旋を描きながら、腕に巻きついていく。甲赫か。
先日破壊したクインケは笛口夫の赫子が使用されていただろう鱗赫。再生力はあるが、四種類の赫子の中では一番脆い。対して、甲赫は重量こそあるが、硬い。赫子の破壊は難しいかもしれない。だが、見る限りでは片腕のみだ。
「よし」
油断はしない。
僕は、いつものように手を尖らせ、地面を蹴った。
「終わり、ですね」
目の前では、月山さんが片肘をついている。息は荒く、辛そうだ。左腕は肩口から欠損しており、片足も膝下から先がない。
決着は早く着いたと思う。
僕はまず、月山さんの視線を避け、目の前まで急接近した。この時また、フリットの速度だった。油断していたこともあるのだろう、フリットで接近した僕に反応できていなかった。致命傷を与えるつもりはなかったため、無防備な腕を切り飛ばす。そして、体勢を立て直して背後に回り、両眼を切り裂いて潰した。眼が再生する前に、足も切断して動きを制限する。そこからは打撃のみでダメージを与えた。途中から赫子でガードされ始めたが、止めることなく続けて今。
……今思えば、何故腹部が致命傷になると考えたのだろう。疑問が残る。いや、確かに胴体へのダメージのほうが、命の危険性が高い。…だが、相手はグールだ。前に、西尾さんの胴体を滅多刺しにした記憶がある。何か、もやっとする。
「まさか、君が…こんなに…」
俯いているため、表情は窺えない。だが、まだ声に力があった。
「では、僕の勝ちで……」
「まさか」
「…そうですか」
「僕はッ‼諦めるわけにはいかないッ‼どうしても君を食べたいッ……!‼」
月山さんが膝をつき、赫子を巻きつけた腕を構える。理由はあれだが、その姿勢には好感が持てる。だが、向かってくるのなら、迎え撃つまでだ。僕も負けるわけにはいかない。
交差する直前。
ぎぃいぃいいん
「習さまっ‼」
来たか。やはり、月山さんの味方の人だったのか。少し前に気づいていた。間に入ったのは黒髪でスーツ姿の女性。赫子は月山さんのものと似た形状だが、もう一方の腕には赫子の盾を装備している。月山さんを庇うように立つその姿はどこか騎士を連想させる。
「松前っ⁉」
「申し訳ありません、習さま。ですが、これ以上私には……」
月山さんに向ける、その女性の表情は悲痛に満ちていた。そして、僕に対しては、増悪の感情が向けられている。その眼は暗く濁っている。彼女の眼は黒目がちだ。迫力が凄いし、思わず飲み込まれていきそうな印象を受ける。黒いオーラみたいなものも見える。
「貴方は?」
「使用人として、仕えさせていただいております、松前と申します。ここからは、私がお相手させていただきます」
お相手って……。この時点で月山さんの敗けは確定ではないのだろうか。
月山さんはどう思っているのかと、目を向ける。……先ほどまでの狂気といってもよい雰囲気は霧散している。そればかりか、女性……松前さんを心配するような目で見ている。少し、ひきつっているようにも見える。
誰だこの人。さっきまでと違い過ぎないか。
それとも、こちらが本来の月山さんなのか。豹変して、ああなったのか。ともかく、月山さんも松前さんの雰囲気から、何も言うことができないようだ。止めろよ。
思考を切り替え、目の前の敵になる集中する。月山さんのようにもいかないだろう。そもそも、彼とは初撃で決着がついていた。防がれていたとすれば、苦戦していたことも考えられる。それに、おそらく松前さんは彼よりも洗練されている。
「ストォォープッ!」
その制止の声で、動きを止める。声の主は掘さんだった。あんな大きな声出るのか。
「……掘?」
「や」
何故、このタイミングで出てきたのか。危険だ。相手も動きを止めたため、良かったものの。万が一もある。警戒は続ける。
「松前先生も」
「…ええ」
「先生?」
「高校の時の先生だったんだ」
そう言えばと、月山さんとは高校時代からの知り合いだと言っていたことを思い出した。
「月山君の家の人だったんだね。」
「はい」
「ふーん」
何とも言えない、妙な空気になった。松前さんも困惑している……ように見えなくもない。
掘さんが月山さんの方を向く。チラリと欠損部分に目線が動いたのがわかった。
「月山君、敗けだよね。このままだと、松前先生と金木君が戦っちゃうけどいいの?」
それを聞いて月山さんがハッとした顔になる。そして、松前さんをじっと見つめ、目を伏せた。
「……そうだね、今回は僕の敗けだ。松前、腕は大丈夫かい?」
「…私へのご配慮など……。習さま、今腕をお持ちします」
松前さんが飛ばされた月山さんの腕を取りに行く。腕と足は元のようになるのだろうか。僕も、切り落とされた指がくっついた経験はあるけど。あれは、一度縫ったし…。
「金木君、素晴らしい戦いぶりだったよ。僕も精進しなければ、ね」
「…いえ」
「それで、ぼくは何をすればいいのかな」
松前さんの携帯していた肉を摂取し、見た目は無傷となった月山さんが聞いてきた。切断跡は、固まり始めた血の跡せいでハッキリとわかるが。
こちらの望みは決まっている。さて、通るか。
「今後、そちらから接触をしてこないで下さい。これが僕の望みです」
「……な」
「勿論、使用人の方々も……月山さんの意志で動く人全てです」
本音を言うと、もう、疲れた。
この短期間に色々ありすぎだ。もう…なんだ、ふざけるな。そんな心境だった。
恋した女性の正体がグールで、失恋と同時にその仲間入り。食人はしていないが、血は飲んでいる。前世ならまだしも、このグールのいる世の中では、人間からすればそう変わらないことだろう。西尾さんに目をつけられ、ヒデが襲われ、ついには捜査官と対峙。トドメに月山さん。段々と危険度が上がってきている気もする。前世の経験からすると、これで終わるとも限らない。
もう、僕一人でどうにかできることではない。そう思った。頼りにできる、隣にいてくれる仲間がいない。そう思うと前世は恵まれていたと実感した。勿論、ヒデには言えない。トーカちゃん、リョーコさんやヒナミちゃんには心配をかけたくない。西尾さんはならばまぁ……と考えたが、西野さんの姿が脳裏にチラつく。それでも、若干開き直りながら、どうにかしようとして今回の件に望んだ。
放置したとして、どんな手でくるかと考えただけで身が震えた。交友関係から攻められて、もしまた、ヒデに危険が及んだら。そう考えるだけで、気が狂いそうになった。
…月山さんから返事はない。俯いて、表情も窺えない。
「ずっと、とは言いません」
懇願するように言ってしまった。自分から妥協してしまってどうするんだ僕。
「……僕は、できることならば……君と、友人になりたい。今はそう思っている」
ぽつり、と消え入りそうな声で月山さんが言った。
いきなり、なんなのだろう。思わず、気が抜けてしまう。
「確かに、僕は君を咀嚼することしか考えていない。そうだった。そうだったのだよ。しかし今となっては、それ以上に君のことをもっと知りたい。…普段、何をしているのか。趣味はなんなのか。どこに住んでいるのか。どうしてそれほど強いのか。今までどこにいたのか。いつも何を食べているのかっ!」
最後のは、なんだ。
「本気だね、これ」
掘さんが感想を言う。他人事のように言う。
助けを求めるように、松前さんを見る。コクリ、と頷かれた。無言でプレッシャーをかけてくる。
ま さ か、断りませんよね
こわ。
しかし、どうするべきか。これ断っても、隠れてストーカーとかしてきそうだ。
……いや、それはさすがに考えすぎか。被害妄想だ。ホント、何を考えているのだろう。……しないよね?
日曜日に次話を投稿予定です