シン⎯と静まり返る病院内。廊下の端に備え付けられた長椅子に独り、亜門はいた。背筋を伸ばし、膝の上で固く拳を握り、目を閉じて座っている。
時折、病院関係者がその前を通り過ぎていったが、亜門がそれに反応することはなかった。ただ、そこにいるだけだった。
そこに一人、声を掛けた者がいた。
「⎯よう、亜門。遅くなって悪いな」
亜門はその声から誰が来たか判断し、立ち上がる。
「…篠原さん。お疲れ様です」
「ああ、お前もな」
篠原は亜門に座るように促し、自分も腰を下ろした。一息着き、亜門が重たげに口を開いた。
「真戸さんは……」
「……ああ、聞いたよ。…お前なんでこんな外にいんのよ」
「今、真戸さんのご息女が来ています。…ですので」
「ああ、アキラね」
篠原が亜門の元を訪れる少し前。真戸の娘、アキラが訪れていたのだ。
その時のアキラは焦燥していたため、亜門とは挨拶を交わした程度だったが。
「…にしても、生きててよかったなぁ、アイツ…」
「…はい。ですが…」
真戸は一命をとりとめていた。
それでも、多少の後遺症は残るかもしれない。だが、亜門の応急処置がなかったら今頃は……というのが医者の言葉であった。
「確かに、真戸にとっては辛いはずた。だけど、アイツはまだ生きている。今はそれだけで十分だよ。それに、アイツのことだし、復帰するかもしんないしね」
「はい……!!…私もまだ、真戸さんから学ぶことは沢山ありますので…‼」
そして次に、亜門と篠原は今回遭遇したグールについて意見を交換し合うことになった。
「おかしな点?」
「はい。真戸さんを負傷させたのはヤツ自身です。しかし、何故かヤツは次の動きをとらなかった。初めに動けたのは負傷した真戸さんです」
「……うーん。……亜門、真戸のクインケは完全に破壊されたんだよな」
「はい、修復は不可能だそうです」
「…だとすれば、そのグールの目的はクインケの破壊だったんじゃないかな。真戸を負傷させるつもりはなかったんでしょ」
「は?そんなことが…」
「でも、追撃せずに逃げたんだろ?戦い慣れしてないのかもしれない。もしかしから、人を殺したことないのかもしれんね。…怖じけづいたとか」
「…」
「冗談だよ。そんな顔すんなよ、亜門。迷うな。……いや、迷ってもいい。だけど、間違えるなよ。…仮に、冗談が真実だとする。しかし結局、ヤツらが人を喰う限り、人の生活は脅かされる。最悪、家族……仲間が死ぬ。私らが守らないとな」
「…はい」
「…篠原特等。ご無沙汰しております」
開いたドアから姿を見せたのは真戸呉緒の娘、アキラだった。普段のアキラを知っている者からすればあり得ない程、その姿は打って変わり、弱々しく見える。涙を流したためか、目の周りが痛々しいくらいに赤くなってしまっている。
「おう。アキラもね。……真戸は?」
アキラの様子から篠原は身を固く強張らせる。
真戸に何かあったのか、と。
「……ああ、すみません。見苦しい姿をお見せしてしまい申し訳ありません。父は先程意識を取り戻しました」
「そっか…‼じゃ、ちょっと私も行ってくるよ。亜門、話はまた後で頼むよ」
「はい。お願いします」
嬉々とした表情になった篠原は、待ちきれないとばかりに、真戸の病室へ向かっていった。
「では、私も」
亜門は一足遅れてしまったが、自分もと考えイスから腰を上げようとした。が、そこで思い直した。アキラに言うべきことがあったのだと。
その時、アキラから声が掛かった。
「少し、お時間を頂けませんか」
「…ああ、私も君と話したかったんだ」
亜門とアキラは向かい合う形で立っている。長椅子の前、数人ほどの距離を空けて。
アキラは感謝の言葉と共に頭を下げた。父が今も生きているのは貴方のおかげであると。
亜門の眉間に皺がよった。
「…私は感謝されるほどのことはしていない。捜査官として、真戸さんのコンビとして当然のことをしただけだ。…いや、捜査官としてまだまだだ。ヤツも逃がした。真戸さんが負傷したとき、私は直ぐに動けなかった…‼すまない…‼」
その時の光景を頭の中で再生した亜門は、歯を食い縛り頭を下げた。
敵を前にしたら、手足をもがれてでも戦え。
そう教わったはずだった。真戸さんはその言葉通りに追撃をかけようとした。しかし、自分はどうだ。
過去に真戸から教わった言葉が亜門に重くのし掛かった。
「いえ、その点に関しては父から聞いています。亜門一等が悔やむことではありません。頭を上げて下さい」
「しかし……‼」
亜門は不甲斐なさから頭を上げることができなかった。
「…いいから上げろ。話が進まない」
「……は?」
聞き間違いか。亜門はまず自分の耳を疑った。その拍子に頭も上がる。
「…おっと。…もう一つ。私から謝罪しなければならないことが」
「あ、ああ」
思うところがあった亜門だったが、流すことにした。いや、流されたと言うべきか。
「父の…真戸呉緒の前線からの引退が決定しました」
「は?」
「つい、先程ですが」
「……」
「勿論、父にその意思はありませんでした。私が勧め……いや、懇願しました。この顔で…もうお分かりかと思いますが、情けなく泣きついて」
「……」
その言葉につい、亜門は直視しないようにしていたアキラの顔を見てしまった。少し、気まずい気持ちが沸いてくる。しかし、アキラは気にした様子もなく平然と続けた。
「父の復讐を…人生を奪ってしまったかもしれないことに、今になって後悔しています。しかし、同時に安堵していることも事実です。……私は怖かった。もう父が目を覚ますことはないのではと。…意識を取り戻した時も、次は本当に死んでしまうのではと…」
ふぅ。とアキラは一息ついた。
「ですので、すみません。これは私の我が儘です。父のパートナーである貴方に謝罪をしたい」
「……そうか」
亜門は返す言葉を見つけられなかった。
親をグールが原因で亡くしてしまった、身寄りのない子ども達。それを今のアキラを見て思い出してしまったから。
だが、これだけはわかった。
真戸さんには、これほどまでに考えてくれる家族がいる。それを、亜門は拒もうとは思わなかった。
「…では、どうか父の元に」
「…ああ」
会って何を言うべきか。
真戸に掛けるべき言葉を考えながら、亜門は病室へ向かった。
■
「ま、上がれよ」
「…お邪魔します」
西尾さんの自宅に来ていた。大学の講義終了後、彼によって連れて来られた。昨日のが僕だと、疑っていたらしい。
これから先、正体をバラすつもりは無かった。昨夜は助けたが、それだけだ。どうこうする気も無かった。
では、何故今の状況になったか。
西尾さんが出会い頭に謝罪してきたからだ。周りに人もいたため、内容までは言わなかったが、おそらくヒデとのことだろう。
もう一つの理由は、一緒に西野さんがいたこと。これはつまり、どこまでかは分からないが、彼女もある程度の情報は知っているということだ。
よくない状況だ。彼女はれっきとした人間である。僕がグールであると西尾さんから聞いているかもしれない。…まぁ、僕にとっては人間とグール、両者共に知られてはならないため、そう変わりはないか。
そういった経緯で今。
「やっぱ、昨日の夜のはお前なんだよな?」
何故バレたのだろうか。匂い、とか。肩組んだし…。もしそうならば、これからは香水などの匂いを誤魔化せるものが必要か…。ヒナミちゃんの話では、グールとも人間とも何処か違うらしいし、それが原因かもしれない。もしくは、寝ている間にマスク外されたとか。
「…はい。でも何で分かったんですか。マスク、していましたよね」
「金木かもしれないと思ったのは…今日だな。昨日はわかんなかった。戦い方とか……」
そこで西尾さんは片手をピンと伸ばし、腹部に当てた。
?……ああ、あの時のか。でも昨夜は……ああ、そうだった。それで、“クインケ”を破壊したんだった。
「あとは背丈とか、他にもあるけどその辺り」
…この人頭いいんだっけ。確か、薬学部。西野さんに至っては医学部。僕が迂闊だった。気を付けないといけない。
「で、本題は今日、人間の食い物が食えたことだ」
…ん?
「えっと?」
「原因が金木の肉を食ったことしか……」
⎯は
僕を、食べた?
「……‼悪い!マジで耐え切れなかったんだ。昨日は腹が限界だった。そしたらお前いきなり寝るし……いや、本当にすまんっ‼」
西尾さんが床に着けんばかりに頭を下げた。
…しかし、これは、僕にも原因がある。何故だか分からないが、寝てしまったので自業自得のような気もする。
聞けば、僕から負傷を受けてからは、ろくに食事を取っていなかったという。西野さんに襲い掛かってしまったほどらしい。
この時、西野さんを横目で見たが、動揺は無かった。…そんな目に合っても西尾さんから離れていない。これは一種の、小さなものだがグールと人間の共存と言えるのではないだろうか。
ふと思った。これ、芳村さんと同じだ。
「僕の……結構硬かったと思うんですが、どうやって?」
四方さんとの一戦で、頑丈さが証明された僕の身体だ。空腹でろくに力の出ない西尾さんが、どうやって。
「…ああ、それはお前の爪で……」
なるほど。確かにそれならば可能か。僕の爪は切れ味がいい。日常生活では気を付けなければいけないほどに。そういえば、トーカちゃんと芳村さんに血を提供するときにも使ったかな。
「それで、今日起きたら身体に変化があったんですね」
しかし…肉ってどうなのだろうか。今までは、血と唾液だけだった。細胞を含んでいるものとしては考えにあったが、流石に肉をどうぞ…というのは論外だった。…今回のことは結果としては良かったのかもしれない。西尾さんには悪いが、肉の場合はどうなるか知ることができる。そのための、そしてこれからのリスクを考えると、微妙なところだが。
しかし、かじられた所再生してよかった。
正直、信用できないグールに知られてしまったこと。反省すべき点だ。
幸い、西尾さんに仲間はいないようだった。ということは、知っているのは西野さんだけ。考えたら、彼女に知られたのは、まぁ大丈夫な気がする。それに確か、グールを匿った場合には、重い刑罰があったはずだ。それに彼女が西尾さんを裏切るとは思えない。ではやはり、引き入れるしかないのだろうか。
「…ああ。起きた時、妙に腹が減っててな。昨日とは違ったというか、まぁその時はまだ肉が足りてねーのかと思った」
そして、コーヒーで誤魔化そうとして冷蔵庫を開けたら、西野さんの置いていた飲みかけ野菜ジュースがあったそうだ。気づいたら、それを手にとって飲んでいたらしい。
「これが何か知ってんだろ」
「はい」
「即答かよ。……ありがとう。これを言いたかった。貴未の飯も食えたしな」
西尾さんは照れくさそうに笑った。
「…クソみたいにおいしかったんだって」
そこに、西野さんから一言あった。
クソみたい?
「……ちょ、貴未。それ謝っただろ。いい意味のクソだって」
「でもなぁ」
……
……
なんだこの人達。いきなりイチャつき始めた。言い合っているようだが、周りにハートが浮かんでいる。というか、西尾さん。先程から思っていたが、口が悪い。
……まだ終わらないのか。僕がいること忘れていないか。
「あの」
「あっ、ごめんなさいっ」
「……悪い」
そこから、今の西尾さんの状態について話した。まぁ、僕の推測であるのだけれども。だが、二人は言わば理系のエリート。専門知識の足りない僕の考察を真剣に聞いてくれた。
「共食いしたら、強くなるってのは聞いたことあるけどな……。金木、赫子のタイプは?」
「出したこと無いですけど、鱗赫です」
共食い。あれ、血を吸うことは共食いになるのだろうか。
「……相性はあまり関係ないのか。俺尾赫だし。つーか、何で変異したんだ?」
……もう、いいか。話しても。少し考えれば、わかることだ。僕はもう既にこの人達を巻き込んでいる。
少しばかりの決意をもって前を向くと、二人は意見を交換し
合っていた。
「じゃあ、金木……」
「すみません。…実は、少し前まで僕は人間だったんです」
「えっ」「は?」
「ニュースにもなっていたんですが、鉄骨落下事故の、知っていますか」
「……あ、あの臓器移植の」
西野さんはこのニュースを見ていたようだ。彼女の言葉で西尾さんがハッとした表情になった。頭の回転が速い。
「おい、まさか」
「…移植を受けたのが僕です。事故の日、彼女に…グールに襲われました。赫子で腹を抉られて、その時に鉄骨が落とさ…落ちてきたんです。それで、助かった。でも」
「赫包……か?いや、できんのかそんなこと」
「兄弟でも臓器移植は問題が沢山あるのに、グール…それもグールの臓器だなんて…」
信じられない、といった表情だ。当たり前か。僕も信じられない。
「それは、僕にも分かりません。手術の担当医は一言も触れませんでした。この医者…嘉納というのですが……。正直、危険な人間かもしれません」
「……」
「そんな…」
「“あんていく”に保護を求めてください。例えば、バイトとかで雇ってもらうとか……。店長の芳村さんは僕のことをある程度知っています。西尾さんが安全を考えるならば、ですが」
勿論、西野さんのことも含めて。…芳村さんには悪いかな。しかし、おそらくだが、芳村さんは受け入れるだろう。
「…そうだな。貴未にもこれ以上心配かけたくないしな」
「もう錦君。今更だよ」
西野さんは小さく微笑んだ。それを見た西尾さんは、泣いてしまいそうな、そんな表情になる。
「…ああ、そうだな。けど、お前は俺が守るよ。必ずな」
「…うんっ」
ま た か。
それにしても、甘い。爽快な炭酸飲料に追加で更に砂糖をいれたような甘さが口の中で広がっていくような感じがする。ああ、コーヒー飲みたいな。うんと苦いものでも、いけそうだ。
敬語アキラさんです。