「う……ぁ……」
眠っていたのか。それより、ここどこだ。
「ぐっ……」
勢いよく上体を起こしたせいか、くらくらと視界が揺れる。頭痛も少しある。何だろう、前にもこんなことあったような。
だが、不思議と頭はスッキリとしていた。脳がスーと綺麗になったような、爽快感がある。
脳が動き始めたことにより、自分が置かれている状況を理解する。
なぜ、眠ってしまっていたかはわからないが、ここは西尾さんの家だ。
確か、当初の目的⎯笛口父の赫子が使われているクインケの破壊⎯を成し遂げ、隙をついて逃走したはず……だ。その際、足を切断された西尾さんも連れて。
……何故か違和感を覚える。しかし、何に対して違和感を感じているのか、分からない。ただ、何かが抜け落ちてしまったような…………まあ、いいか。忘れるほどだ。そんなに重要なことじゃないのだろう。
あれ…血の匂いがする。少し時間が経っているようだが、人間の血の匂いだ。辿った先にあったのは、自分の手。でも、なぜ?
ああ、そうか。あの場には、グールの死体に混ざって人間のものも一つあったのだった。蹴り飛ばされて倒れた時にでも付いたのだろう。手、洗おう。もう固まってパリパリになってある。
すぐ隣に西尾さんが眠っていた。ベットを使えばいいのに、僕に気を遣ったのだろうか。寝顔は、やけに安らかだった。いつの間にか食事を摂ったのか、失っていたはずの右足も再生している。
たぶんこの人、僕が金木研だと気づいていないよね。マスクと目出し帽子の二重装備だし。窮屈だが、していてよかったと思う。もし気づかれていたら、復讐されていた可能性もある。お腹、滅多刺しにした訳だし。
ふぅ。肌に感じる冷気が心地いい。ずっと、着けていたマスクを外したためだ。その上にもう一枚。蒸れるのは当然か。ん?今、眼が一瞬赤くなっていたような…。赫眼とは違う、まるで……そう。血の石を彷彿とさせるような眼。……そんな筈はないか。そう、気のせい。
そうだ。今、何時だ。遅くなっていれば、二人が心配するだろう。念のため、朝までに帰宅しなかった場合はトーカちゃんを頼るように言ってある。だから、早く帰らなければ。
そして、早く報告して安心させてあげたい。喜んでくれるかは分からないが。何故だか凄くリョーコさんとヒナミちゃんに会いたい。早く。
家を出る際、西尾さんを見たが、起きる気配はなかった。無理に起こす必要もないだろう。…ベッドに運ぶくらいはするか。運ぶ途中、なぜか前腕部分に痒みを覚えた。なんだったのだろう。
■
自宅の前に着き、ドアを開けた瞬間飛びついて来たのは、ヒナミちゃんだった。それなりの速度が出ていたが、難なく受け止める。寝ずに待っていてくれていたのだろうか。悪いとは思いつつも、嬉しい。
リョーコさんの姿も目に入る。ただいま、そう言おうとしたが言葉が喉で詰まった。リョーコさんが泣いていたからだ。
静かに涙を流し、哀切を感じさせるその姿に見とれてしまう。気づけば、ヒナミちゃんも抱き着きながら泣いていた。
フラフラとした足取りで近づいてきたリョーコさんはそのまま僕の背後に回る。そして、すがりつくような抱擁を受けた。それはまるで、僕がここにいることを確かめているかのように。
前後からの、少し違う甘い香り、そして柔らかな感触に頭がクラクラする。たが、それも僅かな間だけ。
リョーコさんとヒナミちゃんの二人が許しを乞うように謝り始めたためだ。ごめんなさい、ごめんなさい、と。
泣く声がしだいに大きくなり、嗚咽が混ざり始める。何と声を掛ければいいのか、わからなかった。
それから暫くの間、リョーコさんとヒナミちゃんに抱き締め続けられていた。
「えっと、それじゃあ……」
「…うん。お兄ちゃんのいる場所、わかるよ。すごく、集中しないといけないけど。でも……お兄ちゃんのこと考えるのは………好きだから、難しくないよ」
幾分か落ち着いた、ヒナミちゃんの口から出た言葉に衝撃を受ける。
心配で心配で、僕のことを思い続けた結果、出来るようになったと言う。
そして、少し移動したところで、僕の反応というべきなのか。それが、突然消えたらしい。だが、数分後また感知できるようになったと。なぜ、消えたのだろうか。
これはまるで、バンパイア同士のテレパシーのようだ。
いや、正確な現在位置を特定できるとしたら、“血の石”に近いのか。だか、問題はこれではなかった。
「他に…音とか、僕の声は聞こえた?」
「……してないよ。でもたぶん、出来ると思う…」
背筋にゾクリと小さな悪寒が走った。
そう、問題はヒナミちゃんに僕の行動が筒抜けになるということ。これが、彼女が元々持っていた力か、僕の血によってもたらされた力なのかは、分からない。だか、これは彼女が望んで手に入れた力だ。今のところ、僕にはできない。
………その内、僕の考えも読み取れるようになるのかも。
「あ……ごめん、なさい。勝手にこんなことして…。気持ち悪い…よね」
…もう、読み取れるようになったのだろうか。いや、そんなことはないはず。
おびえるように発した言葉とは逆に、ヒナミちゃんはぎゅうっと抱き締める力を強めてきた。
なんだこの子。涙声で謝り続ける彼女に胸がキュンと鳴るのがわかった。もう別に知られてもいいんじゃないだろうか。そんな気がしてきた。
安心させるように、ヒナミちゃんの背中をポンポンと軽く叩く。
「いや、そんなことないよ。気持ち悪いだなんて、思うわけないよ。嫌いになんてならない。むしろ、すごいよ。もしかしたら、連絡手段になるかもしれないしね」
ヒナミちゃんが胸に埋めていた顔をおずおずと上げる。近い。自然と上目遣いになっている。
「……そうかな。うん、がんばるね。練習する。お兄ちゃんと……ずっと繋がっていられるように」
ヒナミちゃんは瞳を細め、小さく微笑んだ。
再度顔がひきつりそうになる。が、なんとか堪え、笑顔の維持に努める。
「うん、頑張ってね」
そう言うよりほかなかった。
…そろそろ、中に入りたいな。まだ、玄関で立ったままだ。座りたい。この状況も捨てがたいのは確かだが。
「あの、そろそろ中に……」
「あっ、ごめんなさいっ」
背中に感じていた柔らかい感触が離れていく。何となく、背中が寂しくなる。
後ろに目を向けると、そこには、頬をほんのり紅く染めたリョーコさんがいた。
「その、いつ離れていいか、わからなくて……」
ああ、タイミングを逃したのかと納得する。ありますよね、そういうこと。
一緒に寝ることになった。……三人で。
ベッドではなく、床に敷いた布団に横になっている。流石に、ぎゅうぎゅう詰めだ。少しせまい。それに、ヒナミちゃんを挟んで寝ると思いきや、真ん中は僕だ。先程、玄関にいた時と同じ形だ。前にヒナミちゃん、後ろにリョーコさんで全員横向きになっている。
正直、勘弁してほしかった。先程は何とかなったが、まずいよな。だが、今日だけと懇願されたため、断ることが出来なかった。
先程よりも感じる柔らかさを、なんとか意識の外に追いやる。……うん。無理だ。でも、なんだか凄く安心する。…あったかい。
「おやすみ。お兄ちゃん」
「おやすみなさい。研くん」
「……おやすみ、なさい」
次は捜査官sideからです。