現在、四方さんとトーカちゃんは別室にいる。
観念した四方さんのカミングアウトにより、二人は叔父と姪の関係であることが発覚した。
その時の反応からして、トーカちゃんにとっては初耳だったようだ。顔は驚愕に染まっていた。
お母さんの、弟?と彼女が呟いたところで、どこか陰りのある表情で四方さんが言った。話しておくことがある、と。
そして、僕はというと。
「どうかな」
「はい、大丈夫です。ぴったりです」
営業の終了した店内でマスクの試着をしていた。
その後、先に帰っていいと言われた。だが、芳村さんに用があったため、営業スペースに向かうと芳村さんとウタさんがいたのだ。
態々、マスクを持ってきてくれたらしい。…なぜ僕のいる場所がわかったのだろうか。
渡されたマスクは隻眼。赫眼になる眼が露になっているデザインだ。初見では、正直どうかと思ったが、着けてみると意外にしっくりときた。
「そのデザインはウタ君のかな」
「はい。結局決められなくて、お願いしました」
ウタさんにデザインをどうするか聞かれた時、実は三つ、頭に浮かんでいた。蜘蛛と狼、そしてドラゴン。
蜘蛛と狼を却下した理由は大体同じ。好きな動物だが、同時に辛い記憶も思い出してしまうため。それに、人の身体に狼の頭なんて、そのままだ。
ドラゴンは単純に、頭だけだと蜥蜴に見えるだろうと思ったから。羽赫が出せたら別だったかもしれないが。
「あれ、希望あったの?作ろっか?」
「いえ、このマスク気に入りました。十分です」
「そう。よかった。ところで迷ったものって?」
「えっと、蜘蛛と狼です」
「あ、そうなんだ。僕も蜘蛛好きだよ」
そして、ウタさんは芳村の淹れたコーヒーを飲んで、用は済んだとばかりに帰っていった。
今は、芳村と二人だ。話を切り出そうとしたところで、少し話をしないか、と芳村さんから提案があった。
「そんな、ことが……」
芳村さんの話は、彼のこれまでの人生について。グールとして、ある組織の掃除屋として日々を生きていたことから始まった。そして、昨日ポツリと漏らした名前の女性。憂那さんとの出会いから……別れ。
語る芳村さんの表情は固く、険しい。溢れ出しそうな感情を抑えている。それがわかった。
ああ、思い出す。一度乗り越えたはずなのに。あの時のことを。大切な人を失った時のことを。僕は直接手を出した訳ではない。だが、同じだ。
……見殺しに、した。
あの断末魔の叫び声が頭の中を埋め尽くす。
杭に貫かれ、炎に焼かれて死んでいく、声。
「…金木君?」
「っ⁉。すみません」
芳村さんの呼び掛けによって、我に返る。…やめよう。今は、話を聞くべきだ。
最後に人間とグールのハーフ。子の話だった。組織の手が及ばない、先ほど話に出た二十四区。そこに預けたこと。子のために自分が脅威度最高レートの“隻眼の梟”に成り代わったのだとも。
そして。
他に別の未来があったのではないか。三人で暮らせる未来があったのではないか。今でも考えることがある、と。
「……こんな話を聴かせてしまって悪いとは思っている。…一晩、考えたんだよ。その上で、今君に話しておこうと決断した。…今話したことが全てではないがね」
「…はい」
「これから先、何者かに金木君も目を付けられるかもしれない。…いや、既に付けられていると考えてもいいだろう。少なくとも、嘉納という医者からはね。」
そうだった。嘉納。僕の手術を担当した医者のことだ。
「…その嘉納の事ですが、近々会いに行こうと思っています。検査に来るように言われているので、その時に。…検査を受けるつもりはありませんが。」
別の病院に変えるとでも言えばいいだろうか。何にせよ、慎重にいくべきだ。人間に赫包を移植する医者が普通であるはずがないのだから。
芳村さんは少しばかり、目を見開く。
「……そうか。正直なところ、危険だ。止めた方がいい。私もその結果が、どうなるか予測できない。だが、無理には止めないよ。もう、決めていたようだしね」
それに、と芳村さんが続ける。
「先ほど四方君から聞いたが、赫子なしとはいえ、互角だったそうじゃないか。そして、金木君もまだ本気じゃなかったと言っていたよ。逃げる手段もある。油断しなければ、余程の事がない限り大丈夫だろう」
いや、全力だったことは確かだ。…正直、身体を動かし難かったのはあるが。だが、楽に勝てるとも思わない。
「あ、あはは………。その、神代リゼさんは、彼女は生きていると思いますか?」
嘉納にも、彼女がどうなっているか訊くつもりだ。
「…可能性はあると思うよ。でも、金木君。彼女が生存しているとして、君はどうするつもりかな」
彼女に対しての僕の気持ちは、複雑だ。
神代リゼ。
今の僕が在るのは、彼女の所為であり、彼女のお蔭だ。
彼女が居なければ、何も知らず、日々を平和に過ごせていれたかもしれない。
しかし、彼女と出会えたから、前世を思い出した。グールを知ることができた。そして、かけがえのないものもできた。
それに、僕は確かに彼女に恋をしていたんだ。
「会いたい、です。彼女に対して思うところはあります。でも、良くも悪くも今の僕の始まりは彼女です。…そうですね、“目には目を、歯には歯を”とまではいきませんが、血くらい吸おうと思います。僕、肉食べられていますから」
「そ、そうか。」
「…そうだ、一つ訊きたいことが」
あのとき、意識が落ちる直前に見たもの。
ピエロマスクについて何か知りませんか?
そう、聞こうとした時。
トントンと二つの足音が聞こえてきた。
話し終えたのだろうか。
「研、まだいたのか」
四方さんが姿を見せる。目の周りが若干、赤い。
その少し後ろにトーカちゃんもいる。こちらは泣いていたことがハッキリとわかる。目の周りが真っ赤だ。
「あ、はい。芳村さんと話していたので…」
「そうか。だが、調度よかった。トーカを頼む」
「え?」
「芳村さん、失礼します」
「ああ、気をつけてね」
四方さんは背を向け、足早に店を出ていった。…ああ、そうか。察しが悪いな、僕。
「金木君。トーカちゃんを送ってくれるかな」
「はい。…あと、すみません。出来れば週末、芳村さんに付き合ってもらいたいというか、付き添ってもらいたい場所があるんですが…」
「…他ならぬ金木君の頼みだ。勿論、大丈夫だよ。どこにいくのかな」
「ありがとうございます。えっと、お楽しみというのでは駄目ですか?」
「いや、いいよ。楽しみにしているよ」
詳しい日時はトーカちゃんを通して、という事で“あんていく”を後にした。
「じゃあ、帰ろっか」
あんていくを出たところでトーカちゃんに声をかける。だが、俯いたままで反応がなかった。
「トーカちゃん?」
心配になり声をかけたところ、反応があった。
「手……。その、暗いので…」
「…そうだね。もう、暗いからね」
彼女の手を取り、軽く握る。すると、ギュッと強く握り返してきた。
「行こっか」
「…はい」
そこからは彼女の家に着くまで、一言も言葉を交わすことはなかった。
だが、それがどこか心地よかった。
「ただいま」
「あっ、おかえりなさい」
ヒナミちゃんはもう寝てしまっているようだ。スヤスヤと寝息聞こえてきそうな様子で眠っている。リョーコさんは編み物をしていたようだ。
リョーコさんが僕の視線に気づく。
「ほんの少し前に寝ちゃったの。…あ」
苦笑から一転。悲しみの表情に変わった。
「リョーコさん?」
「あ…ごめんなさい。懐かしくなっちゃって。……駄目ね。もう、前に進まないといけないのに」
「いえ…」
上手く言葉が見つからなかった。だが、無理に進まなくてもいいんじゃないだろうか。
それから、あんていくでの出来事を話す。
「…そうだ。そろそろ血を吸った方がいいと思うんですが、どうしますか」
「お願い、します」
リョーコさんは緊張した面持ちで言った。
そうだった。前回はリョーコさんは眠っていたから。
「大丈夫ですよ。じゃあ、昨日のヒナミちゃんのようにお願いします。できたら、呼んでください」
リョーコさんが頷くのを確認して、後ろを向く。衣擦れの音が聞こえてくる。何かドキドキする。
「…できました」
振り向くとリョーコさんがうつ伏せに寝ていた。羞恥からか、両腕で枕を抱いて顔を埋めている。ちなみにベットはヒナミちゃんが眠っているため、僕の布団にいる。枕も僕のものだ。そして、リョーコさんは下着を着けたままだった。白、か。
リョーコさんは甲赫。そのままでは血が付いてしまう。……言いづらい。
「すみません、下着外したほうが…」
「え?…あぁ!!あの、外してもらえませんか。この格好、思ったよりも恥ずかしくて…もう」
「え、あ、はい」
思わず答えてしまったが、その方が恥ずかしいんじゃないのか。気づいたのか、リョーコさんは耳を真っ赤に染め上げている。だが一度言ってしまった手前か訂正は、ない。
「えっと、失礼します」
「……はい」
まずい。外し方が分からない。いや、待て。多分、ここをこう……。
背中に触れた瞬間、リョーコさんがビクッと大きく動いた。
「だ、大丈夫ですか」
コクリと返事があったため、続ける。
駄目だ。緊張からか、上手くできない。いや、緊張していなくても、上手くできるか微妙なところだが。
モタモタとしている僕にリョーコさんは痺れを切らしたのか、半身になって片手で外した。
揺れる。あ。
そして、目が合った。だが、リョーコさんは何も言うことなく元の位置に戻った。下着を脇に置いて。
それから、時折漏れる、必死に押し殺しているような声に反応しないよう、無心で血を吸った。