REBORN DIARIO   作:とうこ

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鎮魂歌の雨

 山本武が差し出した手を自ら拒んだスクアーロの姿が、巨大な水槽の底に沈むまで、紫乃も映し出されるモニターから目を離さなかった。

 

 最後まで見た彼の姿は、死を目の前にしてもあの人の背中を押すために、散ったのだろうか。唯一、己がボスと認めた男のことを。

 

 

 

 

 

【雨が、降っていた。

 

 空にはぼんやりと薄気味悪い月が顔を出しているのに、この視界は濡れていた。私の視界を透明に濁す雨の粒は、輪郭をなぞって溢れ落ちる、小さなものだった。小さな水滴が、彼とのこれまでの思い出を物語る。】

 

 

 

 

 

 

 

「……どうして私にこれを見せたんだ?」

 

 

 

 

 忽然と映し出された液晶画面から視線を外し、その奥で待機していたチェルベッロ機関の女達を睨みつけた。凍りつくような彼女の視線も、しかしその目の端に滲んでいる涙が、真っ赤な薔薇にある棘のようなその娘の鋭い印象を削る。

 

 またひとつ、白い肌を伝う水滴が、殻に包んだ内側の声を漏らす。

 

 

 

「貴女達は……一体……」

 

 

 彼女達のことは、紫乃にも謎多き存在であった。このリング争奪戦でXANXUSと繋がりがあり、未来で白蘭の傘下にいた。

 常に誰かの手下で動きながら、しかしそこに必ず彼女達の意思があるように感じた。

 

 

 モニターに映る彼のボロボロの姿が、その液晶画面とともに消えるまで、彼女の意識はそこにしがみついていた。

 こんな自分を愛してくれた人の悲しそうな横顔が画面から途切れるまで、紫乃は噛み締めた。極限の中で、彼が届けてくれた想い。

 

 彼の好意を自分からフッておいて、あの言葉が嬉しかった。

 

 

 どうしようもなく嬉しかったんだ。

 この気持ちは、どうしようもなかった。

 

 

 

 

「っ……」

 

「明晩は、霧の守護者の対決となっております。どうされますか」

 

 忘れられない人の言葉を遮り、彼女達の問いかけが紫乃を今ある現実に引き戻した。

 もう彼の命懸けの戦いの痕跡(あと)は、どこにもない。穏やかな河原の風景が辺りに広がり、冷気が複雑な胸中に染み込んでいく。今でもあの頃の景色を忘れられずにいるこんな自分が、未練がましいと思う。

 

 

 次の決戦には、霧の守護者同士が会い見えることになる。

 まだ姿が現れない沢田綱吉側の霧の守護者だが、ここまで慎重に身を隠すのなら恐らくはあの男で間違いないだろう。沢田家光も復讐者の牢獄の死刑囚を、あの息子の守護者にさせようとはなかなかやる男だ。

 

 あの襲撃事件以降、彼からの接触はなかったが、あまり紫乃とは相性がいい相手とも思えない。何より六道骸には、恨まれている。

 決戦の場に紫乃が現れて、彼を余計に刺激するべきではないと思った。彼にはボンゴレのために無理をしてでも勝って次に繋いでもらわなければならない。

 

 晴の決戦の時のように遠くから戦いを見守るだけでよかったが、嵐戦の乱入以降、もうそれも容易にはできない。今回も欠席しようと思っていたが、判断を迷う彼女にチェルベッロ機関の女の一人は続けた。

 

 

「……明日の決戦は、貴女様も見ておくべき戦いではありませんか」

 

 

 

 その女の発言に今更驚くことではないだろうと、口の端を固く結んだ。

 黙り込んだまま自身の足元を見下ろし、彼女はコクリと頷いた。きっと彼女達はこれで満足だ。

 

 

 

 

 

「それでは、明晩こちらでお待ちしております」

 

 

 

 嵐が去った静けさのような風が、河原の河川敷に残った彼女の頬を撫ぜた。あの後女達はそそくさと退散し、静かな夜を纏うこの河原で紫乃は途方に暮れていた。

 彼らの戦いの跡もどこにもない雑草が生い茂るこの地で、彼女はまたひとつ犠牲となったものを考えた。その目はまだ潤んでいる。

 

 

 あの人がいなくなるまで、紫乃があの場所を捨てるまで、まだ幼かった彼女の代わりに組織の指揮を執り支えになってくれた人だった。己の剣が折れるまで、我儘なあの人に付き従ってくれた献身的な人だった。

 

 あんなことを言って傷つけたが、今でも信用している。

 

 

「スクアーロ……」

 

 

 

 水中に沈んだ後、ディーノが手配した救助隊に助け出されたはずだと踏んでいるが、あの後病院で無事に一命を取り留めただろうか。

 

 前日の夜に、泊まっている市街地のホテルの部屋で、二人きりで会った時のことが思い出される――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待て、セラン」

 

 

 

 ほとんどの者が寝静まる深夜、その男とホテルの共同スペースで遭遇したのは偶然だった。

 

 暖色の電灯の明かりのもとで、お互いに目が合うと沈黙した。頭に被るタオルを左手で軽く握り、紫乃は彼から目線を外してそのまま部屋に戻ろうとした。

 その手をスクアーロがおもむろに掴み、二人は正面から対峙する。彼の突然の行動に、紫乃は少しばかり自身の赤い目を見開いた。反動でタオルが床に落ちる。目を配る余裕もなく、彼女の視界には深く眉間を寄せたそいつの顔がある。

 

 彼女がまだ幼い頃から、あの人の隣にいてくれた人だが、これまでこんなに近くで顔を合わせることがあっただろうか。

 距離感が掴めず、思わず俯いた。湿った髪がまだ赤みが残る艶やかな頬に張り付いている。彼にあんな酷いことを吐いた手前、目を合わせることさえ気まづいのだ。

 

 

 二人だけの静なる空間で、するとスクアーロから紫乃に一呼吸置き語りかける。

 

 

 

 

「あの男がジジイの地位までのし上がるために……そしてこいつは、八年前にお前の期待を裏切った償いだ。俺はこの戦いで必ず結果を残してみせる。必ずなあ゛ぁ……」

 

 

 八年前の悲しみに囚われた感情と、この戦いに懸けた戦意の意志が彼の鋭い目の奥に宿る。

 紫乃だけではないのだ。この日のために、彼もこの八年間を牢獄のような城の中で耐えたのだ。

 

 

 

 

「見ていろ。俺は二度とお前達を裏切らねえ」

 

 

 

 

 わかっていた。それでもあの男がああ言ってくれることを。

 

 あの人の復活を願い、どれだけの血が流れようとも顧みず、血に飢えた鮫のように突き進むことを。それが彼の剣の強さだと。

 

 

 だから彼が適役だった。

 奴が、暗殺者として、剣豪としての混じりけない本気の殺意を向けることで、山本武は流派を超えることができた。一度目の敗北を経験した彼を、あの場で極限まで追い詰めた。そうしなければ彼には超えられない壁だっただろう。

 

 

 

 そして剣士としての高き誇りを掲げた彼の敗北こそが、沢田綱吉側に劣勢だった流れを変えた。

 

 

 

 

 風向きは変わりつつある。

 

 

 

 これまでは紫乃の期待通りの結果だ。

 

 

 次に来る霧の守護者の対決が、どう転ぶのか紫乃には一抹の不安が残る。六道骸に勝ってもらわなければ、計画は失敗だ。

 

 しかし、歯車は少しずつ狂い出している。

 自身という歪な存在が在る限り、どこかで歯車は噛み合わなくなる。そこに亀裂が入ってしまう日は、すぐそこまで近づいている気がした。

 

 

 

 

 

 

 

【すべては彼の誇りを犠牲にして得たものだ。

 

 

 あなたという存在がいなければ、今の彼はいないだろう。そしてあなたを失った今、彼は昔の自分を捨て、その残酷な力を以て、茨の道を突き進もうとしている。

 

 

 

 彼を止められるだろうか。誰も信じていないという残酷なあの人を、我が身を捨ててでも、あの日の炎から守りきれるだろうか。

 

 彼はまだ昔のことを憶えているだろうか。思い出すことがあるのだろうか。最愛の人の記憶を――……。】

 

 

 

 


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