REBORN DIARIO   作:とうこ

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暗躍

 スクアーロのもとから逃げ切り、騒動が起きた現場から離れた人気のない路地裏へと潜んだ紫乃は、荒く乱れた呼吸を繰り返して、そのまま狭い路地の間に蹲った。

 あの男に見つかった時は止まるかと思った心臓が、耳元で激しく唸るように左胸を突いている。まだ、生きている。

 やがて呼吸は落ち着いたが、気持ちの整理はできていない。

 これから自分がどうするか、どう動くべきか、深い傷を負って今頃悔しさに悶えている彼の顔が過って、落ち着いたはずの心臓が今度は痛いと叫ぶ。

 

 

 わかっている、逃げていても仕方ないことくらい。

 あの男に見つかった以上、逃げ回ることに意味はない。次は連れ戻しに来るだろう。こうなることくらい覚悟はできていた。

 

 無闇に逃げ回ることで、まだまだ未熟な彼らを危険に晒すことはできない。

 自分は時間稼ぎだ。できる限り正確に、戦いまでの時間を調整して、確率を上げる。

 

 

 

 微かに震えている自身の左手を見つめて、ささやかな自身の想いを込める。

 まだ彼のぬくもりに縋る、この左の手に――。

 

 

 

 

 

 

 

 イタリア某所では、緑の深い森林の最奥に聳える古城で、人知れず暗殺者達の密談が執り行われていた。

 長年人の手を離れていたように陰鬱として錆びついた古城の、ぼんやりと曇る窓の一面に、とある人影が映る。まるで闇をまるごと吸い込んで浮かび上がった黒い影は、豪華な彫刻の装飾が施された円卓の玉座に腰掛け、その凄んだ強面で席に着く者達を支配するのだった。

 

 

 

 

 

「XANXUS」

 

 

 

 そう声を掛けるのは、沢田綱吉達から奪ったリングを携えてアジトに帰還したあの銀髪の男だ。

 スクアーロは、アジトに戻るなりこれまでの門外顧問の動きや例のリングについての様々な報告をするに追われていたが、この件に関しては玉座に座る奴に耳の穴をかっぽじって耳に入れてほしいことだった。

 

 短髪の黒髪から垂れる髪飾りが、こちらを振り向いて揺れる。

 

 

 

「こいつが最後の報告だ。日本であの女を見た」

 

 

 スクアーロが静かに口にする内容に、ボスだけではなく、この場にいる者の顔つきが俄に変わる。薄暗い室内の空気は、感電するようにスクアーロが発した言葉の不穏さをこの場の全員に伝染した。

 

 話の続きをするか、スクアーロはまだ渋っていた。

 彼はあの場で起きたことを詳細に、この議会で嘘偽りなく話さなければならない。自ら腕を切り落として彼に見せた忠誠に従わなければならない。

 しかし、今ここで事実を大っぴらに話せば、この男はどう動くだろう。今の彼に無闇に吹き込めば、あの日のように怒りがぶり返すやもしれない。彼女の立場は危うくなる。

 

 男の顔色を窺いながら、スクアーロが次の言葉を口にすると、重厚に閉ざされていた室内の扉が開いた。中にいた男達は一斉に振り返った。

 

 

 そこに一人の少女が姿を見せた。

 肩まで切り落とされた黒髪、血管を切り裂いたように染まる真紅の瞳、男達の纏う黒服に似た漆黒の正装を纏って、彼女はそこに現れた。

 

 

 

「セラン……!?」

 

 

 暗闇に慣れた視界にその少女の姿を捉えると、ガタガタと揺らぎ出す空間の音と、先程とは比べものにならない緊迫感が張り詰める。

 誰もが、久しく見る少女の顔と、玉座にふんぞり返り異様に落ち着きを見せる男の顔を交互に見やった。

 

 

 

「ただいま」

 

 開口一番に彼女はその意外な言葉を口にする。しかし、歓迎の声はない。静まり返る部屋で、中央に座る男の顔を凝視する。

 長い眠りから醒めたその男は、突き放すような眼差しを彼女に寄越した。

 

 

「どの面下げて俺の前に出てきやがった」

 

 

 

 男の静かな怒りを纏う低い声、聞いたのはいつぶりだろう。灼熱の痛みに悶える中、あなたの最後の絶叫を聞いた。

 今も、その余韻が響いている。

 

 

「……二年ぶりに自分の家に帰ってきただけだ。どうやら()()()()()と聞いてな」

 

 部屋にいる男達の中で、二名だけはその言い回しに反応した。他の者には気づかれない加減で、男達の顔つきが怒気を滲み出している。

 

 

「まさか、てめえ……どこまで知ってやがる」

 

 特に中央にいる男は彼女の挑発に過剰に反応してくれた。

 ボスの突然の発言に戸惑う者達が多くいる中、紫乃はその表情の乏しい顔に貼り付けた笑みを浮かべる。

 

 

「さあ、何のことだ。それに()()を知っていたとして、手塩にかけて育てたあなたの妹を殺すか?」

 

 周囲の戸惑いの声は彼女の淀みない発言にたじろぎ、静まり返った後には核心を突く話が闇一点を見つめる彼女の口から飛び出した。

 

 

 

「八年ぶりの再会だというのに、あなたは相変わらずだ。昔と変わらず、傲慢で短絡的で、八年前の計画の失敗は、仕方がないことだった」

 

 

 八年前の計画――。

 

 全てはあの日から、こうなることを予期していた。彼の八年という時間を奪ったあの事件から、多くの犠牲を出しながら、嘘も真実も闇に葬り去られた裏切りの瞬間から、彼女の言葉も彼の怒りも、決まりきったことだった。

 

 

 

「でも……二度の敗北はない。あなたがそのリングにこだわるのは、そういうことなんだろう?」

 

 

 男のその手の中指には、スクアーロが持ち帰ったボンゴレの至宝が嵌められている。

 鈍く光るボンゴレの紋章には、これまでのボンゴレの栄光と、底知れないボンゴレの闇が刻まれている。かつて、どれほどの人間が、このリングに躍らされ、無駄な血を流したのだろうか。

 

 

 やっとあなたが帰ってきてくれたんだ。

 ようやく八年前の計画が再起する。長く眠り続けていたあの計画が動き出すことになる。

 

 不意に目配せをして男の背後の闇に佇む鉄塊の巨漢を睨む。

 紫乃が気になることとしたら、彼がそのことに気がつくのにどの程度のタイムラグが生じるかだが……。

 

 

 

「…………フン、しらけた」

 

「しばらくこっちに残る。それじゃあ」

 

 

 八年前より、淡白な別れだったかもしれない。離れていた距離は、以前よりさらに遠ざかっていった。八年の月日は、彼女が思うよりずっと残酷だった。

 

 

 

 

 

 

 会議室を後にして、さほど年月の変化がない古城の回廊を突き進む彼女の背後から、彼女に親しげに話しかける声がする。

 

 

 

「ししっ、おじょー見るの久々じゃん」

 

「ベルフェゴール」

 

 彼女が部屋を出た後、例の暗闇での会議は早々に終結したようだ。すぐに紫乃を追いかけるように幹部のベルフェゴールがやって来た。

 昔は紫乃の方が大きかった背も、二年ぶりの再会では余裕でそいつに追い抜かされていた。身なりやチャラついた態度は昔と何ひとつ変わらないのに。

 

 

「ボスにいきなり啖呵切ってどうしたんだよ?」

 

「別に。ただの挨拶だよ」

 

 紫乃は久々の再会にも関わらず素っ気なく返す。勘繰られては面倒だ。特に彼は、昔から余計な勘はピカイチだ。その奇才を、あの男に認められただけはある。

 

「フーン。じゃ、王子とも久々にやっとく?」

 

「やめとく」

 

「えー、つまんね。王子は別にベッドの上でもいいけど」

 

「お前……いつの間にそういうことを覚えたんだ……」

 

「ししっ」

 

 思わず後退りをしながら、紫乃はそいつの背後から近づくもう一人の幹部の男の姿を見た。

 彼女は逃げるつもりはなかったが、あんな場面の直後では、少しの心身の安息もないのかと文句も言いたくなる。

 

 

「セラン」

 

 態々人の名前を大声でやけに深刻そうに呼んでは、やはり自分のもとに真っ直ぐに向かって来る銀髪の男に無意識に口角が攣る。態々その名前を使わずとも、彼女は逃げはしない。

 

 

「どしたよロン毛」

 

「う゛るせえぞベル! 俺が用があるのはセランだあ゛!」

 

 やんちゃ盛りの期待の幹部に一喝を入れた後、その腰よりも長く伸びた銀髪を翻してスクアーロは彼女を睨んだ。

 

「ちょっと来い」

 

「……スクアーロ」

 

 

 そいつの声には、お前に聞かなければならないことが山ほどある、とその言葉の裏に含んでいた。だから紫乃に断る術はなく、頷いた。

 

 彼に連れられ複雑なアジト内部を歩き出すと、とある回廊の途中に小さな人影がまるでどこからともなく暗闇から浮かび上がるように現れた。

 

 

「やあ、セラン。しばらく見ていなかったね」

 

 

 

 小さな人影は、紫乃を見据えてそんな言葉を掛ける。

 そしてその影は、それだけを告げたかと思えば再び暗闇に溶け込んで霧散した。

 

 

「なんだぁ? マーモンの奴」

 

「……」

 

 

 

 

 マーモンとも別れた後はアジトの一室に籠り紫乃はスクアーロから、やはりあの事についての尋問を受けた。

 

 深緑に囲まれた古城の窓から見えるのは、今にも嵐になりそうな風と灰色の空だ。

 

 

 

「ボスには、お前が逃げたことをまだ告げ口していねえ。だが、それはお前の返答次第だ」

 

 そう言って、鮫のように深海でギラつくような鋭利な眼差しを向ける。

 

 

「正直に話せ、セラン。お前が俺達を裏切る気がないのならな゛ぁ……」

 

 スクアーロが彼女に突き刺す視線は真っ直ぐだ。偶然か、同じ雨の彼に通じるものを感じる。

 八年拗らせたあの人への忠誠、彼女の身にも重くのしかかった。

 

 

「お前は何故、二年前に忽然と姿を消したんだ? どうしてあの場にいた? 何を知っている」

 

 スクアーロの足音が窓際の紫乃へと近づく。胸倉を掴まれる勢いの剣幕を貼り付ける男と、紫乃は正面から対峙する。

 

 

 

「……八年前、お前は何を見た?」

 

 

 それは彼らと、紫乃の運命を大きく揺るがすきっかけであった"運命の日"――――。

 

 

 ボンゴレ暗殺部隊のボス・XANXUSを失う失態を犯したボンゴレ史上最大のクーデター。そして暗殺部隊の生命線をも危うくさせた災厄の日だ。

 

 

 

「……先に、裏切ったのは、どっちなんだ」

 

 

 彼女は取りこぼしそうな声で、正面にいる男に告げた。部隊の中で誰よりもボスにその身を捧げた男は、その言葉に反応した。顔つきは俄にこわばっている。

 

 

 

「スクアーロ……八年前の誓いを、どうしてあの人をあんな形で……」

 

 

 八年前――彼もこのクーデターは、ボンゴレ史上最大の革命となるだろうと予期していた。

 まだ幼さが残る彼女に、彼は言った。新しいボンゴレを彼と築き上げると。

 

 

「ッ……」

 

「あなたは、八年前、XANXUSに誓ったんだろ。可哀想なあの人を、ボンゴレ十代目として側で支えていく覚悟……なのに……」

 

 しかし、彼の誓いは、あの日の灼熱の炎に破られた。彼の怒りも、嘘も、真実も、スクアーロが見た全てを焼き尽くしたあの日の炎の揺らめきは、鮮明に八年前の記憶にこびりついていた。

 

 

「貴方達に、失望したんだよ。ずっと、堪えてきたけど、限界だった。貴方達は、部隊のボスを失ったんだろうが、私はたった一人の家族を奪われたんだ。スクアーロ、信じていたのに」

 

 

 八年前の誓いに、安堵の表情を見せていた少女が、正面から軽蔑の視線を自分に向けているのに、スクアーロは自身の後ろめたさを隠しきれていなかった。

 押し黙る彼に、彼女は淡々と二年間の経過を語った。

 

「あの人が長い眠りについて、次期ボス候補の少年が日本にいると噂で聞いた。彼よりも次期ボンゴレのボスに相応しい男なのか、確かめたくて、二年間"伊波紫乃"の名を使って観察した」

 

 

 彼らとの時間を切り捨てて、偽りの名前で、ここより遥か遠い地で奴のことを想い続けていた目の前の少女に、自分は合わせる顔がない。

 

 

 

「彼が帰ってきてくれたのは、結果論だ。今度は彼を一人にはしない。私一人でも、XANXUSを守る」

 

 

 糾弾された。XANXUSに誓いを立てたあの頃の自分に似た眼差しを向ける彼女に、スクアーロは掛けられる言葉もなく、隣を横切る少女の姿を見送るだけだ。

 

 

 

「その切り落とした腕も、ハリボテだったんだな」

 

 

 部屋を後にする彼女が最後に吐き捨てた台詞にも、言い訳できない自分が不甲斐ない。何度も彼女に突き放された言葉が逡巡する。

 

 自ら切り落とした左腕が、この期に及んで悲鳴を上げていた。

 

 


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