REBORN DIARIO 作:とうこ
黒曜の襲撃事件から数週間後、並盛には再び平穏な日常が舞い降りていた。
本日は、並中野球部秋の全国大会ということで、あれから事件の傷も癒えた沢田綱吉達は野球部の活躍を期待して観戦に来ていた。
山本武が打った球が会場のフェンスを飛び越えて、見事ホームランを当てると観覧席の熱気も盛り上がる。友達の活躍に興奮する沢田綱吉一行も、観覧席の中で特に目を引く騒々しさであった。そんな彼の周りは苦労が絶えないようだ。
観覧席の和気藹々とした光景を、グラウンドからベンチまで戻ろうとする山本武は微笑ましげに眺めていたが、彼は不意にその視線を外して、周囲の観覧席を見渡した。見つけられるなら、彼女の姿がそこにいないか。
この日彼の視界に少女の姿は見受けられず、あの日一方的に押し付けた約束を彼はいつまで待ち続けられるかと、その胸中に募る不安を隠しきれなかった。
沢田綱吉連中の暴動に観覧席がざわつく傍で、幼児の身体を借りた六道骸は、並盛中の制服に身を包んだ少女と邂逅を果たしていた。
「君でも幼児の未熟な身体では、沢田綱吉の身体を乗っ取るには不便だろう」
「クフフフフ、態々声を掛けるとは、僕に何のご用でしょうか? その身体を提供すると申し入れにきましたか?」
彼の器と相性のいい身体をようやく手に入れたとしても、不安定期の未熟児の身体を操るには容易ではないはずだ。今回は諦めてくれたらしい。これで少しは懲りてくれたらいいのだが、この男に限ってそれもない。
「安心しろ。私より、君の器に相応しい身体は近くにいる。ただ、忠告だ。どれほどマフィアを憎もうと構わないが、人の心を捨てた者に待つのはそれ相応の罰だ」
子供の器を借りた六道骸に、紫乃は言いつけた。
忠告するまでもないことだった。口が開いたのは、この胸に刻むためだ。ここからは、歯車が狂った運命を、導く為に。
「貴女は、どうなのですか」
六道の片目が、こちらを睨んだ。
見透かしているんじゃないか、と紫乃はそれ以上僅かな心の隙間を狙って潜り込む霧に干渉されるのを避けるように、秋晴れの日が差すアスファルトの地に視線を伏せた。
腕の傷は、まだ痛む。
「クフフ、見逃すには惜しかったですかねぇ。彼」
一際盛り上がる歓声とともに、アナウンスが響き渡る。山本武が、場外ホームランを当てた報せだ。
その報せを耳に入れても、紫乃は真下を見下ろすまま、歓声に湧き上がる会場には振り返らなかった。
「なんて、少しカマをかけました。しかし、否定はしないのですか」
「……これ以上、誤魔化して何になる」
これ以上、嘘を重ねて、虚しくなるだけなんて、馬鹿馬鹿しいだろ。
「ちゃおっス」
並中襲撃から数日後の、以前と変わりない日常を取り戻した頃のこと。
深手を負った沢田綱吉らは、現在も療養中だ。彼らがいないことで少しだけ物寂しい教室から一人抜け出した。
廊下の先を軽快に進む彼女のもとに待ち構える小さなシルエットと邂逅し、無表情を貼り付けた仮面が剥がれ落ちそうだった。
「今日は伊達じゃねーんだな」
彼女の視界を遮る銀縁のそれを、この日紫乃は外していた。その左半身には、黒曜襲撃事件からまだ癒えない傷の跡が残る。
小さな彼の存在をまるで見ないようにして立ち去ろうとした紫乃だが、数歩離れた廊下の先で、彼女は不意に足を止めた。
「そんな話をしに来たのか」
確認の意味を込めて、問いかける。まさか、そんな無駄話をするために態々紫乃の前に現れたわけではない。この男の目的は明確だ。
「……フゥ太のランキングブックに載っていた"error"って文字……。お前なら、心当たりがあるんじゃないかと思ってな。沢田家光にも既に話は通してあるぞ」
沢田綱吉の父親であり、門外顧問の男――。
その名前を赤ん坊の口から直接聞くことになるとは、ようやく実感が湧いた。避けられない運命のレールの上を彼女は今、歩き出したのだと。
「どうなんだ」
この声色に、紫乃への殺意が押さえつけられていたのは、言うまでもない。制服の下、彼女の左半身を覆う白い包帯を貫通して、痙攣を起こしたような刺激をその肌で感じた。殺し屋の本領だ、紫乃はクスリとこぼした。
「殺すか?」
今ここで殺すこともできるんだろ? とその相手を挑発するような視線を投げる。
殺し屋は、しかし彼女に銃口を突きつけることはない。天邪鬼だな、彼のそんな中途半端な慈悲が、彼女の内側に堪えた。憔悴した心は、抵抗ままならず碇を巻きつけられ、深い海の底に沈んでいくようだった。
「君達に有力な情報を持つ私を殺して、君達はまた清算するのか。血で血を洗い流すことに何の意味がある。犠牲の上にしか成り立たない大義なんてものを掲げて、ふざけるのも大概にしろ。彼は、君達の
その声明は、押し殺しきれない怒気を節々に滲ませ、彼女の心を枯らした。過去を、どれほど悔やんでいるのか。その胸に詰め込んで望まない日陰を歩んだか。
今こそ、往年の雪辱を晴らすべきだ。
「ひとつ、確かな情報をやろう。近く、あのリングが動き出す。あの人の警護は万全にしておくんだな」
彼女の舞台は、ここからだ。
「お前……まさか……」
思いがけない少女の告白に、男も殺気立つ目で彼女を睨んだ。既に手遅れだとも知らずに、最悪の事態を想定する男に向かって紫乃は心にもない助言をしてやった。
ひとつだけ、その情報だけで、彼なら理解するだろう。大事な生徒を、傷つけられるわけにはいかない。
女の成熟を待ち続けたその瞳の奥は、今後暗雲を伴うように、艶やかに不気味に微笑んでいた。
それから、伊波紫乃の姿を見た者はいない。
なんとか今月内に収まりました。
さて、本題の前に小休止を2話程度挟む予定です。
山本とのラブコメを予定です。