REBORN DIARIO 作:とうこ
【十二月十七日
沢田綱吉退院後、並盛山の秘境で遭難があった。
彼が退院して間もないというのに、あの元家庭教師の男にまんまとのせられて無茶をやる男だ。第一、彼の監督不足で沢田綱吉が怪我をしたというのにマフィア根性というものは容赦ない。
あの赤ん坊に鍛えられたら嫌でもああなるものなのか。
沢田綱吉の将来が不安視される一端だった。】
大晦日の夜は、今年最後の並盛の町を散歩していた。
あと数時間で、一年が終わろうとしている。
ここまで来て、彼も私も、色々あったな、彼の周りは仲間達で明るくなった。学校でも笑顔が増えた、嫌いな授業をサボらなかった、ダメツナでも友達が応援してくれるから総大将の大役から逃げなかった。
以前の彼とは圧倒的に違った。ダメツナのままでも死ぬ気で一度やり遂げる根性を知ったんだ。これからはもっと伸びしろがある。
そんなダメツナの成長を、彼女もこの一年見守ってきた。最初こそ、こんなにもはなから期待はしていなかった。しかし、死ぬ間際の後悔が彼の原動力となり、彼を突き動かす様を誰よりも見てきて、彼女も心揺らいだ。彼を見て、あの日をまだ後悔しているだろうか。
河原へとやって来る。大晦日の晩は皆家に籠って家族団欒しているのか、やはり人の気配はない。ほとんど日も暮れ、東の濃紺色の空に一番星の明かりが明滅している。
紫乃は適当なところまで河原沿いを歩き、並盛の静寂に落ちた町並みを眺めた。綺麗な町だ。雲雀恭弥が誇りをかけてこの景色を守ろうとするのもわかる気がした。
静かな町に、家庭の明かりが幾つも灯されている。紫乃は行く宛もない孤児のようにそのぼやけた灯火を眺めた。
河川敷の上に立ち竦む紫乃の足元に、ボールが転がってくる。
「すんません、ボール投げてください」
紫乃にそう言ってグローブの平手を見せる人物の人影を、紫乃は遠くから睨めつける。
「……態となのか?」
「ハハッ、バレちまったか」
あっけらかんとした山本武の反応には困るものだ。グローブを高く上げ河川敷から紫乃に大きく手を振っていた。この男のお節介精神にこの日も悩まされるのは勘弁だったのだが……。
「まさか大晦日の晩に伊波と会えるとはなー」
「今日くらいは君も自主練してないだろうと思って来たんだが、外したようだな。残念だよ。全く君は真面目なのかバカなのか……」
「ヘヘッ、言ってくれんじゃねーの」
ボロクソに言ってやったが、紫乃の皮肉は些細な抵抗にもならないようだ。少しは獄寺隼人を見習わなければと紫乃は思った。未来で、こんな調子の彼をあそこまでブチギレさせた自称右腕はなかなかの腕なのだと少し感心するのだった。
「なあ、一年の最後なんだ。付き合ってくんねえか?」
何度目の誘いだろう。
山本武にグローブを見せられた紫乃は、これまで何度彼の誘いを断ってきたんだと思い返してみた。また同じことを自分は繰り返す。
同じことを……。
「……わかった」
「え、マジで? ハハッ、やっと伊波にOKしてもらえたのな」
「勘違いするな。これ切りだし、君には詫びを返さねばならない」
何度自分は断り続けて、山本武を危険に晒しただろう。
そう考えると、これ切りで終わらせようという気にもなる。これ切りだ。それでこの男との関係を清算する。
そう気合いを入れて山本武からグローブを受け取った。近くで見るとよく使い古したグローブだ。どれほど山本武が野球に向き合ってきたかわかる代物だった。
彼らの脇では並盛川の水面がゆるりと流れている。薄暗くなった辺りは寒さがじんわりと漂う。
防寒に動きづらいジャンパーを着込んだ紫乃は、なれない構えで山本武のボールを待つ。
「――っしゃ!」
紫乃が反応する頃には、彼女の頬すれすれを、山本武の投げた球が掠った。からりと木枯らしが鳴いた。
彼の悪い癖だ。
それは紫乃も重々理解していた。野球に一生懸命な彼だからつい出てしまう癖だ。投げた直後に山本武もはたと気づいたのか呆然と立ち尽す紫乃に近づいて声をかけようとした。
「――ふ、ふざけるなこの野球バカッ!!」
「痛ッ!」
しかし、既に遅い。そのグローブを紫乃は山本武の顔面に投げつけた。直で山本武はそれを受け止めた。あの豪速球が紫乃の顔を直撃していたらと考えると生きた心地がしない。
「ててっ……容赦ねえのな伊波……」
「お前だろ」
「それもそうだな」
ハハハッとこんな時も軽く笑い飛ばしている。紫乃のふつと湧いた殺意には気がついていない。
まあ……この図太い神経が、彼のいいところなのだ。今は、彼女だけが知っている。未来のボンゴレに、彼の笑顔がどれほど重要な意味を持つかを。
もう一回だけと頼み込む山本武を蹴って、紫乃は一人河原を後にしようとする。
すると、ピタリと彼女は足を止め、沈黙の中で呟いた。
「……あと二つ」
「ん?」
紫乃が何かを言ったのを、すっかりと日も落ちた暗い視界を目を凝らしてそのシルエットを見つめていた。夜目に慣らしていると、不意打ちに何かを言われたのに山本武はそこから素っ頓狂な顔で紫乃に聞き返した。
その男から表情を隠すように、紫乃は振り返らずに言った。
「あと二つ、君に何かある時はできるだけ君の力になろう」
山本武には、彼女のその言葉の深い意味までは汲み取れていなかった。
「頼もしいのなっ」
「じゃあな」
「ああ」
これで、お別れだ。
罪悪感を胸に引きずる紫乃は、山本武の視界に隠れるところで不意に暗い面持ちだった。彼女の思うところは、周辺の闇に溶け込んで誰の目にも映らなければいい。そんな風に投げやりな寂しさも、俯いて自分の中で誤魔化した。
「――――伊波!」
ハッと顔を上げると、まだあの河川敷から山本武が手を振っていた。紫乃が咄嗟に振り返ると、暗がりに浮かぶほのかな月明かりは、二人を見守るように照らしている。
「……来年も、頼むぜ、こんな感じで」
「……ああ、来年も、よろしく」
お互いに、何かを言いたそうにしているのを感じていた。
表面上は、お互いに何も気づかないフリをして、大晦日のこの日だけは特別な挨拶を交わした。
無理だった、と紫乃は帰路を歩く途中にこぼした。
清算すると言ったが、彼の人柄の良い笑顔を前にして、そんなことは言えなくなった。すっかり毒されてしまったなと、その後はゆっくり家路に着いた。
一年後の同じ日にも、彼女とこうしていられるだろうか。
彼らしくもなく、その胸中は不安を予期していた。