REBORN DIARIO 作:とうこ
二人はグラウンドを後にし応接室に戻ると、紫乃がその扉を閉めたタイミングで雲雀恭弥の口元がふと緩んだ。
「彼……咬み殺そうかな」
「ッ……!」
まるで些細なことを口にしたような彼の口調は、紫乃の気を引くには十分なきっかけだ。彼のその一言だけで心臓の鼓動を早め応接室に緊張の糸が張り詰める。
「やめろ! 君の機嫌を損ねたのは、君の待機命令の意に背いた私のせいだろ。私の責任だ。気に入らないと言うなら私を咬み殺せ」
「……不思議だね、君は。自分は理不尽に咬み殺されてもいいというのに、よその他人のためならそうやって頑なに意地を張る。しかもそいつらのために自己犠牲まで厭わない。普通の奴らはね、我が身の可愛さに真っ先に自分の群れを売るんだよ。やはり君は面白い」
深みに嵌るな、この男の足元を掬う狡猾さに惑わされるな、至近距離で対峙する紫乃は、自身にそう言い聞かせ心を宥めた。
彼の前ではボロを出しそうになる自分がいる。
侮れない相手、そう彼女が構えていると、雲雀恭弥のしなやかな形のいい手が不意に彼女に触れた。
「あと……これ、外したら? 伊達なんでしょ」
雲雀恭弥の手に触れられ、咄嗟の反応に遅れていると彼の手に紫乃の眼鏡がある。普通なら、誰が見ても度が入っているように見せかけられる高性能のレンズを嵌めている代物だ。銀縁のそれが、秋晴れの太陽光を反射している。
彼女の鮮明な視界に映る雲雀恭弥の顔を睨み返す。
「……それは今と関係あるのか」
「いや、僕の個人的な興味」
気まぐれな男だ。
雲雀恭弥の無愛想顔を鬱陶しく睨めつけていても、彼にはくすぐり程度にしか思われていない。意味のない抵抗と、紫乃は白状した。
「……人の目を見るのが、トラウマなんだ」
「へえ……君にもそんな弱みがあるなんて意外だね」
笑えばいいと、紫乃は投げやりに答えた。雲雀恭弥は意外な反応を見せていた。
「じゃあ、せめて僕の前では外しといてよ」
紫乃にも雲雀恭弥のその返しは意外だった。彼女の身長よりも少し高い彼を見上げる形で、紫乃はまじまじと雲雀恭弥の顔を観察した。
「僕には弱みを見せたんだ。もうこれは必要ないよ。僕の前ではもっと素の自分であるといい。もっと君の皮を剥いでみたい。本来の君を見てみたいな」
狂乱的な思考回路を垣間見せる。ゾクリと脊髄から粟立つようだ。紫乃の青ざめる顔色に、雲雀恭弥は告げた。
「僕のものである以上、君に近づく蝿は排除する」
「人を所有物扱いするな」
「君は僕のものだよ。君の目も、血も、身体も、心臓も、誰にも譲る気はない」
そしていずれ……彼女の被る皮を全て剥ぎ取り、生身の彼女の身体に己の鉄の牙を骨髄の奥まで深く食い込ませて……。
それはまるで特定の誰かに向けられた宣戦布告のようであり、グラウンドで彼女の肩を抱き寄せるあの男の顔が、一瞬雲雀恭弥の脳裏を過ぎる。
「綺麗じゃないか。君の毒々しい瞳は……」
雲雀恭弥が、彼女にその口説き文句を口にして、いつしか二人の間の距離は、唇の先が触れ合うほどに縮まっていた。雲雀恭弥の手は、彼女の透き通る白い頬を撫でる。あとほんの少し、1ミリでもどちらかが動けば接触するかの瀬戸際に、応接室の扉が外から叩かれた。
「ここにおったかヒバリーーーッ!」
笹川了平……またの名をライオンパンチニスト了平……。紫乃はとにかく熱くむさくるしい男と記憶している。ライオンパンチニストとはなんだ。そんな真面目なツッコミを入れる紫乃であった。
日常的に文句があると応接室に押しかけてくる光景を思い出す。今回もこの熱血漢が乗り込んできて、それまでのギリギリにまで張り詰めていた緊張感はこの男に断ち切られ、雲雀恭弥は俄に機嫌が悪そうであった。
紫乃は若干あの死ぬ気男に貸しを作るようで複雑であった。
このうるさい男が押しかけたのも、やはりあの騒動の件であった。
「この度の我が組の不祥事、我らが総大将である沢田ツナが起こした試合直前の総大将襲撃だが、奴の独断での行動は、並の総大将ではやり遂げられんことであった! 故に俺は沢田ツナのこの英断を讃える! 奴がやったことを潔く認め、この後の棒倒しについて審議するつもりだ!」
「ああ……それで? 言っておくけどうちではその件は扱ってないよ。群れる行事は全て校長側に一任させているからね」
これほど組の総大将を讃えているというのに、名前を間違えているのが致命的だ。それじゃマグロだ。
「そうであったか! それならば校長室に行き直談判に……ええいっ! まどろっこしいわ!!! とにかくこちらが圧倒的不利な状況での棒倒しを申し立てる!!!」
結局審議どころかもはや独断で話を持ち込む笹川了平に呆れ返り、後方に控えていた残りの代表達もドン引きである。雲雀恭弥の方も一方的な笹川了平に機嫌を酷く損なわれている……かと思いきや、紫乃が窺うと、男はそのかたい口角を不意にクスリと緩ませた。
「沢田……綱吉……」
雲雀恭弥はその名前を口に出した。そして思案すると、彼の返答を待つ笹川了平にこう言った。
「校長にはこっちから伝えておくよ。君は棒倒しが終わるまで留守番しておいて」
紫乃にもそれを言い残し、恐らくあの赤ん坊に相見えるため棒倒しに向かうのだろう……。
彼らを見送り、沈黙した応接室にて紫乃は再び底知れない不安を抱えるのであった。