「どうして来たのと同じ道で帰れないのだろうね?」
「時間は巻き戻せませんわ。時間と友達の空間も」
疑問を投げかけてみたのだが、横を歩く従者は煙に巻いてきた。
図書館から自室へ帰れなくなってしまい、咲夜を呼んだのだった。ちょっぴりと情けない。
しかし館の主にしてこのざまなのだから、白黒の本泥棒が図書館へたどり着ける確率は推して知るべきであるし、フランが495年迷子になっても決して不思議ではない。後半は嘘だけど。
ふと、咲夜が一人であることに気づいた。
「もう一人は?」
「ただいまパンケーキを焼いておりますわ。トッピングはクランベリー? それともブルーベリー?」
「甘い方で」
「あら、ごめんなさいお嬢様」ふいに咲夜が立ち止まる。「クランベリーは切らしておりました」
「そう、なら青い方で」
別にどちらでもよいのだ。咲夜が焼いたものであれば。
咲夜に連れられ階段を下ってからもう一度上り、私が首をかしげている間に扉の前についていた。階段の踊り場に、取ってつけたようにドアノブが生えている。現在進行形でリフォーム中なのかもしれない。
扉を開けると、焼き上がったパンケーキの甘い香りが鼻をくすぐってきた。長方形の食卓には既にフランが着席している。右手にナイフ、左手にフォークを装備して、「美味しそー」と破顔していた。
もう一人の咲夜がフランの前のパンケーキにシロップを注いだ。黄金の湖が広がるにつれて、フランの瞳がうっとりと輝いていく。
「咲夜ーありがとねー。とっても美味しそうよ」
「何よりですわ、お嬢様」
2人のやり取りを見て、ぐぬぬぬと奥歯をかむ。何故か噛んでいた。お嬢様は私であって、フランはフランお嬢様だったのに。
「嫉妬ですか?」と私の横の咲夜。
「そうかな?」
「ええ」
咲夜が微笑む。
「そうかも」
永く生きても心というのはよく分からないもので、不思議と私も微笑んだ。
いつも以上にパンケーキが甘い。
パンケーキの美味しさに頭がお花畑になっていたのだろう。咲夜が増えた原因を調査するはずだったのに、私はベッドで横になっていた。躰を動かす気にもなれないので、レミリア探偵事務所は明日から開業することにする。そんな怠惰の予定を立てて目を閉じた。
吸血鬼だからといって、日が昇っている間に眠るというわけでもなく、夜行性なんて不便な生態でもない。好きな時にほどよく寝て、好きな時に活動する。お日様が出ていたら出ていたでそれは構わない。ちょっと眩しい程度の差し障りであり、基本的に気ままに生きる。それがノーライフ・クイーンの在り方にふさわしい。
一つ思うところがある。こんなタイムスケジュールが破綻している私と行動を共にする人間はどのような一日を過ごしているのだろうか。実のところ、私は咲夜のことをよく知らない。仰向けで寝る派か横向き派かも分からない。そもそも寝ているのだろうか。
「……嬢様」
「朝ですよ、お嬢様」
ゆさゆさと躰をゆすられた。
毎度のことながら適当な時間になると咲夜は私を起こしてくれる。咲夜がいなければずっとベットの上で目を覚まさないかもしれない。
そんな危惧もあり、かつて目覚まし時計という小さな時計を使ってみたのだが、あれは最悪だった。まずうるさくて、とにかくやかましい。おまけにすぐに壊れる。軽く叩いただけで、ネジが飛び出すほど脆弱だった。確認するまでもなく、香霖堂の棚に並ぶのはポンコツだらけである。
思考の微睡みから、薄っすらと目を開けてみる。差し込んでくる朝日の角度が急で目が焼けるかと思った。きゅっと再びつぶる。
「洗濯日和な陽気ですね」
「サングラスかけます?」
遅ればせながら気づいたけれど、咲夜の声はやはり左右からのステレオだった。一晩開ければ、一人に収束しているなんてことはなさそうである。
ごしごしと目を擦り、伏し目がちに開ける。
四つのメイド服が私を取り囲んでいた。この婉曲な言い回しにどれほどの意味があるのだろうかと匙を投げたくなる。
「そんな鳩が豆鉄砲をくらったような」
「というよりも目を白黒させてますね、お嬢様」
「夢ではないので、頬っぺたはつねらなくても結構ですわ」
「サングラスかけます?」
頭を抱えたくなった。咲夜ズはそろいもそろってどこか抜けている。
「どうして増えた?」
「どうしてと聞かれましても」
「朝起きたら増えていましたわ」
「しかし人数が多いと便利ですね。フットサルチームが作れます」
「じゃあ、サングラスは私がかけますね」
誰が言い始めたが知らないが、世界には自分と同じ顔の人間が3人いると言われている。それが一堂に会すれば肝の一つでも凍えそうだが、この従者はそうではないらしい。確かに昨日のドッペルゲンガーが気にならなければ、ドッペルゲンガーのドッペルゲンガーが問題にならないのは道理であるし、ましてやそのそっくりさんなど頭痛の種には役不足だろう。
それは私も一緒だ。と内心で呟き、開き直ってみる。
たった一人だった咲夜が2人になり、そして4人になった。こうなってしまえば、2人も4人も変わらない。……ような気がするのだ。それでも、レミリア探偵事務所を開店すると宣言した手前、原因だけは気になる。
4人とくれば、心当たりが一つあった。
「ちょっとフランの部屋にいってくる」
「フランお嬢様のお部屋は突き当りの階段を上って右ですわ」
「地図入ります?」とサングラスの咲夜。
「結構よ。どうして実家で地図を見る必要がある」
水色の寝巻のまま私は自室を出た。