この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

99 / 150
およそ二話分の長文です、申し訳ありません。(;^_^A


99話

「そ、そこを何とかお願いします!」

 

「そこをなんとかもなにもありませんよ。我が国も財政が苦しいのです。見てください、このパーティを。大切な同盟国である『ベルゼルグ』の王女の歓待にすら、このように節約しなくてはいけない有様です。なので、アイリス様の頼みでもこれ以上防衛費を負担することはできません」

 

 小さなパーティ会場内、バイキング形式でも催した歓迎の宴は、大国『エルロード』の割には質素である。

 その中で、政治を取り仕切る宰相に、アイリス王女は支援をお願いする。だが言葉面は申し訳なさそうにしていてもハッキリと拒絶の姿勢を一貫として通している。

 

「ですが、この国を見た限りでは、あまり財政難とは思えないのですが……」

 

「いえ、それはあくまで外国から見た場合にそう見えるだけでしょう。この国の民は皆生活が苦しく、とても支援をする余裕はないのです……」

 

「そ、そうですか……」

 

 宰相は微笑みを絶やさない。優しく噛んで含めるような物言いで、しかし言葉にならない圧力は緩むどころか逆に増している。そうこれは、国と国を代表する者同士の外交というよりも、“大人”が“子供”に対する強制的な態度だ。

 どこまで言葉を尽くそうにも、あくまで“指導する”という姿勢を崩さず、これまでの会話も向こうは親切な教示をしているつもりに過ぎない。由緒正しい王の血族にそれに相応しい才気があろうと世間を知らない小娘に対し、他所は、世の中はこういうものなのだから、“わがままを言わずに聞き分けなさい”と言っているのである。夢見がち(わがまま)な他国の王族相手に、何と寛容なのかと言葉にせずともその態度に露わにして。

 軽視する宰相がここで交渉を打ち切ろうとする――その間際に割って入るのは妙に明るい声。

 

「おやおや、それはおかしいですなあ」

 

 おどけて二人の会話に入ったのは、仮面の男。王女よりも歳は上であるも同じ未成年、けれど若さに似合わぬ、泰然とした――もしくは飄々とした――独特の雰囲気を纏っている。宰相は、その者を視界に入れただけでそれまでに絶やさなかった微笑みを消して、嫌悪を隠そうと取り繕うともせず、眉間にしわよせ目を細めた表情で、

 

「護衛の方が何用ですかな。私は今、アイリス様と大切な話をしているのです」

 

「いやこれは失礼。紹介が遅れました。――我が名はとんぬら、『ベルゼルグ』王家に許された宮廷道化師にして、雑事諸々を任された姫殿下の影たるタケトンボのヤシチと申します」

 

 ぺこりと丁寧に一礼するが、その名乗り上げは政治の場に立ち入るにはあまりにふざけているもの。

 

「弁えなさい。たかが配下が交渉に口出しする権限はないはずです」

 

「宰相殿も、政治に関する決定権を持っているのは、レヴィ第一王子のはずでしょう?」

 

「道化師風情と一緒にしないで頂きたい」

 

「確かに、内政官として最高の地位ある宰相殿は実際に政治を取り仕切っているお方だ。しかし、冗談は下手――いえ、謙遜が過ぎるようですな」

 

「何が?」

 

「こちらのお城に招かれる前にちょいと観光で巡ったのですが、街の人たちは皆口々に我が国の名宰相のおかげで景気が良く、豊かな暮らしができると聴いておりましたので。先程の宰相殿話しぶりからして随分と食い違いが生じているようにも見えますね」

 

 まるで舞台上に立つかのように宮廷道化師の弁舌は淀みがない。するすると懐に滑り込み、頭の中を満たしていく。彼が口より紡がれるのは、ひとつの難癖を殊更にあげつらった物言いではなく、ごく常識的なことを訊いているようにも感じられる。

 

 仮面をつけているのに感情豊かな道化師と、仮面をつけたように無表情な宰相。

 パリパリッと乾いた音を立てて両者の間に弾ける白い雷光を、この会談をこっそりと窺っている者たちは幻視した。

 

「こうなってしまうと姫殿下の嘆願を突っぱねて支援を断るというのは、財政難以外に何か理由があるのではないかと、こちらもいらん勘繰りを働かせてしまうのです。――そう、例えば、魔王軍と何か取り引きを結んでいる、とか」

 

 とんぬらの舞台慣れしたよく通る声がこの小さな会場内に響き渡って――カシャン、と家臣のひとりがもっていた食器を落とす。

 

「し、失礼!?」

 

 他にも『エルロード』側の人間に動揺が見られる。

 だけど、周りが揺らいでる中でも流石は内政のトップ、宰相は手に持ったコップの液面に漣ひとつと起こさず、平然としていた。

 

「はて。何のことだかサッパリわかりませんか?」

 

「左様ですか。しかし、魔王軍を交渉の相手に信用するのは危険だとご忠告します」

 

「うむ、そうだ……! いいか? 魔王というのはな、女と見ればそれが子供であっても攫い、弄ぶのが趣味のとんでもない存在なのだぞ。姫を攫い女騎士を攫い、変態的な凌辱の限りを尽くす。それが魔王だ!」

 

「し、失礼なことを言うな! いや違う、一体どこから出てきたのですかその話は」

 

 とつい声高に口を挟んできたダクネスに、宰相顔を真っ赤に反論。だが、

 

「どこから出てきたと言われても、この話は結構有名なのだが……。他にも、魔王はロリコン、魔王はアブノーマルプレイを好む大陸一の変態、魔王はホモでノーパンなど、実に様々な噂を耳にして……」

 

 そこで、ドヤ顔のアクアが宣言した。

 

「それは私達アクシズ教団の流した噂ね! 私が思い浮かべた魔王像をウチの子たちが勝手に広めて回ってるの」

 

 ……魔王軍が攻めてきているのって、結構本気でアクシズ教のせいじゃないんだろうな?

 アクシズ教徒の仕業と聞いて、頭を抱えて蹲ってしまう宰相へ、やや暴走したダクネスとアクアに下がってもらいながら、とんぬらが口を開く。

 

「その勝手な噂すべてが魔王像だとは私も思ってしませんとも。これまで対峙してきた幹部を見るに、魔族らに忠誠を誓われるに能うほどに尊敬され、支持される、少なくても変態ではないでしょう。どこかの教団内の支持率が最低な最高司祭と違って」

 

「う、うむ。何だ、貴様、なかなか話がわかるではないか」

 

 常識的なウィズ、それにウォルバクが魔王軍の幹部……配下として仕えさせたのだから、その性格はダクネスやアクアの語るような変態ではない。

 

「されど、魔王は人類を滅ぼそうとしているのは疑いなき事。そして、その手段も必要とあれば如何なることもしてきましょう。

 幾度となく魔王軍の侵略に曝されてきた『ベルゼルグ』の者として保証します。魔物の大半は人間を嬲り殺しにする気だと。交渉する余地などなく奴らの目には蹂躙することしかない。それで魔王軍はただ暴力に頼る輩だけでなく、暗躍して甘言を弄して人を破滅に導こうと謀をする外道もおります。

 人を交渉の場と称して誘き出し、幼子を人質に取り、温泉の源泉を毒に侵した魔王軍幹部と対峙した俺が、重ねて保証する」

 

 真に迫るとんぬらの語り口調に思わずこちらもゾクリとする。いつの間にか、騒がしかったお喋りやカチャカチャとナイフフォークが食器に擦れる音も止んでいた。宰相へチラチラと目配せをする者たちも目立ち始めている。

 そこで、お澄ました顔でアイリスが諫める。

 

「ヤシチ、いたずらに『エルロード』の方たちの不安を煽るような真似はお止めなさい。そして、古より友好を結んでいる同盟国を疑うことなどあってはならないことです」

 

「はっ、口が過ぎたこと申し訳ありません、姫殿下。そして、宰相殿」

 

 慇懃に腰を深く折って仮面の頭を下げる。も、仮面の下の舌鋒は滑らかに鋭い。

 

「こちらに他国の政治に関与する資格等ございませんことは重々に承知です。ただ国という区切りなど関係ないひとりの人間として私は、言質が欲しいのです。“私は『エルロード』王家のため、ひいては国民のために働いているのだ”と、そう宰相殿が仰ってくれるのであれば、道化も過ぎた口を挟む無礼を慎みましょう」

 

 この場の視線が、宰相へと集まる。

 とんぬらの扇動力は場を呑む力がある。この前も砦で冒険者たちを説得して指揮官に収まっていたし、それにアイドルでもそのカリスマ性を遺憾なく発揮していた。それに、あのアクシズ教団をもまとめあげたともいう。王族のアイリスの影武者が務まったのも、単に姿形を装えるからだけではないだろう。滲み出るオーラというのが匹敵しているのだ。

 念入りに釘を刺すよう打たれたこの文句に、宰相は苦々し気に口を動かしながらも、要求通りの言葉を紡いだ。

 

「ええ。もちろん……私はこの『エルロード』のために、働いております」

 

 言い捨てて、宰相は踵を返す。

 

「失礼、少々気分が悪くなりましたので、退席させてもらいます。どうぞ皆様は宴を続けてください」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 支援に確実に異を唱えてくるお邪魔な宰相が退場した。そこで、アイリスは別のところで家臣団と歓談していた王子の下に向かう。

 

「レヴィ王子、ご機嫌いかがですか? ちょっとお話をさせていただいても良いですか?」

 

「たった今悪くなった。話とは何だ、野蛮な『ベルゼルグ』の王女と話すことなんてないぞ」

 

 不機嫌そうに辛辣なセリフを吐いてくる、評判通りの小生意気な小僧に、カチンときたのは、カズマ。

 先ほどまでお側についていたとんぬらは、やたら王子に怖がられているようなので距離を取っている。その代わりに、カズマが控えていたのだが、

 

「おい小僧、俺の妹にまた随分な言い草じゃないか。お前礼儀ってもんを分かってるのか? バカにしてんの? いくら許嫁やめたからってその態度はなんだコラ」

 

「お、お兄様!」

「なっ!? 貴様、この俺に対して……。お兄様?」

 

 第一王女が、“お兄様”と呼ぶ……まさか、このパッとしない、荷物持ちかなんかだと思っていた男は、魔王軍相手に最前線で戦っていると情報が入っている『ベルゼルグ』のジャティス第一王子なのか!?

 アイリス第一王女の金髪碧眼とは似ても似つかぬ、黒髪黒目……もしかするとこれは勇者の先祖返りであったりするのだろうか。

 

「お兄様、お願いです。どうか短慮は起こさないでください。我が国はどうしても防衛費や攻勢に出るための資金をお願いがしなくてはいけないんです。でないと、冒険者の皆さんへの報酬もままなりません。お願いします、どうか私のために、我慢していただけませんか?」

 

「……そんなこと言われたら聞かないわけにはいかないじゃないか」

 

 アイリス第一王女との婚約を破棄したからって昨日の今日でこんな大物が出張ってくるなんて……!? いやでも、さっきの宮廷道化師よりも態度やお願いの仕方が明らかに丁重だし……――

 と混乱するレヴィ王子を他所に繰り広げられる会話はますますその可能性を濃くするもので。カズマにとって都合の良い方向に勘違いが転がっていく。

 

「やあ、すまんね。目の前で妹をバカにされたら怒りもするだろ? 妹をバカにしたそちらも悪いという事でどうか水に流してほしい。危うく頭のおかしい紅魔族とアクシズ教徒をレヴィ王子にけしかけるところだったよ」

 

「ヒッ!? い、いや、うん。俺も言い過ぎた、お互い水に流すとしようか」

 

 『紅魔族』と『アクシズ教』という単語を余程怖がっているのか、悲鳴を漏らしてしまう王子。

 これちょっと脅迫すればいけるんじゃないかと思い始めたカズマは、このままの流れで資金支援をお願いしようとアイリスとアイコンタクトし、意を汲んだアイリスは小さく頷き王子を見上げる。

 

「実は王子、防衛費の支援のことなのですが……」

「ダメだ」

 

 しかしこちらが全てを言い終わる前に、キッパリと告げられた。

 先ほどまでの怯えはなく、一国を背負う王族としての態度を見せている。

 

「昨日も言ったはずだ。答えはもう決まっている。絶対にダメだ。こちらにも事情はあるんだ。それに、婚約を破棄したお前に対する義理なんてないんだからな」

 

「婚約破棄はちっとも構いません。ですが、支援を完全に断たれては……!」

 

 要求を突っぱねる王子にもめげず(一瞬だけ嬉しそうな表情をしたが)、目に涙を浮かべ、王子の胸元を両手でつかむアイリス。

 

「そんな顔をしてもダメだ。お前も王族の端くれなら……、ぐっ。ちょ、ちょっと待て、首が絞ま……! やめっ、ちょっと待って……!」

 

 アイリスに襟元を絞め上げられてみるみるうちに顔色を青くする王子を、慌てて周りの家臣団が助ける。

 それで、ゲホゲホッ、と目に涙を浮かべてる王子だが、すぐにニヤニヤとした――強がった――笑みを浮かべて、言った。

 

「と、とにかくだ、俺は昨日の時点で交渉は終わったと思っている。だが、お前達は交渉を続けたいと言っている。俺としてはお前達とこれ以上交渉をするメリットがない。だが……」

 

 王子はそういって、指を鳴らすと、それを合図に待機していた騎士達が現れた。

 

「俺は面白い物が好きだ。ここにいる俺の部下共と戦い、勝ったなら話を聞いてやろう。どうだ、それでもいいなら」

「受けましょう!」

 

 ずいっと食い気味に了承するアイリス。

 いたいけな少女が、大の大人の騎士を相手にするというのに全く怖気づいていない。

 

「アイリス様、どうぞ。ご武運を」

 

「ねぇねぇ、めぐみん、どっちが勝つか賭けしない?」

「賭けになるわけないじゃないですかアクア。下っ端とはいえ我が“左腕”はそんじょそこらでは相手になりませんよ」

 

 しかもお連れのダスティネス卿なんて、わざわざ彼女の剣を手渡しして止やしない。他の紅魔族やアクシズ信者も“ちょっとした出し物”のような感覚で完全観客モードである。お兄様(カズマ)も庇う気配などなく、普通に応援しており、

 

「怪我を負った際には、こちらも治療に協力しますが、装備品の破損は各自の自己負担でお願いします」

 

 と宮廷道化師は騎士達の装備品の心配をしているという始末だ。

 この護衛の中で、最も強いのであろう宮廷道化師へとレヴィ王子はまなじりを吊り上げてみせて、この時ばかりはきつく忠告を発した。

 

「おい! 貴様がそこの第一王女の代わりに戦わないのか」

 

「はい? なぜ、私が、姫殿下が買われた喧嘩を請け負わねばならないのですか?」

 

「だから、護衛として」

 

「護衛に? 姫殿下を、でございますか? たかが模擬戦に?」

 

 戸惑う――どころか呆れるのも隠しもせずに、ぱちくり宮廷道化師は目を白黒させる。この反応に納得がいかないレヴィ王子。模擬戦とはいえ、怪我することもある。それにあの第一王女は『ベルゼルグ』には珠玉であろうに。それに矢面に立たせるとは護衛として怠慢でないのではないのか? ……まさか、あの王女も自分と同じように本当はあまり配下に……

 宮廷道化師は仮面の下に困った顔を浮かべ、“口で言うよりも目で見るのが手っ取り早い”と両国の認識のズレを正そうとすることもなく、結局、レヴィ王子らが抱く危機感を共有できないまま、飄然と口を開いてみせた。

 

「ご冗談を……というより、それはあまりに過保護が過ぎるというもの。この程度の瑣事にまで出てしまっては、むしろ姫殿下を侮辱しているのかと国に叱られましょう」

 

「過保護、だと? 言っておくが、ここに集っているのは『エルロード』王城を守護する騎士団長たちの精鋭であるぞ」

 

「これは豪勢に、お付き合いいただき感謝します。ですが、それでも私らの出る幕はありません。そもそも、姫殿下がああもやる気を出されているのに、そこへ水を差してしまえば、それを口実として、代わりに私へお相手を強要されかねないので」

 

 軽口を叩く風でもなく、至って真面目に、宮廷道化師は答えた。まったくもって護衛とは思えない態度とセリフだが、間違いなく本気で言っている。

 レヴィ王子は絶句した。

 これには『エルロード』に使える騎士らも一瞬だけ呆気にとられ――すぐに、キリリッと眉尻を逆立てる。

 

「レヴィ王子、どうか私にお任せを!」

「いいや、この俺に! このふざけた『ベルゼルグ』の連中に思い知らせて差し上げましょう!」

「待ってほしい、自分がこの騎士団の中で一番弱い。なら、自分が最初に相手をするのが筋というものなのでは……」

 

 いくら『エルロード』は弱兵と誹られていても、他国の人間に舐められたとあっては、騎士たちもたまったものではない。

 余興ではなく、本気で目を剥く騎士隊に、王子は余裕の表情を浮かべ、愚かな選択をしたアイリス本人へからかうように最後通牒を告げる。

 

「まあ待てお前達。……おい、相手をするのはお前でいいのか? そっちの兄貴や宮廷道化師とかの護衛に代わらなくて大丈夫なのか?」

 

「構いません。このような小事にお兄様たちが出るまでもありません、私ひとりで十分です」

 

 

 そして、宴の席から、屋外の訓練場へと場所を移す。

 本当に、第一王女はお供を控えさせたまま単身で前に出て、

 

「では皆さん、いつでもどうぞ!」

 

 アイリスは剣を抜くと、無造作にぶら下げ堂々と言い放つ。

 そう、本気でやるつもりだ。

 しかも“誰からでも”ではなく、“皆さん”だ。これが示す意味は――

 

()()()()()()()()()? 武闘派で名高い『ベルゼルグ』一族の姫とはいえ、いくら何でも我々を舐めすぎでは?」

 

 『エルロード』の騎士団長と思しき男が、混じり気なしの殺気を放ちながら震える声で問う。もしも“そうだ”と応じたのなら、お姫様であろうと呵責なしに痛めつけてやろう、と眇められた目が宣告している。

 これに、アイリスはとても丁寧に対応した。挑発する気は一切なかった。だが、

 

「そんなつもりはないのですが……。ですが、何人でもお相手しますし、用意はいつでもいいですよ」

 

 それは思いっきり剣を振るうに十分な回答であった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 どうして、王女をたった一パーティで送り出すことができたのか?

 おそらく他国では王族の移動となれば、大名行列のように一団を護衛に付かせるものだろう。

 だが、最初、アイリス第一王女が送り出した時に付けた護衛は、3人だ。お忍びと言えども、たったの3人。これは、ミツルギキョウヤの魔剣使いの勇者としての力量を評価されてのことだろうが、それ以上に“大人数は必要ない”と判断されたからだ。

 

 『ベルゼルグ』の大貴族にして第一王女の護衛騎士であるクレアは、“隣国でひどい扱いをされるのではないか”と憂いても、“道中で遭遇した魔物に襲われる”ことに関しては心配していなかった。

 その理由は単純明快。

 過保護な側近が心配する余地もないくらいに強いのだ、アイリスは。

 事実、一団の兵が束になっても敵わなかった――

 

「――あ、あの、話を聞いてもらっても……いいですか?」

 

「はい。ぜひ聞かせてください」

 

 剣や槍が悉く折られ、動かなくなった騎士たちが死屍累々に転がっている。それらを倒れた順に宮廷道化師は訓練場の端へと回収していき、護衛のアクシズ教の『アークプリースト』に回復魔法を掛けられているという、見るも無残な光景に、レヴィ王子はとても聞き訳が良くなったようである。

 その前で、騎士一団を相手するのを“軽いウォーミングアップ”みたいに汗ひとつかかずにこなしたアイリスは、王子に向かってとてもにこやかに笑いかける。

 

「話を聞いていただいてありがとうございます! では……」

 

「待て! 俺は話を聞くとは言ったものの、支援してやるとは言ってない! 勝手に話を進めるな!」

 

 と屁理屈をこねて突っぱねてみせた王子だが……今、彼の身を護る兵はいないわけで。

 それから、向こうの護衛は紅魔族やアクシズ教徒ら“危険な人材”が揃っている。こんな納得できないいちゃもんをつけられては……王子であろうと身の安全は保障できないだろう。

 レヴィ王子は呻くように、

 

「……一割だ」

 

「えっ?」

 

 アイリスが訊き返すと、借りてきた猫状態であったレヴィ王子は“どうだ譲歩してやったぞ”と言わんばかりの声高に、

 

「一割だ! まずは一割。う、うむ、確かに今まで行ってきた防衛費の支援をいきなりやめるのも問題だからな。一割だけ継続してやろう!」

 

「そ、そんな! 一割では、とても……」

 

「田舎者の割には俺を楽しませたからな。これはあくまでその褒美だ! もっと金が欲しいというのなら俺を満足させるんだな!」

 

 けど、健気なアイリス第一王女はこれでめげない。

 

「わかりました! では、追加の騎士団をお願いします!」

 

 『ベルゼルグ』の王女は、支援金を出させるためなら無双達成も辞さない覚悟であった。

 

「違う、そうじゃない、誰が俺の部下への虐待を続けろと言った! 俺を楽しませろと言ったんだ!」

 

 この王女、調子に乗らせたら王国の戦力が全滅するんじゃないかと危惧してしまうくらいにとんでもなかった。

 そこで、アイリスは少し悩ましげに唸った後、護衛らの方へ振り向いて、呼びつけた。

 

「では、ヤシチ。こちらへ来てください」

 

 招集をかけたのは、宮廷道化師である。

 そう、宮廷道化師は別に王族に口出しすることだけが仕事ではない。むしろ本職は芸能である。

 その意を汲んだとばかりに王子王女らのところへ馳せ参じるとんぬらだった……が、

 

「あいわかった姫さん。宮廷道化師として王子殿のご要望にお応えして、一芸を披露すれば」

 

「私のお相手をしてください」

 

「何だと――」

 

 ただし、『ベルゼルグ』の場合は、“王女の相手”というのも含まれる。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 サファイアのような装甲の軽鎧に身を包んだ第一王女が、先祖伝来の宝剣を腰だめに構えた。

 そして、開始の合図もなく華奢な身体が、蒼き流線となって消滅し――直後、再び轟音が轟く。

 およそ10m分の間合いを超えた地点に出現した第一王女は、その細腕に似合わぬ豪剣を半ばまで振り下ろしていた。

 

「『エクステリオン』!」

「『アストロン』!」

 

 煌びやかな刀身を受け止めているのは、漆黒に染まる鉄扇。

 しかし近衛兵の剣とは違って、束ねられた短冊は真っ二つに折れ切られたどころか、罅一本とて入っていない。この武装に限定して、玉鋼化の支援魔法が施されているのだ。

 第一王女の超高速チャージからの上段斬りを、完全にガードしている。

 

 突貫した王女が常人を凌駕した尋常ならざるものならば、相手取る方もまた超人の域に達した存在である。

 

「姫さん、俺はこんなアドリブは頭になかったのだが……!」

 

「これは、レヴィ王子を楽しませるための演武です。私が存分に振るえるようお相手を務めてください」

 

 その王子は、あんぐりと顎が外れんばかりに大口を開けて呆然としているぞ。

 他国の兵を苛めるなと言われたからって、自国の者に刃を向けるんじゃない!?

 

「さては、姫さん。この機にこれまでの黒星の借りを返そうとか考えてるな?」

 

 鍔迫り合いながら、密やかな声で詰問すれば、ふふっと、愉し気な笑みを浮かべた。その瞳に“充実した戦意”が過るのをヤシチこととんぬらは見逃さなかった。

 

 渾身の斬撃をガードされた第一王女は、しかしそのまま遮る鉄扇を押し斬ろうとするかのように膂力と自重を剣圧に加えた。

 刃と短冊の接触点からオレンジ色の火花が断続的に飛び散り、足元の地盤が放射状にひび割れ、宮廷道化師の足が少しずつその割れた瓦礫に埋まっていく。

 

「『ベルゼルグ』の王族は、魔王軍に負けないことをアピールするためです! そのついでに、先輩と後輩の力関係をきっちりとしておきます」

 

「ああそうかい……! なら、その下剋上な宣伝は失敗するな、お転婆な姫殿下――!」

 

 圧力に耐えかね、地面に膝をついたかに見えた……その瞬間、道化師の腰に佩いた太刀が鞘走りの言葉そのままに独りでに飛び出す。道化師が抜いたのではない。彼が所持していた太刀が宙を舞い、峰に返して、王女の顔目掛けて襲い掛かったのだ。

 攻めていた第一王女は、この予期せぬ奇襲に顔へ緊張を走らせる。

 

「っ!」

 

 それでも、ベルゼルグ王族の血統は、迅速に反応する。

 アイリスは両手持ちから右片手持ちに宝剣を持ち替え、それから左手で鞘を取り、空を翔る太刀を捌く。

 しかし、このとき、膠着状態が破れる。

 

 大砲が発射したかのような轟音が辺りに突き抜けた。

 大きく弾き飛ばされたのは……不意打ちを対処したはずの第一王女。迎撃するために集中が削がれたのを逃さず、道化師の足元の影より、風が噴射。超爆薬を発火させて飛び出す弾丸の如き勢いで跳び上がり――そして、神器の宝剣は高々と跳ね上げられた。その、がら空きになった第一王女の胸元に、遠慮も容赦もなく宮廷道化師が飛び蹴りをかましたのである。

 それも直撃を食らう前に盾とした鞘に防がれたが、王女の驚きはそこではない。

 彼は白兵戦もこなせるけれど、本来は魔法を使って戦うタイプの職業。ならばこそ、詠唱させる隙も当てずに押し切ろうとしたのだが……今のは詠唱もなく、唐突に発現させてみせた。

 いや、正確には彼自身は何も唱えておらず、代わりにその足元の影に潜む何かが行った。

 あれは……?

 勝手に動き出した太刀と言い、これは“何か”がいる。

 その興味津々に探るようなアイリスの視線より、空から舞い戻ってきた太刀を納めつつとんぬらは嘆息を零した。

 

「一度で、新ネタの種に気づいたか。本当に芸人泣かせの目敏い姫さんだ」

 

 影が複数重なっている。

 彼自身の影が一際色濃いけれど、その傍に控えるよう色づいた影がついている。

 アイリスは冷ややかに訊ねる。

 

「それは、あなたの使い魔ですか?」

 

「大まかな分類となると使い魔に入るが、これは精霊から派生した幻魔なるもの。それを統べるのが、俺自身の特性に合わせた『天地雷鳴士』の固有スキルになる」

 

 名づけると『幻魔召喚(昇華)』。

 邪神ウォルバクと対峙する際、めぐみんを一時“大魔導士”へと変身させたように、性質を拡大解釈させる『龍脈』スキルがこれに働いている。

 

「古今、アイテムの術式構造に形なき霊を憑かせて、効果を発揮するマジックアイテムが存在する。例えば、悪霊に呪われた指輪なんかがこれに当てはまるな」

 

 魔道具屋で客商売するかのように、もしくは種明かしを求められた芸人のように語る道化師。

 

「そして、その技法を取り入れて、昇華させた幻魔たちの媒介とした。普段は影の中に控えさせているが、いざ表に現出させるには核となるモノが必要だからな。それで、この太刀に宿らせているのは、ケセランパセランから幻魔に昇華させた『バルバルー』」

 

 言って、今度は『退魔の太刀』を鞘ごと腰から取り外すと、足元の影より出てきた緑の影が掴んで――実体化。

 ズンッ、と道化師の傍に重厚な何かが着地した

 重々しい存在感を放つ緑色の肌をした鬼のような大男だ。身の丈2m近い――いや、未だにもっと膨れ上がってる印象すらある、筋骨隆々の巨躯。主より預けられた太刀を鞘から抜く、たったそれだけの動きで、周囲の空気がざわりと揺らめく。唖然と見ていたレヴィ王子は、ざわっと鳥肌を立てた。

 素人目にもわかるほど、これまで見てきた精霊とは比較にならぬ魔力が見て取れた。

 単純な、質が違う。

 もうこれは次元の問題だ。『エレメンタルマスター』が使役する精霊がナイフとすれば、この低級の精霊(ケセランパセラン)から昇華された幻魔は大剣を振るう剣士そのもの――それほどの差があるのである。

 

 ゾッと冷や汗がたどるのを感じながら瞬きするレヴィ王子の前で、あの第一王女は、思わぬことを尋ねる。

 

「私がお相手するのはその幻魔の方なのですか?」

 

「『バルバルー』で? まさか。そんなことはしない」

 

 レヴィ王子が安堵するより早く、また一度宮廷道化師は苦笑して、もう三つの得物に手をかけ、

 

 

「俺は、それほど姫さんを過小評価していない」

 

 

 と言ったのだ。

 宮廷道化師の足元より伸びる各々色づいた影法師は、するするとしなやかに伸び上がり、影の帯となってお側に控えるように渦巻く。

 そして、各色の影は、形代の得物を取った姿へと凝縮した。

 

 

「――雪精の『カカロン』」

 

 右手より『無双扇』を手放し、落ちた鉄扇を渦から吹雪いた青の影が包むように受け止める。そして、青い肌をした女妖精へ――

 

「――春一番の『クシャラミ』」

 

 左手が『銀のタロット』を懐から出すと、ふわっと宙に舞わせるよう渦から噴出した紫の影が掌握する。そして、紫の肌をした女天使へ――

 

「――鬼火(アクアウィスプ)の『ドメディ』」

 

 最後、『雷霆の杖』が腰の杖入れ(ケース)ベルトから滑り出し、渦から燃え盛る赤の影が天に掲げた。そして、赤い肌をした四本腕の神官へ――

 

 

 さ、三体――っ!?

 仰け反ってしまうレヴィ王子。見れば、あちらのベルゼルグ陣営も驚いている様子。

 『バルバルー』と合わせて、四体。騎士一団を相手にしても小手調べにもならないとはいえ、自国の王女相手に遠慮なしの大盤振る舞いだ

 

ぼっち娘(ゆんゆん)に気後れする、って……レベルは下がっていますが、奇天烈ぶりはますます盛んになってるじゃないですか、あの紅魔族の変異種は)

 

 観戦していためぐみんが愚痴るような内心を口に含む。

 通常、魔法使いや精霊使いの『エレメントマスター』が戦闘の最中に召喚し得る使い魔は一体きりである。よほどの術者でも二体か三体。それに特化した一流……ドラゴン使いの対極とも言われる魔獣使いの名門リックスター家は、グリフォン、ラミア、ケルベロス、マンティコア、ユニコーンといった上位魔獣を五体同時使役可能という噂を耳にしたことはある。

 だから、宮廷道化師が“精霊から昇華した幻魔を四柱四属性召喚できる”ということから彼の腕はどれだけふざけているのかお察しだろう。カズマのようにレベルダウンによってスキルポイントのボーナスがあろうとも、そのスキルを巧く操れるのは当人のセンスによる。里の中でも異才であるのは十分にわかっていた。わかっているつもりだった。

 なのに、

 

()()()、この四柱で姫さんをお相手いたそう」

 

 つくづくあの男は、想定の斜め上を行くらしい。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 到底信じられなかった。

 あんな“か弱い女子”の見た目で、あれほど無双の力を奮おうなど冗談が過ぎている。放蕩息子の素人目でも、格が違うのがよくわかる。なるほど、そうか、だからあの国の王族は魔王軍と真っ向からやり合えるのだと納得しよう。

 そして、天真爛漫に剣を振るう『ベルゼルグ』の王女はいま、仮面の道化師と凄まじい戦いを演じていた。

 

「『ブレス・ティンダー』!」

「効きません!」

 

 初級魔法を合成させて『火柱』を起こすや、王女は剣を振り抜いた。

 その横薙ぎの一閃は、空をも断つ横一文字。ゴオッ! と悲鳴のような風切り音を生じさせる衝撃波は、火の勢いをかき消すどころか、大地すらも抉り取る。

 

「『カカロン』、『風花雪月』」

 

 しかし王女と道化師の間を結ぶその剣閃の延長線上を粉塵散らしながら捲れ上がった地盤が、瞬間、凍土となって固められる。扇を持った青の幻魔によって。

 そして、王女は、ハッとその場から横跳び。

 紫の幻魔が、5枚のカードを引き出して、手裏剣術で投じたからだ。縁を銀で固められたタロットカードは、切れ味は鈍でも、風を巻きながら高速で回り、王女を囲うように弧を描いて――さらに、追尾する。

 

「『クシャラミ』逃すな」

 

 反射的に躱したかと思えば、幻魔の手繰る気流(かぜ)に乗り、地に落ちるどころか加速して、しつこく追ってくる。それもバチバチと帯電していた。それ自体が魔道具である『銀のタロット・塔』の雷撃効果によるものか。当たれば、そのショックで僅かに動きが硬直してしまうだろう。

 ならば、剣風でもって払う。そう王女は剣を構えるも、突然、乱視を患ったかのように空中を泳ぐカードが全てブレ、多数に分裂したように見える。一気に吹雪の如く増えた――幻。『銀のタロット・月』の幻惑効果だ。

 

「っ、それも効きません!」

 

 選定剣の鞘に施された装飾の宝石より光が瞬き、王女の目を覚ます。所有者を常に正常な状態に保つ神器がある限り、王女に状態異常は通用しないのだ。彼女の周りを漂う神器のオーラ――優雅にすら見える動きで揺蕩う守護を、破ることは叶わない。

 ただし、その効果が適応されるのは所有者に限定される。幻惑が消えても牽制に意識を割いて生まれた空隙を逃さず、

 

「足元注意だ。――『クリエイト・ウォーター』」

 

 『水のアミュレット』を握り締めながら放った初級水魔法は、気を取られた間に訓練場を水浸しにするほどの広範囲に地表を洗い流して、それを先程に横槍を入れたように扇を振るう青の幻魔が凍てつかせる。

 訓練場そのものを氷上に変えた。

 

「抑えろ、『バルバルー』」

 

 ――そこへ、滑りやすい氷上に囚われる下半身(あし)のない緑の幻魔が斬り込む。

 峰に返した太刀を、王女は咄嗟に剣を盾にして受けるが、足元が滑って踏ん張りがきかず、天性のバランス感覚でもって倒れこそしなかったが、たたらを踏んでしまう。

 

「詰みに入るぞ、姫さん」

 

 腰だめに構えた腕を突き出し、無詠唱で魔法を放つ道化師。不可視の魔力塊は、やじろべえのように体勢がふらついた華奢な少女の身体を吹き飛ばす。

 ただ魔力を固めてぶつけただけの『真空波』だが、その一押しで瀬戸際の王女は転倒してしまう。

 

「今だ、『ドメディ』、『ライトニングブレア』!」

 

 主人の合図に、それまで魔力を練っていた錫杖を振り下ろす赤の幻魔。青白い稲妻が迸り、転んだ王女を狙い撃ちに――

 

 

「――『エクステリオン』!」

 

 

 雷を、切った。

 勘任せに、我武者羅に、不安定な体勢から身を捻りながら繰り出した一振りは、雷切を為す。信じがたい素早さと才能が成し得る動作で、詰んだと思われた状況から脱してみせる。

 これはもう天晴としか言いようがない。完全に態勢を崩し、トドメの一手をこうも凌がれては、道化師も軽く頬を引くつかせた笑みを見せる。

 

 そして、素早く体勢を立て直した王女は、機を逃さず、守勢から転じる。

 

 

(私が、ちゃんと証明しないと――!)

 

 幻魔という強力な手足を指揮し、詰んでいくように攻めてくる。術中に嵌ってしまうのはそれだけこちらの手が読み易いということなのだろう。

 ――でしたら。

 王女の動きが変わる。基本的な、そう、王道な技を使い、圧倒的な速度と馬力でもって押し切るのではなく、トリッキーな動きで変化を取り入れる。

 

 電光石火――。

 電光や火打石の火花が飛ぶ速さとして活用されるこの文句だが、レヴィ王子がその瞬間目にしたのは、まさしく目に焼き付くほどに激しい“電光石火”の連続であった。

 場をかき乱して極寒を呼ぶ吹雪、風を纏い自由に空を泳ぐ魔法の札、聴覚を麻痺させるほどにちはやぶる雷霆。

 そのすべての迎撃の合間を縫いながら、王女は仮面の道化師へと肉薄し、立ち塞がる近接専門の太刀を持つ幻魔へと、その剣を手放した。国の宝物庫に代々大事に保管され、王族の証とも言えるその武器を飛び道具に使ってきたのだ。

 殺人的な速度で迫る投剣を幻魔は太刀で防いでみせたが、それを通行料代わりに制空圏を抜けた王女は“玉”への接近を果たす。

 

(よし、これで――!)

 

 嵐の如き幻魔の攻撃が止む。自滅を避けるために。懐に潜り込んだ王女を狙えば、召喚主である道化師も巻き込みかねない。台風の目のように、この間合いこそが安全圏。

 そして、余計な小細工を挟まない純粋な勝負ならば、自信がある。道化師の顔面(かめん)目掛けて、鋭いフックを撃ち放つ。

 

「ったく、ヤンチャだな姫さん!」

「逃しませんよ!」

 

 道化師は即座に身を躱すが、王女はそれに合わせて一歩踏み込み、斜め下から振り上げるアッパーカットを繰り出した。

 相手はさらに躱すが、頬を拳が掠め、赤い筋を残した。切れ味鋭い拳だ。

 そのままさらに足を踏み込み、至近距離の間合いから逃さず離さず、拳闘士さながらの連撃を繰り出していく。

 魔法使い職ながら宮廷道化師も大したもので、自らの身体に迫る凶悪な拳を踊るように致命傷は回避し続けた。

 瞬発的な筋力は王女の方が上であるも、道化師の右腕に付けた『星降る腕輪』の補助があって速さ自体はそちらが勝っている。それでも当たればワンパンKOの恐るべき拳は擦過するだけでも心胆を冷めるだろう。力で負けているために捌き切れずに押されていく道化師。

 

 このまま押し勝てる――かと思ったそのとき、相手もまた埒外な手を講じてきた。

 

「――『ドメディ』、撃て」

 

 密着した状況にもかかわらず、赤の幻魔に雷撃を命じる。咄嗟に王女は雷撃から逃れようと離れるも錫杖の照準はそれに釣られず道化師を指したまま。

 そして、杖先より稲光が伸びて主を叩いた。

 

 自滅か……いいや、違う。

 道化師の両手の人差し指と親指で作った三角形、そこに張られた高純度の魔力の篭められた水の膜。水源たる胸元の『水のアミュレット』より滾々と溢れ出るそれは混じり気のない、高貴で上質なもの。

 それが、幻魔より撃たれた雷を包み込むように受け止めていた。雷光が、固形物になったように空中に固定されているのだ。

 掴み取った魔法を錬成する『マホプラウス』。

 

 

「剣を手放した駄賃が高くついたな、『ウォーター・ライトニングブレア』!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――魔王軍と取り引きを結んでいるかもしれない。

 昨日の会議にて、彼はかなり高い確度で示唆していた。

 今日、直接王子らと(まみ)えて、なんとなく『エルロード』の事情はその推測に沿っているものだとわかった。

 魔王軍より、“『ベルゼルグ』が滅んだあとは『エルロード』を攻撃する、それが嫌なら手を組め”などと言われているのでしょう。

 そして、レヴィ王子が下した決断が、こちらと国交を断つというもの。

 

 だから、示さなければならない。

 『ベルゼルグ』の王族はとても強いことを。

 

 

「今の姫さんは丸裸の(キング)も同じ。そして、神器であろうと何事にも抜け道はあると知れ! これで今度こそ詰みだ。――『ゴールド・アストロン』!」

 

 幻魔との連携魔法から続けて、放つは黄金化の魔法。鋼鉄化魔法『アストロン』と同じだが、これは強制変化させる『モシャサス』のように相手にかけて、行動不能にしてしまうという派生応用。

 『ウォーター・ライトニングブレア』を食らい、体が麻痺するところに掛けられた。状態異常を防ぐ、鞘の神器を装備する第一王女であったが、これは厳密には呪いではなく、神聖魔法のような支援効果(エンチャント)の類。

 かかりが甘かったせいか一息に全身を黄金化することは叶わなかったものの、王女の腰から下は、ピクリとも動かせない金の像に成り果てた。

 

 これで、勝負はついた……かに思えたが、

 

「アイリス様!」

 

 傍で観ていたダクネスが駆け付けんとしたが、王女の身体より発する質量さえ感じさせるような戦意に衰えていないことに気付き、足を止める。

 どころか、魔力という蒸気を猛烈に噴きながら、少女は右手を前に突き出し、その手首を左手で支える構えを取る。先の攻防に、剣も投げてしまった。脚も鞘の守りを突破する黄金化されて動けない。だが、そこに恐れはない、あるのはただ純粋無垢な闘志だけだ。

 得物を失っても身動きができなくても屈さないその姿勢、これが演武であるのを忘れかけてるのではないかと疑わしいが、道化師は応じた。

 

「……はぁ、仕方がない。とことん付き合おう。だが、これで最後だ」

 

 其々の得物を一度己の手元へ戻し、幻魔を還す。これはこちらも渾身の技で応えるため。

 左で手にした鉄扇を全開に、両端が()くほどに広げて円形の鏡とするや、投げた。目前に放られた鏡を起点として、大きな魔法陣が張られた。

 

「――『カレイド・マジックゲイン』!」

 

 反射板(リフレクト)が、万華鏡のように魔力増強の支援魔法に組まれる。

 『リフレクト』と『マジックゲイン』の同時展開ではなく、合成発動。魔力暴走を反射させて、暴走率を跳ね上げさせ、かつ掌握するという荒業、絶技と称する他ない超高等魔術運用、『超暴走魔法陣』。

 

 

「我が炎会芸の究極灼熱奥義! さあ、登竜門を潜り抜け、昇華せよ! 『火炎竜』!」

 

 

 右手に風を。左手に火を。噛み合わせるように重ね合わせた両手より『火柱』が迸り、万華鏡の陣を通過するや、灼熱が形取った紅蓮の竜に化けた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 長くしなやかで強靭な身体が天に吸い込まれていくように、空へと昇っていく竜は、巨大で神々しい、まるで本当の生物のようだ。

 レヴィ王子は頭上を見上げ、ぽかんと口を開けていた。

 

 ……なんだ……これは……。

 

 言葉も出ないとは、まさにこの事だろう。王子は、おそらくその日一日のあらゆる出来事を一時的に忘却し、真っ白な頭で、ただ純粋に竜を見入っていた。

 

 これが、魔王軍幹部をも斃してきた宮廷道化師の魔法。竜をも創り出してみせるとは、なんという……。

 ここまで次元が違うのか。

 それこそ、こちらの騎士団を一人で降してみせた第一王女が超人であるのと同じように、あの仮面の男もまた同じ超人としか思えないぐらいだ。尋常ではない。伝奇の中に、放り込まれたような気分だった。

 

(っ、そうだ! あんなの人間には受けられない! いくら『ベルゼルグ』の王族にだって……!)

 

 いきなり配下に剣を振りかかった王女もアレだが、王族が相手でも容赦せずあんな強力無比な弩級魔法を放とうとする宮廷道化師もヤバい。下手すれば死んでしまうぞ!

 しかし、アイツは、紅魔族で、アクシズ教だ。他国の王族相手に“爆裂魔法をぶっ放す”などと脅しかけてきた少女と同じ紅魔族で、王族どころか女神(エリス)をも恐れぬアクシズ教の悪評(うわさ)を聞くに……やりかねん。

 

 止めねば――この騒ぎを止めないと――じゃないと、なんのために、あんな真似をしたのか意味がなくなってしまう――

 

 唾を飲み、“ここは俺の城だ”と三回ほど自分に言い聞かせてから、レヴィ王子は、

 

「ぉ、ぃ……っ! ゃめろ……っ!」

 

 けれど、喉が詰まったように口から出たのは、言葉にもならない掠れ声。あの場にいるわけでもないのに、体が臆している。とても情けないことに委縮している。

 見れば、真っ直ぐに伸ばそうとした手も震えて縮こまっていて――しかし、その時、指に嵌めた指輪が妖しく光る――

 

 この王子の頼りなく散った勇気は…………道化師にクリティカルヒットした。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 『カレイド・マジックゲイン』こと『超暴走魔法陣』は、非常に制御するのが難しい魔法運用である。

 それに加えて、『火炎竜』という合成魔法も展開している、この神業的な魔力制御を支えるのは、とんぬらの集中力。神や悪魔にも予測不能な奇跡を起こす『パルプンテ』を極めんと鍛えてきたその精神性からなるその集中力。

 でも、この大技を繰り出すのは、幻魔の現界を避けるくらいに難しい。

 そんなわりと余裕のない状況の最中に、唐突に発生したアクシデントに対し、アドリブの達人であるとんぬらは素で焦った。

 

 

 突然、(ズボン)の紐が解ける。

 

 

「んな!?」

 

 『白波の装』の、ベルト代わりに腰を厳重に締めていた黄色い帯紐がなくなったのである。ついでに縛っていた袴の紐も解けた。元々がゆったりとした作りの袴は締め付けがないと、すとん、と落ちてしまう。

 ――今はまずい。すこぶるまずい。

 神器実験でパートナーと入れ替わった際に、お漏らしで『ベルゼルグ』王国に黒歴史が載るかもしれないと危惧した時があったが、王女との試合中、()()()()で、袴が落ちたら、『ベルゼルグ』だけでなく『エルロード』に黒歴史を語り継がれかねない。

 

「ちょ、たんまだ姫さん!」

 

 盛り上がってきたところに水を差したくないが一大事だ。落ちかけた袴を反射的に掴まえ、そこで集中が切れてしまったせいか、待機状態だった紅蓮の竜は火の勢いが弱まったように薄らいでしまい、万華鏡の登竜門も空気に溶けて消えてしまう。

 そして、切羽詰まったとんぬらは制止を嘆願したのだが……――アイリスは必殺魔法の詠唱に集中していて気づかない。

 

 あ、これまずい……

 泰然とした仮面の道化師に、そこではじめて緊張が走った。

 一心に呪文を詠唱するアイリス王女の身体――清浄な蒼き軽鎧の表面に細やかな電流が走り、全身を彩るかのように火花と雷光がパチパチと弾けていた。魔力がぐんぐん練り上がり……同郷の天災児が爆裂魔法を放つ際の前兆が重なって見え、とんぬら、真剣に冷や汗を垂らす。

 

(ヤシチ……いえ、カンダタ。あなたになら、私の全力をぶつけても構いませんよね!)

 

 『それは時と状況による! 今は絶対ダメ!』と、アイリスの内心が聴こえればそう突っ込んだろうが、残念ながら念話(テレパシー)スキルを有していない。

 

 

「これが、『ベルゼルグ』王家に代々伝わる必殺魔法! ――『セイクリッド・ライトニングブレア』ッ!」

 

 

 真っ白な雷の刃が、爆音を轟かせて、風前の灯火と成り果てた紅蓮の竜へと放たれた。

 その稲妻、轟いた雷鳴は、エルロード王都中に響き渡ったろう。そして、雷神の鉄槌の如く、この王城内にある訓練場に落雷が突き立った。

 地震のような衝撃が走り抜け、疾走する白い稲妻に激突するやあっさり火炎竜は霧散する。純粋破壊のみを目的とする怒涛の如き閃光が竜を模った業火も一飲みで食らい尽す。そして、

 

 

「『隠し芸・龍の爪』――」

 

 

 原理とすれば先の『真空波』とほぼ同じ。ただし、今回は、ドラゴン固有の『龍脈』スキルが作用する。

 拡大させる媒介なしに、魔法としてまとめられぬ魔力放出に力を行使。対象がないために際限なく、栓を思いっきり開放したかのようにただただ力を溢れ出させてしまうために体の負担は爆裂魔法よりはましなものの大きい。

 だが、紅魔族の十八番『ライト・オブ・セイバー』のようにその五指より放出される“爪”は、『火炎竜』を払った白き雷光に先んじて振りかざされ――全身全霊を振り絞る秘拳が、腕に嵌めた『星降る腕輪』を最大限に作用させた超速で揮う。

 魔物を木端微塵に散らすオーバーキルな威力を誇る王家秘伝の魔法を、神速で閃いた“爪”の切っ先が抓み捕る。それでもなお対魔法繊維で編まれた振袖に電流を走らせながらも直進する雷光は、火事場の馬鹿力を発揮した(かいな)と鎬を削って、聴いたこともない奇怪な音を発した。

 それは、魔導の超常に屈した物理法則の断末魔であったか。切れぬはずの雷光が、断たれたのである。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「ストップ! ストーップ! これで終いだお前ら!」

 

「お、お兄様」

 

 沈黙するほどの驚愕が場を満たしている中、ぱんぱんと手を叩いて注目を集めながら第一声を上げたのは、カズマだった。

 徐々にエスカレートする伯仲とした試合であったが、流石にこれ以上はもう看過できない。訓練場がメチャクチャである。王城暮らしの時に、アイリス対とんぬらの模擬戦を観戦していたカズマでも、今回のは迫力があり過ぎた。

 というか、そもそも二人もこれ以上満足に戦えないだろう。

 アイリスは脚が黄金化されたままだし、魔力も今のにありったけを篭めた……とんぬらは重力に従いずり落ちそうになってる袴を、左腕で押さえながら大股開いて必死に踏ん張ってるご様子だ。紐を結べばいいのだが、アイリスの渾身の魔法を断ち切った右手が痺れて動かせない。それとも、また今度はズボンすら履かせないようにする呪いが作用しているのだろうか……

 

「……っ、……っっ!?」

 

(あれはもういっぱいいっぱいだ。声も出せないくらいにプルプルしてるし。早く何とかしてやらないと)

 

 兎にも角にも、アイリスもとんぬらも一歩も動けない。

 壮絶な試合の幕引きをしたカズマは、瞬きすら忘れて呆ける――その手に黄色い帯を握っているが気づいていない――レヴィ王子へ声をかける。

 

「おい、俺の妹の凄さがわかっただろうし、十分に面白いモノが見れたろ」

 

「は、はい」

 

 放心してるせいかとても素直に首を縦に振るレヴィ王子。

 そこで黄金化が解けたアイリスが神器を拾ってからタタタと駆け寄ってくる。

 

「お兄様、勝てませんでした」

 

「い、いや。よくやった、とんぬらをあそこまで追い詰めるとはさすがは俺の妹だ」

 

 とても残念そうなアイリスに、やや腰が引けつつカズマは励ます。

 

「あの、レヴィ王子。これで約束通り……」

 

「わ、わかった、支援金は増加する」

 

 意識が半ば戻ってきたレヴィ王子の言葉に、アイリス王女はぱぁっと嬉しそうにはにかんだ。が、王子の次の一言で笑みに翳りが差す。

 

「だが、あくまで増加するだけだ。そうだな、今の試合……試合だよな。それに支援金を一割五分に引き上げてやろう」

「そんな!」

 

 まったくこの生意気な小僧は。さっきの試合はお金を取れるレベルのものだぞ。あれが本当の実力者同士の勝負。

 正直、猛烈に感動している。これが、ファンタジーだ。キャベツが飛んだり、サンマが畑で穫れたりとふざけたこの世界で滅多にない真剣(マジ)なファンタジー。手に汗握り、ここが異世界なのだと強く実感できる。こういうのを夢見ていたのだこちらは。

 

「ぁ、ぁんちゃ……」

 

 おっと、感動に浸っている場合ではない。支援金の交渉も大事だが、こっちも一大事だ。

 食い縛った歯の隙間から漏れたような掠れ声を耳にしたカズマは、王子が依然と握っている黄色い帯を指差しながら、

 

「なあ、それ返してくれないか?」

 

「ん? ……なんだ、また妙なものを引き寄せたのか。ったく、また燃やして――」

「燃やしたら、今度はお前の手が燃やされかねないぞ」

 

 またも燃えるゴミに出そうとした、手癖と性根の悪い王子を嗜める。言っておくがこれは断じて冗談な脅しではない。

 

「は? 何を言ってるんだお前。別にこんなの誰も……」

 

 カズマは何も言わず、横へスライドした視線で示す。釣られて視界をその方へと向けたレヴィ王子は、心臓が止まりかけた。

 

「……ふぅっ! ふぅぅぅぅぅっ!!」

 

 ギラリ、と仮面の奥の双眸を真っ赤に滾らせるとんぬら。瞳孔も開いており、マジで怖い。竜の逆鱗に触れるのはどれだけ命の危機なのか本能でわかろう。

 

「わかったな?」

 

「ま、ままま待て! 俺のせいじゃない! 指輪が――そう、この宰相が見つけてきた指輪のせいなんだ! こっちだって全然外せない指輪に困ってるんだ! 今朝も妙なものばかり掴まされるし……」

 

「グウゥゥウウ――!!」

 

「ひぃぃぃぃっ!?」

 

 獣じみた低音の唸り声を上げ始めたとんぬらに、レヴィ王子は半泣きなのを隠そうともせず、カズマの背に隠れるようしがみついた。

 

「ドウドウ、とんぬら、落ち着け。――王子も余計な刺激をするな。あの仏のとんぬらがマジで切れる寸前だぞ。いいから、それを返せ」

 

「わかった、返す、返すから、ちょっとあれをどうにかしてくれ!?」

 

 王子が丁寧に折り畳んで返却された帯を受け取ると急いでカズマはとんぬらに返した。

 そのころには腕の痺れも取れているようで、深呼吸をしてから、しっかりと紐を結んで帯を巻いて袴を腰に締めた。

 

「助かった、兄ちゃん、本当に大ピンチだった。あんな土壇場で()られるとは思わなかった」

 

「大丈夫だとんぬら、お前の尊厳はギリギリで守られた」

 

「そうか、よかった……よかったぁ……」

 

 ……後ろから見るとやや半ケツが出かかっていたことは言わないでおいた。

 向こうで、アクアはどんなに変態な信者でも優しく見守る慈愛の目をしており、ダクネスは同士の勇姿に当てられ興奮してるようにちょっと息が荒げていて、そして、めぐみんは蔑むように目元を引くつかせて同郷の少年を見ている。

 ああ、誤解が加速しているようだ。これを修正する労苦を考えると、ほろりと涙が出そう。せめて『アクセル』に帰る前には正せるよう、誤解を解くのを協力しようとカズマは思う。

 

 とりあえず、これでひとまず危機は脱した。

 

「お願いします! せめて二割で!」

 

「ダメだ、しつこいぞ!」

 

 向こうではアイリスが賃上げを王子に迫っていた。あれほどの激闘の後だというのに元気な、むしろ昂っているアイリスの勢いに、気圧されながらもレヴィ王子は屈しなかった。

 生意気な子供でも王族の矜持とやらを持ち合わせているのか、意外に根性だけはあるのかもしれない。こちらを田舎者だと下に見ているのもあるだろうが……

 

「ヤシチ、では、もう一度!」

 

「絶対に御免だ姫さん」

 

「王都の大聖堂で結婚式を挙げさせてみせますから!」

 

「だから、式場選びは気が早過ぎる」

 

 とんぬらに再戦を要求するも却下された。今のでも一割もいかず五分ほどしかあげられず、これでは“あんな危ない橋”をいったい何度渡ればいいのやら。労力と報酬が割に合わない。

 

 ならば――

 

「それなら俺と勝負をしないか?」

 

 そこだけは一丁前な王子のプライドをくすぐるように持ち掛ける。

 このカズマの行動に、アクアやめぐみんが怪しむも、そこは同じく怪しみながらも打開策があるのだろうと期待半分のダクネスが抑え役に回り、何をしでかすかわからない問題児二人をとどめてくれている。

 

「だ、誰がこれ以上お前なんかと――」

「おっと、勘違いするなよ? 妹にすら勝てない相手に、“お兄様”である俺が戦闘関係の勝負をすれば、この国の騎士連中じゃあ相手にならない。言っておくが、俺はとんぬら…宮廷道化師にも勝ったことがあるぞ」

 

 うん、運勝負(じゃんけん)で負けたのは確かだ。

 

「ああ、兄ちゃんに負けた。あれはとても勝てそうにない」

 

 “それは本当か!?”と驚く王子がとんぬらを見やるが、そこは事実であるので首肯を返した。

 これに王子、ゴクリと唾を飲み込む。きっと彼の頭の中では、

 自国の騎士<隣国の王女<宮廷道化師<お兄様こと隣国の王子(カズマ)――というような構図が出来上がっていることだろう。

 

(あの紅魔族で、アクシズ教な……王族や女神をも恐れぬ宮廷道化師よりも上だと……!!?)

 

 内心恐れ慄く王子……その脇でアイリスが“いきなり何を言いだすんだこの人は”という目をカズマに向けている。これにカズマは軽く傷ついたのだが、それは表に出さずに話を続ける。

 

「俺が言う勝負というのはゲームの話だ。お前もカジノ大国の王子なんてやってるんだ、賭け事が好きなんだろ?」

 

 ゲームやギャンブルと言った行為に目がないレヴィ王子。そもこの国『エルロード』の成り立ちからして、カジノが源なのだ。だから、この誘いは乗ってくるはず。

 

 アイリスもとんぬらも凄まじかったが、アプローチとしては及第点を与えられるかどうかと言ったところ。圧倒されただろうが、王子を置いてけぼりにしてしまったことはいただけない。

 同じ(テーブル)の席につかせることが肝要なのだ。

 

「俺にゲームで勝負だと? 勝ったあかつきには支援金を増額しろというつもりか?」

 

「そういうことだ。ギャンブルには勝負に勝った後、“ダブルアップ”ってやつがあるだろ? 俺とそれをやらないか?」

 

 ………

 ………

 ………

 

 ――結果として、王子はその“うまい話”に食いついて、支援金は二割となった。

 

 カズマが提案したのは、 コイン当て。

 

「……つまり、純粋なギャンブルで勝負する気か? バカか貴様は? もう取り消しは効かないぞ」

 

 “百エリス硬貨がどこにあるのか当ててみろ”と握った右手左手を前に突き出し言うカズマに、レヴィ王子は可哀そうなものを見る目を向ける。

 とんぬらは可哀そうなものを見る目を密かにレヴィ王子へと向ける。

 

「そういえばお兄様は、類い稀な豪運の持ち主でしたね! なるほど、それなら……!」

 

「……なに?」

 

 それから、清々しいほど卑怯である。

 とんぬらは、見逃さなかった。両手のどちらかと二択を迫るポーズを取っておきながら、その実、ズボンの後ろポケットにコインを滑らせたのを。

 

「こっち……、いいや、こっちだ! こっちの拳に決めた!」

 

「残念! ハズレー!」

 

「くっそおおおおおおお!」

 

「やりましたねお兄様! これで二割! 二割です!」

 

 なんて出来レースだ。王族二人をこうも黙くらかすとは、兄ちゃんの方が道化師に相応しくないかととんぬらは思う。

 

「たかだか一回勝ったぐらいでいい気になるなよ? お前達と違い、俺は一度でも勝てればいいんだ。精々明日からは気を張ることだな!」

 

 どうせまた明日も支援金をせがみに来るんだろ、と拗ねたようにそっぽを向きながら王子は、

 

「おい、明日からは護衛はひとりだけにしろよ! ダスティネス家の娘、それから紅魔族とアクシズ教は連れてくるな! そして、絶対に宮廷道化師はダメだからな! 絶対に!」

 

 とまあ、カズマ兄ちゃん以外は、出禁を要求された。とんぬらにいたっては、再度通告するほど敬遠されてしまっている。

 

(なんか王子の相手は兄ちゃんに任せた方が良さそうだな)

 

 これは案外トントン拍子で支援金の方は回復しそうだなと皮算用を始めるとんぬらは、素直に要求を呑んだのであった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ドラゴンの血肉は食べるとステータスを上げる効果がある高級食材に指定されているが、あまり人気はなかったりする。

 なんせ硬くて臭い。最強種の一角であるドラゴンの身体は筋肉に覆われていて脂肪などほとんどない。

 

 昔にエンシャントドラゴンの討伐に協力して、ドラゴン肉を大量に手に入れたことがあってその(こと)をよくしってる。

 ライバル(めぐみん)に勝つために! と意気込んでチャレンジしたけど、最初のただ焼いた肉は食べるのが大変だった。ステータスを上げようと頑張ったけど、あまり口にしたくはない苦い思い出に……なるはずだったけれど、

 

『魔獣の肉は、大抵どれも脂肪が少ない。だから、ひと手間加えるんだ』

 

 サバイバル生活経験者のとんぬらは、魔獣の肉の扱いもお手のものだった。

 料理好きだったというご先祖様・初代神主著の料理本を丸暗記しているというとんぬらは、結構料理の方にも精通してたりする。牛乳に魔獣の肉を漬け込み、筋を切って叩く。それだけで、先日噛み切るのに苦労したドラゴンの肉が、霜降り肉に負けないお肉に変身した。

 あれは、魔法のようであった。

 何でも、牛乳は肉の繊維を柔らかくし、臭みを取ってくれる効果がある。そして、脂肪交雑……“サシ”と呼ばれる赤身に含まれる脂が少ない肉に後から脂身を追加してやるのも定番の技……だと『悟りの書』に記されているのだそうだ。

 

 これに、とても感銘を受けたゆんゆんは、それからドラゴンを美味しく食べられるように勉強した。

 

 

「すまない、ゆんゆん。飯を作ってくれないか。その……歓迎会で食いっぱぐれて、腹が空いててな」

 

「うん……! まかせてちょうだい」

 

 拠点とする宿に戻ると人差し指で頬を掻きつつそうお願いしたとんぬらに、ゆんゆんは胸を叩いて応じた。

 彼が望むのならいつだって手料理を振舞おう。その……今朝のことがあって色々顔を合わせづらくもあるけれども、しかし久方ぶりに彼にご馳走できるのは嬉しくもあるのだ。

 そう、期待だってしていた。

 この外交の際に、とんぬらの下がったステータスを前以上に復活させてみせると意気込んで買い占めたドラゴン肉を乗り物の荷台に載せていたりする。

 

 ちょっと待っててね! と宿の厨房を借りて、早速調理に取り掛かる。

 筋を切り叩いた後、フォークで満遍なく穴を開け、そこに白毛牛の牛脂をすり込んで、焼く一時間前からすりおろした玉ねぎに漬け込む……こうすると牛乳に漬け込んだ時よりも柔らかくジューシーになる。ゆんゆんこだわりの味である。

 

「はいどうぞ、とんぬら」

 

 いただきます、と手を合わせて、それからとんぬらは、すぐフォークとナイフを取り、出されたドラゴンステーキをぱくりといただく。

 

「うん、美味い!」

 

「ふふっ、お粗末様」

 

「里を出てからいろいろとあったが、獣肉の扱いが凄く上達している。味も食感も最高だ!」

 

「もーっ、そんなに褒めても何も出ないわよ~」

 

「お世辞じゃないぞ。本心を言っているだけだ」

 

 味わようによく噛み締めていただくとんぬらの様子をよく見たくて、隣ではなく真正面に座って自分の分も食べ始める。

 一口噛んで、納得いく出来栄えに、うん、と頷くとゆんゆんは……少し気になったことを尋ねた。

 

「……もしかして、とんぬら、今日の宴で、私に気を遣って何も食べなかったの?」

 

「別にそんなことはない。交渉の問答やら姫さんからの無茶ぶりやらで、皿の料理を頂く暇がなかっただけ――」

 

 チリーン。

 とんぬらの言葉に、食堂の入口あたりから何かが鳴った。

 それを聞き、視線をその方へ向けると……第一王女´(とんぬら)がベルゼルグ国を出立する際に忠臣クレアが積んでいたいざという時のための魔道具のひとつであるウソ発見器の魔道具……を持っためぐみんが立っていた。

 

「めぐみん……」

 

「おっと、ついうっかり魔道具を作動させてしまったみたいです」

 

 わざとらしくすっとぼけたことをいうめぐみんであったが、とんぬらは口をもごもごとするだけで何も言えず、

 

「私は宴でたらふく食べてきましたので、どうぞバカップルらしく憚りなく食事していてください」

 

 言って、めぐみんが退場。彼女が人払いをしていたのか、先程からこの食堂によるものはおらず、現在二人きりである。

 

「まあ、ゆんゆんが気にすることじゃない……ただ、王宮暮らしの食事は飽きたからな。飽きが来ない料理が恋しくなっただけだ」

 

 なんて、口達者な彼らしくない物言いでゆんゆんに言って、以降、とんぬらは黙々と手料理を口に運ぶ。

 場は沈黙してしまったけれど、少女は両手を頬に添えてないと崩れてしまうくらいにふにゃけた表情……溢れるくらいにとても満ち足りた想いだった。

 

 

 あの交渉の場で、密やかにもうひとり、姿を消し、音を消してついていた者がいた。

 ゆんゆんである。

 『仮面の紅魔族』という警戒させる“囮”を用意して、交渉の場において、ひっそりと透明・無音の結界を張って潜むゆんゆんが、ウソ発見器をもって反応探っていた。

 

 

 そして……

 『魔王よりも、エルロード王族に忠誠を誓っている』と踏み絵をやらせた結果――チリーン、と宰相の応答が引っかかった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 何か引っかかるものを覚える。

 二割の支援金を出すことになったのは……まあいい。負けたのは歯痒くもあるが、次に挽回すればいいのだ。こちらは一度でも勝てれば、チャラにできるのだから。最悪、支援金が元通りになることになっても、構わないのだ。『ベルゼルグ』が、魔王軍に攻勢に出るための支援をしなければいいだけのこと。

 

 気にかかるのは、そんな国の舵取りの事じゃない。もっと個人的な事だ。

 

『婚約破棄はちっとも構いません。ですが、支援を完全に断たれては……!』

 

 この発言。これ、本気でまったく未練がなさそうな声色であった。

 元々親が勝手に決めた婚約だからそれも仕方ないのだろうが、しかし、こう……もっと何かないのだろうかと思ってしまう。自身に王子であること以外に魅力がないことは重々承知しているにしても、つい……

 

 まさか、誰か好いているものがいるのだろうか?

 

 推理する。あちらの中で、元婚約者である第一王女が最も親しげであったのは、あの冴えない男……ジャティス第一王子だ。これは、兄妹だからだろう。彼女が向ける親愛の情は家族的な類であるはず。

 だったら、昨日いた魔剣使いの勇者ミツルギ・キョウヤか。

 いいやそれもない。親しくはしていたが、特別深い関係という感じでもなかった。

 

 だとすると、あの宮廷道化師だろうか?

 

 王女が言い包められそうだった宰相との交渉も庇っていたようだったし、まさか密かに――いやいや、それはない。あんないきなり剣でぶった切ろうとする……待てよ、もしかするとああいう決闘がベルゼルグ流の過剰な愛情表現だったりするのだろうか?

 あの国は代々強者の血統を取り入れて、王族の力を強くしているという噂がある。だから、ああして勝負して鍛えていくことで相応しい男にしようという考えがあったりするんだろうか。

 紅魔族というのは血統的に優良な魔道の才を秘めているというし、王族の相手になる資格はある……うん、道化師もなんか王女に対し気安かったし、歳もだいたい同じ。

 それに、第一王子(カズマ)のことを“(義)兄(アン)ちゃん”などと呼んでいたし――

 

(っ! そういうことなのか!)

 

 思い出す、あのやり取りを。

 

『王都の大聖堂で結婚式を挙げさせてみせますから!』

 

『だから、式場選びは気が早過ぎる』

 

 あれは……あの此方が婚約破棄を突き付けてから、出たこの言葉は、まさか“隣国エルロード王家(こちら)との婚約が破棄されたから、大々的に祝えるようになった”という事なんだろうか。

 王女が婚約のための式会場に意気込む理由なんてそれしか思い浮かばない!

 

「……うん、別に……俺はあんなやつのことなんかこれっぽっちもこだわっちゃいないし、脳筋同士でお似合いだろうさ……」

 

 自分で言っておいて、それがとても虚しい響きに聴こえた。

 こう、無性に……沸々と胸の奥から出てくるものがある。

 

 ――宮廷道化師(アイツ)に一杯食わせてやりたい、という王子の負けず嫌いが。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 真空波:ドラクエに登場する格闘スキル。風系の全体攻撃。力を溜めてから、クルッと回転して放射する、などモーションは各キャラ様々。ドラクエⅧの裏ボス竜神王の人間形態も多用する。

 このすば世界でも、無詠唱で魔力の塊をぶつける術はある模様で、ウィズも行っていた。

 龍の爪:ドラクエⅩの漫画『蒼天のソウラ』に登場するオリジナル技。『ドラゴンスクラッチ』。無詠唱無手の速攻可能で、勇者の必殺剣であるギガスラッシュと同等以上の威力を誇る。ただし、MPだけでなくHPすらも力として吸い上げるために体にかかる反動は相当大きい。

 

 火柱:ドラクエに登場する特技。天地雷鳴士が覚える。

 作中では、『ティンダー』+『ウインドブレス』

 火炎竜:ドラクエモンスターズより登場する特技。火柱系の特技の最上位。灼熱のブレスと魔法の力で生まれた竜が敵全体を焼き尽くす究極灼熱奥義。麻痺効果もある。

 

 超暴走魔法陣:ドラクエに登場する特技。『暴走魔法陣』の倍の確率50%で魔法を暴走させる上位版。自身だけでなく、陣に入った他のパーティメンバーの魔法にも作用。ただし展開時間は短くなっている。器用さに比例して暴走率は上昇する。

 作中では、『リフレクト』と『マジックゲイン』の合わせ技の『カレイド・マジックゲイン』。

 

 ゴールド・アストロン:ドラクエⅪに登場する敵ボスオリジナルのオーブ技。魔王の幹部が分け与えられたイエローオーブを用いて発動する、もしくは魔王が使用。『アストロン』の黄金像バージョンで、味方にではなく敵に作用するという仕様。黄金化すると攻撃はできないし回復も一切受け付けず、しかも悪い状態異常でないために『勇者の剣』の道具効果(味方の状態異常回復)でも回復できない。

 

 幻魔召喚(昇華):ドラクエに登場する特技。天地雷鳴士が習得する、精霊よりも強力な使い魔、幻魔を召喚する。出てくるパターンは、四種。この幻魔四天王の設定は、キャラバンハートに出てくる。

 作中では、召喚ではなく『幻魔昇華』。めぐみんを『大魔導士降臨』した時と同じ要領で、『龍脈』スキルで精霊を上位の幻魔に昇華させる。

 

 幻魔の種類。

 カカロン:青い肌で妖精のような羽をもつ女性型。キャラバンハートでは、水の精霊からの派生。

 特技構成は、回復魔法《ベホマ》などが使える回復系だが、AIは超脳筋。モンスターズでは体力満タンのキャラに回復魔法をかけたりすることもしばしばあるどこか残念な使い魔。

 作中では、雪精が昇華された幻魔。

 

 バルバルー:大剣を持った緑の肌の屈強な男性型。キャラバンハートでは、地の精霊、もしくは風の精霊からの派生。

 特技構成は、剣技系が多い物理アタッカー系。

 作中では、ケセランパセランが昇華された幻魔。

 

 クシャラミ:大きな羽の生えた紫の肌の踊り子型。キャラバンハートでは、火の精霊からの派生。

 特技構成は、踊りや歌が多い支援補助系。

 作中では、春一番が昇華された幻魔。

 

 ドメディ:四本の腕を持つ赤い肌の神官。キャラバンハートでは、バルバルーからの派生。

 特技構成は、魔法攻撃系。

 作中では、アクアウィスプ(このすば特典ゲームに登場する鬼火)が昇華された幻魔。

 

 恥ずかしい呪い:ドラクエⅪの縛りプレイ。主人公が戦闘中に偶に起こる1ターン休み(はずかしい)呪い。

 今回はその一例。ぱんつのゴムが突然緩んで、体が動かない((ズボン)の紐が突然解けて、体が動かない)。




誤字報告してくださった方ありがとうございます!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。