この素晴らしい願い事に奇跡を! 作:赤福餅
神社という建物。紅魔の里に建つ、教会とは違うが教会のようなもの。そして、そこに勤める神主一家は、紅魔族の最終兵器と呼ばれている。
……でも、その奇跡魔法が活躍したのは昔の話で、今では記録帳で書かれたことしかわからない。
紅魔の里の観光名所のひとつである猫耳神社。
夕日に赤く染まる社前の庭で、ただひたすらに鉄の扇子を手に持ち舞い続ける少年がいた。祭り時では賑やかな場所だが今は違う。庭には少年以外に人影はない。
しかし、少年はひとりではなく、彼の与り知らぬことであるが、庭には少女がいた。
暇つぶしの玩具代わりにしてた賽銭箱のパズル状の錠を弄りながら、その賽銭箱の陰から彼を見続ける。
素人目にもわかるくらい少年の舞いとやらはてんでダメであった。それもあたりまえの話だ。手にしている鉄扇は5、6歳の子供が振るうには重いし、また開いたり閉じたりするのには指先の器用さが必要で、彼にはまだ自在に操る技術もない。ただ、がむしゃらに跳んだり振るったりするだけだ。舞などとは呼べない。ろくに休憩も取っていないため、体力もとっくに限界を超えている。
それなのに、少年はかれこれ三時間も踊り続けている。少年がどうしてここまで懸命に芸事の鍛錬とやらをこなすのか、少女も知らないし、まだ幼く、神に仕える意識がよくわかってない少年自身もそれをはっきりと言える理由はなかったりする。
ただ、何というか、この時はムキになっていたのかもしれない。祭りで親が奉納するのを見て見様見真似でやってみようと思った。それで一度やり始めたのだから、やり切るまではやめない。それだけなのだ。
――それを、とても綺麗だと感じた。
あれは無駄だ。できないと自分でもわかっているはずだ。自分なら始めから無理な事はしない。挑戦する姿勢に意味があるなんて思わない。
……なのに、なぜ、彼のことを“羨ましい”と思っているのか?
いつしか賽銭箱のパズルを弄る手は止まっていて、彼を見ることに意識は注がれていた。
幾度目かわからない踊りを失敗した少年は、疲労からステップを踏み間違え、地面に転がり落ちた。
「あ……」
少女から声が漏れる。
転んだ際に鉄扇を持った手首をひねったらしく、右手を抱えながら苦痛に顔をゆがめる少年。
しばらくの間、そのまま動かなかったが、やがて何事もなかったように立ち上がった。
そのまま平然とした顔で歩き始め、舞台と定めた庭に印をつけた最初の定位置まで戻る。意地を張ることが当然といったその姿から、まだ踊りを続ける気なのが見て取れる。
『怪我するまでやるなんて馬鹿じゃないんですか』と悪態をつきながら、賽銭箱の裏から立ち上がる少女は、その姿を見てしばし呆然とする。
あの愚か者は、なんでまだ続けるのか、と。
これ以上、怪我をしないよう止める人は誰もいないのか? そう思って周囲を見回すも、目の届く範囲に人影はない。次にあの少年が失敗したときには、動けないような怪我をするかもしれない。
あれはきっと、立てなくなるまで続けるに違いないと思った。
止めよう、そう思い、少女は少年に向かって歩き出す。
「あなた、怪我してるじゃないですか。いい加減に、やめたらどうです」
沈む夕日に赤く染まった庭に、少女の言葉が鈴の音のように響いた。
突然聞こえて来た凛とした少女の声に、練習に没頭していた少年は不思議そうな顔をしつつ振り返り、それからむっと顔を顰めた。
赤い夕日の中でも赤く光っているとわかる目をした少年は、整った顔立ちをしていた。
少し周囲を見回した後、まっすぐ少女の方を向いてから、子供のような仕草で首をこくんと縦に振る。
「そうですね。いつのまにか結構な時間になっているみたいです」
丁寧口調だが事務的。単に事実だけをそのまま飾り気なく口にする、そういうリアリストな少年の性格が現れている。
「それであなたはどうして、賽銭箱の後ろから出てきたんです? まさか賽銭泥棒ですか?」
少年は、実に現状を把握し、推理していたのだった。
「違います。ここにあるパズルのおもちゃで遊んでただけです」
「それはオモチャではなく、賽銭箱の錠です。勝手に弄らないでください。納めているお布施が出てしまうじゃないですか」
「外に金庫を放置しているのは取ってくれと言わんばかりに不注意です。宝箱も同然ですよ」
「金庫でも宝箱でもなく賽銭箱です。それであなたはやっぱり賽銭泥棒なんですね?」
「人を泥棒呼ばわりするとはなんて無礼な」
「状況的にそう呼ばざるを得ないでしょうが」
段々と応答するうちに丁寧調が剥がれていく少年。元々、同年代っぽさそうだからそんな遠慮は無用だとか考えてきたのか。また客人でないものに礼を尽くしてもしょうがないだろう。
そして、少女は大物だった。
「そんなことよりもあなたは右手の怪我のことを考えたらどうなんです? 自分のことも管理できない人間が、他の管理面について口出しできると思うんですか?」
そう指摘し返す。
痛い所を突いてるようで的外れのような文句に盗っ人猛々しい奴だと少年は呆れてしまう。
「わかったわかった。盗賊にも三分の理とも言うしな。今回は未遂のようだし、見逃してやってもいいが、再犯をやらせないためにも事情を話せ」
「いきなり何なんですか?」
「相談に乗ってやると言っているんだよ。あんた、ここがどこなのかわかってないのか?」
「わかりません。私は神聖な遊び場を求めて偶々ここに行き着いただけですから」
「そうかい。ここは、神社……そうだな、教会の懺悔室みたいなお悩み相談所だとでも覚えておくといい」
「怪我をしたのに意地張る管理能力不足なあなたにこの私の崇高な悩み事の相談に乗れると思うのですか」
「はいはい。怪我の治療すればいいんだろ。あとで家に帰ったらやるから話せ。じっと人のこと見てたんなら、何か言いたいことがあるんだろ」
随分偉そうなやつだなと思いつつも、話を聞く姿勢を取る少年。
指摘された点もあって、少女は口を噤んだ。彼女としてはこの相手にだけは、自分が彼の練習光景から目を離せなかったのだという事実を知られたくはなかった。その事に踏み込まれると、自分でも認めがたい決定的な何かがはっきりしてしまう、そんな気がしている。
少年としても人に見せられない下手なところを見られたわけだから恥ずかしいやら、やるせないやらを色々抱え込んでたりするのだが、それを誤魔化すためにもこうして話を振ったわけである。
「それともなんだ、あんたは大した用事もないのに人のことをじっと見ていた物好きな奴なのか?」
一向に返事がないので、少年は再度はっきりと訊ねた。
少女は、ふいっと目線をそらす。どう答えたものかと色々思案したが、ふと思いついた。
それは少女の頭に焼き付いて離れない、ひとつの悩み事であった
「どうしたら巨乳になれると思いますか?」
「………」
少年、天を仰ぐ。
年齢的にも彼にはレベルの高い相談であった。
「……なあ、あんた、俺と同い年くらいだろ? なんで今からそんなことを心配しているんだ。そういうのは大人になれば成長するもんじゃないのか」
「『うちは代々慎ましい体の家系だから、あなたも早めに諦めるのよ』と最近お母さんに言われたんです」
「そうかい……」
何にも言えない少年に、少女ががっかりしたように、
「何ですか。折角、悩みを打ち明けてあげたというのに何にもできないんですかあなたは」
まあ、しょうがない。魔法も使えなさそうな少年に打ち明けた自分が悪い。でも、自分は諦めない。最後まで、絶対にあきらめない。この想いは少年の頑固として諦めない姿勢に触発されたかもしれない。
そして、内容はとにかく望みを捨てないその姿勢にどうにか応えてやりたいと思った、リアリストのようでロマンチストな性分として“諦めろ”なんて単語は口にしたくない少年は、うんうん、と唸りながら、それを呟いた。
「そうだな、確かに俺には無理な相談内容だ。……でも、気休めかもしれないが、神頼み、したらどうだ?」
「神頼み?」
首を傾げる少女に、少年はひとつの方角を指差して言う。
「あそこにうちの神社が管理する女神を封印する墓所があるんだ。そこでお参りすれば、その望みを叶えてくれるかもしれない」
困った時の神頼みである。
とりあえずくれた情報なので明日にでも試しに行ってみるかと少女が頭の中で思ったところで、少年が注意を入れる。
「でも、あんまり変なことはするなよ。さっきアンタが弄っていた賽銭箱の錠のように、女神を封印するパズルがあるが、絶対に触るんじゃないぞ。いいな?」
よし、やろう――少女は心に決めた。
少年がこうも厳重に注意するのだからきっとそこに宝があるに違いない。ここにあった宝箱(賽銭箱)のようにお金か、金目のものがあるのだ。
そして、少女が邪神の墓のパズルを解いて現れたのは、漆黒の獣と――――紅の運命だった。
『『エクスプロージョン』――ッッ!!』
♢♢♢
「『エクスプロージョン』――ッッ!!」
不動要塞『暗黒の魔人』の右腕が、常より魔力を篭められた爆裂魔法により瓦礫と化す。
「へっ……! お互い片腕同士仲良くヤろうぜ! オラァ!」
爆炎の号砲が轟くのを合図に、魔王軍が全軍突撃。
砦の分離した左腕は大悪魔に抑えつけられ、魔物たちは両腕の防衛網を抜けた。
「さっき洪水をぶっかけやがったアマ出てこい!」
「テメェのせいで俺達の陣はメチャクチャだ!」
「しかも、聖水とかふざけてんのか!」
(聖)水浸しとなった陣は捨て総勢で襲い掛かる魔王軍。背水の陣の気迫は凄まじい(青い髪の『アークプリースト』は砦に篭って、悲鳴を上げながら後方支援に精を出す程)。
殺気に目をギラつかせ、ほとんどまともな陣形を組まず、砦へと殺到する。
されど、こちらも負けてはいない。
「爆裂魔法を撃った直後で魔力回復には時間がかかる! 今のうちにやってきた魔王軍を叩くぞ!」
砦から冒険者・王国兵ら防衛軍が打って出る。迎撃機能に頼らなくても、砦自体は頑健な造りをしているし、集っているのは魔剣使いの勇者を筆頭に高レベルの猛者たち。
一撃必殺の爆裂魔法が牽制とならなければ、数が多い魔王軍の精鋭であろうと負けない(国一番硬い『クルセイダー』が先陣を切って、(嬉しい)悲鳴を上げながら皆の盾となりその勇ましさに士気を盛り上げている)。
そんな最後の決戦が始まったとき、カズマは与えられた自室の前でウロウロしていた。
恩人を敵として戦う。その一事だけで、人の心は千々に乱れる。
もし、自分も同じ状況になったら、と考えてみる――が、無理だった。
カズマは頭を振る。
多分、一般的に見ても、自分は幸福な世界で幸福に過ごしたのだろう。
……それはつまり、今のめぐみんの心を察するなど自身には無理だということ。賢しげに慰めようとするよりは、むしろ黙っているべきなのかもしれない。
というよりも、ただ黙っているだけでも十分堪える。
だからって、踵を返して逃げ出すわけにはいかない。どういうわけかめぐみんのことを任されてしまったのだから。
(こう、重い雰囲気は苦手なんだよ、今までの人生が軽かったから! アクアもダクネスも勝手に俺に任せて行っちまったし!)
先ほどの爆発音。
自分のものでないにしても、爆裂魔法の轟音を紅魔族随一の天才な『アークウィザード』が聴き間違えるわけがない。爆裂ソムリエを自負しているカズマも、90点以上の高得点をあげてもいいほど洗練された爆裂だった。
でも、めぐみんはこの急な展開に心の準備が間に合わなかったのか、部屋を飛び出すこともなく、『ひとりにしてください』と引き籠った。チラッと開けた戸の隙間から覗けば、ベッドの上でちょむすけを無言で抱きしめている。
こういう軍と軍の乱戦こそコイツの爆裂魔法が活躍するときであるも、今の精神状態では無理に連れて行こうが、また爆裂魔法が撃てないのが目に見えている。でもこのままだとダメなのもなんとなくわかった。
深呼吸するとカズマは扉越しからめぐみんへ、
「……どうしたい?」
まるで、どこかへ遊びに、そうまるでいつもの散歩に誘うように声をかけた。
「俺は詳しい事情は分からないけれど、お前、あの人と攻撃を躊躇っちまうほどの因縁があるんだろ? でも、だからって、このまま冒険者たちがウォルバクを倒そうとするのを止めるわけにはいかねーよな。俺達の命も危ないわけだし、向こうもやる気なんだ。……なあ、このまま他の連中にやられちゃっていいのか?」
呼びかける……が、反応は返らない。
「紅魔族って言うのは、美味しいところを持っていくものなんじゃねーのか?」
「――ああ、その通りだ兄ちゃん」
あまりに反応が返らないので部屋の扉をノックしようかと迷った時、声がかかった。
それは先程何処へと飛び出していったとんぬらとゆんゆんだ。
カズマが部屋の前でウロウロしてる様子から状況はお察し。
♢♢♢
「兄ちゃん、後のフォローは頼んだ」
短くそう言って、ドアノブに手をかけ、扉を開いて中に入るとんぬら。
垣間見ていた通りに、めぐみんはベッドの上にいて、それを見たゆんゆんはカズマのが感染したようにオロオロとする。
「めぐみん」
そんな気まずい空気の中で、ひとり中に入ったとんぬらはめぐみんの前に立つ。
俯いためぐみんはゆっくりとそちらに視線を向ける。とんぬらは何かを言いよどんだものの、言葉を続ける。
「停戦は、できなかった。王都を戦に巻き込むわけには、いかない。ここで魔王軍幹部を止めなければならない」
停戦の意思がない相手を止めるということは、すなわち“倒す”ということだ。
それを理解し、クッと目を逸らすめぐみんに向かい、なおもとんぬらは続ける。
「心に迷いあるのならば話し合ってみろと言ったのは俺だ。けれど、魔王に対抗するために人の手で造られた、最高の魔法使い集団として、魔王軍の侵攻は止めなければならない」
わざわざこのようなことを告げるのは、とんぬらなりの誠意なのだろう。めぐみんが呆然として、判断力を失っていることは察しているだろうが、状況は待ってはくれない。
しかし、その気遣いはめぐみんにとって煩わしいだけだった。行くならさっさと行ってほしい、そんな風にすら思う。鬱陶しい。出ていけ。今は、何も考えたくない。
その内心を示すように、めぐみんは項垂れ、床面に視線を落とす。その姿を見たゆんゆんが痛ましげな眼差しを向けるが、無論、めぐみんは気付かなかった。
「………………そうか」
しばしの沈黙の後、とんぬらは踵を返して部屋の外に出る。
その足音を聞きながら、めぐみんが小さく息を吐こうとした、その時。
またも、とんぬらの口が開かれた。もう何も聞きたくもなかったが、しかし、その内容がめぐみんの注意を惹かずにはおかなかった。
すなわち、とんぬらはこう口にしたのである。
「ウソを吐いていることに、気付いているだろう」
誰が、とは言わずもがな。
「邪神と自嘲しておられたが、人を気遣っておられた。爆裂魔法で外壁崩し……この侵略行為は、着実に攻めていく手堅いものであったが、同時に人間たちに命惜しさに逃げられるだけの余裕、猶予が与えられていた。時間をかけて怠惰らしく。本当に女神らしさが抜けきれぬのであろうな」
偉そうに講釈垂れてくれる。そんなのとっくに分かり切ったことだ。でも、それはもうどうでも良いから。お願いだから、これ以上、私の心をかき混ぜないでください。
「この機を逃せば、教えてもらった爆裂魔法を披露することはできなくなるだろうな」
なんだ、結局、私を戦わせたいだけか。恩人を倒す? そんなことできるわけが――
「――だから、このままではウソは正せない。めぐみんの存在は忘れ去られたものになってしまう」
思わず顔を上げていた。
「な、何を……?」
何を言っているのだろう。そんなめぐみんの疑問に、とんぬらはこちらに背を向けたまま答える。
めぐみんの顔を見ないことが誠意だとでもいうように。
「気遣われたままでは、断固として認めてはくれない。ひとり立ちできぬ“幼子”に厳しい現実を言うような方ではないからな。
恩人に敵意を向けるのは無理、それを一目で悟られた。真に幹部として人類の敵ならば、“幼児”を言葉巧みに人心操るであろう。裏切りを働かせるよう利用することもできよう。それでも、会ったこともない赤の他人などと言い張る。いや、違うな。真実あのころとは違うのだと仰りたいのだ。
今の自身は、人を救う女神ではなく、人を脅かす邪神なのだと」
魔王軍の幹部である以上、邪神であるのが相応しい。
だから、幼児を助けた女神として応対することなどできない。そう態度に表したのではないか。
「もっとも、人の身で神の心中すべてを察するなど傲慢が過ぎるというものだ。これは俺の勝手な想像。的外れなことを、言っているのかもしれない。だが、女神であっても真実は覆せぬ。認めさせたいのなら、過去に確かに出会ったのだと主張しろ。“爆裂魔法”という動かぬ証拠を突き付けて、な」
もう一度、告げる。
機会は、今しかない。
未だ心の整理はつかない。めぐみんはそう思う。
何が正しいのか、何が間違っているのか、その判断さえできないくらい頭の中がグルグルしている。
――そう、そのはずなのに。
何故か、わかってしまった。あの男の言うことは正しいのだと。それは多分……自分も気付いていたから。
『三つ子の魂百まで、と言うけど、あなたも……紅魔族は皆、変わらないのかしら?』
ウソを吐かれているのは、この昔の自分を知らなければ思えないような呟きからわかっていた。
それでも、“覚えてない”と言われて、ウソだと追及することもできず、あまりのショックで目を瞑ってしまった。
「……あなたは、どうだったんですか?」
ぽつり、とめぐみんは呟いた。主語も何も省いた、他人からすれば何を訊いているのか理解できぬ質問であったが、通じたとんぬらは答えた。
「後悔した。するに決まっているとも。きっと俺はあのときの事を一生悔やむぞ。だがそれでも、俺が恩知らずになろうとも、俺が受けたその恩を知ってほしかった。俺のことを……知らないままでいられるのがたまらなくいやだったから」
もし。
ああ、もしも、強い意志があったのなら、対応は変わっていただろうか。恩人である師と相対するために、望まぬ死闘に身を投じられたこの男のように。
あのころから成長していないと思われる“幼子”のようにではなく、気遣われる必要のない相手として覚えてもらっていたのだろうか?
その答えを知るには、ここでいたままではわからない。再び同じ土俵に立たないと。自分の足で――
立つ。
「――我が名はめぐみん! 『アクセル』随一の魔法使いにして爆裂魔法を極めし者!」
真紅の双眸が不動の決意を映し。
「――この紅の宿命を終わらせます。私の爆裂魔法で!」
その顔からは、何かが確かにとりのぞかれていた。
♢♢♢
決着を付ける。しかし、その場に辿り着くには、砦を侵攻せんと押し寄せる魔王軍を突破しなければならない。
爆裂魔法の火力は強大なれど、全てを蹴散らすほどではない――それでも、最短距離を、中央突破を行くと決めた。
「悪いが、今の俺が戦場に出るには危ういからな。だから、めぐみん、お前に懸ける――ゆんゆん、あれをやるぞ」
とんぬらが、それにゆんゆんがそれぞれ手に取ったのは、以前、アンダインとの一件の際に購入した、最高純度のマナタイト結晶。
それを真紅の瞳の輝きを見て、使うと決める。
「これを使わせるからには、値千金の働きをしてこいめぐみん……!」
「めぐみん、他の、何も知らない冒険者にお姉さんを倒させるなんて、絶対にさせないでよ……!」
めぐみんを左右から挟むとんぬらとゆんゆんが放つ魔力球となったマナタイト結晶、それが合わさり、杖を掲げるめぐみんに宿る。
「一時限りの大魔導士降臨だ。――『エボルシャサス』!!」
杖の宝珠が紅に輝き出す。膨れ上がる光と共に、めぐみんの身体が変貌する。
♢♢♢
それは、乱戦の最中にあって、人間・魔物が知覚し凍り付くほどの衝撃だった。膨大な魔力が爆裂したかのように散ったかと思うと、凄まじい“何か”が顕現した。
これには思わず、最前線にて魔物に打たれていた(“打ち合っていた”ではない)ダクネスも振り返る。
――カァーン! カァーン! カァーン!
撤退の合図と事前の撃ち合わせて取り決めていた鐘の音を響かせながら、開かれた城門。
それより登場したのは、豹の魔物の幉を引く男性冒険者と、彼と二人乗りで跨る、女性。
右手と左手、それぞれ二本の杖を携える異様な二杖流の魔法使い。
ダクネスよりも年上……おそらくは二十代の半ばあたりの大人な女性で、その長い髪は黒く艶やかで、
そして、その
これまでになく、ゾクッとする感覚。ダクネスの、災難を嗅ぎつける嗅覚が、香ばしい危険の香りを嗅ぎ取った。
これほど警鐘が鳴るのは、ひとつしかない。
「――『エクスプロージョン』ッッ!」
挨拶代わりにと放たれたのは破滅の光、紅蓮の爆炎。
最前線よりも後方、敵陣近くへ撃ち込まれた爆裂魔法は、爆心地にいたモンスター達を皆等しく吹き飛ばし、その後には巨大なクレーターだけが残されていた。
「なっ……、ななっ、なあああああ!?」
「いい、今のは何だ!? 爆裂魔法か!?」
「ま、まさか本当に爆裂魔法の使い手がいたのか!?」
泡を食うモンスター達だったが、パニックが収まるを待たず、大魔導士はもうひとつの杖を突き付けた。
「『エクスプロージョン』――ッッ!」
――“爆裂魔法の連発”なんて、主たる邪神にもできぬ馬鹿げた真似にモンスター達が対応できるはずがなかった。
そして、ダクネスは思わず呟き漏らす。
「あれは、めぐみんなのか!?」
♢♢♢
――魔法の力で大人の姿に成長しようとも、めぐみんはめぐみんであった。
「わははははははは、我こそは『アクセル』随一の大魔導士、めぐみん! さあ、本番前の肩慣らしついでに経験値になってもらいましょうか!」
爆音。爆音。戦場に轟く爆音。
「うわああああああああ!」
「逃げろ、逃げろおおお!」
「バカッ、密集するな! 爆裂魔法の格好の的になるだろ! もっと広がってバラバラに……!」
「『エクスプロージョン』――――ッッ!」
とんぬらとゆんゆんによって、潜在能力が解放されためぐみんは、まさしく大魔導士であった。
「ふはははは、わはははははは! 逃がしませんよ!」
「よし分かった、降参だ! 道を空けよう!」
「俺には年老いた母がいるんだ! 命だけは助けてくれ!」
「紅魔族と魔族って名前が似てねぇ? なあ、俺達きっと友達になれると思うんだ!」
「ほら、武器を捨てたぞ! 誇り高き紅魔族は、まさか無抵抗な相手を」
「『エクスプロージョン』――!」
浮足立つモンスター達。
「うわあああああ、神様神様、ウォルバク様あああ!」
「俺、生まれ変わったら魔族じゃなくて猫になるんだ……。それで、毎日美人のご主人様に餌をもらって可愛がられて……」
「これは夢だ。そう、目が覚めたらいつも通りに散歩に出かけて、帰ってくる頃には母さんが狩りたてのブラッドファングステーキを……」
「おおお、俺は魔王軍準幹部と目されている男だぞ!? 俺を生かしてくれれば、きっと魔王様が身代金を……!」
「『エクスプロージョン』――――ッッッッ!!」
泣いて逃げ回るものまで出る始末。
もう、どっちが魔王軍なのかわからなくなってきた。圧倒的である。
(でもこのめぐみんの大人予想図(仮)……やっぱ母娘で、里で会ったゆいゆいさんに似てるっつーか……)
年下の少女が一気に大人のお姉さんに化けたのは驚いたものの、納得した。
この黙っていれば美少女が、このまま成長すればこうなるであろう。
(うん、爆裂魔法を極めても結局、体型は慎ましいままだなこれ)
成長はしているようだが現在の
「カズマ、今変なことを考えませんでしたか?」
「いんやなにも」
ふん、と鼻を鳴らすめぐみんさん(大人)。思わず“さん”づけしたくなるほど、美人なお姉さんなのだが、中身がめぐみん。今のトリガーハッピーな爆裂狂っぷりを知ると最初は緊張したものの、慣れた。というか、別の感情で塗り潰されたというべきか。
それで一騎当千を軽く達成したと思われるめぐみんさんを乗せたゲレゲレは無人の野を行くが如く疾走する。今や連発する爆裂魔法の前に大半が壊滅状態の魔王軍の精鋭部隊は地面に寝転がって目を閉じて祈りだしたり、もはや逃げる事すら敵わないとばかりに様々な反応を見せてくる。
撤退行動こそ取らないものの、圧倒的な怒涛の進撃を阻もうとする命知らずはいない。
「ちっ、あまりばらけると経験値稼ぎの効率が落ちます」
「一応言っとくが、お前のレベルアップをするためにやってるんじゃないからな?」
目的を違えかけているも、向かう敵本陣。魔王軍幹部のいる本丸だ。ゲレゲレも覚えているウォルバクの匂いで現在地を割り出して最短距離で向かっている。
今度こそ決着を付けるために、雑魚になど構っていられないのだ。邪魔をしなければ相手にしない方向でいく。
「わかっていますよ。時間もありませんしね、全速前進ですカズマ!」
「へいへい」
童話よろしく、この
ならば、少しでも早くに、このお転婆な娘(見た目はお姉さん)を目的地に辿り着かせるのは己の役目であろう。
「ここから先は通さねぇな、紅魔族!」
その身を盾にして止めるつもりか。前方に現れたのは大悪魔。こんな時でなければUターンで逃げたくなる圧を放っている強面のそれは、邪神の右腕であるホーストというめぐみんとも因縁ある悪魔だ。
よほど自信があるのか、今のめぐみんの前に立つ。爆裂魔法を一撃ならば耐えられる。そして、耐えて、二撃目が放たれる前に仕留める。捨て身の特攻精神だ。
「おい、左から周り込め! あんな筋骨隆々の腕にぶち当たったら怪我じゃ済まねぇ!」
ミツルギの魔剣『グラム』で左腕を切り落とされている。がら空きとなってるその方へ走り込めば、すり抜けられるか……とも思ったがそれは甘く見た。
このゲレゲレも素早いが、ホーストも巨漢に反して機敏であり、巨漢を活かして道を塞ぐように動いた。
それも、爆裂魔法で自爆しかねない間合いにまで入り込まれる。
「いっぺんに焼き尽くしてやるぜ! 『カースド」
だが、甘い。
自分はこの大魔導士のおまけで同乗しているのではない。
大魔導士の大火力の隙を埋める小回りの利く便利な“最強の冒険者”だ。
「『スキル・バインド』!」
研修後、『アクセル』で『盗賊』のクリスに教えてもらったスキル封じのスキル。
カズマの幸運補正で必中となっており、実力差を無視して阻止する。ただし、効力自体は弱いので一分とかからずスキル封じ効果は解かれる。
でも、戦闘の合間の数十秒は結構デカい。
「『バインド』! ――からの『スタン』!」
拘束スキルで捕縛したミスリル製のワイヤーを伝達にし、金縛りスキルの呪いを掛けるコンボ。
「なっ、俺様を拘束するとは、なんつうスキルを使ってんだよ!?」
悪魔族に普通の状態異常は効かないが、これは不死王リッチーの固有スキル『金縛り』である。大型魔物すら拘束するミスリル製のワイヤーとの二重の縛りであれば、重量級の上位悪魔であろうとそう動けまい。
「だが、俺様はそう簡単にはくたばらねぇぞ!」
この邪神の右腕で特筆すべきはタフネスだ。爆裂魔法にすら耐えうる頑健な肉体で、邪神を守護する盾となってきた。
でも、ほんの数秒動きを止めればいい。こちらには最強の矛たる大魔導士がいるのだから。
この近距離で、威力を抑えなければならない爆裂魔法では倒し切れない――しかし、今のめぐみんさんに近接戦が弱いという欠点はない。
「光に覆われし漆黒よ。夜を纏いし爆炎よ。一極に集いて、我が前に立ちはだかる障害を灰燼と帰せ!」
振り上げるは、『理力の杖』。使用者の魔力に依存して切れ味をあげる魔法武器。それが今、めぐみんさんの膨大な魔力を注ぎ込まれて、リミッターが外れた。
『めぐみん、爆裂魔法を極めるというのなら、これくらいの芸当はできるのか?』
元々、わざと熱エネルギーを抑えて涼やかな風を演出するなど多種多様な爆裂の工夫ができているめぐみんに、とんぬらが発想の転換ともなる注文を付けた。
『爆風を広大範囲に拡散させ、一発の魔法で周囲の標的をまとめて薙ぎ払う爆発系の魔法だが、一点に集約させたらどうなるか。凹面鏡に光を一方向に指向性を持たせるのと同じだ。
その『理力の杖』は魔力を一点に絞り、刃を放出する性質があるが、それに爆裂魔法を篭めて放ってみろ。アンタ好みのド派手で、一撃必殺なインパクトのあるモノが飛び出すだろうよ』
これには爆裂魔法の魔力を完全に掌握していなければ自爆する恐れもあったが、めぐみんさんは、天賦の才を持つ者が全てを注ぎ込んでようやく達する境地にいる。
「『ソード・エクスプロージョン』――ッッ!!」
杖の先より、爆炎の槍が飛び出した。
一点に集約された爆裂魔法は普通に放つよりも遥かに増した貫通力でもって、大悪魔の胴体を食い破り、吹き飛ばしたところで爆発して焼き尽くした。
♢♢♢
「カズマ、補充をお願いします!」
「あいよ。でも、あんまり無理すんなよめぐみん」
限界突破するほど魔力を過剰供給された『理力の杖』は破損してしまったが、最後の難関を突破した。度重なる全身全霊の爆裂魔法の連続行使は、『シルバーフェザー』で魔力回復しようが、体への負担が大きい。
そして、そんな無茶ができたゴールデンタイムも終わりが来た。
あの大悪魔を吹き飛ばした直後、めぐみんさんは魔法の変身が解かれ元のめぐみんへと戻った。こうなっては爆裂魔法の連発なんて真似はできず、魔力回復アイテムの羽もこれで使い切ってしまった。
(でも、向こうはまだ、爆裂魔法を撃った魔力消費を回復できてないはず。こっちと同じように魔力を回復できるアイテムがあるなら話は別だが。たとえそうでも、俺が『スティール』で奪えばいい)
そうなった場合、その魔道具よりも、美人なお姉さんの下着の方を窃盗してしまいそうだが、それはそれでカズマとしてはありだから問題ないはず。多少は怯んでくれるはず。
とにかく、まだ話をできる余裕はある。めぐみんが深呼吸で息を整え、心を落ち着かせている間、ついに辿り着いた魔王軍幹部ウォルバクの前にカズマは出た。
「チェックメイトだ。……なあ、このまま引き下がる気はないか? 俺としてはこのまま魔王軍と撤退してくれるんなら、見逃してもいいと思ってるんだが」
既にそれはとんぬらが話を持ち掛けて断られてしまったそうだが、それでも一応言うだけ言ってみる。
「できないわ。私が、見逃す気はないの。あなた達のもとにいる私の半身を消滅させて、私は完全な力を取り戻す。昔、半身が偶然封印を解かれたときに本能のままに大暴れしたときは、かなりの力を奪ってから封印したのだけどね……」
つまりは、ちょむすけを攻撃するなり何なりするということ。
ネコ愛好家なカズマとしては、それを聞いてしまってはますます見過ごせなくなった。
と、そこで変身解除の反動から立ち直っためぐみんが、
「あなたとちょむすけが封印を解かれたときに、近くに女の子がいませんでしたか? 五歳か六歳くらいの赤い目をした女の子が」
「覚えてないわね」
一貫して、ウォルバクの突き放すような対応は変わらなかった。
けれど、めぐみんは杖をぎゅっと握り締めながら、ウォルバクから視線を切らさない。でも、やっぱり辛いだろう。
くそ、どうしてもやるしかないのか?
それを見て、何だか胸が痛くなったカズマもどうにか説得したい、この戦いを回避できないかと頭を働かせ……それで、ひとつ疑問に思い至る。
「……なあ、こんなに話ができるのに、どうして魔王軍にいるんだ?」
カズマから見ても、悪い奴には見えない。
これまで遭遇した、痴呆の始まったデュラハン、極悪外道なスライム、カマ野郎のキメラ、それからぽわぽわリッチーは除くとして、魔王にも制御不能な愉快犯である地獄の公爵と言った面子と比較すれば、魔王軍幹部らしくは見えない。美女(本物)だし、少し話をしただけでもとてもまともな性格をしているように感じられる。
なのに、どうして魔王軍の幹部なんてやっているのか、見当もつかないのだ。
「どうして、ね。こんな時には、こういうのがセオリーなのかしら?」
そう言って、おかしそうに微笑を浮かべ、
「それが聞きたいのなら、私を倒してからにすることね」
そんなことを言いながら、少しだけ寂しそうに儚く笑った。
わかっていたけど、これはもう避けられない戦闘なのか。
「十二分に思い知ったと思うがコイツは爆裂魔法の使い手だ。魔力の回復し切ってないあんたとやりあえば一発で決着がつくんだ。つまり、決着がついた時にはもう、お互い話ができる状態じゃないんだよ」
「……そうね。それなら……」
ウォルバクは、クスリと小さく微笑を浮かべ。
「魔王に聞けば教えてくれるわ」
こんな会話にわざわざ付き合ったのも、自身の魔力を回復させるためか。依然と『テレポート』の詠唱をする気がないのを見ると、不退転の決意で臨んでいるのが否が応でもわかる。
そして、そんな自らに背水の陣を敷く主に、一番の配下が答えた。
両者が睨み合う沈黙に、荒げた唸り声が割って入った。
「突破を許しちまって、申し訳ありませんウォルバク様ッ! どうか、俺の魔力を糧に……!」
「ホースト!」
めぐみんの爆裂魔法は確実に致命傷であったろうに、それでも大悪魔が散り際に、そのかろうじて原形を維持できていた、魔力で構成された仮初の肉体を主の魔力へと変換させる。
途端、不穏な帯電のように空気全体へ緊張が走る!
右腕たる配下を生贄に、魔力を回復させたウォルバクは、魔法を唱えだす。すべてを灰燼に帰す爆裂魔法を。
――やべぇ、爆裂魔法ができる状態でないと思っていたから、油断していた!
先んじてウォルバクは詠唱を始めてしまった。
それにカズマも妨害したいところであるも、先のホーストの拘束に結構な魔力を使っている。正直、『テレポート』する余裕もない。多様なスキルや幸運補正が効こうとも、元々の魔力量は心許ない冒険者なのだ。『ドレインタッチ』で消耗分を補充できるような状況ではないし、『シルバーフェザー』もめぐみんに全部使い切った。
この危機を逃れるには、めぐみん――しかし、それにはめぐみんはウォルバクよりも早く詠唱を済ませなければならないのに出遅れているし、ウォルバクに爆裂魔法を放てるのか?
「……本当は、私のこと、覚えていてくれたんですよね」
小さな声で呟き漏らしながら、両手で杖を握り締めるめぐみん。
詠唱する素振りさえ見せない。これは変身の反動があるのか、それとも恩人を攻撃するのはやはり無理なのか。
真っ青になるカズマはここはゲレゲレのダッシュ力で離脱を試みようと考え、めぐみんの手を引こうと――した手をするりとめぐみんは躱した。
未だ詠唱を始めず、全く動じず、ウォルバクに話しかけるめぐみんは、
「あなたにずっと言いたかったことと、見せたかったものがあるんです」
未だ朗々と魔法を唱え続けるウォルバクに。
「あなたに教えてもらった爆裂魔法。もはや詠唱がなくても制御が可能なほど、誰よりも極めることができました」
ありがとう、と最後に呟き、
「『エクスプロージョン』――――ッッッッ!!」
一瞬、めぐみんの言葉を聞いた彼女が微笑んで――世界が、紅蓮に呑まれる。
すべてが破壊され、すべてが吹き飛ばされる。
最も至近で、この魔法勝負に立ち会った冒険者が薄らと眼を開く
――めぐみんだけが、そこに残った。
♢♢♢
天災児との付き合いで耳慣れた轟音を聴けば、一切消滅したことだろう。
きちんと別れができたのであれば、踏ん切りをつけることもできるかもしれないが、神ならぬとんぬらにそこまでの様子は見通せない。対面させる状況をセッティングするのが精々だ。
「…………決着が、ついたか」
指揮官就任時に自室として占領した砦の制御室にて、胡坐の足の上に寝転ぶ黒猫ちょむすけを撫でながら、とんぬらは呟くと、その傍についていたゆんゆんが反応する。
「とんぬら、決着って……」
「ああ、どうやらめぐみんが倒したようだ」
「めぐみん……!」
ちょむすけからとんぬらが肌寒いものを覚える、神気の気配が濃くなったことより、推理できる。これはちょむすけ(暴虐の半身)へウォルバク(怠惰の半身)が取り込まれて、完全なる『怠惰と暴虐を司る女神(神獣)』へと統合された、すなわち、ウォルバクが倒されたのだ。
「それじゃあ、お姉さんは……」
「倒された。おそらく今さっき震動を覚えた爆裂魔法によってな。それで、この怠惰の半身……ちょむすけとひとつになった」
「ちょむすけとひとつに?」
「もともとウォルバク様は、その神格を半分ほどちょむすけに持っていかれていた。そして、ちょむすけには紅魔族の神主の封印が施されている。それで元はひとつの存在であったのだから、片方が力を失ってしまえば、もう片方へと取り込まれてしまうんだ。だから、どちらかが存在する限り、『暴虐と怠惰を司る女神』は完全に消滅されることはない」
「じゃあ、お姉さんはちょむすけの中にいるの!」
「……そうなるが、力を失ったから深い眠りにつく。今でも深層意識が染まっているかもしれん。それで、いずれ力を取り戻した時に目覚めると俺は見ているが、これはあくまでも希望的観測であるし、いつになるかはわからない」
そして、ととんぬらは言葉を切り、ひとつ呼吸を置く。
「紅魔の里を出奔した理由が封印から逃れた女神の再封印であるがゆえに、神主はこの一体となった『怠惰と暴虐を司る女神』を墓に封じ込めなければならない」
「え……」
ゆんゆん、とんぬらを見る。
そして、思わず、
「ダメよ! とんぬら、ちょむすけをそんな……!」
「今は猫と変わらぬとはいえ、この方の本性は、暴虐の獣。ストッパーとなる怠惰の女神様が眠りについてしまわれた以上、力に暴走するような事態となれば、人の手に負えぬものになるかもしれん。災厄じみた脅威となりうる、少なくとも今回のウォルバク様以上、下手をすれば地獄の公爵級と見てもいい。そうなる前に、処置するべきであろう。そして、ひとつになったとはいえ力を取り戻していない今が好機である」
「それは……でも、ちょむすけは……とにかくダメ! そんな真似とんぬらにさせられないわ!」
とんぬらが冷静に状況を判断しているのはわかるけど、それでもゆんゆんは感情的に叫ぶ。こんなやり方は誰も納得しないはず。正しさとかは棚に上げているのは自分でもわかっているけど、だからって――
「そうか。では、やめよう」
あっさりと案を退けるとんぬら。
なんとなくゆんゆんは肩透かしを食らった気分になった。
「と、とんぬら……?」
「何を呆けるゆんゆん。墓の管理は族長との共同であり、その次期族長が断固反対なのだというのなら、その意見を取り止めるしかあるまい。また俺は神主代行であるのだから、使命を果たす義務もないし、ウォルバク様とも害を及ぼさぬ限り封印はせぬと誓いを立てたわけだし。
……それに、ウォルバク様が魔王に与した理由を知らなければ根本的な解決にはならないだろうからな」
クク、と片端の口角が上げて笑みを漏らすとんぬらを見て、彼もまた最初からそうする気がないのだと気付くと、カァッとゆんゆんの瞳が赤くなった。
「もう! 私のことをからかったのとんぬら!」
「く……っ! いや、これはゆんゆんに次期族長の自覚を促すためにな。まあ、試したのは認めるが」
どうどうと制するとんぬらだったが、ゆんゆん、ジロッと半目になり、
「…………そういえば、今回はとんぬらに、いいように踊らされてばかりだったわね」
睨むようにとんぬらの顔を見据える顔は見るからに不機嫌そうで、こめかみがぴくぴくと震えている。これが漫画なら、ゆんゆんの顔には怒りマークが乱舞し、背後からは“
「こうなったら、お仕置き! 今回の無茶した分も入れて、お仕置きよとんぬら!」
「待て、すべてに理由はあるし、弁明の余地はあると思うんだが!」
「問答無用! とんぬらの口車に乗せられるわけにはいかないわ! いい? お仕置きは決定事項なの!」
お怒りぷんぷんゲージはあっさりと臨界点に達してしまったらしい。ものすごい勢いで押し切られてしまった。
「わかったわかった。お仕置きを受けよう。でも、それは後回しだ」
「そうやってうやむやにしようったって駄目だからね!」
「反故はしない。だけど、今はそれよりも優先すべきことがあるからな」
それは何――と言い切るよりも早く、ゆんゆんは捕まった。
「ふぇ?」
とんぬらの腕の中に。
いつの間にか、ちょむすけを腰の上から降ろしていて、代わりに上半身がその位置に収まった。
♢♢♢
今回の件、一番つらい思いをしているのは、めぐみんだ……と思っているに違いない。
だから、私がしっかりしないと……と思うのは間違いではない。
余計なことで気を遣わせちゃダメ……と思い込むのは、よくない。
普段、二人の関係はめぐみんの方が引っ張っているように見える。けれども、メンタルが強いのがどちらかと言えば、それはやはりゆんゆんだろう。
彼女とて、“
敵対したくなんてない……そんな重苦しいものを内面に抱え込んでいても、表向きは普段通りに取り繕っている。
他人に気を遣い過ぎて、自分を押し込めるのに慣れている彼女だが、これ以上の我慢は必要ない。
いれば気を遣ってしまう
「……え? あの、とん、ぬら?」
「無茶と、それから無理をさせたな、ゆんゆん」
問いかけではなく、断定。
相手の目を見据えながら、とんぬらはそう口にする。ゆんゆんはかすかに瞳を揺らしたが、視線をこちらからそらしつつ首を横に振ろうとする。
「無理、って何のこと……無茶をしたのはとんぬらで、無理したのはめぐみんでしょ――」
「今の物言い、めぐみんがムキになって強がったのと一緒だな」
膝の上から起き上がろうとしたゆんゆんの動きが、ぴたりと止まる。
驚いたようにこちらを見つめるゆんゆんに対し、とんぬらは意図的に少し呆れた様子をのぞかせた――それでやり過ごせるつもりか、と。
こちらの顔を見て、言いたいことを察したのだろう。ゆんゆんは真っ赤になって俯いてしまった。
こちらに心配をかけまいとしてか、それとも自分なりのけじめのつもりだったのか。普段通りに振舞ってはいるけれど、ぶっちゃけゆんゆんはそういうことに向いていない。めぐみんよりは上手に隠せてはいたが、それでも付け焼刃感は拭えないし、とんぬらからすれば瞭然である。
そもそも、目が口ほどに言う紅魔族の体質からしてそのような腹芸は土台無理がある。
「……ぅぅ」
そんな主旨のことを滔々と説いてやると、ゆんゆんは首筋まで赤くそめて、縮こまってしまう。うん、ちょっとは自信があったのだろう。
「まあ、これからずっと平気なフリを続けていけば、いずれもっとましになるだろうが。しかし――」
そう言って、一旦、言葉を切った。
一時のことだからと涙も嗚咽もこらえ、悲しみや痛みから目をそらして、何ともなく平気なフリを続けていくことは出来る。それを繰り返していれば、いずれ自然にそれを行える日が来るかもしれない。
だが――それは消化できたわけではない。決して。
「それだと、いつか本当に“それ”に慣れる。成ってしまう。目を逸らしても、痛みや悲しみが消えるわけではないのだから、消化されずに積み重なっていく。澱が溜まれば、自然水は濁るもんだ。――俺はそんな風に曇らせたくはないんだ、ゆんゆん」
無理をさせて、無茶をさせたこのひどい人間の言えることではないと思うが、と口にしないが心の内で自嘲を零す。
それでも、この人に甘えるのが練習不足な、他者に気を遣うのが癖になっている少女に遠慮はいらないとわかってほしい。
泣いてもいい、と。悲しんでもいい、と。
以前の借りもあるのだ。師を討ち果たした時に、その存在に救われたことをとんぬらは忘れていない。
そうして、心音を聴かすように胸に抱いた少女の髪をそっと梳いた時――
室内に、小さく、かすかに嗚咽が響いた。
気がつけば、ゆんゆんの頭を受け止めていたとんぬらの胸元は、彼女の手にギュッと服を握りしがみつかれていた。
それから下向きに顔を俯かせていたゆんゆんは、とんぬらの胸を擦るように上を向く。
そうして合わさった目と目、その瞳に顔が映るのを確認する間もなく、腕を首に巻くように抱き着いた。
体勢的に表情はわからない。ただ、掴まれた手から、ゆんゆんの震えが伝わってきた。そして、肩に当たる、両の目から零れ落ちる滴も。
「……う……ぅううぅ……」
開きかけた口を、再び閉ざす。
ゆんゆんの泣き声を聞いた途端、言おうと思っていた言葉が掻き消えてしまった。それに、もうあえて言葉にする必要もなくなったように思えた。
だから、とんぬらはそのままじっとしていた。ゆんゆんの嗚咽が終わるまで、ずっと。
♢♢♢
こうして、紅魔族とも因縁深い邪神討伐の防衛戦は終わった。
爆裂魔法の連発強襲によって半壊していた魔王軍は、幹部が撃破されたことがトドメとなって壊滅したのだ。
王都侵攻を阻止成功したのである。
……ただ、人類側には少なくない犠牲はあった。
その中で、(普通に騎士団長は王城に報告したが)影の軍師を務めた宮廷道化師は、邪神の呪いを受けてしまった。
(……うん、予感はしてたんだけど、冒険者カードを見て実感した)
あのとき、とんぬらが飲んだ濃縮ヘルハーブ飲泉によって、レベル1になってしまったのである。
不死王や最上位悪魔など伝説級の存在にしか使えぬレベルダウンの効果がある『怠惰と暴虐を司る女神』直々の堕落の呪い。
(見方を変えると、殺さずに無力化されたってことだな)
この代償はデカい。
海ではレベルダウンを取り入れた修行法をしていたが、その時とは事情が違う。こう言っては悪いが、簡単にレベルの上がる最弱職の『冒険者』とレベル上げに苦労する上位職の『アークウィザード』では、経験値稼ぎの労力が割りに合わない。
これまでの努力が水の泡となった不幸は流石のとんぬらも凹んだ。
しかし、悪い事ばかりではなかった。
『本当に、『アクセル』のエースが、レベル1に……あれ? 職業選択可能項目に『アークウィザード』の次が解放されていますね。『天地雷鳴士』、ですか? これは見たこともない新職業です!』
『悟りの書』に記載され、半ば冗談だと思っていた伝説的な最上位の魔法使い職『天地雷鳴士』。
これはきっと『ドラゴンナイト』のようにレア職業であろう。これも天の導きだと考え、心機一転するつもりで新しい職業に成る――が、つまりそれはレベル上げに更なる経験値を要することになり、一人では凄く大変だ。
でも、とんぬらには信頼するパートナーがついている。
『任せて! とんぬらが力が戻るまで私が何から何まで、何だってお世話をする! そう、毎日『養殖』に付き合うし、高経験値食材も頑張ってたくさん揃えてみせるわ! だから、何も心配しないで
『あ、ああ……よろしく頼むゆんゆん(元通りまでとは贅沢言わんが、一人で戦えるレベルにまで上げよう! 一日でもすぐに!)』
高レベル冒険者にレベル上げを手伝ってもらうヒモになってしまうが、このまま『アークウィザード』も上位職で苦労するだろうし、魔法使い系なので『パルプンテ』も問題ない。とんぬらは『天地雷鳴士』へとクラスチェンジするのだった。
それで、心配事はまだある。
今回の活躍で宮廷道化師の名声は高まり、また王宮関係者に気に入られてしまった。
そう、第一王女(厳密に言うとその側近)が、有能な人材を囲い込もうと王女側近として宮仕えするように働きかけたりするのではないかという心配で……
………
………
………
「アイリス様、本日のご予定は、私との実戦訓練の後、レインとの魔法講習になっております」
「はい、わかりました。クレア、レイン、今日もよろしくお願いしますね(どうしてこうなった!?)」
一ヶ月後、とんぬらは、
参考ネタ解説。
エボルシャサス:『モシャサス』+『エボルシャス』。ドラクエⅪの連携『大魔導士降臨』と同じ。めぐみんを大人バージョンのめぐみんさんに成長させ、二回連続魔法を可能にさせる。
ソード・マダンテ(エクスプロージョン):ドラクエ・モンスターバトルロードに登場する必殺技。魔法剣で攻撃してから、マダンテを放つ呪文。
作中では魔法剣ではなく理力の杖のため、大魔王の必殺技のひとつっぽい感じになっている。
天地雷鳴士:ドラクエⅦに登場する最上級の後衛職。賢者(魔法使い+僧侶)+スーパースターでなれる。見た目は、神主(巫女)。
誤字報告してくださった方、ありがとうございます!