この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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86話

 その才は神算に至り、その智は鬼謀に達す――と王都での世評を得ている宮廷道化師。

 拠点が『アクセル』であるため王都のランキングには入っていないけれども、その血統からして、有能であるのは額縁つき保証書つきの事実である。

 紅魔族は魔法の腕だけではなく、知略にも秀でている。

 何といっても、RPGで言えばラスボスダンジョン前にある最後の村……魔王城近くに里を構えながら、幾多の侵略を返り討ちにしてきたのだ。

 

 そんな前評判を引っ提げて、到着早々指揮官になったのだから、作戦会議に集まった者たちの耳目は当然とんぬらに向けられていた。

 

 その場にいるおよそ半分は、実績が本当のことなのかと疑っている。

 紅魔族の優秀なのはベテラン冒険者の誰もが知るところだが、同じようにそのやたらかっこつけにこだわる厨二チックなところも広まっている。だから、最上位悪魔を倒したとかいうのも、幾分か水増しして誇張しているのではないだろうか。

 

(とんぬら……君が立ってくれるなんて心強いよ)

 

 しかしミツルギとしては、彼が指揮官……軍師役に収まることに文句はない。むしろ望むところだ。

 日頃の言動から、とんぬらがキレ者な一面を持つことは確実である。アウリープ男爵より魔剣『グラム』に仲間を助け出してきたことからも、それは明らかだった。

 

 王都に流れている嘘偽りなし……そう、貴族が万金を投じても、いいや、その領土の半分を差し出したところで得ることができない不世出の人物だと、三顧の礼を尽くしても欲した大器だと、ミツルギキョウヤは確信しているのだ今も。

 きっと惚れ込んでいる彼が伏する竜たることはすぐに他の者たちにも理解できるはずだろう。

 

 

「どこで潜んでいるかわからない邪神よりも、陣を敷いている精鋭たちを倒す」

 

 相方の少女を後ろに付き従えて、再び登壇したとんぬらは考えた戦術を皆に語る。

 ミツルギが出したのと大まかに同じ。ただし、狙うのは幹部ではなく、その配下である。“将を射んとする者はまず馬を射よ”、と言ったところだろう。

 

「こちらが拠点崩壊に危機に晒されているのだから向こうにも同じ目に遭ってもらう」

 

 『しかし、魔王軍が敷いている陣の左右前面は森であり、唯一晒されている背後には『ヘルハーブ温泉』がある。数の利でも地の利でも負けている絶対的に不利な奴らのテリトリーだ』と騎士団長が指摘する。

 

 近場の森を陣取っている魔王軍の陣容は、遠目で伺ったが背水の陣のようだ。

 ただし、これは決死の覚悟で迫っているというよりは、背中を絶対の守りで埋めているといったところだろう。

 『ヘルハーブ温泉』

 魔王軍が背後に敷いている罠。この山中で豊富に湧き出る源泉を利用しているものと思われ、森を避けて魔王軍の陣に入るには、温泉を渡らなければならないように流れている。

 溺れるほど深くもなく、普通に足がつく……しかし、この温泉は少しでも浸かれば、あまりの快感に戦う力も意志も抜け落ちてしまうという。温泉には、人間を無気力にしてしまう“怠惰”の権能が施されているものと思われる。

 そして、そんな温泉の流れにも逆らえないような状態で、魔王軍から迎撃されればひとたまりもない。かといって『ヘルハーブ温泉』を避けて本陣に向かうルートは、大量の魔物が隠れ潜んでいる森の中を通らなければならない。

 

 この魔王軍の防衛網を突破して奇襲を仕掛けるのは、爆裂魔法をぶちかます邪神を相手にするよりはマシとは言え、危険度は相当に高い。

 これまで防衛軍の皆が忌避していたことを提案するからには、当然とんぬらは策を用意している。

 

「無論、遠目だが相手の陣容は見た。その『ヘルハーブ温泉』の貴重なサンプルも見せてもらった。あれは容易ならない。しかし、その首魁である魔王軍幹部ウォルバクは、頻繁に単独行動をしているのは、知っての通りだ。――そこに付け入る」

 

 パンッ、と手を叩いて、短く『モシャス』と詠唱。

 途端に仮面の少年の姿が、赤い短髪と猫科のような黄色い目を持つお姉さんになった。

 そう、魔王軍との交戦で垣間見たことのあるフードの奥の面貌……邪神の顔に瓜二つの。

 敵幹部の女神に化けた顔の口の橋をニヤリとつり上げ、禍々しい三日月形の笑みを作り、

 

「俺の変身魔法は、かつて配下であるアーネスをも騙しおおせた。ならば、今の魔王軍には如何にも通用するだろう。幹部が留守にしている合間に、幹部に変身した俺が潜入し、必ずや陣をかき乱して隙を作ってみせる」

 

 そこへ防衛軍が強襲を仕掛ける――!

 これならば、少人数でも大打撃を与えられる。

 

「相手がこちらに変身の手段があることを知らない、無警戒の最初だからこそ効果的な一発勝負。この入れ替わりの策の確実性を期すために、幹部ウォルバクと居合わせてはダメだ。混乱を誘えるが、不意打ちとはいかない。だから、狙う機は陣に幹部が絶対にいない時だ」

 

 つまり、爆裂魔法を放つ直前か直後。

 

「魔王軍に策を気取られないためにも、爆裂魔法に対してはこれまで通りでいく。この砦の外壁ならば、まだ爆裂魔法を耐え凌げるはずだ」

 

 肉を切らせて骨を断つ。互いにノーガードで打ち合うってことか。

 

 これは、魔王軍を打倒するための布石である。邪神を倒すには、まずはその配下を降さねばならない。砦を守護するために、出血覚悟で積極的に攻勢に出る。

 

「このままじり貧ではいずれこちらは負ける。勝利するには戦うしかない」

 

 祭壇と化した壇上にあるのは、最年少ながら堂々とした姿。

 皆の顔を見つめながら、未来を見据える視線。

 その見据える未来が愉快でたまらないと言った様にニヤリと歪む口元。

 己の計画に絶対の自信を持ち、いかなる艱難辛苦にも立ち向かうであろう腕を組んで立つ姿。

 

「そして、俺は約束した通りに、この逆境を覆してみせよう」

 

 砦内であるというのに舞台上のとんぬらから吹き荒れる風を感じる。その風を受け、一同、驚きと衝撃に震える足が自然と後ろへ下がる。

 

 持ち直したとはいえ、作戦失敗した印象が皆の胸に強く残っている。これはミツルギの失態である。このようなリスクを冒す真似は、言下に拒絶したいところだろう。王国兵を含むほとんどのものが完全に納得しているわけではない。

 しかし、ベテラン冒険者にしても、騎士団長ら王国兵にしても、威風堂々としたとんぬらに圧倒されそうになっていた。否、圧倒されていた。

 学んだ知識を机上だけに限らず、現実に活かす術を心得ているとはいえ、戦術に限って言えば、ベテラン冒険者が身につけた知識と理論に、大きな差はない。むしろ、長く生きた分、ベテラン冒険者の方が優れているくらいだろう。

 しかし、反論を黙らされた。

 

 事の道理を知らぬ若造などではない。青二才なんて口が裂けても呼べない。幼少から里を旅立ち、各地を巡ったこと。実際の戦場で生死を目の当たりにし、闘争の何たるかを肌で感じたこと。そうやって、自らの目と手足で感じたすべての経験を血肉とし、発する言葉に力を添えていたのである。否が応でも鼓舞される言霊だ。

 今こそその鉄扇を杖ではなく軍配代わりとして振り上げ、指揮官気取りの新参者が吼えるように唱えた。

 

 

「さあ、反撃の時間だ――!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「くっくっくっ……。あっはっはっはっはっ! あ~~~~っはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!」

 

 作戦会議の後、仮面の小僧を先頭として魔王軍の陣とは反対側にある城門から密かに出撃した勇者候補の精鋭部隊を見送ってから、急いで誰もいない個室に入り、ずっと我慢してきた笑い声をあげる。

 あの作戦、間違いなく、幹部に化けて敵陣に潜り込む、危険な渦中に飛び込む偽者が、段違いに危険度が高い。

 飛んで火にいるなんとやら。自ら死地に赴くとか勇敢と蛮勇をはき違えている阿呆だ。

 破壊工作でもってばら撒いた呪いと毒を解呪解毒されたことに計画変更せねばならないかと思っていたところで、その『仮面の紅魔族』が抹殺できる機会に恵まれた。これで失敗すれば、防衛軍は終わり。

 

 そう、この作戦は絶対に失敗する。

 何故ならば、内通者(わたし)がいるのだから。

 

「“人を謀れば()に謀らる”、ってね。――魔王軍を侮り過ぎだ小童」

 

 かつて己に恥をかかせてくれた小僧がまさか、『仮面の紅魔族』であったなんて……この状況はまさに“復讐”するに絶好の機会、天啓である。

 魔王軍は、策士を気取った小僧の奇策とも呼べぬその小細工を、万全の状態で待ち構え、完膚なきまでに叩き潰してくれるだろう。

 異教の邪神に化けたのを見たのは驚いたが、同じ顔に警戒せよと通達すれば問題ない。偽者が陣に入った瞬間に包囲され、そして、あの『仮面の紅魔族』を確実に仕留める。

 

 

「我がレジーナ様を封じ込めていた神主一族よ、その末裔に天罰が降りかかるぞ」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 砦に内部工作をしている魔王軍諜報より連絡が入った。

 その情報によるとどうやらあの子たちは帰らず、この戦線に参加する。それも、一日にして防衛軍を乗っ取ろうかというくらいの勢いで臨んでいる。

 

 立てた作戦もまた厄介。

 私に化けて本陣を攪乱するとかエゲつないことを思いつく信者である。あの紅魔の里の連中は名前や言動もおかしいくせして、頭は良い。魔王軍がたとえ里を占拠しようともその後でゲリラ戦法で一週間もたたずに奪還することもやってのけても何ら不思議でないくらいに知略に富んでいる連中。そんな最強魔法使い集団が魔王城のすぐ近くに集落を築いているので魔王軍も牽制されているのだ。

 

 けれども、それも内通者よって筒抜けである。

 相手は相当作戦に自信を持っているようなので、それを利用。策が成ったと思わせてから叩き潰すというのが諜報部の案だ。

 

 まず、これまで通り森を隠れ潜みながら単独で爆裂魔法を仕掛けに行く。どうやら向こうの作戦によると今回精鋭部隊が狙うのは私ではなく、配下たちであるそうだから、前回のように護衛は引き連れてはいない。

 私が爆裂魔法を撃ち放とうとしているその間に『仮面の紅魔族』が邪神ウォルバク´に変身して本陣に潜入してくるが、事前に作戦情報を知っているので、配下たちが偽者を迎え撃つ。

 諜報部の破壊工作を妨害するだけでなく、一日で砦の人間の上に立つほどの吸引力を持った子だ。逃がすわけにはいかない。魔王軍総出で確実に仕留める手筈だ。

 

 

 ――カァーン! カァーン! カァーン!

 

 

「むっ!?」

 

 突然、ちょうど指呼の間にとらえた砦から鐘の音が鳴り響き、それとともに砦の四方にあるすべての城門が開いてゆく。即座に緊張が走り、詠唱を中断する。

 

(……まさか、降伏? それとも作戦?)

 

 いくら待てども、厄介な神器を携えた勇者候補の連中は姿を現さない。それどころか、王国兵・冒険者のひとりも出てこない。

 城門は全て開いている。構わずその開いた隙間を狙って爆裂魔法を撃てば、外壁に守られていた砦内部を容易く木端微塵に壊滅させることができる。敵の意図がまるで読めない。降伏の可能性も考えたが、それならそれで何者かが出てくるはずだ。

 そもそも、これは内部工作によるものなのだとしても、諜報部の内通者からこのような工作(はなし)は聞いていない。

 

 

 ――カァーン! カァーン! カァーン!

 

 

 幾十もの鐘をまとめて叩いていると思しき大音声は依然鳴り響いている。

 それはまるで刻限を告げるかのように正確に。また、こちらに焦りを誘発させんと演出するかのように徐々に間隔を短くして。

 予定から外れた事態に、下唇を噛む。

 

 何が。何が来るの……!?

 

 攻撃するか、撤退するか、それとも様子見か。

 潜伏中に声を上げてパニックになるほど動転はしないが、逸り焦る気持ちは確かにある。まだ爆裂魔法を放つには、あと十歩分ほど進んでおきたいこのタイミングでこの反応。相手はこちらに気付いているのか。開門の意味は突撃部隊が出撃する前触れか。そうでないとしても、この行動の意図をはかりかねる。

 

 そして、その答えを持つであろう人物が、ウォルバクが注視する砦外壁の上中央にゆっくりと進み出た。

 その人物の姿を視認した時、思考が戸惑いの色に染め上げられた。あの仮面、間違いない。視線の先に立っているのは――あの子だ。

 

 

「幹部ウォルバクへ告げる!!」

 

 

 ドラゴンの咆哮の如き非凡の域に達したその大喝は、先の鐘の音よりも大きく轟いてこちらの鼓膜を震わせてくる。

 

 

「砦に潜んでいた魔王軍は、こちらに寝返ったぞ!! 流した偽情報に引っかかりまんまと誘き出されたな!!」

 

 

 真っ直ぐにこちらを見て、ピンポイントに名指しする。これは私のいる位置がバレている!? まさか、内通者が裏切り本当に情報を流したのか。いや、襲撃ポイントは常に気まぐれで変えているのだから、知られようはないはずなのに――

 

 

「――さあ、我々も一軍を挙げて歓迎しようではないか!!」

 

 

 そして、『仮面の紅魔族』の号令と共に開け放たれた城門より王国兵の部隊が出陣。『仮面の紅魔族』もまた外壁上から飛び降りるやフワッと風に乗って一軍の前に降り立ち、そのまま先陣を切る。

 

 だが、焦ることはない。爆裂魔法の射程圏内に自ら近づいてくるというのなら一掃すればいい。別に狙いは外壁だけに絞っているというわけではないのだ。

 

 

「命を散らしたいというのならそうしてあげる――!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「黒より黒く、闇より昏き漆黒に――」

 

 気づかれてしまえば、接敵する前に爆裂魔法に撃破される。

 それはとんぬらもわかっている。相手の攻撃の間合いは自分らよりも遥かに長い。しかしそれと同時に、準備に要する時間も長い事を承知している。

 爆裂魔法の弱点など、同郷の爆裂娘と付き合えば否が応でも知れるというもの。

 参考対象(めぐみん)よりも早口に完了できるものとして詠唱時間は、十数秒を要すると見ている。その間に、このデッドレースなだるまさん転んだを走破しなければならない。反応されてからの距離が成功を左右する。だから、砦から飛び出したとんぬらたちが不利なのは明らか。

 

「全てを見通す予知能力など持たぬ身だが、冒険者の気構えとして標的とした相手の行動を、二、三手先は常に考えているぞ」

 

 被害を最小限に抑える爆裂魔法の一撃離脱戦法を基本としていることから、今回の魔王軍幹部の傾向は読み取れる。

 慎重で用心深い。

 不用心に門を開ければ、高確率でその意味を考える。考えなしに爆裂魔法を撃ち放ったりはしないし、まだそうするに射程は離れた地点にいるのを察知してからこちらも動いた。要するに先手を取り、こちらのペースに巻き込むためにも大胆な空城の計を謀ってみた。

 もちろん内密に協力を要請していた騎士団たちは、砦の防備を解放することに懸念していたが、その時は“前回と”同様にこの身をもって彼らを庇うと誓約を立てた。

 

 これにはあとで知ったパートナーが“反省してないじゃない!”とカンカンにお怒りであったものの、相手の性格からして想定外の事態を見極めんと爆裂魔法を中断するのは見えていた。

 

 邪神ウォルバクは、優秀だから。

 あの状況、どう考えても罠があるのは間違いないと考える。もしくは降伏の可能性も念頭にあったかもしれない。

 脳なしのバカなら単純に攻撃を仕掛けるだろうが、考えられる頭脳があり、慎重派であるのなら、罠を避けて無難に撤退するだろう。

 だが、邪神ウォルバクは、賢い。行動を決める手札が多くある。だからこそ、必要以上に考える。

 どんな意図があるのか、どう対処するのが最善か、一気に攻めるべきか、それとも退くべきか、と。

 ましてや、配下を連れずたったひとりで砦侵略行為に及べるほど自身の力に自信がある。あそこで何もせずに敵前逃亡という選択肢を真っ先に選べるようでは、単独で一都市を攻め落とせると謳われた魔王軍の幹部とは言えないだろう。

 

 ――その長考に、距離を縮めるだけの時間を稼がせてもらう。

 

「我が深紅の混淆を望みたもう――」

 

 猫の行動心理を掌握した“猫じゃらしマスター”を自負しているものとして、徹底して注意を逸らす。

 何の前触れもなく突如開けられた城門に、さらにもう一押しして、砦にいないはずの『仮面の紅魔族』の登場、興味をそそるネタには十分だろう。“こちらまで到達するには距離がある。まだ大丈夫”と思い込んでくれれば、見極めんと余裕に構えるのもまた心理。

 

 そして、五月蠅い鐘の音はその足音の気配をかき消すし、迫る大軍に否が応でも視界は前に向けられる。

 猫の意識というのは目の前で喧しく動くものについつい釣られてしまうものである

 

(もっとも、肉を切らせて骨を断つつもりであるのだから、最悪、()()()()()()、“囮”に注意を逸らせれば構わなかった)

 

 

 ♢♢♢

 

 

「覚醒の時、来たれり――っ!」

 

 その時。

 悪寒に首筋を撫でられたウォルバクは、振り向き、それまで隠れ潜んでいたその一団にようやく気付いた。後方から、急速に肉薄してくるパーティ。その先頭の青年が馬上で掲げるのは、魔剣『グラム』。

 人員は、三人。魔剣使いの勇者のパーティにひとり臨時加入させたもの。『ソードマスター』がひとり馬に乗り、その後ろに『ランサー』が幉を取る後ろに『アーチャー』が二人乗り。前方の王国兵の部隊と比べれば微々たる数である。だが、遥かにウォルバクの間合いに踏み込んでいた。

 この時、ウォルバクは『仮面の紅魔族』の“パフォーマンス”が陽動であることを悟ったのである。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 『盗賊』だった職歴がある『アーチャー』のフィオ……『アーチャー』が板についてきて、『盗賊』のカンを取り戻したその『潜伏』スキルを働かせた彼女に寄り添いながら機を待つ。

 

 ウォルバクの接近および位置座標には、事前に『エネミーサーチ』と『フローミ』でもって敵探知反応も表示される魔法紙の地図でもって把握。砦に入場する前にグルッと辺りを一周回ったそのときに複数枚を刷っておいた。

 砦にいるとんぬらもその一枚を携帯しており、砦が爆裂魔法の射程圏内に入るギリギリのところで鐘を鳴らすので、それを機に行動せよという段取り。

 

 

「無謬の境界に落ちし理――!」

 

 ――接近に気付かれた。

 しかし、こちらもすでに射程圏内に入っている。

 

「もっとできれば接近しておきたかったけど……フィオ! クレメア!」

 

「任せてキョウヤ!」

 

 ミツルギは焦らず、とんぬらと話し合ったその想定通りに『アーチャー』のフィオに指示を出す。

 

「『狙撃』!」

 

 駆ける馬上より騎射で一気に三本の矢を番えてウォルバクへ放つ。

 それは標的に届かず、手前に落ちた――瞬間、閃光が瞬いた。

 

(な゛っ!?)

 

 その矢は、『吸魔石』を鏃の素材とする『マジックアロー』。『アークウィザード』の閃光魔法『フラッシュ』が封入されていて、発動すれば目晦ましとなる。

 

「『パワフルスロー』!」

 

 続けて、矢を放った相方のフィオに腰に腕を巻いてもらい姿勢を支えてもらいながら、馬上で『ランサー』クレメアが、より強力に鍛えられた『投槍』スキルでもって、手にした槍を怯んだウォルバクへ放った。

 爆裂魔法の詠唱中は、無防備となるが足が動かせないわけではない。躱せる。詠唱を口ずさみながら、目晦ましを受けた直後で霞む視界に捉えた槍を回避――

 

(っ、今度は煙幕っ!?)

 

 それは、打てば煙が出るゴルフのスモークボールのように、投げ槍の空気摩擦に擦過する矛先より煙幕が生じて撒き散らされる。

 クレメアが投げたのは、『砂塵の槍』。砂煙を発生させる魔法効果のある武器だ。

 煙幕弾のように奇襲部隊を映していた視界を砂塵が覆い、攪乱。

 

 それでも、全身鎧に身を包む魔剣使いの勇者の位置取りは、ガシャンガシャンと隠れるのに無理な騒音、それに金属臭と体臭。獣の如き五感でもって把握できている。

 

(残念だったわね。見ずとも相手の位置くらいお見通しよ)

 

 これ以上踏み込まれて、爆裂魔法に自爆してしまう危険域まで踏み込まれる前に……!

 

「無形の歪みとなりて――!」

 

 

 ――いや、僕たちも囮だ。

 

 砂塵の垣間よりミツルギの口の動きが見えたその時、それは捉えていた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 光学迷彩『ライト・オブ・リフレクション』で身を隠しながら、ミツルギらの後ろについていく。

 そして、魔法の槍より煙幕を張った途端に、隠蔽の呪文を切り、詠唱を開始した。金属の鎧など装備していない軽装の魔法使い、それに蹄のついた馬ではなく、肉球で足音を殺して駆ける豹モンスター。それも馬よりも脚が速い。

 

 勝負は一度。細心の注意を払い、決める。

 土煙の目的は風向きを知るため。嗅覚の効かない風下より、迫る――!

 

「――捉えた」

 

 そんなゆんゆんの呟きは風を切る音に溶けて宙に消えていく。

 誰の耳にも入らなかったゆんゆんの呟きだが、もしゆんゆんと近しい者が耳にしていれば、その声音のあまりの冷たさに首を竦めたかもしれない。

 透明化が解除されて、煌々と赤く光る瞳が明らかになる。その少女の目に映す視界には、ローブを纏う人ならぬ魔力を解放する魔王軍の幹部――ウォルバクの姿がある。前回、戦闘に介入し爆裂魔法を放ったのを目撃していたゆんゆんは、その容易ならざる力を承知していた。

 実のところ、その姿を捉えた時から、ゆんゆんはともすれば駆け出そうとする体を押さえつけるのに苦労していたほどなのである。

 

 なぜなら、お姉さんの猫目の瞳孔を向けられている部隊を率いているのはゆんゆんのパートナーであり、いつあの竜をも焼き滅ぼせる爆炎がパートナーの身体を呑み込んでしまうかと思うと、居ても立ってもいられなかったのだ。

 ゆえに、呪文詠唱を始めようとしたその時、ゆんゆんの行動には、瞬き一つの遅滞もない。

 

「お姉さん……」

 

 ゆんゆんに馬術の腕などないけれど、何度となく騎乗してきたゲレゲレはこちらの意を声にして伝えずとも動いてくれて、呪文に集中できるよう揺らさずに疾駆してくれる

 

「それから、とんぬらぁ……!」

 

 幹部のさらに先、こちらと挟み打つよう疾走するとんぬらを見つけた途端に浮かべた笑みは、魔性の気配を宿して、いっそ壮絶とさえ称しえる怒気を内包していた。

 ゆんゆんにはとんぬらに怒りをぶつける正当な理由がある。挑発をして気を引くとは話に聞いていたのだけれど、まさかああも自ら死地に飛び込むような決死隊を指揮しているのだから、どうして怒らずにいられようか。もしこのパーティにとんぬらがいれば、呟くゆんゆんの顔を見るや、慌てて踵を返したに違いない。

 

 ――ウォルバクが、想定外の事態に“少し”戸惑ったのだとすれば。

 ――ゆんゆんは、このアドリブをぶっこんでくるパートナーに“とっても”怒っているのである。

 

 ……もっとも、それが自分たちの奇襲作戦の成功率、ひいては生存率を上げるためにああした行動をとったのだと気が付いている。そこに自身への気遣いがあることも。

 ゆえに、正確に言えば、ゆんゆんが怒っていたのはとんぬらではなく、そのとんぬらが言葉巧みに曖昧に濁した作戦概要に勘付けなかった自分自身であり――そしてとんぬらにいらぬ気を遣わせてしまった自分の不甲斐なさに対してであったかもしれない。

 

『恩義のあるお姉さんとやるのは辛いだろうが……』

 

 それをいうならとんぬらだって。

 だけどそれ以上に、きっと、とんぬらは、めぐみんのことを自身に重ねて見ている。

 だから、今度こそ、誰にも邪魔はさせない、自分のような結末にはさせない――それが戦う理由。

 

 お姉さんと対峙してから特にそれは顕著となっていて、今でははっきりと“戦う者”の顔になっている。少なくとも私にはそう見える。

 

 だから、私も縮こまってなんていられなかった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――ここで、あの子が……!

 

 完全に、意表を衝かれた。

 爆裂魔法は詠唱が長い上に、その間無防備になる。そして、あまりに接近を許すと自爆する危険がある。それゆえにこうも近いと躊躇する。今からでも別の上級魔法に詠唱を切り替えるか? いや、それをすれば、迎撃に成功できたとしてもまた一から詠唱を始めねばならず、それだけの余裕を与えればあの神器持ちの『ソードマスター』と刃を交えることになる。

 

 ――しかし、かといってこれだけ迫られれば爆裂魔法の完成は、間に合わない!

 威力調整に神経を割かねばならないほどに間合いを踏み込まれたウォルバクは、一度の攻撃を受けることを覚悟した。

 

 ――そして、ゆんゆんは、この一度で決めると決心していた。

 

 幸運の女神エリスが結んだ“赤い糸”のせいか、ある程度離れていても強い繋がりは常に意識で来ていた。そう、今だって――!

 

「私はひとりじゃないから――! いつだって前を向いていける! 紅魔族族長の娘、ううん、紅魔族の長となる者の力、全開にします!」

 

 鎖に十字に縛された魔導書『スキルブック』を単独で解錠。

 

「絶対に、成功させてみせる! お願い! ――『ギガジャティス』ッ!」

 

 開かれたページより飛び出す二頭の龍が、掲げた杖に螺旋に巻き付く。それにウォルバクは只ならぬ気配を察知する。

 

「現出せよ!」

 

 ――『エクスプロージョン』ッ!

 ともはや自爆覚悟で威力調整など無視して、詠唱完了を早めた間際、後は呪文名を唱えるだけ、ウォルバクの手から破滅の光が放たれようとしたその瞬間――よりも早くに、恐れず、迷わず、ゆんゆんは『光のタクト』を突き出していた。

 

 

「させない! 『マジックキャンセラー』――ッッ!!」

 

 

 破魔力を付加して、魔封じの魔法。

 いずれはライバルであるめぐみんと魔法勝負で覇を争うとしていたゆんゆんだ。対抗策の魔法は習得済み。

 二頭の龍が、ウォルバクの手に集った爆焔に食らいついて飲み込む。爆裂魔法を一時封印され、攻撃を失敗する。

 

 そして、これまでにない事態に驚き惑うウォルバクが、決定的な隙をさらしたのを、ミツルギキョウヤは逃さなかった。

 

「ウォルバク……。覚悟! 『ルーン・オブ・セイバー』――!!!」

 

 騎乗したままその神器の大剣をウォルバクに叩き込む!

 

 

 ♢♢♢

 

 

「なっ!?」

 

 似たような驚き声が一斉に彼方此方であがる。

 この時、出陣した王国兵たち全員が目を奪われ、進撃する足すら止め、そこへ視線を向けていただろう。

 もしかしたら、この戦いが終結するかもしれない瞬間であり、その一点にほとんどのものの想いが託された瞬間だっただけに。

 

 

「貴様は……」

 

 

 しかし、賽の目は邪神へ微笑んだらしい。

 この土壇場をひっくり返す、まさかの横槍。ウォルバクの足元、その影から召喚してきた巨漢、まさしく肉の壁が『ソードマスター』の剣技の前に立ちはだかり、その片腕をぶつけて打ち払われて魔剣の刃先の軌道が逸らされる。

 ウォルバクの眼前を掠めて振り下ろされた一撃は、大地を炸裂させて、池へ岩が投げ入れたかのように大量の土砂と砂塵を舞わす。

 土煙が濛々と立ち込め、視界が晴れない中、唖然と立ち呆けるウォルバク。

 霞見えるミツルギと乱入者の間で始まる一騎打ち。

 

「へっ! ウォルバク様には指一本と手触れさせねぇ!」

 

 王都第三位の実力者たる魔剣使いの勇者の剣戟を一合、二合、三合と凌ぎ、さらに反撃してゆく乱入者。

 遠目からでも伝わってくる裂帛の気迫に王国兵、それに同じパーティの女冒険者二人の喉が渇き、生唾をごくりと音を立てて送り込む。

 まだ土煙は晴れない。一騎打ちは四合、五合、六合と続き、その数を十合へ数えようとしたその時だった。

 ぐうっ! と呻く乱入者が頽れる。庇って受けた初撃のダメージが響いたのか、動きが鈍る。チャンス! この隙を狙い、ミツルギは馬上から高く跳び、その脳天から真っ二つにせんと振り切る兜割りを放つ。

 

「くはっ! 前よかレベルを上げてるみたいだが、まだまだァ!」

 

「ぐうっ!?」

「「キョウヤ!?」」

 

 角がひとつ折られたが狙いが外れる。肩口に魔剣が食い込んでその左腕を断つも、振り切って隙のできたミツルギへとお返しに右の剛拳が繰り出された。防御が間に合わぬと見るや、腕一本を犠牲にしてカウンターに切り替えたその思いきり。

 

「やはり、ホースト!」

 

 千載一遇のチャンスを妨害した上位悪魔は、『怠惰と暴虐を司る女神』の忠実なる配下ホースト。因縁深い強敵であった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「へっ! いやな予感がするからコッソリ影に忍び入ってみりゃ、こりゃ罠だったか」

 

 左腕を失って尚、邪神の右腕は、仁王立ちを崩さず、背に負うウォルバクへと呼びかける。

 

「早く撤退してください、ウォルバク様! この場は俺にお任せを」

 

「ホースト……」

 

 ミツルギは会心の一撃を貰ってしまい、その介抱にクレメアとフィオも駆け寄る。そして、ゆんゆんも爆裂魔法を封じ込めるほどの魔封じの魔法に大半の魔力を消費して、ふらついていた。

 しかし、今ここに、第二陣が追い付いた。魔王軍にとって難敵たる『仮面の紅魔族』が率いる。

 

「来るなら来やがれ! ウォルバク様には指一本触れさせねぇ!」

 

 王国兵が爆裂魔法を封じられた魔王軍幹部へと一斉に矢を放つ。徹底して、そこへ釘付けにするように。だがそれをホーストが肉の壁となって射撃を遮り、逆襲に上級火魔法を見舞いする。

 

「『インフェルノ』ー!」

「『風花雪月』!」

 

 矢の雨を蒸発する勢いで迫る真紅の津波を遮るは、防波堤の如き氷壁。王国兵たちを守護したのは、やはりとんぬらだ。

 鉄扇を振り上げた態勢のまま、しかし、とんぬらは微動だにしなかった。

 目を閉じることもない。恐れも、怯えもなく、苛烈な大悪魔から視線を離すことはない。

 

「『クリエイト・アース』」

 

 そんな、最も注意する相手は頭上に手を掲げて、初級土魔法を唱えた。

 一体何を……と油断なく見れば、すぐにそれは斜め上を行く相手なのだと知る。

 

「『クリエイト・アース』アース』アース』アース』アース』――ッ!!」

 

 魔法使い職の補正スキルである『多重詠唱』スキル『山彦の悟り』を、無詠唱の初級魔法。その魔法行使時間は秒を切る速さ。

 そして、同属性の初級魔法をひたすら、魔法錬成していく。たかが唱えたのは初級魔法だけだが、ホーストの巨漢を押し潰させるほどの岩石が出来上がる。

 初級魔法も積み重ねれば、上級魔法に匹敵する。しかし、そのような芸当、よほど卓越した魔力制御がなければ成し得ないだろう。

 ――それに加えて、彼自身の資質も合わさる。

 

「最後にもう一工夫、っと――」

 

 巨岩に、それを支える掌から血管の如きパターンの線が浮かび上がる。刺青ではない。プリント基板を思わせる無機質な幾何学模様で物質に浸透する、紅い線。

 

 これまで、食用に過ぎないところてんスライムを歌って踊れる自我の芽生えさせ、初級魔法から錬金素材を現出させ、宴会芸の踊りを回復魔法の波動を放つスキルにしてしまうその特異な片鱗。

 それが、熟練した『錬金術』が、その“対象の性質を拡大解釈させる”その竜の素質と合致して、ひとつの形――ドラゴン固有スキルとして昇華した『龍脈』スキル。

 

「やらせるかよ! 『カースド・インフェルノ』ー!」

 

「――『アストロン』ッ!」

 

 巨大な岩石にまとめられた『魔力の土』が、投擲された中空で鉱石と化し、ホーストの渾身の業火魔法を弾く。融解することなく炎獄を断ち割り、そして、飛来速度こそ落ちるものの勢いのついた超重量の鉄塊はホーストの片手で受け止めるには無理があり――

 

「ぐおおおおおお――っっ!!」

 

「ホースト! もういいわ、『テレポート』!」

 

 押し潰される前に、ウォルバクが魔法による緊急撤退でもって危機を脱した。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 右腕なる上位悪魔の獅子奮迅たる働きによって魔王軍幹部を逃した。

 あとの一歩のところまで追い詰めたのに……!

 

「すまない、とんぬら、僕が不覚を取ったせいで……! だけど次こそは――!」

 

 両脇を仲間の女性冒険者に支えられながら、ミツルギが立ち上がる。

 自分が最後の詰めを誤ったせいでお膳立てを台無しにしたと責任を感じている。しかし、歯がゆく悔やんだ顔を周りに晒されようとも前を向いていた。

 俯いている限り、勝利という名の天上の星は決して見えないという意思を目に宿し。

 

 改めて決意を深く刻んだミツルギによって、王国兵たちも盛り返す。それを見て、クレメアとフィオも小さく体を震わせた。

 そして、頼もしい彼らの様子を見て、ゆんゆん自身もまた、気力を据え直すように、一度、両手で頬を叩く。皆が失敗を嘆かず、前を向いているのならその足並みを揃えない理由はない。

 

「とんぬら……」

 

 そして、今日、初めて爆裂魔法を阻止した作戦立案者のパートナーに声をかける。

 この戦果を糧に喜びの勝鬨を、その音頭を取ってくれると思って。

 

 

 だが、とんぬらはそんな皆の期待に疑問を呈するように、首を軽く傾げる。

 

「何をもう終わった気になっているミツルギ」

 

「と、とんぬら、一体何を……?」

 

 邪神を討ち取る、またとない好機ではなかったのか。

 そう、ここで討たねば、相手は態勢を立て直して再び襲い掛かってくるだろう。撃退したとはいえ、まだ向こうの敵陣には魔王軍が控えている。今回は退けた邪神とて、再度の来襲がないわけではあるまい。そして次はもう今回のようにはいかないはず。

 

「そもそも俺は端からここで確実に倒せるとは考えていないし、そんな無理な注文まではしていないわけだが。“爆裂魔法を阻止した”、それだけで上出来だ。それ以上はミツルギ、あまりに高望みが過ぎるというものだぞ」

 

「ちょっと、キョウヤはあんたを信じてやったのにそんなこと……!」

 

 その物言いに腹を立てたフィオに、とんぬらは肩を竦めてみせる。

 その視線はミツルギらに向けられず、砦とは反対の方角。幹部が緊急避難した魔王軍の本陣に向けられている

 

「上位悪魔をも眷属に従え、その配下に慕われている女神には、大悪魔が護衛に控えているというのは容易に想像がつく。これに邪魔をされれば、ゆんゆんが爆裂魔法を封じ込めようとも、ミツルギが『テレポート』で逃げられる前に仕留めきることは無理だ。こうなるのは想定内」

 

 その言葉を聞いて、もうひとりクレメアの眉が急角度に上がった。

 

「あなた、仮にも指揮官なんでしょ! なのにそんなこと言ったら、一生懸命戦ったのに報われない!」

 

「パーティ揃って気の早い。そこまで考えはついている……つまりは、“狙った通りに動いている”と言っているのがわからないのか?」

 

「え?」

 

 不意に。

 自分たちの前に立つ仮面の少年が、まるでこれまで知っていた“とんぬら”という名の『アークウィザード』とは別人に思えた。

 周囲の空気が、一瞬のうちに数度下がったかのように、背筋が震える。

 それはきっと、恐れではなく、畏れ。

 人の身に封じられていた何かが解き放たれる瞬間を、自分は見ているのかもしれない。

 何故か、フィオ、クレメア、そして、ミツルギはそんな風に思ってしまった。

 ――もっとも、その奇妙な考えは長続きしなかったが。

 

「まあ」

 

 後ろ手に道具袋を漁る。

 その動作にビクッと反応したクレメアとフィオだったが、そこにいるのは、“とんぬら”という名の年下の魔法使い。

 その顔に浮かんでいるのは……

 

「向こうもこれで終わったものと思っていたら重畳だ」

 

 とんぬらは内通している裏切り者の高笑いを耳にしたわけではないが、今、彼女と同じように口元に笑みを浮かべていた――ただし、声をたてずに。

 

 

 ♢♢♢

 

 

『そういや、ウィズの店で売っている衝撃を与えると爆発するポーションって在庫どれだけある?』

 

 海での講習の間、この話をきっかけに“ニトロ”や“ダイナマイト”と言う話を兄ちゃん(カズマ)から聞いていた。

 

 道具袋から取り出したのは、爆発ポーションに爆弾岩の欠片、そして、吸水性が高く燃えやすい、植物が腐敗してできた特殊な土。

 これらを『錬金術・龍脈』スキルを働かせて握り込めながら、初級魔法で爆発系の構成属性である火魔法『ティンダー』と風魔法『ウインドブレス』を混ぜ篭める。

 

「完成。疑似爆発魔法――『魔法の玉』」

 

 “魔法でできた玉”ではなく、錬金術の産物。つまりは、玉そのものは魔法ではなく、“魔法力が入った火薬玉”。

 されどその破壊力は、師匠キールが得意魔法としていた爆発魔法に匹敵する――

 

 

 ♢♢♢

 

 

 本陣へ帰還を果たしたウォルバクは、配下たちに訝し気に出迎えられた。

 

 ――彼の者、上位悪魔(アーネス)すら欺ける変身能力の持ち主。汝らの主に化けて埋伏の毒となる策を用いるので警戒を厳とせよ。

 

 との密告より、配下たちは、本物か偽者か見分ける判断ができないでいるのだ。

 潜入工作を仕掛けてくる者は、『仮面の紅魔族』。魔王軍の高額賞金首であり、最上級悪魔をも嵌めた油断ならぬ相手。

 少し考えれば、ウォルバクも爪を隠しつつ距離を取る配下らの思案も想像がついたであろうが、予期せぬ出来事に追い詰められた直後でその余裕もなかった。

 ホーストも力はあるがそこまで回る頭はなく、場の空気を読むのに疎い。

 ただ、片腕を切り落とされて重傷な副官の存在に只ならぬ事態を察して、硬直が解けるのが早くはあった。

 

「あなた方は――」

 

 魔王軍のひとりが、身分証明確認を言いかけたそのときだった。

 

 砦の方角から、遠くにいるこちらの腹の底に響くほどの轟音が発せられた。

 

 それは、爆発魔法並みの威力を誇る『魔法の玉』が炸裂した音なのだが、ここ連日幾度となく“ウォルバク様の爆裂魔法が砦を爆撃する”のを耳にしてきた配下たちには、()()誤認しても仕方のない。

 

 “今、爆裂魔法が放たれたのに、どうしてここにウォルバク様がいるのか?”

 

 “爆裂魔法を操れるお方なんて、ウォルバク様くらいしか思い当たらない”

 

 “ならば、そのアリバイによって本物がいるはずのない今、この本陣に現れた“ウォルバク”は、偽者、となる――”

 

 爆発に、精神的に揺さぶられた魔王軍は、さらなる揺さぶりをかけられる。

 

 

『今こそ好機! 敵陣に攻め入るぞー!』

 

 

 “爆発音を合図に”と言い含められていた神器持ちの勇者候補の連中が、強襲を仕掛けてきたのだ。

 それまで爆裂魔法を警戒して森への接近を拒んできた人間たちが“このタイミング”でやって来た。

 “呼応している”、そう思われても無理はなくて、何人かの魔物らは目配せをして頷き合った。

 魔王軍に蒔かれた疑念の種は外から“水”を与えて実を結び、さらにこの嵐の夜のように不明瞭のまま切迫した状況下に、青い果実のまま地に落ちようとしていた。

 

「おい! テメェら何をボケっとしていやがる! とっとと迎え撃たねぇか!」

 

 声荒げてホーストが叱責を飛ばす。

 しかし、だ。この状況において真っ先に動き出すであろうお方が、詠唱も口にしていないことに配下たちは注視していた。

 先の爆発音が爆裂魔法によるものでなければ、まだ爆裂魔法を撃てるだけの余力はあるはず。

 なのに、動かない。

 爆裂魔法が魔封じに掛けられている状態を知らぬ魔物らには、どうして遠距離からの迎撃に最適な爆裂魔法を唱えてくれない理由がわからない。甚大な爆発範囲に巻き込まれるわけにはいかないので、打って出るにも腰が引ける。ここは『ヘルハーブ温泉』を渡れぬ人間たちが対岸にいるうちに爆裂魔法で一掃することこそが最適解であるというのに。

 だから、この状況において爆裂魔法を唱えられない理由が、“偽者であるから元々爆裂魔法を唱えられない”と言う発想に至る者が少なからずおり――疑念が、彼らの中で確信に成った。

 

 ――何としてでも、『仮面の紅魔族』は討ち果たすべき!

 

 そして、諜報部から特に指示された内容が脳裏に過ったその時、迫られる決断に最後の一押しをする宣告が響いた。

 

「あなた達、一体何――」

「『このウォルバク様は偽者だ! 勇者候補どもと合流される前に『仮面の紅魔族』を討ち取れー!』」

 

 

 女神であるウォルバクといえど、一瞬で味方の混乱を沈静させることは出来ない。ともすれば、味方の魔物からさえ爪を向けられる始末である。だが、彼らを討ち払えば、混乱はますます深まり、偽者という言葉が現実となってしまう。

 押し寄せる敵襲を防ぎつつ、味方の混乱を鎮める。ウォルバクとホーストは、二つの相反する任を同時に遂行せねばならず、それが至難の業であったのは言うまでもないことであった。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 ヘルハーブ温泉:ドラクエⅥに登場。絶望の街の原因を作った温泉。入るとあまりの快感に脱力してしまい、HP1MP0の無気力状態になってしまう。この温泉にある井戸から現実世界に帰ることができるのだが、これに抗えるのは主人公一行のみで、それまで何人もの絶望の街の住人が温泉中毒になった。

 恐竜の卵が腐った匂いがするらしく、おそらくは硫黄(硫化水素)が混じっていると思われ、活火山で湧いた温泉であることが推測される。

 

 砂塵の槍:ドラクエⅧより登場する武器。砂塵を巻き上げて目潰しして幻惑する。

 

 山彦の悟り:ドラクエに登場する特技。賢者の秘伝書を所持していれば使用が可能。数ターン、一度に二回呪文を詠唱できるようになる。

 

 龍脈:ドラクエⅩの漫画『蒼天のソウラ』に登場するオリジナルの特性『エクステンション・ライン』を参照。エンシェント・ドラゴン固有能力で、身体に紋様が浮かび上がり、流れる血は非生物に命を、また万物の理を拡大解釈させる力を与える。

 例として。

 自然物をモンスター化(石ころを爆弾岩。風をかまいたち)。

 武器を強化(氷を氷の刃、溶岩をガイアの剣、木刀を勇者の剣)。

 魔法や特技の威力や効果を増強(『解錠魔法(アバカム)』を物質分解に)

 作中では、熟達した『錬金術』スキルがドラゴンの固有スキルに昇華したという設定。

 ところてんスライムに自我が芽生えたり、初級魔法が錬金素材になっていたり、宴会芸の踊りで回復の波動が放てるようになったりなどはその片鱗。

 

 魔法の玉:ドラクエⅢに登場する重要アイテム。物語の序盤、洞窟の壁を破壊するのに必須。爆弾の一種で、玉そのものは、魔法ではなく科学の産物。“魔法でできた玉”ではなく、“魔法力が入った火薬玉”。

 曰く、普通の火薬に爆弾岩から抽出したエキスを混ぜ込んで丁寧に裏ごしした後、乾燥させて作成される。

 ドラクエビルダーズにも登場するアイテムで、唯一オリハルコン鉱脈を破壊できる。


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