この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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長いです(;^_^A


79話

 これは宮廷道化師として第一王女に仕えていた時に聞かされた、サトウカズマの昔語り。

 

『――そこで俺は言ってやったんだ。『平日のこんな時間に同じゲームをやってる以上、俺とお前は敵じゃない。なあ、俺達のギルドへ来いよ。あんたの真の仲間はそこにいるから……』ってな』

 

 めぐみんから話を聞かされたことがある。

 兄ちゃんは元の国では“ランカー”と呼ばれていた。言ってしまえば、ランキング上位者という意味で、今の王都第三位で名が売れている魔剣使いの勇者と同じ。仲間には『レア運だけのカズマさん』だの、『インしたらいつもいるカズマさん』だのと、色々な通り名をつけられ、頼りにされていたそうだ。

 戦友と一緒に砦へ攻め込んだり、大物ボスを狩ったり。

 徹夜なんて当たり前で、ロクに食事もとらずに、毎日二時間ほど寝て、すぐにモンスター狩りをしていたそうだ。

 普段の兄ちゃんからは信じられないような話であるも、それを直に聞いためぐみんは、何故だかウソを言っている気配がまったく感じられない。あの時のカズマからは、確かな自信と懐かしさを感じられたという。おそらくはそういう経験が元になって機転が利くのだろうか。

 

 けれど、盛者必衰。栄えていたそのギルドも滅びの運命を迎える。

 

『こうして、最強の廃人と名高かったその男はギルドに移籍し、俺達は名実共に最大手のギルドになった。その後は……まあ、色々あってその時のギルドは崩壊しちゃったんだが、ここから先は流石にアイリスには聞かせられないな』

 

『そんな! お兄様、せめて何があったのかを冒頭だけでも!』

 

『しょうがないな、冒頭だけだぞ? ……ある日、俺達のギルドに新人が入ってきたんだ。そいつの名は『闇♰天使』。たった一人の新人の女の子の加入が、ギルド崩壊の引き金になったのさ』

 

『待ってください。そんな面白そうな冒頭を話しておいて、後はお預けだなんて酷いです! その女の方が何をしたのですか!? 教えてくれないときになって眠れないです!』

 

『何が起こったのかはあんまり詳しく言いたくないんだが……。とりあえず一つだけ。『姫』とだけ言っておこうか』

 

『姫、ですか? ……ハッ!? まさか、そのお姫様とギルドの方が恋仲になった、とか……?』

 

『よくわかったな。そう、その姫のおかげで大変なことになったのさ』

 

『なるほど、身分の差というものがありますからね……』

 

 この最後の第一王女様の推理は外れているだろう。兄ちゃんの話しぶりからしてそれは実際のお姫様ではなく、お姫様のように振舞った、というのが正しいと思われる。

 英雄の末路は、強力な魔物との戦場で討ち死にするのではなく、案外、人間関係のいざこざの果てに亡くなってしまうというケースも少なくないのだ。

 それに宮廷魔導士として王城に仕えていたお師匠様も、一人の女性のために国を傾けてしまうようなお人であったのだから。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――ゼスタお師匠様! この俺が間違っていました! 俺が、素直にアクシズ教に入信していればこんなことには……!」

 

「プルプル……ハンスの毒にやられて、もうだめー……」

 

「みんみん、すまない……っ!」

 

 仮面をつけた青年が、頽れる少女みんみん――に頑張って扮装しようとかつらを被った肢触手付きのクラゲっぽいスライムを抱きながら、慟哭を上げる。

 そこへ、颯爽と現れたのは司祭服を身に纏う、つけ髭を付けたダンディな白髪の中年男性と、最高司祭に付き添う美人プリースト(当人)。

 

「諦めてはなりません。我が愛弟子トンヌーラよ。我らが女神アクア様はきっと救いを求める手を無視したりはしませんよ」

 

「そうよ、トンヌーラ、このアクシズ教団最高司祭のゼスタ様の言う通り、今からでも入信すれば、アクア様からアレな超パワーを授けられて強くて格好良い王子様になれるわ!」

 

「わかったよ、ゼスタお師匠様、セシリーお姉ちゃん! 俺、アクシズの王子様になる!」

 

 そして、改心した少年トンヌーラは差し出された入信書に進んで名前を記入して、

 

 

「――いくら何でも脚色が酷過ぎるぞ脚本家!!」

「――ねぇスライムって私の役適当過ぎない!?」

 

 

 と、ご本人さんたち(とんぬらとゆんゆん)の乱入で、アクシズ教団の寸劇という公開処刑をどうにか阻止したところで、カズマが戻って来た。

 

「いやー、ごめんごめん。待たせちまったか」

 

「カズマ……」

 

 よほど急いできたのか、自身の心臓のある左胸を左手で押さえて、肩で息を切らしている。

 格好悪かろうが、約束を反故にしないその姿勢は立派だと思うと、待たされたのも何だか許せてしまった。

 

「あれ? とんぬら達は?」

 

「二人ならアクシズ教の劇に乱入しに行っています。私個人としても、あれにあてられて更にイチャイチャされてはたまらないので」

 

 キスシーンの熱演なんて燃料を投下されれば、本物(モデル)がどうなるのかは、これまでの付き合いから大まかに展開が予想できるというもの(まあ、ゆんゆん役が元ところてんスライムの突然変異種だったので、そんなムードには絶対にならないだろうけど)。これ以上アツアツになってしまうようであれば、めぐみんはこのダブルデートを辞退したいところだ。

 

「じゃ、詫びになんか屋台を奢らせてくれよ」

 

 こちらの返事を待たず、ちょうど通りがかったその辺の屋台で適当に買った串焼きを渡される。

 

「……別に、構いませんのに」

 

「すまん。劇を中止させる交換条件で5m大のひよこの氷像を頼まれて製作するのに時間がかかった。お、兄ちゃんも来てたのか」

 

 言いながら、串焼きを頬張る。おいしい。

 それから制作作業を終えたとんぬらとゆんゆんが戻ってきて、合流したカズマと別の区画へと移る。

 

「本がたくさん並んでるわねここ」

 

「“こみっくまーけっと”というのらしい。何でも王都で流行っているそうだが、自作した本、“同人誌”が主に売られている」

 

「あ、そこの本、私も持っているわ!」

 

 フリーマーケットのようにシートの上に本を手に取る。

 『貴殿の名前は』、『魔界の中心で義兄を避ける』、『君とモツを食べたい』など、奇怪な題名ばかりだが、最近、若い女性の間で流行っている恋愛小説なのだそうだ。

 

「ふむ。そういや、家の棚に並べられているのを見たことがある、ゆんゆんの愛読書か?」

 

「うん。ここにある作品はすべて作者が同じで、遠い異国からやって来た方だそうよ。恋愛小説が得意で、この作品は私のオリジナルで誰かの作品を真似たものじゃない! と独自性を強調しているんだって」

 

「絶対そいつ日本人だろ」

 

 カズマが何とも言えない微妙な目で本のタイトルを眺めている。

 なんだろう。もしかして、時々話してくれる故郷と関わりがあるのだろうか。めぐみんも気になって、この混雑しているブースに入りながら並べられた“同人誌”を注視してみて……ふと、心当たりのありそうなタイトルが目についた。

 

 『紅魔族天空物語:著あるえ』

 

 著者を確かめてみたが、やっぱりこれは女子クラスの同級生にして文豪の卵であるあるえが書いた本だろう。

 アクシズ教団の劇を阻止しようとも、あの紅魔族随一のバカップルがやらかした伝説とやらは広まっていくものらしい。

 

(とんぬらもゆんゆんも紅魔族なら恥ずかしがらずに堂々と、いい加減に開き直れば……――いや、そうなったらうざいくらいにいちゃつきそうですから、そのままで……)

 

 それから瞼が半分くらい落ちた眼差しで視線を横にスライド。隣のシートに並べられていたのは、

 『チンピラ冒険者と貴族の三男坊の禁断の逃避行 ~黙って俺様に攫われな~』、

 『魔剣の勇者と仮面の賢者の黄金タッグ ~竜殺し×ドラゴン~』

 ……というタイトルの、半裸の男二人が睦み合う絵、特に二冊目の表紙を飾る賢者はとんぬらがモデルのようで、勇者もミツ……何とかさんっぽい感じで――

 

 

「――おおっ! こんなところにらうらう先生の本が見つかるなんて!」

 

 

 めぐみんが思わず頬を引き攣らせたそれに歓声を上げる女性客。

 見れば、黒髪ロングのスタイルの良い女性……裁判の時に対峙した検察官セナがいた。

 めぐみんは半開の眼を全開にして、ジッと見てしまう。

 見ているのはその服装。

 いつもは、制服にタイトスカートというきっちりとした仕事服だが、今日のセナはいつもと雰囲気が違っている。

 

 制服を着ておらず、半袖のシャツで、スカートはふわりとしたフレアスカートだ。いつもと違う大人の魅力を見せる、開放感のある服装だった。

 仕事人間と思われるセナからして、プライベートでもきっちりとしているイメージがあったが、もしかして誰かとデートにでも出かけているのだろうか?

 

 

 ♢♢♢

 

 

(なあっ!? どうして、劇に連れ込んでおいたはずなのにもう出てきてるんだセナのやつ!?)

 

 今話題の恋愛劇を観に特設ステージへ誘い、途中でトイレと言って抜け出した。

 しかし、その現在劇を鑑賞しているはずの彼女がここにいるので吃驚である。ここは予定を繰り上げて、次の行動に移そう。

 幸いにもめぐみんの意識はカズマから逸れていて、ゆんゆんの方もとんぬらが相手をしている。

 

(兄ちゃん、今のうちに!)

(悪ぃ! フォローを頼んだ!)

 

 アイコンタクトで意思疎通してから、カズマは『潜伏』スキルで人混みに紛れる。

 

 

「………ちっ」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ちょっと目を離した間に、まためぐみんの前からカズマがいなくなってしまった。

 

「こんな時に迷子になるなんて、カズマがお子様ですか。まったく世話がかかりますね」

 

 ちらりととんぬらとゆんゆんを見る。自然に手を繋いでいる二人……こちらもそのようにした方が良かっただろうか。

 

「この混み具合だから仕方がない。一旦ここのブースから出よう。このままでは俺達も二次遭難してしまいそうだしな。それに兄ちゃんと話し合って予定は決めていたんだ。ランチを予約したレストランで待ち合わせれば、合流できるはずだ」

 

 とんぬらの提案で、“こみっくまーけっと”から出る。

 確かにこのままここにいてもその方が確実だ。そうして、祭りで混雑した通りを抜けて、小洒落たレストランに入る。

 

「そういや、ちょうど兄ちゃんがいないから訊ねるが、めぐみんは兄ちゃんの誕生日プレゼントはどうするんだ?」

 

 まだ昼食の方は頼まず飲み物だけを注文してからテーブルについたところで、とんぬらが何気なく話を振る。

 この感謝祭の最終日である四日目、その日が奇遇にもちょうどカズマの誕生日であるとこの前自己申告された。もちろん、ぬかりなく用意している。

 

「紅魔族のお守りを用意していますよ」

 

「ああ、紅魔族の伝統的なあれか。うん、いいんじゃないか」

 

 紅魔族に伝わる魔術的なお守り。そのお守りの中に、強い魔力を持つ者の髪の毛を入れて、そして、仲間に渡す。

 特に魔王軍打倒の遠征に出る者は、里の物全員分の髪の毛がぎっしりと詰め込まれたお守りを渡される。

 

「まあ気休め的なものですが、一番弱くて死にそうなカズマに誕生日プレゼントとしてあげようかと」

 

「お守りって多ければ多いほどご利益があるんだっけか」

 

「そうですね。中からはみ出すほどのお守りにもなると、それはもう霊験あらたかなものでしょう。持ち主の身を守るだけでなく、その辺にポンと荷物を置いておいても中の物が盗まれなかったり、荷物を落としたのにそれがすぐに届けられたりと、効果は絶大ですよ」

 

「それって単に髪の毛がはみ出してるお守りを見て、気味悪がって関わるのを避けられるからじゃないの?」

 

 冷静に指摘するゆんゆんだけれど、そういう事ならば、と自らの髪の毛を一本引き抜き、またとんぬらも同じように。

 

「なら、俺達のも入れておいてくれよ。魔力の強さには結構自信があるからな」

 

「……ゆんゆんはとにかく、とんぬらのを入れるとモンスター化したりしそうですよね」

 

「あんたは俺の身体を一体何だと思っているんだ」

 

 くすっ、と笑みがこぼれた。

 受け取った二人の髪の毛をハンカチに包んでしまう。

 

「そういえば、とんぬら、私に話があるとのことですが……」

 

「……そうだったな。こんな祭りの時に言うもんじゃないとも思ったが、なるべく早くに報せた方が良いだろう」

 

 店員がテーブルに配膳したコーヒーを一口飲むとんぬら。ゆんゆんと一度目配せしてから、口を開いた。

 

 

「爆裂魔法の使い手に遭遇した」

 

 

 思わぬ言葉に、めぐみんはテーブルから身を乗り出してとんぬらに顔を近づけて問い詰めた。

 

「本当ですか、とんぬら! 本当に私やウィズ以外の爆裂魔法を使える魔法使いに会ったんですか?」

 

「この前の魔王軍との戦いでな」

 

 え……。と詰め寄ろうとしためぐみんは続く言葉に凍り付いたように固まる。

 身体も、表情も、何もかも。瞬きすら忘れてしまう。

 そんな中で揺れる瞳と見合わさって、とんぬらも口を噤んでしまう。ゆんゆんが引き継いで、

 

「ほら、救援要請で行ったじゃない? そのときに、ホースト……ちょむすけを狙ってた上位悪魔と対決したのよ私達」

 

「ホースト、我が爆裂魔法で一掃した……」

 

「邪神の右腕だ。そして、俺達があと一歩のところまで追い詰めたホーストが討ち取られる間際に、戦場に介入してきたのが、その爆裂魔法の使い手だ」

 

 これはまだ新聞には載っていない情報だが、と前置きを入れて、

 

「この王都の最前線に参戦した魔王軍幹部は、邪神ウォルバクであるそうだ」

 

 ウォルバク……それは、猫耳神社でも祀っている『怠惰と暴虐を司る女神』で、そして、めぐみんとその妹こめっこが封印を解いてしまった邪神の名だ。

 

「それは本当に……爆裂魔法だったのですか?」

 

 恐る恐る訪ねれば、とんぬらは服の前をずらして、下に隠れていた胸元を覆う包帯を見せた。我慢大会でダクネスを降して優勝した頑健なとんぬらに、たった一撃で、これほどに深いダメージを残すほどの威力。めぐみんにその心当たりはひとつしかない。

 

「その魔法を受けた俺が断言してやる。あれは爆裂魔法だ。その詠唱も聴いたから、間違いない。……そして、術者の声は、偽ってなければ、女性のもの。ローブに覆われていたが、おそらくは胸の大きなスタイルをしていた」

 

「とんぬら、あなたあの状況で……そんな巨乳のためにあんな危険なことをしたの……!?」

 

「そんな胸の大きなお姉さんとお近づきしたいがために爆裂魔法に飛び込むほど命知らずじゃないからなゆんゆん!」

 

 バカップルが痴話喧嘩(イチャイチャ)し始めたが、そんなは耳に入らなかった。

 爆裂魔法が使える、巨乳のお姉さん……――それは、自分を助けてくれて、爆裂魔法を教えてくれた恩人なのかもしれない。

 

 でも、彼女は、魔王軍――人類の敵対者だった。

 

「かつてアーネスに、ちょむすけは、邪神ウォルバクの暴虐の半身だと言っていたが。そこから推察するに、今、暴れている魔王軍の幹部の方は怠惰を司る半身なのだと俺は思う」

 

 ゆんゆんを宥めて……こちらに整理するための時間を与えたところで、とんぬらは考察を再開させる。

 

「そして、爆裂魔法は、普通なら修得方法がほとんど伝えられていない魔法だ。長く魔法の研究に携わった者か、あるいは“長い年月を生き抜いた人外の魔法使い”の間にしか知られていない。

 ――めぐみん、邪神の封印を解いて、漆黒の魔獣に襲われたとき、それを爆裂魔法で救ってくれた巨乳のお姉さんは、()()()()()()()()()?」

 

「……そんなの……わかるはずがないじゃないですか」

 

「じゃあ、そのお姉さんは何か言っていなかったか?」

 

 俯いためぐみんに、さらに追及したとんぬら。

 

 

『もう少しだけ眠りなさい、我が半身。あなたが目覚めるには、この世界はまだ平和過ぎるから……』

 

 

 脳裏に、そんな些細な呟きが蘇った。

 思い出さなくていいものを、このたった一度も忘れたことのない己の原点たる思い出の中から拾い上げてくれたこの優秀な頭脳が恨めしいと初めて思った。

 

「ですから……! そんな昔のことなんて、憶えてるはずがないじゃないですか!」

 

「……そうか。気に障ったことを訊いてしまったな。すまん」

 

 いつのまにかゆんゆんが消音魔法の結界を張っていてくれたようで、騒ぎにはならなかったが、大声を上げためぐみんにとんぬらは頭を下げた。

 ……この男子クラスの首席で学校卒業の最短記録を成した麒麟児ならば、見抜けているはずだろうに。

 

「めぐみん……」

 

 ゆんゆんが心配そうに窺う。もうボッチの娘にも察してしまわれるくらい、自分の顔に如実に出ているのだろう。

 

 実際、二人が見ためぐみんの顔は、形容するに難しいものだった。

 “ああそうなんですか”という納得。

 “そんなはずはない”という否定と。

 それから“どうかこれまでの話は冗談だといってください”という懇願が。

 それらが、ない交ぜになったその顔をしている。ただただ痛ましいというしか他ない表情である。

 

「もし……」

 

「ん?」

 

「もし……その幹部が本当に……邪神ウォルバクだったとしたら……とんぬらは、どうするんですか?」

 

「紅魔族は魔王に対抗するために造られた最強の魔法使い集団だ。そして、荒御霊――人に害なす荒ぶる神を鎮めることも、神主の仕事であるからな……この傷が癒えれば、魔王軍幹部の邪神の討伐に赴くつもりだ」

 

 身を千切るような声の問いかけに、仮面の奥より迷いのない瞳でめぐみんを見ながら、とんぬらは断言した。討伐、すなわち斃すと宣告した。

 そして、ゆんゆんも口にするには言いよどんでしまうものの無言で頷くことで意思表示をする。

 

「おそらく、砦に場所を移し、戦線の立て直しに一月ほどの時間がかかるだろうと俺は見ている。戦闘が再開させるまでに、傷の完治を済ませるつもりだ」

 

 言外に“それまでに決めておけ”と伝えているのがわかった。

 まだ、爆裂魔法を教えてくれた恩人と魔王軍幹部の邪神が同一であるという確証は得ていない。あくまでも憶測だ。

 でも――

 

「本物かどうか、それを知るには、めぐみんが戦場に行かなければできないだろう」

 

 めぐみんの思い出はめぐみんしか見ることはできない。話は聞いていてもとんぬらやゆんゆんにだってわかりっこはない。

 とんぬらが言えるのは、確かめるには、めぐみんが自分の足で立ち向かい、自分の目で見極めなければいけないという事だけだ。

 

 恩のあるお師匠様と対峙し、そしてとんぬらは退治した。そこに後悔がなかったと言えばウソになる。しかし、行かなければ後悔していたと確信している。往くも退くもそれをきめるのはめぐみんであって、とんぬらではなく、だから、それ以上の口出しは控えた。

 

「はぁ……ったく、祭りの最中で言うようなことじゃないな本当に」

 

 苦いコーヒーを啜るとんぬら。

 それをめぐみんは恨みがましい眇めた目で、どこか拗ねたような口調で、甘噛みするような弱さで批難する。

 

「ええ、まったくですよ。……とんぬらは、酷い男です」

 

「悪いな。めぐみんの気持ちに応えてやれなくって」

 

 

 ♢♢♢

 

 

『ち、違います! これは個人的な趣味嗜好は関係なく、純粋に学術的な興味で眺めていただけで……!』

 

 がっつりと男と男が絡み合う絵本を熟読していたセナに声をかけると、慌てて弁明を口にした。普段のキリッとしたできる検察官がウソのような供述ぶりである。

 

 この『女性の婚期を守る会』の会長はこの趣味のせいでお見合いを失敗してしまっているのだという。

 

 変態ドM女騎士に鍛えられているので、それくらいの残念美人っぷりで、カズマが声高に批難したり(ツッコミを)するつもりはない。むしろ、こう必死に隠そうと言い訳するのは可愛いものだとさえ思う。

 この最近のダクネスは慣れてきてしまっているせいか、自重しなくなってきてるからな。

 

『……普通、甘味ってのが美味しさの元だが、人の顔を顰めちまう苦味にも時には俺達を魅了する力がある。たぶん……そいつが、人がコーヒーを飲む理由だろうぜ』

 

『ぬ、ヌラー様……』

 

『男同士の同性愛に興味のあるお姉さん……キライじゃないぜ』

 

 今日までとんぬら直々にヌラー語録を叩き込まれ、芸達者になる『ヴァーサタイル・エンターテイナー』の支援を受けているおかげで、こんな意味の分からんコーヒートークもできるようになっていた。

 よほど趣味に理解を示してくれたのが嬉しかったのだろう。もしくは趣味がバレて吹っ切れたのか。

 その後、セナに布教・洗脳せんとするような勢いで“性別を超えた純愛”について熱く語り聞かされた。

 “コミケ”のブースに展示されてた『魔剣の勇者と仮面の賢者』シリーズの最新刊を買ってもらい、まだ漁りたさそうなセナにしばらくひとりで存分に見てくると良いと送り出した。折角の“ヌラー様”の最中だが、良本との出会いは一期一会。この機会を見逃すと二度と名作に出会えないかもしれない。

 数分、迷いに迷ったのち、セナはまだ“こみっくまーけっと”ゾーンに居残ることを決め、彼女が物色している間に昼食でも買ってこようと言ってヌラー´(カズマ)は抜け出して、レストランへ向かう。

 

 うん、この黒髪ロング巨乳美人にお相手ができなかったのは、単に仕事人間だからという問題ではないと悟った。

 

 そして、路地裏で変身を解き、『吸魔石』で魔力を補充しながら匂い消しの消臭剤をかけると、決めておいたレストランへ――

 

 

「ええ、まったくですよ。……とんぬらは、酷い男です」

 

「悪いな。めぐみんの気持ちに応えてやれなくって」

 

 

 え……?

 何やら話してるなーと遠目でもわかったけど、結界でも張っているのか声は聴こえず、近づいてみてまずカズマに飛び込んできた発言がこれだった。

 

 何だろう、このフッたフラれたみたいなセリフ。

 そういえば、紅魔の里でめぐみんはとんぬらのことが好きだとか言っていたな……。

 

「あ、カズマさん」

 

「お、おう。わるいわるい、迷子になっちまって……もう飯は食べたのか?」

 

 同じ卓についていたゆんゆんがこちらに気付いた。

 今、彼氏が親友から告白されたっぽいけど、浮かべているのは悲痛を滲ませた表情……これは、めぐみんに気を遣っているのだろう。つまりは、やはりフラれたのかめぐみん。

 こっちが腐女子からBL談議を聞かされていた時に、『ゆんゆんと付き合っているのはわかってますけど、それでもとんぬらが好きです!』みたいな紅魔族の三角関係なんて展開がここで起こっていた――

 

(……なーんて。そんなことがあるはずがない、よな……?)

 

「いえ、まだですよカズマ。カズマが来たらすぐに頼めるように店員にも言ってあります」

 

「そうか……それで、俺が来るまで何話してたの?」

 

「それは……まだ、カズマには話せません」

 

 気になる……! すごい気になる……!

 

「と、とんぬら……?」

 

「兄ちゃん、めぐみんに整理する時間を与えてやってくれないか。うん、今は祭りを楽しむことに集中しよう。……俺が言えることじゃないけどな」

 

 傷心娘と祭りを楽しむってなかなかできる事じゃないと思うぞ。

 これ、ダブルデートのはずなんだが、俺なしで展開が進んでるって……自分ピエロか?

 ダメだ。心の準備がまだできてないんだけど、すごく気になる! いっそひと思いで介錯してほしいようなもどかしい気持ち……引き籠るきっかけとなった、好きだった幼馴染が不良の先輩と付き合ったのを目撃した時と同じなんだけど……!

 

 

 その後、悶々としたカズマは下調べをして今人気沸騰中の『アクセル』のオススメランチメニューを頂いたのだが、ほとんど味なんてわからなくて、店を出てからも夢遊病のようにふらついていた。

 

「その……大丈夫か、兄ちゃん?(責任を取らせるつもりでやらせたが、ダブルデートはやはり相当無理をしているな)」

 

「問題ない。俺は、まったく大丈夫だ(あの時とは違う。めぐみんはフラれた。つまりはフリーだ! むしろ傷心中に優しくした方がコロッと落ちると聞いたことがあるし! でも、とんぬらのことが好きだったわけで……)――ぐああああああああ!」

 

「兄ちゃん本当にどうしたんだ!?」

 

 頭を掻き毟って奇声を上げる様子にだいぶ三人から心配されたが、予定通りにお手洗いに行くと言って、抜け出した。……セナから贈られた、一冊の本を置き忘れて(ドロップして)……

 

「おや、カズマが忘れ物……もしかして、これは今日の初デートの記念にプレゼントを……? ……み、見てはダメなんでしょうが、やはり気になってしまいますね……ここはそぉっと、少しだけ、少しだけ、中を確かめて……」

 

 そして、それを拾ったのは今日のお相手役であるめぐみん。

 

「『魔剣の勇者と仮面の賢者に割って入る鬼畜な冒険者の三角関係 ~竜殺しとドラゴンの純愛を略奪する寝取られ(スティール)が炸裂!~』……――ど、どうしてカズマがこんなものを……!? まさか、あの紅魔族随一のプレイボーイ……ついに男まで落とすようになったのですか……っ!」

 

 渦中の人物には知らないところで、誤解は斜め上に加速した。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――ゆんゆん、もっととんぬらに積極的にアピールしなさい」

 

 突然、めぐみんがこんなことを言い出した。

 貸衣装をしているお店に行き、これからKIMONOという夏祭りの伝統衣装(和装なとんぬらとお揃いな感じでとても興味が引かれている)に着替えようと更衣室に。そこでめぐみんが目を紅くして、ゆんゆんを見つめる。

 

「どうしたのよ、めぐみん。そんな、唐突に……?」

 

「ゆんゆんに言うまでもないでしょうが、とんぬらはモテます。しかし隙があり過ぎです。こんなホイホイと引っ掻けるようでは問題です。ですから手遅れになる前に……ゆんゆんがここはしっかりと幉を握っておかなければなりません」

 

 こくこくと頷くゆんゆん。

 こめっこのこともあったが、先日の一件からシルフィーナのとんぬらを見る目が熱っぽくなっている気がする。

 これは、いざというときのために準備してあるとっておきの勝負着――猫型の大きな穴が開いているブラに、お尻に肉球マークが描かれたショーツ――『エッチな下着・猫ランジェリー』の出番か……というのが、この最近のゆんゆんの悩みであった。

 

「わたしはゆんゆんととんぬらには、幸せになってほしいんです……」

 

「め、めぐみん!」

 

「他が間に割って入れないくらいに周りにアツアツだと知らしめなさい! 紅魔族随一のバカップルの本領を発揮するのです!」

 

 ライバルからの熱いエール。感動したゆんゆんは涙ぐむ。『今日はどうにもめぐみんのお相手役であるカズマさんとあまりいられないようだから、このダブルデート、俺達も自粛しよう』とこっそりとんぬらから言われてたけど、この檄に応えないでいられようか。

 そして、友情パワーの着火剤が投入された恋する乙女ゆんゆんはKIMONOに着替えようと、店員やめぐみんに手伝ってもらって、腰に帯を……

 

「め、めぐみん、強く締めすぎ……その、最近胸が成長痛しててあまりキツいのは……」

「何ですか! まだ大きくなるつもりなんですかゆんゆん! もっと私を見習って自粛するべきでしょう! ふんっ!」

「ああんっ!?」

 

 着替え終わったゆんゆん。めぐみんはKIMONOに着替えるのは辞退した。今日ばかりはフォローに回りましょう、と。

 どういう風の吹き回しなのか、今日のめぐみんの変節には戸惑うばかりだ。

 

(でも、これで、とんぬらと、こ、恋人同士のするペアルックに……!)

 

 愛読書の恋愛小説で勉強した、憧れるシチュエーションのひとつ。

 想像するだけで照れたように俯いて、それでも嬉しさを隠せない様子で口角を持ち上げるゆんゆん。

 よく熟れたリンゴのように頬を赤く染め、店を出た瞬間に待ち構えている光景(みらい)を想って、フライングながら幸せ満開の笑みを浮かべる。

 

「こ、これはまさしくエリス様!? 肖像画と瓜二つじゃ!?」

「感謝祭に仮装しているものは多いが、これほどのレベルはそうお目にかかれん!」

「うわぁ……エリス様だぁ……!」

 

「我が名はエリス。幸運を司るモノにして、お金の単位になった女神だにゃん!」

 

『おおおおおっ!!』

 

 ゆったりとした白い羽衣に身を包み、長い白銀のカツラと白粉を塗った白い肌。アレンジなのか猫耳なカチューシャをつけているも、絵姿の通りの美少女に再現されていた。

 そう、それはかつて、紅魔族随一の美人を抑えて見事に優勝した、紅魔族随一の芸達者のエリス様の仮装である。

 

「どうだ、ゆんゆん、めぐみん、折角だからエリス様の仮装してみた」

 

「こんな時に女装するとかふざけてるんですかとんぬら!」

 

 虫の居所が悪くマジギレしためぐみんに、即刻、エリス様(とんぬら)は着替えさせられ、そして、その後に、この仮装の噂をどこからか聞き付けたクリス先輩に大変イイ笑顔で“お話”されることになる。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――捕まえました、カズマ様……」

 

 

 ……あれ、……なんだ、これ?

 身体に違和感……、……と言うか、頭がぼーっと……?

 

 もやもやとしたものを抱えていたカズマは、隙だらけであった。

 真後ろから忍び寄られた何者かに、背中を取られ、羽交い絞めにするように抱き着かれると腕をそうその細い指先がカズマの指に嵌められていた『破幻のリング』を取り外した。

 

 途端、耳元で囁かれる甘い言葉に意識が囚われた。

 

「私のような弱い者を見捨てず、助けようとしてくれたカズマ様こそが勇者なんです」

 

 虚ろな、木霊するような称賛を受け、最高に素晴らしい気分になる。すべての想いも悩みも優しく拭い去られ、掴みどころのない、漠然とした幸福感だけが頭に残り、フワフワと浮かんでいるような心地がした。

 なのになぜか思う。

 

 やばい……、なんか、ヤバい……!

 

 警告が鳴っていようが、悲鳴も出ない。

 というより、身体の動きも自分の意思に反して酷く鈍い。相手の抱きしめる力が弱いのに、抵抗できないでいる。

 

「そう、真の『アクセル』のエースは、カズマ様……あなたです」

 

 駄目だ、どんどん頭の中がぼうっと……

 

「さあ、さあ。躊躇いなど捨てて、欲望のままにやってしまいましょう!」

 

 

 ――プッツン、とたかが外れた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――ヌラー´に変装させて、女性検察官に暴漢を働かせる、『仮面の紅魔族』を貶めさせる二虎競食の計。

 

 魔族の力が最大限発揮できる満月となる今日まで夢でそうさせるように仕込みを刷り込んできた。

 そうなれば、これまで魔王軍幹部を撃破してきたパーティ同士を仲違いさせて破滅させるだけでなく、この『アクセル』の治安に貢献していた裏切り者の同族たちも居場所を無くすだろう。

 

 そして、虜となったサトウカズマは駆け出した――ヌラー´に変装させるために必要不可欠な『変化の杖』など投げ捨てて。

 

「――え?」

 

 望んでいた展開と早速違う。

 だが、サトウカズマはわき目を振らずに走り出した。一体どこへ行くのかと追いかけて見れば、それは来た道を戻っている。つまりは、ダブルデートをしている紅魔族たちの下へだ。

 

「どうなっている!? 私が見せた夢では、あの検察官に襲うはず……!」

 

 予想が裏切られる。

 通りを駆け抜けるサトウカズマは、ついに目当ての……貸衣装屋で、ふざけた同郷の少年のお色直しを待たされている少女たち――そのひとりのめぐみんの前に立った。

 

「カズマ? やっと戻って来たんですね。まったくトイレに行くのにどれだけ時間がかかって」

「――一度しか言わないからよく聞いてくれ」

 

 ゆんゆんが隣にいるがお構いなしに、覚悟を決めた目でめぐみんを見るカズマは、言った。

 

「めぐみん……俺はお前のことが好きなんだ。初めて会った時から、愛してしまったんだ」

 

「んなっ!?」

 

 おかしい。

 おかしい、こんな青春告白劇なんて刷り込んでない!

 

「なっ、いきなり何を言っているのですかカズマ。ふざけるのもいいかげんに」

 

「真剣だっ! 俺はここまで人を愛したことなどないっ! この胸の動悸を聞いてくれ! この心の嘘があればわかるはずだっ!」

 

 サトウカズマは無理やりめぐみんの手を取って引き寄せ、左胸に手を当てさせた。

 めぐみんは急な態度に吃驚しつつも、呆然としているのかなすがままだった。

 

「激しい音だろう。これが俺の恋してる証さ。めぐみんのような素晴らしい人に会ったことはない。俺はその姿に敬服してるし、誰よりも愛を示したいと思ってる!」

 

「ちょ、ちょ、ちょ……ちょっと、まっ、待ってください」

 

 めぐみんは流石に答えに窮したようで、いきなりの告白に心の整理がつかないようだった。

 考え込み、状況をしっかり把握し、ちらりとカズマの様子を窺うと彼の眼は本当に嘘偽りなかった。

 めぐみんは自分の洞察力には自信があった。絶対の才覚を信じていた。それが逆に仇となっていた。

 

「ほっ、本当に私が好きみたい……ですね?」

 

「一度しか言わないと言ったが、何度でも言いたい。めぐみんが好きだ。世界と戦ってでも、めぐみんを手に入れたい」

 

「ちょ……なんでそんな……」

 

 芸達者口達者になる支援魔法を受けていて、躊躇いも何も捨て去ったカズマは完璧なくらい口説き文句を使いこなしていた。

 もはやこれは演技とは思えない。真実の愛である。

 めぐみんは男性にここまで情熱的に口説かれたことがないのか、免疫が薄いのか、たじろぎながら額に手を当て、目と顔を真っ赤にしながら苦悩した。

 対し、カズマの責めは一切の容赦がなく、それでいて峻烈であった。

 

「押さえが効かないんだ。確かに、俺達は同じパーティ、この気持ちもいつまで続くかどうかわからない。それでも、今、この時、めぐみんを愛しているということは間違いない。いつまでも俺の傍にいてくれ。誰かの手に渡るなんて、許せない」

 

「えええ……」

 

「めぐみんが嫌だと言っても、めぐみんを手に入れてやる。これは俺の誓いだ」

 

 めぐみんは完全に引きまくっていたが、一方でそれを喜ぶ自身にも戸惑っていた。

 得てして、曖昧な言動でもって惑わしてばかりだった彼女だったが、こうも真っ直ぐに押されまくる経験がないせいでもあった。

 カズマはトドメとばかりたじろぐめぐみんを強引に建物の壁に押し込んだ。

 

「か、壁ドン!」

 

 固唾を飲んで観ていたゆんゆんが声を上げる。

 めぐみんは退路を塞がれ、思わず視線を上向け、カズマと向かい合う羽目になった。

 

「わかってほしいんだ。俺は誰よりもお前が好きだってことを」

 

「私は……私は……その、爆裂魔法が三度の飯よりも好きな、頭のおかしい紅魔族の娘……ですけど、それでも?」

 

「だから何だって言うんだ。俺がめぐみんを愛していることに変わりはない。ありのままのめぐみんでいい」

 

「……同じパーティで、その、ダクネスやアクアとの関係がギクシャクさせたくは……」

 

「これから話し合っていこう。きっと二人もわかってくれるはずだ。いや、わからせる」

 

 この時のサトウカズマは世界の誰よりも男前だったかもしれない――しかし何度も思うが、こんな展開を自分は望んでない。

 

「そう……それなら、私……その」

 

 この筋書きから外れたドラマにより――めぐみんは陥落寸前だった。

 力強い言葉に惹かれ、答えを出し、彼女もまたその熱烈な愛に応じようとした矢先のことだった。

 

 どこからともなく遠投で飛んできた枕が、サトウカズマの顔面に当たった。

 

 途端、ぷっつりと糸が切れたようにその場に崩れ落ちるカズマ。

 枕投げされたそれは、『安眠枕』。紅魔の里の職人が手掛けた『スリープ』の魔法効果が仕込まれた枕型魔道具である。

 ――そして、サキュバスの催眠誘導は、完全に熟睡してしまうと通じなくなってしまうもの。

 

「どうなってるんですか、これは……??」

 

 訳も分からず、めぐみん、それにゆんゆんも途方に暮れるのであった。

 

 

 そして――背後に立たれた。

 

 

「めぐみんがああも動揺する顔なんて、なかなか面白いものが見れたが、流石にそれから先を、正気を失っている状態でやらせるわけにはいかないな。……いや単純にチャームをやられたらこちらに戻ってくるようにしか注文は付けてなかったはずなんだが」

 

 しまった……! 突然予想を外した告白劇に意識を取られ、警戒を怠ってしまった。

 

「それで、今度は泣き落としを使わなくてもいいのか、サキュバス」

 

 振り返るとそこにいたのは、羽衣をまとう白銀の髪をした女性――に仮装した『仮面の紅魔族』。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「美男美女はそれだけで得になるが、節度のないサキュバスというのはオークと変わらない」

 

 変装を解いて、懐より鉄扇を取り出すとんぬら。

 

「この街のとは違う、余所者のサキュバス、か。でも、野良というわけではあるまい。サキュバスみたいな最下級悪魔が人里に隠れ住むなどリスクが大きい。エリス教かアクシズ教のプリーストに見つかれば即座に浄化させられるからな。後ろ盾がないと潜り込みたくない場所のはずだ。

 ――十中八九、魔王軍からの刺客だろう。幹部のハンスと同じ、この『アクセル』に破壊工作しに来た」

 

 浅黒い肌をしたロリサキュバスは閉口するも、構わずとんぬらは言葉を重ねる。

 

「ベルディア、バニル、ハンス、シルビア、と魔王軍八大幹部の半数を倒し、大物賞金首『デストロイヤー』すら撃破している冒険者の揃っている街だ。いくら地理上、魔王城から最も遠くに離れていても、警戒して当然だ。

 それに、『アクセル』は、冒険者を志す者たちの始まりの街だ。ジャイアントドードなんていう狩り易い魔物がいて、キールのダンジョンという初心者用のダンジョンが近場にある。おかげで駆け出し冒険者の街なんて呼ばれている。魔剣使いの勇者など王都の第一線で活躍する名うての冒険者たちの大半はこの『アクセル』で鍛えてきたはずだ。……そんな将来、魔王軍の脅威となりうるかもしれない駆け出し冒険者の経験値稼ぎにうってつけな修行場を、魔王はいつまでも放置してくれるだろうか?」

 

 学校制度はまだこの街で試験的に行っている段階だ。それも一貴族の個人的な試みで、国を挙げてのプロジェクトではない。『養殖』なんていう修行法を学校の野外講習で行う紅魔族は、ごく一部の例外。

 魔王城に近い水と温泉の都『アルカンレティア』では、冒険者ギルドでレベル制限を課しているし、王都『ベルゼルグ』の防衛線戦でも上級職か高レベル冒険者にしか依頼を要請していない。でも、この『アクセル』には制限はないのだ。まだほとんど一般人と変わらないレベル1の冒険者でも安定してレベル上げの出来る環境というのは貴重で、とんぬらが知る限り、この街くらいのものだろう。

 『アクセル』は、なかなか気づかれないかもしれないが、相当重要な拠点であるのだ。

 

「それに、この最近、悪政で有名な前領主から変わってしまったからな。これはますます魔王軍には望まないことになるのではないか……と考えても不思議ではない」

 

 今のところ王都のように軍を率いての大規模な侵略行為はないようだが、『アルカンレティア』のときのように、魔王軍の刺客が潜り込んでいるかもしれない。

 そう、ミツルギより、自身が魔王軍から高額の賞金首に掛けられていると知った時点でこういうのは予期していた。

 

「しかし……あんたも下調べをしてすぐにわかっただろうが、『アクセル』は特にサキュバスに弱い。ハニートラップなんて効果的だろう。なんといってもサキュバスたちが治安維持に貢献している特殊な街だからなここ――ならばサキュバスならば、この街の男性と女性を対立させ、破綻させてやることはできるのではないか」

 

 これまで隠し通してきた店を、『女性の婚期を守る会』に情報をリークしたのは、この悪魔だろう。同じサキュバスならば紛れ込み易いし、対立する両陣営の操作もしやすい。

 

「この『アクセル』で、サキュバスは人間に寄り添う無害なモンスターだと信用されている。それも男性冒険者にとっては庇護対象で警戒心が薄い。しかし、実際は最下級と言えども悪魔族。特に男を篭絡させることにかけて右に出る者はいない」

 

 この街のサキュバスは人間社会に溶け込んでいるが、サキュバスは元来、男性冒険者に愛でられる存在ではなく、何よりも恐れられる存在だった。

 

「とはいえ、夢魔だとわかれば、その手段の推測をだいぶ限定することができる。あんたはおそらく、前領主がいなくなりアクセル随一の鬼畜男として有名なカズマ兄ちゃんを利用しようとしたみたいだが……。魔王軍幹部を撃退しようとも、根は小心者であるし、初志貫徹する意志力も弱い、物語に出てくるような勇者とは程遠いし、悪人にはとてもなり切れない男だ。命のやり取りをしようというときに見た目美女な幹部に微笑みかけられただけでコロッと靡いてしまうくらいだしな。まったくもって実に人間らしい。

 だから、大それた悪事をやらせようと暗示(ゆめ)を刷り込んでも簡単に上書きされる。実際こうして失敗しているわけだ」

 

 『破幻の指輪』を装備させ、サキュバスの『チャーム』対策をしていたが、さらに念を入れて二重に保険をかけていたということ。

 

「それで、さっきからこちらばかり話しているのだが、自己紹介くらいしてくれないのか」

 

「……魔王軍諜報部所属ナイトメーア。『仮面の紅魔族』、ハンス様の遺言通り、いえ、聞きしに勝る脅威です」

 

 最強魔導士一族の“最終兵器”とも謳われた神主が最終防衛線として、千思万考で網を張った蜘蛛の巣に、捕らわれたのがこの魔王軍からの刺客。

 最後の礼儀として名乗り上げを済ませれば、残る作業は決まってる。巣に捕らわれた獲物にぐるぐる糸を巻き付けて、身動きを封じ切ったところで――仕留める。

 

 サキュバスのような最下級悪魔、上位悪魔相手でもタイマンを張れる高レベルの上位魔法使い(アークウィザード)が倒せない道理はない。

 

「いいえ、まだです」

 

「なに?」

 

「私がこの街にどれだけ滞在していたと思っているんですか?」

 

 くすくすという可憐な笑みが、どこまでも邪悪に引き裂かれていく。

 準備期間は十分にあった。

 意のままに動かせる“軍隊”を作る。

 

 

「私がその気になれば、街半分を敵に回すことになりますよ」

 

 

 長話をしている間に、剣呑な雰囲気を肌で感じた一般市民がこの大通りから避難していったはずだが、応援は来なかった。むしろ逆にぞろぞろととんぬらの周囲に集まってくる破落戸。その瞳は虚ろ。そして、サキュバスの指揮するままに各々武器を構え、その刃先をとんぬらに向ける。

 『チャーム』の魔力に虜となった『アクセル』の男性冒険者達だ。総勢二十はくだらない。

 

 人の多い街中はサキュバスに不利な場か? 否だ。手駒にできるのがおよそ二分の一いるのだ。手当たり次第に補充すれば、数十単位で“親衛隊”を整えられてしまう。

 最下級悪魔程度の力がなくても、周囲を利用してたりない戦闘力を補えばいい。

 

「迂闊に誘い出されたのはどちらでしょうか。ええ、確かに私は、『仮面の紅魔族』を篭絡せよと命を受けて、『アクセル』へ派遣されました。ここで、実力行使でもってあなたを始末できれば問題ないのですよ」

 

 そして、かき集めた兵は、皆、“操られている冒険者達”だ。減っても構わない。重傷を負わせればそれだけ評判は悪くなる。

 

 この状況をぐるりと視線を軽く一周滑らさせて……とんぬらは失笑する。

 

 

「街の半数? ――足りんよ。一国を相手取った師を持っていたんだ。街の半分を嗾けたくらいで臆しては、草葉の陰でお師匠様に叱責されてしまう」

 

 

 獰猛に紅の光を双眸に滾らせて、不遜に言い放つ大魔導士の弟子。

 強がりを……! と震える唇から嘲りを漏らすも、サキュバスはその身から溢れ出す魔力圧に頬を引き攣らせてしまう。

 陽炎の如く周りの大気が揺らいで見える怪獣王(ドラゴン)の威圧感。

 

「それにこちらは事前に相手がサキュバスであると予想を付けていたわけだが」

 

 言いながらとんぬらは己の得物たる扇を開く。短冊の端と端が接して円形となるくらいに全開に。

 

「その化けの皮を剥がさせてもらおうか、『鏡花水月・猫騙し』!」

 

 真円となった鉄扇が凍り付き、表面が映し身を反射する氷面鏡と化す。

 アンダイン卿の一件で入手した『魔法の鏡』。それはゆんゆんの閃光魔法でもって魔力を取り戻して、『太陽(ラー)の鏡』となる。

 水の光や星の煌き、月の輝きを変えた金属を磨き上げて、鏡としたという伝説のあるその魔道具の明らかとなった効能は、“真実を映し出す”というもの。これに映し出されたものは、たとえ魔法で変化しようがその正体を暴き立てる。

 そして、この『必殺の扇』は、『太陽の鏡』を錬成鍛冶で取り込ませた。

 

「なあ――!?!?」

 

 扇子の氷面鏡に、サキュバスの姿が映し出されると、反射光が眩く視界を白一色にせんと瞬いた。

 

 サキュバスは、獲物の心を捕えるため、“その人にとって最も魅力的な姿”となって表れる。しかしその正体は“醜悪な姿をした女性の魔族”だ。

 つまり、ここで真実の姿を晒されれば……と思いきや、

 

「おっと、これは訂正しなければならないな。――あんた、インキュバスだったのか」

 

 これは予想外の状態にとんぬらは苦笑してしまう。

 化けの皮が剝がれて露になったのは、嫌らしい目つきをした二足歩行の橙色の獏で、これは、サキュバスの男性版とも言える、インキュバスであった。

 形状として男性型悪魔に男性冒険者が魅了されるわけがなく。また本来の醜い魔物であるのだから、『チャーム』がかかるはずもなく、すぐに解ける。

 つまり、せっかく手駒にした冒険者は夢魔も魅力不足で解散される。

 

「わ、私の正体をよくも暴いてくれたわね……!」

 

 キーッ! とヒステリックな叫びをあげるインキュバス。依然(カマ)口調は戻らないことから察するに、それは素であったのか。

 

「……そういや、兄ちゃんの言っていた“姫”ってのは、大抵、“ネカマ”という女の振りをした男だと聞いたことがあったな」

 

 サキュバスならとにかく、インキュバスに魅了されたというのは、いくら悪魔族に性別はないのだとしても、とんぬらはカズマら男性冒険者達と気の毒に思った。

 目を覚ました冒険者たちも現実を直視して、ふらっと気絶してしまうものがほとんどだ。全員、とても戦える状態ではない。

 

(インキュバス……その男性型の夢魔は、女性型の夢魔であるサキュバスの上位存在である存在だったはず……)

 

 戦力は減らせたが、脅威度を上方修正する。

 

「ご自慢の親衛隊は本当の姿の魅力にノックダウンされてしまったようだが、どうする? 喧嘩は祭りの華だというしな。派手に散らしても構わないぞ、カマ野郎」

 

「舐めるんじゃないわよ、人間。こっちにはまだとっておきの切り札があるわ!」

 

 インキュバスが無造作に右腕を振り上げると、人混みを抜けて獏の怪人に自ら駆け寄り、捕まってしまった一人の女性。

 セナだ。

 今日のダブルブッキング……事前に手駒化(チャーム)を仕込んであったのは、カズマだけではなかったか。

 そう、劇の途中で抜け出されたのは、インキュバスの誘導があったからだ。そして、インキュバスは男性型の夢魔。本来、女性である方がより催眠をかけやすい。

 傍らに侍る目が虚ろなセナの頭を掴むインキュバス。目から光を喪失したままのセナが苦しげに身じろぎする。

 とんぬらはそれを見据えたまま動かない。

 

「英雄様ってのはこういうのに弱いんでしょう? わかった? キャベツよりも簡単に潰せるわよ」

 

 獏の頭が嘲りを見せた。

 次の瞬間、その姿が掻き消える。

 一拍の間も置かず、獏の夢魔はとんぬらの眼前に出現し、手刀を胸の中心へと突き込んでいた。鋭く太い爪が伸びて服を切る。

 揺らいだ身体に、さらに容赦なく叩き込まれる連続攻撃。

 殴打が側頭部を捉え、爪による斬撃が血をしぶかせた。

 

「知ってるわよ! 『仮面の紅魔族』は、ウォルバク様の爆裂魔法をその身に受けて、命からがら生還したってね。まだ本調子じゃないんでしょうあなた。本当は立っているのもやっとなんじゃない?」

 

 よろめき後退したとんぬらを目掛け、インキュバスはトドメとばかりに大きく振りかぶって叩き込む会心の一撃をお見舞いした。

 まともに食らい、吹き飛ばされたとんぬらの身体がそのまま背後の建物の壁にめり込み、亀裂を生じさせた。

 声もなく、とんぬらはズルズルと崩れ落ちる。

 

「人質があって手を出さなかった? 傷が完治してなくて動けなかった? それとも、地獄の公爵を屠ったのはウソで、あのサトウカズマと同じで本当は大したことがなかったのかしら? まあ、褒めてあげるわ。この私の命に従ったことは」

 

 セナの頭を握ったまま嘲笑う。

 

「この女を使って、こんな街を滅茶苦茶にしてから用済みに処分するけどな。残念だったな、『アクセル』のエース」

「――そうか」

 

 とんぬらは呟いた。

 セナを捕らえたインキュバスの右腕が千切れ飛んだ。

 続けて胴を横一文字に両断され、返す刀で最後の左腕を切り落とされた。

 遅れてインキュバスの下半身が地面に倒れる。上半身は落下する前に鼻をむんずと掴み上げられた。

 インキュバスの眼前に立つ、とんぬらに。

 

「ひいいいいっ!?」

 

 四肢を切断され達磨となったインキュバスはぶらぶらと長い鼻を吊り上げられて、その仮面の双眸と目の高さを合わせられる。焼き尽くさんと射抜く真紅の瞳と。

 そして、傍らの地面には抜けば玉散る氷の刃を瞬間成形した鉄扇が突き立っていて、インキュバスを捕まえる右手とは逆の、左腕でインキュバスに人質にされていたセナを優しく抱いていた。

 インキュバスの爪はとんぬらの服を引き裂いていた。血も流れている。

 しかし、致命的な傷は一切なかった。

 全ての攻撃をまともに受けているようで受けていない。つまりは『星降る腕輪』の効果で倍速になって打点をずらし、爪撃にはあえて皮一枚を斬らせただけ。

 そして、勝利を確信したインキュバスがセナから注意を逸らした瞬間、高速で斬り捨てた。

 とんぬらにとって今しがたの戦闘はただそれだけの事だった。

 

「あんたの残機(いのち)は花のように摘めそうだ。この街で最も腕の立つ『アークプリースト』に任せれば、残機どころか魂の欠片も残さず消滅してしまうだろう」

 

「わ、私が倒されたら今度はもっとすごい刺客が来るわよ! こんな駆け出し冒険者では相手にならないようなのが……!」

 

 負け惜しみに脅しかけるインキュバスにとんぬらは視線を伏せる。

 

「……そうだな、魔王軍諜報部をここで始末するのはあまりうまい話ではない。だから、すすんで魔王城に虚偽の情報を送ってもらえるように後始末は彼女たちに任せようか」

 

「な、なにを……!」

 

「夢を操る能力で無意識にすり込んできたんだろうが、ならば同じようにそれを上書きさせてやればいい。そういった。

 ――では、この暗示の上書きを一体誰にやらせたのだと思う?」

 

 いつのまにか、周囲に集まってきている。蠱惑的な肢体をした、女性型の悪魔。

 

「今回暗躍していた黒幕であるあんたは、この街に住まう同族をも貶めようと画策していたみたいだが……これって文句のつけようのない商売敵だよな」

 

 人と人同士が争うことがあるように、悪魔も縄張りを巡り同族と戦うことがある。

 利害の一致で味方に引き込めるのも、無理なことではない。

 

「悪魔には悪魔の規則、そして理念がある。力の有無で決まるのが悪魔の正義だ。支配者たる強き者に、弱き者は律される。――今ここで生かさず殺さずにギリギリまで弱らせたインキュバスと、彼女たちサキュバス、いったいどちらが強き者で弱き者だろうか?」

 

 夢魔同士のテリトリーを犯した。

 インキュバスに悪感情の狩場としてうまく成り立っているこの『アクセル』の環境を騒がされたサキュバスたちは、同族であろうと容赦はしないだろう。

 結果は見るまでもなく、一斉掃射するかの如く包囲したサキュバス達に手を翳されたインキュバスはとろんと魅了に堕ちて目から光を消す。

 

「このインキュバスからこの『アクセル』に他の諜報員(スパイ)が潜入していないか、潜伏先の拠点がないかなど情報を吐かせて、魔王軍に作戦は経過順調とでも情報を送らせてほしい。用済みになったら、インキュバスの身柄を預け、処分をサキュバス達に任せる。同じ夢魔族としてのけじめのつけ方があるんだろうしな」

 

「はいおまかせくださいとんぬら様」

 

 跪いて胸に手をやり、深々と頭を下げる、一際色気を漂わす妖艶な美女。サキュバス達のリーダーは、とんぬらを見上げる瞳を潤ませる。

 

「バニル様が仰られた通りでした。あのインキュバスを両断せしめた貴方様のお姿には、とても興奮させられてしまいました。……ええ、今日は満月ですから私も身体が火照ってしまいそうです」

 

 力が正義の悪魔族だ。

 インキュバスを完膚なきまでに叩き潰したとんぬらに、恐れではなく畏れを抱いた。

 

「残念だが、俺の精気(ごはん)をいただこうとするのは、交渉条件に入ってない。この通り、俺はひとりでも手一杯なんだからな」

 

「残念です……とても」

 

 セナの身体を抱き上げてから、とんぬらは肩を竦めて言った。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 なるべく人気のない、街の公園まで運んだところでとんぬらはセナの身柄をベンチへ横たえさせる。

 

「……その、ありがとうございます」

 

「起きていたのか」

 

「はい……その、人質にされたときも、意識はありましたから」

 

「そうか……あの通り、サキュバス達は、この街の一市民として協力してくれるようだ。警察に身柄を預けさせるべきなんだろうが、餅は餅屋、夢魔の対処は夢魔に任せた方がいいと独断と偏見で判断した。処罰があるのなら受ける」

 

「そんなことはしません! それをいうなら私は人質にされてあなたに多大なご迷惑を……」

 

「そうか……。なら、これをサキュバス達の貢献と見てはくれないか。彼女たちはこの街に必要な存在である」

 

 あのインキュバスを仕留めた時の動き……以前、アウリープ男爵の屋敷で見た、恋焦がれた彼の勇姿に重なるものがあった。

 ()()()()、彼は――

 

 そんな勘付いた気配を、向こうにも気づかれたのか、とんぬらがひとつ息を吸って、口を開いた。

 

「成り行きでこうなってしまったが、これもいい機会だ。……あなたと話をしたいがいいだろうか?」

 

「そっ、そうですか!」

 

 とんぬらの口調は平坦で、軽くもなく重くもない。

 賑やかな祭囃子と、人の笑い声がどこからか聞こえてきている。

 しかし、二人の間は奇妙なほど静かだった。

 口火を切るようにとんぬらは呟き始めた。

 

「クエストをこなした後、俺は道具の手入れや補充を欠かさないようにしている。でもセナさんのことはサボってしまっていた」

 

「は?」

 

「ほったらかしにしておけば楽で、面倒がない。だが、それは良くなかった。あやふやにしていいことと、悪いことがある」

 

「ちょ、ちょっと、待ってください」

 

 セナはとんぬらの口を止めようと制止をかける。

 空気は重くなっている気がした。肌に何かがまとわりついている。汗だ。夏の暑さにやられたのではない、冷たく、気持ちの悪い汗。

 額から首筋へと流れ、悪寒まで走ってくる。

 これから先が望まない展開なのだと、わかってしまった。

 

 騙されて、夢を見て、それとなく、良い想いをして……その状況に、どこか満足していて。

 偽りのものでも、線と線は繋がっていたはず。

 だから、まだ、切るにも時間が欲しい。

 時間が経てば、おぼろげに線を隠し、見えなくし、途切れさせてくれるはずだから。

 

 とんぬら――ヌラー様は自然に微笑みを浮かべた。

 陰も、曇りも、思惑も、何もない、これまで付けていた偽りの仮面を外したようなあるがままの表情で。

 コーヒーのように黒く、目を覚まさせる文句を吐くのだ。

 

「悪かった。あんたのことを騙していて。でも、俺はあんたの想いを受け取れない」

 

 本心からの謝罪。そして、断固とした拒否だった。

 紅い瞳は揺ぎなく――優しげに口元は結ばれていて、ウソ偽りはない。

 

「な、何を言っているのか……とんぬら殿は、私に何を」

 

「俺が、仮面の弁護請負人ヌラーだ」

 

 かくんっと心の何かが抜け落ちた気がした。

 

 ……本当は知っていたはずだ。

 アクシズ教の門外顧問――それを起点に調べて、『アルカンレティア』にて、最高司祭をとっちめたのが仮面をつけた()()だったことを前の職場の同僚に教えてもらっていた。

 架空の人物の正体に行き着いた――期待が我が目を曇らせたのではないのか。

 ならば、これは、真実から目を背けていた代償なのだろうか。

 

「なんで、急にそんなこと言うのですかっ!」

 

「懺悔しよう。いもしない人物を追いかけるあなたが哀れでならなかった」

 

 怒りで目がくらみそうになった。

 

「兄ちゃんとサキュバスらに代役をやらせて、自分から面倒ごとを遠ざけようとした。しかし、それは苦いコーヒーを他人に飲ませるような行為だ。そしてあまりにもセナさんを軽んじていた。

 だから、俺を許さなくていい」

 

「――っ!」

 

 パンッと頬を打ち。

 乾いた音が響くと、セナは足早にその場を去っていく。

 とんぬらはのけぞり、足を地面につけたまま、ベンチで上体だけを横にした。

 

「さっきのインキュバスにやられたより効いたな……」

 

 ぽつり、と呟く。

 格好つけて器用に言い包められただろうが、結局したのは無様で不器用な対応であった。

 後姿を見送った。これでいいはずだ。過ちは正さなければならない。

 元より、騙したままそれを自分に都合が良いから延長してしまったのだ。結果、その延滞分だけ重苦しくなるのは当然である。

 

 

「彼女には気の毒ですが、紅魔族随一のプレイボーイなりに誠実な対応をしたと思いますよ。で、そろそろ説明してもらえますか?」

 

 

 後ろから声があがった。

 途中ほったらかしにしていた少女の声である。

 ゆんゆんとめぐみんが、とんぬらの後ろからズサッと現れた。

 どうやらご丁寧に透明化と消音の魔法で隠れていたらしく、盗み見をしていたようである。

 

「……兄ちゃんは?」

 

「ぐっすりと眠って起きないので、そこら辺の店に放置しました」

 

 それを聞いてとんぬらも『安眠枕』でぐっすり眠ってしまいたくなったが、説明責任がある。

 

「そうだな、まず兄ちゃんの告白は、魔王軍の刺客による催眠誘導で暴走してしまったせいだと見ている。本心からかどうかはこちらもわからないが、まあ、言わされた感も少なからず入っているだろうな」

 

「そうですか。八つ当たりにとんぬらを引っ叩きたくなりましたよ。まあ、もう叩かれているので勘弁してあげますが」

 

「ああ、めぐみんが怒るのも妥当だ。保険をかけていたが、向こうの出方が確定できない以上は兄ちゃんを(エサ)にしたようなものだからな。向こうに情報が洩れるかもしれないからあからさまな忠告はできなかったし。……けど、魔王軍が関与している可能性があるとわかった時点で、今日のダブルデートは中止にしておくべきだった。すまない」

 

「私が文句を言いたいのはそこではありません」

 

 めぐみんは溜息を吐いた。

 

「カズマが、ヌラー(あなた)に変装して何かコソコソしていたのは知ってましたから」

 

 冒険者ギルドで遭遇した時から、それが偽者だと気付いていたのだと言う。

 

「ややこしくなっているのもきっとカズマの自業自得なところがあるのでしょう」

 

「ここにはいない兄ちゃんの名誉にかけて詳細の明言は避けておく」

 

「しかし――何故それをこちらに教えてくれなかったのですか?」

 

 頭を掻く。

 そこはあんまり突かれてほしくないところであったが、とんぬらは嘆息してから言葉を吐き出した。

 

「そしたら……だな。素直に、祭りを楽しめなくなるだろ」

 

 しんみりと失敗談を吐露するような声だった。

 とんぬらの本音が溢れている気がした。

 

「元々、“ヌラー”とは俺が生み出したものだからな。そこに関係のないめぐみんらを巻き込んでしまうのはお門違いだと思ったわけだ。まあ、結果は散々だったが」

 

 種を落として、後の処理をせずに放置した。そしてその芽を、花を、この機会に収穫しきれたかどうかはわからない。

 彼女がこれで前を向いてくれれば望ましい。さらに欲を言えば、サキュバスについて一定の理解が得られれば万々歳だ。

 そして、打ち明けることはできた。所詮自己満足であろうが、これがきっと正しかった、そう思える――

 

 と、その時、『アクセル』の街の貯水池の方から腹に響く震動と共に音が鳴る。

 花火大会が始まった。

 夜空に色とりどりの光が咲き乱れ、その度にあたりから歓声が上がる。

 その光景を見上げためぐみんは、それまでのしんみりとした空気を換えようとするかのようにふんすと鼻を鳴らし気合を入れ……。

 

「今日のダブルデートはこれでおしまいです。爆裂魔法で虫の大軍を一掃してやりますよ」

 

 毎年、感謝祭期間中に盛大に焚かれている篝火の光に釣られ、近くの森や平原から、活発化した虫たちが街へ殺到する。街の上空を旋回しながら虎視眈々と襲撃の機会を窺っているのだ。

 そう、花火大会はそんな虫モンスターの群れのど真ん中に、冒険者たちが爆発魔法や炸裂魔法を撃ちあげるイベントである。

 つまり、飛んで火にいる虫に対する宣戦布告の合図――!

 

「――ですから、二人の出る幕などありません。とんぬらは怪我人で、ゆんゆんもその服では動き難いでしょう。そこでこの私が無双する様を傍観していなさい」

 

 そう言ってめぐみんはひとり飛び出していった。

 その後、雄々しく出陣した爆裂娘は、街中で爆裂魔法をぶっ放そうとして警察に補導されることになる。

 

 

 と、この街のエースは、虫の殺到で住民たちは家へ避難して、二人きりとなった公園で、一緒にベンチに座っていた。むぅっとすごく睨まれてる。ぷくっと頬を膨らませて不満顔なゆんゆんが隣に。この花火戦争が始まって、小休止に入るくらいの時間が経って、ずっと弁明の言葉に悩んでいたとんぬらはようやく、口を開いた。

 

「……ゆんゆん。その浴衣姿、とても綺麗だ。似合ってる――」

 

「ばか」

 

 寄り添う彼の頭に自然と手が伸びて、少女は静かに顔を寄せる。先程叩かれた頬へ自分の唇を当ててから、それだけに留まらず、ちろりと赤い手形に腫れたところを舌で舐め始めた。

 

「お、おい!? いきなりなんだゆんゆん!?」

 

「ほら、怪我したところを唾付けると治りがよくなるというでしょ! それよそれ!」

 

 実際、水をかけると怪我の治りが早くなる体質であるから、唾液を塗られて腫れは舐めとられていくようにみるみる消えていく。

 くすぐったく身をよじらすとんぬらであるも、そのままゆんゆんは胸元に頭を抱え込んでしまう。

 

「とんぬらはもっと……自分のことを大事にしてちょうだい」

 

「ゆんゆん……」

 

「この前の爆裂魔法だってそう。勝手に飛び出して……私がどれだけ心配したのと思ってるのよ」

 

 だから、今は、私が満足するまでじっとしていて。

 

 ぎゅうっと抱きしめる。最初は気恥ずかしかったとんぬらも、されるがままに弛緩する。

 それから、また花火の音が木霊して。

 二人はまたしばらく、煌々と照る夜空の下でひとつの影になっていた。

 

 無事に虫の大軍を撃退して、再びこの公園に人が集まって来るまで。

 

 

 ♢♢♢

 

 

《うぐおおおっ!? 何だコイツ! 俺様のパワーが押されているだと!?》

 

 花火大会の後しばらくして、上位神器『アイギス』の回収に赴いた義賊団。

 道中、義賊団に憧れる少女に挨拶を交わしてから、ドネリー家に侵入すると、カズマが念話を封じる結界を張り、クリスが魔法を遮断する風呂敷を用意。それからとんぬらが、純粋なパワーでもって暴れる『アイギス』で押さえ込む。カズマがガチャガチャ煩い鎧の消音にプチプチ梱包も用意していて万全の構え。

 助けを呼ぶこともできず、もはや盗まれ(つかま)るしかない聖鎧は、“奥の手”を使った。

 

《くっ! こうなったら、仕方がない……! ――苦渋の決断だが、自由への代償だ! このバカ力野郎を取り込んでやるー!》

 

「なにっ!?」

 

 バニルが仮面を装着させ、ダクネスを意のままに操縦してみせたかの如く。

 自我を持つ上位神器は、カッと光り輝くと――とんぬらをその内側に入れてしまう。

 この世で最も頑強で、魔法も効かず、スキルも効かず、傷も自動修復する伝説の鎧。そして、神器は選ばれたものでなければ、その真の効力を発揮できないように、聖鎧『アイギス』は、選ばれたものでなければ、魔力の放出など許されないのだ。言ってしまえば、呪われた全身鎧を装備してしまったようなもの。

 

 つまり、最高の防具は、最強の拘束具であった。

 

「うおおおっ!? 先輩、兄ちゃん!? 助けてくれー!?」

 

『とんぬらっ!?』

 

《あばよっ! 野郎にいつまでも取り憑いたりしたくねーが、こいつの馬力はトンデモないからな! 解放してすぐ捕まったら堪らないし、弱るまで保管させてもらうぜ!》

 

 そのままアイギス(とんぬら)は脱走。同時に派手に暴れて屋敷の警報装置が鳴り響き、クリスもカズマも脱出に手間取り、逃してしまう。

 

 

 ――怪盗(とんぬら)、聖鎧に攫わ(ぬすま)れた。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 破幻の指輪(リング):ドラクエシリーズの装飾品。装備すると守備力だけでなく、幻惑系に強い耐性がつく。

 聖者の灰(聖なる塩)+パルチザン=砂塵の槍。から、砂塵の槍+金の指輪=破幻のリング。

 

 インキュバス:ドラクエⅩに登場する怪人型モンスター。上位版にナイトメーアがいる。サキュバスの男性版。見た目が、ポケモンのスリープに似ている。

 ドラクエⅩの魔法使いの必殺技『ミラクルゾーン(5ターンの間MP消費ゼロにする)』修得イベントに関連したりする。

 

 ラーの鏡:ドラクエシリーズに登場するキーアイテム。犬になった王女様を元に戻したり、国を支配する王様や教団を仕切るトップの正体を暴いたりするのに活躍。戦闘中に使えば、相手のモシャスを解除する。まだドラクエⅥにおいては魔王の幻惑の魔術を打ち破って防御するという性能も見せた。縁に竜伝説が記されているという設定もある。

 ドラクエⅧに登場する『魔法の鏡』が力を取り戻した『太陽の鏡』とは効能が別だが、同じ鏡同士で太陽繋がりなので同一にしました。


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