この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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5話

「「先生先生先生先生――――ッ!!」」

 

 ふにふらとどどんこのふたりが大声で叫びながら全力で逃げて、そして、ゆんゆんはひとり逃げ遅れていた。

 

 無意識にウサギを倒したことがショックだったのかもしれないし、悪魔の眼光を真っ向から浴びてしまったせいであるかもしれない。

 とにかくゆんゆんはすぐには動けない状態であった。

 

「世話の焼ける娘ですね……!」

 

 悪魔は模造品の武器で敵う相手ではない。ゆんゆんは、本物の短剣を手にしてるが、氷漬けにされていないモンスターを相手に、その短いリーチで近づけるものか。

 めぐみんの隣で、あるえが自分の冒険者カードをチラリと見た。

 悪魔に通用する手段として思いつくのは、魔法。

 この場で強力な魔法を覚えられないかを確認したのだろう。

 

 ……めぐみんは、上級魔法を覚えるために必要なスキルポイントは“既に”溜まっている。

 冒険者カードを操作すればすぐに習得できる。しかし、それをすれば……夢を諦めることになるかもしれない。

 でも、このままではゆんゆんが、危ない――

 

 

「――説教してやろうと思ったら早速天罰が下ってるな首席」

 

 

 冒険者カードを取り出そうとしたそのとき、後ろから走ってきた少年に追い抜かされた。

 肩に毛玉をしがみつかせる神主代行は、悪魔へ怯まず、果敢に迫る。対し、悪魔の方は戸惑っているようにも見え、行動が遅れてる。そこへすかさず、とんぬらは鉄扇を横一線に振り抜いた。

 

「『花鳥風月』!」

 

 鉄扇より振り撒かれた水が、悪魔の顔に命中。水飛沫が目に入り――大きな苦悶の声をあげた。水芸に七転八倒して悶える悪魔に、その間、とんぬらはゆんゆんの下へ駆けつける。

 

「ゆんゆん、立てるか?」

 

「う、うん!」

 

 とんぬらの腕を借りて、ゆんゆんは立ち上がった。すぐ手を掴んだ腕を引いてとんぬらはゆんゆんを連れて、めぐみんたちのいる方へと逃げてくる。

 

「いいか。仮にも飼い主なら、もう二度とあんな真似はするな」

 

「とんぬら……はい!」

 

 毛玉のクロを、めぐみんに押し付けたところで、悪魔を注視していたあるえが、

 

「立ち直ったみたいだぞ」

 

 起き上がった悪魔が、翼を広げる。

 

「よし。逃げるぞ!」

 

 4人は全力で逃げる。

 それでも空に舞い上がり、追ってくる悪魔から逃れられない。

 

「くそっ! これじゃあ捕まるな――」

 

 追いつかれる時間を試算して、森を出るまでは間に合わないと判断したとんぬらは、手を引いていたゆんゆんをあるえの方へ押しやる。

 

「ここは俺が時間を稼ぐから、先に行け」

 

「だめよ! あんなのひとりで相手できるはずないじゃない!」

 

「でも、このままだと全滅する。そうならないように一人殿に立つ必要がある。なに、先生もすぐ近くにいるだろうし、牽制くらいならできるしな」

 

「とんぬら!?」

 

 あるえがゆんゆんの手を捕まえ、引き止める。

 めぐみんが、その赤い眼差しで、とんぬらを見つめ、

 

「こんなところで倒れるのは、絶対に許しませんよ」

 

「道半ばで倒れる気は毛頭ない。ダンジョンの奥で下級悪魔とゾンビに囲まれたときの方がピンチだった」

 

 不敵に笑い、爛々と紅く輝かせる瞳を向ける。

 

「――それに、あれを倒したら俺の勝ちだろ」

 

 詠唱を口ずさむ奇跡魔法の使い手。

 めぐみんは思わず笑った。

 それでこそ、我が宿敵に相応しいと。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「こっちの方を追ってきましたよ! まったくあれだけ格好つけておいて役立ちませんねあの男! どれだけ滑り芸人なんですか!」

 

 悪魔に効果のあった水鉄砲を鉄扇より放ってとんぬらは悪魔の注意を引こうとした。しかし、水を被ってもモンスターは、攻撃してきたとんぬらではなく、女子三人と毛玉一匹の方を追いかけていく。

 

「これはとんぬらの言ってた通り、先ほど使い魔を投げ捨てたことへの天罰かもしれないね」

 

「はぁ!? めぐみん何やってるのよっ! こないだ、エリス教の祭壇に置かれてたお供えかじってたし、本気で天罰降ったんじゃないの!?」

 

「そ、そんなはずあるはずないじゃないですか、アレは私に秘められた力を恐れし、魔王の先兵か何かで……、わ、わかりました、本当あんな真似は二度としませんから!」

 

 と、こちらを追う悪魔、その背後より力強い発声が響いた。

 

 

「『パルプンテ』!」

 

 

 ――何も、ない。

 あの一撃熊を一瞬で凍結させた効果は起こらなかった。が、瞬間、とんぬらの動きが倍速になった。

 

 ハヤブサのように素早く、背中を見せている悪魔へ強襲を仕掛ける。

 

「『花鳥風月』!」

 

 迅速に全開に広げた鉄扇『猫の手』を――投げ放ったようだった。

 ようだった、というのは、女子三人には投擲の瞬間を視認できなかったからで、事実を把握したのは鉄扇が悪魔の頭部に直撃する間際のときだった。宴会芸スキルで水を放出して勢いを加算させる鉄扇は、ネズミ花火のように回りながら悪魔へ――当たらず、躱されてしまった。

 無視したようだが、先ほど手痛い一撃をくれたとんぬらのことは警戒していたのだろう。背後から狙い撃ちは外れてしまい、悪魔が振り返り――悲鳴を上げた。

 

 悪魔の右目に、鍔のない短刀が突き刺さっている。

 

 あの瞬間、とんぬらは鉄扇『猫の手』と同時に黒の漆塗りされた短刀(ドス)『猫の牙』を投擲する二回行動を行っていたのだ。

 

「誰が滑り芸人だって!」

 

 倍速で疾駆するとんぬらは、目に短刀をもらい、たまらず撃ち落とされた悪魔の懐へ跳ぶ。

 しかし、二つの武器をすでに投げてしまった彼は無手で――そこへ、最初に外れた鉄扇が。

 ブーメランのように旋回して戻ってきた鉄扇を取り、その勢いを殺さぬようぐるんと中空で体を捻り、悪魔の頭部に叩き込む。

 

 

「俺は勇者の末裔にして、神主代行、そして、紅魔族随一の勇者になる男だ!」

 

 

 ぐらり、と大きく頭を揺さぶられた悪魔がぐらつく。

 その好機を逃さず、とんぬらは高速連打で集中して頭をさらに揺さぶった。

 

 奇跡魔法『パルプンテ』

 その効果は災厄じみた破壊を呼ぶだけのものではなく、味方に力を与えるものもある。

 今、とんぬらが起こしたのは、倍速に運動速度を上げ、二回行動すら可能とするもの。

 

 悪魔の反応すら追いつかない速さで滅多打ち――しかし、『アークウィザード』であるため、一打一打の攻撃が軽かった。

 戦士職であったなら、確実にノックダウンが奪えただろうが、悲しいかな、とんぬらは非力な魔法使い職。

 

「とんぬらっ!?」

 

 嘴を砕かれ、ふらつきながらも意識を保っていた悪魔が無造作に腕を振るい、とんぬらを薙ぎ払う。鉄扇の防御が間に合ったものの、その剛力を受け流すことは叶わず、踏ん張り耐え抜くなど無理な話。その軽い体が宙を水平に飛び、木々のひとつに激突した。

 背中を強く打ち、そのままぐったりと前のめりに倒れる。

 数十と打ち込んだのに、たった一撃で形勢逆転してしまう理不尽さ。一度の奇跡を起こそうが覆せないほどに、彼我の実力差は圧倒的であった。

 

 悪魔は、今度は、とんぬらを見た。

 今の猛攻で、無視しておくには危険すぎる相手だと判断したのだろう。

 

 ブルブルと震えながらも起き上がろうとするとんぬらの頭上に、鋭い爪を持った腕を振り上げ――

 

「だめええええ!」

 

 そのとき、ゆんゆんが素早く悪魔めがけてナイフを投げた。

 所詮、魔法使い職、それも少女。当たってもこの中級悪魔の身に刺さることはない――と思いきや、それは悪魔が無視できずに思わず反応してしまうほどに速かったのだ。

 

 奇跡魔法『パルプンテ』の効果は術者だけでなく、“味方全員に”及ぶ。

 

 倍速で動いたゆんゆんが投じたナイフは、悪魔がとんぬらに振り落とされる軌道から変更して振るった爪に、砕かれた。

 

 だが、その稼いだ一瞬の時間は、値千金であった。

 

 悪魔が邪魔をしたゆんゆんを見る、そのとき、とんぬらが立ち上がった。

 切れた額から血を流しながらも、力強く、その目の色を“青色に”輝かせて。

 それはまるで静かに燃える青い炎。しかし、それは赤く燃え盛る炎よりも遥かに熱の篭った眼であった。

 

「『パルプンテ』!」

 

 『ハードラック』

 それは『不幸』を意味するものだが、それは『不幸に何度遭遇しても、それを常に乗り越えていく強運』という裏返しの意味がある。

 逆境になるほどに強運を発揮する勇者の末裔は、二度目の奇跡を起こす。

 

 全身に、力がみなぎる。

 

 非力な魔法使いの少年が、今この一時、英雄の如き覇気を発する。

 危険な――強者の気配に反応するが、ゆんゆんへ目移りしてしまった中級悪魔は遅かった。

 そして、ゆんゆんに目移りした中級悪魔をとんぬらは許しはしなかった。

 

 閉じた鉄扇を握り締め、槍の突きを放つかのような構えで突貫。

 懐に潜り込んで、悪魔の喉笛めがけて、全身のバネをつかった突きを抉り込む。

 

 

「『花鳥風月・猫の爪』!」

 

 

 それは猫の指先から伸びる、普段は収納された爪のように。

 束ねた鉄扇『猫の手』から超高圧水流が迸り、悪魔の喉笛を引き千切ったかのように貫通した。

 

 会心の一撃。

 悪魔が、たった一撃で、仰向けに倒れた。

 まだ眼の光は消えていないが、とんぬらは中級悪魔に勝利し――

 

 

 ゴン! と悪魔の脳天に木剣の一打。

 

 

「なんだかチャンスだったもので。美味しいところは持っていく、紅魔族の本能には抗えませんでした」

 

 奇跡魔法『パルプンテ』

 その効果は、味方全体に及ぶ。

 最後、力のみなぎるめぐみんの会心の一撃に、悪魔は昇天した。強敵との経験値を獲得したのは、紅魔族随一の勇者ではなく、紅魔族随一の天才であった。

 

「おお! 一気に3もレベルが上がりましたよ! 感謝しますとんぬら! ――あ、この勝負、私の勝ちで確定ですね」

 

 そりゃないだろ……力使い果たしたとんぬらは、理不尽に嘆きながらがっくりと意識が落ちた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 冒険者カードを作ったとき、とんぬらは『アークウィザード』だけでなく『アークプリースト』にもなれるだけの資質があった。

 そこで、紅魔族として『アークウィザード』になったものの、試しに父親の知己だという温泉と水の都『アルカンレティア』で最もレベルの高い『アークプリースト』のもとで修行を受けたのだ。

 

 ただし、預けられたのはアクシズ教団で、師匠の『アークプリースト』はアクシズ教の最高責任者。

 

 アクシズ教とは、国教に指定されてるエリス教と比較すれば少数の宗教だが、そのインパクトの強さは魔王軍ですらも敬遠する、方向性は違うが紅魔族以上の変わり者集団。

 

 しかし、アクシズ教は入れば芸達者にもなれる、という将来は神主を継ぐ者としては見逃せない特典で、

 それに奇跡魔法『パルプンテ』には、『アークプリースト』が使うような味方の強化補助の効果を発揮することもあって、聖職者(プリースト)職の鍛錬も受けてみたいところだったのだ。

 当時、人並み以上に賢いが世の中を知らなかった幼い少年は、結局、最高司祭に言われるがままに水の女神『アクア』の洗礼を受けてしまった。

 

「え、とんぬらって、アクシズ教だったの?」

 

「違う! 勘違いするな! 修行ということで、騙されて仮入団してしまったが、今はアクシズ教団ではないぞ! 断じて、あの変態師匠の同類などではない! 猫耳について理解してくれた数少ない人だったが、それ以外ではまったくと言っていいほど見習う点が皆無の反面教師などと一緒にしてくれるな!」

 

「うん、とんぬらはアクシズ教の資質があるんじゃないかな」

 

 控えめに言われ、がっくりとくる。

 

「……まあ、あの変態師匠のおかげというべきかは激しく悩むが、恩恵が何もなかったわけじゃないんだ。回復呪文や退魔呪文を覚えることは結局できなかったけど、本当に宴会芸スキルが凄く上達したし、『水の属性が何たるかを知るには、四六時中水に触れるのが手っ取り早い』と変態師匠の代わりに源泉掃除の当番を毎日やってたら、どういうわけか水芸の『花鳥風月』から悪魔等に効果のある聖水が出るようになった」

 

 あの中級悪魔が苦しんだのはそういうこと。

 

 『養殖』の場に乱入したあの悪魔は、里周辺では見かけないモンスターだった。そもそも空を飛べるモンスターは里の近くに寄ってこない。石化させたグリフォンを銅像として入口に飾るような連中だ紅魔族は。

 あのあと、悪魔は討伐されたものの、野外授業は中止になった。早々に学校へ生徒たちは帰還させられることになった。そして、悪魔の一撃をもらい、最後に気を失ったとんぬらは保健室へと運び込まれた。しばらく安静するようにと言われたが、後遺症の残るような怪我はしていないそうだ。三日もすれば全快すると言われてる。

 

 そして。

 保健室の真っ白なベッドの上で、上半身だけ起こして頭に包帯が巻かれているとんぬらは今、なぜか女子クラスの学級委員より気絶してからの経過報告を聞く――ようはお喋りをしていた。

 

「もう……いくら聖水が出せるからって、あんな無茶しないでよね。本職の『プリースト』でも中級悪魔をひとりで相手したりしないんだから」

 

「あー……それは……そうだな、めぐみんに滑り芸人と言われカッとなったというか」

 

 ポリポリと頬をかきながら、開いた窓から吹く風にひらひらと揺れる真っ白なカーテンの方へと視線を逸らす。

 

「それで、この前、邪神の墓の封印が解けかかっていたって話があったけど、野外授業に出たのは、調査の結果、邪神の下僕である可能性が高いんだって。封印の欠片もまだ見つかってないし、再封印が終わるまでは一人で下校するのはやめるように……で」

 

 言葉が詰まる。

 

 猫耳神社の立地は、里の中心にある族長宅に近い。それに一人息子は帰ってきたが猫耳神社の神主夫妻はいない。負傷した子供をひとりで生活させてもいいものかという話が職員らに持ち上がったようで、それで里の族長へ連絡が行ったところ……

 

 ――それは一先ず置いておく。

 

「そ、そういえば、とんぬら! あなた、あるえのアシスタントをやってたんだって?」

 

「ああ、そうだが。それが、どうした?」

 

 森から学校に帰るまでの間に、話は聞いた。

 

 王都では『らのべ』というのが流行っており、それの新人小説家募集イベントが開催されるほど。

 それはひとつの登竜門なのだそうだが、ただし、『らのべ』には文章だけでなく、絵も必要だという。

 そこで、紅魔族随一の発育にして、小説家を目指すあるえは、とんぬらの器用さと絵心を見込んで、小説の挿絵を描いてくれと頼んだそうだ。あのカフェラテアートで見せた絵の上手さを考慮すればそれも納得する理由である。

 しかし、王都に届けるまでの時間を入れると、締め切りまでに時間はそうなく、昼休みや放課後、あるえの家で、徹夜で執筆作業をすることとなり、どうにか今日完成することができた。

 

「ほら、この前臨時収入が入ったって言っただろ? あるえが、ゆんゆんの次に奉納してくれたんだよ。小説家になりたいけどどうすればいいか、って。そこで俺は王都にいたときに新人小説家を募集するイベントがあるのを耳にしたことがあるって教えたんだが、調べたらそれの期限が明後日までで絵も必要なんだとか。あるえが、それまでに書き溜めておいたのがあるからそれを推敲するとして、俺が絵を描いてどうにか間に合わせたんだ」

 

 あるえとは、神主代行と奉納者という関係だった。

 だから、親身になって応援したがそれ以上に深いものはない――とんぬらの中では。

 

 何であったとしても、男女が一夜を共にしたことは変わりない。

 

猫耳バンド(これ)も『猫の会話を小説書く上での材料にしたい』と私から貸してほしいと頼んでね。だけど、どうやら私の魅力では彼のお眼鏡には叶わなかったようだ。一度も氏子になってくれと頼まれなかったよ』

 

 と言って、あるえは自分に猫耳バンドを渡した。

 それは、めぐみんに一度勧誘について注意されてそれ以降の勧誘も改まっただけなのかもしれない。真相を知るには、彼に訊くべきなのだろうが、今は猫耳を預かっておくことにする。

 

「まあ、それでも楽しかったけどな。あるえにも、また猫の手も借りたくなるようだったら、遠慮なく誘ってくれって――」

 

「………でしょ」

 

「ん? 何か言ったか?」

 

「私が、先約、でしょ! だから、ちゃんと私を、見ててよ……とんぬら」

 

 途切れ途切れながらも、言い切った。

 真っ赤な目に上目遣いで睨まれた、ベッドの上の少年は、あー、と保健室の天井を見上げ、

 

「友達、できてないのか?」

 

「う、うん、まだ……」

 

「……はぁ、前にも言ったけど、そういう悲しくなることは言わないでくれ」

 

「なっ!? 訊いてきたのはあなたでしょ!」

 

「わかったわかった。あんたはいつまでもぼっちになりそうで目が離せないよ」

 

「そこまで言わなくたっていいじゃない……私だって……」

 

「仕方がない。あるえからもう一度パートナーの件を考えてくれって言われたけど、諦めるか。そっちは手伝えそうにない」

 

「そ、そう……」

 

 少し申し訳ない気もするけど、優先してもらえたことに少女はささやかな喜びを覚える。そこに水を差すように、あっけからんと少年は言う。

 

「ああ、めぐみんとの勝負に負けたから、俺、金輪際、ゆんゆんには話しかけないぞ」

 

「え゛……」

 

 固まる。

 そんな勝負事、まったく聞かされてない。

 

『ちょ……なんで、それを今持ち出すんですか!?』

 

 ガタガタッ、と廊下で何か揺れた音がするが、一瞬気が遠くなった少女の耳には聞こえなかった。

 

「え、っと。めぐみんとの勝負っていうけど、最後のあれはいくら何でもないと思うのよ。九割九分とんぬらのおかげで中級悪魔を倒せたんだし」

 

「でも、経験値を得たのはめぐみんだろ。美味しいところは持っていくのが紅魔族の流儀だというが、本当に最後の一打をごっつあんゴールするのは、まあ、賢くないとできない。紅魔族随一の天才の肩書はあいつのもんだ」

 

 少女は誓う。

 絶対に、あの余計な真似をしてくれたライバルから紅魔族随一の天才の肩書は奪うと。

 

『何本人がいないところで褒め称えてくれてるんですか! それ、私、ものすごく恨まれますよね! イヤですよ! あの子、ウサギを殺した時のような目で私を見るようになったら……』

 

 廊下がガタガタと騒がしいが、決まったことは決まったことだ。

 このぼっちでめんどうくさい少女に、話しかけられなくなるのは大変だが、しかし何事にも抜け道というものあるものだ。

 

「――というわけで、今度からは“ゆんゆんから”話しかけてくれ。これなら問題ないだろ?」

 

「え……?」

 

「誓ったのは、“俺からは”話しかけないことだ。だから、ゆんゆんから声をかけるのは問題ないし、それを無視しろとまでは誓ってない。友達作りに重要な声かけの練習にもなるだろうしな」

 

「わ、私が声をかけたら……ちゃんと無視しないで聞いてくれるの?」

 

「今まで無視したことがあったか、ゆんゆん」

 

 呆れたように、嘆息してみせる。それは、余計な心配事だと。

 

「それに、俺はたとえそれがアクシズ教の『アークプリースト』だろうと、リッチーの『アークウィザード』だろうと恩人を無碍に扱うような真似はしない」

 

 ベッドの脇の机に置かれていた鉄扇と短刀のうち、柄に猫の目のような宝石が埋め込まれた漆塗りの短刀を、少女へ渡す。

 

「俺を助けてくれた時に短刀が壊れちまったみたいだからな、代わりと言っては何だが、それをやるよ」

 

「え、でも……」

 

「それは予備だし、俺には『猫の手』があれば十分。『アークウィザード』でも魔法を使わせずに抑え込まれたらおしまいだから、懐に短刀を忍ばせておくのは身を護る術として重要だ」

 

「それなら、また買ってくれば……こんな高そうなもの、受け取れないわよ」

 

「遠慮する必要はない。命よりも高いものはないからな。助けられたお礼だ。気に入らないんなら、返してくれてもいいが……あんまり人の好意を断るのは、減点だって言わなかったか?」

 

「うん……もう、わかったわ」

 

「よし。じゃあ帰るかゆんゆん」

 

 うーんと猫のように伸びしてから、ベッドを降りる。

 ゆんゆんは、立ち上がった少年に、胸の鼓動に手を当てて、けれど、いつまでも高鳴りが止まらないことを悟り、ひとつ息を吸ってから、自分から声をかけた。

 

「その、とんぬら! 怪我してるし、治るまで、私の家に泊まったらどうかなっ? 私も、助けてもらったお礼がしたいし……ね?」

 

 そして。

 少年はきちんと少女の声を聞き届けてくれた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――私は悪くない」

 

 廊下、ではなく、校門で、どういうわけか息を切らして待っててくれためぐみんが出迎えて開口一番に言ったその文句に、目を真っ赤にしたゆんゆんが襲い掛かった。

 

「ちょ、私の言い分を聞いてくださいよ! モンスターとは違って、人というのは会話が成り立つ種族なんですから!?」

 

「だからっていきなり、悪くない、っですって! 絶対に許さない! 絶対に!」

 

 放課後の校門前でゆんゆんとキャットファイトをおっぱじめためぐみんは、第三者に助けを求める。

 

「ちょっととんぬらもゆんゆんを止めてくださいよ!」

 

「悪いなめぐみん。俺から話しかけるのは金輪際できないんだ。何せ、紅魔族随一の天才に負けちまったからな」

 

「こ、この! あなた、私が最後に横取りしたこと根に持ってますね!」

 

「いや、流石にあれは紅魔族随一寛容な俺でも『そりゃないだろ』と言いたかったぞ」

 

「だから、美味しいところは持っていく紅魔族の本能には抗えなかったんですって!」

 

 誰に止められることもなく、体格差で有利なゆんゆんがそのままめぐみんを押し倒そうとしたとき、

 

「みゃー」

 

 めぐみんのお腹の部分から声が聞こえてきた。

 びくっと取っ組み合っていたゆんゆんは動きを止め、傍で観戦していたとんぬらは頬を引き攣らせた。

 お腹、正確には服の内側から何かがもぞもぞと動き、そこまでいけば状況は自ずと悟るもの。

 

「あ……ああ……」

 

「ふふ、紅魔族随一の天才がこの展開を予想していなかったとは思いますか? いいえありえませんよ。事前に行動がわかってれば、ゆんゆんひとり相手するのは簡単ですからね!」

 

「待って待って! ねぇ待って! いくらなんでもお腹にクロちゃん入れるのは卑怯よ!」

 

「いえいえ。これはもう二度とうっかり離れないように身の裡に大事にしてるのです」

 

「あんたな……本当に、天罰が下るぞいつか。その子は一応女神っぽいんだからな」

 

 その後、黒一点を省いて、女子二人による拳を交えない対話による交渉の結果、矛を収める運びとなった。

 そして、三人で帰る。

 ケガ人ということでしばらく族長宅に住まわせてもらうことになったとんぬらであるも、途中、猫耳神社の方へ寄らせてもらった。

 バイトは休むことになったが、猫耳神社の軽い掃除くらいはしておきたいのだ。

 

 して、神社前に着いたところで、不審な男が賽銭箱前をうろうろしているのに気が付いた。

 

「ね、ねえ、誰かいるよ!?」

 

「まさか賽銭泥棒か――許さん!」

 

「いや、ちょっと待ってください」

 

 鉄扇を取り出したとんぬらを、何かに気付いためぐみんが止めた。

 

「賽銭箱を見ていませんよ。どちらかというと神社の中を窺ってるようです。それにあそこの賽銭箱はそう簡単に開けられるようなものではありませんから」

 

「そうか。そういえばそうだが……おい、なんでうちの賽銭箱のセキュリティの硬さを知っているんだ紅魔族随一の天才」

 

 ジロッと眼を紅くして睨むとんぬらから、反対側に顔を背け、

 

「お、おや? あれは私の知ってる人のようです。家の近所に住む、靴屋のせがれのぶっころりーですよ」

 

「靴屋の? 帰ってきたときに一通り里の挨拶回りをして、靴屋にも寄ったが、そんな人は見かけなかったぞ」

 

「ええ、『世界が俺を必要とする日が来るまで力の温存をする』とか言い張り、毎日家でごろごろしてるんです」

 

 そんな近所のお兄さんのどうしようもない紹介に、重たくなった頭の眉間に指をあてて支えるとんぬら。

 そして、三人の近づく気配に気づいたのか、ぶっころりーはこちらへ片手をあげ、紅魔族流の挨拶をした。

 

「……我が名はぶっころりー。『アークウィザード』にして上級魔法を操る者……紅魔族随一の靴屋のせがれ、やがては靴屋を継ぎし者……! やあ、めぐみん。お、君がここの神主の一人息子で、そこの子が族長の娘さんだね。どうぞよろしく」

 

「あっ! は、はい、ゆんゆんです、よろしくお願いします……」

 

「我が名はとんぬら。奇跡魔法の伝道者にして、紅魔族随一の神主のせがれ、いずれ猫耳神社を継ぎし者……! はい。あなたがぶっころりーさんですか。前に靴屋に挨拶に伺った時はいなかったようですが」

 

「はは、ごめんね。多分それ居留守だ。英気を養ってたんだよ」

 

「はあ……」

 

 ぶっころりーの大仰な自己紹介に、ゆんゆんは恥ずかしそうに顔を赤らめ、とんぬらは律儀に合わせながら丁寧語で返す。

 

「それで、当社に何用で?」

 

「あ、ああ、そのだね、ここに5エリスを入れるとどんな難題にも親身になってくれる相談屋だと聞いてね」

 

 両脇からめぐみんとゆんゆんが見てきたが、とんぬらが首を横に振った。

 そんな設定流してない。神主代行としてもそれは、初耳である。

 

「それに昔、この神社は縁結びにご利益があるというそうじゃないか」

 

「確かに。そのような話は聞かされたことがあります」

 

「そこで、お願い――いや、クエストを出したい」

 

 クエスト。それは冒険者たちに依頼する仕事。

 でも、いくらなんでも5(エリス)は、人件費としては安過ぎるのではないだろうか。駆け出しの街で簡単なクエストとして発注されるジャイアントトード退治は一匹で5000エリスである。しかし、ニートのぶっころりーは5エリス以上は出す気はない模様。せこっちい。

 それでも神主代行として、信仰を盛り上げるためにも受けざるを得ない。

 

「わかりました。当社は神頼みする人を何も聞かず、追い返したりはしません」

 

「そうかい。いやあ、よかった。それじゃあ――」

 

「ただし! ひとつ誤解を解いておきますが、悩みを解決するのはあくまでその者自身。神主は神に代わって、“サポート”するのが仕事です」

 

「そ、そうか……いや、構わないよ。といっても、今日はもう遅いから……明日は祝日だし、学校も休みだろ? 明日の朝……できれば、めぐみんや、そっちのゆんゆんにも相談に乗ってほしいんだ。若い女の子の意見が訊きたい相談でさ」

 

 そういって頭を搔きながらぶっころりーは『また明日』と帰っていった。

 明日の休日、ゆっくり骨休みしようと思っていたとんぬらは、ひとつ大きく息を吐いた。




誤字報告ありがとうございます。

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