この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

46 / 150
46話

 超巨大なスライムを撃退する策。

 図体は屋敷を丸呑みできるほどデカくなったが、その分、足がなくなった。ズルズルとナメクジのように這って進むハンスに対し、有効な手段はこちらも足を使う事――すなわち、敵前逃亡。

 

「勝算がないのに戦うバカがどこにいる!」

 

 源泉は『冬将軍』に氷漬けされて毒混入は出来なくなっている。今のハンスは悪食のなんでも喰らう食欲のみで動いており、破壊工作を行うような悪知恵を働かすことはできない。あの場を死守する必要はなく、かといって、獲物なとんぬらを追ってきている。蘇生したとはいえ半死半生なゼスタを背負って、器用に『吸魔石』から魔力を回復しながら逃げるとんぬらは街の方へと向かっていってしまっているが、門に辿り着いてしまう前に反撃の――とその時軽快なリズムを耳が拾う。

 

「ん、これは……祭囃子?」

 

 それと軽く地響き。これは背後に前を遮る木々やら土砂まで呑み込んでいくスライムからではなく、門の方から感じる。そして、何人もの大声が重なった合唱。

 

「ワッショイワッショイ!!」

 

 門を突き破ってこの山道を駆け上がってくるのは、小屋ほどのサイズのある神輿・『山車』。超強力な聖水にされた温泉を買い取って、とんぬらが交渉前に雪精を指揮して造り上げたものだ。ただ形が出来上がったけど固定が甘く、まだ神輿としては未完成で、裏の倉庫に入れておいたはずなんだが。

 その明日を出番とする、復活祭のトリを飾る特注の『山車』を数十人が担いで、その後ろを数百人のプリースト及び信者たちが続く。

 それは何故か? 氷で出来た城の上で音頭を取る青髪の女性が示すからだ。

 

「いたわ! あれが、私達アクシズ教徒にあだなす神敵よ!」

 

 そして、喧嘩神輿でもやるかのように猛然とスピードを上げた『山車』は、それよりも巨大な屋敷ほどのサイズのある魔王軍幹部スライムへ突貫。無茶だとか言う前に、その間に挟まれている最高司祭を背負ったとんぬらが轢かれてしまいそうなのだが。左は崖、右は急傾斜の山肌の一本道で、道幅を占める『山車』に迫られては逃げ場などない。

 

「ワッショイワッショイワッショイ!!」

 

 その場の勢いを優先するアクシズ教徒が、崇める女神様からの神命を受けたらそれはもうブレーキなど存在するはずがなかった。それもその女神様から筋力増加やら速度の上昇など数々の肉体強化の支援魔法を施されている狂信者はこの辛い山道も軽々と踏破して、スピードも加速をつけている。破壊力は重量だけでなく、速度もまた重要だ。ドラゴンサイズのスライムよりは小さかろうが、衝突の威力は破城鎚以上のものになっている『山車』とぶつかればただ事ではない。たとえ小さいマイナー宗教でも勢いだけで国教のエリス教にも負けない存在感を示すアクシズ教徒のように。

 

「前門のアクシズ教、後門のスライム、どっちも最悪だな!」

 

 ヌメヌメと蠢き、辺りにあるものを何でも呑み込んでいく真っ黒で巨大なゼリー状の塊が退路を塞ぎ、暴走山車が突っ込んでくる。

 状況は、下り坂。蛇行した山道。そして、神輿の後続には、人混みに紛れようとすぐわかる真っ赤な目をした彼女――その姿を視界に捉えたとんぬらの総身を、電流の如き啓示が走る。

 

「『風花雪月・猫足』!」

 

 未だ雪が残る傾斜のついた山道をとんぬらは滑走。その先にちょうど蛇行して飛べば、向こうの道へショートカットできそうな淵に雪精を飛ばす『氷細工』スキルにて成型した角度30度余りの傾斜路。そこを狙って――――重力の軛を蹴り落して、宙高く天を翔るとんぬらは、頭上を舞うこちらを仰ぎ見る彼女の名を叫んだ。

 

「ゆんゆん!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 エリス教会を飛び出したゆんゆんとそれを追うカズマ一行は、源泉のある山へと向かおうとしたら、道中でボルテージが沸騰しているアクシズ教団に行き合った。

 

『魔王軍幹部なエリス教徒にアクシズ教のロリっ子が攫われ、最高司祭がピンチ!』

 

 彼らが猛り狂っている原因をまとめるとこんなところだ。

 魔王軍幹部という話題はこの上ない着火剤だが、その他にも普段はライバル宗派のエリス教徒に、男性信者はノータッチ紳士の精神で庇護対象なロリっ子が襲われたなどと火に油なワードがちりばめられている(『最高司祭がピンチ』というところはわりとどうでもよさげであった)。

 豹モンスターが教会本部へ避難させた幼女から話を聞き、そこへ信者の為なら何でもする女神が登場して、ますますヒートアップ。

 すぐカチコミに行くことになって、それで『こういう時のための決戦用の秘密兵器ってないのかしら!』とアクアが訊ねれば、ひとりの教団員が、『そういえば、ゼスタ様が今朝方に裏の倉庫に』と超大型神輿『山車』を紹介。

 一日早くお目見えになった『山車』は、アクアを乗せて発進し、そのてっぺんに立って目立つ女神様に移動中にわらわらと『アルカンレティア』中のアクシズ教徒が集まっていき、いつの間にか大名行列並みの勢力となっていた。

 カズマが途中で、『馬鹿と煙はなんとやらってヤツだな』と『山車』のてっぺんで音頭を取るアクアを見てぼやいた。

 そうして、いざ最高司祭のいる源泉へ向かわんと騎士団の検問を打ち破り、燃え上がる信者たちの力に調子に乗ったアクアが全員に支援魔法を掛け、山道に突入したところで、

 

「いたわ! あれが、私達アクシズ教徒にあだなす神敵よ!」

 

 遠目からでもわかるほど大きな、グミみたいにプルンと丸まった巨大なスライム。それが活火山で噴火した溶岩のようにこちらへ向かっている。

 そして、スライムと比べれば豆のように小さいが、その前にボロボロの神官を背負った白黒仮面の少年が必死に走っていた。

 

「とんぬら!」

 

 目立つ容姿をしたパートナーの姿にゆんゆんは反射的に声を上げた。そして、このままだとスライムに突撃するより早く、彼と『山車』が正面衝突してしまう。それに気づいたゆんゆんはすぐ指揮者のアクアへ叫んだ。

 

ワッショイワッショイ(「アクアさん! 止めてください!)ワッショイワッショイ(前にとんぬらがいます!」)

 

 けれど、それはアクシズ教の狂乱の掛け声に掻き消されて届かない。けれど、息を切らせながら並走していたカズマたちは気づき、『あのバカは、調子付きやがって周りが見えてねーな!』と愚痴りながら腰の携えた弓を取り、鏃を取った矢を番え、

 

「『狙撃』!」

 

 走りながらと不安定な態勢で射った矢であったが、カズマの幸運補正で必中に高められた精度。見事にアクアのチャームポイントの髪型の輪を通った。

 驚き跳ねて、危うく氷で出来た屋根から滑り落ちかけたアクアだが、すぐイタズラをしてくれた下手人を見下ろして、カンカンにクレームを飛ばす。

 

「ちょっといきなり何するのよカズマ! 今、私のチャームポイントが矢を掠めたんですけど! 敵はあっちよ! わからないの? それともそのチートな幸運持ちでも中てられないくらいカズマはへっぽこなのかしら?」

 

「節穴はお前だアクア! 見えてないのか! あのキングスライムの前にとんぬらと最高司祭がいんだろ!」

 

「え」

 

 見る。そして、気づく。

 

「わかったろ! いいから早くこのバカ騒ぎを止めろアクア!」

 

「そ、そうね早く止めないと! 私の大事な信者()たちが危ないわ! ――みんな、止まって止まってーっ! ストップ! ストップッ!」

 

 アクアの呼びかけに、訓練されたアクシズ信者は足並み揃えてピタッと止まった。――が、担いだ台座に載せられた『山車』の氷の(やしろ)は、慣性の法則が働いて止まらずつるっと滑って、台座の上から飛び出した。

 

『あ』

 

 と口を開けてしまう信者たち、そして『山車』に乗っていたその女神。勢いのついた氷の社は坂道を滑り上がっていき、コーナリングで路肩の山肌に側面を削られているも特別頑丈に出来上がっている社はその程度では壊れない。強引に曲がり切った。

 

「――わ、わあああああああーっ! カズマさーん! カズマさーん!!」

 

「アクアーっ!?」

 

 暴走神輿に振り落されぬよう、慌ててアクアは屋根から社の中に避難している。しかし、そこは無茶でもなんでも降りるべきであった。何せそのまま先の進路には、メタルデッドリーポイズンスライムの変異種という毒の塊に突っ込むことになるのだから。

 

 

 そんな女神が危機一髪な状況の最中、ゆんゆんは逆に下り坂を滑り降りてくるとんぬらを見ていた。

 

 

 遠くからでも目と目が合って、彼の意図をすぐ察したゆんゆんは銀色のワンドを取り出す。こちらへ飛ぶように跳んでくるとんぬらに向け、風の支援魔法を放った。

 

「『ウインドカーテン』!」

 

 逆巻く逆風に煽られて落下速度が減速したとんぬらは、この大ジャンプを巧く軟着陸した。が、着地と同時に背負った師匠を落として、勢い余ってそのまま前に転びかけそうに――なった彼をすぐゆんゆんが抱きしめた。

 

「とんぬら! きゃっ!?」

「うおっ!? っとと!」

 

 正面衝突事故するギリギリで踏ん張り、押し倒してしまいかけたが、そこはグルッと回って自分の背中から地面に滑り込む。摩擦に多少火傷してしまったが、ゆんゆんが腕の中で無事であることにほっと一息つくとんぬら。

 

「まったく無茶してくれる。大丈夫か? どこかケガしてないかゆんゆん?」

 

「ケガしてないか、って! それはこっちのセリフよとんぬら!」

 

 ポカポカッ、と心配したら胸を叩かれた。

 彼女のその行為に疑問符を浮かべつつも宥めようとする少年に、嘆息する音。見ればそこにアクシズ教徒の行列に混じっていたダクネスと、それから同郷のめぐみんがいて、

 

「いちゃつくのも時と場所を考えてください二人とも。今は緊急事態なんですよ」

 

 とんぬらが奇跡のショートカットを成功させている裏で、入れ替わるよう、氷の社ごとアクアがスライムに丸呑みされていた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 カズマパーティは汚染された湖の水質浄化クエストで、アクアを檻に入れて放り込んだのを思い出した。そして、あの時のように上手い具合にあの猛毒の塊を浄化してくれないだろうかと思った。

 この辺りはアクアや女神だと知らない(信じない)ダクネスやめぐみんらも、狂信的なアクシズ教徒ならば生還できるのではないかと思っていたりする。

 

 そして、勢い誤って、信奉する水の女神が、常人が振れれば毒で死に至るスライムに呑み込まれ、この世の終わりとばかりに嘆くアクシズ教徒。――そこへ、一喝する声が山間に木霊する。

 

 

「狼狽えるな!!!」

 

 

 その主は、非常時において最高司祭に次ぐ権限が与えられるアクシズ教の門外顧問(当人は否定)。悲嘆にくれるアクシズ信者へ、奮起させるよう力強く。

 

「いったい何を嘆いている?」

 

 彼らの視線を一身に集めながらとんぬらは不敵な笑みで問いかける。

 

「思うがままに生きろ!」

 

 鋭いとも言える、しかし強かな笑いを持った声が全員に動きを与えた。

 

「それがどういうやり方であろうと、後味の悪い始末をつけるな。水のようにすっきりとありたいと願う。そう教えられてきたはずだ。だというのに、お前らは嘆いたままでいたいのか? ――否、そうじゃないだろう。ああもう終わりだなどと、そんな簡単に不幸に屈してしまうように生きてきた憶えはないはずだ!!」

 

 ハッとした皆が、女神の支援魔法が消えて力無い全身をそれでも奮い起こし、直後、とんぬらは信者たちの視線を引っ張るように、皆を引き付けるその青く光り瞳で見据えた。強大な黒鉄色の敵対者へ、そこへ囚われた女神へと届くように、口を大きく開き、叫んだ。

 

「アクシズ教、教義!!」

 

『アクシズ教徒はやればできる! できる子たちなのだからうまく行かなくてもそれはあなたのせいじゃない! 上手くいかないのは世間が悪い!』

 

 そして、それに反射的に掛け声を入れる訓練された信者たち。

 

『嫌なことからは逃げればいい! 逃げるのは負けじゃない! 逃げるが勝ちという言葉があるのだから!』

 

 美人局な女も、

 

『迷った末に出した答えはどちらを選んでも後悔するもの! どうせ後悔するのなら今は楽ちんな方を選びなさい!』

 

 悪漢役な男も、

 

『汝、老後を恐れるなかれ。未来のあなたが笑っているかそれは神ですらもわからない。なら今だけでも笑いなさい』

 

 洗剤売りの老人も、

 

『スライムなんかに負けないでーっ!』

 

 それに幼女まで、

 

『エリスの胸はパッド入りー!』

『イヤよイヤよも好きのうちー!』

『悪魔殺すべし! 魔王しばくべし!』

 

 各々が声を張り上げ、教義を主張する。声の持ち主は誰なのかわからない。老若男女、数多く、ここにはいない教団員の声までも届いてそう。

 あまりに理解しがたい内容であるが、やはりそれも信仰であるのか教団員たちから青い輝きが溢れ出てくる。

 そして、己に応じた想念を掴み取ったように頭上に掲げた拳を握ってみせる。そのわずかな動作で静まり返る信者たち。だが、それは大津波が起こる前に引き潮のような溜めであり……

 

「そう。信者は揺らぐな! 己が信仰する女神を信じ抜くのだ! 汝らの想いがある限り、絶対に負けはしないっ!」

 

『ぅぅぅううううううおおおおおおおおっ!!!!!!』

 

 門外顧問の扇動に白熱する狂信者たち。

 するとそれに応えるよう、スライムの中で溶かされかかっていた氷の社が眩く光り始める。国教のエリス教と比較すれば、少数のマイナー宗教なアクシズ教だが、全員がそれはもう強い信仰心を抱いている。

 神にとって信仰とは力に直結し、今、信者たちの想いが水の女神の力をこの上なく高めてくれているのだろう。

 

 

「よし! (あん)ちゃんたち、あれでしばらくもつはずだ。その間にアクア様を奪還して、あのクソスライムを今度こそ完全消滅させるぞ」

 

 魔王軍に囚われた女神を応援する信者を置いて、轟く激震を背に受けながら、とんぬらとゆんゆん、そして、カズマパーティは走り出す。目指すは氷の社を取り込んで、動きを止めたハンスの元。

 と走りながら、さっきの指導者っぷりを見たカズマが、

 

「なあ、とんぬら。もうお前が上に立ってアクシズ教の手綱を取ってくれたらアクアも満足して大人しくなるし、世の中もっと良くなると思うんだ」

 

「いきなり何を言うんだ兄ちゃん。俺はアクシズ教じゃないぞ」

 

「待て、カズマ、それは止めてくれ。個人的に『アルカンレティア』のような刺激的な街に住みたくはあるが、エリス教徒として、アクシズ教の勢力が拡大するのは困る」

 

「ダクネスさんも何を心配してるんですか? ですから、俺はアクシズ教ではありませんよ」

 

 ひとつの時代を変革させてしまいそうなカリスマぶりに恐れ戦くダクネス。とんぬらは否定するも耳に届かないよう。

 

「まったく何を言うんですかカズマは」

 

 そこで、同郷のめぐみんが反論してくれた。

 

「とんぬらは、族長として紅魔の里の発展に尽くすんです」

 

「俺は神主代行と名乗っているだろうが。里にも貢献する気ではいるが、将来は神社を継ぐ者だ」

 

「次期族長と将来を見据えた交際をしているんでしょう? ゆんゆんは、ああも人前で指揮できるような性格とは思えませんよ。それに紅魔族の挨拶も恥ずかしがるような娘ですから、きっと事あるごとに代行してほしいと頼まれるでしょう」

 

「それは薄々心配している」

 

「め、めぐみん! それにとんぬらも!」

 

 ゆんゆんが抗議の声を上げるが、めぐみんととんぬらの心配は共有されたもので、

 

「クラスでは担任からよく出席確認を忘れられたりするぼっち娘ですから。そうしているうちにやがて代行しているとんぬらの方が、里の皆は族長であると認知されていくのは当然の流れです」

 

「うん……言われてみると、ありえそうだな」

 

「ねぇ! 私ってそんな心配されるくらい影が薄いの!?」

 

「いや。ほら、クラスでは学級委員長をやっていたんだし、人をまとめる能力は……なくたって、縁の下の力持ちとして支えるのは得意なはずだ」

 

「つまり、ゆんゆんは幻の族長となっていくわけですね」

 

「頑張るから! お父さんのようにできなくても、私ちゃんと族長を頑張るからっ!」

 

 と話しながら走っているうちに、視界の中の黒い物体は段々と大きく……こちらの射程圏内に入った。

 

「そんな(オーガ)が笑うような未来(さき)の話は置いておいて、だ。そろそろ現実逃避は止めて今直面している問題にあたろうか」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 懲りずまたアクシズ教の最高司祭に続いて、今度はアクシズ教の水の女神を取り込んだハンスは、腹下しにでも遭ったように進撃を止めて、その場で身悶えている。時折、プシュプシュと濁っていない綺麗な水を噴いたりして徐々にスケールが小さく萎んでいくように見える。神様を癒す温泉街で奉公する女の子の映画で、主人公チヒロが川の神様から頂いた苦団子で悪食の怪物カオナシをデトックスしている場面をカズマは思い出した。

 

「……なあ、何だか弱ってるみたいだし、しばらく様子を見ないか?」

 

 『ビュリフィケーション』と連呼する声がここまで聴こえる。姿は見えないが、あの時のように、わあああと泣き叫びながら一心不乱に浄化能力を働かせているのが見なくてもわかる。女神として自らを崇める教団のピンチに先頭に立って張り切っていて、今では事故って人身御供になって体を張っている。信徒からの応援もあってか、メタルデッドリーポイズンスライムもキレイキレイされており、カズマとしては出来ればこのまま静観していたいところであるも、

 

「いや、兄ちゃん。確かにそうだけど、流石にあの氷のお社が溶け切ったらアクア様もピンチだろう」

 

 砂上の楼閣にいるに等しい状況。あの光り輝く氷の社を支える人柱にして大黒柱なアクアが折れたら、一巻の終わりだろう。いくら毒など状態異常には陥らない神具を身につけているにしてもあんなスライムに捕食される状況……さっきから羨ましそうに見ているドM騎士(ダクネス)以外は絶対にお断りだ。

 救出作戦にして討伐作戦の内容は走っている間に話し合った。

 紅魔族の超火力でもって、魔王軍幹部を欠片も残さず消し飛ばす。万が一、メタルデッドリーポイズンスライムの破片が飛び散って土地が汚染されてしまっても、それも水の女神アクアの力で浄化する。

 言うのは簡単だが、やるのは至難だ。何よりこれをするには食われたアクアをハンスの中から救出しなければならない。

 それでもやらねばならない。ならば、やればできるようにする。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「我が名は、とんぬら。万能なる賢者にして、万人に才を伝播する調星者(スーパースター)なる者。

 冒険者が勇気を見せるというのならば、俺はその者たちを端役などで終わらせたりはしない――奇跡を起こす英雄にしてみせよう!」

 

 

 宣言して、鉄扇を広げる。

 

「『ヴァーサタイル・ジーニアス』――!!」

 

 師にたった一度だけ伝授されたそれは、『ヴァーサタイル・エンターテイナー』の発展版。

 名乗るのは、器用貧乏ではなく、万能人。多芸な芸達者にするのではなく、この万能の才能を貸し与える。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 本来の姿に戻り、本能がままに行動するハンスに悪寒が走った。

 この感覚、それは己が誰よりも畏怖するものと同質のもの――

 それは悪食の食欲すらも上回り、一刻も早く原因の元を斃さんと動き出したスライムを、阻む壁。

 ダクネスがメタルデッドリーポイズンスライムの直前で剣を地面に突き刺して叫んだ。

 

「『デコイ』――『アストロン』ッ!!」

 

 白金の如く一身を金属塊とした聖騎士の守護(パラディンガード)

 それは状態異常耐性などのスキルを多数習得し、アダマンタイト級の異様な堅さを誇る『クルセイダー』が、更に本来ならば使えぬはずの防御特化の魔法を唱え、あらゆる攻撃を無効化する完全無欠の鉄壁と化した。

 それはしかも『囮』スキルによって、無視することはできない。そして、致死の猛毒でさえ倒せぬ。毒の触手をぶつけようが無傷で弾かれた。

 

 ハンスが停滞され、それにイラつき、その大口を開けた――取り込まれた氷の社が見えたそのチャンスを、破魔矢を番えたカズマは見逃さない。

 

「『スティール』――『狙撃(ショット)』!」

 

 『アークウィザード』の魔力を扱う才が伝播されて、『冒険者』は魔弾の射手と化す。

 相手の持ち物を何でも奪う『窃盗』スキルの魔力を『吸魔石』の鏃にこめて、放った一矢は『狙撃』スキルによって飛距離と精度が幸運補正で強化されており、針の穴を通すようにスライムの僅かに開いた食道を通った。

 

 以前、機動要塞『デストロイヤー』戦において、カズマは『部品を盗めば動けない』という発想で、巨大なゴーレムを即死させた経験がある。

 しかし、今回その急所を刺す射撃(ニードルショット)が奪うのは、モンスターの核ではない。

 

 スライムからその体内に取り込んだ女神を救出する(ぬすむ)

 

 これだと女神を所有物扱いすることになるが、元々、カズマにとってアクアはこの異世界に特典として持ち込んだ“物”である。

 そして、デタラメな幸運持ちの全魔力を篭めて放った一射が、黒鉄色の流動体の中で瞬いた後、カズマの頭上から重くて柔らかな物体が落ちてきた。

 

「ぐえっ!?」

 

 不意打ちに下敷きとなったカズマ。その背中の上にいるのは、顔面ぐしゃぐしゃに泣きじゃくった水の女神様。

 

「ぐすっ……、うっ、うええええええっ……、あぐうっ……!」

 

「おい、泣いてないでとっととどけアクア! 重いんだよ! しかも粘液でぬっちょりとしてるし! これ触ったら即死モンで危険なんだろ!」

 

「ううっ……ぐずっ……あ、ありがと……、カズマ、あ、ありがどうね……っ! うわああああああんっ…………!」

 

 ハンスの毒粘液でねちょねちょしてるが、アクアの浄化能力が働いてそれもすぐ無害化される。とはいえ、カエルに続いてスライムにまで捕食されたのは相当応えているようで、立ち直るのに時間がかかるようだ。

 

「では、トリだ。我らが紅魔族の流儀に、この好機を逃せとあるか?」

「いいえ、とびきりのをかましてやりますよ! 二人は足を引っ張らないでくださいよ!」

「ちょっと和を乱さないでよ! これ自爆したら洒落にならないんだから!」

 

 ほぼ同日に学校を卒業した一族の中でも優秀な、大悪魔にも才能を保証されし『アークウィザード』たちが、ここに伝説を作る。

 

「黒より黒く、闇より暗き漆黒に我が真紅の混交に望み給もう!」

 

 △に取った陣形で先頭に立つめぐみんが、その火と風の属性を混ぜ合わせる破滅の光を掲げた長杖の先に収束。そして、両脇の後衛二人も魔力を解放する。

 

「臥竜鳳雛の時は終わる。紅き黒炎よ、天元を超えし天外の力をここに示せ!」

「もうひとりじゃない! 皆と一緒に!」

 

 とんぬらは『水のアミュレット』を握り締め、ゆんゆんは『雷の指輪』に祈りを篭め、各々が得意とする属性の魔力を破滅の光へ重ね合わせる。

 そして、三位一体の四属性複合の破壊が解き放たれた。

 

 

『『クラス・エクスプロージョン』――ッッ!!!』

 

 

 一度だけでなく幾度も連続した爆裂する破壊は、ドラゴンサイズのスライムを原子の塵に近いレベルで蒸発させた――

 

 

 ♢♢♢

 

 

「この俺を斃すとは……」

 

 紫のクラゲに似たスライム……体の大部分と分裂し、大破壊から免れたハンス。

 もはや切り離された身体は一片も残さずに消滅してしまい、ここまで削れてしまってはもう自壊寸前。

 それでも、ハンスはあの場から逃げることを選んだ。

 何としてでも、この情報を魔王様に届けるために。

 

「いったい何者だあの仮面の紅魔族は……」

 

 『アークウィザード』ながら、『アークプリースト』の資質を持ち、超級の精霊王『冬将軍』を召喚する。

 そして、

 

「最後のあれは、魔王様と同質の、相手を強化するあの魔法……」

 

 危険だ。

 あの存在は、今後の人類侵攻に大いに妨げになる。

 だから、この情報を何としてでも――

 

 

「『カースド・クリスタルプリズン』」

 

 

 雪残る山森に響く冷徹な声音。

 聞き覚えのあるその詠唱にハンスが反応したときは、もう遅い。足の触手は氷漬けにされ、一歩も先へは進めなくなる。

 

 そして、かつての悪夢が蘇る。

 そう、ひとり後詰に控え、逃亡するのを予測して待ち構えていた元凄腕冒険者にして……

 

「あ、が……」

 

 冷たく、それでいて鋭い目つき。

 魔王城を出てから駆け出し冒険者の街で隠居して、牙が抜け落ちたかと思えばそんなことは全然なかった。

 まさしく氷を思わせる重苦しく冷たい雰囲気を纏う不死王リッチー。かつてはその相性の悪さで瞬殺してくれた武闘派魔法狂『氷の魔女』ウィズが、ハンスの前に現れた。

 

「おい、なあ、見逃してくれウィズ。確かお前は、魔王城の結界の維持以外では魔王軍に協力しない。その代り、俺達に敵対もしないっていう、お互いに不干渉の関係だったはずだ」

 

「ええ、そうです。しかし、私が中立でいる条件、魔王軍の方に手を出さない条件は、冒険者や騎士など、戦闘に携わる者以外の人間に危害を加えない方に限る、でしたよね?」

 

「ウィズ! 頼む! 魔法を解いてくれ! ウィズーッ!」

 

 嘆願するが、彼女はそれに耳を貸したりしない。

 

「冒険者が戦闘で命を落とすのは仕方がないことです。彼らだって、日夜モンスターの命を奪い、それで生計を立てていますから、自らも逆に狩られる覚悟は持つべきです。そして、騎士もそうです。彼らは税を取り、その代価として住民を守っている。対価を得ているのですから、命のやり取りも仕方ありません。ですが……」

 

「ウィズ! 本気で俺を殺す気か!?」

 

 ハンスが泣き喚き、それにウィズは悲しそうに顔を歪める。

 

「ですが、何の罪もない温泉管理のおじいさんを襲い、戦闘を生業としない聖職者を喰らう。そして、小さな幼子にまで手を掛けた。ハンスさん、あなたをもう許すことはできません」

 

 ウィズの手に凍結魔法の結晶が展開される。また一度彼女の魔法を喰らえば、完全に凍死するだろう。

 それを見て、ハンスは――――笑った。

 

「ハッ、そんなにあの冒険者のガキ共が大事か?」

 

 その言葉に、ピクリと反応するウィズに、ますます口角を吊り上げる。

 

「お前があの小僧に背負われていたのを見たぞ。やはりこの俺を追い詰めてくれた冒険者たちと関わり深いようだな」

 

「いったい何を……」

 

「ああ、わかっていたとも! お前の中立条件などちゃんと覚えていた!」

 

 訝しむウィズに、己の自ら切り分けた触手の切り口を見せながら、ハンスは言う。

 

「命乞いで時間稼ぎしていたのはわからなかったとは、ツメが甘いな。お前の『カースド・クリスタルプリズン』を喰らう直前に、身体の一部を分裂させた。ああなってはもはやいずれ自壊するだろうが、その前に、必ずやあいつにあの仮面の紅魔族の情報を届けるだろう」

 

「なんですって……!」

 

「今更探そうが、もう遅い。そして、俺の報告が魔王軍に届けば、あの仮面の紅魔族は、『氷の魔女』、お前以上の高額賞金首になるだろうな! ワハハハハハハッ!」

 

 哀しみが焦りに変わったのを見て、ハンスは勝ち誇るように高らかに笑った。

 

「くっ、この――!」

 

 上級凍結魔法で、ハンスを氷結し、粉々に砕け散らせたウィズは急ぎ、本体と別れた触手を探すも、結局、見つけることはできなかった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 翌日。

 ハンスを残骸すら出さず木端微塵に破壊し、汚染された土地も水の女神の力で浄化した。凍結されていた源泉も無事に溶けて、温泉街も復活。それで、冒険者ギルドにクエスト受注していたカズマパーティが、魔王軍幹部ハンス討伐の報告をし、今回の汚染騒ぎの功労者として色々な人達から感謝されることになる。後でハンスの懸賞金は山分けすることとなるが、今頃、カズマ、ダクネス、めぐみん、そして、アクアは、急遽再製造された『山車』に乗ってパレードを行っているだろう(ウィズは徹夜で山森を徘徊していたようで消えかかりそうなくらいにバテてて宿で休まされている)。

 同じく今回の一件で大いに株を上げることになったアクシズ教。それに魔王軍幹部に今回唯一の犠牲者である最高責任者が化けられていたエリス教……これのおかげで常識人なエリス教徒らのこの街における発言力はかなり下がってしまっている。お祭り騒ぎも相俟って、調子付くアクシズ信者らを見ていると、やったことは果たして正しかったのだろうかと悩むところだ。これを機に勢力拡大とか言い出さないか心配だ。

 

「なんか悪かったな、ゆんゆんも賑やかなパレードに参加したかっただろ?」

 

「ううん、全然いいわよ。楽しそうだけど、あまり目立つのは恥ずかしいし」

 

「俺もしばらくは人前に立つのは遠慮したいところだ。兄ちゃんらに押し付けてしまった形になってしまったな」

 

「それでどうしたの、とんぬら?」

 

「まあ、大事な用だ」

 

 祭りを他所にとんぬらとゆんゆんがいるのは、無人のアクシズ教会。

 

「人目が皆パレードに集まってくれるのは助かるが、こうも無人に本部を放置するとは危機意識が低いというかなんというか、心配になってくるな」

 

 今はもう最高司祭の影武者ではないのだが、頭を抱えたくなってくるとんぬら。

 いや、今はそんなことはいい。汚染事件も解決し、魔王軍幹部も討伐、それに影武者も務めあげて最高司祭を汚名返上してみせた。

 これだけ働いたのだから、今日、この場を貸し切っても文句はないはずだ。

 そして、女神像を後ろに控える教壇の前まで、腕を引いたところで、確認する。

 

「ゆんゆん、出入り口に『ロック』をかけておいてくれたか?」

 

「うん、とんぬらの言われた通りにしたけど」

 

「じゃあ……もうひとつ頼み事だが、しばらく良いと言うまで目を瞑っていてくれないか?」

 

「うん……」

 

 何やらとんぬらの様子がおかしいことに気付いているゆんゆんだが、言われた通りに目を瞑る。

 

「少し、髪に触らせてもらうな」

 

 断りを入れて、ゆんゆんの前髪の編み込みに触れられて、何かを付けられる。

 ふぁさ……と顔の前に掛る感覚を覚え、そこで彼から許可が出る。

 

「いいぞ、ゆんゆん」

 

「え……」

 

 目を開けると、視界が真っ白だった。そう、薄く透けた白い布地を被さられていた。それが何かと悟る前に、相対するとんぬらから手鏡を渡される。

 そこに映る自分の顔を見て、ゆんゆんは、驚き固まった。

 

「こ、これってもしかして、アレなの? 挙式で花嫁の被るアレ!?」

 

 飾られたのは、精緻な意匠のレースが縫製された、純白のヴェール。

 ゆんゆんの目はかつてないほど輝いている。白い薄布を被せられているせいで、その赤い光はより映えているようで、思わずとんぬらも用意していた台詞を忘れてしまった。

 

「あー……いつもありがとう。誕生日プレゼントだ、ゆんゆん」

 

「――――!」

 

 人前で演説するのと比較してなんて拙いセリフだとは自省するとんぬらであったが、俯いてしまったゆんゆんは排熱が上手くされず耳の先から首筋に至るまで、またその瞳も真っ赤。

 

「う、ぐっ……! いや、待って、待ってよ、待ってください! もう、もうもう――うう、とんぬらって悪魔なのっ!」

 

「悪魔って、俺はマネージャーじゃないぞ」

 

「不意打ちにも程があるわよ! こんな贈り物をされて喜ばない筈がないじゃないっ! だからとんぬらが、私を辱める気なんでしょっ!?」

 

 ゆんゆんはすごい剣幕でまくしたてる。

 ……一応、教会を場に選んだのでサプライズを察してしまうかもしれないと冷や冷やとしていたとんぬらであったが、どうも成功し過ぎてしまったようだ。

 

「いや、そんなつもりはないんだが、悪かったな」

 

「バカ、悪くなんてないわよっ! 私、すごくすっごくうれしい。ひとりで誕生日祝いしてた時なんかよりも全然」

 

「そういう過去のトラウマを言われるとこっちが泣きたくなるんだが、まあ喜んでもらえたようで忙しい合間に予約しておいて良かったよ」

 

 用意したのは、『シルクのヴェール』。知る人ぞ知る、王国御用達にもされるほど腕利きの職人が作る、水と温泉の都『アルカンレティア』の隠れ名産物。

 

「それで……今日で、ゆんゆんも14歳になったわけだし、早いがこれを機に予約をさせてもらおうか」

 

「え、あれ、指輪、いつの間に……!?」

 

 手鏡を渡す際にするりと抜き取っておいた『雷の指輪』を、とんぬらはゆんゆんの左手を取り、その薬指に入れ直す。

 その行為に感極まった少女はもはや言葉をなくしてしまい、そっと少年はヴェールを開ける。

 

「――――」

 

 ……数秒間、無言で見つめ合う。

 ゆんゆんは、息を吹きかけただけで弾けそうなほどだ。とんぬらとしても触れてしまうのを臆す程に、ヴェールの向こうの彼女は高揚している。

 

「――――」

 

 ごくり、とゆんゆんの喉が鳴った。

 やはり刺激が強すぎたのか、緊張するのも無理はない。それを解すようあえて茶化すように、とんぬらはクスリと笑う。

 

「これは予行練習しておいて良かった。こんなガチガチじゃ大変だからな」

 

「し、しょうがないじゃないこんなの慣れてないんだからっ! ……もうバカ」

 

 拗ねる愛らしい童顔を収めて、視界を閉ざす。

 じゃあ、これで終わり――と言う前に、

 

「……ねぇ、予行練習でいいの?」

 

「え?」

 

「この先は、やらないの……?」

 

 消え入るように囁かれる。

 それから目を瞑り、わずかに顎を上に。

 

「私……もう、結婚できるのよ……」

 

 あ、まずい。

 自分でも訳が分からないほどに、今の言動は脳に響いた。体温も上昇する。

 これが、サプライズであることを忘れてしまうほど、今は彼女しか見えなくて、誘われるがままにヴェールを払う手を頬に添え、顔を寄せる。予行練習で済ませるつもりであったが、このまま本番に――

 

 

「『スペルブレイク』!」

 

 

 念のために封鎖魔法を施しておいた教会の門扉が、解呪魔法であっさり解放。

 

「ややや、教会に魔法がかけられているから何事かと思えば、我が馬鹿弟子が女子を口説いていたとは!」

 

 顔を出したのは、ハンス戦後、アクア様からのありがたい治療を受けて全快した教団の最高司祭。秘書なトリスタンを従え、教壇前まで歩いてくる。

 

 ……ひどい。

 いくらなんでもこれはない。一気に熱が冷めてしまった。

 こちらの勝手な事情で占拠してしまったわけだが、その病み上がりの横面をぶん殴りたくなってしまう。

 そして、ゆんゆんはヴェールに顔を隠して、とんぬらの背中に隠れてしまった。……うん、また新たなトラウマになっていなければいいが。

 

「けしからんですな。この神聖な教会で不埒な事に及ぼうとするとは罰が当たりますぞ」

 

「変態師匠……てっきりあんたは祭りに参加してるもんだと思ったんだが」

 

「ええ、これから参加しますとも。さっきまではちょっとルスカ君がいなくなってお通夜ムードなエリス教会に飛び込み参加してたんです。それで新たに最高責任者になった美人神官に感激のペロペロをしようと思ったら、ちょっと警察沙汰になってしまいまして、慌ててここに避難してきたんですよ」

 

「あんたの方がよっぽど罰当たりなことしてるよな!」

 

 こちらが上げたアクシズ教団の株を早速暴落させようとするゼスタに、とんぬらはとっとと縁を切りたいとばかりに借りたものを返す。

 けれど、こちらが差し出したそれを、向こうがきょとんと首を傾げられる。

 

「なんです? 師にお手をしろというんですか?」

 

「違う。ほら、あの時、あんたから託されたアミュレットだ。……最高司祭として、これがなかったら大変だろ。魔王軍幹部と疑われるかもしれんぞ」

 

「ああ、これですか。あげますよ」

 

「は?」

 

「いえ、これ、レプリカです。どこかの馬鹿弟子が、私の居ぬ間に猫耳を広めてくれたでしょう? それに私、奮起しまして。次期最高司祭から最高司祭となったのを祝して、私に憧れるファンのために用意したんですよ。私とお揃いのアミュレットを」

 

 言って、自らの懐から瓜二つのお守りのネックレスを……それもひとつではなく、ジャラジャラといくつも出すゼスタ。

 

「いやあ、無料配布にしても中々受け取ってくれる教団員がいなくて。きっと皆さんシャイなんでしょうね」

 

「霊験あらたかなもんを下らないことに量産するな!」

 

「そんなわけで返さなくて結構です。今回は色々と頑張ったみたいですし、“お駄賃”であげますよ」

 

 その言い方に、ついにプチッときた。

 

「こんのぉ! あの時の感動を返しやがれ汚名挽回変態師匠ッ!!」

 

 弟子の聖なるグーが、師匠の顎を捉えて思いっきりかち上げた。

 

 

 少女の腕を引いて、とっとと出て行ってしまったぬら様。

 見事なアッパーでノックダウンしたゼスタ様に回復魔法をかけずに足蹴して、起こしたトリスタンは呆れた声で訊ねる。

 

「いいんですか? あれはその首に提げている量産品(パチもん)ではなく、本物の最高司祭の証ですよ」

 

 そう、あれはゼスタ様が最高司祭となる際、自身が付けるのとは別に、自費で大枚を叩いて後継者用に用意したもうひとつの『水のアミュレット』だ。

 おかげでしばらく我が教団の最高司祭はしばらく金欠で、水を腹で膨らますようなひもじい断食を行っていた。

 

「あの調子だと、どこか適当なごみ箱に捨てられるかもしれませんね」

 

「ハッハッハ、そんなことはしませんよトリスタンさん。イヤよイヤよも好きなうち。あれはね、我が弟子なりのツンデレなんですよ」

 

(ツンデレ、ってどちらが……)

 

 自信満々に言うゼスタ様は、実はぬら様ファンクラブの創設者であり、会員番号『No.1・ゼスタ』だったりする。

 まあ、この師弟の関係に口を挟む気はさらさらないトリスタンは、経理として一言言っておく。

 

「ゼスタ様の道楽に教団から経費は落としませんからね」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 街を出たところ、ミミズのように這ってきた紫色の触手が足元で融け、一通の魔法紙の手紙を落とす。

 それを拾い、軽く目を通して、深く女性は息を吐く。

 

「もう私に一々報告してくれなくていいと言ったのに。折角の湯治が台無しよ、本当に……」

 

 封印を移住した里の人間たちは、全員が『アークウィザード』。

 その中で、自らを崇め奉った神主一族は、勇者の血を引くものだという。『アークウィザード』ながら、『アークプリースト』の資質を持ち、何でもできる万能人――すなわち、勇者。

 神主一族……そう、『サトウ』の血族は、今代になってついに魔王に対抗する勇者に至った。それも魔王と同質の力を発現したなどと、お伽噺を実現させてしまったのだ。

 

「……だから、目立ち(はたらき)過ぎは良くないと言ったのよ」

 

 出る杭は打たれる。これが世の常だ。

 これはもう無視でき(かばえ)ない。

 これより、仮面の紅魔族、あの少年は、魔王軍の中で懸賞金がかけられることになる。そのきっかけとなる報を持っていくことになる女性の足取りは重いものであった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 祭の翌日。

 あの後、師にからかわれたのを開き直ったのか、頑なに『シルクのヴェール』を装備から外さなくなってしまった。そんな花嫁気分なゆんゆんは、めぐみんに見つかり、ものすっごい深い溜息を吐かれた。頭お花畑な同郷の娘を見て一言、『お似合いですね』と言ってもうこれ以上付き合い切れないと言った感じに去った。そして、他のカズマパーティ一堂に微笑ましい目で見られるのが恥ずかしくていたたまれなくなったとんぬらはお先に『アクセル』へ帰還することにした。

 どう説得しても、『シルクのヴェール』を脱ぐのをいやがるゆんゆんは走行中も当然のようにつけており、むしろ逆に外れるといけないから速度は落とすようにとゲレゲレを叱ったくらいである。

 

 それで一体どんなキザな台詞があったかは割愛させてもらうが、とんぬらは『アクセル』につく前に、ゆんゆんからヴェールを外させることに成功した。それで家に入る前にひとりお隣の魔道具店に帰還の挨拶に行くついでに、彼女のトラウマな携帯トイレの返品を進言。案の定、携帯トイレは店の一番前の棚に飾られていたが、そこは大悪魔なマネージャーと小一時間の長い口論の末(その間、質問攻めにあって大いにご馳走にされた)、箱に仕舞わせることができた。

 

 そうして、やっととんぬらは自宅の玄関戸に手を掛ける。

 きっと一足先に帰ってるであろうゆんゆんが、夕餉の支度をしてるだろうなと思いを馳せつつ、家に入る。

 

「ただいま」

 

 挨拶をして、視界に入ったのは、まず注文の多い長距離走行でぐったりなゲレゲレ、そして、煙を噴いているハウスキーパーなエリス……んん? あれ? 留守番していたぽんこつ兵がなんか麻痺っている。一体誰が――と下手人は考えるまでもなかった。いや、その時のとんぬらは考えることもできなかった。

 

 それはリビングの中央に立つ白い人影。ゆんゆん。

 いつもと雰囲気の違う、ゆんゆんの白い姿が――白い? 何で白いんだ?

 

 紅魔族のファッションセンスの基本カラーは、赤と黒。この辺りは常識人なゆんゆんも同じはず。というか、さっきまで旅先で見た。

 

「あ……あ……」

 

 挨拶に応じることもなく、半身になってこちらに顔だけ向けているゆんゆん。

 その身を隠しているのは……下着だけだった。

 両手で上半身を抱きしめるように隠す彼女の姿はなるほど白い。穢れなき乙女の肌は真っ白だ。

 しかしじっと見つめる間にもその肌が朱色に染まっていく。

 そしてその口が『あ』から『き』に変わっていく――のを、見ている場合ではない!

 

「す、すまん!」

 

 彼女の半裸――ほぼ全裸を舐めるように見ていたとんぬらの目が、そこでようやく離れてくれた。

 すぐさま背を向けて、目を閉じる。だが、頭の中に焼き付くぐらいじっくり見てしまったせいで、瞑っても瞼の裏側で浮かび上がってしまい、自制するのが大変であった。

 心臓もバグバグ鳴っている。ヤバい、ゆんゆん、凄い。具体的には言わないが、こちらの想定以上の戦闘力があった。本当に。

 

「ご、ごめんなさい! まだ準備の途中で……」

 

 準備の途中? よくわからないが旅疲れで早速汗を流そうとしたのだろうきっと。でも、浴室にはちゃんと更衣室があるはずだ。なのに、どうしてリビングで服を脱いでいる???

 今は混乱しているのかまだ怒っていないようだが、一応、落ち着いたら謝ろうととんぬらは心に決めて、そこで声がかかる。

 

「もう、いいわよとんぬら」

 

 恥ずかしさのあまり高速で着替え完了したのか。早いな、と思いつつ振り返った。

 リビングには今度こそ身に纏うもののない、裸になったゆんゆんが三つ指をついていた。

 頬を紅潮させ、いっぱいいっぱい感のある上目遣いでこちらを見つめ、

 

 

「子供を、作りましょう、とんぬらっ!」

 

 

 お隣で盗み聞きしていた大悪魔が大爆笑する声が響いた。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 ヴァーサタイル・ジーニアス:万能の天才。ドラクエⅦの小説版におけるスーパースターの特性と同じで、才能を支援する魔法。

 

 パラディンガード:パラディンの必殺技。4ターンの間、自身へのあらゆる攻撃を無効化し、相手の攻撃を自分に集中させる。

 作中では、才能を支援されたダクネスが『デコイ』と『アストロン』を使って発動させた絶対防御。

 

 ニードルショット:弓スキル。敵一体の急所を狙って矢を撃つ。運判定で、当たりであれば即死、外れでは1ダメージしか与えられない。

 作中では、才能を支援されたカズマが『スティール』と『狙撃』を使って発動させた。急所を突くのではなく、盗む。これでハンスに囚われたアクアを盗んだ。

 

 クラス・マダンテ:ドラクエⅧに出てくるメタル系スライムトリオ『ここに生まれる伝説』のチーム必殺技。三回から十回ほど連続した爆発大ダメージを与える。

 作中では、エクスプロージョンをマダンテと置き換えた、めぐみん、とんぬら、ゆんゆん紅魔族三人衆の合体魔法。火、風、水、雷の四属性複合の大破壊。

 

 シルクのヴェール:ドラクエⅤに出てくる頭部防具。温泉で有名な山奥の村でよろず屋を営む職人にのみ製作できる重要アイテム。結婚式イベントで取りに行かされる。王族御用達で、主人公の両親も注文したという。その防御力は鉄仮面よりも高い。

 作中では、水と温泉の都アルカンレティアの隠れ名産物。とんぬらの両親も注文しており、とんぬらもまたゆんゆんの14歳の誕生日に贈った。




誤字報告してくださった方、ありがとうございます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。