この素晴らしい願い事に奇跡を! 作:赤福餅
この温泉と水の都『アルカンレティア』は、ただ今魔王軍の破壊工作に遭っている。
ゆんゆんからもたらされた情報によると、アクシズ教の最高司祭が倒れ、この総本山が置かれた温泉街が、デッドリーポイズンスライムの変異種の毒で汚染されている。十中八九、その犯人は以前、この『アルカンレティア』で交戦したことのある高額賞金首の魔王軍幹部ハンスと推測。
スライムは、この世界において、雑魚モンスターなどではない。
ある程度成長したスライムは、まず液体ボディに物理攻撃がほとんど効果を示さない。それに加えて、強い対魔力を持っていて、おそらく占いの内容と、先日の戦闘から察するに、前回よりも強化されている。上級魔法すら通用しないだろうと。
そして、デッドリーポイズンスライムは、街中の大量のお湯ですら汚染するほどの強力な猛毒を持っており、直接触れれば、即死。
……物理魔法の強力な耐性に、捕食されれば蘇生も不可能……どんだけ
そんな絶対にお相手したくないボスモンスターに、ゆんゆん、それにとんぬらは立ち向かおうとしている。いや、すでに水面下で魔王軍の策謀を打破せんと動いている。
温泉の汚染除去だけではない。
住人にすら気取られぬよう祭りと称して(と言っても教団員は、目的を知らず手段をひたすらにエンジョイしてる)、とんぬらの支援魔法の効果で聖水が出るようになった『花鳥風月』の水芸を街の至る所に撒いて、街そのものを浄化作業したり、
悪臭を放つ毒汚染のイメージを払拭せんと、屋台の料理から醸し出す芳香の強いソースで上書きしたり、
占いの予言で狙われる確率の高かった源泉管理人のおじいさんを保護したりと魔王軍の策を潰していく。
また、失敗してしまったがエリス教も抗戦陣営に引き入れようとして劇場スタイルな説得を試みたりなどと紅魔族が高い知能を持つというだけに効果的な手を打っていくのは頼もしい。
……そんな本物の紅魔族でも、強化された魔王軍幹部の攻略法は見つけていない。いや、爆裂魔法並みに上級魔法以上の(術者の精神的にも)破壊力のある極大消滅魔法があるのだが、それも通用しなかったとなると打つ手が神頼み(奇跡魔法)しかなくなるらしい。
そもそもあんな(駄)女神を崇拝するマイナー宗教の総本山を守るために、こんな無敵仕様な魔王軍幹部と命懸けの戦いに挑むのが理解できない……そう言うと、ゆんゆんは苦笑しながら、『アクシズ教の最高司祭が、とんぬらの師匠なんです』と。
……そういえば、最初にアクアに詰め寄られたとき、自分はアクシズ教徒ではないが師がアクシズ教の『アークプリースト』だと言っていた。話を聞くに3歳のころから里の外へ出て武者修行していたという中々ハードな人生を送っているとんぬらの最初に訪れた街で、一番最初にお世話になった師が、ゼスタというこの街一番のプリーストなのだそうだ。そして、そのゼスタにかつて命を救われたことがあり、この教団の危機に最高責任者が惰眠を貪って起きてこないため、ああしてアクシズ教徒でもないのに最高司祭の影武者を請け負っている。
(俺より年下なのにどんだけ苦労を背負い込んでんだとんぬらのヤツ)
とゆんゆんからそこまで事情を聞いたからには、無視できなくなった。同郷にしてライバルなめぐみんに火が点かない筈がない。ダクネスも司祭が反対していたが、同じエリス教徒として『アルカンレティア』の支部へプリーストに個人的に協力してもらえないかと掛け合いに行くそうだ。……アクアも水の女神として、汚染された温泉を浄化しに行くと張り切ってまた勝手に街へ飛び出していったんだが、何かやらかすんじゃないかと不安だ。
それでなんちゃってではあるが、同じ魔王軍の幹部であるウィズは、今回の相手は一応同僚であるのだしやり辛いだろう。何か考え事をしていたけれど、こちらから静観していてほしいと頼んでおいた。
それでカズマも厄介事は敬遠したいところであるものの、とんぬらには個人として恩がある。借金返済を助けてくれたり、死刑判決を覆そうと弁護してくれたり、『冬将軍』から命を救ってもらったりなどこの世界に来てから大変お世話になっている。パーティ内で一番レベルの低い最弱職に何ができるかはわからないが、出来る範囲で、協力は惜しまないつもりである。
ともあれ、まずは旅疲れもあるため、本来の目的である湯治である。
アクシズ教の本部にてめぐみんと合流し、ダクネスの先導でエリス教支部に交渉に赴いてから、宿に帰った。
そのときすでにウィズが混浴風呂を試していたと話を聞いてとても惜しい機会を逃してしまったが、まだチャンスは巡ってくるかもしれぬと望みをかけていざ混浴へ――!
残念。脱衣所で衣類の入った籠がひとつもなかったため、混浴風呂は貸しきり状態であった。
でも、もしかしたら誰か来るかもしれない! ……と望みをかけて、ひとり風呂に入りながら、これまでの事を思い返していたら、壁を挟んだ向こう側――女湯から姦しい声が。
「ほう! 私たちの屋敷のお風呂も結構大きい方ですが、流石は高級宿の温泉! 泳げる広さではないですか!」
「おいめぐみん、泳ぐのはマナー違反だぞ」
「そうよ、もう、他に人がいないからっておかしな真似しないでよね」
その聞き覚えのある声は、めぐみんとダクネス、そしてゆんゆんだ。
『さっきは演劇を頑張ったんだし、羽を伸ばしてくると良い』ととんぬらに後押しされて、今はこっちのパーティと行動を共にしていた。教団最高責任者の代役としてやるべきことが山積みでとんぬらが来れないのを気にしていたゆんゆんであったが、あの演劇で『予言の巫女』だとか『赤目の眠り姫』だとかで注目を集め、恥ずかしがりやな彼女は堂々と出歩けなくなってしまった。今のところ報告にあった温泉施設の浄化は済んでいる。なので、しばらく騒ぎが収まるまでは、アクシズ教団から離れてめぐみんたちと行動することにしたのである。
「そういうあなたたちは、混浴でもないのに何を今更恥ずかしがっているのですか!」
「きゃあっ何するのよめぐみん! そんなタオルを引っ張らないで……きゃああっ!」
「まったく湯船にタオルをつけるのはマナー違反ですよゆんゆん。そもそも荒くれ稼業の冒険者である私たちがそんな女々しくてどうするのです!」
「いや、その理屈はおかしい! というか、めぐみんは男らし過ぎる! ああっ、タオルがっ……」
どうやら、めぐみんがゆんゆんとダクネスのタオルを剥いでいるらしい。
いいぞもっとやれと暴れん坊な『アークウィザード』を応援。透視スキルなんてないので仕切りの先の光景を拝むことはできないけれど、この黄色い声を頼りに想像力を働かす。
洗面器でピラミッドを作り、それを台にして背伸びをすればギリギリ覗けるかもしれないが、紳士としてそれはしない。現実でそんな犯罪行為をすれば警察に捕まってしまう。
『潜伏』スキルを使いながら、波を立てぬよう静かに女湯の壁に貼りつけば、向こうでざぶざぶとお湯に入る音が聴こえた。
「ふう……。たまにはこうして温泉というのも悪くないですね。本来は、物臭なカズマたちを外に連れ出し、アクアに引き寄せられたアンデッドでも狩ろうと思っていたのですが」
「ええっ!? そんな理由で『アルカンレティア』を旅先に選んだのめぐみん!? てっきり、私達の助っ人に来てくれたものだとばかり」
「いいえ、この旅はざっくりいえば経験値稼ぎです。ふっ、あの時逃げられた魔王軍幹部に対決できる機会に恵まれるとは、ええ、次こそは我が爆裂魔法をぶつけてやりますよ!」
「そんな理由で湯治などと言い出したのか。確かに、あの時のカズマを見る限りあのまま街に居ても、当分討伐に行こうとは言わなかっただろうからな。しかし、それが魔王軍幹部と事を構えることになろうとは……いや、この災難はむしろ望むところだぞ!」
「ええ、それには驚きました。まさかとんぬらとゆんゆんが魔王軍幹部に喧嘩を売りに行ったなんて。先日、カズマにちょっとイタズラをして……まあ、それであなた達のところへ避難しようと思ったら留守で、それでウィズに訊いたら二人で婚前旅行に行ったとしか教えてもらっていませんでしたから」
「こ、婚前旅行じゃないわよ!?」
「おや? ゆんゆん、あなたもうすぐ14歳でしょう」
「待て、めぐみん。14歳は結婚ができる年齢だが、いくらなんでも早すぎるだろう。そういうのはもっと互いを理解してからだな。二人は付き合ってからまだ一ヶ月と経ってないんだぞ」
「付き合う前から平然とイチャついたり二人暮らししていましたがね」
「そういえばそうだったか。街に来た当初にパーティを組んだことがあったが普通にカップルに見えたしな。クリスと一緒に微笑ましいものだと笑ってしまったよ」
「それ以前に、里で学校に通っていたころから普通にデートしてました。まあ、微笑ましいお子様なお付き合いでしたが」
「あ、あれはデートじゃなくて予行練習で……」
「はいはい」
「適当に流さないでちゃんと聞いてよめぐみん!」
……うん、独り身であることが心寂しくなってきたというか、恩人の彼女の裸体を想像しようとして申し訳なくなってきたというか。あの二人がお付き合いしているのはわかっていたのに、それでもゆんゆんと話すときになるとつい胸元に視線が行ってしまう。
今後はなるべく控えるとして、とりあえず侘びとしてとんぬらにはさりげなく避妊具の試作品でも渡しておこうか。
「なんにしても、あなたの誕生日が近いではないですか。確か明後日でしょう? いくらヘタレでも男として初めての彼女の記念日くらい何かサプライズをするものです。実はゆんゆんも密かに期待していたりするのではないのですか?」
「う、うん……そうだけど、でも、今はこの街の事で忙しいみたいだし、期待するのは悪いわよ」
「何を弱気なことを。魔王軍幹部など明日にでも我が爆裂魔法を喰らわして、一発で片付けてやりますよ。そして、明後日ヘタレたらとんぬらを爆裂魔法でぶっ飛ばしてやります」
「そうだな。魔王軍などとっとと片付けてしまおう。教団としては動けないようだが、個人としてエリス教のプリーストも支援してくれるようになったし、カズマもなんだかんだでやる気のようだからな。しかし、あいつは本当にどういう男なのだ。保守的で臆病かと思えば、身分の差を気にもせず、貴族相手ですら酷く強気な時もあるし……。カエル相手に逃げ回ったかと思えば、魔王軍の幹部相手に渡り合ったり、本当に変わったヤツというか、不思議なヤツというか」
「シッ! ダクネス、それ以上言うのは待ってください。この隣は混浴になっています。目の前に混浴と男湯があるとすれば、カズマが選ぶのはどちらだと思いますか?」
「混浴だな。小心者で、肝心な時にはヘタレてしまうあいつだが、こういった大義名分がある場合は堂々と混浴に入るだろう」
恋バナな空気から一変して、物々しい雰囲気に。
あいつらに文句を言ってやりたいが、実際に混浴にいるのでぐうの音も出ない。
「ね、ねぇめぐみん、カズマさんが隣にいるの? さっきの会話も聞かれてたりしたら私なんか恥ずかしいんだけど……」
「やれやれ、そうやって恥ずかしがってもカズマを喜ばせるだけですよ。ここは私が男の扱いについて手本を見せてあげますよ。――カズマー! そこにいるのでしょう? 壁に耳をくっつけて、ダクネスがどこから洗うのかを想像したりしてハアハア言っているのでしょう?」
「め、めぐみんお前、なぜ私を引き合いに……! おいカズマ、いるんだろう? そこにいるのはわかっているぞ!」
八割ほど正解してる。
でも、ハアハアなんてしてないし、静かに息を殺している。行動を読まれていることは悔しい……わけでもないが、とにかくここにいることを教えてやる必要もない。
そうやって無言でいれば、やがて当てが外れたと首を傾げるような気配がする。
「おかしいですね、いないのでしょうか? そんなはずは……」
「む……。だが、一向に返事がないのだが……」
「ハアハア聴こえないし……大丈夫なの、かな……」
まだまだ反応はしない。
「めぐみん、何だか自意識過剰みたいで恥ずかしくなってきたんだけど……?」
「おかしいですね。本当にいないのでしょうか。私としたことがカズマを疑ってしまいました。後で、さりげなくジュースでも奢ってあげましょう」
「確かに、ちょっと失礼だったな。一方的に決めつけてしまって」
やがて反省した感じになっていく。
「何だかんだ言って、あれで結構頼りになる人ですからね……」
「うん、疑ったことは反省しないといけないわね。ごめんなさい、カズマさん。私も後で何か奢りますから許してください……」
「ああ、あいつはああ見えて、本当に仲間が困っているときは必ず助けてくれる男だ。素直じゃないだけで、根はいいヤツなのは間違いない。反省せねばな……」
……うん、これ以上盗み聞きするのはこっちも恥ずかしくなってきた。
こっちからも風呂上りにさりげなく何か奢ってやろう、と決め、音を立てずにその場を離れようと――
「にしてもゆんゆん。あなたやはり成長していますよね。この胸、やっぱりとんぬらにマッサージしてもらってるんじゃないんですか……!」
「きゃあっ! ちょっ! め、めぐみん、やめっ……! ああんっ……!」
パシャパシャと激しい水音に色艶のある悲鳴が、壁の上の開いている部分から聴こえてきた。
「まったく! これ見よがしに湯に浮かべてみせて……未だ成長期が来ない私への当てつけのつもりですか!」
「やめっ! そこはダメだってば!? 私なんてとんぬらがガン見していたお姉さんと比べればまだまだ……そうよ、ダクネスさんくらい凄かったら……! どうやったらそんなに大きくなるんですか!」
「ええっ……! ここで私に振るのか……!?」
「ええ、まったくダクネスはさらにけしからんですね! ちょっと私の目標のイメージを知っておきたいですから、触らせてもらいますよ!」
「ちょっ……! め、めぐみん、それにゆんゆんまでっ……!」
「ごめんなさい! 私も目指すものをしっかり掴んでおきたくて……!」
「ダクネスのコレが、自己主張が激しいからいけないんです! もっとコンパクトに収める努力でもしたらどうですか!」
「それをいうなら、こっちだって気になるのがあるんだぞ! 二人の、尻にあるその……」
――一時は良心の呵責からその場を離れようとしていたが、形状記憶合金であるかのように自然と女湯の壁に寄り添っていた。
だが、それは失敗であった。
「今です!」
「ふんっ!」
「ぐあっ!」
『潜伏』スキルを発動させていたが、壁に耳を当てていることを見抜かれていた。
めぐみんの指揮で、ダクネスが壁を殴りつけ、その衝撃に身悶えるカズマ。だが、それで怯んでいるわけには行かなかった。
向こうには、爆裂魔法使いではない、遠距離からモンスターの群れを殲滅できる真っ当な『アークウィザード』がいるのだ。
壁越しから詠唱が響く。
「『クリエイト・ウォーター』ッ!」
ゆんゆんの逆襲の初級水魔法。
魔力の違いか血統の違いか、ゆんゆんの放った『クリエイト・ウォーター』は、カズマの放つものとは比較にならない水量で、滝行の如く空から降りかかった。
♢♢♢
「――と雪解け復活祭は上々です。以上、これが今日の収支報告となります」
「受け取ろう」
最高司祭の執務室で、部下より渡された報告書に目を通す。上がちゃらんぽらんで教団員の自由意思に任せて運営がされていたからか綺麗にまとまっており、こちらから口出しする点も見当たらない。
最高責任者の影武者こととんぬらは、どん底に陥っている師の株を引き上げんと意欲的に指揮を執っていた。おかげで最初は天変地異の前触れではないかと、事情を知らぬ教団員からは恐れ戦かれた。真剣に『転んで、頭の打ち所が悪かったんじゃないか』と皆から回復魔法を頭にかけられたことから普段の師の評判を察せられる。だが、今ではもうすっかり慣れたもの。偽りの最高司祭であることを知る経理のトリスタンからは『もうこのままぬら様でいいんじゃないか』と言われているが、これはあくまで代理なのだから当人が目覚めたらとっとと辞退する。
「ふむ。問題ないな。敬遠されるものだと思っていた出店の売り上げも想定以上。浄化作業も滞りなく。それで施設に入り込んだ不審者の特定は? 日に何度も温泉宿を周る人物が怪しいと見ているのですが」
「いえ、それが調査と浄化作業を行うプリースト以外は、これと言って頻繁に通いしげる客はいなかったと。ただ……」
「何か気になったことがあるのですか?」
「はい。温泉街から、旅のアクシズ教の『アークプリースト』が温泉の浄化を請け負ったそうですが、そしたら温泉がお湯になっていたと苦情が。きっと温泉のお湯を勝手に抜き、代わりに身体を流す用のただの湯にすり替えたんだと宿主が教団へ弁償を要求しております」
その報告を聞いて、ひとつ思い当たることがあった。というか、ひとつしか心当たりがなかった。
「どうしますか、ゼスタ様」
「……もし、魔王軍幹部ハンスの猛毒を浄化したというのであれば、これは天の恵みであるかもしれん。その方の外見は?」
今日、変化中であったので挨拶にこそ行けなかったが、兄ちゃんらが来ていることは把握している。であるなら、見かけなかったがあの方も来ているだろう。
報告したプリーストは、恐る恐る慎重に言葉を選んで答えたその特徴は、予想通りのものであった。
「水色の髪と水色の瞳。そして羽衣を纏った、それは見目麗しき御方だった、と」
「トリスタンさん、至急、その浄化された温泉を教団で買い取りなさい。決して、彼女個人に賠償金を支払わせるような失礼な真似はしてはなりません。予算の方は」
「ええ、祭りでの利益で足りますとも」
すぐさま経理担当に指示を飛ばす。
我が意を得たとトリスタンはその報告された温泉宿へ交渉に向かう。
「手の空いている者は他にもその御方が巡った温泉施設を調べ、同様の事態であれば、教団で買い取ると店主に伝えなさい」
「はっ! ……ゼスタ様、これはまさか」
期待感に胸を膨らませながら、冷静に努めて訊ねる教団員にゆっくりと頷いてみせる。
「温泉はお湯となったのではありません。おそらくは非常に強力な聖水となっているはずです。浸かれば傷が癒え、アンデッドにかければ成仏する。そして、毒を薄めてくれるもののでしょう」
たまに魔道具店にイタズラというか嫌がらせで、高価なポーション類を水に変えてしまうことがあったが、それらは全部、そうそうお目に掛れないような特一級品の聖水に化けていた。爆発ポーションよりも高値で売れるほどの。
「つ、つまり、彼女は……!」
「ええ、あなた方の思っている通りの御方です」
『おおっ!!』
最高司祭が断言すれば、教団員の表情からは興奮が隠し切れなくなる。師はちゃらんぽらんであったが、こと水の女神様に関してだけは教団内で絶大な信用を得ていた。
「どうなされますか? この街の信者たちには……」
「無論、知らせる。ただし、内密にだ。あの御方はこの街に遊びに来ていらっしゃるのだろう。我々がそれを無闇に騒がして、気を遣わせてはならない。心安らかに過ごされるようあくまで一プリーストとして対応することを、細かく注意を促しなさい」
「はっ!」
「……それと、あの御方を見かけたらそれとなく、雪解け復活祭のトリに出す『山車』へ乗っていただくようお誘いするのです。ええ、祭りの趣旨は水の女神様の復活を祝うものなのですから。あの御方は芸事に大変通じておられます、我々もそれに恥じることのないパフォーマンスで応え、一番良い席で楽しんでもらおうではないですか」
「もちろんですとも!」
これで教団の士気は最高潮を突き抜けていくだろう。ただでさえ水の女神に捧げる狂信的な信仰心を持っていて力が強いアクシズ教徒。ハリキリ過ぎないか心配であるが、そこはあの御方の手前無様を晒すようなことはしないはずだ。
(よし。光が見えてきたぞ)
懸念材料として、仮に倒せたとしてもデッドリーポイズンスライムの肉片による土地への汚染があった。一応、こちらで“対処策”は講じてあったが、女神の浄化能力であればそれも解消されるであろう。街の浄化も買い取ることになる聖水で十分過ぎるほど。
それに撃破する術も、自爆芸な極大消滅魔法だけでなく、あの一発芸な人類最強の攻撃手段が使える爆裂魔法使いまでこの街に来ている。問題の対魔力だが、それもこの最強クラスの破壊魔法を二連発食らわせれば流石に跡形もなく消し飛ぶであろう。
どうやら、道中から災難続きで谷底まで落ちていた自分の運がそろそろV字に回復していくようだった。そこからⅥ字になりうるのがとんぬらの『
(これなら、間に合うか。都合よく別れることができたから、アレも注文できたし。明日にでも決着がつけられれば……)
少々私事に意識が入りかけてしまったとんぬらに、ひとりの教団員が報告する。
「ゼスタ様。あのエリス教のデブ神父から、向こうの教団内にも我々に賛同すべきという声が無視できないものになってきたため、明日の正午にでも今後の方針についてゼスタ様と一対一で話し合いたいと申し出てきましたが、どうされますか?」
人払いを要求してきたのは、あの劇団説得を嫌ったのだな。
まあ、相手があの司祭ならば、一対一でも弁舌で負けるつもりはない。ここはエリス教も味方につけて一気に蹴りをつけよう。風はこちらに吹いている。
「構いません。受けて立ちましょう。コテンパンにして泣かしてやりますとも。それで指定してきた場所はどこで?
「はあ……それが、我々が管理する源泉を話し合いの場に指定してきました。なんでも秘湯の具合を自分の目で見て、それも判断材料に加えたいとの事です」
「ふむ。源泉の調子はどうですか? 管理人から我々が監視を引き継いでいますが、その後の様子は?」
「問題ありません。毒など一滴も入ってませんよ」
「よろしい。では、他に報告がないようなら本日の報告会はこれまでといたします。皆さん、明日にすべてが決着をつけられるよう、英気を養っておきましょう! 解散!」
『はいっ!』
うぷっ……
会議の間、ずっと堪えてきた胸焼けするものが、喉元までこみ上げてきたが、出さずに飲み込んだ。支援魔法をかけてくれていたゆんゆんと離れたからか、これまでのものが一気に来たようだ。
深呼吸。
逆流してきたということは、まだ完全に毒素を消化し切れていないか。とはいえ、とんぬら以上の浄化能力を持った水の女神が温泉宿を巡ってくれているようなのでこれ以上無理をする必要はないはず。眩暈もしばらく休めば収まってくれるはず……
「おい、アクア様も訪れているんだから、そろそろいい加減に起きないと最高司祭失格――」
そうして、教団員がいなくなってから、とんぬらは執務室の奥にある自室へ、あれからずっと惰眠を貪る師の様子でも診に行ったら…………ベッドは自身の似顔絵のイラストの貼られた抱き枕を残して、もぬけの殻。
「あの! 変態! 師匠はああああ!」
怒りのアドレナリンが不調を吹っ飛ばす。
変態師匠の抱き枕をサンドバックにして、正拳突きで一撃粉砕。
明日にでも顔を出さないようなら、本格的にアクシズ教団猫耳神社化計画を発動させることをとんぬらは心に決めた。
♢♢♢
「大丈夫ですか、ウィズさん」
「はい、一晩休んだら元気になりましたよゆんゆんさん。一時は、私が冒険者をやっていたころのパーティメンバーが、川の向こうでこっちに来るなと慌てる姿が見えていたのですが……。今は何とか持ち直しまして」
「それって臨死体験ですよね!?」
「いえいえ、本当に大丈夫ですってば」
温泉をお湯にしてしまいその管理人に叱られ、それで女神と信じてもらえずに泣きじゃくるアクアをあやす際にその涙がアンデッドな体に当たり浄化されかかったウィズ。そんな青白い顔をさらに白くし、グッタリとしたバイト先の店長に、慌てふためく少女がゆんゆんである。
昨夜はめぐみんと同じ部屋で一夜を過ごしたゆんゆんは、ついにハンス捜索クエストを発注した『アルカンレティア』の冒険者ギルドへ赴いたカズマパーティを見送った後、具合の悪くなったウィズの看護をしていた。今のゆんゆんはアクシズ教団(とんぬら)とカズマパーティの橋渡しを行う連絡役としてこの場に留まっている。あまり表を出歩けないゆんゆんとしてはなるべく宿に引き籠っていたいところではあるが、何もしないでいるのも歯がゆいところである。
それでいくらか回復した様子の元凄腕冒険者の『アークウィザード』にして、ゆんゆんの魔法使いの師ポジションなウィズに、助言を乞うた。
「ウィズさんは、もし魔法が通用しないスライムと戦うことになったら、どう相手しますか?」
「それは……ゆんゆんさんの上級魔法でもですか?」
「はい。私の『ライトニング・ストライク』が全然効かなくて……。それでとんぬらも折角遭遇したチャンスだったのに見逃してしまったんです」
「いいえ、それが正解です。無理な相手なら戦闘は回避すべき。冒険者は引き際を見誤っては命取りとなりますから」
「でも、私のせいで二度も取り逃がしたんですよ」
前回、自分が毒に侵されたことも含めて悔やんでいるらしい。
話には聞いたが、デッドリーポイズンスライムの変異種・ハンスの猛毒を喰らって生還したというのは、それだけで凄い偉業だ。その解毒法も斜め上に伝説を作っちゃうものであったが。
当人にその偉業を成した自覚は薄いのか、それともそれは全部相方の少年の功績だと考えているのか、とにかく“足を引っ張っている”と思い込んでいる彼女は焦っている。こうして、途中別れて宿に待機させられているのも自身が力不足だからではないかと思考がマイナスに陥りかけている。
その気持ちはわからないでもない。
人間時代のウィズも、今は友人関係の大悪魔を滅ぼさんとあの手この手と策を講じて盛大に失敗することを繰り返していた。本当に、殺生という面で人畜無害な友人でなければ命がなかっただろう。そして、焦燥の行き着く先は破滅であった。
それと同じ過ちは繰り返しては、繰り返させてはならない。
「それでも、ゆんゆんさんはこうして元気でいるじゃないですか。クエスト達成しても、パーティのひとりでも亡くなってしまえば、残された者には苦い記憶としかならない大失敗なんですよ」
「ウィズさん……」
目を伏せて語り出すウィズに、答えをせがんでいたゆんゆんは息を詰める。
「かつて魔王軍の幹部と戦闘し、大きな深手を負わせることができましたが、そのせいでパーティ全員が死の宣告の呪いを受けてしまいました。今でもあれはリーダーであった私の失態だったと後悔してます。もっと周りが見えていれば、あのような深追いはしなかった」
少女は瞠目する。魔王軍幹部と死の宣告と聞いて、すぐ脳裏に浮かんだのは、デュラハンのベルディア。『アクセル』を襲ってきたあの首無し騎士はゆんゆんの記憶にも新しい。
「猶予は一ヶ月。その時、王都で最も高レベルな『アークプリースト』の力を以てしても解呪は叶わず、そして、取り逃がした魔王軍の幹部は強力な結界の張られた魔王城に逃げられてしまいましたから……ああ、そんな顔をしないでください。私はこの通りピンピンしてますし、どうにか呪いは解かせることができましたから」
「……もしかしてそれで、ウィズさんは冒険者をやめたんですか?」
「ええ……それがきっかけではありました」
これまで弟子を持った覚えはないので上手く諭せたのかはわからないが、見た感じ、彼女は焦りを呑み込んでくれたよう。このような先人の失敗談でも役に立つことはあるようだ。
それを見取ってから、お通夜のように沈んだ雰囲気を変えるよう少し明るい声で、
「それで、魔法の効かないスライムの相手ですか」
「あ、はい! 何か良い知恵があるんですかウィズさん!」
「そうですね……」
魔王軍幹部ハンスとは、一度、交戦した経験がある。その時は確か上級魔法で氷漬けにして戦闘不能に追い込んだ。
ただ話を聞くに、今のハンスはどうも魔王の加護を受けているようで上級魔法が通じないほどの対魔力を得ている。
「難しい、ですね。すみません。私には良い考えは思いつきません……」
「そうですか。とんぬらはひとつスライムなら封じる策があるって言ってたんですけど、私には教えてくれなくて」
「まあ、そうなんですか、それは凄いですね」
「はい!」
とんぬらのことを褒めるとゆんゆんは自分のこと以上に嬉しそうにはにかむ。
リッチーを人間に戻してみせた彼ならば、ウィズにも思いつかないような秘策を講じていても不思議ではない。
(できれば……話し合いで解決できればいいんですけど)
今回の件、話を聞くに温泉に毒が混入されたというのが魔王軍の破壊工作だが、それは“関係ない人をも巻き込む”ものだ。幸いにして、今のところ死傷者は出ていないものの、きっと街の人々の中には具合が悪い者もいるだろう。
結界の維持だけで侵攻には協力しない。その代りに魔王軍とは敵対しない不干渉の約定を結んでいる。
ただし、この中立条件が適用されるのは、騎士冒険者以外を殺さないものに限る。
命のやり取りをしない者まで巻き込むものならば、ウィズも見逃すことはできない。
「あ、そういえば、せっかくだからウィズさんに訊いておきたいことがあったんです。私もとんぬらもどこかで見たことがあるような気がするんですが、どうにも思いつかなくて……」
魔道具店を運営するその鑑識眼を頼りにしたゆんゆんがポケットから出した物は、一目でピンときた。
そう、その紫紺の四角いアクセサリは、パーティであった『アークプリースト』のロザリーが肌身離さず持っていたもので、かつてウィズも携帯していたものだったのだから。
「これは、エリス教のシンボルですよ。一体これをどこで?」
「え、っと……先日、交戦したときに相手が落とした物なんですけど」
「え――」