この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

42 / 150
42話

 変異種。

 それはごく稀に誕生する、通常個体とは変わった特徴を持った強靭なモンスター。おおよそ通常個体の3~5倍ほどの経験値があるものの、通常個体をやっと倒せる程度の実力ではまず間違いなく返り討ちに遭う。

 

 金色の体に、頭部のエリマキが青地に白い星、胸が赤白の縞模様のリザードランナーの変異種『キャプテンドラゴ』。

 

 群れを従える“王様ランナー”を目指す大勢のオスのリザードランナーがこぞって追いかける大きなメス個体である“姫様ランナー”。

 その姫様ランナーがこぞって追いかける“大王ランナー”が、『キャプテンドラゴ』だ。

 『雷竜隊長』などという異名の通りに、通常個体にはない発電器官を備えており、電撃を迸らせながら群れの先頭を譲らないその姿は、まさしく蹂躙走破。そして、その走りでもって、幾多の“姫様ランナー”とのつがいの座を巡る競争で生涯無敗の連勝続きで、できあがった王の軍勢を率いているのだから、相当な脅威だ。機動要塞『デストロイヤー』ほどではないにしても、真っ向から衝突すれば数十人単位の軍隊でも壊滅させかねない突破力。

 

 そんな『キャプテンドラゴ』だが、その習性は通常個体のリザードランナーと変わらない。

 速く走るモノがいれば、それに喧嘩をふっかけ、どちらが早いか競争する。

 

「……最近、運動不足だったゲレゲレを走らせるにこの旅はちょうどいい機会だと思ったが、まさかの復帰戦で、“大王ランナー”に目をつけられるとはな……」

 

 どうやら自分の突然変異した『不幸』ステータスは、春夏秋冬休むことなく働くものらしい。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「なん、だと……!?」

 

「これはとても素晴らしいものですよ! 売れます! 絶対に売れるんです! だからバニルさん、殺人光線を撃つ構えでジリジリとにじり寄って来ないで下さい!」

 

 開店前のバイト先によると早朝ながら騒がしい。

 悲鳴と閃光が乱舞する室内の様子に、終わるまで扉に手を掛けたまま固まっていたとんぬら。ゆんゆんの旅支度が整うのに時間がかかるため、その前に休暇の話をつけに行こうと寄ったのだが、お取込み中だった。

 そして、騒ぎが収まった後、店に入るとプスプスと焦げて倒れ伏すこの店の店長の姿と両腕をL字型にする光線ポーズを取ったまま未だ目を赤くしてるマネージャー……

 

「くっ、目を離したのは少しの間だというのにとんでもないガラクタを仕入れおって! おかげで我輩が計上した黒字がパァだぞ! ……というわけで、汝らの労働に報いる給金は払えそうにないので、しばらく休暇にしてくれても一向に構わん! 悪魔であるからに契約事はなあなあで済ませるわけにはいかんからな。娘と婚前旅行なりハネムーンなり行くと良い竜の小僧」

 

「話がスムーズで助かりますが、旅行です。普通に旅行ですから、バニルマネージャー」

 

「安心しておけ。娘はさんざん悩んでおるが、小僧との勝負用のものを持っていくであろう。その出番があるかは言わないでおくがな」

 

「だったら、最初から何も教えるなよっ! 変に意識するだろうが!」

 

「今日も上質な悪感情感謝である!」

 

 一応、心配してウィズ店長の様子を窺うが、焦げてはいるものの消滅まではしていないようだ。無事を確認するととんぬらは持ってきた物を机に置く。

 

「行き帰りも入れて一週間、長くとも十日ほどで帰ると思います。なので、その前に出来上がった試作品の『くーらー』を納品しておきます」

 

「うむ。様々な品質試験にかけなければならないが上手く出来上がっているではないか。仕事が早くてきっちり要求をこなす優秀なバイトであるな。正社員として採用したいが……どうだ? そこの丸焦げ店長に下剋上してみる気はないか? 汝の方が、この魔道具店を世界一の大商会にできそうな見込みがある」

 

「嫌ですよ。私を戦力外通告しないでください! ちゃんと、あの時交わした契約通り、莫大なお金を稼いで、私の魔法でバニルさんに世界一のダンジョン建設をお手伝いしますから!」

 

「ちっ、仕置き光線の威力が甘かったか。もう復活してくるとは!」

 

「とりあえず、その悪魔とリッチーのレベルの高いやり取りにはついていけそうにないのでバイトのままでお願いします」

 

 地獄の公爵、不死王、竜……今この場に揃ってる魔道具店の店員の面子を考えると、『あれ……? 『アクセル』って、駆け出し冒険者の街だよな? でも、ここ最終ダンジョン並みの伏魔殿と化してきているような……』とこれ以上考えるのはやめておいた。

 資金力はとにかく、戦力ならば世界一の商店である。

 

「それで、とんぬら君、ゆんゆんさんと旅行に行くそうですが、ちょうど良かったです! はい、これ! 仕入れたばかりのこの魔道具がまさにうってつけ! バニルさんに思い切りダメだしされましたが、良い物なんです!」

 

「これまでの実績を思い返すと、ウィズ店長が力説するほどクセが強そうなんですが、それでどんな魔道具なんですか?」

 

 とんぬらを引き入れて2対1の状況に持っていきたいのか、復活してすぐ、まだ煙を噴いているウィズが新商品のアピールを始める。とんぬらも半ばこれはもう接待気分で、慣れたというか諦めたというような感じで聴く姿勢を取る。

 ウィズ店長が出したのはこけしのようなもの。これは、

 

「この魔道具はなんと、冒険者を悩ませる、旅先での野外におけるトイレ事情が解決してくれる魔法で圧縮された簡易トイレです! 組み立ても簡単。用を足す際にプライバシーを守るために音まで出る水洗仕様! どうです? 素晴らしいモノでしょうとんぬら君!」

 

「へぇ、貴族や王族が、旅先でも野宿しないよう結界付きの携帯屋敷を持ってる話は聞いたことはありますが、それって確か最高級の魔道具ですよ。空間圧縮なんて高度な魔法ですし、トイレ限定とはいえ、水道もなしに水が出るなんてすごいじゃないですか」

 

「でしょう! やっぱりとんぬら君はわかってくれますね!」

 

「ええ、ウィズ店長のことはよくわかっていますとも。それで、これにはどんなデメリットがあるんですかバニルマネージャー?」

 

 笑顔でうなずいてから、真顔でバニルへと話を振る。

 

「うむ、竜の小僧はポンコツ店主のことをちゃんとわかっているな。教えてやろう。これの欠点はまず、消音用の音がデカ過ぎてモンスターを呼び寄せてしまうのだ」

 

「あー……でも、それくらいなら魔物除けの結界をかけておけば……」

 

「そして、水を生成する機構が強力過ぎて、辺りが水で大惨事になるな」

 

「はいはい、やっぱり無駄なところに力を入れ過ぎていましたか。これ、返品した方が良いです」

 

「そんな!? 持ち上げてから落とすなんてヒドいですよとんぬら君!」

 

「持ち上げてから落とせる商品を売りに出そうとしているウィズ店長の商才の方が酷いです」

 

「フハハハ! 残念だったな、負け犬店主よ! これで一対二、我輩の意見を通させてもらうぞ!」

 

「待ってください! とんぬら君、ここに試供品がありますから、モニターしてみてください! そうすれば、きっとこの魔道具の素晴らしさに気付くはずですから!」

 

「ウィズ店長は、バイトに地雷処理をしろと仰るんですか」

 

 言いながら、少しとんぬらは考える。

 まあ、折り畳み傘程度で嵩張らないし、軽い。どうしようもない欠点はあるが……

 

「そうですね、トイレとしてではなく、モンスターを誘き寄せる道具として使えば……いや、それなら普通にそれ用の魔道具を買った方が安価だし」

 

「ちゃんとトイレとして使ってくださいよう」

 

 しょげかえる女店長(二十歳)。これ以上イジメるのは何だか可哀そうになってきたので、とんぬらは簡易トイレの魔道具を受け取ることにした。

 

「わかりました。でも、やるからにはきちんと評価しますから。ダメだったら普通にダメ出ししますのでお覚悟を」

 

「ええ、もちろん。旅行もちゃんと楽しんできてくださいね」

 

「こちらとすればすでに見切りをつけた使えない物など、とっとと箱詰めをしておきたかったのだが。こうやって竜の小僧が甘やかすから、こいつは金欠店主になるのではないか?」

 

「それは、言わないでください。薄々自覚はあるんですから」

 

 どうにも“リッチー”というのにとんぬらの査定は甘くなってしまう。

 

「まあ、店は気にせずゆっくりと旅をしてくると良い。すでに原本は出来上がっていても、商品を量産するためにまとまった金を用意しなければならんしな。それはこちらの仕事である」

 

 挨拶が終わり、店を出るとんぬらを見送る、すべてを見通す悪魔はそこでニヤリと口角を吊り上げ、

 

「気を付けて、な」

 

 その意味深な一言で、旅路に暗雲が立ち込めたのを幻視したとんぬらであった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 そして、旅に出て、その予感が正しかったものと知った。

 

「とんぬら!? あれ、凄くバチバチと聴こえるんだけど! 普通のリザードランナーじゃないの!?」

 

「いいや、あれは『雷竜隊長』という二つ名持ちの賞金首モンスター『キャプテンドラゴ』。リザードランナーの変異種だ」

 

 移動手段は、以前と同じ乗り合い馬車ではなく、成体へと成長したゲレゲレ。

 豹モンスターの体躯に合わせた特注の鞍に跨り、旅支度したものを脇の荷物入れに。

 それぞれ風除けのゴーグルをつけ、とんぬらが前で、ゆんゆんが後ろの二人乗りで出発したその旅路は、最初は順調であった。馬車以上に揺れる躍動感に、馬車では味わえない風を切る疾走感。もう何度かこの飼い魔物の背に乗って移動して慣れているので、怖がることもなく、むしろ爽快ですらある。移動速度もまた馬車で行くよりも断然早い。途中で数度、馬車を後ろから追い抜いていったりしたときには歓声を上げたりしたものだ。このままいけば、馬車で二日はかかる道のりも今日中に辿り着けるだろう。

 だが、速過ぎるのがいけなかった。

 

 道中で、リザードランナーの群れと遭遇。

 速ければドラゴンにだって喧嘩を吹っ掛けるこの暴走族モンスターの琴線を、我らがゲレゲレは刺激してしまった。

 

「それもそろそろゲレゲレを休ませようとしたときに……」

 

 初心者殺しの変異種であるゲレゲレの身体スペックは通常個体よりも高いだろう。向こうが迅雷ならば、こちらは疾風の如く駆けている。けれど二人分の体重にその荷物分という負荷があるから、このままいけば競争に負けるだろう。そして、リザードランナーの大群に呑まれる。

 

「ゆんゆん、あいつらを魔法で撃退できないか?」

 

「無理よ! 後ろに身体を捻りながらじゃないとならないし、ゲレゲレに乗りながらじゃ不安定で魔法を詠唱できる余裕もないわ」

 

 かといって、止まるわけにもいかない。

 

「よし、ゆんゆん、少し腕を腰から離してくれ」

 

「え」

 

 前のとんぬらの腰にしがみついていたゆんゆんが腕の力を緩めると、鞍の上でくるりと回って器用に身体を反転させる。

 

「ゲレゲレ、そのまままっすぐ走ってくれ――そして、暴れるなよゆんゆん」

 

「は、はいぃ!?」

 

 そう言って、背を向けたゲレゲレに指示を出すと、対面になったゆんゆんの両脇に手を差しこみ、ひょいっと持ち上げる。そのまま疾走するゲレゲレの上で、ゆんゆんは体の向きをターンさせられ、とんぬらの脚の間に腰を挟むように抱っこ。そして、さっきまでとは逆にとんぬらがしっかりとゆんゆんの腰に腕を回す。

 

「これで後方が見やすいし、俺がしっかりと支えるから、魔法を撃てる余裕ができるはずだ」

 

「別の余裕がなくなるわよっ!」

 

 危険な状況に追い込まれて高鳴るドキドキを勘違いする吊り橋効果の話を聞いたことがあるが、これは絶対に勘違いじゃない。状況が危険なのに違いはないが、この過度な接触行為の方にゆんゆんの瞳の危険信号は点滅している。

 

「じゃあ、深呼吸しろ。ほら、これまでやって来た精神統一の修行を思い出すんだ」

 

「ひっひっふー……! ひっひっふー……!」

 

「おい、それ深呼吸じゃないぞ。いったい何を思い出してるんだゆんゆん!?」

 

「だから、余裕がないの!? もっと心の準備とかしておきたかったのに、いきなりとんぬらがこんなことするから! せめて、30分くらい前に予告してほしかったわよ!」

 

「それまでゲレゲレを走らせる気か。だいたい、さっきまで俺の腰に腕を回してたんだし、もう昨日みたいなお触り禁止はないはずだろ?」

 

「私から触るのはいいけど、とんぬらが触るのはダメ!」

 

「そんな一方に好都合な条例は却下だ却下。いいから、今は目の前に集中しろゆんゆん」

 

「だったら、耳元で囁かないで!? ふにゃあ、ってなってうまく魔法制御ができなくなるから!?」

 

「注文の多いパートナーだな。こっちも匂いとかなるべく嗅がないように我慢してるんだから、ゆんゆんも我慢してくれ」

 

「く、臭くない……?」

 

「こんな状況でそんなことを気にするゆんゆんは大物だよ。普通にいい匂いだから気にするな」

 

「そう、それなら良か――って、それ嗅いでるじゃないのよ!」

 

「なるべくと言っただろ。こっちはしばらくお触りお預けにされていたんだからちょっとくらい仕方ないんだよ。だいたい、ゆんゆんだって俺の背中でスンスン嗅いでいただろうが」

 

「し、してない! そんなことしてないから! ちょっとすりすりしてマーキングしようとか考えてないからっ!」

 

「わかったわかった。もうそういうことにしておくから、目の前に集中しろよいい加減に」

 

「だから、耳元で囁かないでってば! もうこっちはもうふにゃ~ってなって魔法どころじゃなくなってきてるのよ!」

 

「こっちだって、腰の上でもぞもぞとやられて本能回帰しそうなのを頑張って自制してるんだよ!」

 

 がうっ! とそこでゲレゲレが文句を言うように鳴いてきたので、二人はこれ以上の言い争いは止めた。

 

「いいか。まず俺があいつらに冷気を浴びせる。リザードランナーはファイアドレイクと同じ爬虫類系のモンスターだ。それで動きは鈍るはずだ。そしたらゆんゆん、お前の番だ」

 

「一気に上級魔法で殲滅すればいいのね?」

 

「いいや、先に大きなメスの個体、“姫様ランナー”を一体一体確実に仕留めていくんだ。最初に“大王ランナー”を倒すとメスを巡るリザードランナーたちの群雄割拠が始まって、大混乱になる。そうなると収拾がつかなくなるし、他に被害が出るかもしれないからな。だから、“姫様ランナー”を倒した後で、“大王ランナー”を仕留める。この手順は間違えるな」

 

「わかったわ。でも……こんな動きながらじゃ、まともに狙いをつけるのは難しいわ」

 

「大丈夫、ゆんゆんならできる! 万が一の不幸が心配なら俺が請け負ってやる! それでも自信が足りないなら、俺の自信を受け取っていけ! ――『ヴァーサタイル・エンターテイナー』!」

 

 全身が重なり合うような密着状態で、とんぬらは支援魔法をかける。

 その瞬間、二人の中で何かが繋がったような気がした。見えない糸が互いの神経を結び付け、触れ合った肌から温もりと共に何かが流れ込んでくる。

 ただ感覚が器用になっていくだけでなく、蒙が啓かれたように視界がクリアになっていき、できる、と確信した。

 

「『風花雪月』!」

「――『ライトニング』!」

 

 右腕をしっかりとゆんゆんの腰を抱えながら、左手で鉄扇を振り切るとんぬら。生じた雪精が舞う冬の冷風は、リザードランナーの脚を確かに硬直させ、すかさずゆんゆんが得意の雷撃魔法で“姫様ランナー”をピンポイントで撃ち抜いていく。一振りでニ連射するほどに熟達した雷撃魔法は一発も外すことなく、そして、メス個体を全滅させたところで“大王ランナー”が甲高い絶叫を上げて、稲妻を放った。

 それを払うよう銀色のワンドを握る右手とは逆の、『雷の指輪』を付けた左手を振るって、『キャプテンドラゴ』の反撃を、避雷針のように吸い寄せて、霧散させてしまう。

 

「お返しよ! 『ライトニング・ストライク』ッ!」

 

 投槍の如き上級の雷撃魔法が、リザードランナーの変異種を貫き、一撃で仕留めた。

 

「お見事だ、ゆんゆん」

 

 言葉少なでも十分すぎるくらいの称賛に、ゆんゆんははにかむように笑みを零した。

 

 そうして、“姫様ランナー”、“大王ランナー”が討伐されたリザードランナーの群れは自然解散していく。基本、大人しいモンスターだ。率いていた先頭さえ退治できれば、無害化できる。

 

「ゲレゲレ、まだ追ってきているリザードランナーがいるから、それを全速力で振り切ってくれ。お前の脚ならできる。……っと、ゆんゆん、姿勢を戻すから大人しくして」

 

「待って!」

 

 また脇に入れて身体を持ち上げようとするその手に、ゆんゆんの手が上から添えるように押さえつける。それは弱い抵抗であったが、とんぬらは腕を腰元まで戻す。

 

「もうちょっとだけ……このままじゃ、ダメ?」

 

「……ふにゃ~、ってなるんじゃないのか」

 

「もう終わったんだから、いいじゃない、ふにゃあ、ってなったって」

 

「わかったわかった。存分に蕩けてろ。しっかりと支えておいてやるから」

 

「うん……!」

 

 一難去ってまた一難だ、ととんぬら。今ここにめぐみんとバニルがいないことを感謝しながら、次は自分が精神統一する番だと気合を入れた。

 

 ………

 ………

 ………

 

 そして、しばらくゆんゆんは胸に頭を預けて目を瞑り、とんぬらは唇を噛んで痛みで必死に気を紛らわそうと頑張り……――ぶるっと前触れなく、急に腕の中の彼女の体が震えた。

 

「どうしたゆんゆん?」

 

「はぁっ……と、とんぬら……え、えと、急に、来ちゃったていうか……だめだめ……ごめんなさいっ……私……何言ってるのかわからないと思うけど……」

 

 恥ずかし気に赤くなる顔、潤んだ瞳がこちらの横顔を覗いてくる。

 

「お、おい、だからあまり腰の上でもぞもぞとするな。こっちだっていっぱいいっぱいなんだと言ってるだろ」

 

「ご、ごめんなさい……でも、我慢、できないのぉ、とんぬらぁ……」

 

 息荒げに訴えてくるゆんゆんに、ごくりと唾を呑み込む。

 何だこの猫撫で声は? まさか、発情期が――と一瞬不埒な考えが過った思春期真っ盛りな少年は、その後、一気に頭が冷えることになる。

 

「落ち着け。一体何があったのか、自分がわかる範囲でいいから教えてくれ」

 

「……ば、ばかにしないでっ……聞いてくれる?」

 

「もちろんだ」

 

「ほ、本当にっ!? ぜったいぜったい……軽蔑しないで聴いてくれる……っ?」

 

「ああ。むしろ話してくれない方が俺はショックを受けるな」

 

「っ……その、ね。あの、ね……」

 

 もじもじと体を揺すりながら、熱い吐息と共に、

 

「お、」

 

「お?」

 

「…………お花摘みが、したい」

 

「お花摘みね。そうか、なるほど、でもまだこの辺りは荒野で絶好のシチュエーションはないなー、もう少し行けばお花畑が咲いてるところがあるんだが…………すまん、もう一回言ってくれ。注文を付けるなら、わかりやすく」

 

「だ、だから、……わ、わたしはっ……あのねっ……あぅぅ……お、……おトイレに行きたいの!」

 

「はあ!?」

 

「だって、戦闘での緊張が、一気に、ふにゃ~、ってなっちゃったから、気が抜けて、それで! 催しちゃったの!」

 

「ああもういい! ゲレゲレをすぐ止まらせるから、そこを降りて」

 

「む、無理! なんか、もう……ちょっと腰を持ち上げたら、出そう……!」

 

 それは彼女の心中をとても良く察せられるくらいに切実な言葉であった。

 

「なんでそんな決壊寸前までいわなかったんだ!?」

 

「だから! ふにゃふにゃ~、ってなったから、頭の方も緩んじゃってって……気づくのに遅れちゃったというか……」

 

「蕩け過ぎたこのおバカ!」

 

「揺らさないで! ちょ、ちょっとの衝撃でも、も、漏れちゃうから……!」

 

「ゲレゲレ、緊急事態だ。緩やかにスピードを落としてくれ。まだ付いてきているリザードランナーがいるようだが、それは俺が」

 

「ダメ、とんぬらは動いちゃダメ! とんぬらが行ったら、私、逝っちゃうから……」

 

「じゃあ、どうすりゃいいんだ!?」

 

「とにかく私を刺激しないでぇっ!」

 

 爆発寸前の爆弾岩を乗せているかのような状況にとんぬらは天を仰いだ。

 ゆんゆんは、ギリギリのギリッギリ。すぐにでも止まる必要がある。でも、辺りは遮蔽物などない荒野で、距離は余裕があるものの後ろには2、3体のリザードランナーがゲレゲレを追ってきていて、あれらを退治しない事には止まれない。とんぬらが動いてちょっとでも激しく揺らしてしまえば、ゆんゆんは逝ってしまう。

 何だこの詰んでる状況は……? ひょっとしてこれ人生で五指に入るほどの大ピンチじゃないのか。さっきのリザードランナーの群れに追われるよりも危機的状況だぞ本気で。

 これほどの逆境に、とんぬらは打開策を見つけんと脳が唸りを上げるほど高速回転させ……

 

「……なあ、ゆんゆん。ブラッディモモンガは、獲物に尿でマーキングをするそうだが」

 

「しないわよっ! 絶対にしないからっ!」

 

「大丈夫だ。俺はゆんゆんがリザードランナーに聖水を吹っ掛けたとしても、それは墓場まで持っていくし、軽蔑もしない。責任だって取ろうじゃないかっ!」

 

「無理っ! 私が無理だからっ! そんなことしたら、私、めぐみんに爆裂魔法でぶっ飛ばされてやるからああああっ!」

 

 と、打って変わってそこでトーンダウンさせた……覚悟の決まった声で、

 

「だから……とんぬら、いいよ」

 

「え……?」

 

 いいや、それは願いを諦めた声だ。

 

「このまま……私を、地面に放り投げて、いいわよ」

 

「バカなことを言うな! そんな危険なことをするはずがないだろ! やけっぱちになるな! まだ打つ手はあるはずだ!」

 

「で、でもっ……それじゃあとんぬらが……それにゲレゲレも……私の……」

 

「っ……」

 

「もう……我慢の限界……なんだよ……とんぬらには、汚れてほしくない……」

 

 ぶるるっ、と身体が小刻みに震えている。

 

「ゆんゆん……」

 

「とんぬら……んっ……早くして、お願いだから……私の我慢もそろそろっ……ひゃあ!?」

 

 びくぅ! と腰が跳ねる。

 しかし、それに動じることなく、とんぬらは目を瞑っている。

 

「………」

 

「早くしてとんぬら……っ! とんぬらは何も悪くないからっ! 私が全部悪いから……っ! ……私を放り捨ててよぉ……」

 

「……わかったわかった」

 

「っ! そ、そっか……うん……ありがととんぬら……ぐすっ……お願いだから、そのまま振り返らないで進んで」

 

「まったくめんどうくさい娘だとはわかってたんだが、こうなったらもう……俺は、絶対に見捨てないし、意地でも手放さない」

 

「……えっ……?」

 

「もう一度言うぞゆんゆん」

 

 ぐいっ、とよりゆんゆんの体を抱き寄せる。

 

「――俺は何があっても、惚れた女を放り捨てなどしない」

 

「なにを……言ってるの……? だめっ……駄目なんだってばぁ! このままじゃっ……もうっ、でちゃ……うぅ……」

 

 カッと見開いたとんぬらの目は、青く光っていた。

 紅魔族でありながら、赤ではなく青に輝くこともあるその瞳。それは、彼のスイッチが入ったという証――

 

「俺から離れたらお仕置きすんぞ」

 

 そう言って、とんぬらは鞍の脇に備え付けた荷物入れから、今朝貰ったばかりの試作品を取り出し、速攻で組み立てる。

 

「ゲレゲレ、ぐるっと旋回! そして、俺達が降りたら、リザードランナーの相手を頼む!」

 

 飼い魔物に指示を出して、組み上がった魔道具を地面に落とす。

 と、一瞬光を放つと同時、開けた場所に部屋付きの簡易トイレが建っていた。

 

「だめ、だめだめだめ……もう、だめ――!」

「だめじゃない! 行くぞ!」

 

 そして、一周回って、その脇を通りかかった時、表面張力でこらえてるゆんゆんを前に抱えたとんぬらが飛び降りて、そのまま飛び蹴りでドアを蹴破ると彼女を中に入れ――だが、

 

「――もうダメェェェええええっ!!!」

「許せゆんゆんっ!」

 

 優しく降ろしてやれる余裕もなく、この刹那に決断を下したとんぬらは、ゆんゆんの腰に右腕を回して身体を持ち上げたまま便座の高さに合わせ、限界な彼女の代わりにスカートの中に左手を滑り込ませ、パンツを一気にずるっと引ん剥いた――――

 

 

 ♢♢♢

 

 

 

 

 

 ♢♢♢

 

 

 目は、瞑った。

 ギュッと固く視界は閉ざしたから、何が起こったのかは見ていない。

 ……ただ、チョロロロ……とした水音から、無事かどうかはさておき、用を足すことができたのはわかった。

 

「………」

 

 かけてやる言葉も思いつかず、瞑目したまま石のようにその姿勢を維持するとんぬら。ここで被害状況を訊ねられるほど彼は勇者ではなかった。やがて、水音も切れるのだが、しばらく無言が続く。降ろしてやればいいのかの判断も下せない彼に、トントン、と首筋を少女の手が合図するように叩く。

 それを降ろしてくれのサインと受け取ったとんぬらは、そっと壊れ物を扱うように降ろす。それから微かな物音と布が擦れる気配がして、

 

「とんぬら?」

 

「なんだ、ゆんゆん」

 

「見た?」

 

「いいや、何も見てない。俺はずっと目を瞑っていた。これがウソだと思うんなら、この目を抉ってもいい」

 

「ううん。ちゃんとわかってるから……でも、聴こえちゃったよね」

 

「いや、それは!? 耳は瞼のように塞げるようなものではなくてだな……!?」

 

「うん、仕方ないわよ。だって、とんぬらの両手は私を支えるために使ってたんだもの……。あはは、こんなこと、人に手伝ってもらうのっていつ以来だろうなぁ……でも、両親以外じゃとんぬらが初めてね」

 

「そ、そうか……」

 

 この平然としている感が、逆に肌寒いものを覚える。羞恥のメーターが振り切れてしまっているのだろうか。

 それでこちらは目を瞑っていて視覚を閉ざしているせいで、彼女がいったい今どんな顔をしているのか、わからない。わからないから、勝手に恐怖に煽られたイメージ像が膨れ上がってくるので、早く目を開けて自分の目で確かめたいのがとんぬらの今の心境。

 

「なあ、そろそろ、目を開けても大丈夫か」

 

「いいわよ。あ、でもちょっと待って、水を流すから」

 

 その時、とんぬらは思い出した。

 これが、マイナスなセンスを持った女店長が見つけてきた掘り出し物であり、悪魔なマネージャーからどうしようもない欠点を教えられたことを。

 

「待てゆんゆん!」

 

 水を流すな! と止めようとしたが遅い。だが、とんぬらはこれ以上、ゆんゆんにトラウマを作らせるのは阻止せんと諦めず手を伸ばす。たとえ目を瞑っていてもすぐ傍にいる彼女の位置くらい気配でわかる。

 

 バッシャアア!! と便器から勢い良く噴き出した激流。力の入れ所を間違った問題作。でもそれが彼女にかかる前に、とんぬらはゆんゆんの腕を引いて抱き寄せ、便器から背を向ける。降りかかる水飛沫から、咄嗟に自らの体を壁として少女を守った。

 

「あー……これは、ウィズ店長の仕入れた新商品でな。この通り、力を入れ過ぎている水生成装置のせいで大惨事になっちまうんだ。モニターをしてくれと頼まれたが……」

 

「…………ひぐっ」

 

 あ、泣いた。

 これ以上泣き面に蜂な目に遭わぬよう庇い、どうにかフォローを入れようとしたのだが、羞恥やら自責やら感謝やらその他諸々が入り混じってもうどんな表情をしたらいいのかわからないゆんゆんの緊張状態であった最後の一線が破れた。責任感の強い彼女からすれば、こうしてとんぬらが、自身が用を足した後の便器の水で濡れてしまう方が、ダメージが大きいのだろう。

 

「わ、私っ……違うのっ……そんなつもりじゃ、なくっ……ああぁっ……ごめんなさいっ……ひっぐ……うわぁあああんっ……!」

 

 とりあえず、この携帯トイレは返品確定(ボッシュート)だ。じゃないと、店にあるのを目撃しただけでゆんゆんの新たなトラウマが再燃することになる。それはそれで悪魔でマネージャーには美味しい展開なのだろうが、彼女の名誉のためにそれは阻止せねばならない。

 さて。

 それで現状をどうすべきだが、これからの自分の言葉次第で、ゆんゆんは本気でめぐみんの爆裂魔法を喰らいにいきかねない。

 

 『お前が無事ならそれでいい。気にするな』と言おうにも、ゆんゆんは気にするし、絶対に忘れない。

 『むしろご褒美だ』などとアクシズ教の変態師匠みたいなことを言っても、ゆんゆんは納得しない。してもらってもこちらが変態だと認定される。こんな自爆芸な滑りは勘弁願いたい。

 そう、ここは紳士でも変態紳士でも、優しくしたらそれが逆効果になってしまう。ならば、

 

「…………責任を、取ってくれ」

 

「え」

 

 濡れた髪を掻きあげるとんぬら。今回の件がショック療法となっていたのか、いつの間にか見つめるのが平気になっていたゆんゆんの顔を見つめながら、

 

「こんなにマーキングされちまったら、もう他に相手ができそうにない。だが、猫耳神社の一人息子として、跡継ぎは作らないといけない……きちんとその責任を取ってくれゆんゆん」

 

 普通は配役が逆だと。ついさっきまでは強引に服を脱がしたとんぬらの方に非があり、責任を取れと言われたら頷いてもおかしくない、でもそれでオチがつくはずだったのだが、水に流され状況は逆転した。だから、汚された(マーキングされた)とんぬらが、それを逆手にとって代わりにやる。

 とんでもないことを言ってるんだろうな……と自覚のあるとんぬらだが、これほど強いインパクトがなければゆんゆんは泣き止んだりしない。彼女が泣きっぱなしなのは、大いに困るところだ。

 それに自殺防止するには、約束が責任感の強いめんどうくさい娘に最も効果的だ。

 

「え……え……?」

 

 まさかそんな台詞を言われるなどと思っておらず、戸惑うゆんゆん。何を言われてるのか理解できていない模様。こちらも頭が沸騰しそうなくらい熱を上げているが、このまま流れを押し切る殺し文句を吐くんだとんぬら!

 

 

「だから……俺の、子供を産んでくれ、ゆんゆん……!」

 

「は…………はい! こんな私でよければ!」

 

 

 押し――――――切った!

 バニル戦での告白と同じく、またその場の勢いでとんでもないことを言った気がするが、少女の涙の意味を変えることができた。

 ……うん、もっとちゃんとした告白が理想であったのだが、それはまたいずれきちんと場を整えてからやるとして……

 後々に笑い話と黒歴史のどちらに転ぶかはわからないが、何にしても今の彼女を守れたのは確かなのだ。

 

(このネタは、封印しよう。携帯トイレも帰ってくる前に返品されていることを願う!)

 

 そうして、粗相をしたら子作り宣言という未来視があっても予測不能、そんなパルプンテな旅路を経て、とんぬら達は水と温泉の都『アルカンレティア』に到着した。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「いきなりどうしたんですか!? 奇行ばかりするバニルさんですけど、水晶玉を覗いたらお腹を抱えて転げ回るだなんて、いくらなんでもおかし過ぎますよ」

 

「まったく売り物にならん問題商品ばかり仕入れる変態店長にそんな台詞は言われたくなどない! いやしかし、竜の坊主にかけた呪いを辿って少し遠見で覗いてみれば、このような事態になっていたとは! この見通す悪魔の目でもってしても見抜けなかったわ! ああ、あの場に我輩がいないのが惜しまれるぞ! 一体あそこでどれほど特上な悪感情が生まれたことか……!」

 

「え、とんぬら君とゆんゆんさんのことですか? どうしたんです? 一体何か大変なことが……」

 

「まあ、落ち着くがいい、引き金店長よ。我輩でも目を背けたくなる事態であったが、今はもう丸く収まった」

 

「本当に大丈夫なんですよね? バニルさんが目を背けたくなるってすごく不安になるんですけど」

 

「大変なことがあったがこれも雨降って地が固まるというものだ。いや降ったのは雨ではなかったが」

 

「何を言っているのはよくわかりませんが、そうですね。旅には苦難がつきものですが、それもまた絆を深める良い経験になりますよね」

 

「さて、さっき箱詰めしてしまったが地雷店長が仕入れた新商品を棚に並べてやろうではないか」

 

「ええ!? とんぬら君たちが帰ってくる前に勝手に返品しようとしていたのに、一体どんな心変わりがあったんですか?」

 

「うむ、気が変わった。帰ってきたときに真っ先に視界に入るように並べてやろう」

 

「そうですか、バニルさんもやっと私のお勧めする商品の良さがわかってくれたんですね!」

 

「それはない」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 初級水魔法『清めの水』を浴び、濡れた服を着替える。その間にゲレゲレを休ませて、ゆんゆんの用意した昼食を頂く。きれいさっぱり気分一新できて、二人乗りの旅を再開。前よりも背中の密着具合が増したような気がしなくもないが、とんぬらはこの旅の目的を忘れていない。

 

「……なんだか、前よりも暗い雰囲気がするわね」

 

 水と温泉の都と呼ばれた『アルカンレティア』。

 もう夕暮れだが、以前との活気の落差が酷い。魔王軍が活発なこのご時世で、年中バカ騒ぎしているような街だったのに、道行く人はまばらで、誰も彼も辛気臭い。何よりも観光客らを出迎えるアクシズ教の勧誘がないのだ。

 

「……なあ、アクシズ教の最高司祭が魔王軍にやられたってのは本当なのか?」

「……ああ、アクシズ教の奴らが『最高責任者が倒れた』って騒いでたぜ」

 

 そして、聴こえてくる不穏な噂。

 

「とにかく、教会へ急ごう」

 

 逸る気を抑えて早足で向かったアクシズ教の総本部へ駆けこんだとんぬらが見たのは……………………

 

 

「ええ、ゼスタ様なら混浴の露天風呂ですっ転んで頭を打ったんです。それで目を覚ましたゼスタ様がこれは魔王軍の仕業だって騒ぎ始めて、けれど誰にも信じてもらえず。その鬱憤晴らしに今度はご禁制の品であるところてんスライムをやけ食いをしたんですが、それを喉に詰まらせてしまい、びっくりして後ろ倒れしたんです。これでまた頭を打ってしまい、意識不明に。特にこれといって処置するほどの怪我でもありませんし、私達ももう面倒ですからそのまま放置しております」

 

「……つまり、魔王軍がやられたっていうのは出まかせで、二度も倒れたのは自業自得だと」

 

「はい、その通りですぬら様」

 

 ベッドの上の師は、安らかな寝顔を浮かべている。説明してくれた教団経理担当の女性信者トリスタンにも頷かれ、とんぬらはもうどんな表情を浮かべていいかわからなくなった。

 秘書役な立ち位置にいて、一番忠誠を誓っている風だったお姉さんにも、放置されているこの最高司祭。

 こんな変態師匠を担ぎ上げたくないのは理解できるがにしても、前にも思ったけど、上位者の扱いがぞんざいだとか言いたいことは色々とあったが、それを飲み込んで溜息を吐き出す。

 それを見たゆんゆんが気まずそうに、

 

「え、と……無事でよかったね、とんぬら」

 

「ありがとう、ゆんゆん。でも、今の俺はここで引導を渡してやろうかとわりと真剣に悩んでいる」

 

 昨夜見た夢はいったい……いや、それがきっかけで遠路はるばる駆け付けたなど思いたくないんだが、頭痛がひどい。

 

「しかし、今この『アルカンレティア』が魔王軍の脅威に晒されているのは本当なんです」

 

 トリスタンは悲痛な顔を作り、それから胸に手を当てて、

 

「魔王をしばくためにもここは一致団結しなければならない時だというのに、ゼスタ様は倒れられている」

 

「いや、普通に回復魔法をかけて復活させればいいだろ。それにアクシズ教の我の強い面々をまとめるなんて無理難題にも程があるな」

 

「しかし! そんなときに我が教団の門外顧問がこの『アルカンレティア』へやってこられた!」

 

「話を聞けよ! というか、その役職、冗談じゃなくて本気なのか!?」

 

 自分の世界に入ってる女性信者の耳にとんぬらのツッコミは届いてない模様。やはり変態師匠の側近ポジションにいるだけにキャラが強い。

 

「きっとこれは我らが崇める水の女神、アクア様の思し召しに違いありません! この街でアクシズ信者だけでなく民衆の心をもひとつにして伝説を築き上げたぬら様を、今こそ最高責任者として立ち上がる時なのだと!」

 

「謹んでその神託は辞退する!」

 

「大丈夫です。そう不安がらないでください。元よりゼスタ様なんていてもいなくても教団運営にはかかわりない人でしたから。ですから、魔王軍をしばいた後の改革は私にお任せくだされば! ええ、ジャンジャン推し進めていきますとも! 一夫多妻の合法化! 結婚可能下限年齢の更なる低下! 愛さえあれば、実の兄妹だって……」

 

「やめろ! それ以上暴走するな!」

 

「そう、これは世代交代の時なのです。こんな危急の事態に倒れているゼスタ様の株は今や教団内では暴落してますから、何の遠慮はいりませんよ」

 

「世代交代も何も俺はそもそもアクシズ教ではないのだが!」

 

「またまたぁ、ぬら様ったら、ご冗談がお上手なんですから」

 

 ダメだ。何を言っても通用しないぞこの人……

 

「とにかく、これ以上、魔王軍、そして、エリス教にデカい顔をされないためにもこの『アルカンレティア』がアクシズ教の総本山であることをきつく教え込んでやらなければなりません。ええ、特にあの態度も腹もデカいエリス教のデブ神父は、ところてんスライムをご禁制の品にしたり他にもアクシズ教徒を目の敵にしたりと調子に乗ってますからね。こらしめてやりませんと!」

 

 ああ、もうこれ以上宗教闘争に巻き込まれる前に家に帰りたくなってきた。でも、対魔王軍として生み出された紅魔族としてこの事態は看過できるものではない。

 

「……わかった。変態師匠の尻拭いなんてやりたくないが、やってやる」

 

「おおっ! やっとご決心なされたのですね!」

 

「違う。俺はあんたらの最高責任者にはならない……あんたらの最高責任者の影武者をやるんだよ」

 

 そのとき、とんぬらは、やるべきことを三つ定めた。

 一つ目は、この『アルカンレティア』から魔王軍の脅威を除くこと。

 二つ目は、呑気に眠りこけている変態師匠の代わりにアクシズ教団の最高司祭として挽回すること。

 三つ目は、門外顧問なんて名誉職は返上して二度とこのようなお鉢が回ってこないようにすること。

 二つ目と三つ目が同じだが、アクシズ教団のトップに立つなど御免被りたいのだ。

 

「そのためならば、この偽りの最高司祭役くらいやってやる。――『モシャス』!」

 

 眠れる師の前に立ち、変化魔法を発動させる。

 

 

「これより我が名は、ゼスタ! アクシズ教団最高司祭にして、この水と温泉の都の守護者なり!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「忌々しいこの教団もこれで終わりだ。秘湯での破壊工作も終わった。うざったい教徒がうろちょろしてるがそれでも計画を破綻させるほどではない。問題だったあの最高司祭も、ウォルバクが呪いをかけてくれたからな」

 

「ハンス、こんなことはもうこれっきりにしてよね? 最初に言っている通り、私はこの地の湯治に来ているの。同じ幹部としての義理でやってあげたけど、本来なら私が働く必要はなかったのよ」

 

「おい、そういうなよ。正攻法じゃどうにもならないこの教団を潰せるんだぞ? それにお前はここの信者のせいで邪神認定されたんだろ?」

 

「ええ、まあそうだけど。プライベートにまでそんな恨みは持ち込んだりしないわよ……天罰も偶々混浴に入ってきたからついでにやっておいただけだし」

 

「ハッ、イイ子ちゃんぶるなよ。それで一体どんな呪いを奴にかけてやったんだ? ジワリジワリと衰弱死させるものか? それとも俺の毒のように周りにも伝染するものか?」

 

「あら、お忘れかしら? 私が何を司っているのか」

 

「あん? そりゃ、暴虐だろ?」

 

「それと怠惰よ。あと暴虐とは半身別れて離別中。だから、私が与える罰は、たまの休日に目覚めても、やる気が起こらず布団の中でゴロゴロし、せっかくの休みを無駄にしてしまう……そんなものね。まあ、強めにかけておいたから、しばらくは起きるのも面倒くさくなるんじゃないかしら?」

 

「ま、まあいいさ。怠惰であろうと何であろうと、あの最高司祭を封じてくれたことには変わりはない。それじゃあ、また定期報告にくるから、お前も引き続き、湯治を楽しんでてくれよ? 困ったことがあったらなんだって言ってくれ。何せ、今の俺はこの街では顔が広いからな」




誤字報告してくださった方、ありがとうございます!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。