この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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30話

 人生はパルプンテだ。

 

「――というわけで、クレアが主の代わりに悪漢と戦うスケサン役。レインが、主が勝ち名乗りをあげる際に出すインロウを持っているカクサン役。それから、バニルさんが、主を褒め称えたりするお調子者のムードメイカーのハチベイ役。そして、あなたは御一行とは離れたポジションで、ひとり裏でコソコソしているカザグルマのヤシチです」

 

「わかったわかった。でも、言い方」

 

「カザグルマ、というのはありませんから、このタケトンボで。あ、これはお兄様からもらったものですから、大事にしてくださいね」

 

「指摘したのは、役柄(ロール)の必要なワンポイントアクセサリじゃなくて、紹介の方だからな。せめて縁の下の力持ちなダークヒーローとかパーティを陰で支える裏方とか言ってくれ。兄ちゃんに吹き込まれたからってハリキリ過ぎだろ」

 

「私の前でお兄様を、お兄様と呼ばないでください!」

 

「知らん。だいたい俺の方が早く兄ちゃん呼びしてる。姫さんが後だ」

 

「姫さんは禁止です。ここでの私は、王都のチリメンドンヤの孫娘、イリスです。今はゴコウロウをしてますから、是非ご隠居と呼んでください」

 

「隠居する以前の箱入り娘だよなイリスは」

 

 会話を邪魔しないようこちらの話が聴こえないが、いざというときは割って入れる間合いを確保するのは、男物の白いスーツを身につけ、腰に剣を差す短髪の女性。その隣にはもうひとり、魔法使い風の、常識がありそうな地味めの女性がいる。

 この隠れてないシークレットサービスのうちの男装の麗人の方は、貴族の証である金色の髪と蒼い瞳をしている。

 そして、二人を従え、待機を命じているのは、どこにでもいる平民の格好をして、幅広の帽子をかぶった年下の少女。ただし、金髪碧眼。

 

 その天然ボケに律儀に遠慮なくツッコミを入れる仮面の少年は思う。

 おかしい。

 こめかみをぐりぐりと人差し指で頭のねじを絞め直すようにしながら、常識的なツッコミ役を確保してることに思い悩む。自分は学校では最初、女子クラスに電撃訪問するくらいに破天荒な風雲児キャラだったはずだ。

 だが、この駆け出しの街に来てからというもの出会うのはキャラの濃い面子ばかり。その中でも際立って曲者な、大柄な体躯をした大人の男性、付けてる仮面が本体な人外にこの面倒な遭遇についての意見を訊いてみる。

 

「どうしますか、バニルマネージャー」

 

「お困りのようだな竜の小僧。それはここ最近、婚約者から精のつく料理ばかり出されて、眠れない夜を強いられているせいか? それとも朝起きたらベッドに潜り込まれて抱き枕にされていたことか?」

 

 ダメだ。相談する相手を間違えた。

 

「それを詳しく教えてくださいっ!」

 

「やめろぉ! 冒険譚よりこっちの話の方がえらく食いつきいいよな! というかなんでマネージャーはウチの食卓事情を把握してるんだよ。いや、言わなくていいです。あと、何もしてませんから!」

 

「うむ。そのようだ。我輩が呆れるほど鋼の精神力をしてるな。こっちは、『昨夜はお楽しみでしたね』と電撃お宅訪問の看板を準備しているというのに」

 

「こうなってるのも先日にマネージャーが、ゆんゆんに『カースド・ダークネス』で呪いをかけて、お腹を膨らませてくれたからだろ! 『これが二十歳の姿。ただし汝の努力次第で早まる可能性はある』とか適当なことまで言ってくれて! あの想像妊娠体験のせいで、もう用意した人形に名前まで付けて練習してるんだよ! 『一姫二太郎がいいんだよね?』とか訊いてきたり、『一人っ子で寂しくないように、それに後継ぎが二人必要だし、紅魔族随一の子沢山を名乗れるくらい頑張るね!』とか言ってきたり、めぐみんが抑え役になってなかったら本当にノンストップで行き着くとこまで行ってしまいそうで……しかも、紹介されたゆいゆいさんに相談させた結果、『スリープ』がやたら強力になってきて、寝落ちさせられるし!

 この前の里帰りで婚約しても、まだ、俺達未成年なんだぞ。同じ寝室で夜を共にすることは許容したけど、……おかげで家に居づらくて外に出てたら出たで厄介なのに捕まるってもう……安住の地ってどこにあるんだろ」

 

「あの時の悪感情、非常に美味であった! 無論、今も思い出すだけでいい出汁が出てるぞ竜の小僧」

 

「職場環境に味方がいないことに失望しました。魔道具屋のバイトやめます」

 

「おっと、それは困る。不幸体質の小僧は、ちょっとつつけば我輩好みの味を量産してくれるからついからかってしまうが、あの貧乏店主と張り合える有能な人材を手放すのは惜しい。愛好する顧客の多い竜製菓の菓子おつまみ。アドバイザーの小僧のアイデアで始めようかと考えてる二十四時間営業の『コンビニ』において売れ行き商品になる予定で、今後も必要不可欠だ。

 どうだ? 今度、サキュバスたちに特別待遇でハーレムさせてやろう。色々と溜まっていて大変であろう?」

 

「やめてください。この街からサキュバスがいなくなりますよ」

 

 サキュバスはこの街の男性冒険者に守られているのだが、里帰りの途中、あわやオークを絶滅危惧種にしかけた相方を刺激することはない。というか、ここのところベッドは別々だとしても寝室は共にしないとならないので、淫夢サービスを受けるのは不可能だ。

 

「それなら、まずウィズ店長が胎教にいい妊婦用の魔道具の仕入れ先を探すのを止めてください。さっき店を覗いたら、なんかもう独自開発プロジェクトまで発展しちゃってて、里でひょいざぶろーさんにオーダーしようかとか呟いてましたし……

 本当、そうなったら、俺はもう里に帰れなくなりますから」

 

 きっとひょいざぶろー経由で伝わるだろう。そうなったら、当然、族長の耳に入るわけで、もう一年余りの猶予もなく責任を取らされるであろう。

 

「その時の悪感情を是非頂きたいと所望するところであるが、確かにそれはマズい。無駄遣いになるのは予知しなくてもわかる、折角のコンビニ化プロジェクトがご破算となる。何が何でも阻止せねば」

 

 商売方面では頼りになる悪魔である。

 

「もうお話は終わりましたか? では、一緒に世直しの旅に行きましょう」

 

 忘れてないが、厄介事は現在進行形で、終わってなどいない。

 

「ふうむ、急用ができたわけだし、それに実は我輩、冒険者ではないのだ。依頼ということであれば他の者に頼むがいいと思われるが」

 

「お礼を弾みます! 相場の方はよくわかりませんが、こちらに、家の宝物庫から持ってきたお金が」

 

「どうかハチベエと呼んでいただきたい」

 

 最後まで言わせることもなく、差し出された重い袋を受け取り、営業スマイルを作るマネージャー。金に買収されるとは頼りにならない悪魔である。

 と言いたいところであるが、ぽいっと渡した袋の金額を見ればそうなるのも納得するというか、本当に相場のわかってないどんぶり勘定であるこのお姫様。

 

「はい、ヤシチ、タケトンボです」

 

 で、こちらはもう是非など訊かずに、役柄上必要な宝物を渡される。きっと彼女の中ではこの子供のオモチャは、さっきの金貨袋よりも価値は高いのだ。つまりは、それだけ高い評価を受けていることである。

 そう、自分はこのお姫様の……

 

「昨日の敵は、今日の友。カンダタは私のライバルですが、ライバルというのは時に共に力を合わせるものだとお兄様から教わりました」

 

「わあ。チリメンドンヤの娘に好敵手と認められてうれしいなー」

 

「む、なんだかすごい棒読みですね。お兄様と一緒に盗賊したりと羨ましい限りなのに……でも、今日は絶対に負けませんから!」

 

「今日は一緒に戦うんじゃないのか?」

 

 本当に人生はパルプンテだ。

 

 まさか、一国のお姫様からライバル認定されることになるだろうなんて、まだ出会う前の自分は思いもしなかったに違いない。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「ね、ねぇ、変じゃないかな私?」

 

「ああ、変じゃない。土産に菓子折りや果物を持っていくのは定番だ」

 

 と籠に山盛りの果物をふたつ持つゆんゆんを、うんうんと頷いて肯定するとんぬら。

 

「これ持ってっても迷惑にならないかな?」

 

「向こうも引っ越しのパーティをするんだ。旨いものはたくさんあった方が喜ばれる。さっきダクネスさんに会ったが、実家から霜降り赤ガニの引っ越し祝いが送られてきたそうだぞ」

 

 と豚一頭の丸焼きを乗せた台車に不安げなゆんゆんを、うんうんと頷いて励ますとんぬら。

 

「住所はわかるか? 街の郊外にあるから少し歩くぞ」

 

「ええ、それはバッチリよ! もう、ここからお屋敷までの道のりは二往復してきたから!」

 

「そうか。うん、予習は大事だもんな」

 

 先日、カズマパーティが、元貴族の別荘に住まうことになった。

 最初は屋敷に寄りつく悪霊退治のクエストから始まったのだが、そこから紆余曲折を経て、依頼主である不動屋さんの許可を得て、パーティ4人が悠々に暮らせる環境へと引っ越した。

 晴れて、借金返済に続き、馬小屋生活から冬を越せる屋敷へ過ごせるようになったのであった。

 

「あそこは少々訳アリの幽霊屋敷だと噂立っていたんだがな。流石は、アクア様だ」

 

 竜退治のイベントで半月ほど『アクセル』から離れていた時のことだが、ウィズ店長が定期的にボランティアで行っていた共同墓地に彷徨う幽霊の成仏を、色々と話し合った結果、アクア様が請け負うことになったという。

 その話を聞いていたので、屋敷へ寄りつく悪霊も退治できるであろうと踏んでいた。

 

 ……屋敷に悪霊が寄り付いた原因は、定期的に成仏させに行くのが面倒だからその共同墓地を覆うほどの巨大な結界を張った結果、行き場を失った幽霊たちが屋敷へ彷徨いこんでしまったという見事なマッチポンプであったが、それを知ったときは何とも、らしい、と思ったものだ。

 

(俺が言うようなもんじゃないと思うけど、元凄腕の『アークウィザード』で、特にどこの宗派でもないなのに、『プリースト』のように幽霊達を成仏できるのは凄いよな。……亡霊と会話できるお師匠様と同じなのは知っているけど)

 

 魔道具屋の店長としては問題があるが、魔法使いの先達者として、彼女から教えてもらう知恵や知識は非常にためになる。

 

(……それで、もうひとりのセンパイからはとんでもない無茶ぶりを要求されているのだが。『こっちで準備しておいたけど、なるべく演出は派手でお願いね!』とかなんて無茶ぶり。苦労性かと思ったけどあの人意外にヤンチャじゃないか?)

 

 それでいて逆らい難いのだから、深い溜息を吐きたくもなるというもの。

 

「どうしたのとんぬら? なんだか疲れてそうだけど?」

 

「いや、何でもない。それより、ゆんゆんは、今日、めぐみんと、というか兄ちゃん達の家にお泊りするわけだが、大丈夫か?」

 

「だ、だだだ大丈夫よ! ちゃんと初めてのお泊りについて、ゴブリンでもわかるハウツー本を復習したからっ!」

 

「そうか……」

 

 先週まで、『ランサー』と、『盗賊』……は前回の件を反省したのか『アーチャー』に転職した女性冒険者らとクエストをこなしていたというのにこの有様。

 いつも通りの彼女に、激しく不安になって来るが、これはこちらに都合の良い展開だ。

 

「……そういえば、これは兄ちゃんに聞いた話なんだが」

 

 先ほど、偶然、ギルドでちょっと決闘したダストやその仲間のキースと一緒にいるところを出くわした。そこで幽霊屋敷の件に一枚噛んでるとんぬらに愚痴のような体験談を聞かせてくれたあと、これからどこへ行くんだ? とこちらから尋ねると『お前にはまだ早い! だいたい必要がねぇだろ!』とか『彼女と二人暮らししてるリア充の来るところじゃねぇ!』などと連れの二人から抗議が上がり、それに『とんぬらは、オークに迫られて心に深い傷を負ってるんだ!』とだからそれを慰めようという弁護がされると手のひら返した男性冒険者からとても同情的な視線が送られたわけだが、こちらは今日の夜に用事があるのでそのお誘いは断らせてもらった。

 

「先日の幽霊騒動の時、めぐみんは夜ひとりでトイレに行くのが怖くて、仕方がないから兄ちゃんがわざわざ付き添ってやったそうだ」

 

「え、めぐみんが……? な、何だか意外ね」

 

「それで対アンデッドのエキスパートのアクア様が除霊したとはいえ、また新たな幽霊が寄り付くかもしれない屋敷。顔に出さないようにしつつも、慣れないうちはきっと内心で不安がっているだろう。だから今日は、めぐみんと一緒に寝たらどうだ?」

 

「そんな!? 一緒のベッドで寝るだなんて、ちょっといきなりステップアップし過ぎじゃないかしら!」

 

「まだお化けショックが抜けきっていないであろう今だからこそ、誘いに乗り易い。でも、それも引っ越した環境に慣れるまでの間……この機会を逃せば、もう巡ってこないかもしれないぞ」

 

「わ、わかったわ……! チャンスを絶対に掴んで見せる……!」

 

 火が点いたように赤く光る瞳。

 やや気合を入れ過ぎて空回りしそうだが、めぐみんもゆんゆんの性格は熟知してるので、問題はないだろう。

 

「それで、とんぬらは、今日、本当に行かないの?」

 

「生憎と俺は俺で、ミツルギ()()()誘われているんだ。兄ちゃんらにはよろしくと言っておいてくれ」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「ふぅ……」

 

 黒いドレスを着た地味目な印象の女性。ファッション性を無視し、実用性だけを追求した、ゴテゴテとした指輪をいくつも嵌めてる手に握る手紙を見て、また宮廷魔導士のレインは嘆息する。

 

「……お嬢様、晩餐会の準備整いました。……それでその、お嬢様のお加減の方は……?」

 

 給仕服にきっちりと身を包んだ白髪の老女が、進捗を報告するとこちらを心配そうに窺う。

 

「ええ、大丈夫よばあや。心配かけましたね」

 

「いえ。お嬢様の心労はよくわかりますから。屋敷の方はこちらにすべてお任せください」

 

 今日は、仕える方が実家に来る日だ。

 先日の魔王軍との攻防戦で見事な働きをした魔剣使いの勇者ミツルギキョウヤとの会談をするために、レインがホステスを務めることとなった。

 有名な冒険者との会食いつもは王城に直接招くか、大貴族シンフォニア家を借りるかするのだが、生憎とふたつとも所用で使えないときた。そこで、我が実家に白羽の矢が立ったのだ。

 

 そのため、厳戒態勢を取るために、王城から派遣される騎士たちを迎え入れてたりと、ガーデンが自慢のそこそこ大きな邸宅、でも貴族の中では小さな屋敷はいつになく人が多い。警備する騎士との現場交渉も使用人に任せきりなのは申し訳ないのだが、初めてのホステスとして気が重いのだ。それに……

 

(……常に厳格な王族であることを強いられ、普段から聞き分けも良く誰の手も煩わせない。ですが、それは我慢してのこと。だから、せめて今日くらいは年相応に振る舞えれば……)

 

 外に自由に出ることのできない少女の無聊を慰めるために、こうして外の世界で活躍する冒険者たちとの話を聞く場を設けるのだ。

 ――だが、今日の朝に一通の手紙が届いた。そう、それがレインの頭痛を重たくする要因で、今も手に握ってる手紙である。

 

 

『屋敷の客人より大事なものを頂戴しに行く』

 

 

 同じ付き人のクレアにも相談したが、彼女のシンフォニア家でもこの手の予告状は届くことは稀にあることだそうだが、それが本当に行われたことはないという。

 動員する警備の数は増やすものの、今日の会食は中止にはしない。クレアとも同意見であるが、彼女の楽しみとする機会を奪うことに気が引けたのだ。

 悪戯であれば、良いのだが……

 ひとまず、この屋敷の結界や配置している使い魔を綿密にしようと結論付けたところで、

 

「お嬢様、雇った芸人の方がいらっしゃいました」

 

「はい、ここに通してください」

 

 それは、会食の余興にとレインが雇ったサプライズだ。

 どうしても屋敷では、大貴族のクレアのとは見劣りしてしまうので、その分の挽回にと手を回したのだ。

 そして、許可を出すと部屋に入ってきたのは、白いマントとシルクハット、そして、色彩豊かなパピヨンマスクをつけた男性。

 彼が、今、王都で評判の人気芸人だというが、そのパピヨンマスクは芸風なのだろうか。

 

「旅芸人のパノンです。今日はよろしくお願いします、レインお嬢様」

 

 気障っぽい笑みを向け、『お近づきの印にどうぞこちらを』と空っぽの手の内から出して見せた花を差し出す。なるほど評判通りの鮮やかなお手並みのようである。

 

「ありがとうございます。ですが、今日、当屋敷のお越しになられる方にまでそう気安く接してもらわれては困ります」

 

「畏まりました。ここに通されるまで使用人の方から事情は聞いておりますが、このような機会に恵まれるとは我ながら思ってもいなかったもので、少々舞い上がっていたようです。いつもよりも気を引き締め、厳しく一線を弁えますので、どうかご安心を」

 

「……ただ、彼女の方から興味を持たれた場合は、決して拒まないでください。言動を慎むよう注意しておいて、難しい注文をしているのはわかっているんですが」

 

「いいえ、いいえ。そう気を遣わないでいただきたい。芸人とは、人を楽しませることができれば本望。観客が驚いたり笑ってくれたりしてくれるだけで満足なのです。

 しかし、私はあくまで場を盛り上げるための添え物に過ぎません。ホステスであるお嬢様がそう気落ちしておられる方が、招待される方を笑顔にするのは難しい注文かと。私が言うのも何ですが、初対面だからこそ話ができることもありましょう。よろしければ、何か悩み事があればお聞きいたしますが?」

 

 心の機微に聡いと感心する。芸人というのは、常に観客たちの情動を把握して動いているのだろう。

 少しだけ軽くなった気持ちで微笑を零すと、それまで握り締めていた手紙からやっと手を離した。

 

「ありがとうございます。こんな手紙一枚で気を張り詰めてしまうなんて、それでこそアイリス様に会わせる顔がありませんでしたね。クレアにも付き人がそんな気弱でどうすると叱られてしまいましたし」

 

「おや、それは……?」

 

「ああ、これは悪戯です。『屋敷の客人より大事なものを頂戴しに行く』なんて書かれてますが、どこかの暇人の仕業でしょう」

 

 そう、騎士たちの鉄壁の警護に、側近の自分とクレアがついている。なにより、姫様自身も……

 と、悪戯の文章を拝見するパノンは、やや表情を引き攣らせて、

 

「心中お察しいたします。まったく、世の中にははた迷惑なことをしでかしてくれる輩もいるものですな! この私が仕事を大変にしてくれた差出人をひっ捕らえて説教してやりたいものです! おいコラ、ふざけるんじゃないとねっ!」

 

「ふふ、それは私たちの仕事ですよ」

 

 このやろ! このやろ! とまるでこちらの鬱憤を代わりにぶつけてやるように折り畳み、手紙をあっという間に高機動冬将軍に早変わりさせたパノンの見事な芸にレインはくすくすと笑ってしまうのであった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 夕方。

 順調に打ち合わせも終わり、お客様方も到着。

 速やかに会食の場に案内され、席に着いた。

 

「『あなたが、魔剣の勇者ミツルギですね? さあ聞かせて、あなたの冒険譚を』と仰せだ。……私も聞きたいものです。貴殿の噂はかねがね聞いておりましたが、何でもドラゴンを退治されたとか」

 

 と通訳役を買って出るのは、穢れなき純白のスーツを着用し腰に剣を帯びた短髪の女性クレア。

 そして、同僚の護衛付き人の隣の、中央の席におられる少女が、僭越ながら教育係も任されているレインがお仕えする、王国の第一王女ベルゼルグ=スタイリッシュ=ソード=アイリス姫様。

 

「はい、エンシャントドラゴンを魔剣『グラム』で倒しました。でもそれは、仲間たちのおかげです」

 

 それから、相対する席に座るのは、このたび招待された魔剣の勇者ミツルギキョウヤ。最初はこの通訳を介するやりとりに戸惑っていたが、整った顔立ちから苦笑を洩らしつつ語り始める。

 どうやら今回の勇者候補は謙虚な方であるようだ。冒険者カードを拝見せずとも、その立ち振る舞いから高レベルの『ソードマスター』の実力が伺えるし、何より代名詞とも言える魔剣が放つ波動は、王城に厳重に保管されている宝剣に勝るとも劣らない強力だ。あれならば、ドラゴンを退治する話にも納得するというもの。

 

「……と『ソードマスター』の僕に引き付けられたエンシャントドラゴンを、地面を泥沼にさせて足を封じたところで、『潜伏』していた『盗賊』のフィオがドラゴンの頭に縄を巻き付け、縄の魔力繊維に魔力を過剰供給させて爆発させました。そして、怯んだところに支援魔法をかけた『ランサー』のクレメアが槍を投擲し、見事、ドラゴンの頭に命中させました。追撃に刺さった槍めがけて雷をぶつけられたドラゴンはもう瀕死でした。僕は最後のトドメを担当しただけで皆がドラゴンを追い詰めてくれた。あれはパーティ一丸となっての勝利です」

 

「『まあ、あなたには頼りになる仲間がいらっしゃるのね! ……でも、王都での攻防戦もおひとりだったと聞いているのですが……』と、仰せだ。確かにミツルギ殿は孤軍奮闘の働きをしたと報告が入ったが、他のパーティはどちらに?」

 

「え、っと、お恥ずかしながら、フィオとクレメアとはレベル差がついてしまったのでそれを解消させるために今は別々に修行をしているんです。もっと僕が二人を活かせるように指示を出せればよかったんですけど。後それから、ドラゴン退治に付き合ってくれた二人の『アークウィザード』は、臨時で入ってくれただけで正式なパーティではないんです。仲間になってほしいとは思っているんですけどね」

 

「『なんと、魔剣の勇者のお誘いを断る冒険者がいるんですか!?』と、仰せだ。ミツルギ殿、何でしたら我々からその二人にパーティに入るよう要請しようか? 魔王討伐に期待がかかるミツルギ殿には国からバックアップしても問題なかろう」

 

「いえ、僕は機転が働く方ではありませんから。彼に力一辺倒で指揮官に向いてないとも指摘されましたし。実際、『アクセル』で、最弱職の『冒険者』相手に負けてしまいましたから」

 

「『ええ、駆け出し冒険者の街に魔剣の勇者に勝った方がおられるのですか!?』と、仰せだ。それは驚きだな。是非、その者の名を窺ってもよろしいだろうか?」

 

 会話の合間に食しながら、歓談を弾ませる中、ふと、アイリス様はミツルギ殿にひとつお願いをした。

 

「『その魔剣を握らせてもらっても構いませんか?』と、仰せだ。無礼だとは思いますが、ミツルギ殿の魔剣『グラム』をアイリス様にお貸ししてもらえないでしょうか。冒険者にとって得物は自らの半身と言っても過言ではない相棒だとは聞いておりますが……」

 

「構いませんよ。ただ、『グラム』は僕以外が持つには重い剣で、アイリス様にはとても……」

 

「それならば、問題ありません」

 

 見た目は儚げな雰囲気で、これまでフォークとナイフくらいしか持ったことのないようなアイリス様であるも、彼女は立派な王族だ。

 そうして、席を立ったアイリス様が、ひょいっと軽々と神器の大剣を持ってみせ、ミツルギ殿の目を丸くさせたところで――少し、沈んだ表情をなされたのを、注視していた自分の目はとらえた。

 

 以前、アイリス様はポツリと独り言のように仰っていた。

 これまで聞かされた冒険譚は確かにすごいが、どれも絶対に負けない勇者が一方的にモンスターを退治するものばかりだと。

 

 おそらく、ミツルギ殿の魔剣を直に触れてみて、『ああ、この方もこれまでと同じだった』と思われてしまったのだろう。

 いや、強いことは喜ぶべきことなのだ。断じて期待外れなどと思うべきではない。しかし食傷気味であるのだ。決してそのことを口にされないが、また我慢されてしまっている。

 

(これはいけない)

 

 席を立ち、合図である拍手を送る。

 魔剣を返そうとしていたアイリス様が、陰に徹していたこちらの突然の行為に驚いたが、次の言葉ですぐに子供のように目を輝かせてくれた。

 

「アイリス様が初めてお越しになられたのを記念して、当家でひとつ余興を用意してみました」

 

 

 スタッ、と天井裏で待機していたのであろう白スーツのマスクマンが颯爽と真上から降り立つ。

 パパパパパパンッ!! とド派手に花火とスモークを焚きながら。

 

 

「我が名はパノン! 王都随一の旅芸人なる者!」

 

 マントを大袈裟なポーズで払うと、その勢いで彼を取り巻く煙は掃われて、パピヨンマスクをつけた全容が明らかにされる。

 

 ちょ、ちょっと……!? 自重するんじゃなかったの!?

 演出の方はそちらに任せていたけれど、まさか室内で花火をやるとは思わなかった。火事にならないよう配慮され、またアイリス様にも好評のようだからよかったけど。

 

 息を吐かせる間もなく、名乗りの口上を高らかに謳ったマスクマンがパチンと指を鳴らす。

 すると、しんしんと天井からこの室内、彼の周囲へと雪が降ってきた。先程の爆発での余韻を冷ましてやるかのように。

 そんなキラキラと室内に舞う結晶を、両手で掬い集めて、手を合わせる。それから、そっと右手と左手を上下に離すと、その軌跡に沿うようにして、氷の結晶が形作った薔薇が出来上がっていた。そんなガラスのように透明な花をこちらの会食席に投げ、キラキラとした放物線を描く光の筋を伸ばして、カラン、とテーブルの真ん中に置かれてあった花の花瓶に刺さるように入った。

 

「まずは挨拶代わりにどうぞ、お姫様たち」

 

「な、何だこれは!?」

「すごい……手品か?」

「うわあ……綺麗!」

 

 テーブル席についてる一同が皆表情を驚愕に染める。それを見て、マスクマンは微笑みながら言葉を続けた。

 

「その花は、私そのもの。人が握り締めただけでその体温で容易く溶けてしまう儚き花が、散ってしまうまでが私に与えられた時間。この一時で、この姿が一瞬でもお姫様たちの目に、焼き付けるよう、芸能を奉じさせてもらおう」

 

 氷の薔薇に映っていた視線がマスクマンへと戻ると、その床は一面が白色に染められていた。

 

「さあ、さあ! 険しい山脈へと挑む勇者一行! 苦難の道のりを進む彼らの前に現れたのは――!」

 

 否、それだけで終わりではない。朗々と詩人のように語りながら、どっさりと積もった雪山をその二本の両手指先でカットするように払っていくと、瞬く間にそのシルエットが、大きなドラゴンへと成り変わる。

 今にも動きそうなくらい躍動感のある、凄まじい精度で完成されたドラゴンの雪像だ。

 

「ドラゴン! エンシャントドラゴンだ! 城壁の如き硬い鱗! 剣を束ねてるような凶悪な五指の爪! そして、辺り一面を焼き払うブレス! まさに移動要塞――!」

 

 そこで、勢い良く口から火を吹いてみせる。こちらのテーブル席まで届かないものの、向けて放たれた炎の迫力は凄まじい。

 いつの間にか手に汗握るこの場の空気に呑まれて、みんな息を飲んでいる。

 

「レイン、今のは!? 口からファイヤーブレスを放ちましたが、もしやあれが『ドラゴンハーフ』なのですか!?」

 

「アイリス様、今のは大道芸のひとつの火吹き芸というものでしょう。ブレス系の魔法ではありません」

 

 興奮する第一王女は、魔剣の勇者以上に食いついた目でショーを見ている。

 

「おっと、やや融けてしまった。これはすぐ修正せねば、ドラゴンがお怒りになる。このように――! ギャオオオオオオン!!!!」

 

 今の火吹き芸で少し融けた頭部に、さっと肩から外したマントを被せ、牙を剥き出しに大きく口を開けた姿にお色直し。ついでに雄叫びをあげて、ドラゴンの咆哮を再現してみせた。

 

「嗚呼、ダメだ! 我々ではドラゴンを鎮めることは叶わない! このままでは村が、街が滅んでしまう! ――助けてくれ、魔剣の勇者よ! 今一度、あのドラゴンを退治してくれないか!」

 

 そこでご指名を受けたミツルギ殿……は、魔剣を持っていない。そうまだ、アイリス様が持っていたままだった。

 しかし、アイリス様の目の色を見ればわかる。口ほどに訴えるその強い光を前に、クレアも通訳を控えるほどだ。確認するとミツルギ殿も頷き返してくれたので、

 

(お願いしますっ! アイリス様にやらせてください!)

 

 アイコンタクトで、このクライマックスの舞台にいる日雇い芸人へ送ると、仮面に隠されていない口元に笑みを作り、

 

「さあ、勇者よ! 早く来てくれ! ドラゴンが火を吹き、暴れ回っている!」

 

 今度は天井へ向けて、火を吹いてみせ、ついで雄叫びもあげてみせる。

 そして、皆が見守る中、氷のドラゴン像に立つアイリス様は、大きく魔剣『グラム』を振り上げて、

 

 

「『エクステリオン』!」

 

 

 王城に保管される王族のみ扱える宝剣とは違って、ミツルギ殿の魔剣なのでただの兜割りであるが、それは見事な一太刀で、巨大な像を真っ二つに両断してみせた。

 

「おお、見事! ドラゴンを倒すとは流石勇者! あなたのおかげで村にまた平和が戻った!」

 

 アイリス様を称賛しながら、パノンは懐から赤いハンカチを取り出して、さっと一振りすると、その中から数十羽の鳩の群れを羽ばたかせ、アイリス様を驚愕させた。

 これにはこちらもびっくりだ。

 

「あいつ今どうやった!? 物理的に不可能だろう今のは!」

 

「な、何でしょうか……。魔力を感じませんでしたから、召還魔法を使ったわけでもなさそうですし、あれだけの鳩の大群をどこかに隠しておくわけにも……。……えっと、本当にどうやって……?」

 

 目を白黒させる観客らを他所に、折り畳まれていたその赤いハンカチをもう一振りして何十倍何百倍に広げると、切り分けられた氷像へ被せ、あっという間にそのシルエットを消してしまう。そして、床にはレッドカーペットが敷かれて、

 

「汝には『ドラゴンキラー』の称号が与えられ、その活躍は歴史に刻まれ後世まで語り継がれよう!」

 

 拍手喝采をアイリス様へ送る。それにつられ、自然とこちらも拍手を打ち、部屋の脇へ控えている使用人らも手を叩き始める。

 これには、アイリス様もご満悦のようで、胸を張って満面の笑みを向けてくれた。

 期待以上だ。

 紙芝居のように場面を切り替えて、臨場感あふれる氷炎の演出。そして、観客らも巻き込む参加型の舞台。冒険譚を聞くだけでなく、その冒険を体験させて見せる。

 ミツルギ殿の話をついさっき聞かされたばかりだというのに、即興でこれほどの再現をしてみせるとは、名乗りに違わぬ王都随一の芸人だ。

 舞台から席の方へと戻ったアイリス様は、魔剣をミツルギ殿へ返却すると興奮冷めやらぬ表情でクレアに耳打ちする。

 

「『素晴らしい、素晴らしいわパノン! これほど感動した芸は初めてです……! 褒美を取らせます! それとあなたを是非、専属芸人として雇いたい!』と、仰せだ。パノンよ、今の芸は見事だった。私も驚かされたぞ。きっとこれには、国王様もお喜びになるだろう」

 

「恐れ多くもお姫様、我が芸能はひとりのためではなく、多くの人々に捧げたいのです」

 

 その断りの言葉に、それまで笑顔だった表情を反転させてしまう。

 これはマズい。

 見れば、クレアもまた表情を険しくさせている。

 

「『下賤の者、王族の誘いを断るとは無礼です。本来ならば身分の違いから、直接姿を見ることも叶わないのです。大変これは名誉なもの。辞退することなど許されません』……こう仰せだ」

 

 最高の気分だったのにケチをつけられた。とても感動した分だけ、そのショックは大きかった。

 その自由に羽ばたける渡り鳥のような旅芸人に、謂わば“籠の鳥”なアイリス様はとても気分を害してしまったのだろう。

 確かに、このパノンの志は称賛されるものであろうし、配慮もしてやりたいと思うが、アイリス様がこうワガママをおっしゃられることなど初めてで、叶えさせてあげたいとも望んでいる。

 ここは、せめて日雇いから延長して……

 

 と計算し始めたその時、部屋の外で騒がしい音。

 その微かな震動に、花瓶に入れられた氷の薔薇が散ったそのとき、

 

 

「それに私は、パノンではありません」

 

 

 タイミングを計っていたその宣誓に、同時、開かれた部屋の扉より、まったく同じ顔をした、ただし、パピヨンマスクはつけていない、旅芸人パノンが現れた。

 

「どうなってる!? これはいったい……同じ顔が二人!? まさか、双子なのか!?」

 

「違います! 私が本物のパノンです! そこにいるのは王国随一の芸人を騙った偽者だ!」

 

 乱入してきたパノンに指を差されたパノン´は、飄々と肩をすくめて、

 

「確かに偽者だ。しかし、王国随一の芸人とは詐称ではないか? 実際、せめて心置きなく辞退させてやろうと、私と一芸を見せ合って、その腕の差は自ずと分かったはずだ。それに、王都ではないが、駆け出し冒険者の街ではさらにその上がいるぞ」

 

「っ、ぐ! でも、私がパノンだ!」

 

「はい。空き部屋で物音がするかと除いて見ると、クローゼットの中に猿轡をされて縛られたパノンさんが……」

 

 一緒についてきた使用人もそれを擁護。

 となると、やはりあそこにいるのが偽者か。

 

「貴様、何者だっ!」

 

 激昂したクレアが、叫びながら腰に携えた剣を抜刀する。こちらも杖を構える。

 

「では、要望にお応えして。改めて名乗らせてもらおう」

 

 パピヨンマスクに手を掛けながら、マントを簀巻きにするように体に巻き付け――瞬間、その姿が黒装束の覆面姿へ早変わりした。

 

 

「――カンダタキッド。世間を騒がせているヤンチャな銀髪の親分の命を受け、今宵、この屋敷の客人より大事なものを奪いに来た怪盗さ」

 

 

 そして、登場と同じく、黒の煙幕。

 黒一色の怪盗は、ドロンと煙に紛れて姿を消し、この出入り口が完全に封鎖しているはずの部屋の中からいなくなっていた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 先輩よりすでに招かれざる客からの出席状が届けられているが、そこに加えて、『出来るだけ派手に陽動してくれ』と注文が付けられた。

 たぶん、ここでの騒ぎで注目が集まっている合間に、どこか警備の薄くなった別の方面、例えば王城の方を下調べに行くつもりなのだろう。

 おかげで厳重な警備体制の中で行動しなければならず、後輩への負担が半端じゃなくなったが。……あの銀髪の義賊の中での“先輩”というのは一体どれだけ傍若無人を許される存在なのだろうかと疑問に思う。

 とはいえ、獲物は見当がついた。

 元々、所有者の情報は与えてもらっていたし、それに該当するのはこの屋敷の中ではひとりしかいないのだ。

 ので、余計な邪魔者にはとっととこの場を立ち去ってもらいたい。

 

「おのれ賊め! アイリス様を狙ったことを後悔させてやる!」

 

 いきり立つのは、護衛付き人のクレアという白スーツ。抜き身の剣をぶら下げ、眼光鋭くさせるその様は、容赦が一片の欠片もなさそう。殺しはせずとも腕の一本二本を平気で斬り飛ばしてしまいそうだ。

 なるほど、あれが配備された騎士の頭か。

 

「クレアさん、武器を持ってないようですが、得体のしれない相手です。僕も手伝います」

 

「おお、魔剣の勇者がついてくれるとは心強い!」

 

 そして、正義漢な坊ちゃん勇者も自ら進んで志願する。

 これは予想通りだ。それからあとひとり。

 おそらく彼女は、自分が入れてしまったことを責任と感じ、その不始末を自らの手でつけたいと思うだろう。

 

「私も、行きます。屋敷内であれば、私がこの中で最も熟知しております。この部屋の結界はより強固なものに張り直しました。絶対に外から入ることはできません」

「そうか、ならばアイリス様はここにおられれば安全か。では、レインは屋敷内の捜索を頼む。私は、外を見回ろう。ミツルギ殿もこちらについてきてもらっても構わないでしょうか?」

「ええ、もちろん」

「ばあやもここに警備兵と共に残ってアイリス様のお世話を。あと、他の者はパノンさんの容体をお願い」

「はい、お嬢様」

 

 展開はこちらの都合のいいように進んでいく。

 幸運の女神エリスに微笑んでもらっているかのように。

 ただ……

 

「アイリス様、しばしここに留まっていてください、警備の騎士たちを置いておきますので。何よりここはレインの結界に守られております」

 

「わかりました、クレア。レイン、そして、ミツルギ殿もお気をつけて」

 

 そして、この部屋から目当ての人物を残して、数名の騎士を残して要注意人物らは外に出た。

 

 ………

 ………

 ………

 

「な、なんだ!? 今の爆発音は!?」

 

 それからしばらくして、予め事前に外で聖水の氷と起爆札を使った時限式の爆発が起こる。精々が爆竹程度の騒音だが、音は大きいし、良く反響するポイントに設置しておいた。

 警備兵らの動揺を誘ったところで、

 

「『応援を求む! 奴は逃走中だが、これから袋小路に追い詰めるぞ。総員、すぐ玄関ホールまで向かえ!』」

 

「! ……アイリス様!」

 

「ええ、皆さんもクレアの応援に向かってください」

 

 騎士団の指揮官であるクレアの声に、警護兵は顔を見合わせ、頷き合うと、護衛対象に一度、頭を下げて、持ち場を離れて部屋を出ていった。

 で、あとひとり。

 もっとも厄介な人物がいるのだが……

 

 

「怪盗さん、これで邪魔をする者はいなくなりましたよ」

 

 

 と一番の厄介者からご指名が入った。

 

「貴方が最後の手品で出した鳩、一羽だけ増えていました。変身能力を持っている怪盗さんならばもしかしたら、と思いましたが、さっきそちらからクレアの声がしましたね」

 

 じっと真似た声色に惑わされず、声がした方角へ真っ直ぐに視線を向ける第一王女。その瞳は確かに、捉えていた。

 そう、推理通り、鳩に化けていたカンダタキッドを。

 

「……仕方がない。かくれんぼはここまでか」

 

「まあ、本当に鳩に化けていらしたのね! 一体どうやったの? そんな魔法、レインも知らないわ!」

 

 一羽の白鳩が、黒装束覆面の怪盗へと変わるのを見て、姫は驚きつつも、目を輝かせている。まるで、今もまだ演目が続いているかのように、シリアスな緊張感が欠片もない。

 

「元宮廷魔導士から教わったんです。芸人はネタがバレたら、客を称賛しなければならない。見事だ、お姫様。でも、それに勘付いておきながら人払いに協力するのは感心しないな」

 

「だって、怪盗さんとお話がしたかったんですもの」

 

 無邪気な笑みを浮かべる第一王女。

 王族としての義務を果たすため、自分を抑え、ワガママを言わない良い子を演じていたのだろうが、やはり王族らしく傍若無人な素養も持ち合わせているようだ。

 

「ヒドい目に遭わされるとか考えてないのか?」

 

「私は人を見る目だけは長けているんですよ? 怪盗さんはそんなことはしない。だって、芸人に変装しているときのショーも全力で私たちを楽しませようとしてくれました。あのとき、不意打ちする絶好の機会だったのに、そんな無粋な真似は決してしなかった。だから、怪盗さんは人にヒドいことはしません」

 

 それは自惚れではなく、確信めいた言葉だった。

 そして、きちんとした根拠がなくとも、相手を納得させてしまう言霊。

 これは、この幼い少女にも王者の資質が秘められている証であろうか。

 

「それにほら、巷で話題の義賊の子分なのでしょう? 何でも、評判の悪い貴族の家に侵入し、後ろ暗い方法で貯め込んだ資産を盗んでいく盗賊がいるらしいのです。そして、被害に遭った次の日には、エリス教団の経営する孤児院前に多額の寄付金を置いていく。だから、義賊と持て囃される。

 ……本来なら王族である私が、盗みを働いたものを義賊などと呼んではいけないのでしょうが……でも、それを格好良く思ってしまいます」

 

 なるほど、このお姫様にとって、義賊とは勇者と同等以上なのだろう。そして、その子分を名乗った怪盗は、勇者パーティの冒険者と同じ……まあ、間違ってはないかもしれない。

 ただ、井の中の蛙のようだ。

 

(まったく、あの坊ちゃん勇者がようやく卒業するかと思ったら、今度は箱入り娘に絡まれるとか……俺はこういう世間知らずを相手にしなきゃいけない運命なのか?)

 

「ですが、だとすれば、怪盗さんが盗みに入ったレインの屋敷には、後ろ暗い方法で貯蓄した裏金があるのでしょうか?」

 

「アイリス第一王女!? 賊の言葉に惑わされてはいけません! レインお嬢様は清廉潔白なお方ですよ!」

 

 そこで、驚愕から回復した使用人、レインにばあやと呼ばれていた彼女が声を張り上げ、盾となるようにアイリスの前に立つ。

 その言葉にカンダタキッドは首肯を返す。

 

「ええ、その通りです。ここはとても人の良い家柄だ。代々薬草学に長け、門外秘伝とされる独自の秘薬もいくつも編み出している優秀な魔導士の家系でもあるのも少し調べればわかる。大貴族シンフォニア家の長女と共に第一王女の側近として選ばれるのは納得がいくというもの。……しかし、人の良い貴族様であるからこそ、後ろめたいと思う過去があるようだ、オリビアさん」

 

「っ!? どうして、私の名を……!?」

 

 言い当てられ、瞠目させるばあや。

 

「三つ、マダムに質問をさせてもよろしいでしょうか? お答えくださるのであれば、私はこれ以上なにもすることなく場を去りましょう」

 

 そして、三本指を立ててみせながら、机を挟んで対峙するこの“お目当ての人物”に問いを投げる。

 

「オリビアさん。すでに没落した貴族ですが、エステロイド家というのをご在知でしょうか?」

 

「いえ、知りませんが」

 

「では、エリックとアンナという名前に心当たりは?」

 

「……聞き覚えはありません」

 

「最後に、このブローチについて教えてもらえませんか?」

 

 そういって、手のひらに出したブローチに、はっとオリビアは胸元に手を当てるがそこにいつもの感触はない。

 

「失礼。案内してもらった時に拝借させていただきました」

 

「じゃあ、それは私の!?」

 

「年代物ですが、輝きは新品時代から損なわれていない。とても丁寧に磨かれている。きっと毎日手入れをされたのでしょう。大切にされているのが良くわかります。これはいったいどのようなものかマダムの口からお教えくださいませんか?」

 

 反射的に伸ばした手を引っ込め、一度唾を呑み込んでから、彼女は口を開いた。

 

「……そのブローチは、身寄りもなく、記憶喪失の私がこの屋敷に拾われたときに身につけていたもので、それ以上は……」

 

 問いかけで三本の指を折ってできた拳をまた一度握り、

 

「そうですか。申し訳ありません。古傷にさわるような真似をして……ですが、おかげでわかりました。これは、()()()()

 

「え……――あ」

 

 そっとテーブルの上にブローチを置く。同時に、ふっと手の内に握っていた粉塵をオリビアに吹き飛ばして、それを予想外の行動に呆気にとられた彼女はこの不意打ちを吸い込んでしまい、机に前のめり……そして、伸ばした手でブローチを取ってから、眠る。

 彼女はウソを言っているつもりがないのは、その目を見ればわかった。だとすれば、考えられるのは、ひとつだろう。

 そして、それは宝物庫に侵入できる義賊でも、迂闊に踏み込めない領域だ。

 そのまま、カンダタキッドはテーブルから離れ、この部屋から出ようとするが、そうは問屋が卸さない。

 

 

「誰が、部屋を出ても良いと許可しましたか?」

 

 

 そう、お姫様がいる。

 まだ話は終わっていないと、こっちを睨んでいる。

 

「私はまだ怪盗さんの話を聞いてはおりません」

 

 空気は読んでくれてこちらの話が終わるまでは黙っていてくれる温情を出してくれたようだが、これ以上の無視は許してはくれないそうだ。

 

「こっちはもう話すことはないし、穏便に事を済ませたい。不幸にも会食とバッティングしてしまっただけで、そもそもお姫様を狙ってはいないので。はっきり言わせてもらうと眼中にないんです」

 

「関係ありません。私は、あなたの話を聞きたい、と言っているのです」

 

 てててっと机を周り込み、入り口の扉を塞ぐように前に立つアイリス。その手には部屋の調度品のひとつとして壁に飾られていた長剣。

 その有無を言わせず、武力行使も辞さない態度に、思わず嘆息を洩らす。

 

「俺がここでする仕事はもうない。神出鬼没な怪盗としては、こわーいオーガさんたちが目を光らせている屋敷から帰らせてほしいのだが」

 

「あら、何も盗まないで帰ったら怪盗の名折れではないのですか?」

 

「お気に召さないのかい?」

 

「せめて、その理由をお聞かせください」

 

「断る。部外者が憶測で口にしていいもんじゃないようでな。人に歴史あり。お姫様は、勇者の冒険譚がお好みのようだが、この世の中、人間の数だけドラマがあるといってもいい。見目の良さだけに気を取られては見抜けないものもある」

 

「そうですか。では、その話は後でレインに訊くことにします。怪盗さんの話は捕まえてから訊くことにしましょう」

 

 手品で出した大量の鳩、そのうちの一羽の鳩に煙に紛れて変化して、その場から消えたようにみせる。しかし、彼女だけは一羽だけ鳩が増えていることに気付いた。その眼力。

 加え、先のショーでドラゴンの氷像を、身の丈ほどもありそうな大剣を振るい、見事に一刀両断。それを何とも思わない、むしろ当然とみる従者二人の反応。

 これだけで、このお姫様が蝶よ花よな可憐な見た目に似合わず、高い戦闘能力の持ち主であるのは勘付くというもの。

 

 王族や有力な貴族は、昔から強い勇者たちの血を取り入れていると聞く。そして、英雄から遺伝された凄まじい才能を英才教育で磨き上げて、経験値豊富な高級食材を食してレベルを上げている。そこに勇者から受け継いだ強力な神器の武具が揃えば鬼に金棒。

 『ベルゼルグ』の国王に第一王子が、魔王軍との戦争の最前線で無双しているのは、アンテナの高い者ならば誰にだって知っている常識だ。

 

(喩えで評価すれば、純粋培養されためぐみん、ってところだな)

 

 荒野の大地に根を張り、強い風雨にさらされながらも負けじと大輪を咲かそうとする神童に対し、年中温暖な温室に守られながら、十二分な栄養と水を毎日欠かすことなく与えられて満開の大輪を咲かす神童が、第一王女。

 伝家の宝刀は持ち合わせてはいないようでも、素で強い。よって、回避するのは難しい。

 どうやら、これは『魔王からは逃げられない』なんていう展開だろう。

 

「……そうだな」

 

 ここは覚悟を決めよう。

 首をコキコキひねり、両手をぶらぶらとリラックスさせてから、懐より短刀を取り出す。

 仮の雇い主であるレインお嬢様より、お姫様から誘いを求められた場合は断ってはならないと言われているわけだし。

 

「お姫様の言う通りだ。怪盗が何も盗まないんじゃあ、格好がつかない。ここはひとつ、実戦デビュー前の負け知らずな箱入り娘から白星を盗ませてもらおう」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 人生で初になるであろう苦い敗北をプレゼントする。

 

 その宣言を受けたアイリスは目を丸くした。

 そんな宣言を真っ向からされたのは初めてで、それを言うなら身内以外の赤の他人にここまで不遜な態度を取られるのも初めてだったりする。

 だがそれよりも呆気にとられたのは、その物腰。

 ダガーを持つ怪盗の姿は、お世辞にも堂の入ったものとは言えない。さっきあれだけ見応えのあったショーが強く印象に残っているだけに、よくこんなものを王族相手に披露できるなとがっかりしてしまいそうになる。

 

(ですが、あの方からは、どことなく強者の気配……クレアやレインと一線を画す何かを感じる)

 

 まだ『ベルゼルグ』が建国直後、資金繰りに外交がてらその国で最も被害を与え、最も強大なモンスターを退治してきた武闘派な王族の血を引き継ぐ者として、特に戦闘面において、人を見る目には自信があるつもりだ。

 しかし、刃物の扱いは素人同然なのに強者の気配を漂わせる怪盗に、洞察と直感に食い違いが起こってしまっている。

 

「本来の得物でなくてよろしいのですか?」

 

 つい訪ねてしまう。

 

「生憎と盗みに入る際に、用意する武器は短刀一本しかなくてな。まあ、世間知らずの箱入り娘相手にはこれで十分だ」

 

「む」

 

 これは、こっちが侮られている。眉間に皺が寄ってしまう。

 か弱い見た目には自覚があるも、これでも王族に恥じぬよう護衛付き人であるクレアを相手に剣術の稽古を積んできている。今日会食した高レベルの『ソードマスター』である魔剣の勇者とも打ち合える自信だってあったりする。

 こんな舐められる態度を取られるのは腹立たしく思える。

 これは少々痛い目を見て反省させてやろうとアイリスは剣を握る手に力を篭める。

 

「……手加減は、致しませんよ」

 

「構わないともお姫様。王家への配慮として、せめて負けても言い訳ができるよう、こちらもまだ未完成だが、我が家に代々と研究された秘剣『はかぶさの剣』――それを対お師匠様にアレンジした一芸をお見せしよう」

 

 居合するかのように腰だめに短刀を構える怪盗。

 そこで、引いていた潮が一気に大津波となって帰ってくるように、その身の裡から剣気が溢れ出すのを感じ取り、ハッとアイリスは横にした剣を盾にし、反射的に身構える。

 構わず。

 まだ長剣はおろか、短刀が届く間合いではないのに、カンダタキッドは振り抜く。

 

 

「『グランドクロス』――ッッ!!!」

 

 

 それは、アイリスの目にも見切れぬ高速十字攻撃!

 

 

 ……と太刀筋が見えないのもそのはずで、居合抜きしたダガーは一振りめから盛大にすっぽ抜けていた。

 握りが甘かったのもあるだろうが、勢いが良すぎた短刀は、ちょうどこちらの足元に転がった。

 

「………」

 

 思わず、無言になってしまう。

 実戦経験に乏しいからなのもあるが、これには反応が困った。

 

「えーっと……、怪盗さん、持ってるのは短刀一本と仰いましたよね?」

 

「………ええ、まあ」

 

 あれだけ不遜な言動をしておきながら、気まずそうに目を逸らす怪盗に、大きく鼻を鳴らす。

 一瞬でも緊張してしまったこちらが恥ずかしくなるほど。仕方ないので、アイリスはその場に屈んで、落ちた短刀を拾う。

 結局、この怪盗は弱くて口だけのハッタリ屋、本当にあの義賊の子分かも怪しいが、武器を失ってしまった相手を成敗しては王族として示しがつかない。

 ここはもう一度仕切り直させて――と、しゃがみこんだその時だった。

 

 

「チェックメイト、だお姫様」

 

 

 しゃがみ込もうと視線を外し、俯いた視界に、純白のドレスを真っ赤に染められる胸元とそこに刺さるもう一本のダガー。そして、顔を上げると、怪盗がすぐ目前まで迫っていた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 状況はすぐ悟った。

 

「う、嘘吐き! ダガーをもう一本隠し持ってましたね!」

 

「それがどうした? 嘘吐きは泥棒の始まりというだろう」

 

 なんて憎たらしいドヤ顔だ。覆面だけどなんとなくわかった。

 でも、これは作戦勝ちだと認めるしかない。

 ダガーは一本しかないと宣言してから、マヌケなミスをして足元に短刀を放る。

 これまで騎士クレアくらいしかほとんど相手していない、また華々しい勇者の武勇伝しか知らない、正々堂々しか頭にない、ついでに純真で素直なお姫様が、武器を拾って返すだろうことを計算して。

 

「お姫さん、大道芸のサーカスで一番偉いのは、ピエロなんだ。観客を満足させるには、時にはわざと失敗しなければいけない。それは成功するよりも至難の業だ。そして、どんな時でも笑っていなければならない。観客に気付かせないために、徹底して。未熟な俺はポーカーフェイスを貫くには、覆面の助けを借りないと無理だがな」

 

 怪盗は胸元にダガーを刺したまま、こちらが拾おうとした短刀を足の爪先で器用に掬って蹴り上げ、腰を屈めずに逆の手でキャッチする。

 とても手慣れている。体の一部であるかのように操ってみせるではないか。

 どうやら、騙していたのは、言葉だけでなく、仕草も。

 宴会芸スキル『物真似芸』で、ダガー扱いが素人の演技(『冒険者』の知り合いを参考)していた。それに相手を見くびり、すっかり油断してしまっていた。

 

 授業や勇者の話から、擬態をして不意打ちや騙し討ちをするモンスターの話は聞いていたのに……!

 

「ああ、安心すると良い。これはギミックナイフ。つまり、厳密に言ってこれが武器ではないわけで。刺すと刀身が引っ込んで柄に仕込んだ中身が出てくる小道具だ。ドレスを汚しているのは血糊。クリーニング代は、“黒星”の授業料としてチャラにしておいてくれ」

 

 それにこの相手は、速い。

 何かの支援魔法、もしくは魔道具の援助があったのかもしれないが、あの視界から外した一瞬で、距離を詰められるなんて、これまで対峙してきた相手の中でもダントツに速いのではないだろうか。

 そして、それだけの力がありながら、懐に潜り込むための隙を作るために策を弄する。

 向こうは、こちらを箱入り娘などと侮ってはおらず、全力の姿勢で真剣勝負に望んでいたのだ。

 そこまで理解はしたのだが、やはり納得のいくものではない。

 

「こんなのズルい! ええ認めません、この試合は無効です! 仕切り直しを要求します!」

 

「却下だ。あの魔剣の勇者様も言っていただろう? 最弱職の『冒険者』に負けたと。ドラゴン退治だけでなく、苦い敗北も疑似体験できるとは良い勉強になったのではないか? つまりこれはステータス頼みの脳筋思考を突かせてもらった頭脳の勝利だ。そこにいったいどんな物言いをつける気か、箱入り娘」

 

「ッ! で、でも! 私はまだ倒されてませんから! 『ベルゼルグ』の王族は強いんです! 一刺しくらいで怯んだりしません! このまま勝ち逃げしようものなら、人を呼びますよ! それでも良いんですか!」

 

「いやいや。二度目はもうないよ。……ひとつ言い忘れていたが、ギミックナイフから出るのは血糊だけでなく、嗅ぐだけで卒倒する、先ほどマダムに使った粉塵も出る。正直、ここまで起きていられて驚いた。どうやら血筋は薬物にも耐性があるらしい」

 

「え――」

 

「決まり手を命名するなら、『スリープダガー』、もしくは『眠り猫』といったところかな」

 

 必死に訴え、息を荒げていたアイリスは、そこでクラッとふらつく。

 勝利宣言からの余計な解説は、時間稼ぎのためであった。それに気づかず、この会話の最中、いったいどれだけ吸い込んでしまったか。

 

「おやすみ、お姫さん。宣言通り、白星は盗ませてもらったぞ」

 

 この……っ! 次会ったら絶対に、その覆面を剝いでみせますからね……っ!

 

 悔しそうに歯噛みしながら、しかしこれ以上意識を保てずに寝落ちしてしまう。

 この日、アイリスの記憶に一番焼き付いたのは、勇者の武勇伝でも華やかな演芸でもなく、この初めての敗北。

 これが後にライバル認定され、将来、無闇矢鱈とお転婆娘に絡まれる地雷になるのだが、このときはまだ悟っていなかった。




誤字報告してくださった方、ありがとうございます。

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