この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

16 / 150
16話

 魔王軍ハンスの猛毒に汚染された土地は、浄化するには腕利きの『アークプリースト』が大勢集まり、数ヶ月を要してどうにかできるかというレベルだ。

 それを欠片でも人体に当たればどうなるかなど想像にしがたくないだろう

 

 ゆんゆんは、爆発四散したハンスの細かな肉片、いわば毒霧を吸い込んでしまった。

 

「『ヒール』! 『ヒール』! 『ヒール』!」

 

 『プリースト』セシリーは、回復魔法ならば教団内でも上位に入る腕前を持ってる。それでも、デッドリーポイズンスライムの変異種の毒素を浄化するには焼け石に水だった。

 それでも彼女は一心不乱に回復魔法をかけ続ける。

 

「ゆんゆん! ダメです! ここで目を瞑ったらいけません! これはフリではありませんよ! 絶対に眠ったらいけません!」

 

 セシリーとは反対側の傍らでめぐみんが必死に呼びかけてる。

 普段はあれだけ冷静沈着な大魔導士を意識する少女が、そんなのかなぐり捨てて声掛けをする。

 

 とんぬらは、立ち尽くしてそれを見ていた。

 そう、自分はこんな時でも冷静沈着だった。狂乱することもなく、思案していた。

 すでにもうここで彼女が死んでしまったケースさえ想定している。でも、それも行き着いた。

 たとえ蘇生魔法『リザレクション』を施しても、身体は依然とハンスの猛毒に侵されたままだろう。それでは意味がない。

 

 どうする。

 どうする。

 どうする……ッ!

 

 ガリッ、と唇を噛み切ったとき、立ち呆けてる自身を呼ぶ声がした。

 

「と……ん……ぬらぁ……」

 

 ゆんゆんが、口を動かせたのは、懸命に治癒魔法をかけてくれているセシリーと、必死に意識が途絶えないように呼び掛け続けるめぐみんのおかげ。なのに、彼女は己を呼ぶ。

 その顔に一秒ごとに侵食を広げている黒い瑕疵から目を背けている、こんな臆病者(ヘタレ)に。

 

「おい変態師匠! アクシズ教の入信書に名前でも誓約でも何でも書く! 神社の神主をやめて、紅魔族の『アークウィザード』から、あんたの望む通り女神アクアの素晴らしさを広める『アークプリースト』にだってなる! だから、」

 

 縋ったのは、やはり心のどこかで最も頼りにしていた、命の恩人。

 だが、ゼスタは助けてくれなど言わせてもくれなかった。

 

「ここまで毒が回り切っては、もはや私でも手の施しようはありません」

 

 かつてとんぬらを死の淵から救い出してくれた超一流の『アークプリースト』は、この光景を前に、降参を認めた。

 

「すまない。私の力不足で」

 

「謝るな……あんたが俺に頭を下げるなよ!」

 

 釈放したときだってあれだけ悪態をついてくれた図太い神経の持ち主が。

 そのときだって殴らなかったのに、今は猛烈にその消沈した面をぶん殴ってやりたくなる衝動に駆られる。

 でも、それを止めたのは、今も呼び続けていた少女の手。

 

「とんぬら、ゆんゆんが……」

 

 強く腕を引かれたわけでもないのに、一体どんな強制力が働いたのか、とんぬらは、そこでゆんゆんの黒ずんだ顔を直視した。

 

「あのね……一度、夢でしたいこと……あるんだ……とんぬらに……お願い、しても……いいかな……」

 

 命という蝋燭が燃え尽きる間際の数瞬。

 めぐみんが脇をどいてくれたところへしゃがみこみ、彼女が口にする一言一句を聞き漏らすまいと意識を全集中させる。

 

「……王子様みたいに、……キス……してほしい……」

 

 まったく、こんなときでも墓場に頭からダイビングさせるようなお願いばかりする。

 これまで一度だって聞き届けられなかったことがないからと言って、何でもかんでも願い過ぎだろう。

 

「あ……今、私……毒に……」

 

 毒に侵されてる人体に粘液接種すれば感染するのは当然のこと。

 気づいた彼女はすぐに取り下げようとする。

 

「ごめん……今のはなし……」

 

 だが、それは断った。

 すでに、このめんどうくさい少女の願いは聞いてしまったのだから。

 

「期待するな」

 

 それに、こんなやりとりでひとつ思いついてしまったことがある。

 

「王子様はガラじゃないんだ」

 

 将来の族長の王子様になる。

 

 なんて予言した里一番の占い師。

 まさかあの師匠、こんな展開を予知したわけではないだろうな。

 

 ――とんぬらが何の躊躇いもなく、まだ毒に染まっていない桜色の唇に、自らの唇を押し当てる。

 

「――――――――――――ッ!?」

 

 力一杯目を見開き、ゆんゆんが声にならない声をあげる。

 視界の端でセシリーとめぐみんが驚く顔が見えたが、気にならなかった。気にしてられなかった。だってもう彼女の唇が、柔らかくてしっとりしてて甘い匂いまでしてそんな感覚感触に侵食されていた。こんな甘い毒なら死ねて本望だろう。

 

 でも、死ぬ気はない。

 ここで、死なせる気などない。

 周りがどれだけ諦めようが、それなら奇跡だって起こしてやる。奇跡は起きるんじゃなくて、起こすもんだ。

 

「んんんっ!?」

 

 後頭部に手をやり、口づけをより深く。強引に舌を入れる。

 仮面に垣間見える目は青く、瞳孔は猫の目のように開いていた。

 ドラゴンの眼だ。

 

 

 『すべてを吸い込む』というドラゴン固有のスキル。

 

 

 上位悪魔の業火も吸い込んで見せたそれだ。

 もうひとりの師のリッチーが持つ固有スキル『ドレインタッチ』のように相手の体力魔力を吸収するのがあるが、これは不定形なものを身の裡に取り込んでしまうものだ。

 灼熱の火の海も、凍える吹雪も、そして、猛毒の霧も『すべてを吸い込む』ことで吸収してしまう。

 ただし、こちらは手で触れるのではなく、口で吸わなければならないという制約があるが。

 

「ん、ちゅ……んぅ! ふぁ……ぁむ、ちゅる……れる……はあぁ!」

 

 息継ぎを忘れ、危うく窒息させてしまうほど長い長い口づけを交わし、竜の少年は、主の少女の体内に残留していたハンスの肉片を残さず頂いた。

 これで完全に猛毒を処理したわけではない。ただ毒源を取り除いて進行を止めただけで、顔には黒い瑕疵があり、これを解毒しなければならない。

 ぼう、と魂が抜けたようにゆんゆんの瞳は焦点が合ってないが、赤々と光っており、頬耳顔面とそれに負けないほど真っ赤に火照ってる。

 

「~~~っ!?」

 

 親友の少女は目を赤く光らせながらも、何も言わずに口を閉ざしており、そして、師はすべてお見通しのようだった。

 

「彼女の毒を取り込んだのですね」

 

「ああ。さっきのあんたの言葉を借りるなら、美味しかったよ。ご馳走様」

 

 ゆんゆんを侵していた毒素が、今度はとんぬらの体内で侵食を始めるも、デッドリーポイズンスライムの変異種の猛毒を、自己治癒力の高いドラゴンの魔力が抑え込んでいる。それが今のとんぬらの状態。それでも、人間のゆんゆんよりはマシだ。

 

「とんぬらっ! あなたってひとはもっと、こう……!」

 

「めぐみん、人を集めたい。空に号砲を頼む」

 

「はあ? 一体何を」

 

 占い師の師匠は予言した。

 将来の族長の王子様。

 そして、

 

「ちょっと、伝説作るんだ」

 

 

 ♢♢♢

 

 

「『エクスプロージョン』――!」

 

 

 空に轟く大爆発は、アクシズ教徒たちの騒動よりも、水と温泉の都の住人たちを驚愕させた。皆、何事かと外へ出て――そのリズミカルな祭囃子を耳にした。

 

 

「ハッスルハッスルッ――!!」

 

 

 爆心地へ注意を向けた人々が目にしたそれは、ひとりの少年を中心にした、空騒ぎだった。

 

 

『ハッスルハッスルッ――!!』

 

 

 この『アルカンレティア』に総本山を置くアクシズ教徒が、総勢、そこで少年に合わせて踊っていた。

 少年を中心にして、円周状に回る。勇者候補の人間がこれを見れば、『盆踊り』という単語を口に零すだろう。

 

 

「ハッスルハッスルッ――!!」

『ハッスルハッスルッ――!!』

 

 

 この賑やかな喧騒に、不思議なことに魔法でもないのに、街の人々は誘われるように集まってくる。

 今朝からのアクシズ教団一丸となって宣伝した結果、仮面の少年は、誰でも知っていた。

 それ以前からも温泉街で水回りの美化活動に精力的だった少年は有名だったし、人気があった。それはアクシズ教団の暴走を止めてくれてることから、エリス教徒にこの街の警察からも評判が良い。

 

 

「ハッスルハッスルッ――! ア、ソレ! ハッスルハッスルッ――!」

『ハッスルハッスルッ――! ア、ソレ! ハッスルハッスルッ――!』

 

 

 そんなこの街で積んできた人徳からか、この一時、少年はまさに神懸ったようなスーパースターであった。

 ガッツポーズを取って飛んだり跳ねたり、両腕を合わせて上に下にとグネグネと振ったり。宴会芸スキル『ハッスルダンス』が、少年にキラキラとした輝きを纏わせている。それに人の目は奪われ、次に心を奪う。最後は体も踊り出してしまう。

 

 

「ハッスルハッスルッ――! ハッスルハッスルッ――!」

『ハッスルハッスルッ――! ハッスルハッスルッ――!』

『ハッスルハッスルッ――! ハッスルハッスルッ――!』

『ハッスルハッスルッ――! ハッスルハッスルッ――!』

 

 

 踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら踊らにゃ損々。

 アクシズ教団の周りを否が応でも巻き込むノリの良さとテンションの高いバックダンサー達も助けとなってるのだろうが、少年の踊りは老若男女、堅物なエリス教徒までも参加させてしまい、さらにその伝染力は街全体にまで広まってる。

 

「……一体、どうなってるんですかコレは」

 

 体力魔力を使い切る爆裂魔法を撃ち放った直後で動けないめぐみんは、踊れずそれを見ていられた。

 

「どうしようもなく馬鹿な行為だと思いますが、どうしてでしょうか。どうにかなってしまうと思ってしまうのは」

 

 見れば、ゆんゆんに治癒魔法をかけ続けていたセシリーまでもその重症者をほっぽり出して踊りに参加してしまっていった。でも、咎める気にもならない。

 

「ええ、実際どうにかなっておりますな」

 

 上体だけ起こしてもらって壁を背に寄り掛かってるめぐみんの傍でゼスタは解説する。

 

「見てみなさい。ゆんゆんさんの毒が消えていきます」

 

 急遽組まれた高台の、『アルカンレティア』全体が行う踊りを一望できるそこにゼスタとめぐみん、そして、ゆんゆんがいた。

 この下には騒動の核となるとんぬらが踊っていて、この高台は中心に立っている。そのせいなのか、上昇気流のようなエネルギーが下から突き上げてくるように感じる。

 

「どうやら、直弟子の踊りは、『ヒール』と同等の効果を発揮しているようですね」

 

「ウソでしょう?」

 

「いえ、本当に。それも、踊っている全員から。住人達からも微弱ながらも『ヒール』の波動を覚えますね」

 

「本当ですか!?」

 

 『プリースト』の資質にないものまで回復魔法と同じ効果を発揮する?

 宴会芸スキル『ハッスルダンス』は相手を元気にするだけで、回復魔法『ヒール』のような効果はなかった。

 

「ハンスの毒は腕の良い『アークプリースト』が数人がかりで数ヶ月間働きかけてやっと浄化できるかどうかのもの。ですが、爆発によって汚染された土地も、それにゆんゆんさんも毒が消えていっている」

 

 街全体で行われる『ハッスルダンス』が、一流以上の『アークプリースト』が数人がかり数ヶ月分の働き以上に匹敵する? バカな、と思うだろう普通は。でも、実際に効いてきてるんだからどうしようもない。

 

「とんぬらは本当に、『アークウィザード』なんですよね……」

 

 我がライバルは、とんでもないようだ。今度、冒険者カードを見せてもらおう。

 そして、ゼスタは直弟子の少年の、紅魔族特有の赤く光る目ではなく、青色の光を湛える双眸を見て、興奮の昂ぶりがより一層強くなる。

 

「やはりとんぬらはアクア様の寵愛が深い」

 

 高鳴る胸の鼓動を何とか落ち着けさせようと息を吐くも、鎮まらない。少女を看護する直弟子にお願いされた役目がなければ、高台から飛び出していただろう。

 『水芸から強力な聖水が出せる』ようになってから予感はしていたが、『踊りで治癒浄化の波動を伝播する』のを見て、確信する。きっと周りで踊ってるアクシズ教徒たちも、直感で悟ってる。内心ではきっと自分のように、歓喜で胸がおかしくなり、踊りに活力を変換して発散できなければ頭がどうにかなってしまうくらいに。

 ちらほらと、仮面の奥の青目を見ては小さくギュッと目を瞑り、滂沱の涙を振り撒いてるのだから。

 

 是が非でも、女神の加護を受けるこの少年を、我が教団に引き込みたい。

 しかし生死の境をさまよった少年は言った。女神様に出会い、運がおかしくなる祝福をされたと。そして、少年が持つ奇跡魔法をいたく気に入ってもらえたと。

 ならば、『アークプリースト』ではなく、『アークウィザード』の道を行くのを応援しようではないか。

 いや、『アークウィザード』ながら、『アークプリースト』の資質を開花してしまってるのだから、もはや職業など関係ない。

 アクシズ教団の代表となりたいのであれば、いつでも迎え入れて、後継に育て上げよう。

 

 そして、『水芸から聖水が出せるようになりました』という文句に、『踊りで回復ができるようになりました』が加わることになった。

 

 

 ……まだだめだっ、あと一押し足りない!

 

 踊りながらもとんぬらは、ゆんゆんの容体を把握していた。おそらく、『使い魔契約』によるものだろう。回復効果は実感する。

 でも、街全員参加の踊りでもまだ足りない。このまま踊り続ければいいのかもしれないが、それでは周り体力がもたない。

 

 ……こうなったら、最後は――

 

 やれるだけのことはやった。

 この99%の奮闘を、不可能を可能に押し上げるための1%の後押し。

 今ならきっと届くと確信した。

 

 とんぬらは、踊りのフィニッシュに、大きく振り上げた鉄扇を、ゆんゆんのいる高台へ突き出し、唱えた。この願いに奇跡を。

 

 

「『パルプンテ』――ッッッ!!!!!!」

 

 

 眠る少女の身体に虹色の光が浸透したかと思うと、猛毒の黒い瑕疵を一切残さず漂白し、全快にした。

 

 

 この日、少年は伝説を作ったのであった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「ふう……」

 

 アクシズ教会の奥にある露天風呂に浸かりながら、とんぬらは深い息を吐いた。

 

 魔王軍幹部ハンスは、見つからなかった。まだ『アルカンレティア』に潜伏してるだろう。でも、あの時、まだ余力のあった魔王軍幹部をこれ以上相手していれば、死傷者も出ていたかもしれない。撤退はこちらとしてもありがたかった。……それで一体どういう働きかけがあったのかは知らないが、『ところてんスライムは、凶悪な賞金首デッドリーポイズンスライムの変異種がスライム仲間を増やそうと行った破壊工作』だと真実は捻じ曲げられて広められた。そんな挑発的な流言にも出てこないことから、街を去ったのか、歯軋りさせて隠れてるかのどちらかだ。

 

 そして、治療は、成功した。根拠もないが、やればできると脳裏にかすかに残る遠い記憶の声が響いた気がして、それで衝動的にやってしまい、できてしまった。我が才が恐ろしいというか、おかしいというか。そけっと師匠から天才ではなく異才と言われるのも納得するというもの。

 

「よし、これからは紅魔族随一の異才という肩書も名乗りに加えるとしよう」

 

 そう決めて湯船から上がると、扉の向こうに人の気配。まだ入ってますとか、ちょっと待ってくださいとか、とんぬらがそんなことを言う間もなく、扉は勢い良く開放。

 入ってきたのは、ゆんゆんだった。

 

「と、とととととんぬらっ! 今日のお礼に、お背中流そうかっ?」

 

 動揺して、声が思いっきり震えてる彼女だが、今の発言から察するにこれは事故ではなく意図的なものだと察する。

 一応、ちゃんと彼女は衣服を身につけており、生まれたままの姿ではないのだが、こちらは局所は反射的にタオルで隠す、外れない仮面もあるもほぼ全裸。で、呆然と意志活動が停滞しているとんぬらを他所に、後ろ手に扉は閉められる。

 

「じゃ、座ってっ」

 

 まだ了承も何もしてないのだが、少年に選択肢はなかった。

 

 

「背中……広いね」

 

 ごしごしと、一生懸命に背中を擦るゆんゆんの声に耳は傾けながら、風呂椅子に座るとんぬらは何も言葉を返さず、石像のように俯いたまま固まっていた。

 

 服は、着てる。マントとローブを脱いで、シャツの腕をまくって、素足で多少は肌色面積は増えてるが、ほとんど誤差のようなものだ。それでも鏡越しに姿が見られない。女子クラスで二番目というが、その幼い顔立ちに反して、ゆんゆんの身体はもう大人と言えるほどに育っている。親のお墨付きだ。しかしそれ以上に、知った仲の美少女が背中を流すというシチュエーションを、13歳のとんぬらにはとても直視できないほど刺激的だからだ。それも、今日、“あんなこと”をしてしまった、意識せざるを得ない相手だ。

 

(なんだ。もう外堀だけでなく、内堀まで埋め立てられてるのか……?)

 

 まだ15歳になって成人もしてないのに……。あ、『娘を頼むよ』と族長の言葉が何度も頭の中をリフレインして、ゾッとする。もしかして、ヤバいか。族長の手が置かれた肩が心理的に重くなる。……呪いが解けても、これは里に帰れないかもしれない。

 

「それに、こんなに大きな傷痕があるなんて……」

 

 そっと背中に大きく袈裟切りにされた古傷を感慨深げに撫でられる。

 

「これは、昔、源泉掃除をする際、山でモンスターに襲われたときの傷だ」

 

「え、大丈夫なのっ?」

 

「実際、死にかけたけど、あの変態師匠に蘇生魔法で助けてもらった」

 

 だから、どうにもあの変態師匠を変態でも師匠だと呼び続けている。命の恩人なんて、一生ものの借りがある相手だ。

 

「よかったぁ……じゃあ、流すね」

 

 岩風呂の湯船から手桶で掬い上げられたお湯が、背中の泡を流していく。丁寧に肩や腕まで洗ってくれた。よしこの生殺しの時間も終わりだ。とんぬらは感謝の言葉を送り退出を促そうと、する前にまた先に言われた。

 

「次は、前を」

「待った」

 

 流石に前は向けられない。勘弁してほしい。

 

「で、でも、お、お礼……」

 

「もう十分お礼は受け取った」

 

 言っても、まだやりたそうにするゆんゆん。

 とんぬらは、そこはこっちが先手を打たせてもらう。

 

「俺は、ゆんゆんを助けたかもしれないが、それで何があったとしても、それは“治療行為”だ」

 

「え……」

 

 呆けるゆんゆんに、さらに言う。

 

「ほら、溺れた人に行う人工呼吸と同じ、毒素を取り除くためにやった。だから、ノーカンだ」

 

「そう、なんだ……」

 

 眼の光が見るからに落ちる。落胆される様子に、心は痛む。凄まじいヘタレだろうが、まだ大人でもないのだから一線を引いておかないとまずいだろう。それに、一体誰が唆したのかはわからないが、アクシズ教団でも一応ここは神聖な教会内のはず。

 だから、これが限界。

 

「………………でも、まあ、嫌な相手にはできなかったよ」

 

 そういってとんぬらは、手近にあった桶を掴み、蛇口から冷水を出してそれをなみなみと溜めると、勢い良く頭に被った。水垢離で頭を冷やして、雑念を洗い流すと、ゆんゆんを残し、浴場から出ていく。

 

 

「………………はう」

 

 まだ世間では大人と認められないが、年頃の女性だ。腰にタオルを巻いただけ。成人してないが引き締まった男らしい身体つき、自分たち女の身体のように柔らかくもなくがっちりとした感触は新鮮で、洗い布越しに手のひらに伝わる彼の体温に妙な気持にさせられたり、それに魔法使いというより戦士のような紅魔族の感性を刺激してくる古傷……少年以上に目のやり場に困っていたのだが、彼がその機微に気付くだけの余裕はなかった。

 

「もう、だめ――」

 

 ばったん、と熱に浮かされぐるぐる目で倒れたゆんゆんは、すぐ傍に待機(覗き)をしていたお姉さんセシリーに救護された。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「おや、紅魔族随一の強姦魔ではないですか」

 

「いきなりご挨拶だな紅魔族随一の天才」

 

 喉が渇いたので教会内の台所へ牛乳でも失敬しようかと来てみれば、食堂にめぐみんがいた。ちょむすけを脇において、彼女は何やら手紙を書いているようで、何気なくそれを覗いて、ピキッととんぬらは固まった。

 文章の一節。

 『こうして、とんぬらは、ゆんゆんの初めての唇を奪い、激しく……』、と。

 

「めぐみん、一体その手紙は……」

 

「ああ、これですか。実は族長から出来たらでいいから経過を報告してくれと頼まれていたのですよ。出掛け前に族長から、結構な報酬金も前払いでもらいましたし、おかげで教会に来るまでの一週間を生き延びれました」

 

 つまり、こいつは族長の雇った密告屋をやってるのか。

 口封じしないと、里に帰った時どうなることか。紅魔族随一の占い師との雑談が予言だったとしても、誤差の範囲は年単位であってくれ。覚悟を決めるためにもまだ猶予は欲しいと思うとんぬら。

 

「なあ、めぐみん。俺と交渉しないか」

 

「私は高潔なる紅魔族です。そう、誇り高い紅魔族なのです。そう簡単に心動かされるような安い女ではありませんよ」

 

「お願いだから崖っぷちから突き落とすような真似は止めてくれませんか。さっきもわりとギリギリなところを回避できたとこなんだ」

 

「ほう、何です? また何をやらかしたんです。教えてください。それも報告に加えますから」

 

「絶対に言わん」

 

 完全に弱みを握った上の立場で、手玉に取るのが面白がってる様子のめぐみんを説得するのは無理だろう。無理やりやれば、自分も襲われたなど誇大にして報告しかねない。

 

「……じゃあ、せめて俺にも一筆加えさせてもらえないか」

 

 無駄かもしれないが言い訳はしておきたい。

 

「それくらいなら、構いませんが、書ける文字数はあなたの誠意次第です」

 

「なら、もうすぐ『アルカンレティア』を出るめぐみんに合わせて一緒に『アクセル』へ行くよ」

 

 めぐみんは、考案した勧誘方法が、ゼスタに気に入られ、より精錬すれば街の名物になると太鼓判を押されて、報酬までもらったのだ。それで『アクセル』までの馬車代が払えるという。

 

「あんたもひとりで行くのは不安だろ。うちの相方もきっとあんたと一緒に旅がしたいだろうな。俺も目を離すと心配だ」

 

「……私は別に構いませんが、あなたたちはここに呪いを解いてもらいに来たのではないのですか?」

 

「ああ。それは、いいよ。どうやら変態師匠には手に負えないみたいだからな」

 

 それくらい相談せずともわかる。遊び人だが、目の前の悪魔アンデッドを見逃すことができないように、呪いを放置できる人ではない。

 最初からゼスタが仮面の解呪ができないとわかってたから、あえて希望を残すように一週間以上話を聞かないようにしていたことに直弟子は勘付いてる。

 

「入信書は取り返しておきたかったんだが、無理そうだしな。この街一番の『アークプリースト』の汚点をこれ以上作らせず、発つことにするよ。ああ、でも、ゆんゆんが病み上がりだし、大丈夫だとは思うが念のために一日は待ってくれないか。支度も済ませておきたいし」

 

「……いいでしょう。『アクセル』には、爆裂魔法を使える、美人で巨乳の魔法使いがいると聞いてますが、族長から経過報告を頼まれてますから。一日くらいは待ってあげます」

 

「感謝するよ」

 

 風呂上がりの牛乳をいただき、族長への弁明を許可された文字数いっぱいまで書き記させてもらうととんぬらは食堂を出ていき……

 

 

 ♢♢♢

 

 

「『セイクリッド・ブレイクスペル』――!」

 

 ノックをして執務室に入ると社交辞令もなしにいきなり魔法をかけられた。

 とんぬらの身体が白く輝かしい光に飲み込まれ……でも、仮面は外れない。

 

「おや、馬鹿弟子でしたか。夜更けにやってくるから悪魔かと思いましたよ」

 

「ついにボケたか」

 

「何を言いますか、私はまだまだ現役です。色々とね。それで何の用ですか?」

 

 いくら魔法使いでも修練を受けたんだ。僧侶の使える魔法くらい知ってる。

 今のは悪魔を祓う退魔魔法ではなく、対象に掛けられた呪いを解除するための解呪魔法。

 そんなのは脅しにも攻撃にもならない。

 ……わざわざ無理と分かっても、試してくれたのか。

 

「これだから、あんたはやり辛いんだ」

 

 つい愚痴るような言葉を零してしまう。憎まれ口もうまく言えなくさせる。

 呪いを解くことができなかったなんて不名誉、教団最高レベルの『アークプリースト』に作らせてしまったし、これ以上余計な時間をかけず、言いたいことを言ってしまおう。

 

 

「明後日、『アルカンレティア』を発ちます。

 

 

 

 ――師匠……お世話になりましたっ!」

 

 

 深々と頭を下げ、とんぬらは師ゼスタのいる部屋から退出した。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ――水と温泉の都に来てから、ちょうど十日後。

 

 病み上がりなのに湯当たりしたゆんゆんの看病と、教会の岩風呂を爆裂魔法で大拡張しためぐみんの介護と面倒をかけられたが、とんぬらは旅の準備を整えた。

 

 乗り合い馬車の待合所。

 そこで三人は『アクセル』行きの馬車に乗り込む前にアクシズ教団の見送りを受けていた。

 

「ぬら様! 新代表の改良された『ハッスルダンス』は、アクシズ教徒の必須スキルに認定されました」

「いや、俺、アクシズ教徒じゃないからな。猫耳神社の神主となる者だからな。招き猫扱いされるのはもう諦めたけど、そこは絶対に譲れないからな」

 

 猫耳を普及した教徒らに囲まれるとんぬら。

 そして、めぐみんとゆんゆんには、ゼスタとセシリーがいた。

 

「いやはやまさか爆裂魔法を使えるとは思いもよりませんでしたよ。めぐみんさんには感謝のしようもありません。あれだけ広い風呂なら、教会の者全員で入ることだってできるでしょう」

「混浴にはしませんよゼスタ様」

「混浴というのは、同士としての絆を深めるのにもってこいの場でして。ほら、ゆんゆんさんも」

「わ、私は背中を流しただけですからっ! と、とんぬらと混浴してません!」

「ふふ、可愛かったわぁ、ゆんゆんさんもだけど、顔を真っ赤にしたぬら様も。魔道具で映像に残せなかったのが残念ね」

「何ですかゆんゆんそれ私初耳ですよ。どうして教えてくれなかったんですか。報告に入れられなかったじゃないですか」

「だ、だって、こんなのめぐみんにだって言えるはず……え。報告? ……って、どういうことよめぐみん!」

「まあ、何にせよ、あの露天風呂はアクシズ教団の秘湯とします。この街にまたお立ち寄りの際には、是非とも訪ねてきてください」

「そうですね。私に仲間ができて、皆で旅行でもしたいという話になったなら。真っ先にここに来ますよ」

「ちょっとめぐみん! 報告ってどういうことなの! 誰に? まさかお父さん!?」

「その時をお待ちしております。その折には、本気になった我々の力を見せてあげましょう。めぐみんさんのポケットというポケットを、アクシズ教団入信書でパンパンにしてあげますとも!」

 

 なかなかカオスな送り出しに片や動揺、片や苦笑しながら、そして、もうひとりはその話題で絡まれないように離れたところで気配を消す。

 それから、アクシズ教団の代表は、突然、両手を組む祈るポーズを取り、

 

 

「――あなたの旅の無事を祈り、女神アクアの祝福を! 『ブレッシング』!」

 

 

 幸運値を上昇させる僧侶職の支援魔法。

 最後にこの『アークプリースト』らしい祝福を受けためぐみんとゆんゆんは、はにかみながら頭を下げた。

 そして、少女二人に幸福を授けたゼスタは、直弟子とんぬらへと視線をやり、

 

「ぺっ」

 

「てめ」

 

 地面に唾を吐いてくれた。

 

「私がいながら代表の座を狙う不届き物の弟子にはこれで十分でしょう」

 

「あんた、人気取られたからって、本当の大人げない真似をするよな。次期最高司祭のクセに」

 

 まあいい。

 別れの挨拶はもう済ませたのだ。

 とそこで、セシリーが名残惜しそうにしながら、ずっしりと重い袋をとんぬらに手渡した。

 これは、アクシズ教団の餞別……ではない。

 

 三人で中を覗くと、あった紙束はエリス紙幣ではなく、『アクシズ教団入信書』……

 

「これを全て捌けたら、私の後釜として認めましょう」

 

「いるか!」

 

 とんぬらはゼスタへ袋ごと紙束をぶん投げた。

 

「――お客さん方、よろしいですか? 『アクセル』行きの馬車、そろそろ出発しますよー!」

 

 御者台の人が声を張り上げた。

 ――駆け出し冒険者の街『アクセル』。

 そこに最年少の『ドラゴンナイト』がいるそうだが、果たして見つかるだろうか……

 

「『アクセル』行き乗り合い馬車。出発します!」

 

 走り出す馬。動き出す馬車。

 最後に一度、水と温泉の都を見納めようと振り返れば、ゼスタがとんぬらが投げ返した袋から、見せびらかすように、半分に千切れた名前記入済みの教団入信書を取り出したではないか。

 

「ああああ!」

 

「はっはっは! 実は一番底にあったのに気づかなかったようですな。しかし、これを私に渡してくれたということは、これはアクシズ教団でいたいという意志表明として受け取っても構いませんな?」

 

 『ぬら』の入信書を神官服の懐に仕舞い込むゼスタに、手を伸ばした姿勢のとんぬら。加速しだした馬車を止めることはできないし、飛び降り下車なんてすれば迷惑がかかる。まんまと嵌められたことに、同行者二人にぷっと噴き出すように笑われ、

 

「この、変態師匠おおおおっ! 次会ったら絶対に入信書奪ってやるからなああああっ!!」

 

 少年の慟哭が、水の都に向けてむなしく響き渡った。




誤字報告してくださった方、ありがとうございます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。