この素晴らしい願い事に奇跡を! 作:赤福餅
「とんぬら、ようこそ死後の世界へ。私の名は、アクア。日本において――って、この子、エリスの担当じゃない! どうして、こっちに来てるのよ!」
目を開けると、机とふたつの椅子しかない空間にいて、人間離れした美貌をもった女神のような女性が何やら喚いていた。
淡く柔らかな印象を与える透き通った水色の長い髪。そして、瞳も髪と同じ色。
出過ぎず、足りな過ぎずな黄金比の肉体を、淡い紫色の俗に羽衣と呼ばれるゆったりとした服に包まれている。
見た目の年齢は十代後半くらいだが、おそらく違うのだろう。超常の存在だというのは一目で何となくわかった。
「この日本担当のエリートの私に、こんな辺境担当の仕事をやらせようだなんて! 文句言ってやるわっ! でも、どこに言ったらいいのかしら? とりあえず今度エリスに会ったら、まずその胸パットを取り上げて……」
そして、これにあまり関わっちゃいけないというのもよくわかった。
――僕は……死んだのかな。
はっきりと覚えてないが、モンスターに襲われる直前で記憶が途切れてる。
知性は高いも、まだ幼児。こんなにも早く死んでしまうなんて、親やみんなに申し訳なくなってくる。きっとこれから僕は5歳にもなってない子供が送られる河原でオーガたちに邪魔されながら石積みをやるのだろう……
「じゃ、ちゃっちゃと仕事終わらせ………あら? あなた、私の洗礼を受けたうちの子? それもなかなかすごい資質があるじゃない」
何かに気付いたのか、ずっとグチグチと言ってた女性の声の調子が神妙なものに変わる。
「それに、『アルカンレティア』でモンスターに襲われて……源泉掃除するために山に入っちゃったのね……ふんふん、私の女神像を磨いてくれたりと中々信仰心が高いじゃないこの子。だから、私のところに間違って送られて来ちゃったのかしら」
なんだろうか。打って変わって、やけに感心したように頷く女性。恐る恐る、
「あの、お姉さん、僕……オーガに妨害されながら河原で石を積むんですか?」
「はあ? なにそれ? 賽の河原? 日本文化だけどそれ……へぇ、なるほど。昔、私があげた特典魔法を引き継いでるのね。日本人専用だからほとんど滑る魔法になってるけど」
また裡を覗かれて面白がるように笑みを深める女性。
《水の女神アクア様。どうかこの幼き命をお救いください――『リザレクション』!》
遠くからこの虚空に響いてくるのは、師匠の声だ。
ああ、そうか。きっと目の前にいるのは女神様なんだ。
「もちろんいいわ。この子は優秀で敬虔なウチの子だし、なにより面白そうだもの。うん、せっかくエリスじゃなくてこっちに来てくれたんだし、思いっきり祝福して送り返してあげる」
「いえ、蘇らせてくれるだけで十分です。女神様にそんな贔屓されるわけには」
「いいのよいいのよ。ウチの子なんだからそんな遠慮しないで。でも女神に対して慎み深いのもますます気に入っちゃったわ。できれば何か特典でもあげたいんだけど……流石にそれは天界規定上マズいわよね。――あ、そうだ。それならこの子がもともと持ってる特典魔法の性能を日本人と同じくらいにしちゃって……いや! どうせなら、とても見所のあるウチの子なんだし、それ以上に――あ、心配しないで! 私達神々の親切サポートで、ほんのちょっと脳に負荷をかけるだけですぐだから!」
とても気合が入っているようだけど、あまり調子に乗り過ぎて逆に不安になってくるのは気のせいだろうか。能力を格段に上げてくれるダイジョーブ博士という話を聞いたことがあるが、それは成功確率が低くて、失敗したらとんでもないペナルティがかかるというし……
『いいです本当に! やめてください!』という前に頭上から明るい光が降り注ぎ、ふわりと体が浮かび上がった――そして、その時、予感は的中した。
「あ、あら? いつもより気合い入れて祝福したら、運のステータスがバグっちゃった……」
でろでろでろでろでーん。
頭の中に、呪いを受けたような不気味な効果音が響いた。
「そうよね、この子は日本人じゃなくてエリス担当の辺境だし、いつもと勝手が違うのも当然……ご、ごめんねっ。でも、特典魔法のおまけしてあげたんだしそれでチャラよね?」
てへぺろ、とお調子者の女神に拝まれながら、意識はそこでふっと途切れた。
以降、少年は師匠より『
♢♢♢
アクシズ教団最高責任者ゼスタが連行されて翌日。
「――いいか。事件の真相を突き止め、変態師匠の嫌疑を晴らす。じゃないと俺がアクシズ教団の最高責任者になる。だから、お願いします! お二人の力を!」
同級生の少女二人に土下座する少年。
額に地を擦り付けて頭を下げるほど切羽詰まってるとんぬらの様子に、ゆんゆんとめぐみんは互いに見合わせてから頷き返してくれた。
「協力することは吝かではありませんが、そんなに頭を下げなくても良いですよ」
「そうよ。とんぬらがアクシズ教団の最高責任者になるのは私も困るし……」
「ありがとう、めぐみん、ゆんゆん!」
三人寄らば文殊の知恵。子供なれど知力の高い紅魔族が三人でかかればどんなに難事件だろうと解決してみせる。
「大丈夫よ、ゼスタ様なら。今頃女騎士の尋問を受けて喜んでいらっしゃるでしょうし。それに、私はゼスタ様よりぬら様に最高責任者になってほしいんだけどなー」
不平を言ってきたのは、たったひとり教会に帰ってきた女性信者のセシリー。彼女が発端となって、とんぬらは追いつめられる展開になってるのだが、それについては何も言うまい。何であろうと、現代表の疑いが晴れれば、とんぬら新代表の話はお流れになるのだから。
「ほら、ぬら様は猫耳神社の神主だけど、そこは新しく代表が変わるときに、“猫耳アクシズ教団”にしちゃえばいいんじゃない?」
「ぬ、それは確かにいい案かも……」
「ダメだよ! とんぬら、そっちの道に行っちゃダメ!」
「っ、ああ、そうだな。とてもアクシズ教徒なんて暴れ馬の幉を取れるとは思えないし」
セシリーの言葉に靡きそうになるも、ゆんゆんに引き止められた。
「よし、情報をまとめよう。まだ警察の人たちが調査している段階だが、変態師匠がお湯の管理を任されているのは確かだ。実際に管理している温泉から苦情が相次いでる。俺も温泉掃除を手伝った時に実際にその異変を見た。でも、あれが魔王軍がやった破壊工作とはとても思えないし、変態師匠が魔王軍と繋がっているのだけはありえない。もしそうなら、本気でアクシズ教団の新代表にでもなってやる」
「ですが、そけっとの占いはほぼ必中ですよ。未来を見通す悪魔の力を一時的に借りて、凄い精度で占うそうですから」
「ああそれだが、変態師匠が魔王軍とは無関係で、かつそけっと師匠の予言が的中していると考えれば納得がいく」
「それってどういうことなのとんぬら」
「そけっと師匠の占いは百発百中だが、誤差はあるんだ。本人も天気占いで曇りと視たのに五分ほどにわか雨が降ったと言ってただろ。まあ、本当に些細な誤差だが、予言の内容には厳密に時期が書かれてなかったはずだ。『『アルカンレティア』の街に、やがて危機が訪れる』だったと思うが、“やがて”と時期の指定が曖昧だろ。だからこれも誤差の内、いわば“曇りの間のにわか雨”な事件なんだ」
「そっか! じゃあ、これはそけっとさんの占いとは関係ない事件なのねとんぬら!」
「その可能性があるってだけだ。俺はそれを信じてるけどな」
「占いが指す異変とは別件。確かにそれならば納得がいきます。いつになく頭を働かせますねとんぬら」
「それほど俺は追いつめられてるんだよ。本当、なんで最近、崖っぷちに立たされることが多いんだ俺」
嘆くとんぬら。いつこんなにも不幸な展開に見舞われやすくなったのだろうか。
「私は、ゼスタ様は黒だと思うわ。何なら、ゼスタ様が黒だという方に1万エリスを賭けても構わないわ」
「俺もあんたの言う通り、あの変態師匠が黒だとしてもおかしくないと思うが。こっちは魔王軍と繋がってる嫌疑を解消すればいい。そしたら、外患誘致罪なんて取り下げるだろうしな」
そして、とんぬらは頭痛を堪えるかのような微妙な表情で、
「あんな温泉の水道からところてんスライムが出てくる頭の悪い妨害工作なんて、魔王軍よりアクシズ教徒がやらかした方が納得する」
♢♢♢
ところてんスライムとは、食用に適したスライムの寒天質を集め、乾かし粉にし、味付けしたもの。白い粉末状のところてんスライムをお湯に溶かせばとろみが出て、冷やせばプルプルとゼリー状に固まる美味しい飲み物だ。
それが温泉の蛇口を捻れば出てくる。おかげでぬっとりとしてるから風呂掃除がいつもよりも大変であった。
普通ではないから異変なのだろうが、よく警察もこんな異変で予言通りの魔王軍との繋がりにこじつけられたものだ。いくら凄腕の占い師の予言でも、魔王軍がこんな破壊工作をしていったい何になるのか?
ちなみに温泉に出てくるところてんスライムは、グレープ味である。
(……そけっと師匠から『スライムに気を付けろ』と忠告されたけど、まさかところてんスライムなのか?)
ところてんスライムは食品の特性上よく嚙まずに飲み込む人が多く、それで喉を詰まらせて亡くなる方が毎年現れる。嫁入りした奥さんが、姑の誕生日に贈る物として人気の一品だそうだが。まさか紅魔族随一の占い師は、とんぬらが温泉から出たところてんスライムを飲んで窒息してしまうとでも言いたかったのか?
「ふーむ……占いは無視できないけど、いくらなんでもそんなバカな死に方はしないぞ俺」
「とんぬら、その子落ちそうだし、私が預かろうか?」
「何ですか。私のちょむすけに対抗して飼い始めたんですか。いいでしょう! 戦わせてみましょうか!」
「ところてんスライムが出るようになるなんて! ええ、苦情を受けたアクシズ教団の者としては、綿密な調査をする必要があるわね!」
先頭に変異種の豹モンスターを器用に頭の上に乗せる仮面の少年とんぬら、その後ろで不安定な場所にいるモンスターが気になってるゆんゆん、そして、対抗心を燃やして、毛玉を突き出そうとするめぐみん、一番後ろに好物ところてんスライムのアクシズ教の女性信者セシリーがついてくるパーティ編成で向かった先は、給湯所。
「昨日、源泉掃除しに山へ行ったが、そっちには特に異変がなかった。だから、問題が起こっているのだとすれば、山の源泉からパイプを使ってお湯を引き各温泉へと中継するこの給湯所だ」
温泉街の生命線と言ってもいい施設。そして、これをアクシズ教団が握っているからこそ、『アルカンレティア』でマイナー宗教でありながら幅を利かすことができるのだ。
「ここのお湯の浄化や設備の清掃は、アクシズ教徒が交代でやることになってる。だが、昨日に限って何故かあの変態師匠が掃除をやったそうだ。これが嫌疑の一因ともなってる」
「それじゃあ、私と会う前に……」
「どうしたゆんゆん? あの変態師匠が何かしてきたのか? 変なことでも吹き込まれたか? 言ってくれ、何なら代わりに変態師匠をぶん殴ってやってもいい」
「あ、ううん! 何でもないよ全然!」
両手をわたわたとさせるゆんゆん
なんともあからさまなそれにとんぬらはひとつ頷いて、
「そうか。なあ、めぐみん」
「知りませんよ私は。きっと合流する前の話なので……だいたいは予想がつきますが」
「きっとね、ゆんゆんさんはそのときゼスタ様から混浴の」
「わああああああ!!!!!!」
掻き消すほどの大声をあげて急に飛びついてくるゆんゆんを、セシリーは待ち構えてたかのように受け入れて抱きしめる。口留めしたり、その相手から宥められたりするおかしなやりとりからとんぬらは視線を外し、
「……わかった。これ以上は何も訊かないでおく」
「ヘタレましたね」
「うるさい。それで話を戻させてもらうが、あの変態師匠が風呂掃除をするのは妙なんだ」
「何がおかしいんですか」
「誰かに聞いてるかもしれないが、この街随一の『アークプリースト』だが、教団内で変態師匠の担当する仕事はない。懺悔も運営も治療も、そして、掃除もしない。昔はずっと水回りの掃除を押し付けられてたし、最初は教えてもらおうとしたんだが重曹と塩を間違えたんだ。もしかしたら今も掃除の仕方もわかってないかもしれん。ふむ……」
しばし、とんぬらが手を口元にやり考え込む。
その間に、給湯場へ到着すると、そこにはすでに先客がいた。
「……む、アクシズ教徒か。遅かったな、すでに証拠は回収されたぞ」
そこにいたのは手に大きな袋を抱えた数名の警察官たちだ。
「俺はアクシズ教徒じゃない」
「なにを言うか。今も街のあちこちで仮面の似顔絵を描いたビラまきをして、新しい代表だとアクシズ教団が触れ回ってるではないか」
「本当に、アクシズ教団じゃないんです。選挙にも立候補してません。彼らが勝手にやってるんです」
「お、おお、そうか。すまなかった」
泣きが入りそうになるとんぬらを、哀れむ目で見やる警官たち。
これはもう今日中に真相に辿り着かないと手遅れになるかもしれない。
警官たちの態度が軟化したところで、めぐみんが指摘する。
「その袋の中身がところてんスライムの粉だったんですか? ということは、本当にゼスタさんがこんなバカなことを……?」
「ああ。昨日、ゼスタ殿がこの袋を、施設内に持ち込む姿も目撃されているという。証拠は山のようにあるのだ、これは流石に言い逃れはできんよ」
「目撃者までいるとは……」
これはもう人生詰んだかもしれないな、とめぐみんはとんぬらへ視線をやる。
「しかしゼスタさんは、どうしてこんなバカなことをしたのでしょうか。はっきり言わせてもらえば、温泉をところてんスライムに変えるだとか、凄く頭が悪い破壊工作ですよ」
「ああ、俺達にもなぜこんなことをしたのか、理由がさっぱりわからん。温泉をダメにしたいのなら、いっそ毒でも垂れ流せばいい。だが、これをやらかしたのがアクシズ教徒だと言われてしまうと、途端に納得できてしまうんだ」
普段から突拍子もない事ばかりするアクシズ教徒だから、大した理由がなくてもやらかすだろうと。ある意味信頼されてる。
「そんな……変な人だったけど、そこまでの悪人には見えなかったのに……」
ぐうの音も出ない結論にゆんゆんは沈んだ声を出す。
短い間だったとはいえ、ゼスタと関わり合いになった間柄だ。
その人が魔王軍の関係者だったというのは、やはりショックなのだろう。
そして、同じアクシズ教団のセシリーは、
「ここの施設がところてんスライムの投入口だっていうのなら、ここの蛇口から飲めばまだ清潔よね。ねぇ、誰かコップ持ってないかしら。後、『フリーズ』の魔法が使える人いない?」
己の欲望に実に素直だった。
そして、ゼスタの直弟子は、
「――謎は全て解けた」
真相に至ったと言い切ったとんぬらに、周りの視線が集まる。
「教会に戻って台所でひとつ確かめないといけないが、きっと俺の推測は当たってる。この事件は慣れないことをしてしまったが故に起こってしまった、悲しい行き違いだ」
「それじゃあ、ゼスタさんが魔族の関係者なの?」
「ゆんゆん、勘違いするな。変態師匠を死罪にせずに釈放させてやるには、ところてんスライムを温泉に垂れ流した犯人=魔王軍の手下という予言が繋がらないことを証明すればいい。そして、実はそれは簡単なことなんだ」
「そうなの!」
「ああ」
とんぬらは、警察官たちにひとつお願いをする。
「ひとつお願いがあります」
「なんだね。事件の解決につながる事か」
「変態師匠……アクシズ教団最高責任者ゼスタに、魔道具による嘘の判別を使って、『あなたは魔王軍の手先か』と質問してみてください。それで嫌疑は晴れるでしょうから」
♢♢♢
「だから言ったのですよ! 敬虔なるアクシズ教徒である! この、私が! そう、この私がですよ!? この、アクシズ教団最高責任者である私が、魔族なんかに手を貸すわけがないではありませんか!」
「すいません、ゼスタ殿! どうか、もうその辺で……」
警察署の前で待ってると、グッタリした様子の女騎士に連れられた、何だかツヤツヤしたゼスタが出てきた。
思った通りに、嫌疑をかけられていた湯の管理者ゼスタはあっさりと釈放されたのである。
「ああ、担当の眼鏡をかけた検察官! あの人『アクセル』の街に異動になるのでしょう? きちんと言っておいてくださいよ。駆け出しの街に行っても、清く正しい人間を捕まえ冤罪を被せるなどという失敗は、くれぐれも繰り返しませんようにとね」
「か、かしこまりました……私共々、手違いで敬虔なるアクシズ教徒のゼスタ殿に不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません」
署内より連行した女騎士、それから証拠が山ほどあると宣言した警察官たちが全員揃って、勝ち誇って調子に乗りまくるアクシズ教団最高責任者にペコペコ頭を下げている。
「いやあ、私の貴重な時間がたっぷりと削られてしまいました。本当に、どうしてくれましょうか。本来ならば、足元に這いつくばっていただいて、足の指のひとつもぺろぺろしてもらうところですがね」
「誤認逮捕してしまい、誠に申し訳ありませ……」
深く頭を下げてくる女騎士の頭の上に、手にした扇子のようなものをぺしと載せ、
「謝って済むならあなた方の仕事はなくなりますな! 仕事がなくなって無職になったなら、いつでも我が教団にお越しくださ」
「そこまでにしておけよ変態師匠」
あまりに調子に乗り過ぎなので、とんぬらは割って入る。
すると署前で出待ちしていた直弟子の顔を見て、
「ぺっ」
「おい」
とんぬらへの返事とばかりに地面へ唾を吐く。
「わざわざ馬鹿弟子が迎えに来てくれるとは思いませんでしたよ」
「あんたに噓を見抜く魔道具を使って調べてくれって頼んだのは俺だからな」
「おや、それならばお礼を言っておかねばなりませんね。おかげで嫌疑は晴れましたよ。あの自信満々だった検察官の冷酷そうなあの顔が、徐々に泣き顔になるのは大変美味しかったです」
ああ、だから、こんなにつやつやしてるのかこの人。
「しかし、警察署にいながら、色々と聞きましたよ! 何でも私が逮捕されてから、あなたが教団の新代表に立候補しようとしたとか。教団の人々を使って街中にビラ配り、邪教徒エリスの手まで借りて大騒ぎだとか……。まったく、恐ろしい直弟子ですな。私が不在の間に教団を乗っ取ろうとは。ですが私が戻ってきたからにはもう好きにはさせませんよ」
わなわなと慄くゼスタに、ピキッと青筋が浮かぶとんぬら。
この変態師匠の釈放を望んでいたのだが、ムカつくものはムカつく。せっかく“死罪は”回避させたというのに。
「変態師匠、直弟子として釈放祝いにサービスドリンクを奢らせてくれないか」
「何です。今更、私のご機嫌取りをしようなどと」
「まあ、駆け付けに一杯だ」
道端にもかかわらず、用意していたとんぬらは、コップを出すと、そこに白い粉末を入れる。飲食業でバイトしていたからか手慣れた手つきだ。
「おお、ところてんスライムですか」
「どうぞ」
鉄扇から水芸を使い、コップに水を注いでサッとかき混ぜる。
手渡されたコップを、ゼスタはぐいっと煽って、
「しょっぱい!? なんですかこれ、ところてんスライムじゃないじゃあないですか!」
ぺっぺと口に含んだものを吐くゼスタに、嘆息してとんぬらは回答する。
「ああ、混ぜたのは、ところてんスライムの粉末じゃなくて、重曹だからな」
「何故、このような真似を――はっ! まさかこの私を亡き者に……!」
「するか! ちゃんと重曹も食用の奴だ!」
何事かと見てる警察職員の方々に、とんぬらは深く頭を下げる。
「ただ今実証された通り、変態師匠は、ところてんスライムと重曹をぱっと見で識別できる眼力は持ってません。風呂掃除も滅多にやらず不慣れなんです」
「は、はあ、何故あなたが頭を下げ」
「教会の台所を調べました。浴槽掃除用の重曹はほとんど減っておらず、代わりにアクシズ教団の女性信者が多量に隠し持っていたところてんスライムの粉末が紛失していたそうです」
「それは……――」
はっ! と顔を上げた女騎士の思い至った様子を確認してから、とんぬらは申し訳なさそうに答えを告げる。
「あなた方が調べた通り、給湯場にところてんスライムを混入した犯人は変態師匠です。でも、それは重曹とところてんスライムを素で間違ってしまったから起こったもので、事件じゃないんです。魔王軍の破壊工作だとか関係なく、不慣れなことをしたバカな最高責任者のうっかり事故です」
それまで頭を低くしていた女騎士筆頭の警察職員一同、無言ですくっと背筋を伸ばした。
「捜査にご協力、大変ありがとうございます。あなたのおかげで真相がわからずあやうく迷宮入りしそうだった事故が解決されました」
「いえ、善良なる冒険者として協力したまでです」
女騎士より握手を求められるとんぬら。
その隣で、そっと女騎士の足元に跪くゼスタ。
彼は悪魔とアンデッド以外はすべてを許せる大きな心の持ち主。SMの両方とも行ける性格である。
「貴重な時間がたっぷりと削ってしまい申し訳ありません。つきましては、私、足元に這いつくばり、皆様の足の指をぺろぺろして」
「やめろ変態師匠!」
♢♢♢
アクシズ教団は責任もってところてんスライムがなくなるまで浴槽掃除のボランティアが任じられた。
事件解決に協力したとんぬらはその謝礼は断り、代わりにゼスタの釈放をお願いした。警察もアクシズ教徒随一の問題児を抱え込むのを嫌がったのだろう。
それから、“アクシズ教団の成功例”という名を知らしめることになったとんぬらは、是非とも新しい最高責任者になってくださいと女騎士らに頼まれるも、それは本気で拒否した。
「よかったね、とんぬら。これで最高責任者にならなくていいんだよね」
「ああ、本当に疲れたけどな。精神的に」
教会への帰り道。
次期最高司祭と女性信者、大人ふたりがところてんスライムについて言い争いを始めたのでそれを放置して、帰路を行く子供たちは肩の荷が下りたように気が楽だった。
「中々の推理劇でしたよとんぬら。さすがは男子クラスの首席卒業ではありますね」
「はいはい、称賛の言葉ありがとうな紅魔族随一の天才。まあ、昔、変態師匠の後始末をやってたからすぐにピンと来たのもあるんだけどな」
「随分と大変だったようですが、しかし何故、とんぬらはあの人を師匠などと呼んでいるのですか? アクシズ教団で最もレベルの高い『アークプリースト』だとは聞いてますが、これまでのところあまり尊敬できる点は見受けられないのですが」
「ああ。実は俺、あの人に――」
シャアア! とそのとき、ゆんゆんの胸に抱かれていた変異種の仔豹が威嚇の声をあげた。
それまで大人しかったのにいきなり歯を剥いたことに抱えていたゆんゆんは驚き、とんぬらは仔豹が睨みつける先へ視線をやった。
「ようやく、余計な邪魔者はいなくなったな」
――そこにいたのは、浅黒い肌の、短髪で茶色い髪の男。
涎滴る舌で口元を舐める、ご馳走を前にしたような雰囲気を醸す。
「そっちの娘に目を付けてたんだが、こりゃ紅魔族が3人か。いいね。どれも美味しそうだ」
男が放つ只ならぬ気配に、二人を下がらせ、鉄扇を引き抜いたとんぬらが前に立つ。
「ほう、俺と戦う気か。小僧のクセに度胸が据わってるじゃねぇか。だが、俺の正体を知ってもその虚勢がもつかな」
対峙して、わかる。
こいつは、この前戦闘した上級悪魔以上の怪物だ。
「あんた、何者だ……?」
「俺の名はハンス! 魔王軍幹部、デッドリーポイズンスライムの変異種、ハンスだ!」
三人は、ぎょっと大きく目を見開いた。
人類と敵対する魔王軍の幹部。そして、掠っただけでも致死的な毒を持つデッドリーポイズンスライムの変異種。強い魔法抵抗力を持ったスライムで、紅魔の里の大人たちが相手をしても危ういかもしれぬ、『アークウィザード』の天敵だ。
「紅魔族のガキども。与えられる選択肢は二つだ。このまま俺に食われるか、それとも戦って食われるか。どっちにしろ腹ペコの俺を満足させるまで逃がす気はないがな」
突き出したハンスの腕が、人間の形から融け崩れながらとんぬらたちの方へ伸びる。どす黒い液体状のそれは、デッドリーポイズンスライムの変異種の身体。少しでも触れれば致死。上級魔法でも通用するかどうかの魔法抵抗力。防ぐ手段は、ない。
「『モシャス』――ッ!!」
瞬間、ハンスの腕と同じように胴体を漆黒の液体状に変化させたとんぬらが壁となり、毒手を受け止めた。
デッドリーポイズンスライムの変異種の毒に触れたものは死ぬ。しかし、デッドリーポイズンスライムの変異種そのものとなれば、毒が通用しない。ハンスは思いもよらぬ出来事に呆気に取られてる間に、変化魔法でハンスになったとんぬらは毒手を捕まえたまま、二人から距離を取って、自分以外は接近されたらまずいデッドリーポイズンスライムの変異種から離す。
「はっ! これまで人間に擬態したことはあったが、人間に擬態されたことはなかった! 面白いぞ貴様!」
「物真似芸が気に入ってもらえて何よりだ。だが、お捻りは不要。ここであんたの命を頂戴するからな!」
変化魔法を解いたとんぬら。数秒とはいえ魔王軍幹部に化けたのは思った以上に魔力を使った。それでも、まだ奇跡魔法を撃てるだけの余力はある。
この上ない危機だ。逆境になればなるほど強運となる己の『不幸』に賭け、とんぬらは呪文を唱えた。
「『パルプンテ』――ッ!!」
発動した効果を理解し、とんぬらは相方の少女へ叫んだ。
「よし! 檻を頼むゆんゆん!」
全開に広げた鉄扇を大きく構えるとんぬら。
そして、銀色のワンドをハンスに向けたゆんゆんが渾身の魔力を篭めた魔法を放つ。
「『ウインドカーテン』――!!」
ハンスに展開されたのは、渦巻く風のバリアで遠距離攻撃を防ぐ支援魔法。
「はあ? 俺に上級魔法以下は通用しないが、それで支援魔法だと? 何考えてる、馬鹿なのか」
「壁は反転すれば檻になる。冷気を一切逃がさないためのな!」
振り払った鉄扇より吹雪くのは、かつて一撃熊を瞬間凍結したものと同じ。
その時以上に強力になった奇跡魔法より繰り出される凍てつく波動を、風の檻が漏らさずに閉じ込める。
「ッッッ!? あああああ!?」
とんぬらとゆんゆんの合体魔法が、限定空間で氷河期を呼び込み、ハンスの身体を凍結させていく。
子供と侮った相手が、まさかこれほどに強力な魔法を放つとは思っていなかったのか。悲鳴を上げるハンス、しかし完全に凍らされた右腕を叩き折ると、新しく生やした半透明の腕を吹雪の檻を突っ切ってとんぬらへ伸ばす。
「死ね小僧!」
「とんぬら!?」
奇跡魔法に集中していて変化魔法の出来ないとんぬらは、その毒手に成す術もなく――直撃する寸前、光の壁が割って入った。
「『リフレクト』!」
聖なる防護は、魔王幹部の毒手を跳ね返し、ハンスの身体をまた吹雪の檻へと押し戻した。
「我々アクシズ教団でさえ、子供たちに強引なお触りはしません。それもそんな汚い手でやろうなど不埒千万」
とんぬらを守ったその男は、続けて魔法を放つ。
「『セイクリッド・シェル』!」
ハンスの周囲に白い魔法陣が浮かび上がり、強烈な光が空に向かって突き上げられた。
風の檻を、さらに光の結界が覆う。魔性を弾く聖なる封印魔法が加わり、二重の封殺には魔王軍幹部も容易に破れない。
「私、今、とっても機嫌が悪いんです。特にスライムは滅却してやらないと気が済まない」
「ゼスタ師匠……」
「ええ、スライムはやはり冷やして固めてから、いただくのが一番ですとも」
「セシリーさん!」
めぐみんとゆんゆんたちの方には『プリースト』のセシリーが。そして、とんぬらのすぐ傍にはゼスタがいた。
二人とも普段と表情こそ変わりないが、おちゃらけた空気は鳴りを潜め、その目はちっとも笑っていない。
特にアクシズ教団の最高レベルの『アークプリースト』のゼスタの眼光には、魔王軍幹部ハンスもゾッとした悪寒を覚えさせられた。
「めぐみん! トドメを頼む!」
「っ! はい――」
神や悪魔をも滅ぼす爆裂魔法。魔法抵抗力の高いデッドリーポイズンスライムの変異種だろうと瀕死の重傷にさせるほどのダメージを与えられるはずだ。
そして、何をし出すかはまだ判断できないが、めぐみんの長杖に尋常ではない魔力が収束しだしたのを見て、ハンスは懐から頑丈な分厚い瓶を取り出す。
「氷漬けにされんのは、『氷の魔女』にやられて懲りてんだよ!」
瓶の液体を煽り――ハンスの身体は爆発四散した。
今、飲んだポーションは、爆発ポーション。
『氷の魔女』にやられてから対策を積んでいたハンスは、自爆させることで凍結の魔力を吹き飛ばした。
「くっ、『リフレクト』――!!」
掠っただけで致死のデッドリーポイズンスライムの変異種の肉片。飛び散るそれをゼスタが即座に全周囲に張り巡らせた光の壁で防ごうとする。
「ここは逃げさせてもらう」
意識が外れたその隙に、強烈な置き土産に体の大半を吹き飛ばしたハンスは、体を液体化して崩しながら逃げる。
運良く当たった時の奇跡魔法を見て、その一発逆転の脅威を悟って『思わぬ難敵』ととんぬらたちを過大に評価してしまったのもあるが、何よりもアクシズ教団の代表が思っていた以上に卓越した『アークプリースト』だった。
普段のあれはこちらを油断させるための偽装で、魔王軍がところてんスライムで破壊工作を働いたなどという流言を用い、こちらを逆上させて誘き寄せようとした……そんな侮れぬ昼行燈野郎だと評価を改めたハンスは、しばらく準備が整うまでは息を潜めると決めた。
そして、ひとりの少女の悲鳴が響いた。
「ゆんゆんっっ!!!」
とんぬらが反射的にそちらを向いた時、視界に映ったのは、顔面蒼白にしためぐみんとセシリー、そして、ゼスタの防壁が間に合わず、どす黒い肉片を浴びてしまったゆんゆん。
逃げ出した魔王軍幹部になど目もくれず、少年はまるでスローモーションのように倒れゆく少女のもとへ駆け出した。
誤字報告してくださった方、ありがとうございます。