この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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大変遅くなりましたが、どうにか年内に投稿できました。
お待たせしました。
休みに入ったはずなのに休めない。おそらくこれが今年最後になります。
良いお年を!


14章
146章


 ひどく、静かな場所だった。

 ある意味では、神殿にも似ている。

 人間を拒絶するほどの神聖さと、それと同等の猥雑さが同居している。

 

 この果ての見えない奥へ踏み込み、時間の感覚がおぼろげになるほど歩き続ければ、出会う。青々と――しかし、暗闇などよりもはるかに奥深い、己を見つめる二つの瞳と。

 

 ドラゴン。

 真っ白な装甲のような体表に覆われ、尾など部分部分が触れるだけで裂く太刀のように鋭利に研がれている。世界を無地に染め上げるホワイトアウトの吹雪をそのオーラとして放っており、近づくだけで凍死しかねない。

 そんな災厄の化身を前にして、()()()覚悟を決める。とんぬらが、これまで全戦全敗、いや、全殺を記録している相手だが、退く訳にはいかない。

 これはそういうものなのだと一番最初の相対から理解できていた。

 

「……ドラゴン退治並みの苦難は経験しているつもりだったんだが」

 

 一対一の状況で、人並外れた力は振るえない。この身に宿していたあの激流のような力をうねりは、こうして別たれているのだから。

 人の技と術でもってこれを捩じ伏せる。

 それがこの竜を認めさせる儀礼だった。

 

 顎が開かれる途端、圧しかかる巨竜の戦意、無慈悲な化身と成った暴風雪――

 

 とんぬらは、心底から困り果てて苦笑いする。

 

 一目で、己が全く足りないことを悟る。

 あの防御(かたさ)を破れる攻撃力が。

 防御する術のない攻撃への対処法が。

 ここで怯懦に震えるほど易い人生は歩んでいないが、このどれもが至らない身で行き着く結論はひとつ。

 

「まいったな。これちょっと、倒せない」

 

 器用な技巧を以て制御された魔力を火炎の竜へと変えて撃ち放った渾身の魔法は、冷気吹雪く装甲を融かせずに薙ぎ払われる。そして、返礼とばかりに回避不能な速さで繰り出される鎧竜の硬い爪が迫るのをとんぬらは瞬きもせずに迎えて――

 

 

 むにゅぅ、と音で表せそうな柔らかいものに顔が埋まった。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 あったかくて、やわらかい。でも視界を塞がれている。

 目を開けられないのではないが、柔らかいものに顔全体をぱふぱふとされていて目の前が見えない。

 いったいなんなんだこのおっぱいみたいな柔らかさの正体は。

 おっぱいみたい? いや、まさかこれは本物のおっぱいだというのか?

 だが、これが本物のおっぱいだとすれば、おっぱいの中でも特別に素晴らしいおっぱい、おっぱいオブおっぱいだぞ?

 いやいや、こんな最高なおっぱいにそう巡り合えるわけがないわけで。

 ということは、この素晴らしく素敵で柔らかで温かなおっぱいは、おっぱいではないのだ……!

 

「………………うん、目を醒まそう。色々と」

 

 と全身の血が頭に集まったみたいにくらくらする意識を立て直す。

 端的に説明すると、ゆんゆんのたわわな胸をとんぬらは枕にしているような状況だった。

 

「……ゆんゆん……」

 

 前から同衾はしていたのだが、慣れのせいか、付き合う時間が経つにつれてだんだんと密着度が増している今日このごろ。最初の頃はまだベッドの端と端の、一転すれば転げ落ちるような位置取りであったのだ。それがいつのまにやら、

 

 隣で添い寝。

   ↓

 手を取り合う。

   ↓

 腕に抱き着く。

 

 と段階を踏んで間合いを狭めていき、むしろ抱き枕にしてないと寝つきがよろしくないという末期近いところまできちゃってはいた。もう遮る境界線などありはしなくてこのベッド大陸はひとつの国家に統合されているのである。

 だからといって、こう彼女(ゆんゆん)の身体の上で眠っているところまではいってない。

 感覚が麻痺している自覚はあるが、これでも頑張って最後の一線くらいは自重しているつもりだ。『親しき中にも礼儀ありだゆんゆん。今日は()()()()()()し、別室で寝よう』と一応、昨晩そう自重を促したのだが、相方は断固反対。初夜も致してないのに夫婦別々とは何事か! と。仕方なく折れて、しかしそれでもきちんと寝る前は隣に寄り添う程度に控えていたのだ。それが目覚めたら、体はゆんゆんの上で、頭はゆんゆんの双丘に挟まれて、それでこの態勢から落っこちないようにゆんゆんの腕にギュッと抱きしめられている。

 ……自分の寝相について評価は降せないがそれでもそんな悪いはずではないと思っている。無自覚に人に甘えたがる性分ではないはず……!

 

「すー……すー……」

 

 この頭てっぺんのつむじへ安らかな寝息を吐き、ピンと立つアホ毛をそよがせるゆんゆん。瞼を柔らかく閉じている……本当、見るからに幸せそうな、彼女。ずっとそれを見ているだけでも飽くことの無い表情で。

 その寝顔を、つい息を潜めて見入ってしまう。長い睫毛、整った顔立ちに、ほんのり赤らんだ頬。柔らかそうな唇――

 

「いかんいかん。考えるべきところが違う。状況の整理をするんだ俺」

 

 前に縁日の射的でも『冬将軍』の人形を欲しがったり、彼女の部屋のベッドには愛らしい人形が揃っていた。ボッチで寂しがり屋な少女は眠る時は人形を抱きしめている習性がある。

 で、この小さくなってしまったとんぬらの身体をお人形(マスコット)のように抱きしめている。それがこの態勢に至る理由の説明になるのではないのだろうか。

 

(よし、精神衛生の為の考察終了。なんにしてもこの状態をいつまでも堪能……ではなく、甘んじているわけにもいかない。ああもぐっすりと心地よさそうに眠っているところを起こすのは忍びないが、もう朝だし。そろそろ起きなくては……!)

 

 起き上がりたいが、今のこの身はギュッと抱きしめられている。

 稚児になってパワーが下がっているとんぬら。筋力増加の支援魔法でも自分にかければ力ずくも叶うだろうが、こんな寝起き直後から疲れるような真似は遠慮したい。

 

「起きてくれー、おーい、ゆんゆん」

 

 軽くゆすって呼びかける。そのせいで大きな胸がタプタプ揺れた上、その頂点あたりにはっきりと突起を確認できてしまったが、これはどうしようもない。こちらも見ないようにしているにもかかわらず、視界に入ってきてしまうほど豊満な肉感なのである。

 

「うっ、んっ……」

 

 ぴくっ。ぴくん。

 身体を揺するたびに、微かに開いた唇から吐息のような声を漏らす。

 

「よし、目が覚めたか。おはよう。じゃあ、起き」

「かわいいお人形さんだぁ~……♪」

「むぎゅ!?」

 

 覚醒半ば程度にまで意識が浮上してきてるようで、気怠そうにながらも瞼を持ち上げて、ぱちくりと瞬き。そして、胸元に収まってるこちらと目を合わせると、にへら、と表情を蕩けさせて、意識まで蕩けさせてしまったかのようにとろんと瞼が下がる。それもぎゅっと押さえ込むようにとんぬらをより抱く。とんぬらは目の前が真っ暗にな――って、だめだだめだ。

 

「ふふ、とんぬらに似てるしかわいいなぁ~……♪」

「そっくりさんじゃなくてご本人なんだが!」

「お人形さんじゃなくて、本物? ……本物のとんぬらの赤ちゃん……つまり、私たちの子供、ってこと?」

「はい?」

「うふふふぅ♪ 寂しくないようにお母さんがいっぱいぎゅぅ~ってしてあげないと……!」

「ゆんゆん!? 寝惚けてないで、起きてくれーーーっ!」

 

 やや窒息気味ながらタップを連打。いくら小さくても、身体の上を泳ぐように、いや溺れるようにもがけば流石のゆんゆんも起きた。

 

 

 何事っ!? と九割覚醒でお目目をぱちくりさせて、残り一割まだ浮上し切っておらずにふらついているゆんゆんへ、密着状態から解放され息切れを整えたとんぬらは呆れ気味に、

 

「よくぐっすりと寝ていられるな。……子供と言えど、上に乗っかかられたら息苦しいだろうに。まあ、お人形さんの代わりにするのもほどほどにしておいてくれ」

 

「あ、な、な……!」

 

 距離感もとい節度を大事にという旨の注意をするとんぬら。

 

 一応、お互いにそういう初夜的な行為は致していない清い身である。

 里帰りして、その直前までいったのだが、なんせ今の自分が“これ”である。“予約”はあったが、この状態では流石に先延ばしもやむを得ない。

 

 はず、なのだが……

 

 幼い子供(とんぬら)に幼い仕草を指摘されたゆんゆんはあたふたとし、手でリンゴのように真っ赤に染まった顔を覆う。指と指の間より漏れるカッカとした瞳の色は仄暗い室内ではわかりやすい。状況状態を自覚して、恥ずかしがっていた。最初は。

 時計の針が一周するくらいになると、あ、とか、う、とか何事かを言いかけては躊躇うようもごもごと動かしていた口を真一文字に引き結んで、そして、ややあって開き直った感じに暴露する。

 

「で、でも、とんぬらも結構甘えたがりだったりするのよ!」

 

 微妙にゆでだこみたいになっているその顔で訴えてくるゆんゆん。

 これに状況を見れるだけの余裕があったとんぬらの上に疑問符()が浮かぶ。

 

「なんですと?」

 

「夜中、最初にしがみついてきたのはとんぬらの方で、眠っていた私の、ぉっ……()ぃをちゅ、ちゅーちゅーして……!」

 

「……、」

 

「まだ、でないけど吸ってるとなんだか落ち着いてきて、それがすごくかわいくて、私も幸せを感じちゃって……でも、もう大変で! 引き離せないし……き、気持ち良くなっちゃったり――じゃなくて!」

 

 幼少()の肉体になってから就寝時間は早めになったが、精神までも幼児退行しているのか。ああ、無意識の行動であるが、現実逃避がしたい。

 ゆんゆんの羞恥が伝染したかのように、とんぬらは手で目元を覆う。

 

「とんぬらも、気持ちよさそうに安らいでたから起こしづらくって……それで私、なかなか寝付けなくて! ――ほら、吸われた痕もここにちゃんとあるでしょ!」

「わかったわかったわかりましたからみせなくていい! 俺が悪かったから、落ち着こう。身体は子供でも、理性(あたま)は大人のつもりだからこっちも辛いの本当に!」

 

 けれども一度暴走した彼女は、言葉ではそう止まらない。

 満面を朱に染めて、眦に滴を浮かべすらしているゆんゆんは、先の抗議は自爆行為も同然であったが、あえて死中に活を求めた模様で、さらに踏み込んできた。

 辛うじて眩暈を押さえて、“付けられた証拠(キスマーク)”を見せんとネグリジュをまくり上げようとするのを制したとんぬらではあったが、

 

「つ、辛いの?」

 

「ああ。今も自制心を総動員してて大変だ」

 

「そんなに……ゅー、したい?」

 

「はい?」

 

 ゆんゆんは少し俯いて、口元をごにょごにょと動かす。何か言いたそうにしてるけど、何故だか躊躇ってしまっている。そのまま踏み切らぬままでいいととんぬらは切に思うが、しかしそれも数瞬で意を決する。

 

「ほら、も、もう……公認の夫婦、なんだし……ふ、夫婦にしか、できないことも、あ、あるでしょ? あるよね? それで、あ、あうあうっ、我慢なんてしないで、と、とんぬらの……とんぬらがしたいこと、全部してくれていいからっ! だから……その、おっぱいちゅっちゅする?」

 

 とおすすめしてきた。

 こちらの顔の高さに合わせるよう、その薄手の生地に隠された乳房を、その下で交差させた両腕に乗せる形で持ち上げて維持するゆんゆん。それで恥ずかしいポーズの自覚があるのかきゅう~っと身体を縮めてしまう、だがそれがかえってむぎゅぅ~っと胸のふくらみは寄せられた状態で押し出され強調してしまってる形になるわけで、赤に点滅しかけるとんぬらの視線を吸引する。注視されると恥ずかしさもひとしおのようで、ゆんゆんの瞳は真っ赤っか。でもやめない。彼女が精一杯尽くそうとしているのは苦しいほど感じられる。こんな全身から『なにされてもOKです♪』みたいなオーラが駄々洩れしているから、よくわかる。『あいたたた』と額に手を当てたい感じにもう痛いほどにわかるのだが。

 とんぬらは額を押さえて、左右に振る。マジで、勘弁してくれ。

 

「ど、どうぞ! 遠慮しないでとんぬら! これも将来の予行練習になるし……! ね! 私のことはお母さんだと思って、いーっぱい甘えて構わないから!」

 

 このごろとみに女らしさが増していく精神的な成長期に突入している少女だが、母性を疼かせるのはいくらなんでも早過ぎる。どこぞの愉快犯(あくま)のせいで想像妊娠は体験済みなわけだが。

 

(積極的に受け身と言うか、とにかく一生懸命な感じは伝わってくる)

 

 勝手にゆんゆんの胸元をなぞってしまいそうになる視線を、目を瞑って切る。強制シャットアウト。

 正直、ここでよく理性を保てているなと自画自賛してしまう。服の上からでも男好きのする体つきと言うか、抱き心地が良さそうなのが直に触れずとも視覚で伝わってくるくらいにレベルが高い。

 だが、ここで誘いに応じてしまうと、とんぬらが頑張って引いてる一線を超えてしまいかねない。そうでなくとも、その場の勢いで“ちゅっちゅ”なんて甘えたら、自尊心(プライド)世間体(めんつ)という大人の所持品が、ガラガラと音を立てて片っ端から崩壊していくに決まっている。

 しかしだ。

 

「…………と、とんぬら、えと……しないの?」

 

「いやな、したいとかそういうんじゃないくて、するのはダメだろ色々と」

 

「ダメ、なの? それはつまり、私のじゃとんぬらは満足できないってこと……」

 

 もうこれどうしろと。

 このぼっちを拗らせてる娘は、断って何も求めなかったりすると『自分の魅力がダメなんだ』などと落ち込んでしまいそうなめんどうくさいところもあるわけで、何かしらのアクションは起こさないとならない。……乙女心と男児心の妥協点を探る、絶妙に難しい匙加減を求められているのである。

 

 助けてくれー! ととんぬらが内心で泣き叫んだそのときだった。

 小さな影がゆんゆんに勢いよく跳びかかった

 

「――ふみゃあっ!」

「きゃっ!?」

 

 ゆんゆんのたわわに向かって、神風特攻でアタックを仕掛けたのは、子猫。そう、とんぬらが紅魔の里で拾った、飼い主不明の孤児な、とりあえずメアリーと名付けた小猫様である。

 

「痛っ!? 痛い痛い! 胸を爪でひっかかないで!?」

「ふしゃぁ~っ!」

 

「これこれ、メアリー、人をひっかいちゃダメだって教えたろう?」

 

 気炎を吐く鳴き声を上げ、毛玉でも転がすように双丘に猫パンチを繰り出していく猫。何だかめぐみんがおうふくビンタをかます光景を思い出させる。小さい故にパンチ力はめぐみん以下だが、こっちは爪を立ててきて容赦ない。猫には甘いとんぬらだが、彼女がみだれひっかきに苛められるのを黙ってみているわけにもいかないので、ひょいと猫を捕まえ抱きかかえる。

 それから、逆立てる毛並みを宥めすかすよう、うりうりうり~と撫で繰り回し、すると途端に、ごろにゃーん、と匂い付けをするように首筋を擦りつけてくる。チョロい。

 この通り、やたらととんぬらに懐き、そして、どういうわけかゆんゆんに対し敵意満々。ゆんゆんはこれに首を傾げ悩むのだが、生憎と猫に嫌われるようなことをした心当たりがまったくない。

 

(……あれ? なんでこの仔がここに?)

 

 寝る前に扉はきちんと閉めてあったはず。猫が入って悪戯をしないようにしていた。けど、猫は部屋に入ってきた。きちんと扉から。

 視線を感じるドアの方へ顔を向ければ、くるんと輪を作るように一房まとめている青髪がひょっこり揺れる。この瑞々しい清らかな青髪の主は決まっている。水の女神様は、家政婦は見たみたいなポーズで顔を覗かせていて、これに気付いたゆんゆんの瞳が真っ赤に点灯。

 

「あっ……あ、ああああああああああくあくあくあ――」

「ドアの前で猫が爪をがりがりしてたから、なんか開けちゃったけど、お邪魔だったみたい?」

 

「アクア、様?」

 

「安心して。私は寛容な女神様だから。ちゃんとわかってるから。ね?」

 

 子供の“思春期(アレ)な”場面と鉢合わせてしまった母親のようにアクア様は、しきりに『わかってるわかってるちゃーんとわかってるからっ』と首を振って何だか理解のあることを態度で表してくれている。

 が、母親に“思春期(アレ)な”場面を覗かれてしまった子供のような立場からすればそこに安心できる要素などまるで見つけられない。

 

「何なら、私のことは空になって床にでも転がってる酒瓶だと思って気にしないで続きをしても結構よ」

 

「空瓶が転がってたら気にしますというか、普通に拾いますが」

 

 というより、女神様を空き瓶(ゴミ)と同列に扱うのが無礼というか、無理だろう。

 どぞどぞとお若い二人に掌を向けるアクアだったが、ムードは立て直し不可能なほど完全に壊れている。人一倍に恥ずかしがり屋のゆんゆんなんて、二人きりの世界だからこそ大胆な真似ができたのにそれが見られていたとなれば、カチンコチンに処理落ち(フリーズ)している。子猫もそれを確認したのか、ひょいっととんぬらの腕の中から出て、開けっ放しの部屋から出ていく。

 

「けど、朝から随分とお盛んね。……最近の若い子ってみんなそうなのかしら? とんぬらは清く正しいアクシズ教徒だけど――いいえ、こういう時こそ理解を示してあげないと! そうよ、かわいい信者()のことだから大勢で祝わないとダメよね。お赤飯を炊いて、それから、二人の仲を教会にでも喧伝してこなくっちゃ!」

「お待ちくださいアクア様!」

 

 ああ、事態が変な方向に転がり出して、事故を招きそう!

 謹慎中なのに屋敷から飛び出そうとするアクア様を抑えに追わないとならないが、

 

「――――」

 

 ベッドにはお目目グルグルと煙を噴いている相方を一人ベッドに残すのは非常に後ろ髪引かれるところ。

 うん、まあ、助かったと言えなくもないが……惜しい気もしなくもない。それに、このままゆんゆんの勇気と頑張りに応えず徒労のままにしてしまうのは、あまりに残念だ。彼女にも、もちろんとんぬら自身にも。

 そうして、あまりのショックで今も意識が彼岸の彼方へ逝っちゃって帰って来ない――寝惚けているのようなものの――眠り姫な相方へ、

 

「……朝の挨拶は、ここにできれば満足かな」

 

 とんぬらは、ごくごく自然な動作で顔を寄せて、ちゅっ、と軽くゆんゆんの額に唇を合わせた。

 その突飛なフレンチな感触はゆんゆんには効果覿面の特効薬、或いはカンフル剤であった。ぐるんと振り切れていたメーターが一周回って落ち着いたかのように、ふらふらしていたのがピタッと止まり、まん丸な目はこちらに焦点を合わせる。まだ火が点いてそうなほど赤いけど。

 

「おはよう、ゆんゆん。そろそろ起きようか」

 

「うん……おはよう、とんぬら」

 

 それから、噛みしめるように一拍遅れて、照れ照れと身体をよじり、はにかむ。

 実に嬉しそうに。それはおそらく、こちらから彼女を求めた行為だから。本当にどこまでも応えようとしてくれるパートナーである。

 

「えへへっ……本当にすごく幸せ……」

 

 うむ、かわいい。羞恥ポイントを稼いでしまったが、した甲斐があった。

 接触したのは短いけれども、世界中で盛んに交わされる愛情表現は、彼女と好き合っているんだ、と実感できた。

 でも、お互いに自重しよう。

 何度も言うが、ここは自分たちの家ではないのだから。

 

 

 ♢♢♢

 

 

『やっぱり子供の服はこの組み合わせに決まってるでしょ!』

『ショタぬらには短パンがばっちり似合うわ!』

『この眼鏡をつけてみてくれないか。邪視の力を押さえる邪眼殺し、という設定を今考えてね』

『しっかしまさかとんぬらが弟と同じくらいになっちゃうとはねぇ』

 

『……ね、ねぇ、とんぬら。ちょっと試しに、ゆんゆんお姉ちゃん、って呼んでみない?』

『絶対ヤダ』

 

 シャツに短パン、それにブレザーを羽織って、蝶ネクタイを結ぶ。

 紅魔の里の服屋で、ゆんゆんと……というよりなんか勝手に買い物に同行してきた女子クラスの元同級生と選んだ衣装だ。

 靴下まで履いたところで最後は、あるえがワンポイントでおすすめした眼鏡をつける。別段視力が落ちているわけではないが、どうにも四六時中仮面が張り付いていた弊害か、顔に何かをつけていないと無性に落ち着かないのである。

 

(今日も、ダメだったか)

 

 広げた手指は、以前の自分のよりも小さいまま。握り込むその力も弱い。

 思わず息を吐いてしまう。里でもあれこれと元に戻る方法を試したが、残念ながら実ったものはなく、鏡を見ての通り身体は幼いままだ。

 突発的な事態(パルプンテ)に鍛えられてしまったパートナーはこの状況を受け入れてはいるが……というかむしろ母役や姉役に立候補してきていて何かに目覚めそうで逆に心配になってくる始末である。想像妊娠や族長試験の時のことを挙げて、今度は私がしっかり支える! とやる気満々であった。だけど、着替えまで手伝いするのは勘弁してほしい。『エルロード』での下着消失事件の黒歴史(あれこれ)を思い出してしまいそうになるから。

ゆんゆんには今のポジションで落ち着いててもらいたい。

 その為にも早く戻りたい。

 慣れない着替えを終えて、現状を再認識したとんぬら。鏡の前に立ったまま、向こう側の小さくなった自分と目を合わせて、頷く。

 

(まあ、それはそれとして、どうやら自分のこと以外にも問題発生しているようだが)

 

 大事の前の小事(小児)とは言わないが、解決策を模索中のこちらより、現在進行形で警鐘を鳴らしている事件もつい思考に過ってくる。

 

「あ」

 

 ――くぅぅ~~っ。

 胃袋が朝の挨拶(おはよう)代わりに空腹であることを訴えてきたところで、ガチャガチャという音が聴こえてきた。

 まるで食器がぶつかるような音の連続。いや、“まるで”とかじゃなくて、久方ぶりのひとりではない食事風景に、女神様が張り切っていらっしゃるのである。

 

「さあ! 食事は皆で取りましょー!」

 

 がちゃがちゃがちゃがちゃーっ!! と危なげ五割増しくらいの手つきでお盆を運んでいるアクア様。お盆に乗る深皿にはドレッシングを和えた山盛りの新鮮サラダが躍るように跳ねており、ズッコケたら大惨事だが、神業級に芸達者な女神様は危ういようで危うくない絶妙なバランス感覚を備えている。

 

「おっと、ぼけっとしてるわけにはいかない!」

 

 居間に降りたとんぬらはすぐ手伝いをする。女神様に配膳などさせたまま呆けるわけにはいかない。

 それでキッチンにはすでに身支度を終えて、客人ながらも調理に勤しむゆんゆんがいた。

 

「ふんふんふふ~ん♪」

 

 カボチャを練り込んだ生地を捏ね、まん丸にお皿の上に盛るゆんゆん。魔力式のオーブンはドランゴ用の骨付き肉が入っており、二つあるコンロもまたぐつぐつとスープを煮込んでいる大鍋やベーコンをカリカリに焼いてるフライパンに占領されている。だけど、大人の紅魔族ともなれば、魔道具に頼らずとも大抵のことは片手間でこなせてしまうもの。

 

「『ティンダー』、『クリエイト・ウォーター』……から、『ウインドカーテン』!」

 

 親指人差し指中指の三本の指先に、火、水、風が生じる。それら初級と中級の各属性魔法を指の動きに合わせて複雑な操作を加える。

 まず風の魔力で蒸しパンのタネをドームのように包む半球形の渦を作ると、次に渦へ投じた火と水を掛け混ぜて、蒸気に。

 じゅっ! という音と共に風のドームはたちまち真っ白に染まる。見た目穏やかだが、とんでもない。複数同時魔法行使に、力配分を誤差1%も違えない繊細な魔力制御。簡易的な蒸し器となってるこの内側は高温の蒸気が渦巻いているはずだろう。そしてその間、並列して鍋の湯立つスープを焦げ付かせないようかき回したり、ベーコンの上に目玉焼きを落としたりと実に忙しく、けど危なげなく鼻歌交じりにこなしている。

 里帰りしてさらに紅魔族の主婦力が磨かれているようだ。

 

「あ、とんぬら。もう朝食出来上がるから、あとちょっとだけ待っててね」

 

「ゆんゆん、何か手伝おうか?」

 

「うーん。じゃあ、ちょむすけとメアリー、ゼル帝の朝ご飯をあげてきてくれる?」

 

 

 そうして、猫とひよこたち(一匹は女神様)にご飯をあげて戻ってくると、ちょうど三種の初級中級魔法を拡散させたところで、彼女の掌に持った皿の上に出来立ての蒸しパンはふっくらと膨らみ、ホカホカと湯気を立てている。

 今日のゆんゆんはとてもご機嫌で、気合いの入った朝食フルコースが机の上に並べられた。

 そして、いただきますをして早速蒸しパンにかぶりついた女神様は機嫌のいい猫のように目を細め、

 

「んーーっ! 美味しいっ! また腕を上げたわねゆんゆん! アクシズガイド特別審査員をお願いされたアクアさんから特別に星三つをあげるわ!」

 

「あ、ありがとうございます! 光栄です!」

 

 丸を作るようにまとめられた青髪をご機嫌に揺らすアクア様。賛辞を受けたゆんゆんは恐縮しながらぺこぺこ低姿勢で頭を下げる。

 

「よかった。アクアさん、あんなに美味しそうに食べてくれて。ホッとしちゃった」

 

「俺は一切心配していないが。ゆんゆんの味付けにはいつも満足しているからな」

 

「とんぬらにそういってもらえると自信つくなぁ」

 

 本当にうれしそうなゆんゆん。

 確かに、あの呑んだくれて目元を真っ赤にして泣き濡れている落ち込みっぷりから今の健啖ぶりをホッと一息つくというもの。いつにもまして気合いを入れて朝食を作ったのは、それが理由だろう。

 とんぬらもまたゆんゆんの用意した朝食を、アクア様に倣うよう小さなお口を大きく開けてパクついた。

 

「フフ……フフフフフ……ウフフ……いやん、にゃうん……」

 

 隣に並ぶ席でゆんゆんは両腕をこすり合わせるようにして、身体をくねくねさせる。

 対面で朝食を絶賛するアクア様に嬉しくなってしまったんだろうが、素晴らしいほどの蕩けぶりだ。お花畑といっても過言ではない。

 

「む」

 

 とそんないつもよりもぽわぽわなゆんゆんに気を取られたとんぬら。身体が縮小し、口もまた小さくなってる。スープを運ぶ目測を誤ってしまい、口元が汚れてしまう。

 するとこれを見つけたゆんゆんは、フフッと微笑む。

 お姉さんっぽい感を本人は演出したかったのだろうが、彼女の童顔はしゃっきりとせずにだらしなく蕩けているのでその効果も薄い。

 

「うふふ、うふふふふふ♪ スープが口の端についちゃってるわよ、とんぬら」

 

「ああ、悪い。気を付けてるんだが、気を抜いてしまうと感覚にズレがあって……」

 

 すぐ拭こうとするとんぬらだが、それよりも早く横から手が伸びる。

 

「ちょっとじっとしててね。……ん~、んっ……はい、取れたわ。うふふふふふっ」

 

「あ、ありがと、ゆんゆん」

 

「あー、私笑い過ぎよね。頬っぺたの筋肉が少し張ってきちゃってるみたい……はぅ~」

 

 そういってゆんゆんはむにむにと頬を引っ張ったり揉み解したりする。

 

「ごめんなさい。でもね、別に失敗したとんぬらがおかしいとかじゃなくて……!」

 

「わかってるわかってる。ゆんゆんがそういう娘じゃないのはわかってるから、そんな謝らなくていい」

 

「うん。……じゃ、じゃあ、おなかいっぱいになったらいっしょにおひるねする?」

 

「悪気がないのはわかってるんだけど、ゆんゆんも俺の今の身体が子供でも頭が大人なのはわかってほしいなー」

 

 どうにも小さくなってしまった状態は、パートナーの母性本能をくすぐってしまうようだ。いつもよりも世話焼きのブレーキが外れている。これでは関係性が親子のあたりにまで傾きかねないと危惧する程である。

 自覚もなかったゆんゆんは、ハッとして、

 

「ご、ごめんね、とんぬら! 私ったらつい……」

 

「俺の姿がこんなだから仕方ないんだけど。そんな甘やかそうとしなくていいからな。面倒なら面倒だって言ってくれていいんだぞ?」

 

「面倒なんかじゃないっ。とんぬらの方こそ遠慮なんて全然しなくていいんだからね? ……その……とんぬらに求めてもらうの嬉しいから。私がとんぬらに尽くしたいの」

 

 一歩手前まで事に及びかけてからより意識してしまうようになったが、その“求められると嬉しい”とか、“尽くしてあげたい”とかのセリフにいちいち男心をくすぐられてしまう。

 

「……その無自覚にえろっちい言い回しは控えてもらえると嬉しいんだが」

 

「え、えろっちい……?」

 

「いや、これはこっちの気にし過ぎだ。すまない。でも、ゆんゆんもちょっと浮かれ過ぎだ」

 

「ううぅ……私、こんなにはしゃいじゃって、とんぬらも、呆れちゃってるよね……?」

 

「そりゃあ、呆れるほどかわいいとは思ってるよ」

「や、やだもぉっ!」

 

 ゆんゆんは両手でグイッとこちらを押すが、あまり遠くにやってしまうつもりもない押し方だ。

 

「と、とんぬらも……その……あ、呆れるくらい……素敵だからね……!」

 

 と。

 

「……この神々しい存在感を放ってるアクアさんを差し置いていちゃつくとかバカップルぶりに拍車がかかってきてるわねー。ひとりで食事をするよりは全然いいんですけど、ふたりの世界に入られるのを見せられるのとか、もうごちそうさまって感じ」

 

 げんなりとしたご様子のアクア様。

 食事のペースが明らかに落ちていらっしゃる模様。第三者的な観点からして、今の自分たちを傍で見ては、胸焼け気味になるくらい呆れるのも無理はない。

 羽目を外しそうになるたびに何度も頭の中で戒めてきたけど、自重しよう。作戦『自重を大事に』。とんぬらは冷静になった。

 

「申し訳ございませんアクア様! ですが、違います。姿が子供に戻っちゃってますけど、俺達は大人です。そのバカップルというのは、違いますから」

 

 なるべく、時間(タイミング)場所(ムード)を弁えることのできますので、と続けようとするとんぬらであったが、そこに隣から合いの手が割って入った。

 

「そうです。私ととんぬらは、恋人(カップル)ではなく夫婦(パートナー)ですから!」

 

 そう、仲睦まじさをアピールするよう、ぎゅっと抱き着くゆんゆん。

 とんぬらの目が遠くなった。口ほどにものをいう姿勢(アピール)。この状態では、どれだけ節度ある清い関係なんですと訴えても、弁明など無理だった。

 

「おかわりじゃなくて、ごちそうさまって言ったつもりなんですけどー」

 

 水のように清らかな眼が半分瞼閉じたジト目に。

 ホント、女神様を前になんて畏れ多い真似を! と思うとんぬら。

 ウォルバク様にも似たようなことをやらかしちゃった前科があるけど、このことに関しては譲れぬパートナーは、神をも恐れぬ。あとで黒歴史認定になろうがその場の勢いでやらかしてしまうのが若気の至りというわけで。それも普通は付き合っていくうちに落ち着いていくものだと思うが、ゆんゆんの場合、どんどん悪化しちゃっている様ですらある。

 

「ええ、はい、昨日話した通りに……式はまだですが、里へ試練を受けた際に、族長……ゆんゆんの親御さんと話して、正式にお嫁さんにもらったわけです」

 

「は、はい……私、とんぬらのモノになっちゃいました……」

 

 いまいち意識していなさそうなのに、そういう刺激的な言い回しが自然に出てくるから本当このパートナーは困りものだ。

 

 さて、やや強引であるが、これ以上聞いてるこっちも目が紅くなりそうな話題を締め括って、本題に移させていただく。

 

「それがまあ、魔王軍の襲撃を受けたり、こう体がちっちゃくなったりしたのが自分たちの近日中の出来事なんですが……それでアクア様、最近の『アクセル』では一体何があったんですか?」

 

 あらかた食事も済んだことだし、様子も落ち着いてきた。元気な姿が見る影もなかった昨日から八分咲きくらいの調子を取り戻してくれた。そろそろ当事者(アクア様)から話を聞かせてもらう。

 

「昨日、ギルド職員のルナさんが、“セクハラ三昧な『切り裂きシャック』の再来”や“一日に何度も騒音騒ぎを起こす爆裂魔”や“あやしげな眼付きの変質者な女騎士”が出没しているとのことでしたが、アクア様はどう思いますか?」

 

「あの三人ならいつかやりかねないと思ってたわ」

 

「そんなあっさりと認めちゃうんですねー」

 

 現在離別中とはいえパーティの面子を犯罪者扱いすることにまるで抵抗のない話しぶりに、こちらの頬を引き攣る。

 

「だって、カズマは公衆の面前で女性のパンツを平気で『スティール』するヒキニートだし、めぐみんは三度の飯よりも爆裂大好きっ子で、ダクネスもどうしようもないところで残念なんだもの。本当に手のかかる問題児三人で、これまでパーティで私が一体どれだけ苦労してきたことか」

 

 確かに、普段が普段なので正直否定しがたいところはある。

 ただ、もしここに3人がいれば、『問題児筆頭(アクア)が言うな!』と異口同音にツッコミが飛んできたことだろう。

 

「きっとこれも私が抑えることができなかったせいね。ちゃんと私がついてれば、こんなことにはならなかったはず」

 

 と当人(アクア)は至極真剣に語る。

 それに合わせるように、とんぬらも深刻な表情で頷いておく。

 そう、トラブルメーカーな女神様の保護者発言はさておいて、事態は結構、まずかったりするのだ。あんまり笑い事にできない。

 

 活躍はしているのだが、それ以上に問題を起こす『アクセル』名物な問題児パーティの内の3人が、何やら良からぬことをしでかしている。

 そこまでだったら、“ああ、いつものことか”と頭を抱えてしまうも笑って済ませられたことだろう。

 だが、今回は、そうはいかない。浮かべられてもそれは呆れを含むのような苦笑ではなく、たらりと冷や汗滲む苦笑い。

 ――“魔王軍に与した”と噂立っているという。

 出所は不明、とても信じられない。普通ならば一笑に付す。だが、実際に3人が魔王軍配下を名乗って悪事を働いているとギルドに報告されているそうなのだ。

 一応、今はまだ警察や国の機関は動いてないようだが、看過されるはずがない。

 正直なところ、このまま事態を放置すれば、遠からず3人の名声は地に落ちる。それはもう、額縁保証書付きの、時期を未来に設定しただけの、ただの事実であった。

 そんな未来を回避するためにも、噂が王都にまで広まっていない、まだ笑い話で済ませられるうちに、迅速に解決しなくてはならない。

 

「ですが、アクア様は兄ちゃん、めぐみん、ダクネスさんの3人にちゃんとついててやることができませんでした」

 

 アクア様がついていたら3人が真っ当な真人間であれたかどうかは棚に上げる。どちらにしようが、アクア様が3人の傍についていることはできなかったのだから。

 ――問題はそこだ。

 

「大変不快な事を思い出してお答えにくいでしょうが、どうして3人がアクア様から離れていったのか」

 

 昨日、泣きながら事情について話をされたけれど、それは支離滅裂でいまいち整理がつかないもの。兎にも角にもきちんと分かったのは『アクア様(ひとり)を置いてパーティを出ていった』という結果だけ。とんぬらはその原因となった過程に何かあるのではないかと睨んでいる。

 

「そのきっかけ……少しでも心当たりがあることがあるのなら教えてくださいませんか?」

 

「む……」

 

 問いかけに、への字にさせるアクア様。

 そこには拗ねた感情がありありと浮き出ていたが、しかしそれと同じくらいのその表情に沈む蒼い色合いのものが過るのをとんぬらは見逃しはしない。彼女にそんな顔をさせるのは、とんぬらとしてもとても心苦しいが、追及を向ける眼差しを伏せたりはしなかった。じっと逸らさずに見つめながら、

 

「アクア様の仰る通り、兄ちゃんは欲望に素直というか、率直に言ってゲスくて狡いですし、ダクネスさんのことは何とも言えませんが、めぐみんの爆裂癖は里にいる頃からゆんゆん共々頭を抱えていました。叶うのなら、一日中爆裂魔法をぶっ放すでしょう間違いなく。

 けど、それでも俺は彼らがそうアクア様とのパーティを解散するようには思えないんですよ」

 

 問題行動云々には弁護できる自信はないが、そこに関しては断言できる。

 

「言われるまでもないでしょうがダクネスさんは頑固で義理堅い、どんなに追い詰められても誰かを切り捨てるなんて発想は頭の片隅にも湧かないでしょう。兄ちゃんも捻くれていてわかりにくいですが本当に踏み越えてはいけない一線は守るでしょうね。ゲスくて狡いからこそ、何としてでもそこは譲らないはずです。そして、めぐみん。爆裂狂ですが、仲間を裏切りません」

 

「むぅぅ~」

 

 そっぽを向いて唇を尖らせていくアクア様。

 説得(はなし)はきいている。それでも拗らせたへそ曲がりはそうなかなか治るものじゃない。

 

「とんぬらの言う通りですよアクアさん! めぐみんはそんな仲間を見捨てるような真似をする子じゃありませ……んよ!」

 

 フォローを微妙に言い淀むゆんゆん。いや気持ちはわかる。昔に上位悪魔(アーネス)から使い魔(ちょむすけ)を買収されそうになった時あっさり売りかけたことがある。

 でもそれも昔の話。

 かつては孤高を気取ってドライだった天災児(めぐみん)は、今では彼女本来の情深い性質が良く表に出るようになっている。

 もし苦渋の決断を迫られれば、一時、己の矜持を曲げることを選ぶくらいはとんぬらも信じているのだ。ゆんゆんも最後はしっかりと自分の言葉で言い切った。

 

「だから、これはきっと、何か事情があると思うんです。じゃなきゃ、めぐみんがアクアさんを置いていくなんて考えられません」

 

「ええ、大変魅力的なアクア様から離れるなんて、何らかの力が働いているようにしか思えませんよ」

 

 ぴくん、と反応。

 膨らませた頬を見せつける横顔の姿勢から、チラチラと目線がこちらに振られる。口よりもものをいう(うるさい)、色々と駄々洩れな青い瞳より、なんか催促される念のようなものを覚えるが、これはついにこちらの言葉が届いてくれたということなのだろう。

 

「ほんとうに? そう思うの?」

 

「はい」

 

「それじゃあ、ちょっと私の溢れんばかりの魅力というのを語ってみてちょうだい!」

 

「はい?」

 

 あれ? 3人はパーティを裏切るはずがない、アクア様を仲間外れにするのには理由があるという話をしていたと思ったのだが……まさか、ヒットしたのはそこだったのか?

 

「ほらほらあるんでしょ、この素晴らしいアクア様の魅力! ちゃんと聴くから恥ずかしがらずに言ってみて!」

 

 思惑とはズレるが、なんだかんだで予想通りに立ち直りが早いなぁ。

 シリアスな空気というのがとことん似合わない御方である。

 兎にも角にも、(アクシズ教では断じてないが)彼の女神様に逆らう気など起きないし、自分の口を発端とした事。責任がある。これで“やっぱない”なんてなったら、また落ち込む。それも上げて落とす、持ち上げていた分だけ落差はひどい。そんな口は禍の元を避けるためにもとんぬらは口を開いた。

 

「そうですね。世俗に大変馴染んでおられますが、やはりその神々しい気配というのは隠し切れるものではありません、一目で余人とは違う御方なのだと悟りましょう。事実、アクア様は蘇生という奇跡を行使できるのですから、これまで見てきたものの中で最も優れた力を持つ『アークプリースト』、いえ、『アークプリースト』などという枠組みなどには収まり切れぬ存在でありましょう」

 

 絶賛した。とりあえず、ウソを言っているつもりはない。とんぬら心からの言葉である。

 アクア様も満面の笑みを浮かべており、腕を組んで胸を張っている。

 

「そうでしょうそうでしょうっ! 『アクセル』ではみんな私のことをバカにしてるけど、やっぱりかわいい信者の子は違うわね!」

 

 だが、その期待にますます輝き増す目は“もっと褒めて(いって)!”とアンコールをせがんでくる。何やら七面倒な地雷を踏んでしまった感を覚えるとんぬらではあるが、顎をくいくいっとさせて、アピールしてくる女神様を無視することなどできやしない。

 

「どうしたの。もっと称えても全然かまわないわよ! 私を見て百は褒め称えるべきてんがあるでしょう。遠慮なんてしないで! あ、でも、もっと的確に褒めてくれると嬉しいわ」

 

 百も称賛するのは流石に無茶ぶりですアクア様。時間的にも、こちらの語彙的にも。

 

「今こうして拝んでいるアクア様の純真な笑顔は、清らかに澄んだ、まさに水を連想させられます。その清流は人々を癒し、草花が空から降り注ぐ天の恵みに潤されることと同じく、多くの者に活力を与えてくださるものでありましょう。それを当たり前のように享受されているので、人々にはその恩恵のありがたみというのが気づきにくいかもしれません。時に雨露に濡れるのを鬱陶しく思うものもいたりもしましょう。しかし、水が流れずに停滞してしまえばそこは澱んでしまうのが必定。アクア様の笑顔が曇ってしまえば、この世界は今よりもっと渇いて、荒んだものとなっていたはずです。だからこそ、それがわかる者には尽きぬ感謝の祈りを捧げていることでしょう。ここにもそのひとりがいることをアクア様にもわかってくだされば幸いです」

 

 周囲に対する不満もフォローする感じにまとめてみたとんぬら。

 

「うんうん。ちゃーんとわかっております! 大変素晴らしい信仰を感じます。やはりとんぬらは次期アクシズ教最高司祭とされるだけのことはありますね。これは私から一筆、教団に推薦状でも送るべきかしら?」

 

「そんな畏れ多いことを為されなくても結構です。そのお気持ちだけで、本当、お気持ちだけで励みになります」

 

 そういって膝をついて、恭しく。

 

「叶うのならば、あと九十九のことを褒め称えたいのですが、これ以上詳細に語り明かすともなると一昼夜かけても時間が足らず、またその最中にもアクア様の新たな魅力がもう百増えることになってしまうでしょう。……こうなればいつ終わるのかもわからず、またそんな止め処なく長い時間を私事に縛ってしまうのは、いくら慈悲深いアクア様が申されても、とても忍びなく思ってしまいます。ですので、これはまたの機会に致しましょう」

 

 ここで打ち切り。あまり発展させてしまうと変な人生ルートに突入しかねない。

 

「そう、残念だけど、そこまで言われたらしょうがないわねぇ……」

 

「ご理解、感謝いたします」

 

「いいのよ。これも私の魅力があり過ぎるせいなんだから。どうしようもないわ」

 

 ふぅ、と一息。少し調子付かせ過ぎてしまった気がしなくもないが、消沈しているよりはずっといいはずだろう。

 

「では、本題からは脱線してしまいましたが……」

 

 くいくいっと服を引っ張られる。

 脇道にそれた話題を真面目に修正しようとしたとんぬらが隣を見れば、これまた何かを期待するようにこちらを見つめる紅い瞳があった。

 

「ね、ねぇ、とんぬら……その、私にも……」

 

 奥ゆかしくも言葉にはされないが、求められていることはわかる。これは付き合いの長さというよりも、パートナーの表情筋は残念ながら隠し事には向いていないのだ。

 眼鏡の位置を直す(てい)で視線を外し、ガクリと肩を落としかけたとんぬらであったが、すぐに改まってゆんゆんに向き直って、

 

「ゆんゆんはかわいいなぁ」

 

 と一言。

 

「か、かわいいだなんて、もうとんぬらったら! うふふふふ」

 

「以上」

 

「え……ええっ!? もっと、こう、ないの!?」

 

「以上」

 

「とんぬらぁ~~~!」

 

 ゆんゆんに肩を掴まれ、がくがく身体を揺らされるとんぬらであったが、されるがままでも頑として態度を変えず、口は真一文字に閉じられたままだった。

 たった一言で表情を蕩けさせるチョロい娘に熱心に語ったらどうなるのは見るまでもない。

 

「というか、もういい加減に本題に戻りたいんだが」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 とんぬら達が紅魔の里にいる頃の話である。

 

 突如、街の郊外にある大きな共同墓地に大量発生したアンデッド討伐のクエストがあった。その日は曇りであったとはいえ、日光に弱く、活動時間帯ではない昼間になんと百や二百ではきかないアンデッドの大群。依頼を受けた冒険者たちは異臭を放つゾンビがひしめきあう事態に怯んだそうだ。

 そんな中、この(自称)『アクセル』冒険者ギルド一の美人プリースト・アクア様が、颯爽と浄化魔法を皆が敬遠するアンデッドの群れに放ったのだ。

 魔法が完成するや墓地全体は白い光に包まれて、アンデッドは天に召されることになる…………はずであったのだが、不発。

 一体全体どういうことか、クリティカルなはずの浄化の光に触れたアンデッドは崩れ去ることもなくピンピンしていたそうで。

 それどころか、アンデッドに絶大な人気を誇る特異体質であるというのに見向きもされなかった。

 

 ――明らかにおかしい!

 と皆に訴えたのだが、それよりも早くに女性プリーストが浄化魔法を唱えて、なんと、アンデッドたちを行動不能にしてみせる。

 アクア様でも手も足も出なかった、大量のアンデッドを、たった一度の魔法ですべて動かぬ死体に変えてしまったのである。

 

 これに、面目が丸つぶれ。これまでは(性格に難有りだけど)非常に腕の立つ『アークプリースト』として知られていたのに、それを上回る力を見せつけ、尚且つ性格も文句なしという完璧上位互換なプリーストが現れれば、冒険者たちがどう移ろうのかも予想が出来よう。

 人気はたちまち奪われた。

 最初の方こそ皆を見返してやろうとしていたアクア様であったが、クエストから人気は下降の一途をたどり、終わったころには地中に潜っている状態となる。

 ギルドに屯っていた冒険者たちがやたらとアクア様を当て馬にするような感じにその女性プリーストを聖女などと崇め奉てることに腹を立てて、酒場にある酒を水に変えて職員たちに締め出しを食らった。

 これにより、しばらくギルドに出入り禁止措置を受けることになった。

 そして……

 

『俺、今日でもうこのパーティ抜けるわ。これ以上、アクアのやらかしに巻き込まれるのはごめんだし、アクア以上に素晴らしいプリーストがいるからな』

 

 出禁を食らったその日に、まずカズマがそういって屋敷を出ていった。

 その時はやらかしに巻き込まれて、保護者としてその尻拭いをさせられたカズマがこれを面白くないと思うのは当然であった。

 でも、それはカッカッと頭に血が昇った故の衝動的なもので、冷静に(またはサキュバスサービスを受けて)一夜経てば帰ってくる、半分冗談のようなものだと思った。

 だから、一晩、冷却期間を置いて、次の日。

 めぐみんがこれ以上、拗れてしまう前に屋敷を出ていったカズマを探し行って……

 

『私も今日付けでこの屋敷を出ます。爆裂道を邁進するのにはもっと素晴らしい環境に身を置くべきだと気付きましたので』

 

 そのままめぐみんも出ていった。

 これにはダクネスも驚嘆して、止めようとしたのだが、めぐみんはそれを振り切って何処へと行ってしまった。

 その次の日。

 屋敷を出ることが許されないアクアに代わって、ダクネスが二人のことを探しに出掛ける。『大丈夫だアクア、二人のことは私に任せろ』と告げて……

 

『すまない。だが、もうこれ以上、アクアの我儘には付き合えない。私も出ていかせてもらう』

 

 そうして、誰もいなくなった。

 

 ………

 ………

 ………

 

「そんな……本当なんですか、アクアさん?」

 

「ええ。ウソじゃないわよ。めぐみんもダクネスもそう言って私の元から去っていったわ。……私の味方だって言ってくれたくせに」

 

 ツンとした声音。先日泣き濡れていた頃よりも意地を張れるだけ持ち直しているようである。だが、寂しさだとか哀しさだとかに乱れない淡々と話そうとしていても失敗していて、やっぱりそれが滲んでしまっている。

 語られた内容が信じられないゆんゆんは、手で口を押さえたまま固まってしまっている。今のアクア様に何と言えばいいのか戸惑っていて、とんぬらの方に目配せ(サイン)を送る。

 

「アクア様、それで3人の行方は? 捜しに行かれたりはしたのですか?」

 

「私はこの屋敷に封印されてしまっているの」

 

 “封印”と言うワードは紅魔族的な言い回しでもある。よく実家に引き籠るニート代表ぶっころりーも口癖のように頻繁に使う小芝居だ。その設定もギルドからの出禁のこともあるので、あながち間違っていないとも言えるが……やはりそんな法的拘束など建前に過ぎないと思ってしまう。

 話をさせて思い出させてしまったからか、段々とダウナーに雰囲気が陥っていく。

 

「だから、私は外に出ないの。皆に迷惑をかける役立たずの駄女神なんだから。――ええ! 惨めッぷりに笑いなさいな!」

 

 挙句、そんな自嘲的な台詞まで。

 正直、これは想定していた以上に重傷であるようだ。

 

「……アクア様がご自身を笑い者にしてほしいのならそうしますが、よろしいので?」

 

「よろしくてよ。いっそ、笑われた方が楽ね」

 

「……では、俺が笑ったらアクア様はどう思います?」

 

「そんなもの……――今よりさらに腹が立つに決まってるじゃないっっ!」

 

「はい。ですよねー」

 

 今まで見たことのないくらい弱々しくしょげっていて、戸惑ってはしまったが、どうあれこの通り、根っこの部分はお変わりないご様子。

 ならこちらも直球で訪ねよう。

 

「では、というのはおかしいですが――お気持ちを聞かせてくれませんか。愚痴でも構いません。アクア様が何を思っていらっしゃるのかを」

 

「私は……」

 

 依然として不貞腐れたような様子のままではあったが、それでもアクアはとんぬらを見つめ、視線を合わせてくれる。

 こうもしっかりと見つめられると何かを思い出しそうな、こう小首を傾げたくなるような気がしなくもないが、こちらも目を逸らさない。

 

「………」

 

「私は、別に……カズマさんたちが私から離れたからってどうってことはないわよ。私には敬虔なアクシズ教が大勢いるんだもの。寂しくなんてないわ」

 

 この期に及んで意地を張りなさる女神様。屋敷を訪ねてきたときはああもわんわん泣いていらしたのに意固地となっているのだろうか。その辺は追及すると面倒なのでしないが。

 

「ただ、強いていうのなら」

 

「はい……いうのなら?」

 

 一拍、いや、二泊ほど深く息を吸う間を入れて、アクア様は真剣な表情を作り、

 

 

「シュワシュワを貢いでくれないかしらっ!」

 

 

 ドドンッと効果音でも付きそうな勢いで言い切るアクア。ド直球に、自らの欲求を明かし(ぶっちゃけ)てくれなさった。

 聴きたかったのはその言葉じゃなかったんだがなぁ……

 それで、床に空き瓶が散乱していた様子から明らかだが、これは相当ヤケ酒に嵌っていた。人ならぬ身であるのだとしても心配になってしまう。

 

「シュワシュワでヤケ酒して話が済むのなら、いくらでもそういたします。ですが、決してそういうわけでないのでしょう?」

 

「うるさーいっ、いいからお酒が欲しいの! でも、この前、酒場でお酒をダメにしちゃったからそれで私じゃ買えなくなっちゃって……カズマさんのつけにもできなくなっちゃったし、屋敷に買い置きしてあったのも尽きちゃったし」

 

「そんな調子だとアクア様も屋敷を出ることになってしまいますよ。借金の取り立て的な理由で」

 

「そ、そうなったら、ここを出て二人のところでお世話になろうかしら。いいでしょ、ね?」

 

「それは遠慮させていただきたいなぁ」

 

「とんぬらも私のことお払い箱だっていうのっ!?」

 

「いいえ、そんな滅相にもない。そういうわけではなくててですね。アクア様がこちらに越されたら、マネージャーとの隣人トラブルが洒落にならなくなりそうですから。ほら、アクア様もそんな近所付き合いをしては気が休まらないでしょう?」

 

 悪魔と女神は、会わせるな危険である。下手を打てば隣人トラブルから最終戦争(ハルマゲドン)にまで発展してしまいかねない。互いの領分を近づけさせないようにするのが一番なのだ。

 

「そうね。一理あるわ」

 

「そうです。想像してみてください。玄関を出ると、待ち構えていたかのように店先を箒で掃いていたバニルマネージャーがいて、そして、こちらを見つけるや指差して、『おや? 誰が来たかと思えば、貴様か。フハハハハハハ、随分と落ちぶれたものだな! まったく貴様などそこらの公衆便所にでも住み着くのがお似合いであろうトイレの女神よ』なんて言われたら、我慢できるはずが」

「ぐすっ……うっ、うええええええええっ……!」

 

「べっこりしちゃってますよ!? あわわホントに大丈夫ですかアクアさんーっ!」

 

「いやこれは俺の言葉じゃなくてですね、あくまでマネージャーのセリフですからっ!」

 

 マネージャの声真似から高笑い、いかにも言いそうなセリフまで忠実に再現してみせたが、クリティカルに決まってしまった。今のアクア様は情緒不安定で、いつも以上に浮き沈みが激しい。いつもならこれに反発して活気づくところであったろうに、ちょっと突いただけでこの様子ではまだ立ち直り切れておらず、これではとてもでないが外に出られない。

 

「私自身、アクア様に対して他意なんてございません。それと、悪魔がいくら戯言を宣おうがそれに我が信仰が揺らぐことはありません」

 

「……じゃあアクシズ教をエリス教以上の世界的な宗派に盛り立ててくれる?」

 

「申し訳ありません。神様は皆敬うべきものですので。そういうのはちょっと……」

 

「うわーん持ち上げたり落としたりーっ!」

 

 そうは言われても、アクシズ教徒という崇敬がぶ厚い狂信者がついていようがそれは流石に無理である。

 しかし、アクア様に泣かれてしまうのは、とんぬらにはどうにも弱ってしまう。ゆんゆんだって困るのは同じ。となれば、最初にお願いされた方を呑むしかない。

 

「わかりましたアクア様。シュワシュワ買ってきます」

 

「…………本当?」

 

「色々と他にも用事がありますが『アクセル』随一の酒屋のマイケルさんのとこに寄って、いくつかオススメを見繕ってきます。それでよろしいですか?」

 

「…………うん」

 

 ぐすぐすと椅子の上で膝を抱え俯く女神様。甘やかすとロクな事にならないとあの三人は言いそうだが、今は機嫌を持ち直すことが先決である。

 

 

 アクア様を居間に残し、支度を整え玄関へ、

 

「ゆんゆんは、アクア様の傍についててくれ。今、お一人にしてしまうのは心配だ」

 

「こっちはまかせておいて、とんぬら」

 

 以前、税金徴収の件で喧嘩別れしてこの屋敷で別居生活をしていた際に、アクアのお世話をしていた経験のあるゆんゆん。彼女がついていればひとまず落ち着いてくれるはず。

 

「それとできれば屋敷の掃除もしておいてくれないか。昨日、溜まった空き瓶やらを捨てて片づけたけど、きちんと(いつ)かれたところの方が、アクア様のような神……神職者も調子を取り戻し易いだろうから」

 

「わかったわ、私も早くアクアさんに元気になってほしいし。……でも、とんぬらも、あんまり無茶しちゃ、ダメだからね?」

 

「わかってる。街の外に出るつもりはないし、家と店、それからギルドにちょっと話を聞きに行くだけだから。それに護衛役(ボディガード)にドランゴを連れていく」

 

「ギルル……小さいとんぬら……ちゃんと守る」

 

 街中散策スタイルに見た目少女に変身しているドランゴが一鳴き。族長試練で留守番している間も、ひとりモンスターを狩り続けたドランゴは結構な強さ(レベル)に成長している。そこらのゴロツキ程度、斧など使わずとも腕一本で軽くあしらえてしまえる。

 

「それならいいけど……」

 

 納得はしてくれたようだが、まだ何か言いたそうなゆんゆん。

 待ってみると、やがて意を決して口を開いた。

 

「と、とんぬら! その……小遣い足りてる? 必要ならいくらでも渡すよ?」

 

「あまり高い買い物はするつもりはないし、十分なくらいは持ち歩いてるぞ」

 

「じゃあ、えとえと……は、ハンカチ、持った?」

 

「ああ、持ってるよハンカチ、ほら」

 

「知らないあやしい人についてったらダメだからね! 絶対っ! いい? お菓子あげるからといわれても断るのよ!」

 

「子離れできない母親か!? あのな、俺が食べ物にホイホイ釣られてしまう子供に見えるのか? 確かに今の姿は幼くなってるけど、内面はそのままだからな」

 

 このままだとコッソリ後をついてきそうなゆんゆんにとんぬらはジトッとした視線を向ける。が、睨み返される。腰に手を当て、視線の高さを会わせるように腰を曲げて調整して、真っ向から、

 

「だって、しょうがないじゃない! この前だって魔王軍に捕まって大変だったし、今も小さくてかわいくなっちゃってるんだもの! とんぬらはもっとちゃんと自分のことを自覚した方がいいよ!」

 

「うっ……」

 

 経歴を突かれるとこちらはぐうの音も出ない。

 キッと目尻を上げて睨んでくる視線が胸に刺さる。

 

「とんぬらのことはすごく信頼してるけど、この点だけは全然信用できないのはイヤって程体験してるんだもの。だから、とんぬらの考えは基本的に賛成するけど、とんぬらが危なくなったら絶対反対するって決めてるの。そうなったら魔法使ってでも動けなくしてやるんだから……!」

 

「わかったわかった! 十二分に注意するし、反省する! もう囚われのお姫様役(ヒロイン)は真っ平ごめんだからな」

 

 ゆんゆんの目が紅い。マジである。

 パートナーの心配は、不便な稚児化のことだけでない。

 カズマ、めぐみん、ダクネスと三人とも続けて唐突にいなくなっている事態だ。何らかの要因があることは間違いないし、とんぬらも用心を重ねて行動するつもりだ。

 

「にしても、随分と容赦ない意見が出るな……」

 

 あの“ゆんゆん”が……と少し驚くとんぬら。

 最初のころは全面的に自分を立ててくれていた気がするのだが、割と遠慮がなくなってきている気がする。

 

「当然じゃない。私はとんぬらのパートナーで……つ、妻になったんだから! 夫婦なら言いたいことは遠慮しないでちゃんと言わないとダメでしょ!」

 

「……――プッ、ハハハハ!」

 

「何でそこで笑うの!?」

 

「いや、悪い悪い! からかってるわけじゃないんだ。ゆんゆんと結婚してるんだなって実感しただけだ」

 

 妻という意識が先走り過ぎて暴走しているようだけれども、やはり族長試験を経て人との関わりに前向きになれているのだと思える。

 まず遠慮することが先立ってしまう他人優先の性格から自己主張が芽生えているのだと思うと何だか感慨深く、ついおかしくなってしまった。

 新たな肩書は増えようとも彼女の本質は変わらない。ただ前より距離が近くなっているだけ。

 そんな変化にとんぬらは言いようのない嬉しさが込み上げるのだ。

 

「ゆんゆん」

「なに?」

 

 こちらに顔を近づけさせたままのゆんゆん。

 この距離感に無意識なパートナーに、とんぬらは彼女の頬に軽い口付けをする。

 

「夫婦なら、いつかちゃんとした式を挙げないとな」

「っ――――!?」

 

 朝二度目の挨拶(キス)

 自覚はなかったが、今更ながらとんぬらもこれが癖になっているかもしれないと思う。

 それで、これに、不意を突かれ目も頬も、耳まで真っ赤にするゆんゆん。

 そんな彼女の様子が可愛らしくってついつい茶目っ気ある笑みを深めてしまう。

 

「~~~~っ、とんぬらっ!」

「おっ――!?

 

 それに負けず嫌いなところが出てきたのか、また二回目とあって耐性ができてたのか、ゆんゆんは反撃とばかりにとんぬらの身体を強引に抱き上げて顔を引き寄せると、同じように頬にお返しをする。

 これはちょっと予想外。思わぬ反撃をくらったせいか、意識せず頬が熱くなるのを感じた。

 

「こ、今度は、私から……してもいい?」

 

「ああ、うん……遠慮なんてしなくていいぞ。夫婦、なんだからな」

 

 夫婦といいながら、付き合いたての思春期真っ盛りの恋人同士みたいである。

 

「じゃあ、いってくる」

 

「うん……いってらっしゃい」

 

 

 

 ♢♢♢

 

 

 この力は呪いじゃない。

 どんな奴でも抗うことなどできはしないさ。

 あたしはこれで何人もの英傑を堕落させてきたのさ。

 でも、本当に嫌な命令には、激しい苦痛が伴うが抗うこともできる。

 ふふっ、あたしの命令に、一体どれだけ抵抗できるか楽しみだね……!

 

 ――昏く冷たい声が直接頭に吹き込まれる。

 

 さあ、あたしの言葉に耳を傾けるんだ……。

 自らの胸の底に燻るものがあるだろう? それは、今までに受けてきた屈辱、理不尽、不当、嘲り……。

 ほら、思い出せ。

 この街の住人に舐められてきただろう?

 問題児だと馬鹿にされたりしなかったか?

 そこに怒りを覚えはしなかったか?

 

 そう、どうして自分は評価されないんだと……。

 もう我慢することはないんだよ。

 良心を捨てろ。

 常識を捨てろ。

 我慢を捨てろ。

 道徳を捨てろ。

 さあ、あたしと一緒に復讐しよう。

 さあ、この街の住人へ逆襲しよう……!

 いずれこの街に、あたしの仲間が押し寄せる。それまで注意を引き付けるんだ。

 

 ………

 ………

 ………

 

「くっ……! 意識が段々と遠く……! バニルの時のように激痛ではなく眠気を誘うような心地よさで、抵抗自体をできなくさせてくる! ――っ、ダメだ! こんなもの私が望むシチュエーションではない!」

 

「ちっ、こいつはまだ支配し切れないとは。他の二人は洗脳できたというのに、うざったい……エリス教徒の『クルセイダー』であるし、人一倍加護が強いのか」

 

「そうだ侮ってくれるな邪教徒! このダスティネス・フォード・ララティーナを堕としたければ、こんな呪いではなく、想像絶するたまらん拷問でもかけてくれないと物足りんぞ!」

 

「ふん、まあ、動かすだけなら今のままでも十分だ。……すべてが終わった時、貴様は裏切り者として人々から侮蔑の対象となる。チヤホヤとされてきた貴族には耐えられんだろう?」

 

「――――っ、くぅ、ここにきて誘惑してくるとは油断ならんな魔王軍! その誘い文句、想像しただけで一瞬、堕ちかけてしまったではないか!」

 

「いや、あたしは普通に脅し文句のつもりなんだけど、何を言ってるんだコイツは」

 

 早く街の皆に伝えなければ……!

 今、『アクセル』に魔王軍の魔の手が近づいているということを。この『ベルゼルグ』王国を陥れようとする魔王軍の企てを。だがしかし、意思に反して身体は思い通りに動かせず、どうしてもこの女の不利益となるよう行動することができない。

 

「貴様ら三人どいつもこいつも頭がおかしいが、洗脳に手古摺らせてくれるとは、流石は最大宗派エリス教の聖騎士だと称えておこう。それに対して最初の男はこっちが驚くほど簡単に堕ちてくれたけど……いやそれはそれでおかしい具合だし、次の小娘は制止しても爆裂魔法を連発するもんだから、レジーナ様の魔力が弱まって、既に支配していた他の連中の支配を解放せざるを得なかったし……くそっ、計画を誤ったか?」

 

「ふっ、カズマもめぐみんも、思い通りになるような連中ではないぞ!」

 

「その通りだなクソッたれめ! 他の奴にしとけばよかったと後悔してるよ! だが、計画までバラして引き入れちまった以上、もうやり直しはきかねぇ。とことん、利用してやる。ああ、どれだけ強い信仰心をもった聖騎士だろうが、更にこちらから“借り”を増やしてやればいい」

 

「なっ、なにをする! はっ、そうか! ついに私を怪しげな儀式と称して辱めようというのだな!」

 

「するかアホ! そんなことやったら忠実にさせるどころか解放することになっちまうだろうが! 相手に望まぬ無理をさせるほどこっちの支配力は弱まっちまうんだよ! あたしは“借り”を上乗せさせるつったろうが。つまり、紅魔族の『アークウィザード』にやってる魔力供給と同じだ。

 ――レジーナ様! この者に復讐のご加護を与えたまえ!」

 

 ああ、意識がますます遠く……

 押し付けられた望まぬ恩恵(ちから)であろうと、加護だ。それに対する代価(かり)は大きい。傀儡化が進む。

 何も考えられなくなり、今度こそ私は堕ちてしまうのだろう。

 ……どうか、エリス様……私に、抗う……力を――


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