この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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129話

 トールが教えてくれた変化魔法の『モシャス』は化けようと思えばなんにでも化けられるのだそうだが、それには魔力の扱いだけでなく、化ける対象を具体的に描ける想像力も、魔法の精度に関わる。

 よって、いざ変身できる魔王軍に入り込めそうな魔族となれば、(ゆめ)の中でとてもお世話になった、常連になったサキュバスのお姉さんが真っ先に思い浮かんだ。その男なら食いつかんばかりに目を奪われる肢体を完全再現した時は、鏡の前で男泣きしたくらいだ。トールには本当にいい魔法を教えてもらった。それから前屈みになり腕で挟むように胸を寄せる、男性冒険者殺しなポージングを取り、変身の具合を細部までチェックしていたら、この悪魔に化けたのに大変不満な(一応)女神のアクアが『これ以上女神の従者が毒されないよう、今度、サキュバスを見かけたらすぐに浄化する』などと言ってきたものだから、マジギレして説教した。ベッドの下に隠し持っていたえっちい本を皆の前でこれ見よがしに鍋敷きに使われたとき以上にキレた。『心のオアシスであるサキュバスのお姉さんたちを退治しようものなら、街中の男性冒険者から死ぬほど恨まれることになるぞ』と脅して、しっかりと反省させてから、芸達者になる支援魔法を施してもらい、声真似や女性らしい艶っぽい仕草もばっちりだ。

 

 なのだが、いざ魔王の間へと向かおうとするとその前の大広間で戦闘中。

 爆発音が聴こえてきたから、“これはめぐみんだな!”と察して急ぎ駆け付ければ、あのミツルギが身の毛がよだつオークの集合体(キメラ)に手籠めにされていた。

 あまりにもあんまりな状況に、あのミツルギを可哀想に思うくらい、同じ男として同情を禁じ得ない。それにあれはよく見れば、シルビア。確か、紅魔族から転移魔法で取り込んだ美女美少女を全摘出された後の顔がああだったと思い出す。

 

 あいつ……オークの集落に送られたのに生きていたのか!?

 いや、だとすると……これはまずいんじゃないか。正直、非常にイヤなトラウマがある相手なので近寄りたくないのだが、これを放置すればいずれ自分に報復しに来るんじゃないかと危惧。あの舌を噛みかねないミツルギの状況が、今度は自分に振りかかってくるかもしれない。

 だったら、やる前にやる――それしか助かる道はない!

 そう考えるや、サキュバスに化けて魔王軍に潜入工作作戦を、臨機応変に練り直して、騙し討ち戦法を決行した。

 

 ……のだが、

 

 

「これは一体何の余興なのか()らぁ?」

 

 

 硬い……っ!?

 完全に不意を打ったはずなのに、魔剣が肌に刺さりさえしない。防御すらしていないのに攻撃が通じないとか、凄まじい筋肉をしている。

 

「どんな肌をしてんだ! ダクネス並みの身体をしていやがるぞ!?」

 

「おい、カズマ! 私をそいつと比較対象にするのはいくら何でも怒るぞっ!」

 

 魔剣の神器『グラム』は、装備すれば人の限界を超えた膂力が手に入り、石だろうが鉄だろうがサックリ斬れる代物なのだが、神器は基本専用アイテム。特典を選んだ痛い人(ミツルギ)でなければ真価を発揮できず、他の人間が使っても少し切れ味が良い程度の剣と変わらないのだ。

 

「くそっ……! 使えねぇなこの魔剣!」

 

「おい、助けてもらったみたいだけど、その発言は許さないぞサトウカズマ! それから早く魔剣をこっちへ!」

 

 つまり、自分(カズマ)が振るっても、重くて大きい身の丈に合わない剣である。これなら、いつもの小太刀(銘ちゅんちゅん丸)の方が使い勝手が良い。重石にしかならないそれを、ポイッと投げ捨てる。

 それで一桁ダメージくらいしか与えられなさそうな刺激に反応して、百頭の怪物がこちらを向く。

 

「あらあらぁ! サキュバスに化けていたなんて、気づかなかったわぁ! お久しぶりねぇ、あなたのことはよーく覚えている。いずれ会いに行こうかと思っていたけど、そっちから来てくれたなんて感激よ。――絶対に逃がさないわ!」

 

 ヤバイヤバイヤバイ!?

 忘れていてほしかったけどやっぱり覚えてた。復讐する気満々だ。危惧していたことが本当に起こりえた。だけど、ここでトドメを刺すのならそれは回避できる。

 

 魔剣を使ったのは単に、直に触りたくなかったからだ。一度使ってダメだった魔剣に端から期待なんてしていない。それよりも自分には一度このシルビアを苦しめた必殺技(スキル)がある。

 

 ウィズから教えてもらったスキル『不死王の手』。

 この効果は、毒、麻痺、昏睡、魔法封じにレベルドレインと様々な状態異常の効果を、触れた(道具を介しても可)相手に及ぼすというもの。

 最上位アンデッドのリッチー固有のスキルであって、非常に強力な効果で、ランダム仕様であるが幸運補正が効く。

 

 ――そう、この魔剣を介して、『不死王の手』を行使した。

 麻痺や昏睡が当たれば行動不能になるし、毒が当たればじわりじわりと弱り果てていく。魔法封じだと意味がないがそこは自分のステータス上は非常に恵まれた運を信じる。

 

「はあ……、はあ……っ! ぐっ……! ガハッ!」

 

 よし!

 途端、操り人形の糸が切れたように崩れ落ちるシルビア。クリティカルな毒の状態異常が的中した。

 うずくまり、ビクビクと痙攣しだしたシルビアは苦しそうに顔を歪めて――一転して、それが笑みに変わる。

 

「――なーんちゃって! 同じ手は食わないわよ!」

 

「えっ――」

 

 大きな手が身体を鷲掴みにして捕まえた。

 

「ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ! あたひは百のオークを取り込んでいる! 各種族の優秀な遺伝子を兼ね備え、強力な耐性力と生命力を持ったオークをね! ()かげで状態異常も万全なのよ!」

 

 ウソだろっ!!?

 本物のリッチーよりは格段に劣るとはいえ、『不死王の手』さえ通じないとか、どんだけバケモノになってんだ!?

 

「だけど、おかげで思考がハイになってしまってねぇ。だから、あなたのような鬼畜な頭脳を持ったオトコを取り込みたかったところなの」

 

「ふあああああああああああ! 助けてくれーっ!!」

 

 神様! これまでの鬼畜と言われてきた所業の数々を、心の底から悔い改めるから、どうか俺を許してくださいっ!

 

「そうはさせるか! 『ルーン・オブ・セイバー』!」

 

 払い上げるよう繰り出された魔剣の斬撃が、カズマを掴まえていた腕を断つ。

 シルビアの腕を斬り飛ばしてカズマを救助したのは、カズマが用済みとなって放り捨てた『グラム』を素早く回収した――

 

「ミツラギ! ミツラギかっ! うっ、うわああああっ!」

 

「ミツルギだ! ミツルギキョウヤだ! いい加減に覚えてくれ!」

 

 魔剣使いの勇者は、同郷の冒険者へと言い難そうながらも、先程の礼を述べる。

 

「さっきは助けられたからね。それに君の頭脳まで併せ持たれたら、手が付けられなくなる」

 

 剣を構えているミツルギだが、蹂躙された直後だからか及び腰でシルビアから後退り距離を取る。そんなミツルギを盾とするようカズマは背後へ回る。

 あれは、勇者でも、鬼畜でも、男であれば縮がらざるを得ない天敵。最悪の男殺しの怪物だ。

 オークの生命力は半端なく、今も斬られた腕を断面と接着するだけで、一瞬でくっつく。

 

「ふふっ、そんなに怖がらなくてひいのよ。ひとつになりましょう。あなた達はあたしの右腕左腕として左右腰の辺りに顔だけ生やさせてアゲルから……!」

 

 絶対にごめんだ! 死んでも捕まるわけにはいかない!

 倒すのが無理な以上、ここはもう撤退するしかない。――しかし、シルビアは『テレポート』をさせる余裕も与えずに迫ってくる。

 

「オークが相手なら、私の出番だろう! ――『デコイ』!」

 

 興奮して息荒げな『クルセイダー』が、嗜虐心を煽る『囮』スキルを発動。

 身体を張って時間を稼ぐ、またその責め苦を自らの体感してみたい。そうダクネスはカズマたちを庇おうとシルビアの注意を引き付けようとする……が、見向きもされない。

 

「なぁっ!? 私の『デコイ』が通じない、だと……!」

 

「言わなかったかしら。あたしはメスには興味がないの!」

 

 百のメスオークを取り込んだ影響からか、シルビアはひたすらにオスを渇望する偏食家となっていた。張り切って前に出たダクネスを袖にして、カズマとミツルギを追い続ける。

 

「お前の出番だ、魔剣の人! その魔剣で格好良く退治してくれよ!」

 

「そうしたいのは山々なんだけど、あいつは『グラム』にも耐えてしまうんだ!」

 

「使えねぇな、魔剣! 特典(チート)じゃねぇのかよ!」

 

「君なぁ!」

 

「ほーら、楽しくおしゃべりしてないで、いい加減に取り込まれなさい! さもないと、二人とももっと悲惨な場所に生やしてあげることになるわよ……!」

 

 ヤバイヤバイヤバイ!

 

「逃げ道を塞げ! これ以上シルビア様が暴走されると俺達も巻き込まれかねないぞ!」

 

 このままだと確実に追い詰められる。親衛隊の連中もこちらを荒ぶる怪物を鎮めるための生贄に差し出そうと画策しているのか、大広間から逃げ出させないよう包囲網を築いている。まだその方位が完全に整っていないうちに穴を――そう、その近衛隊の指揮官と思しき魔族を封じる。

 

「『バインド』ーッ!」

「!? えっ、ちょっ!!」

 

 近衛隊のまとめ役と思しき山羊頭の魔族へ、走りながらも渾身の魔力を篭めて、『拘束』スキルを食らわせる。

 バインド用の強靭なロープが、鎧を纏う巨体へキツく巻き付いた。

 

「いたたたたた! 痛いんですけど! 痛いんですけどー!」

「アクア様ーっ!!?」

 

 首輪のようにロープの端が巻き付いていたアクアも巻き込んで。

 背中に背負わせるようにアクアが魔族兵の巨体に張り付いてしまった。

 

「本当に、鬼畜ね! サキュバスに化けて騙し討ちしただけじゃなく、まさか仲間まで巻き込むなんて、あなたどこまでド外道なの!」

 

「サトウカズマ、君って奴は、ちょっと見直しかと思えばすぐにこれか!」

 

 えらい言われようだが、これは故意ではない。慌ててロープの先にアクアがくっついていることを頭からすっ飛んでいた。

 

「クソッ、小癪な真似を! ロープごとこの邪魔な女を八つ裂きにしてくれるわ!」

 

「! な、何よ、やる気!? この私は強いわよ!? 伊達にアクシズ教徒の信仰を集めているわけじゃないわよ!」

 

 縛られながらもアクアが強気に捲し立てると、マモン、それから周りの魔族兵も顔色を変えて一歩飛び退いた。

 

「うああああっ!!? だ、誰か頼む! アクシズ教徒を剥がしてくれーっ!!」

 

「アクシズ教徒! こいつ、アクシズ教徒かよ! なんてこった!」

「エンガチョ! マモンサマ、エンガチョ!」

「マモン様、どんまい。でも俺もアクシズ教徒は勘弁です!」

「おい、やだぞ! アクシズ教徒なんかに関わるのは!」

「うわあ……確かにあの青髪、アクシズ教徒くせー!」

 

「きゃああああーっ! きゃあああああああっ! どうして私ばかりひどい目に遭うの!? ってひどい目に遭ったのは私よねえっ!!?」

 

 魔王軍の中でもエリート魔族兵の近衛隊がパニックになった。

 副長のマモンが助けを求めるのだが、それから逃げ惑う魔族兵。おかげで陣形も総崩れとなった。ついでに跳んだり跳ねたりしてロープに縛り付けられた背中から振り落とそうと魔族兵に暴れられて、アクアが悲鳴を上げる。

 アクアを人質に取ろうとか言う考えにも発展していないようで助かるのだが、その扱いは囚われの女神ではなく、狂犬病に感染した獣扱いである。

 流石は、オークに並ぶ、この世界で魔王軍も敬遠する三大禁忌に指定されるアクシズ教。

 

 

 そして、その味方も敵も混乱する最中、大広間に駆け付けたその影は、状況を刹那に捉えるや飛び出した。

 

 

「――っ!?」

 

 その影は真っ直ぐに、マモンへ肉薄する。

 この接近に気付くのが遅れ、山羊頭の魔族兵はその大剣を咄嗟に大きく振り抜いたが、その前に跳んだ。何とも軽々と、この頭上を身軽な影は舞った。そして、ひねりを入れた身体が、その慣性に任せて旋回し、手にしていた鉄扇を振るう。

 同時並行で、柄側の末端より竜の咆哮(ブレス)の如き水芸の逆噴射が迸る。

 

「『花鳥風月・猫車大車輪』!」

 

 体重移動の妙を活かし、激流のブーストさえ上乗せして、回転する身体ごと全体重を叩きつけた。体術から芸能まで神技な器用さを発揮して振るわれた会心の一撃。その冴えは、近衛隊副長は、その一打に頭蓋が陥没されても数秒は気が付かなかったほど。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 この技芸に目を奪われて生まれた隙を逃さず、もうひとつの影が杖を振るい、光の刃を閃かせて、めぐみんとフィオとクレメアに襲い掛かろうとした魔族兵が切り裂いた。

 

 だが、そんなのはシルビアの気にするところではなかった。

 奇襲のようなものとはいえ近衛隊を真正面から瞬殺してのけた。

 あれが、最も感じたオス。とびきり強い遺伝子(そしつ)を持ったオスだ――!

 

 

 ♢♢♢

 

 

「あなたも、彼らの仲間?」

 

 殺し得るものが存在しない頂点に立つ怪物の余裕か、シルビアは親し気に話しかける。

 望んだ獲物がきた、というような心境なのだろう。こうして会話を切り出したのも、遊びもなしに一息で頂いてしまっては勿体ないという、今にも飛び出さんばかりの本能を落ち着かせるためのクールタイムのためだった。

 

 水を向けられた仮面の青年は、それに応えず、たった今打ちのめした山羊頭の魔族兵と雁字搦めになっている水の女神を解放しようと手を伸ばす。

 完全な無視に、シルビアから笑みが消えた。怪物の機嫌を損ねたことも気にならないのか、手を動かして器用な指先でロープを緩めると、空いた隙間より、散々振り回されて目を回していたアクアを抜け出させた。

 ――と我慢が出来たのはそこまでだ。怪物の苛立ちが沸点間近に達したように湯立つオーラが視覚化される。

 

「ねぇ、そろそろいいかしら」

 

 結界の維持が果たせない状態にあったため地位こそ剥奪されたが、魔王軍幹部としての自意識がある。

 無視されるのは度し難く、自分の重圧は確かに伝わっているはずだというのに振り向いてさえもらえないのは、非常に癪に障る。それに元々こちらは今すぐに嬲りたい獣欲を我慢してやっていたのだ。

 余裕に満ちてはいるが、苛立ちに急かされた声。怒気を抑える堪忍袋の緒が、ブチブチと切れかかっている幻聴までありそう。

 それでようやく、仮面の青年・トールはアクアから離れた。真っ正面にいるシルビアへと体を向けた。

 ただし、

 

「――不細工だなあんた。見るに耐えん」

 

 ただの独り言のように吐かれたその文句は、美を追い求めたシルビアにとって何事にも耐え難い侮辱。この醜いオークの塊になってしまったことが極めて不本意であると重々知る魔王軍の親衛隊らは、一気に顔を蒼褪めさせた。

 なんて失言(こと)をしてくれたんだ。これで収まりつかなければ自分たちもまきこまれてしまう。

 

 沸点を超えて蒸発した感情の変化に、シルビアの目がどす黒く濁り、その身体にも影響を及ぼす。

 肉体が歪なカタチに、一回り程大きく膨張する。その肌に浮かぶ豚面瘡の口から呪詛のようなうめき声を上げさせながら、より生命力を搾り取り、存在規模を拡大させる。

 

「ふ、ふふふふ――っ! ええ、どちらにせよ頂くことには変わりなかったわねえ! いいオスは力ずくでモノにするタイプだから! 特に嫌がる生意気なオスを力ずくで組み伏せるのが大好きなの! だからあたひが満足する前に壊れないでよッ!」

 

 ドンッッッ!! と床の大理石を割り砕くほどの、本気の踏み込みで飛び掛かる巨大な肉塊を、トールは軽々と回避していた。

 

「生憎と、俺の貞操は売約済みでな。――『アクロバットスター』!」

 

 掴み捕ってやろうと我武者羅に手を伸ばしてくるのを、時間感覚を歪ませるほど鮮やか極まる動きで翻弄する。

 アクロバット飛行のようにピタリと寄り添いながら高速移動を繰り返す、そんな人間離れした軽業の極地にあって仮面の奥の双眸は色付くことなく洞察。回避の最中にも相手の稼働限界を測るよう、今も分析を行う。それで見抜いた間隙へ体をねじりくらせながら、お触りひとつも掠らせずに滑り込ませる。矢鱈滅多に腕を振り回そうがそれは、和装の裾を靡かせるにとどまる。

 

「力はあっても速さがない。無駄に膨らみ過ぎだなその肉体は。それもだいぶ振り回されている。所詮は外付けされた借り物の力。どうやら完全に操縦するには無理があるみたいだ。それが、『グロウキメラ』の弱点か」

 

「ふんっ、ちょこまかと逃げてばかりの逃げ腰の男が何を言ったところで強がりにしか聴こえないわね!」

 

「それなら、こちらも反撃に転じるとしよう。『カレイド・マジックゲイン』――『オーバー・パワード』!」

 

 筋力増加の支援魔法で、底上げして力比べか。――ぶつかり合いは望むところだ。

 ええ、速さがない鈍間だというのなら見てみなさい。百のオークを束ねたこの身体能力を!

 相手の構えに応じて、シルビアは腰を捻ってから思いきり腕を振り上げて――交錯するや飛ばされた。

 

「『フリーズ』」

「ッ!?」

 

 実際に、トールが投げたわけではない。そも触れてすらいない。

 躱しながら床に撒かれていた水が氷結して氷に。そこに踏み込んで足運びを滑らせ、自身でも想定以上の腕の振りに振り回されてバランスを崩し、大きくスリップするように体を回転させてしまったのだ。

 指はあと少しで仮面の鼻先を掠るところで、空振る。自分の腰がねじ切れてしまうのではないかと思ったほど豪快過ぎる空振りだ。そう、先程の()()()支援魔法を施したのは、トール自身ではなく、シルビアにだった。

 

 そのまま、ぐるんっ! とシルビアの巨体が宙を舞う。回転する。ひとり勝手に転んで自らの背中を固い大理石の床へと叩きつけてしまう。それでもなお勢い止まらず、水面に石を投げつけて遊ぶ、水切り遊びのように、何度となく巨大な肉塊はバウンドして、壁に当たってようやく停止した。

 濛々たる粉塵が立ち込めたのは、少し遅れてからの事。

 それはてこの原理や重心移動でもって相手を制する合気道というよりも、神様や精霊を相手に力比べを行うという体で自ら投げ飛ばされる一人角力(すもう)なる神事にすら見えた。

 

 そして、トールは迫る。追撃に入る。

 今の小技は体勢を崩しただけで、大したダメージにはなっていない。

 だから、この隙を逃さず、次の手を打つ。受け流して倒したのは、“これ”には少々タメがいるためだ。

 

「ダメだ! 奴は『グラム』にさえ耐える! 下手な攻撃は通用しないぞ!」

 

 前に飛び出す。攻撃に入ったモーションを捉えるや、ミツルギは忠告を叫んだ。

 しかし、勢いは止まらない。

 男性破滅の抱擁の懐へ自ら飛び込み、力を溜めた拳を腹の真ん中へと突きこむ。

 

「――ズシンと来る一発ね! でも、あたひには効かない! あらゆる危害に無敵の耐性を持っているのだから!」

 

 突き立った腕。肉に深く食い込んだそれを、筋肉を圧縮させるよう絞めつけ、固定する。すばしっこい相手だが、これでもう逃げられない。あとは力いっぱいに抱きしめてやるだけで、終わる。

 

「『カレイド・マジックゲイン』――『オーバー・ヒール』!」

 

 その刹那、拳を相手に深く抉り込ませたその腕を起点に、万華鏡の如き魔法陣が展開される。幾重に反射されて瞬く鮮烈な輝きが、百頭の怪物を呑み込んだ。

 

 ・

 ・

 ・

 

 そして、抵抗なく分厚い筋肉に抑え込まれているはずの腕が何の抵抗もなくずるりと引き抜かれた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 ……なんで……あたしが……?

 膝をつく。(こうべ)を垂れる。そして、埋まることのない風穴を開けられた腹を抱え込む。

 打ち込まれた拳が引き抜かれた後でも、怪物は自分に起きた出来事を把握できなかった。それどころか混乱は今も加速している。

 負傷を修復する自己再生が働かない。魔剣で斬り込まれた傷跡もたちまち塞いで身体機能を復元させたそれが、作用していない。

 今の拳は確かに凄まじい衝撃だったがそれでも、魔剣使いの勇者には劣るものだったというのに、それにすら余裕で耐えたというのに……今、感じないはずの痛苦が己の全身を走り抜けている。

 ……何、この矛盾した状態は……。

 軽く眩暈を起こすほどの疑問。

 どうして一発もらっただけでこうなった。

 いや、どうして、というのなら、そもそも相手が何をしたのかが不明だ。

 手探りで経緯を思い返せば、たしか、どてっぱらをえぐり込まれた瞬間、裡で光が弾けたのを知覚した。

 おそらくは魔法。その魔法が、この身体にダメージを与えたのかもしれない。

 

 ――そんな馬鹿な。

 仮に魔法を使ったのだとしても、この百のオークを取り込んだことで獲得した数多の耐性の中には魔法もある。

 “魔術師殺し”と称しても構わないほど、あらゆる属性の魔法抵抗力、今度は状態異常にさえも完全に守られた耐性力を得ているのだ。

 だから、魔法でやられるなんてありえない。

 結局、どれだけ自問しても明確な答えはでなかった。

 そもそも、こんな“窮地に陥る”こと自体がありえない肉体設計だと信じ切っているシルビアに、この状況は間違っているとしか思えない。

 けれど、己が痛みに悶え蹲っている事実は確かだ

 こんな反則じみた事態に、シルビアが歯軋りして全身に力を篭めようとするも、風穴を開けられた腹から力が抜けるよう、僅かに浮いた膝がまた床につく。そして、痛みに喘ぎながら、怪物は震える身体を抱きしめる。

 

 狂っている。こんなの不合理すぎる。

 だって、集落の全てと一体になったあたしが、たった(ひとり)に負けるはずが……!

 

 跪きながら顔を見上げた途端、それ以上の考察はできなくなった。

 離れて間合いを取る相手、その仮面の奥より放たれる鋭い眼光に射竦められた。

 ぞわりと鳥肌が立つ。

 怪物という衣で覆い隠した、丸裸の己を見られているかのように。

 その視線になぞられただけで、小さな針に突かれているように心臓が痛いほど跳ねる。喉が引き攣って、呼吸は乱れる

 

「この世に無敵の存在などいない」

 

 そして、当然のことのように宣告される。

 己の絶対だと信じたい殻にして鎧を打ち砕いてくれる文句を。

 

 

「これは、悪魔やアンデッド以外に有効な攻撃手段を持たないプリーストが編み出した、知る者ぞ知る奥の手みたいなものだ」

 

 『グロウキメラ・オーク』

 優秀な遺伝子を貪り、代を重ねるごとに数多の耐性を獲得してきたオークを百体も取り込んだ強化キメラ。火、水、風、土、雷の各属性の魔法抵抗力……さらに斬・打撃の各種物理耐性。毒や痺れといった状態異常も含めて、ほとんど一切のダメージを負わず、迅速な自己再生する混沌極まる怪物……だが、

 

「物理魔法状態異常とどのような耐性を持とうが、“回復耐性”や“支援耐性”なんてものは存在しないし、どうあっても得られないだろう。体の構造が違うスライムや仮初の肉体の悪魔、回復魔法では修復できない魔導ゴーレムには通用しないだろうが、オークもキメラも生物である以上これを妨げることはできない」

 

 この世界の回復魔法は、単純に傷を治療するのではなく、生命力を活性化させるというもの。

 それ故に生気を厭うアンデッドにも効果的で、攻撃手段にもなる。

 しかし、これは死者だけでなく、生者にも危険。

 花に水を与え過ぎれば根が腐って枯れてしまうように、過剰な回復はその身を滅ぼす。薬も過ぎれば毒となるよう、回復魔法は暴走させてしまえば、生体組織を破壊する害となる。回復魔法は強力なものであるほど扱いが慎重にならなければならない、危険な魔法で。それをあえて暴走させて攻撃手段にすることで、耐性防御不能で再生不能な負傷を相手に与える非常にエグい裏技。

 完全回復魔法『セイクリッド・ハイネス・ヒール』の倍の魔力を消費するために使い手が限られ、ほとんど廃れている過剰回復魔法だが、その『オーバー・ヒール』をトールは、打撃が命中する一瞬にのみ絞り、さらに『超暴走魔法陣』で過剰な回復力を暴走させて炸裂させた。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁ……っ!」

 

 それから、肉体に作用する支援魔法もまた諸刃の剣。

 例えば、筋力増加の支援魔法は、一時的には増加されるが、それは体を無理やり強化して思いきり酷使するのだから、あまり頼り過ぎれば、後で筋肉痛になるだろうし、体力の消耗も激しくなる。

 そして、生体としての規格を逸脱するほど増強されればそれは自らの身体を壊しかねない。

 過剰な支援魔法の『オーバー・パワード』は単純に相手の態勢を崩すためだけでなく、反動をも考慮して利用された。能力が跳ね上がろうが、この急な上昇に意識がついていけず、過剰に強化された身体に振り回される。またそのリミッターを外された火事場の馬鹿力を強制的に酷使された体力の消耗は大きい。

 

 

「……す……げぇ……」

 

 泰然としてさえ見えるトールの立ち姿。そのトールの前に、シルビアが腹を抑えて蹲り、苦渋の脂汗を滲ませている。シルビアに、今日初めて苦悶の表情が浮かんでいた。

 今の攻防を、かろうじて見取っていた。解説もされたが、あまりに高度過ぎ、こちらの理解を上回る戦いではあったが、少なくともトールの恐ろしい強さだけは身に染みた。

 ミツルギらも目を瞠り、親衛隊もゴクリと息を呑む。

 

 しかし、それでもオークの生命力は凄まじく、またキメラにのみ許された特性もある。

 

「舐めないでひょうだい! まだまだ、あたしはァ……! 諦めないわァ! ますますあなたの遺伝子が欲しくなったわよっ!」

 

 ボドボドボドボドッッ!! と。

 トカゲの尻尾のように、生存本能を優先して、一部を切り捨てる。

 躰の奥深くで炸裂されて浸透された過剰回復魔法。再生不能の負傷(ダメージ)のある患部――そこの“百の内の数体分の肉塊”を切り離すよう排出し、切除された欠損部を埋めるよう自己再生。

 幾多の世代を経て配合を繰り返し数多の遺伝子を寄せ集めたキメラ(オーク)の、さらにその百と(ひとつ)になる融合を果たした寄せ集めのグロウキメラ(シルビア)

また別の様相(オーク)に形を変え、体表に出る残機(かお)を数体減らしながらもまた新たな混沌の怪物として、活動を再開させる。

 

 ――さあ、畏怖し、絶望しなさい!

 屈辱を味合わされたが、それでも仮面の奥の目が大きく見開かれたのを見て、怪物は満足そうに口元を歪ませた。

 渾身の一撃だったみたいだけど、それが無駄だったと知れれば、他の連中と同じだと。

 ……が、シルビアの虚栄心が満たされたのはほんの一瞬。

 絶望を目の当たりにしたはずの獲物は、心底呆れたように息をついて、

 

「まったく不細工極まりない。初心者殺しの威を借るゴブリンと何ら変わらないな。いやそれよりたちが悪いか。怪物を超えた怪物になることでしか自尊を慰められない愚か者。故に、一度失速すれば地を這う虫にも劣ると苛まれ、ゲテモノにゲテモノを重ねて雪だるまのように膨らんでいくことしかできなくなったその悪循環。そんなモノで己を強大に見せようとも張り子と変わらず、何より他の誰よりもあんた自身が己を弱者だと見なしている」

 

 その場の空気が木っ端微塵に砕け散るような沈黙。

 カズマパーティもミツルギパーティも、魔王軍の近衛兵らも声がない。

 この場にいる全員が怖気の走る光景を見て、まさか、そんな言葉を返せる人間がいようとは。

 当事者は向けられるそれらの唖然とした視線に軽く肩を竦めるのみ。

 

「紅魔族の大人たちがシルビアという魔王軍幹部を本気で相手にしていなかったのは、どれだけ力を取り込んでいようがあんたはどこまでも取るに足らない小物なのだとわかっていたからだろうな」

 

 怪物から、感情の起こりが消えていく。

 その言葉は、下級悪魔にもなれない鬼族の男の核を突いていた。

 嫉妬するほど強く美しいものを食いものにし、取り込んでも欲は満たされなく、際限なく求め続ける……それは元の自分に対する自信のなさの表れであった。

 

「―――」

 

 その肉体が吸収しても意味をなさなくなるくらい肉片(ミンチ)に消し飛ばされようが構うまい。

 怪物は前傾姿勢になりながら、トールを凝視する。その澄ました仮面の面を、屈辱に歪ませてやる。

 

 そして、シルビアは体の向きを変えた。

 

「逃げられるかしらぁ」

 

 凶悪な悦びに満ちた呟き。

 パワーがあってもスピードがない、歪なバランスだと断じられたが、それならば、避けられぬ状況であれば問題がない。

 前のめりの怪物の視線の先には、アクア。先程真っ先に救い出すくらいに大事で、ようやく目を回して頭をふらつかせた状態から立ち直ったところの、格好の人質。

 

「アクア! 早くそこから離れろ!」

 

「へ?」

 

 相手の思惑をいち早く察し、カズマが叫ぶも、遅い。呟きを合図にすでにシルビアは、アクアへと弾け飛んでいた。

 アクアがいるのは暴走列車の線路上。だから、受けなければならない。避けようとすれば、代わりに大事な女性(もの)が撥ね飛ばされる。庇わなければならない。そして、この全力全身全速の特攻突進(ぶちかまし)を食らえば、トールもただでは済まない。もしこれを逃げて己の安全を優先すれば、先の言葉は腰抜け(へたれ)の発した安い挑発になる。それを思い切り嘲笑ってやれば、耐え難い屈辱を味合わせられるはずだ。

 

 そう。

 どちらの展開に転がっても、あの男の顔が歪ませられれば美味しい。

 

 そして――弾け飛んだ怪物の前へ、無音の影が割って入る。

 

 いいでしょう。認めてあげるわあなたを。根性無しではなく――勇気と無謀をはき違えた考え無しのボウヤだってねぇ!

 

 

 その瞳は、純黒のまま。

 血気盛んになりがちな戦場、それも死が迫る最高潮において、鋼の心性は、闘志の一切を消していた。

 芥のように轢き殺されるとわかって、今更自殺を覚悟したかと怪物は嘲笑う。――だが、その瞳の奥をもっと覗けばそれが生を諦めたものには秘められない強い光を湛えているのが知れただろう。

 

 彼が割り込んだのは、庇うためではない。

 ただ、向かってくる相手の全霊を、真っ向から迎え撃てるその位置が必要だっただけ。

 躱すも躱さないもない。最初から、一目で看破したこの相手は、“その器以上に持ち過ぎた力で叩きのめさなければ禊げない”と判断し、そう布石を打ち続けていた。

 

 あの宝物庫で、障害となり得るシルビアを視界に収めた時から、鎧の状態でじっと観察し、対応策攻略法を脳裏に組んでいた。

 そして、この大広間で最初は回避に徹したのは、相手の呼吸を合わせ、性格性質を見定め、切り札を展開するのならどのタイミングが最も適切かを算出し、最後に受け流したのはその出来上がった想定(イメージ)との誤差(ずれ)を修正するための確認作業。それから、過剰回復の一撃を打ち込んだのも、自分が無視できぬ脅威だと身に染みらせるため。

 女神(アクア)を狙ってくるのも想定内にあり、位置取りを修正すれば対応可能な範疇であった。

 

 ――いい? あたしの力は強力だけど発揮できるのは一瞬だけから、ジャストなタイミングで決めないとダメよ。

 

 そして、『まねまね(コピーキャット)』の応用で、相手との意識の同一を果たし、呼吸の合致は既に果たし、一瞬のチャンスを最大限に練り上げた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「――『セイクリッド・リフレクト』!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 鉄扇すら持たない、無防備に見えた様。

 そこへ相撲の突貫のように体当たりを決めようとし――和装の懐に隠し持っていたその聖盾『イージス』から展開される、一切の撓みのない障壁にまともにぶち当たった(カウンターが決まった)

 

「―――!?」

 

 己の――取り込んだ怪物の全力が、200%という倍に跳ね上がった転換率で返された。

 鈍い打撃音と、飛び散る血飛沫。肉片も流血もすべては仮面のオスではなく、自身のもの。原因のわからぬ不明のまま、そのはち切れんばかりに膨れ上がった巨体は宙を舞う。何事からも虚脱されるような浮遊感。そして、壁に激突した時、肉体は限度を超えて張りつめていた風船のように弾けた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

「は………」

 

 カズマはつい声を飲んでしまった。

 傍らにいるミツルギも開いた口が塞がらない。

 正直、目の前で起こったことが把握できない。光景をありのままの事実として受け入れるのにも幾ばくかの時間を要した。

 

 凄まじい勢いで突進したかと思えば、その倍の速さで吹き飛んだシルビアが反対(せなか)側の壁をぶち破った。

 突然の方向転換。それはいくら怪物であるとはいえ、生物が可能な挙動ではない。それが示す答えはひとつしかない。

 大広間の壁を突き破ったシルビアの行方は知れないが、わざわざそんな確認をしなくてもあの凄まじい気配が鎮圧したことから倒されたのだと知れる。『敵感知』にも何の反応を示さない。

 

 ………。

 それでも、この世のものとは思えない結末に誰もが目を疑う。

 当事者は呼吸さえ乱さず、一度も衝突の恐怖に瞑らなかった眼差しで、壁の穴の向こうへと見据えている。

 その揺るがぬ様から、この結果は偶然が入り込む余地がなかったのだと自然と悟れる。

 力を持て余し、ただ周囲にまき散らすだけの怪物の欲望に対する、自己を抑え込み最も効果的になる場面になるまで切り札に頼らず伏せ続けた人間の執念が、この圧倒的な結末へと実を結んだのだと。

 

 

《ジャストタイミングだったわよ! 流石はあたしがご主人様(マスター)と見込んだ二の腕ね!》

 

 

 といきなり脳裏に響く女性の声。

 

「腕力というよりも胆力の問題だったと思うのだが」

 

 胸元につけていた白銀の盾を外して腕へと嵌めながら、その姿の見えぬ声にトールは応じる。

 

《それも含めての腕っぷしよ! いい? イイ男はイイ腕を持つの。女性が最も魅力的に覚える男の筋肉は腕、そして、超一流の盾姉様ともなればこの一番人気のモテ筋でその男子力が測ることができるの》

 

「無駄な機能を備えている盾だなぁ」

 

《重要なステータスよ! これさえあれば、どの男の腕枕が最高に寝心地がいいのか瞬時にわかるわ!》

 

「普通に枕を使った方が寝やすいと思うんだが」

 

《まったく乙女心のわからないご主人様ねぇ。でも、男子力はこれまで測定した中で三本指に入るトップクラスよ。だけど、この『イージス』お姉さんを寝かしつけたいのなら、もっと腕を磨くこと、ね…………ふわぁ》

 

「おい今の欠伸は何だ? 盾にこんなことを言うのはおかしいが、頼むから寝るんじゃないぞ。寝惚けて不発とか計算外なドジはやめてくれ」

 

 盾に向かって会話をする……それは傍から見ると頭がアレな変人みたいだが、しかしさっきから脳裏に響いてくる声から察するにまさかあの盾が……?

 

「なにこの声? えっ、まさか、それって神器?」

 

 と危機一髪のところから庇われたことにも気づいてなさそうな能天気な女神が、そんな憶測にお墨付きのような質問を投げてくれた。

 

「はい、そうですアクア様。聖盾の神器『イージス』……さっき宝物庫で見かけて懐かれたようで」

 

 懐かれて、って動物か。

 つーか、神器ってそんなにペラペラしゃべるもんなの。

 トールがアクアに紹介すれば、そのイージスは、うわぁ、と声を漏らして、

 

《あたし、アイギスとは気が合わないけど、“女神はロクでもない”という考えは一致してるのよ。特にあたしたちをこの世界に送り出したあの女性はとびきりよ。なんかエリート女神だったのにこんな地上に自分も落とされちゃってるお間抜けのようだし。とにかくあんまり関わると厄介事に巻き込まれかねないから注意しなさいご主人様》

 

「ちょっとっ! あんた、見た感じ上位神器っぽいけど、調子に乗り過ぎじゃないかしら! この私にかかればチョチョイのチョイでガッチリ神器を封印できるんだからね!」

 

《パワハラよ! パワハラで訴えるわこの没落女神!》

 

「まあまあ、アクア様。とりあえず力を貸してくれるみたいですし、イージスも俺をご主人様と認めてくれるのなら俺の判断に任せてくれないか」

 

 確かに、女神がロクなもんじゃないという考えには激しく同意だ。しかし、その上位神器も性格的にあまりロクでもなさそうというか、あの変人が集まっている教団と気が合いそうな感じはある。特典選びって、女神以外にも地雷がかなりあったっぽいなこれ。

 

「バカな……? あの盾が僕の魔剣と同じ神器だというのか? で、でも、神器というのは女神に選ばれた人間にしか扱えないものじゃなかったのか?」

 

 と装備型の神器『グラム』を特典に選んだミツルギが声を上げる。

 そうだ。さっきも自分(カズマ)が『グラム』を使ったが、シルビアの身体を引っ掻く程度にしか切れ味を発揮してくれなかった。

 

《そうよ。天界規定で女神を介した契約をしているか、その血筋の親族でもないとあたしたち神器は本来の力を発揮できないの。あたしのような上位神器でも半分が精々。本来なら、常時反射障壁が張れるのに2、3秒が限界――だけど、あたしが男前AAAランクのイケ魂と見込んだご主人様は、ハードな制限をかけられていてもイージスお姉さんを使いこなせるわ!》

 

「そうだな。タイミングが割とシビアだが、今ので大体掴めた。――寝惚けないようガンガン使わせてもらおうか」

 

 と盾との会話を皮切りにゆるい雰囲気になりかけたのを引き締めるよう、声の調子を低くして切り替えるトール。

 近衛隊たちは呼吸を止めた。

 昂らずに自然体で佇むその振る舞いに、衝き動かされるように其々の得物を身に寄せて構え直す。

 今のシルビアに強烈なカウンターを決めたのを当然警戒する魔族兵はトールから距離を取る。

 だけど、先の話しぶりからして、カウンターできるのは一瞬。波状攻撃を仕掛ければ聖盾の迎撃は働かなくなる。けれどそれには誰かが一番危険な一番槍を請け負わなければならず、その貧乏くじを他人に押し付けられないかと近衛隊は互いに互いの顔を見合わせる。シルビアだけでなく、この大広間の副長であるマモンが討伐されたので指揮系統が崩れている。

 そんな逡巡の間を切り込むよう、指示を出す。

 

「――ゆんゆん」

 

 それは。

 脳髄から爪先まで突き抜ける、抗い難い声だった。

 

()()、魔法を撃て」

 

「―――っ、『ライトニング』!」

 

 聞いた瞬間、ゆんゆんの手は自らの意思も離れて、ステッキを操っていた。

 

「『セイクリッド・リフレクト』!」

 

 雷鳴が響く前にその詠唱は完了する。

 盾をつけた左腕を振るうや、最低限の魔力だけで絞り込んだわずか10cmばかりの反射板で、音よりも迅く飛来した雷撃を的確に跳ね返す。――ただし、反射角度は変えて。

 聖盾『イージス』の倍返しの反射能力。トールの盾前に展開される光の障壁に当たるや、威力を倍増させて魔族兵の一体へと方向転換された。

 

「は―――」

 

 いきなり自分の方へと軌道を曲げてきた魔法にまともな断末魔も上げられず、一撃で魔族兵が葬り去られる。その背後にいた魔族兵をも巻き込むくらいの破壊力で。

 その結果に、魔法を撃ったゆんゆんすら戦慄する。

 

「本番前だ。カズマたちは休んでいても構わない。前座はこちらが手早く片付けよう。ゆんゆん、遅刻した分を巻き返していくぞ。続けて余所見はせず俺に魔法を撃て」

 

「う、うん」

 

 有無を言わせぬ彼の指揮(リード)に頷き、ゆんゆんは瞬きした。

 味方撃ちなんて普通は躊躇う真似なのに、瞬時に従えた自分に愕然としてしまう。それこそ――『アークウィザード』が言うにはおかしな話になるが――魔法でもかけられたようだ。

 

「『ファイアーボール』!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 バレーボールのクイックトスのように放たれた火の球を、ジャストミートでスパイクを決めるかの如く反射する三角攻撃。

 倍返しする反射能力を使って、味方の魔法を増幅する。聖盾の神器『イージス』を最大限に活用する戦術、理屈は理解できたがしかしまともな盾の扱いじゃない『デルタアタック』。

 何せこの連携を成すには、完全に相方と息を合わせることが前提で、即興で実践しようだなんて発想はありえないからだ。普通は怖気ずく。

 だが、現実はこうも裏切ってくれていた。

 

《盾をこんな攻撃支援に使かってくるなんて初めてなんだけど、どんだけ度胸が据わってるのあなた!? あたしが振り回されるのって相当よ! もしかして、頭のねじ外れちゃってたりする?》

 

「イージスは、イケイケ専門の盾姉様なんだろう? わざわざ相手の出方を待って合わせてやらずにもっと積極的に前面に出した方が趣味に合うかと思ったのだが、ご不満か?」

 

《――っ! そうね寝惚けたことを言ったのはあたしの方だったわ! 守りに入らず攻めに攻めまくるその姿勢は、大歓迎よご主人様!》

 

「『セイクリッド・リフレクト』!」

 

 聖盾に跳ね返された火球が、一気に倍の大きさになって複数の魔族兵へ直撃した。とても中級魔法とは思えない威力で、魔族兵らが血の気が引いているのに共感できるくらい。

 しかも、単純に倍返しするだけではない。

 

「『ライトニング』! ――『ファイアーボール』!」

「『セイクリッド・リフレクト』! ――『ウインドブレス』!」

 

 左手の聖盾の障壁を張って雷撃を倍返しするや、右手で飛んできた火球に合わせるや掌に渦巻く初級風魔法の旋風と一体化するよう瞬間魔法錬成(マホプラウス)。僅かなミスも許されない作業を片手までも(あやま)たずにこなして、火球魔法に風属性を加算させて魔族兵へと誘導してしまう。

 

「『ブレス・ファイアーボール』!」

 

 火と風の複合属性へと変性されたそれは、大広間を揺るがすほどの爆発を起こす。魔族兵は吹き飛び、明らかに聖盾に頼っていないもう一パターンの三角攻撃に唖然と怯む。

 

 なんだコイツヤベェ!?

 魔法もヤバいが、頭もヤバい!!?

 早くどっちかを潰さないと全滅する!

 

「自ら魔法を望むその姿勢……! ――負けていられるものか! さあ、貴様らも私に存分に攻撃をしてこい! 『デコイ』!」

 

 だけど、発射台の紅魔族の前には無視できないくらい嗜虐心を煽ってくる頑丈過ぎる『クルセイダー』が壁役にいる。

 ならばと起点となる仮面を潰そうとするのだが、あそこは魔法に狙われる危険地帯。迂闊に踏み入ればかえって的にされ、迫った魔族兵が放たれた魔法の盾にされてしまう。それでさらにはあの聖盾を使った押し出しカウンター(シールドバッシュ)を合わせてくるし、あの命知らずは、ますます過激な味方撃ちを要求してくるのだ。

 この光景には仲間の少女も引いたように、

 

「あのゆんゆんが、人に向かって魔法を撃つなんて……」

 

「ちょ、ちょっとめぐみんがそれを言うの!? さっき私達に構わず爆裂魔法を撃ってきたのに!?」

 

 と、めぐみんの驚嘆に勢いを止めたゆんゆんはそこでやっと躊躇する。

 それを見て、トールは少し考えた後、吹っ切れた調子で口を開いた。

 

「さっき……あんなやり方で難を凌ごうとしたのは、ゆんゆんを抱きしめたかったからだと、今は思う。事故ではない。身を隠すなんて(てい)のいい口実で、俺は自分の欲求で君に迫ったんだ!」

 

「え?」

 

 心優しい、人に遠慮してしまう彼女だ。だけど、セクハラを働いたと白状すれば、それを言い訳に罪悪感が和らいでくれる。彼女には自分を撃つ正当な理由があるのだと。そう免罪符になるよう、この一時は恥を掻き捨ててトールは声高に主張する。

 

「俺は自分を堪え切れずに、ゆんゆんを襲った。だから、もしゆんゆんが、俺に対して抑え切れない(怒りという)衝動を抱いているというのなら――それを魔法にこめて(鬱憤を発散させるつもりで)俺に撃ってきてくれ! 俺は逃げずにその気持ちを受け止める!」

 

「と、トールさん!」

 

《これだけ言われてるのに、ここで返答を逃げては乙女ではないわ! ご主人様にあなたの思いの丈をぶつけるのよ!》

 

 イージスからも後押しするよう念話が飛んで、意を決したゆんゆんの瞳が真っ赤に灯る。そして、彼女は(自分(トール)の望み通り、怒りという激情に触発されて)渾身の魔法を行使してくれた。

 

「っ! わかりました。いきます! ――『ライトニング・ストライク』!」

 

 とにかく仮面(トール)へ魔法を放たされるな(パスさせるな)と四方を囲む近衛隊だったが、上まではカバーし切れない。

 (うえ)から大地(した)へ、今は天井から床へ。

 頭上より雷霆を滝のように振り注がせる上級魔法。それだけでも魔族兵を屠り得る強力な魔法に対し、トールは白銀の聖盾と鏡形態にした鉄扇を重ねて真上に掲げるや、板状ではなく傘状に反射障壁を展開する。

 

「『セイクリッド・ディフューズ・リフレクト』!」

 

 倍の威力に増幅されるだけでなく、拡散された。

 裁断の(やいば)は四方八方に飛び散り、取り囲んでいた近衛隊を巻き込み、大広間の守護はこれで完全に一掃された。

 

 

 参考ネタ解説。

 

 

 オーバー・ヒール:ドラクエ漫画ダイの大冒険の『マホイミ』を参照。

 回復魔法の効果を極限にまで高めて莫大なエネルギーを送り込むことで、相手を過剰回復させる、僧侶の対生物の奥の手。これに武術を合わせたのが、『閃華裂光拳』。

 生命活動を行っている相手ならほぼ必殺の威力を誇り、多種多様なモンスターの細胞を取り込んだ超魔生物相手にも再生不能のダメージを与えられた。

 “アンデッドに対する攻撃手段となりうる”という設定から、このすば世界の回復魔法も単純に傷を治療するのではなく、生命力を活性化させて結果的に傷を治す仕様と判断しました。

 それから、支援魔法版の『オーバー・パワード』も、WEB版にて、『筋力増加とか諸刃の剣。一時的には増加されるけど、身体を無理やり強化して思いきり酷使するから、後で筋肉痛とか酷くなるし体力の消耗も早い』というアクアの忠告を拾って、その応用で組んでみました。

 

 デルタアタック:ファイナルファンタジー・シリーズでの裏技な戦術。リフレクをかけた味方に魔法を放って、敵モンスターへ攻撃する手順。シリーズごとにまちまちだが、味方全体に全体攻撃の魔法を放って反射させることで通常よりも高いダメージを与えることができたり、『リフレク倍返し』という特技でもって火力強化できる。上手く適応されれば普通に9999を叩き出せる最強の魔法攻撃手段。




誤字報告ありがとうございます!

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