この素晴らしい願い事に奇跡を!   作:赤福餅

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124話

 ここまでの旅は、順調だった。

 ハーピーやワーウルフ、果てはラミアやケンタウロスなどの上位魔獣と何度も遭遇したけれど、アクアさんの支援魔法を受けたミツルギさんが魔剣を振るって危なげなく倒してきている。自分も『アークウィザード』の魔法で援護しているけど、ほぼ毎回『ソードマスター』のミツルギさんが一瞬で倒してしまうので楽である。それに『アークプリースト』のアクアさんの回復魔法もあるからここまで誰ひとり怪我をしていない。

 

(でも、カズマさんたちが追ってきているんなら、待った方がいいと思うんだけど……)

 

 めぐみんが私を送り出す際に言ってくれた。

 カズマさんを紅魔族流修行法の『養殖』で鍛えてから追いかける。だから、ゆんゆんはこのいけ好かないイケメンたちと一緒にアクアを追ってほしい。必ず合流するから、って。

 その事をアクアさんにも伝えたら、何やら嬉し気にして、カズマさんたちを待とうと言いかけたんだけど……

 

『このメンバーなら、魔王が相手だろうと怖くはないですね。アクア様、行きましょう! そして、この世界に平和を取り戻すんです!』

 

 ミツルギさんが強硬に前進するとその提案は却下した。

 今がチャンス。魔王の手先が王都や街を襲いに行き、魔王城の守りが薄くなる今が好機だと。世界の命運がかかっているこの旅で足踏みなどできない、自分たちは魔王との戦いを終わらせるために立ち上がったのだから。

 この何だか使命感に酔った感じのミツルギさんの勢いにアクアさんは押され気味で、私も怖かったけど、『城に突入する前に戦力が増やした方がいい』と自分の意見を述べた。そう、これはあの時、冒険者ギルドでアクアさんを追いかけようとする際の話し合いで決まっていたことだ。ミツルギさんもその場にいたのだ。

 

 だけどそれでもミツルギさんはそのめぐみんの作戦を反故にしてでも『あの男よりも僕の方が頼りになります。それに彼がどんな修業をしたって、僕のように特殊な力を授けられた人間ではない以上、一緒にいても戦力にはならないさ』と頑なに言い張り強硬策を選んだ。そして、ミツルギさんの意思に、他の女の冒険者の二人も支持して、多数決で2:3。

 結果、カズマさんたちを待つという私の意見は聞き入れられることはなく、魔王城へと進んでいった。

 

 それで、これまで順調なんだけど、アクアさんはなんだか元気がない。カズマさん、めぐみん、ダクネスさんたちと旅した時は波乱万丈と言うか、毎日が危機一髪だったみたいで、それと比べると今回のは安全で楽できていいんだけど、ただ、その……つまらないのだそうだ。

 

 うん、旅は戦闘面では本当に順調だったんだけど、アクアさんがこの退屈を憂さ晴らしするように宴会芸を始めて無駄に目立ったり、なにかとやらかしていた。

 つい先ほど出立した最後の村、魔王軍との前衛基地の役割を果たしていると思われる砦のような設計が成された村で、アクアさんがその村唯一の水源である貯水池に落ちちゃってワニのモンスターに襲われて救助に入るのがすごく大変だった。貯水池の汚染を浄化できたのは良かったんだけど、ワニにトラウマのあるアクアさんが泣いちゃって……

 

 

 そうして、モンスターと戦うよりもアクアさんをフォローする方が大変だったかもしれない旅は、ようやく終着地へ辿り着いた。

 

 

 途中、ミツルギさんが幉を取っていた馬が言うことを聞かなくなる。

 その進み先から感じる気配に怯えてしまっているのだ。ミツルギさんが走らせようとするのだけど、脚を止めた馬は、何かを恐れる様にそこから前に進まない。動物と言うのは人間よりも危険に敏い。

 

 ――ここで、カズマさんたちを待とうって、ちゃんと言うべきだったかもしれない。

 

 それで仕方なく、最低限の荷物だけをもって、それから徒歩で進む。帰りは私の『テレポート』を頼ることにして、馬たちは馬車から解放して逃がした。

 それから登坂になっている道でモンスターに襲われたけれど、ミツルギさんが魔剣を振るって倒していく。

 そして、坂道を登り切ったところで目視できた。

 

 か、かっこいいかも……

 眼下に広がる漆黒の巨城。紅魔族の感性で、そのおどろどろしい昏い背景もまた格好良く映えている。

 

「じゃ、じゃあ行くわよ。――『セイクリッド・スペルブレイク』!」

 

 アクアさんが魔王城の雰囲気に怖気づいてしまっているけど、結界破りの魔法で周囲に張り巡らされていた結界に小さな穴を開ける。完全には破れていないけど、少人数ならするりと入れそう。

 

「じゃあ、フィオ、『潜伏』を。それから、ゆんゆんさんは姿を消す魔法を頼むよ」

 

「ええ、キョウヤ、私に捕まっててね」

 

「はい、わかりました。――『ライト・オブ・リフレクション』」

 

 結界によっぽど自信があるのか、魔王城に見張りはいないみたいだけど念には念を入れて。光を屈折させ、範囲内を透明にする上位魔法をかけ、盗賊の人が気配を遮断するスキルを使う。それと同時にアクアさんが結界に開けた小さな穴はあっという間に塞がってしまった。

 退路が閉じた――そのときだった。

 

 

「――この世界の遍くを俯瞰する我が天眼をそのようなもので欺けると思うたか、人間」

 

 

 魔王城の漆黒の城壁の上に、白い仮面を身に付け、白マントで体全体を覆い隠した魔法使いが現れた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 見張りが無人だったはずの魔王城より、一斉に飛び出した大群が押し寄せる。

 漆黒の鎧に身を固めた暗黒騎士。闇色のローブをまとった魔導師。翼の生えたガーゴイル。魑魅魍魎が一気に――!

 

 ――しまった……! ハメられたのか!?

 

 これまでの相手とは一線を画す、魔王軍でありながら不思議な清涼感のような、神聖な気配を放つ、魔王軍幹部の最後の砦。

 城の結界の大部分を維持している魔王軍最強の魔法使いであり、『預言者』。

 この幹部は、見通していた。

 魔王城から最も遠い辺境の街『アクセル』に魔王を脅かす“光”が降誕したことを。そして、その“光”が今この時に魔王城へと迫っていたことを。

 そう、手ぐすねを引いて待ち構えられていたのだ。

 

 自分たちは失敗した。

 敵幹部の情報を知らなかったミツルギたちは、この『預言者』の存在を知らず、『預言者』が“光”――水の女神アクアを警戒していたのを知らなかった。

 もし、偶然にも魔王軍幹部より情報を引き出していたカズマたちと合流していれば、この『預言者』について事前に知ることができたかもしれないが、ミツルギは先を急いだ。

 

 この道中の魔獣を難なく倒していく快進撃に調子付いていて――またサトウカズマからの対抗心で功を焦り過ぎて――警戒も準備も怠った。

 三国志で譬えれば、『落鳳坡』、忠言を聞き入れずに先走った展開に似ている。

 しかし、その末路まで重ならせてなるものか! とミツルギは魔剣『グラム』を抜いて、皆を鼓舞する。

 

「仕切り直しだ。僕が時間を稼ぐから、ゆんゆんさんは、『テレポート』で皆の避難を!」

 

 歯痒いが撤退するしかない。この『預言者』の警戒網を突破するのは不可能で、状況は多勢に無勢、魔王城攻略は時期尚早だったのか……!

 

「はいっ! ――『テレポート』!」

 

 そうして、『アークウィザード』の転移魔法で、瞬間的にこの危機的な状況から空間を跳躍する――はずだった。

 

「え……っ!?」

 

 『テレポート』に要する相応量の魔力を消費した際に襲う独特の感覚。確かに『テレポート』の詠唱をし、術が発動された。だが――逃げられない。

 

「ちょっと、これどういうことよ! ちゃんと『テレポート』したんじゃないの!?」

 

「は、はい、私はちゃんと『テレポート』を唱えたはずで……っ! どうなってるか、私にもわかりません」

 

「わからないって、あなた、『アークウィザード』でしょっ! いいから早く『テレポート』を!」

 

「――っ、『テレポート』!」

 

 パーティのフィオとクレメアの叱咤に急かされるよう、ゆんゆんさんがもう一度転移魔法を行使しようとするが不発。

 元日本人のミツルギは、嫌な予感が脳裏をよぎる。

 まさか、RPGでも定番な『魔王からは逃げられない』と言う――

 

『――無駄だ。この私に許可なく、魔王城の結界内で転移魔法が発動できない。こうも貴様らを結界内へと入れてやったのは完全に逃がさないためだ』

 

 山彦のように、『預言者』からの言葉が反響する。

 侵入者の敵前逃亡を許さない転移封鎖。アクア様は完全に結界を打ち破ったわけではない。これまで結界を維持している魔王軍幹部が四人撃破されているけれど、アクア様のお力でも魔王城の結界を完全に消し祓うには、あともうひとり魔王軍幹部を倒さなければならなかった。だから完全な解除は叶わず、少人数が通れるくらいの穴を開けただけだ。それもすぐに復元してしまうくらいの。

 

「わああああああ、カズマさーん! カズマさーん!! 色々謝るから助けてカズマーッ!」

 

 悲鳴に、そこに混じるあの男の名前に、唇を噛む。

 

 アクア様、あなたの前で宣誓を立てました。

 最強の鎧で、盾になると。立ちはだかるすべての敵を切り裂く剣になると誓った――だから、その証明を今こそ果たします。

 

 ミツルギは魔剣を構えて、押し寄せる魔王軍へ単身挑む。

 

「アクア様、僕が切り開いてみせます! あなたがくださったこの特典(ちから)、魔剣『グラム』で! ですから、今のうちに結界に穴を開けて、そこから撤退しましょう!」

 

 少しでも時間を稼ぐ。

 結界に穴を開けることはできる。だから、それまで自分が相手をする。

 

 ……しかし、それは叶わない

 

 城の中ならばとにかく、広大な外のフィールド大軍すべてを一手に引き受けるなど……最硬の守護者である彼の『クルセイダー』でもなければ不可能。

 『ソードマスター』に敵を斬り払うスキルはあるが、『(デコイ)』と言う敵を引き付けるスキルは持たず、また、剣を振るうのが攻撃手段の『ソードマスター』に一対多に対応するのに適した術がない。

 

 そして、向こうの防衛指揮官である『預言者』が警戒するのは、魔剣使いの勇者などではない。預言で視た“光”であり、今この結界に穴を開けようとするアクア。

 まず彼女を始末すれば、魔王を脅かす預言は回避され、残りの魔王に刃向かった人間たちも結界の外へ逃げられなくなる。

 

「まずはあの女だ! 女を殺せ!」

 

「ま、待てっ! 僕が相手だ! 僕の相手をしろ! ――っ!」

 

 よって、剣を勇ましく振るうミツルギであったが、“バカめ”と嘲笑を置き土産に剣の間合いの外へと逃げられてスルーされる。それを追いかけようとするがそこを狙って背後から暗黒騎士の魔物に襲い掛かられて、足止めを食らう。

 数体の魔物だけミツルギに割いて、残る大勢の魔王軍の突破を許してしまう。

 このミツルギのフォローに入るのは彼のパーティメンバー……だったが、

 

「なにコイツら全然攻撃が通じない!?」

「だ、ダメ、私達じゃ足止めなんて無理……!?」

 

 この道中でも上位魔獣の退治のほとんどはミツルギで取りこぼしはゆんゆん、フィオとクレメアはそれを見ていただけで終わっていた。

 実際に対決は一度もしていない――だから、この先の戦いについて来られるレベルでないとこの時まで気づかなかった。

 

 彼女たちは高価な装備に身を包んでいるのだが、その戦闘面の大半をミツルギに頼っているせいか、個人のレベルが低い。魔剣使いの勇者一行としてクエストはこなしてはいるがそれも“パーティの”ではなく、“魔剣使いの勇者個人の活躍”と言い換えても差し支えないくらいに、太鼓持ちなのだ。アクアの支援がなければ、魔王城のモンスターを相手取るには無理があるだろう。そして、今アクアは結界を破るのに集中していて支援まで手が回らない。

 よって――

 

「退がってください……っ! 『インフェルノ』ーッ!」

 

 強力で広範囲の上位魔法を振るえる『アークウィザード』のゆんゆんが押し寄せる魔物の大群の大半を相手取ることになる。

 紅蓮の灼熱が地表を舐め、ミツルギが突破を許し、その取り巻きでは対処し切れなかった魔物たちを焼いていく。それでもまだ後続が大量に控えている。

 

「『カースド・クリスタルプリズン』! 『トルネード』! 『ボトムレス・スワンプ』!」

 

 または凍える冷気で氷漬けにし、または荒ぶる暴風で吹き払い、または底なしの泥沼に沈める。

 魔王城からワラワラと出てくる上位魔物らに上位魔法をぶつけて牽制していくゆんゆん。

 その瞳が、極度の緊張状態に真っ赤に光る。紅魔族。幾度となく魔王軍に辛酸を舐めさせてきた魔法使いとしての素養が極めて優秀な一族を、魔物たちは知っていた。

 

「『ライトニング・ストライク』! ――それから、『ライト・オブ・セイバー』ッ! ――くぅ……っ」

 

 頭上に掲げた杖先より稲妻を放ってからすかさず、紅魔族十八番の魔法を叫んで怯んだ大軍へと手刀で空を切る。

 すると、手刀の後を追うように、シュッと光の筋が走り抜けて――光が通り過ぎると同時、一番前にいた魔物の体の一部が切り落とされ、そのまま地に崩れ落ちる。

 それと同時に、ゆんゆんもまた膝をついてしまう。

 

(ま、魔力がもう限界……っ!)

 

 族長の娘で、紅魔族の中でも優秀な『アークウィザード』であるゆんゆんだが、無茶が過ぎた。

 留まることなく魔王軍に上位魔法を連発した反動もあるが、その前に魔力消費の大きい『テレポート』を二発も不発させられた消耗が大きい。

 熱に浮かされたように視界も朧気で、目に見えて損耗具合が明らかなようにびっしょりと汗を掻く。

 この好機に勢いが止まりかけていた魔王軍は、湧いた。

 

「囲め囲め! 周りを囲んで一度に襲え、まずはあの紅魔の娘を八つ裂きにしちまえ!」

 

 散々煮え湯を飲ませられている紅魔族を見逃してやる理由などない。今も仲間をやられて激昂する魔物たちは、ゆんゆんを囲もうとする。

 

 そして、ゆんゆんの周りに、彼女を守ってくれる仲間もいない。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 貧乏くじを引かされたのだろう。

 

 ミツルギさんはアクアさんが、そして、他の二人はミツルギさんが最も優先度が高い。こんな咄嗟の対応で真っ先に気にかけるのは別の人で、自分が後回しになってしまうのはどうしようもなかった。

 ミツルギさんは魔物に狙われるアクアさんの下へと駆け付けようと必死で、フィオさんとクレメアさんはそんなミツルギさんを、邪魔する魔物から助けようと懸命だ。他に気を回せるだけの余裕が彼らにはない。

 今、自分は魔物に囲われていることに気付いているかも怪しい。

 

 だって、私、ぼっちだから、こんな時に助けてくれる人はいない……。

 

(ごめんね、めぐみん)

 

 ライバル……そして、友達の彼女から頼み事を引き受けて、大事なパーティのことを任されたけれど、ここまでのようだ。

 

「あっ! ちょ――ゆんゆん、早くこっちに逃げなさいっ! 何ボッとしてるの!」

 

 魔王軍幹部の『預言者』に侵入するときもより強固に力を入れられた結界に穴を開けそれを広げようと自分のことで手一杯のアクアさんが、声を上げる。

 ああ、自分に気にかけてもらえた……それだけで満足してしまう。

 

 これだから、めぐみんにチョロいって言われちゃうのかな……

 

「『ライト……オブッ――セイバー』ーーッ!!」

 

 もうまともに歩けないのに、渾身の魔力、そして、精力も振り絞って、手刀をもう一度、今度は振り払うのではなく思い切り突き放つ。

 一閃。矢のように飛ばされた光の刃は、アクアさんに襲い掛かろうとした魔物を切り飛ばしてみせた。

 それで、限界。

 

「これなら、逃げられる、よね……ハハッ、馬鹿だなあ私……」

 

 自分ひとりでも逃げられるんなら逃げろとか言われてたけど、そんな真似はできなかった。

 そして、精魂尽きて、爆裂魔法を撃ち放った後のめぐみんのように、満足に立ち上がることもできず地面に横たえる。それを周囲にいた魔物は目をギラつかせて、爪を、剣を、魔法を、各々の得物を力尽きた少女へトドメを刺さんと集中砲火した――

 

 

 その直前だった――甲高い鳴動音と同時に、僅かに周囲の空間、結界に揺らぎが生じたのは。

 

 

 そして、高らかに地を蹴る馬蹄をこの戦場に轟かせて、一頭の白馬が閉ざされた結界の外より参上した。

 ――え。

 それは、自分の下へ一直線に、今まさに蹂躙されんとする間際に体を入れようとこちらへ迫っている。

 大きな、綺麗な白馬だ。朝露に濡れたような、光沢のある橙色の鬣を靡かせている。その燃えるような鬣の表面から光の粒が滑り、疾走に合わせて火の粉のように舞い散っている。

 その白馬には、ひとりの青年が騎乗していた。

 その青年の顔には、仮面が付けられていた。

 

「――『パルプンテ』ッ!」

 

 馬上より虹色の光が弾けるや、白馬はさらに加速。火事場の力でも点火したかのように機動力が倍速に跳ね上がる。

 それで一瞬のうちに――暗黒騎士の魔物の剣を鉄扇が弾き、黒魔導師の魔法を太刀で斬って、ガーゴイルは暴れ白馬が蹄で蹴り飛ばす――自分に振りかかる災難を払い除けた。カッと瞬く間に終わらせる、稲妻の如き早業。激しく疾駆しているはずなのに、その動きはひどく優雅だ。そして、邪魔者を振り切ってから歩調を緩め、サアッと白馬から降り立つや、何者にも置いてまず真っ先に、地面に転がる自分を抱き上げる。

 彼はそっと首を捻り、こちらの顔を覗き込んだ。青年の顔にはやはり仮面が付けられている。だから、その表情は窺い難いはずだけれども、仮面の奥の瞳と目を合わせるだけで彼の安堵が伝わる。

 そして――抱き上げられた身体はそのまま――がばっと力いっぱいに抱きしめられた。

 

「えっ、えっ、ええ――――っ!?!?」

 

 魔力体力欠乏して青白かったかんばせが面白いほど茹で上がる。ルビーもかくやと言うほど赤くなったゆんゆんは、でも、すぐ後の台詞に胸を詰まらせた。

 

「よかった……」

 

「え……」

 

「本当に……本当に良かった、ゆんゆんが無事で」

 

 初体験の感触だった。

 力強い腕に抱かれて、万感の思いが篭められた声が耳朶を打つ。まるで愛おしさまでも含んでいるくらい、この身の大事さが伝わってくる。

 これは夢なんじゃないか、人間違いではないかとも疑ったけれど、ゆんゆん、と自分の名を唱えて、その身体が打ち震えている。そして、抱き着いたまま、彼はぼろぼろ涙を流している。恥も外聞もない、仮面で覆いようがない泣き方だった。こんなの疑いようがない。この人は確かに自分の無事を喜んでいる。涙の量に伴って、抵抗しようとする気力も抜け落ちる。

 

 で、それがわかると、顔だけでなく体全体が熱くなるというか、混乱する。

 

 え、えと、こういう時って本では私からも応えた方が良いのよね??

 小説ではこういうとき抱きしめてくる男に、こちらの手も応えようとしていたのだけど、現実にこうやって熱烈に年頃の異性に抱かれるなんて慣れていないというか初めてで。でも全然不快ではない。強引に抱き寄せたけれど、優しく抱きしめる。それが安心するというか、ふにゃあっと蕩けるというか。恥ずかしいことは恥ずかしいんだけど、心地良い不可思議な嬉しさまで溢れてくるという複雑な感情が胸中を占める。

 

 そんなカラータイマー三分前のように目が真っ赤っかに点滅している状態を、泣き止んだ彼はクスリと微笑み、『もう大丈夫だ――』と耳元に息を吹きかけるようにそっと囁く。この甘い響きに耳が敏感に反応して、ゾクゾクッとトドメでも刺されたように身震いしてしまうのだが、自分でも何が何だか説明できない。ゆんゆんは絶賛混乱の渦中にあった。

 

 しかし、そんな少女の錯乱が収まるのを待ってくれるほど周囲の状況に慈悲はなかった。

 

 先程一蹴された魔物たちが、ゆんゆんを抱きかかえるのに、馬から降りて扇と刀の得物を手放した仮面の青年の無防備さを逃さず、“馳走”を前に出鼻を挫かれ邪魔された相手に復讐せんと猛っていた。

 

 それに気づいて、でも怯えを挟み込む余地が一切ない。

 ただ女の危機があるならば、男は黙って世界をも敵に回す。剣を取って魔王と戦い、姫を救い出すという原初にビジョンが、自分を庇う彼の背後にも見えた。

 

 そう、仮面の青年は言った。

 もう大丈夫だ。――俺に任せろ、と。

 

 獰猛なる突撃(チャージ)のプレッシャーを背に、仮面の青年は、

 

「――()でませい」

 

 たった一言、呟いた。

 

 それだけで、足元の影で控えていた四体の幻魔が解き放たれた。

 

 カードに宿る舞の幻魔――クシャラミが。

 大太刀に宿る剣の幻魔――バルバルーが。

 長杖に宿る呪の幻魔――ドメディが。

 鉄扇に宿る癒しの幻魔――カカロンが。

 

 龍脈の紋様を繋ぎ属精力が拡大解釈され、精霊より昇華された幻魔が四体。

 一個の高レベル冒険者のパーティに匹敵するであろう戦力。

 そして、有象無象の烏合の衆に非ず。

 主より武器を預かりし幻魔四天王は、主と言う頭脳を司令塔に、一糸乱れぬ完全な連携を成す主のもうひとつの四肢に等しい。

 振りかかる矢玉を踊る風でそらしながら味方を鼓舞する戦神に捧げる舞を奉じれば、

 甲殻を両断し爪牙を根絶する疾風の剣戟が魔物たちを滅多切りし、

 放たれた呪詛を祓いその返す刀で振り抜き生じる魔力の篭った凍てつく風に氷結されて動きを止めたところを、

 一帯に千早振る雷光が撃ち抜いて、次々と行動不能に仕留めていく。

 

 決して、魔王軍の城を守護する魔物たちが弱かったわけではない。

 『預言者』が城内に築いた魔界からの魔素を取り込んでいることで、幹部や側近レベルでないにしてもダンジョン最深部と同等のレベル、各々強力な質と量を兼ね備えた軍勢。

 それを刈り取られる雑草のように見せるほど、主に代わって働く四肢が練達だったというだけの話。

 

 そして、抱きかかえた少女の身体を白馬の上へ乗せてから振り向き、その彼女に向けていた優しさが残像も残さず――切り替わる。

 犬歯で斬りつけるような声を出し、踏み込む。

 

「我が業火の海に沈むがいい……!」

 

 怒り狂っていた。

 その瞳から光が失われていく“彼女”。

 魔物の群れに飛び込む恐怖よりも、少女のその反応が一番恐ろしかった

 

 仮面の奥から、その目の色が朧々と浮かび上がる。

 まるで、鬼火のように。

 真紅の双眸が。

 

 ――大地にめり込ませるほど両足を強く踏ん張り――限界以上に息を吸い込み溜めてから――目の色が表す赫怒の激情を篭めて魔王城を揺るがず咆哮を解き放った。

 

 

「永遠に眠れ――『エクス・クリムゾン・ブレス』!」

 

 

 魔力塊を飛ばす真空波を竜の爪とするよう、『龍脈』スキルで拡大解釈されたその咆哮は、大気を蒸発させる煉獄の爆炎。それはもはや、灼熱などと言う生易しいものではなかった。練り上げられた光弾が連なる、津波よりも高い灼熱地獄の障壁。全てを焼き尽し、灰燼とし、気化し、そのあまさず抹消する火炎の大雪崩。

 

「……ッ!!」

 

 間近まで迫れば直視など不能。離れたところで剣を振るっていたミツルギ達は咄嗟に目と耳を塞ぎ、こちらまで肌を刺すような熱気が通り過ぎるのを待った。

 過ぎ去り、荒野と化しながら地表を舐める灼熱のカーテンは魔王城の寸前で飛沫をあげて阻まれる。『預言者』が護ったのだ。だが、その途上まで魔王軍を大きく二つに分かつよう、紅蓮が通り過ぎたところに、魔物のすべてが、断末魔の影の如き焦げ跡のみを残して焼き払われていた。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 あそこで紅魔族が倒れ、それをきっかけに集中が乱れた“光”の女が倒れ、そうして逃げ道が閉ざされてあの取り巻きと一緒に勇者も果てる。

 あの紅魔族の少女の破滅をきっかけに蹂躙劇が始まるはずだった予定調和(シナリオ)が、ここに崩壊する。

 ()()()()()()()()すべてを予知し得る『預言者』にも、予期せぬ乱入者が邪魔をしたせいで。

 

「貴様は……何者、だ……??」

 

 魔王軍幹部最強の魔法使いでもある『預言者』が、慄きを隠さずに吐露する。

 

 天眼にあるまじき予測不能。

 そう、『預言者』の目を逃れるこれは、()()()()()()()()()()

 異世界からの異分子(イレギュラー)……それをこの世界で知るのは今のところ、駆け出し冒険者の街で商いをする魔道具店店長のリッチーと地獄の公爵のみである。

 

 それで、この異常に隙が生まれる。

 仮面の青年はこの機を逃さず、紅魔族の少女を連れ、魔剣使いの勇者らの下へと向かう。これを視界に捉えるや『預言者』は唇を噛む。このような事態に呆然としてしまったことを恥じ入り、怒るよう。

 

「関係ない。何者であろうとこの魔王城は落ちない。この神族の血が流れる守護神たる我がいる限り! 絶対に!」

 

 

 ♢♢♢

 

 

 だがしかし。

 この『預言者』の予測不能(トール)は、最速の馬車を駆り、本来、この世界では間に合うはずがなかった者たちをも一緒に引き連れていたりする。

 

 

 ♢♢♢

 

 

 魔王の城が眼下に伺える崖の上。

 見慣れた青髪の『アークプリースト』があれよあれよと追い込まれていくのが遠くから確認できる。

 情報不足で相手の策略に嵌って、泣き叫んでいるのが『千里眼』持ちのカズマの実況で語られるも、そんなの必要ないくらいにこっちでも簡単に想像がついた。見ずともわかるくらいに濃い付き合いなのだ。

 

 ……それでもうひとり、長い付き合いの娘がいるのだけれど、

 

(まったくトール……無茶にも孤軍奮闘して、はぐれてしまったぼっちを回収してくれたみたいですが、やり過ぎではないですか?)

 

 『結界破り』とかいう特性のある太刀で結界を破り、それから口から物凄い火炎のブレスを吐いて魔王軍を一掃してみせるとか、なんかもう今更ではあるが人間業かと思えない。

 そんな破天荒な王子に、白馬に乗って駆け付けるや抱きしめられたゆんゆんの心境は火を見るよりも明らかな目の色から窺えてしまうというもの。

 

 『婚約者がいる』と言うのだから、他の女性に対する距離感を弁えてくれないと困りますよ。ただでさえゆんゆんは『俺達友達だろ?』って一言でダメ男にいいように使われてしまいそうなちょろい娘だというのに……。

 まあ、今はとりあえず無事でよかったとしましょう。

 

 さあ――と切り替える。

 

 ダクネスにもダンジョンの最下層で見つけた『クルセイダー』専用の全身鎧をプレゼントしたように、成金大富豪のカズマが全財産の大半をつぎ込んで買い占めてくれた私へのプレゼント。

 これの出番を前に、小心者ながらつい震える声で、カズマへ確認してしまう。

 本当に、この“プレゼント”を使い捨てもいいのですか? と。

 

「構わん。遠慮無く使え。俺の奢りだ。これ全部、使い切るつもりでやっちまえ」

 

 惚れ直してしまうくらい男らしくきっぱりとそう告げるカズマ。

 ああもうダメだ。ただでさえこれからの絶頂を想像して足元が揺らぎかけているというのに、こうもガツンと言われては、メロメロです。熱に浮かされてもしょうがない。

 そんなどうにかなってしまいそうな私に、カズマはさらに昂らせて思いの丈をぶつけるよ叫ぶ。

 

「いい加減色々あって、ストレス貯まってきてんだよ! お前を補欠扱いした紅魔族の連中に、ここで目にもの見せてやれ! 金ならこれから稼げばいい。もうな、魔王だの家出だの何だのと、こうも一方的に色々やられると、心のちっちゃい俺には精神的に限界なんだよ! という訳で、だ! 俺の代わりに、あいつらに目にもの見せてくれ! 俺をスカッとさせてくれ!」

 

 両の瞳から涙が出そうなのを堪えながら、いや堪え切れずに漏れ出してしまうが、力強く、うん、と頷く。

 ええ、カズマ、あなたから貰った贈り物、大切に大切に使わせてもらいます。そして、あなたを惚れ直させてメロメロにさせてしまうくらいにスカッとさせてやりましょうとも!

 

「さあ、覚悟するがいい。最強の魔法使いと宣う魔王軍幹部よ。我が名はめぐみん。紅魔族随一の天才である私ですが……今日今この時これより、この世界に爆焔をもたらす破壊神と名乗りましょう――ッ!」

 

 

 参考ネタ解説

 

 

 クリムゾン・ブレス:『戦闘員、派遣します』に登場する人造キメラの灼熱のブレス。

 『我が業火の海に沈むがいい……! 永遠に眠れ、クリムゾン・ブレス!』というお爺ちゃんから遺言で厳命された前置き(フレーズ)をしなければ放てないが、威力は強力。

 この人造キメラの製作者(お爺ちゃん)のセンスが、紅魔族と似ている……?

 『エクス』は、ドラクエⅩの漫画『蒼天のソウラ』にて、『龍脈(エクステンション・ライン)』で拡大解釈して魔法の威力や効果を強化する魔族の皇子の利用法名を参照。




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